2014.04.28 (Mon)
ずーっと以前から言ってきた、
どこのサイトでも、コメント投稿を受け付けることで、たちまち開始される現象、ネットの総「2ちゃん」化。
例の「OKウェイヴ・おしえてgoo」のこともあり、私は、ネット サイトというものに参加し始めてから早い段階で指摘を続けてきたけれど、
近ごろでは、「やふコメ」を眺めていて、まったく同じことを感じる。
「ヤフー」の社長さんと経営陣の皆さん、よく考えたほうがいいと思いますよ。
それとも、やっぱ、何ぞ考えあってのこと?w
私が、ネット サイトの多くを見ていて持った印象、それが、かなり表面的なレベルに留まっているだけなのかもしれないとしても、
もちろん、匿名であることが圧倒的現状ではあるし、
(そのこと自体は、最近のエントリーで述べたことだが、いまでは防犯的な意味で肯定する)私も、自分のブログなどで何度も指摘してきたように、
夥しい複アカウントおよび「別人なりすまし」といった多重投稿等が蔓延していることから齎されている現象ではあろうと察している。
むろんのこと、一般ユーザー個人でしかない私に、
夥しい複アカウントおよび「別人なりすまし」といった多重投稿等が蔓延していることの実証を挙げろ、と言われても、それは不可能だw
少なからぬ覚えのあるひとは、みずからの胸に手を当てて読んでいただくしかない。(苦笑)
なにしろ、テレビ ドラマの悪役俳優(または善玉的俳優)を、彼らの現実生活においても そうなのだと錯覚してしまう一般人のおとな、という類の社会現象は、実は少なくないという指摘が従来からあったほどなので、
ネットの、こうした影響が、今後、どの程度にまで、国民全体の知性を歪めてしまいかねないかということを、私は危惧しているものだ。
とは言え、
パソコンとインターネットが個々の家庭に普及する以前までは、一般人の情報収集源としては、主として新聞、各種雑誌、そしてテレビだった。一番お手軽なのは、もちろんテレビだが、
私のように、もともと、報道特番やドキュメンタリー番組以外は、テレビよりも、新聞のほうを重点的に読み、雑誌の類は殆ど読まない、特に、ゴシップねた満載タイプの週刊誌には、ほぼ全く、手を伸ばさないできた者にとって、情報収集源自体、かなり限られていたのは事実だ。
そして、
だいたい大手の新聞各社(私の場合には、もともと「産経新聞」だけは縁が薄かったので、これを除くw)が述べることには、他からのどの情報と見解よりも、信頼を置いてきたことは認めざるをえない。
このあたりの実態こそは、ネットというものを使うようになって、画期的なまでに様相が変わってきた点ではある。
たとえば、近頃の、「理研・小保方事件」を めぐる動きと騒ぎの切っ掛けなどには、まことに顕著に出たものと思う。
そこを置いても憂えるのは、
いま この「1億総2ちゃん化」とも言えそうな現象を前にして、つくづく、
日本人というのは、かくも民度が低かったか?
ということ。
ひょっとして、
ネットというものが、そして、本来「チラ裏」なるものが大っぴらにシャシャリ出て堂々罷り通る世になった お陰で、そして、
政治に宗教、その他の、ありとあらゆる魑魅魍魎が、その欲望を果たすに もってこいのツールとして早速とび付き、
たちまちにして、「悪貨が良貨を駆逐」し、「低きに流れる」なんとやら。
糅てて加えて、
日本人が、まともに日本語を使えなくなってきているのかということを、かなり危惧する事態になっている。
旧のブログにても、産経新聞記者の記事にリンク付けして述べておいたことだが、
甚だしいと感じるのは、文章それも、私が過去に従事した業界の、商業文の類ではなく、あくまで真面目、真摯な報告と論を述べる文章のプロであるはずの者にさえ、日本語が怪しい傾向が出てきているのでは?と心配になってくる、
この現象は、殊にネットにおいて、校閲・校正・推敲作業が軽視される「文化」が出来あがってしまっているからなのだろうか。
しかし、このことは、広く一般国民の思考レベル全体に、水面下の悪影響を及ぼしていく原因になるのではなかろうかということも、私の大きな危惧の一つだ。
国民の思考レベルの全体低下は、必然的に、民度の低下を齎すことだろう。
そうして、やがて、「愛国」を盛んに叫ぶ者たちが一番恐れるはずの国益全体にも及んでくることだろう。
基本的な「てにをは」すらなっていない体の「2ちゃんねらー」的日本語を見ていると、なるほど、これでは、朝鮮人やら中国人やら、その他、私は よく知らないが、「特ア」とか呼んでいるらしいのだが、ひょっとして、出来あいの「日本人にナリスマシた工作員」が煽っているのではなかろうか?という疑念も起きようというものだw
ただし、
いわゆる「ねらー」まる出しな投稿者は往々にして、これへ「在日」という存在をも付け加えているのを多々見かけるが、その場合は、ほとんどの者が、基本的日本語を すでに じゅうぶんに身につけてきているはずなので、これは あたっていないのではないかと思う。
だいたい、日本人にして、その国語をマトモに使えない、
すなわち、ひいては論理的能の問題というと、あるていどは、典型的なパターン層はあるものだろうが、
この「典型的パターン層」というものが、
たとえば「ザイトク会」だか「チーム」なんたらとか、わけのワカランどこぞの団体からの受け売りなのか何なのか知らないが、
いっぱしに、徒党を組んだデカい声で、わけのワカラン主張を述べたてる場を確保できるようになったことは、断然、大きいと思われる。
「ユーチューブ」等の動画を見ていたら、ああいう団体が、ある種の知能のひとを利用して言わせているのも窺える。
いかがわしい宗教団体なども、このテのことは、すでに大いにやってきているクチではなかろうか。
要するに、「ミソもクソも」状態なのだ。カッコつけて、「カオス」などと呼んでみせる軽薄者もいるがw
これを、今後世代に向けて教育上にも重く用いていくのが、国家規模の方針と言われれば、これは道を誤らないかと心配になって当然だ。
それと、
長文作成能力、かつ、これに伴う長文読解能力の低下助長。
ただ、日本語の世界には、あえての短文に価値を置く歴史的文化もあるわけだが、
だからといって、長文読解能力の低下は あってはならないことだ。
自分は日本人である!ということを、何の意味あってか、むやみやたら自慢げに主張しておいてから、さてとばかりに他国人を罵倒している者たちは、基本的な日本語すらも使えないで、恥ずかしくないのだろうか?と怪訝に思う。
さて、私の周囲の、現実に知っている範囲で言えば、
日々の勤め、良い意味での実際的な影響を社会に齎すべく、かつ、齎し続けてきた実績を持つ人々は、
かつての、ネット サイトというものに参加した経験を持たなかった私自身そうであったように、
こんにちの、拡大し続けるインターネットという、まだ「ミソもクソも」な場のなかで、何が起きており、どうなっていきかねないかを、ほとんど全く知らないままでいる。
彼らは、日々、真っ当な実務に忙しい。
『「『裏の部分にまで社会規範を求める』って不自然過ぎ。」?』
私は、厳しい諸条件下にありながら、これまでに、かなりのことを見定めたうえで、いまだ深い疑念を感じつつも、いずれは離れていくだろう。
思想や価値観の低俗、感受性の下劣さが剥き出しになってしまっていることが、国語の低下と同時に あらわになっているさまを見ていて、ネットの悪しき面が、これ以上に蔓延しないことを祈るしかない。