2014.06.16 (Mon)
この、「ロジャース メソッド」また「クライエント中心療法」というもの、へたすると、クライアントの思い込みや妄想を助長してしまうだけで終わりかねないのではないか?という危惧と同時に、
実は、第一にはカウンセラー側をこそ守るための処方式ではないか?という疑いを、カウンセリング自体も未体験ながら、私は長年にわたり、ずっと持ち続けていた。
まあ、しょせん門外漢なので、専門家には、否定されるかもしれないけど。
余談だが
私の腹違いの姉妹の娘で、短大卒業後、いったん社会に出て、結婚し、すぐ離婚、今度は私立の4年制女子大に進学し直し、臨床心理学およびカウンセラーを目指して、大学院へと進んだ者がいるのだが
(ちなみに、その母親は「人格障害」者だ。この子 本人の幼い時分は、妹いじめは激しい、かなり大きくなっても、親を困らせる目的での、お漏らし癖はあるというワガママぶりで、うちの親ですら、将来を心配していたほどだ)、
そりゃもう私の目から見ても、正直、こんなんに救われるどころか、ほんの屁の突っ張りの支えにさえもなれまいて、と思うw
自己中心的妄想に浸った独り言を延々つぶやいてるのを、そこに居る誰かに、ただ相槌打ってもらうだけで満足できるクライアントなら、その程度のカウンセラーでいいのかも知らんけど。
これらの疑問のことを久々に思い出させてくれたのが、下記の、貴重で重要な記事だ。カウンセラーなど専門筋の人にこそ読んでおいてほしいと思う。
おそらく、こうした点に踏み込んでの鋭い、忌憚のない指摘は、いままで、なかったのではないか、少なくとも私は見たことがなかった。
『<佐世保女児殺害>「答えが出なくてもいいかな」(被害者の父と兄が語る10年・下)』
2014年06月01日 13時40分
http://www.bengo4.com/topics/1595/
~
藤林:少し話を進めますが、実際にカウンセリングを受けられて、何か役立ちましたか?
兄:結果的には、役に立ちませんでした。頭のなかでめぐっていることを言語化できなかった。カウンセリングに行くと、「話してください」というのが、基本なんですよね。俺はたしかに、話したいことがある。でも、話したいことを言葉にできない。それを伝えたくても、その言葉がない。
結局、そこで話したのは、事件があって、そのことで悩んで堂々めぐりをしている状態で、まったく動けないという事実。外枠、アウトラインだけを話す。俺の目からは、それで、カウンセラーの先生方が満足しているように見えるんですね。
話したことについて、「実際、ここの部分はどうなの?」と突っ込んでくれる人がいなかったんです。もちろん、突っ込みにくいというのは、わかります。配慮とか、いろいろあるんだと思います。ただ、そこを話すためのレールを敷いてもらわない限り、自分も言葉として、外にアウトプットできないんですね。
藤林:体験にともなう複雑な気持ちというのは、いまは語ることができても、15~16歳の少年には言葉がすらすら出てこない。それが出てくるような支援やカウンセリングのありかたを考えたほうがいい、と。
兄:考えたほうがいいんじゃないか、と思います。ただ、カウンセリングを受けてみて、「自分の気持ちを話してもいいんだな」と思いました。「自分の気持ちを話そう」と努力をすれば、それを聞いてくれる人がいるんだ、と。それが認識できたのは、かなり大きかったです。「話せる人に出会えるまで続けていこう」という気持ちが少なからず、できました。「待つ余裕」が少しできたという点で、カウンセリングを受けたことの意味は大きいです。
藤林:そして、それを話せるようになったのは、だいたいいつぐらいなんですか?
兄:話せるようになったのは、大学2年生のときです。毎日新聞の川名壮志さん(事件のルポルタージュを書籍で著した記者)に話を聞いてもらいました。それが初めてですね。結局、16歳から大学2年生になるまでは、そういう人は現れなかった。
~