2025.05.18 (Sun)
『「賢い」とは?――春の夜の夢――』の続き。
トランプ政権が、あるいは、その踏襲的政権が、どこまで続くものか分からないし、この後の政権党が変わったとしても、どこまで軌道修正するのか否かも分からないけど、
相手が『共和』だろうが『民主』だろうが、日本側としては、もちろん、譲歩や取引材料にし得る点を、本来なら当然のこと、相応の時間を かけて、可能なかぎりで緻密に検討していくにせよ、辛うじてアメリカに譲歩可能な分は、今後は、言い方やんわりでも、しかし、精いっぱい、恩に着せてやれば よろしいw
かつて侵略した国々には、いつまで謝罪すればイイんだよ!?とか言いながら、アメリカに対しては「でごんしょう、でごんしょう」とて、いつまでもヘコヘコし続けるのもダメでしょ。
『プラザ合意』の屈辱を忘れるな。
「属国」視してきた日本に対しては特に そうだが、だいたい、アメリカが、純粋な善意やボランティア精神だけで何を やるはずもないわな(嗤)
必ず、自分とこのメリットを大いに計算したうえでのことだもの。
まあ、それは、日本も含めて、どこの国も多かれ少なかれの計算が あるわけだけどもさ。
だいたいね、
自国の経済を立て直したいからって、他国しかも同盟国を脅しまくって、自国を有利にするアイデアを出せ!の、自分とこに席を譲れ!のと、恫喝するとは何ですか?どあつかましい。甘ったれるな!っての。
こないだ、コンビニに立ち寄ると、たいがい、そうするのだが、いちおうは覗いてみる新聞販売コーナーにて、各紙の一面の見出しをサッと一通り流し見たところ、昨今の世界情勢と、それを、目下、牽引している各国の指導者に絡めて、『イエス・キリスト』のコトバを引き合いに出しつつ、批判を述べているコラムが、たしか『毎日新聞』だったかな、そういう、「社説」的コラムを、わざわざ1面に掲載しているのが、たまたま、目に留まった。
それで、立ち読みも いけないから、視野に入った部分しか読んでないのだけれども、どうやら、つい先日のエントリーにて、私が述べておいたこととも ちょっと重なるところが あるようだったので、もう少し加えておこうかと思う。
すなわち、イエス・キリストは、このように言い遺されているのだそうな。
要するに、単純ノホホンな「善人」よりも、人間のなかの醜さといったものを知っている「悪人」のほうが、ずっと賢い、と。
往々にして、理想論の類を唱える者は、自身の内の利己心を自覚しない、直視していない愚か者である、と。
…
それはね、
同じく『キリスト教』の お坊さんだったのかなあ、あの『ナチス』時代を振り返って、このように警告されているという話が ある。
最初は、自分自身や自分の周囲にまでは、『ナチ』の迫害が及ぶことは ないだろうと踏んでいたから、迫害が開始され、それが深刻の度合いを増していっても、まだまだ「他人事」に感じていたと。
ところが、いよいよとなって、ハッと気づいたときには、すでに、自分たちの足もとにも近づいてきており、まさに「あすは我が身」の とおりになってしまったと。
無関心の罪、つまりは、無関心だから、きちんと見てない、直視していないということなんです。
だいたいは、自分以外の者のことについては、自分を棚上げして、かつ、批判や罵倒を激越に繰り出しているパターンが多く見受けられるものだが、もちろん、自分棚上げ方式の手合いなんぞが、「内省」だとか「反省」だとか、自己を顧みて、なーんて、殊勝なことを やるはずもない。
そんなことを しようもんなら、謝らなきゃならなくなる、
謝ったら死ぬんだからw命が幾つ あっても、足りやしないww
ましてや、責任を問われる立場、重責に就いている者ともなれば、間違いの取り返しの つかなさも甚大になるわけだから。
ところが、
数年前の、どこかの新聞記事で、若い頃の戦時中、前線に駆り出されていたという、とある男性が、端的に、こう おっしゃったという。
「えらい人は、責任とりません!!」
と。
言われてみれば、大概の場合、そうだわな。
えらい人ほど、ウヤムヤだ。
そこで、先述の、『イエス・キリスト』のコトバ。
「賢い」とは、何を以て、どこに価値を置いて、賢いとするのか。
文字どおり「悪人」であるなら、それは、最も愚かな者だ。
自分さえ良ければ、自分だけ助かれば、それは、摂理として、あり得ないことだからです。
いわゆる「ウヨ」や「ネトウヨ」が、しょっちゅう罵っている「グローバリズム」だって、避けられない必然とも言えよう。
それと、『資本主義』ってのも、だいたいは、もとがキリスト教から発展していることが多い西洋哲学、何でもかんでも儲けが第一の全てという、典型的「悪徳」「あこぎ」な商人視点で止まっているはずが ない。だって、それで最終地点まで押し進めたら、「ぺんぺん草すらも生えない」不毛の荒野じゃん。
日本にも、『中之島公会堂(大阪市中央公会堂)』という大きな見本が存在するように、昔は、「大阪商人の哲学」というものが あって、それは、『プロテスタンティズム』の哲学や倫理と重なっているだろうと思います。
ほんとうに賢明な者は、まさに「滅び」を齎す、それを早める者でしかない「悪人」であるはずが ないのだ。
まあ、もちろん、「力なき正義」ってやつにも、私だってイライラするんだけどね(苦笑)
ものわかりが悪い有権者のせいでもあるわな。
人間が主張しているところの「悪」だろうが「善」だろうが、
最終的には、等しく潰れるのだ。
「驕れる者も久しからず」「猛き者も、ついには滅びぬ」
「ただ、春の夜の夢のごとし」「ひとえに、風の前の塵に同じ」
ってことだ。
で?ってゆう~、、、
だったら、トコトンひらきなおって、自分だけがオイシイ世界を目指し、阿鼻叫喚の地獄図絵のなかで死んでいきたいですか?ってことよ。
近頃、ニュース記事を読むのにもウンザリしてきてさ、ついつい、梅だ桜だツツジだバラだといった、お花の話題に目が行ってしまうんだけど、それは それで、つくづくと思うの。
これらの花びらの一片ほどの価値もない、それどころか、人の心身に、毒を振りかけることしか やらないような連中が、よりによって、国家の権力を手中にし続け、世界じゅうを牛耳っているんだからなあ、、、と。
私もね、あと何年、選挙投票に行くことが できるやらだけど、
さすがに、最近は、与党だけで なく、野党各党にも、げんなり気分が増加してきてます。
今夏は、またぞろクソ暑いなかの、『参院選』なんでしょ。
はあ~あ。。。
『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』は言語道断の悪党だと、むかしから思ってるけど、
最近は、『立憲民主党』を見ていても、やっぱり、本当は『自民党』に入党したかったらしい、それだけに、自党の政権を終わらせ、以降、安倍政権の「草払い露払い」を粛々と務めた野田さんを党首にしてしまった『立民』にもゲンナリしてきたし、
かと言って、これも また、言うことと やってることがチグハグ、ダブスタを恥じもしない『国民民主党』も厭だし、
『日本共産党』は、相変わらずの青臭い理屈と「力なき正義」を体現しとるみたいな姿だし、
その他は、とにかく、話にならないほどの頼りなさ、
そうでなければ、とにかく狡猾だけをウリにするしかないのか、すり寄りの対象である『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』の亜流まる出しに、いまだ故アベシやトランプの真似かいと せせら嗤いたくなるほどの悪質さとデタラメだらけ。
以前にも指摘したことの一つだけど、
「民主主義」とか「国民主権」、つまり、誰が「主権者」であるか、ということには、特に、国家レベルの権力者や為政者を守るためという目的を本質に含んでも いるんです。これは、「えせ民主主義」国家に顕著なこと。
そこを考えたら、日本でも、『天皇』という存在こそが「主権者」とする考えを、スンナリとは認めていなかったり、現代でも、いまだに「『天皇』を元首に」戻せとか主張している『天皇・皇室』崇拝者だか何なのだか知らんが、その連中は、ほんとうの意味で、『天皇』や『皇室』というものを守ろうとしているのか、はなはだ怪しいわけよ(嗤)
まあ、誰を元首や統治者ということにしようとも、「主権」を、国民に持たせようが持たせまいが、
最終的に、泣いて責任を取らされるのは、常に、一般の国民であり、民衆です。
泣かずに済む、泣かせなくて済むようにしていかなければ ならないのだけれど、
しかしながら、民衆とは、常に、アホで愚かなものですからね。
何様のつもりだったのやら、「森羅万象を」などと言い放った勘違い首相も いたけれど、
かの お釈迦さまは、「縁なき衆生は度し難し」と、ご尤もなことを言い遺されたという。
まっ、「第四の権力」者たる新聞社の記者さんたちを筆頭に、「自己の内の醜さ」にシッカリと向き合い、直視してくださいな。
けっこう、扇動の類や弱い者いじめに加担してきたでしょう、あなたがたはw