2015.08.02 (Sun)
ブログ等やっていくのにも厭気が起きるねっと
きょう、ネットの記事に寄せられる一般からのコメントが、いかに、あてにならないかということを、あらためて思った。というのは、
先日、調布市で墜落・炎上事件が起きたが、
この、痛ましいと同時に不審の多い事故について疑問を挙げていた毎日新聞記事についてのコメントでも、殊に多くの異議申し立てが押し寄せていたようで、私がチラッと見たなかでも、
「機長だけ悪者にしている『反日』毎日新聞は、これだから!」的な抗議のコメントが相変わらず少なくなかった。そのなかで、
コメ投稿者自身か友人か知人のなかに、くだんの「パイパー」機を操縦経験があり、積載重量については、いかに燃料満タンだろうが搭乗人数最大だろうが、いずれにせよ、メーカー側は、安全であるという大前提によって、それぞれの最大限重量数値等を算出・明示しているのだから、いかに、燃料も人数も最大限重量であったとしても、そのこと自体に問題あるはずがないのだ、との主張もあった。
一見、いかにも詳しい知識と豊かな経験があるように思わせるコメントだったのだが、
それも結局のところ、いわゆる「ミリオタ」みたいな者のコメントに過ぎなかったのだろうかと思わせられたのは、今回の記事によって。
『小型機墜落:「危険予測できたはず」操縦士ら疑問の声』
先日の、「パイパー」機について、いやに詳しい知識を披露しつつ、ひいては毎日新聞を腐していた、あのコメント投稿者らは、どのように反論するのだろうか。いまのとこ、コメント0なのは案の定という気もするのだがw
だいたい、二言目には「反日」だから云々されてもねえ、まったく関係ないやろにww
しまいには、ははーん、こういうのが、アメの手先か?とまで思えてくるわwww
ハッキリ言って、こういう真面目な記事についてまで、一般からの「有象無象の輩」的コメントを受け付ける欄を設ける必要性なんてあるのだろうか?
なくていいとしか思えないのだけど。。。?
これも、数あるネット問題の代表的なところだと思う。
たとえ、いかにも実名らしき氏名や所属組織等を名乗っていても、どうやら全くのところ信用に足りないのが現実だし。
どうしても個々の思いから黙ってられなくて言いたいことがあるのなら、自分のブログ等でナンボでも取りあげればいいことだし。
ニュース記事等にまで設けてある一般用のコメント欄は、廃止したほうがいい、そのほうが、まだマシだと思う。
いわゆるネトウヨの口汚くも非論理的「反日」呼ばわりで押し寄せることが殆どになってしまっていて、むしろ、世のなかに有害な現象の一つになってしまっていると思う。
かくもイイカゲンなものなのだろうと、あらためて、ネットのコメント欄を見るのが、つくづくアホらしくなった。
まあ、自民党や『日本会議』やアメ公らの手先に汚染されまくりなのだろうし