2014.05.22 (Thu)
佐藤弁護士さん。
『PC遠隔操作 弁護士会見(下)「嘘をつくつもりもなく嘘をつく天才」の人格』
産経新聞 5月22日(木)17時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140522-00000550-san-soci
実際には無実でないとなれば、それは また、そういう場合の、弁護士として対応があるのだということ、当該弁護士さん自身が おっしゃってるでしょうに、相変わらずの「やふコメ」だねw
とにかく、あくまで被告の立場としては、佐藤さんのような人は、真摯で、プロとして最も頼りがいのある人には違いないでしょうよ。
片山(丑田)なんて、専門職で、その会社のパソコン使って悪さしとったんだからなあ(呆)
片山(丑田)の場合は大部分、あくまで、皮肉な偶然の「グレーゾーン」に守られていただけ。
最後のドンデン返しを自ら演じて、その「グレーゾーン」を、わざわざ自分で真っ黒に塗り直しただけのこと。
その職務上、屈折の見本のような者たち相手に、難しい案件を幾つも こなされてきたはずなのに、ご自身は、いたって真面目で真摯で真っ直ぐな熱血タイプでいられた佐藤弁護士さんが、私の目の前にいたら、教えてあげたいものだと思う。
せっかく、「いかにして、このような人間が」という心理のことに着目するのなら、私からは一言。
「劣等感」
少なくとも片山(丑田)の場合には、これが最大のキーワードだろう。
人格障害の根幹にも関わっていることだけれど、「劣等感」というものは、「不安」が母体として繋がっているものだ。
不安や劣等感というものは、もちろん、人間ならでは複雑な知恵が発達していることの表れでもあろうが、
客観的に見て、他人にも理解できることとは必ずしも限らないし、
しかも、基礎生育環境そして社会へ出てからの環境と繋がっていくなかで、長い時間を かけて、複雑微妙化していき、
当の本人自身にとっても、もともと根拠らしい根拠があったとは限らないことも多いだろう。
いわゆる人格障害の場合にも指摘され始めているようだが、脳内分泌等の生理的条件も作用しているのではないかという説もある。
また、私が言ってきたように、片山(丑田)は、その独特の表情性を見ていても、どこか、何かしらの発達障害系の疑いを感じさせるものが漂っているが、人格障害と発達障害も、両者密接に関わっている場合は、やはり多いだろうと察している。
なお、当該被告の母親について。
私は、「かわいそう」などというネット民の多数意見には くみしない。
たしかに、しつけの問題であるとかいった、養育者としての責任を越えてしまっている問題のケースは、現実としてあると思う。発達障害の問題は典型的な例の一つだろう。
すでに、自分の息子の特異性には、彼が子ども時分から多少なり気づいていたのではないかと述べたが、
今回の事件でも、前科があっただけに、だろうか、疑わしいという認識は持っていたと、母親自ら言ったそうだし。
それでも、大枚の保釈金を敢えて用意して、被告を出してやったわけで、
結果的には、それが、事件の意外な急展開へと導くことになったとは言え、そうとう甘やかして育てた面もありそうだと思った。
その反面、
中学受験などを、本人の意思に反して強いたか どうか、あかの他人である私は知るよしもないが、
教育熱心だったということなら、どこか、子どもに対し、期待を掛け過ぎ、ただに親としての自分のミエを満たすため、直接的か間接的かは知らず、暗に強制・支配的な接し方を日常的にしてきていたのかもしれない。
一言で言って、アンバランスな養育態度だったのかもと思う。
それでも、それに応えていけて、なお余裕が残る器の子であれば ともかく、
私が指摘しているように、何らか発達障害等の内部問題を隠し持っていたとすれば、本人の奥底では、かなり、無理をしてきていた部分もあったのかもしれない。
いずれにせよ、
私は、この被告の母親に対しても、いささか不審は感じていた。酷なようだが、
それは、
「いつになったら、もとの平穏な生活に戻れるのか」
といった繰り言のことだ。
片山(丑田)の幼児的なまでの視野の狭さ、あくなき自己中心性の影響は、この母親自身から受け継いだ影響もあるかもしれないという印象を持った。
とりあえず、ここまで走り書き。
また気が向けば。
ま、私個人としても、
ネットで、顔も知らぬが気に喰わないと思ったとたん、対象相手を攻撃するにトコトン口汚く、あるいは、ひたすらネチネチと厭味たらしさ このうえもなく、
はぐらかしと嘘を駆使し、匿名を かさにきて、小賢しく、狡猾にやってのけて恥じない連中の姿とは、
まさしく、この片山(丑田)被告が現実に具現してくれている姿そのものなのだろうと、思わず嗤いを もよおしたことだ。
ああ、そうだ、ついでに、
「小保方事件」の笹井さんは、やっぱり、「些細な関与」ではなかったのらしいねw