2014.03.15 (Sat)
「掛け替えのなさ」なるコトバ。 2012/01/06 23:52
あのころ、私に向かって、「カルト連」の番頭格tokiが言ったものだが、
たぶん、本人、本質的な意味は分からずに言ったのだろうと思っているw
「売文家」だとか称していたようだが、なるほど、「売文蚊(禍)」ww
一流の、という評価を伴った「芸術家」と称される多くの人々は、
「芸術とは、つまるところ、人の心を喜ばせ、豊かにするものだ」
と言う。
そして、「それは、借りものであってはならない」とも言うけれど、
「借り」てはいるのが当然の摂理だとも言えよう。
ならば、何が問われるのだろうか。
切り口や変化の豊かさ、描きかたの多様性というものはあって大いに良いものだと思うけれど、肝心なのは、やはり、そのコアになってるものね。
それが見つからないと、
そして、それを、なぜだか「掛け替えのないもの」と、自分自身で心底、思えるのでなくっちゃ、書き続けようとは思わないだろうけれど。
書くという行為、営為は、エネルギーを激しく消費するものだ。
~「みんなマーケティングで、同じ小説家がくるくる違うことを書く。観念というか、自分の感性でとらえた主題を一生追いかけていくのが芸術家だと思う」~
「マーケティング」というのは、ウケ狙い、つまり、商売ですからw
ありとあらゆるナリスマシを やってのけるのも、これ仕事、商売、まずはウケなきゃ始まらぬ。
それが、「カルト連」にとっての「ゲイジュツ」なのですww
彼らが、ネットで繰り広げて言うところの「ゲイジュツ」とは、これのことなのです(嗤)
でも、やっぱり、「不自然」だとか「臭い!臭う!!」と言われてしまうんだなあ、これが。
なんでやろなあ。
哀れ...(嗤)嗤)
『「指導核心工作員は」… 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2547617/
『勉強家。 』
『幼稚極まるけれど、ムジャキと言えばムジャキな 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2446552/
カテゴリ: 本・アート > 書評 フォルダ: カルト・サイト関連
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