2025.08.10 (Sun)
『平気で噓つく親とウヨ』の続き。
閑話休題。
富裕層は、能力が高いから富裕なのだ、
という、ばかウヨの口癖なんぞは、ハナから せせら嗤ってきた私ですが、
だって、、そうでしょうよ、
昨今の、しょーもない詐欺話に、いともコロリと引っ掛かっちゃうカネ持ち(と言っても、だいたいは、せいぜい数千万円ていどのようだけど)、
彼らは、なぜ、あれほどマヌケな対応を してしまうのでしょうか。
わたしゃ、近頃では、でっちあげのニュースを流しているのでは なかろうかとすら思えるようになった。
「会社の上司の従弟の息子が、受け取りに行きます」
この時点で、ありえねえわ!wwwと思わないのが おかしいし、
「おカネを封筒に入れ、玄関の横の牛乳箱のなかに入れておいてください」
とか指示されて、そのとーりにしちゃう。
思考停止して、すべての指示に従い、完遂し終えてから、
おもむろに、家族に確認を入れ、誰の話?と聞き返されてガーン。
すべてが終わってから、ハタと、
おかしくないわよねえ?と、友人に相談して、おかしいヨ!!と言い切られてガーン。
しまいには、ATМ前で、心配する銀行員の忠告を煩い!!と遮り、
駆けつけた警察官に止められても振り切って拒絶し、
「邪魔しないでくださいよ!!」
これの どこが、
「能力が高いからカネ持ち」なのさ???(大嗤)
しかも、
高齢だから、、、というのも、通用しなくなってきており、
だんだん、現役世代や若い者までが引っ掛かってる しまつ。
よく指摘されていることだけど、要するに、欲を掻いたがために、というのが、嘘の投資話に引っ掛かってというのであれば、まだしも、
60代や70代の、それも女性が(男性の場合は、爺さんでも、若い女性との性交渉に執着してることが多いみたいだからね)、一面識すらない相手から「ロマンス詐欺」に引っ掛けられ、というのは、いくら何でも、
をいをい
と、呆れてしまう気持ちを抑えることは できない。
どう考えても、平凡なレベルの勤務や社会経験すらも皆無としか思えぬ、新聞記事を読みこなす能力も ないのだろうかと不審なほどの、知性メチャ低でもカネ持ちになれるという見本。
よほど実家が太くて、親の遺産だとか、まじめなダンナが、いっしょうけんめいに残してくれた財産とか、何らの労なくして、右から左へ分け与えられただけの、恐るべき世間知らずである、としか思えない。
さてさて、
富裕層の方々こそは、いろいろな業種や職場で働く人たちを大切にしなければ ならないです。
なぜかって、
富裕層は、豪邸、その掃除人、庭園の管理人、自家用ジェット機や高級車の組立工、メンテナンスと運転手、ゴージャスな衣装や宝飾品や高級腕時計製造者、高級食材の生産者や料理人、子どもの家庭教師、ペットたちの世話係……もう いいかw
とにかく、やたら めったら、ありと あらゆる資源や働く人々を必要とするでしょ。一般人のレベルとは比べようもないくらいの。
貧乏人じゃ、必需品さえ買えないことが多いのだから。(苦笑)
やがて、人生の終末期を迎えても、最後の最後まで、現役バリバリ時代以上に、可能なかぎり快適に過ごしたいわよねえ。
自分一人では、おふろも入れなくなったら、からだを丁寧に洗ってくれる人が必要よね。
だからこそ、
昔から、王侯貴族階級や上流社会の人々ほど、侍従とか執事とかメイドさんを、優しく ねぎらい、まめに、お礼を言うのでしょう。じつは、怒らせると恐い人たちですからw
いちばん、身近にいる「庶民」「民衆」を怒らせると、、、じつは、それだけじゃないのよ。
どこかの『宮妃』は、こまかいことで朝っぱらから怒り散らしてるらしいので、「ご難場」とか呼ばれてるそうだけどさwズバリ、ご本人自身は、もとが庶民の出身だから知らないでいるのか、
そうでは なくて、
それこそ、本来の出自では全然、負けそうな人たち(実際、もとは何らかの『宮家』筋とか『華族』出身の人も多いだけに)そのへんの庶民層から、いきなり「お妃」になった人なんぞ、腹の底では、フンと見下してるのかもしれないでしょw
そんな相手に舐められないよう、手抜きされないよう、のべつ、目を光らせ、しじゅう、気張っていなければ ならないのかなあとww
たいへんですことねwww
そう言えば、
かつての『大正天皇妃』は、『昭和天皇妃』に対するアタリが、非常にキツかったそうな。
嫁と姑とは言え、出自そのものを言えば、もとから『皇族』出身である良子さまのほうが上、ってことも あったかもね(苦笑)
それ以外でも、
『皇室』は、武家出身者にも、足を向けては寝られないでしょうよw
私は、すでに何度も、いわゆる『皇室ビジネス』から利益を得ている連中(マスコミも代表的よw)の問題を指摘してきているけれど、
じつは、もと『皇族』『華族』と称する人たちの心理も、けっこう複雑に歪んでいるのじゃないかとww
もちろん、『天皇制』『皇室』制度そのものは存続させてほしいという本音と同時に、
自分たちの身分や階級との差は、ほんの一歩ていどとも言えよう『天皇』『皇族』を、身近で接する機会を通して、よく知っているだけに、最も軽侮している人たちでもある、のかもねwww
裏では、いちばん陰湿に叩いているのかも(苦笑)
無知な庶民・大衆ほど単純なミーハーでは ないでしょうからwwww
あ、そうだ、
おふろの介護問題、と言えば。
ほれ、食洗器みたいなと言うかwすでに、私が子ども時分から「人間洗濯機」wというのが あったのだそうですがね。なぜか、製品化は されていなかったという。じつは私も、最近まで知らなかったのだが。
普及につれて、価格もグッと下がると いいのだろうが、
ただ、内部の ようすが、介護担当者に、しっかり見える状態にしないと、いろいろリスクも ありそうだし、
何よりも、要介護者が、恐がったり、パニックを起こさないようでなければ ならないでしょうね。
むかしの隣家の おばさんは、入院中に、CTスキャン装置のなかへ吸い込まれていく途中、大声で悲鳴を あげたというので、うちの母親が呆れていたのを思い出した。
ただし、おばさんは、当時、まだ高齢者というほどでもなかったし、認知症とかでもなかったはずなんだけど、それでも大騒ぎしたというので、認知症の高齢者だった場合などは、けっこう難しい課題も あるのかな?と。
ちなみに、くだんの「人間洗濯機」のなかには、最近、どこかの国で開発されたという「安楽死」用のカプセルと、形がソックリなものも あるようでw
スムーズに洗濯されていられない状態の、手間かかり過ぎる要介護者には、「人間洗濯機」が、そのまま「安楽死」用にもなります、なーんてねとんだブラック ユーモアだな(苦笑)
…
再び、閑話休題。
なるほど、「日本人ファースト」で何が悪い、あったりまえじゃないか、ここは日本なのだからと。
だったら、
あたりまえ過ぎて、いちいち喚く必要もないはずなんだ。
ここは日本で、最大多数の日本人が、主権者として生活しているのだから。
日本人が必要としているサービス、業務、それらを、日本人自身が、やりたくない、やろうとしないのなら、代わりに、やりますよと言ってくれる外国人に依頼するしか ないでは ないか。
そもそも、外国人労働者に多数、来てもらう目的は、何のため?
それこそ「日本人ファースト」だからでしょ。
それも、正確には、うちらみたいな貧乏人では なくw富裕層を中心とした日本人ファーストのためだ。
先述してあるように、
富裕層が、最も必要としているから。
老後となっても快適な生活を続けたいから、こまやかな、ていねいな介護を受けたいから。
でも、やってくれる人が いなくっちゃあ、
費用はタップリ払うつもりでも、やってくれる人が いないんじゃあ。。。
働いてくれる社員・従業員が どこにも いないから、自分だけで全て回し、こなさなきゃならない経営者、名ばかり社長みたいなもんだなw
それでも、
どうしても目障りだ、気に食わない、なんだか不安と感じてしまうのなら、もちろん、移民や外国人労働者には お引き取り願い、門戸を閉ざすしか ない。
まあ、それよりも、魅力の薄い、居心地の悪くなった国だというので、日本は、今後は避けられていくのかもしれないよねw
そうなったら、日本人自身が、職業の選り好みを やめて、いわゆる「3K仕事」だろうが、まじめに、黙々と励んでもらわにゃならん。主として、富裕層さまのために。
それだけの話なんだけども、なかなか、そうは いかないみたいよね。
なぜなのか、よくよく考えてみる必要が ありそうだけど。
サッと分析してみる分には、一つには、やはり、総じて国民が、いちおうは「高学歴」化しているという時代の変化。
【続く】
2025.08.10 (Sun)
『性懲りなき人々』の続き。
さて、
世のなかの変遷は速くて、そこから、あれよあれよという間に、現代社会では、お世辞にも、レベルが高いとは言い難いレベルの大学を、しかも、こともあろうに、テイよく「奨学金」という名の借金を抱えても、とにかく出ているというので、実質レベルは、へたすると、中学卒と大差あるのか否かという程度の者ですらも、就職時の選り好みは、それなりに、したいものであろう。
けれども、せっかく入社しても、嫌気が出てくると、もたない、続けられない。なんで、おれが、わたしが、、、と、不満ばかりが膨らんでいく。
だってね、周囲を見渡しても、ほぼ全員が、似たような生育環境、似たような身体条件、似たレベルの大学を出て、大差は ない生活スタイル、
なのに、なぜ、この自分だけが、という、漠然とした疑問が拭えない。
それも若い世代の人口が乏しくなっており、おかげで、ある意味、緩和されて、「売り手市場」に結びついているという皮肉な現象も起きているが、その影響で、若い世代の競争力は、今後ますます落ちていく恐れも つきまとう。現に、子どもでも知ってるはずだった日常レベルの知識を知らない大学生、それも、理工系の大学生ともあろう者が、人命にかかわる事故を発生させたりしているのだから、「大学」と名の付く存在の価値も下がっていく一方のように思えてくる。
私なんかでも、高校時分、志望していたのは『心理学科』だったのだが、そういった学問を専門に学んだところで、就職に際しては、ほぼ無関係だという現実も聞いて、複雑な気持ちになったこともあった。ただ、私としては、そういう選択肢に進んだなら、やはり、学究生活に入り、研究職なるところを目指したいと思っていたものの、それも また、厳しい自立生活を覚悟しなければ ならないことが殆どの現実であるという話も聞いていた。
だいぶ前にも触れたことが あるけど、親父の先妻の娘の娘、つまり、私から見て、義理の姪に当たる子が、短大卒業後、ほどなくして、スムーズに職場結婚した相手が、予想外の不祥事を起こし、子もないまま離婚、それから、何やら一念発起したのか(この子の母親も、『自己愛性人格障害』という診断が下っているくらい、言動や行動に問題が多いせいなのか)、私立の心理学科で聴講生を開始し、やがて、博士号を目指しているとかいう話までは聞いていたが、そこへ至るまでにも、本人の父親と、うちの親父が、そうとうの援助を与えていたようだ。
私自身は、親父と、その先妻との子どもや孫らは、もともとが義理だし、あちらの関係者とは、いろいろ不快なことが積み重なっているので、親父の死後は、一度も会っていないし、私にとっては、あかの他人よりも、よっぽど始末が悪い連中でしかないので、無関心だ。まあ、先方も、私に対して同じか、それに負けない悪感情を持っていることだろうと思っている。
やっぱり、むしろ親父以上に、母親が大バカだったと、つくづく思うわ。。。
さて、ここでも再び言うのだが、
社会的インフラを最も利用しまくって稼いでいるのは、企業であり、
最も公害を撒き散らしているのも、また、企業だ。
だから、社会的還元は、企業の義務、責務である。
儲けや稼ぎが、広く世のなか全体に向けて還元されていくなら、つまりは、寄付や善行を最終目的とする儲けや稼ぎであるのなら、『キリスト教・プロテスタント』という宗派の教えにも合っているらしいけれど、
以前も指摘したように、『大阪商人の哲学』とも共通した考えかたである。これは偶然なのか否か、私は疎いので、そこは詳しく知らないが、もっと言えば、『マルクス』の思想も、根底の伏流的なものは、キリスト教だろうと思う。
私は、そもそもから、「フラット」な世のなかなんて ありえない、格差というものは あってアタリマエだと言ってきたし、ただし、格差が あり過ぎると、皆の首が締まっちまうよ、とも、同時に警告してきた。
最近、アメリカのメディアによる記事だったと思うが、富裕層に、「富裕税」を課すことについて、いろんな角度からアンケートを取った、その結果が発表されていたようなのだけれど、私は、ちょっとビックリしたのが、富裕層のなかには、暴動や暴力行為を向けられるかもしれないことを恐れている人たちも いるのだと。
まあ、要するに、いわゆる革命、暴力的革命ってことも該当するわね。
そういう危惧も、歴史上、実際に あったからなのか、意外と、この、「富裕税」に賛成している積極的な向きも、けっこう、いるらしいのでは あるが、そのへんは、各自が保有している資産の額によって、賛否のバラツキが あるようだった。
今回、じっくりは読んでいないので、大まかにしか覚えていないが、この「富裕税」については、もう何年前だったか、アメリカの大富豪として知られる面々が、「われわれから、もっと税金を取ってくれていいんだよ」というような宣言を出していたという記事を読んだ記憶も あるので、その延長としての内容なのかなと思った しだい。
日本では、
「気前が良いどころか、むしろ、カネ持ちほど吝(しわ)い、ケチだ」
ということも よく言われるし、私自身も、それは当たってると言いたい周囲の実例も知っているw
と同時に、
「締めるところは締めるからこそ、溜まるのだ」
という周囲の実例も知っている。
ひるがえって、
俗に言う「宵越しのカネは持たない」のは、むしろ、貧乏人こそは、カネに執着せず、気前が良いから貧乏人なのだ、という指摘にも、これは、われながら頷けるところが ある(苦笑)
貯めようと汲々とするのが、もうメンドクサいのよw
要するに、貯めることに情熱的でない性分なのだが、
そこへ行くと、
うちの親父は、貯めること そのものを楽しんでいたようだったw
なんせ、貯金通帳を眺めるのが趣味というのは、実際、モロに そうだったからww
やっぱり、私は、似てないな。。。
親父の性質は、やっぱり、親父の先妻との子らが、しっかりと受け継いでいるなあと思うwww
で、
まあ、晩年を迎える頃には、それなりに貯め込んでいた親父では あったのだが、若い頃の親父は、ほんとにダラシなくて、酒浸りの借金まみれで、私の母親と再婚してからは、生活態度も経済状態も、徐々に徐々に改善していけたという、もっぱら母親が主張していた話では あるのだが、そう言う母親自身だって、不倫の子である私が生まれていなければ、どうなったやら、知れたものでは ない。
私が死ななかった おかげで、デキ婚に漕ぎつけ、辛うじて夫婦になれたのだから、つまりは、この私の おかげ、それが真相ですw
「私の おかげだ」、感謝せよ!
というのは、もともとは、生前の母親お得意の口癖だったんだがww
親父と夫婦になったのも、私を「父なしっ子」にしては ならないと、
「あんたのために」
がんばったのだ!と、常に、恩に着せてくれたものだが、
ほんとうは、プライドが高い母親自身が、親父に捨てられたくない、なんとしても、親父と夫婦になりたかっただけさ。
あんなケチで細かいDV野郎、おまけに、ぶさいくなオジンの、どこが良いと思って入れ込んだのか、私は、親らとはシュミが異なるので、これまた、ワカラン。
まあ、ただ、せめて、妊娠中の自己管理は、きちんと して、『妊娠中毒症』の恐れも高かったのだから、出産予定日を1ヵ月も過ぎるまで放置、というデタラメは、やめといてほしかったわ。
双方とも、初婚でもなければ、初産でもない。
母親は、二度の妊娠、死産、出産の経験あり。
親父のほうも、先妻との あいだに、すでに3人の子ありだった。
しかも、3人目は、私より、たったの6ヵ月だけ先に生まれている(嗤)
うちの母親は、もともと、先夫が厭で、不倫で私を妊娠してから、さっさと別居しており、そこから何ヵ月後かに、再婚したいとアテにしている相手のほうはというと、のらりくらり、なかなか、離婚してケジメを つけようとは してくれないのに業を煮やし、当時の親父と先妻らの所帯へ、友人を連れて乗り込んでいったのだという。
すると、
あろうことか、最後の3人目を妊娠していて、もう近いうち出産するのじゃないかというほど、腹が大きくなっている先妻の姿が。
この状況を知らないままでいた母親は、おぞましい真相を目撃して、ゲッ と仰天したそうな。
あっちも腹ボテなら、こっちも腹ボテ(嗤)腹ボテどうしの修羅場(大嗤)
さあー♪ど修羅場ど修羅場(大嗤(爆)
あんな、冴えない、姑息で狡猾なオジン相手によ?モノズキにも ほどが ある(嘲笑)
…
ええかげんにしとけ(怒)![]()
これが、無理やり産み落とされた私の本音ですわ。
つくづく思う。
こんな みっともない連中、そうそう おらんやろと。
「男として、父親としての責任を自覚させるためにも、産科への通院には、必ず、付き添わせたものだ!」
と、鼻息を荒くして豪語していた母親だが、
私も、このトシになってから察するに、
こりゃまた真っ赤な嘘だな~、と、思うに至った。
きちんと通院していたのならば、どこの医者が、出産予定日を1ヵ月も過ぎるまで、当の妊婦に注意も警告も せず、放置しておくというのだろうか。
私は、おそらく、母親は、産科への通院すらも、怠っていたのでは ないかと察している。
「無理に出て来させなくても いいじゃないか~」
と、
ノーテンキ甚だしいことを言い放っていたという親父も、本心では、産んでもらいたくなかったのだと思う。
ほんと、どんだけのバカップルだか。(怒)![]()
![]()
【続く】
2025.08.09 (Sat)
『戦時の男女/現代の男女』の続き。
『沖縄メッセージ』のみならず、これは、私も、つい最近になって知ったのだが、戦時中、例の『南京事件』の際には、この『南京』陥落を遂げたことに対し、大いに「お褒めの言葉を下賜」されたという、『昭和天皇』。
『特攻隊』についても、「よく やった」と、感激のコトバを洩らされたことが知られているし、
敗戦直後には、当時の良子『皇后』も、
「『B29』は、敵ながら、まことに立派」だったと。
敗戦を決定づけた核兵器による被爆を体験したばかりの広島の人々は、そんな『昭和天皇』を大歓迎し、その熱狂ぶりは、アメリカ人を呆然と させたという。
(なんか、先日の『参院選』に おける、石川県民を連想させるものが あるなあ)
そして、
やがて「高度成長」時代に生まれ育った私自身もリアルタイムで目にし、耳にすることとなった、あの発言。
「気の毒ではあるが、戦争中だったので、やむを得ないこと」。
まあ、たしかに、そのとおりでは あったのだろうし、そうとしか言いようが ないじゃないか、というのも仕方ないことでは あるだろう。しかし。。。
…
私は、いつも、怪訝に思ってきたことが ある。
たとえば、戦時中の体験以外でも、何らかの大災害に遭遇した場合に、「お出まし」いただき、すぐ そばでの お声がけに あずかって、「ほんとうに大変でしたね」などなど、しみじみと親身な お声を いただいたと、それで嬉し泣きしている人の気持ちが、よくは わからないのだ。
要するに「有名人」それも、日本で最も有名な人に面会でき、そして、親しげに話しかけてもらえた!と、感激する気分に近いものなのかなあ?と、察してはみるのだが、
同じく、
「お手振り振り」を見たからと、なにが嬉しいのだか、これもサッパリわからない。
わざわざ、厳寒期の戸外に立ち尽くして、いや増しに寒々しい防弾ガラス越しで見おろされ、お手フリフリを見せてもらって、なにが嬉しいのかが、さっぱりワカランのだw
なので、
最近のエントリーでも指摘しておいたように、
専門家や識者であるらしい人たちが、「ふつうの人」に違いないはずの、一人の娘さんを頼んで、「救われる」の「救ってくださる」のと、カルト宗教臭プンプンのセリフを言い放ってみせる神経が、どーにも こーにも、わからん!!ww
話題が変わるが、
私は、若い頃から、たとえば『ドイツ』の職業訓練校などの教育システムの話を聞いたりするたびに、日本も、「どんぐりの背比べ」的であっても、まずは人並みであれば、とにかく人並みでさえ あればという考えかたは脱しておいたほうが、これからの時代、よいのでは ないかなと思ったりしていたのだけれど、
かく言う私の学生時代には、女子が4年制大学を志望することすら、わりと珍しくて、私なんかも、「四大」進学を希望しており、それを言うと、こともあろうに、クラスメートたちが口を揃えて、
「えーっ?4年制?そんなとこ行ったら、卒業するとき、トシいくつになってるんや!嫁に行き遅れるで!やめとき!!」
と、いっせいに大合唱されたことが あるw
これに限らず、
なんか知らんが、私は、憧れのロック スターとか好みのタイプの俳優さんの話を しても、友人や同僚に、
「ええっ?そんなトシ離れたオッサン、やめときぃ」
とか、
「あんな地味なオッサンの俳優、どこがエエの??違うタイプにしときぃ」
などと、
干渉がましい口出しをされることが何度も あって、ひょっとすると、うちの母親が、ああいう異常なくらいの過干渉だったから、それが、どこか影響しているのだろうか、どういうことなのかと、われながら、怪訝に思ったりしたことが ある。
だって、ヘンでしょう?
現実に、近くにいる人とかだったら、
「あれは、品行や性格に問題ありやから、つき合うのは やめときぃよ」
とか、コソッと忠告してくるのは、まあ、わかるよ。
でも、たかが、憧れてるロック スターや、好みのタイプの俳優の話ですがな。
やめときぃ、やめときぃ、と、大真面目に心配して止めるべきことか??
なので、
大きな お世話やろ!
と、内心、いささかの不興を もよおしたりした。
大学進学の話に戻すと、
なんのこっちゃない、みごとに、受験に失敗してしまったが、親からは、「現役合格」以外は断じて認めない、(やっぱり、女の子だし?)浪人までして進学する必要は ない!と、つよく申し渡されていた。
実を言うと、この頃の私は、自分自身の障碍についても無知かつ無自覚で、周囲の環境や状況によっては、そこからの影響を受けた場合、聴力が予想外に激しく左右され、極度に不安定化する恐れが あることについても甘く考えており、試験官からのルール説明や試験本番の英語のヒアリングも、開始してみたら、全く聞き取れないことにショックを受け、血の気が引いていく思いを した。
そこへ さして、タイミングが悪いというのか、ほかにも、たまたま、隣席の受験生から、思いがけない妨害(と言っても、わざとでは なく、その子自身も、焦って必死だったことから起きたことなんだけれど)とか、
こんなはずでは、、、
なアクシデントが想定外に重なり、不本意きわまる結果を知った母校の恩師たちは、だったら、うちで進学すれば いいよと、鷹揚に誘ってくださったのに、当時の母校には、まだ、4年制大学が併設されておらず、もし、併設されていたなら、素直に、そちらへ進学したかもしれないけど、あの頃の私は、「短大には行かないよ!」と、ヘンな意地を張りとおして、結局、まったく外部の専門学校へ進学した。
ところが、
この専門学校についても、母親の意向どおりに唯々諾々と従って、いざ、入学してみたら、またぞろ血の気が引くほど、えらいことになってしまったのである。
詳しいことは、またの機会に しておくけれど、これも要するに、私の障碍を、母親が頑として認めなかったことが根本原因だったのだが、
加えて、
あわよくば、私の障碍などは、ほんとうに、私自身の思い込みでしかないのだということを「既成事実化」できうるのでは ないかと、母親の心底で計算していたものらしい。これも また、母親が亡くなってから、そうとうの年月を経たあとで、やっとかめ思い当たったことだ。
亡母は、鈍すぎ、疑わなさすぎな娘の私を、腹の底から軽侮し、ほんとにオメデタイ、バカなやつだが、おかげで、コントロールしやすいわい、と、せせら嗤っていたのだろうと思う。
実際、私さえ、ガマンづよく耐え、いちおう卒業でき、なんとか就職の運びになれば、母親の願望は、首尾よく かなったのだろうが、私にだって限界は ある。
さすがに、辛かったわ。。。
ただ、担任の先生や校長先生は、私の事情を知って、気にかけてくださり、可能なかぎりの便宜を図ってくださったのは、ありがたいことだったと思っている。
それにしても、つくづく、自覚に乏しく、ボンヤリしていたのだなと、われながら忸怩たる思いも、いまだに残る。
母親とは、このときこそ、徹底的に闘っておくべきだったのだろうが、あまりにも、私の立場が不利すぎた。
あかんぼうの頃の経緯など、当の本人こそは知りや しないのだし、障碍を負うことになった事情は、いっさい、私自身に知らされることなく、隠蔽されたままだったのだから。
近所の幼馴染みのとこの おばさんは、とても優しくて、責任感が強い人だったので、専門学校時代の私の困惑と苦悩を、たまたま、ふとした会話のなかで知った あと、
「奥さん、○▽ちゃん(←私のこと)かわいそうよ」
と、
うちの母親に向かって、わざわざ、忠告しに来てくれていたということを、
あとから、私に告げた母親は、内心では、非常に不快だったのだろう、
怒りを抑えつつ、底意地の悪い表情を浮かべて、私を横目に見つつ冷笑していた。
あの顔、いまでも、まざまざと眼前に浮かぶよ。
まだ元気だった頃の母親と、ボランティアのイベントなどで交流が あった人から、これも母親の死後に聞かされた話なのだが、
その人は、大学卒業後の若い頃から一貫して、障碍者の施設を運営するなどの福祉活動を通じ、いろいろなケースの障碍者を知り尽くしているので、私の障碍についても、いまからでも「障害手帳」を取得しておかないと、今後の私の生活は、非常に困難なものになるだろうから、早急に、と、真剣に忠告してみても、うちの母親が、みるみるうちに、不快そうな、険しい表情を隠そうともしないので、それ以上は、何も言えなかったのだと言っていた。
子の将来よりも、自分のミエやエゴを守るほうが大事だったんだろうな。
【続く】
2025.08.08 (Fri)
『カン違いばかりのチミたちにw』の続き。
さて、
私の実家の、むかしの隣家の御主人は、いわゆる「『シベリア』抑留帰り」の人だった。
この話も、旧ブログか、どこかの過去エントリーで述べておいたはずなのだけど、
そこの おばさんの述懐では、『シベリア』から帰ってきて、まだ若い頃の おじさんは、ふだんは温厚で、とても穏やかなのに変わりは ないのだが、ひとたび、お酒が入ると、途端に、人が入れ替わったかのように暴れだし、もともと、力が強い人だったので、出刃包丁ひとつを握って、足もとの畳に突き刺し、それを そのまま、畳ごと頭上に持ち上げて、片手でブンブン振り回し、手が付けられない暴れ様だったとか、
そんな話を聞いても、当時の私にとっては、絵に描いたような、気は優しくて力持ち、いつも にこやかな働き者、しかも器用で、いざとなったら、頼りがいのある おじさん、というイメージしか なかったので、いまだに、想像できないくらいに意外で、たいへん驚いたものだった。
私の知るかぎり、中高年期以降の おじさんは、先述したイメージどおりの姿から、いささかも逸脱することは なかったのだが、
うちの親父の場合も、ふだんは、特に切っ掛けもないかぎりに おいては、まあ、おとなしいほうだったのだが、これが、ひとたび、何かしらの逆鱗に触れる切っ掛けが あったり、特に、お酒が入ると、ほぼ必ず、最後には大変な暴力沙汰に なるので、娘として、最後まで、この癖に つき合わされた私は、こういう面でも、とても苦労してきた。
父親で苦労せずに済んだ女性には、私の男性観を理解することは難しいだろうなと思う。
一見は、まったく対照的だった二人とも、戦時の世のなかを、それぞれに体験しているという共通点が あるからなのかな?とも思ったが、
もちろん、シベリア帰りの おじさんと、戦線に出ることなく、エリートとして過ごした うちの親父とでは、体験の重みは、比べようもない。
次は、そんな親父の親戚筋の女性の話。
こちらも、旧ブログか、過去エントリーの どこかで、思い出して取り上げたことが あったと思うのだけれど、
親父の養家の、たしか、母方の従弟に当たる人の奥さんだったと憶えているのだが、
私が中学か高校生のとき、その奥さんと、もう一人、同じく親戚筋の女性が、はるばる、千葉県から来阪、うちに一晩か二晩ほど、泊まっていったことが あった。
親父の案内で、大阪観光するとのことで、私とは初対面だったが、母親のほうは、すでに、千葉での法事の おりなどに交流していたことも あり、明るく、にぎやかに話が弾み、一同、笑いさざめいていた。
その おばさんには、片腕が なかった。
ご本人に直に聞くのは、さすがに、気が引けるし、たぶん、翌日、親父に連れられて、おばさんたちが、観光に出かけるため、うちを出発した あとに、母親から聞かされたのだと憶えているが、
くだんの おばさんは、若い頃の戦時中、親父の従弟である夫とともに、『中国』の『満州』かな?そこは記憶が曖昧になってるけど、あちらで生活していて、ある日、ご亭主に召集令状が来た。
やがて、この おばさんと共通した苦難の体験を持つ人たちと同様、敗戦国民まっしぐらの身となってからは、広い異国を逃げ惑う事態と なった。
その逃避行の さなかに、何らかの危難に遭遇し、そのときに、おばさんは、片腕を失ったのだということだった。
私も完全には憶えていないので、断言は できないが、「切り落とされた」のだと聞いたような気もする。。。
そんな地獄図絵のなかで、ある中国人の男性が、偶然に出会った、この おばさんを、自宅に かくまい、世話を してくれ、そうしているうちに、おばさんは、その男性の子を身ごもった。
けれど、おそらく、男性のほうにも、妻子は いたのだろう、いつまでも置いてもらえる情況では なく、おばさんは、やがて、産み落とした赤子を連れて、日本へ戻ることを諦めず、そうして、ついに、千葉の、もとの婚家先に辿り着いた。
当時は、自分の子どもを、泣く泣く、中国人に託したり、あるいは、やむを得ず、置き去りにして、そのまま帰国してきた人々も少なくなかったであろうに、この おばさんは、残った片腕で、異国の男性との あいだに儲けた あかんぼうを抱き、海の向こうの故国へ帰ってきたのだから、称える言葉も見つからない。
けれど、おばさんの苦難の月日は、まだまだ続いた。
中国で召集されたまま、消息が分からなかった夫のほうは、おばさんよりも先だったか後だったか、とにかく、こちらのほうも、命からがらで あったろう帰国の後、恐らく生きては おるまいことと思っていたのでは ないだろうか、異国で生き別れになっていたままの奥さんの、想像だに しておらなかった姿は、片っぽだけになっていた その腕に、自分の子でない乳飲み子が抱き抱えられているでは ないか。
夫は、たちまち、激昂した。そして、荒れた。
やっと再会した夫に、出ていけと怒鳴られ、家の外へ叩き出されたものの、だからといって、実家に戻ることも できなかったのだろう、それから、どれくらいの あいだか、室内には入れてもらえず、おばさんは、乳飲み子とともに、縁側で寝起きしたそうな。
残った片腕で、かつてのように、家事を こなしつつ、それ以外の時間は、あかちゃんと、縁側で耐えているうちに、夫の怒りも徐々に静まっていったのか、もとの主婦としての生活に少しずつ戻っていけたのだろうか、いまは遠い中国で、現地の男性との あいだに生まれた女児は、学校の勉強が好きな、優等生だったらしい。すくすく成長して、快活な女性になった。この人には、私も、亡母の法事で、一度だけ、会ったことが ある。
おばさんに似たのか、にぎやかに おしゃべりしながら、綿入れ袢纏の袂を合わせつつ、明るい笑い声を あげていたのを思い出す。
やがて、辛く当たられた夫も亡くなり、初めて、観光と名の付く旅行に繰り出したのだろうか、
あれから長い年月を経ても、いまでも鮮やかに私の脳裏に浮かぶのは、
「やっと、こんな日が来たのね、楽しくて たまらないわ」
というふうな陽気さに満ち溢れ、失った片方の腕の袖を揺らしつつ笑っていた おばさんの姿。
ちなみに。
橋下さんが、大阪市長やってた頃だっけ?沖縄で相次ぐ米兵の性犯罪を防ぐために、当地の風俗業を活用してほしい、みたいな提言(?w)をブチあげ、どえらい顰蹙を買ったことが あったのは。
かれこれ10年以上前になるのかな、ほとんどの皆さんは、すっかり忘れてしまってるよね?(嗤)
もともとは、一対一の夫婦関係を重視し、快楽のみを目的とした性行為は忌むべきとする『キリスト教徒』であるからなのだろうか?家族を伴い来日していることも多い米軍内部の人には、いちおうにも せよ、アメリカ人なりの倫理規範というものが基本には あるようで、そこに照らせば、米兵の性犯罪を防ぐためとは言えど、「風俗」のススメとは、そうとうの屈辱感や抵抗感を もよおさせる発言であり、日本人みたいに、軽い気持ちで性欲はヒョイと処理♪ヒョイと処理♪とばかり風俗へゴー!(^^♪という感覚とは根本的に異なるのだという指摘が、あの当時、日・米双方の事情通や識者たちから指摘されていた。
まあ、時代を、もっと もっと遡れば、かのペリー提督に対しても、日本側は、同様なことをソソクサと やっていたというし。
国際的にも知られていた日本男性の「買春ツアー」を、『昭和』のオッサンたちと同様に、現代の、若い男たちも楽しんでいるそうだし、
いまどきは、なんと!昔なつかしの(?)「立ちんぼ」を、みずから やってる女の子たちの出現が相次いでいる。
基本的には、女性側の味方を したい私も、昔からの定番だった、家計を背負ってという痛ましい事情でもなく、聞けば、しょーもないこと この下も なかろう理由で、ホイホイ立ちんぼ やってるような、そんな女性の味方を しようとまでは、さすがに、思いまへんわ。。。
ほんで、あかんぼ産み捨てに至る、このパターンだもん。
しかも、ゴミ箱とか便器のなかとか。。。
やはり、日本の伝統なのでしょうか?民族性なのでしょうか?w
戦後一貫して、この国を操ってきた親分アメリカの「拝金」の教えに忠実な『自民党』が、こんにち、こうなるように、呼び覚ましたのでしょうかww
もっとも、私個人は、「元祖:人種の坩堝」に近い成り立ちを経てきた日本人に、「民族」などと呼び得べきほどのものは ない、という考えですけどね。
ましてや、
「単一民族」などと のたまった、知性もなければ教養もなく、配慮なんて高尚なコトバは、死ぬまで覚えることも ないであろう、これでも「与党」の重鎮と呼んでもらってるオジイサンには、開いた口が ふさがらん(嗤)
似合わんボルサリーノ、単なる伊逹(=ミエミエ)のクロス ペンダント(嗤)
トランプとの共通性が窺えるわよね。
年甲斐もなく「ワル」に憧れてる俗物だ。
市長を やってた橋下さんの「提案」が顰蹙を買い、女性に対する、沖縄の女性に対する「道具」扱いだ、とんでもない侮辱である、ということの自覚すらないという批判が巻き起こっていた、その出来事は さて置くとして、
特に、かの『南京事件』において凄まじい事態を齎した、『皇軍』日本軍の あらゆる暴虐のなかでも激しく目立った、女性への性暴力、レイプ。
これは、それこそ、日本の公が設けた『慰安所』であり、そこで発散させるべく仕向けることで、戦地に おいても、一般の婦女を襲うことを防ぐことが可能になりえようと目論んだのであるか、これも、とうてい、甘い、甘すぎる見通しであった。
なぜなのか、女性では なく、男性だからこそ、理解できるのじゃないですか?
「男は皆ケダモノよ」
と、
みずからを称してきた男性なればこそ。
要するに、
おカネのための商売であると わかってやっている「割り切った」相手とでは、ツマランのでしょ(嗤)
一般家庭の、ふつうにシロウトの女性を怯えさせて、さんざんに逃げ惑わせてから、ゲヘヘ、、、( ´;゚;ё;゚;)と襲いかかるほうが、だんぜん、楽しい(嗤)そうでしょ?(嗤(嗤)
ましてや、戦地に おける食料は自力で、現地にて調達せよというトンデモ指令のもとでは、一般の民家に押し入り、そこの娘たちを襲うことはセットになるのが必定。
【続く】
2025.08.08 (Fri)
近年は、
「バブル世代がぁ~」とか、
「『日教組』に支配された左翼の教育でぇ~」とか、
ちょっと目を通したら、すぐに、
「あ、またコヤツら、世代が違うせいか、実際には、まったく知りもせずに、勝手な想像だけで決めつけてるな」
と思わせられるような無知蒙昧を喚くバカ造が著しく増えていると窺えるので、
「いったい、どこの誰から吹き込まれて、実態とは乖離した思い込みを、おのが脳みそに棲みつかせているのやら」
と、あらためて呆れてしまうことも多い。
なので、これで何度目になるのか、また言っておく。
まず、『日教組』と言えば、故アベシの、国会内での下品なヤジで、首相のヤジなど前代未聞だというので、時の議長だったかが慌てて制止していたことを思い出してしまうのだけど、
私が義務教育を施されていた時代は、まさに、「ヤフゴミん」あたりが常に罵倒しているような、「左の教育」花盛り!だったはずなんだわね。
ところがサ、
実態は、先日のエントリーでも指摘したように、中国など、アジアの各国へガンガン侵略していったことを、なぜか、ことごとく「進出」などという、さも人畜無害っぽいコトバに替えており、いかにもアッサリさらりと説明していたので、何の思想にカブレても いないし、批判精神など知りも しないし、勿論、戦争から遠く隔たった時代に生育した子どもの私でも、
「ヘンなの。。。
」
と思わせられたということを回想して述べておいた。
教科書のことだけでは なかった。
当時でも、何かしらの校内行事が あれば、まずは、国旗掲揚、するすると揚がっていく『日の丸』を、じっと見上げていなくては ならなかった。いまでも同じように やってるのか どうか、子どもを通して知る機会が なかった私個人は、実際のところを知らないが。
そして、あの頃、「国歌」の位置付けには まだ、なっていなかったはずの『君が代』を歌わせられる場合も少なくなかった。
ちなみに、
小学校の低学年時分、『君が代』を初めて習ったとき、歌詞は意味不明だし、間延びしたような曲調で、なんとも陰気くさい感じが して、子どもには歌いにくいしで、
「ヘンな歌、、、
」
と、困惑しながら思ったことを憶えているw
もっとも、おとなになってからは、オーケストラで交響曲の形式にして聴くぶんには、間延び感もカバーでき、うまいこと荘重さが醸し出されてきて、なかなか、悪くないと思うようになったけど。
でも、やっぱり、歌として歌いやすいものでは ないなと、いまでも思う。
単純に、自分では歌いたくないし、プロの歌い手によるものでさえ、あまり聴きたくは ないなあ、辛気くさいし、という感じだ。
で、
修学旅行もね、小学校では『伊勢神宮』へ、中学校では『皇居前広場』にも行きましたわよ。
いったい、これの どこが「左翼教育」やねん?ww
ただ、最後の「団塊の世代」に当たる兄なんかは、大学生時代、当時の『社会党』支持を明言していたり、『皇族』についても大いに批判的で、
「税金で良いもん食って贅沢しとる連中!」
などと罵倒していたものだったが、
まあ、たしかに、兄が教師になった あかつきには、思うさま、「左派」的な教育をば、おのれの生徒たちに施していたのかもしれないけど(苦笑)
少なくとも、兄たちの世代よりも もっと あとの世代である私らが受けさせられた教育に、「左派」的なるものは全くと言って過言でないほど、見当たるところは なかったし、そんなものなのかと、べつだんの疑問も持たずにいた あの頃を振り返ってみれば、むしろ、バリバリ「右派」寄りの影響下に あったのだなと、今さらにして思う。各市町村自治体にも よるのかも しれないが、私の学校時分から成人に至るまで、どちらかと言えば「左派」寄りの市長だったらしいし、それでも、これが実態だったのですよ。
また、いわゆる「バブル」時代についても、私自身、リアルタイムで経験した世代だけれども、あの時代ですら、ウハウハ笑いたくなるような気分の良い思いを味わえたのは、皆が皆では ないよ!っての。何度も言ってるけど。
ところで、
いつぞやにも述べたように、
もとは、非常に富裕な実親の屋敷を生家として出生しておりながら、何の因果なのか、親父一人だけ、母方の実家筋へ、乳飲み子の年齢で養子に出されており、やがて勃発した開戦後、親父の生家の実兄たちは、若くして戦死。
本来なら、三男坊の親父に、実家の跡取りとして順番が回ってきても当然だったはずが、貧乏な養家では、たった一人の跡取り息子として育てられていたので、大阪市内の実家は、親父の弟が継いだ。
戦時中こそ、若くしてエリートの身分を誇っていたとは言え、戦後の親父は、だいぶ以前の過去エントリーでも述べたように、敗戦処理に携わっている最中、例の「掛け算」事件でw進駐軍の米兵と大喧嘩したりで、そこには いられなくなったという大番狂わせ。
一時は、地元の議員に選出されたことも あったらしいのだが、その後は結局、本来の実家が ある出生地で新規まき直しをと、千葉の片田舎の養家のものは、墓以外は全て、かなぐり捨てるようにして、大阪へ出た。
そして、姉の夫が経営していた会計事務所に入れてもらい、それまでは縁のなかったソロバンの扱いを覚えることから始まり、30歳にもなろうかという男が、小学生に混じって、そろばん塾に通ったそうな。
まあ、ある意味、もとの生家を思えば、とんだ貧乏くじを引かされたような立場だったとも言えるわけだが、
親父の実父(私から見て実祖父)という人は、技術官僚時代を経たのち、若くして海運会社を興していたものの、すでに病没しており、かつては、「御殿」と囃された屋敷も傾いていた。
そんな事情だったから、資産や財産などというものは、たった一坪の土地の そのまた部分すら所有しておらない。
なので、
このことも、いつぞやの過去エントリーで回想したように、
『大阪』の内とは言えど、片隅も片隅、言ってしまえば、「しがない」、ごく平凡な小規模農家でしかなかったものが、たまたま、先祖から受け継いで、ほそぼそと耕してきた田地田畑が、降って湧いたような土地・不動産ブームによって、まさに「成り金」農家が続出、それまでは、泥土に まみれていた農婦も、金ぴかアクセサリーを、じゃらじゃら纏い、鼻高々で歩いているようすを見かけた母が、「ダサい成金趣味まる出しで」と嘲笑していたという現象は、私の周囲でも実際に起きていたわけだ。
あとは、
たとえば、株式投資が、一般の人々の あいだでも、ブームになり始めていたのか、『NTT』株を買えたの買えなかったのと、職場の人の話題を、耳にしたことも憶えている。これも回想して述べたように、うちの親父なんかは、自分自身が、人さまの会社の経営を指導する職業でありながら、とある新興企業の株にチョイと手を出して、サッと引っ込めたという体たらくだったし、儲けどころか、少額で済んだものの、失敗したと言って、しょげていたものだ。
ところで、こういう記事が あった。
私は、すでに知っていた話なので、本文までジックリ読むのは、気が進まなかったのだが、
『戦後3日で、占領軍向けに設置された慰安所』
という『ヤフーニュース』の記事。これに対して、例によって「ヤフゴミ捨て場」では、
「自虐史観だー!」だの「当時は合法!」だの「日本だけじゃない!」などと、ヘリクツや知ったかの類、意味不明な言い訳めいた見苦しいコメントがワンサカあふれとるだろうなあと、それがウンザリゆえ、ふつうに読むのも、気が重くなってしまいがちなんだけれど、一つだけ、指摘しておく。
当時は合法だったという、ほぼ定番の言い訳についてだ。
「慰安婦」の人たちの事情も、いろいろだったわけで、初期のうちは、公的に募集を かけたりも して、主には、いわゆる「風俗」業界の、あるいは、家計の事情を背負った成人女性が構成していたにしても、あれよあれよと言う間に、もっともっと大ぜい必要だということになっていって、仕事の内容を騙されて、という人たちだけでなく、まだ子どもの年齢の少女たちも、無理やり連れ去られていったのね。
少なくとも、未成年の少女をば、「慰安婦」にすることが、『国際法』に違反してなかったか?と問わば、そりゃ、、、
もろに違反しとるに決まっとるわ!ばかたれが!!
で、
当該の記事に対するコメントで、ある投稿者が、概ね、このように述べているのを見かけた。
「当時の日本政府が引き揚げ者を嫌がったのは事実。引き揚げてきた人たちに自治体も冷たかったのも事実。自ら望んで占領地へ出向いた人たちは除き、やむなく行った人、その地で産まれた人たちには過酷な仕打ち。帰ってきたら住む場所や仕事もなく、周囲からも冷たくされる。シベリア抑留されて命からがら帰国した人たちは共産主義のスパイ扱いを受けた人も多くいた。結局のところ人間は自分や自分の近親者さえ良ければ良く、同じ国の人間であってもいざとなったら何かしら理由をつけて突き放す」
…うん、
私もね、広島や長崎の被爆者たちが、当時、陰に陽に差別を受けたのだという話を聞くたびに、差別した側の人たちだって、そもそも近所のとか隣町のとか同郷人といった身近な存在だったのであれば、要するに、立場を同じくしていた人どうしであるはずなのに、なぜ、そこに差別したりされたりといった構造が出来あがるのだろうかと、はなはだ怪訝に思っていた。
まあ、たとえば、白人種が、黄色人種を侮蔑したり、差別するのは、しごく単純に、
「だって、自分たちは、なんてったって白人だけど、アンタらは黄色なんだから!!」
っていう、ただ それだけ、みたいだけどさ(嗤)
ところが、
少なからぬ日本人ってのは、立場が弱い人、いわゆるマイノリティとか、社会的弱者とか障碍者などに対して、堂々と虐めるにせよ、あくまで口先では、もっともらしい理由を述べたてて、だから、いじめられても当然なのだ、いじめられるほうが悪いのだ、という、まずは、前以っての体裁らしきものをば つくっておこうとする姑息かつ小狡い傾向が ある(嗤(嗤)
こういうことを、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』と、このなかの「右」系が、特に熱心に、やってきてるわな。とりわけ、安倍政権時代は、トドメを刺すかの如き仕上げぶりだった。
よりによって為政者が、よりによって自国民に対して やっちゃうって、言語道断の所業だよ。
だから、私は、『自民党』歴代政権のなかでも、安倍政権の罪深さ、断じて許すまじと思っているのである。
この怒りは、石破政権に対しても続いている。
しょせん、『自民党』は、弱い者いじめが大好きだ。
だが、
ま、そもそも、おおかたの日本人ってものが、本音では、しょせん、弱い者いじめが、単純に大好きなだけなんだろうと思ってるけどね、障碍を抱えて生きてきた私の見るところではw
【続く】