2014.09.02 (Tue)
『「悪意」を見た』
さて、先述したコメント投稿者だが、
「私は視覚障害の方ではないのですが、以前、聴覚障害者の方と接する生活、仕事をしていたことがあります。大半の方は、」云々とある。
まず、
「聴覚障害者の方と接する生活、仕事」とは、
いったい、どういう生活であり、仕事なのだろうか?
しかも、「大半の」という断定的文言ときた。
もしも、専門的な立場とか、あるいは、何らかの施設職員といった立場に就いていた経験からとして、そういうことを言うのであれば、
マッタク、そんなことだから、
「思いが伝わりにくくて短気を起こし、暴力的になる人とかも…」
出てきてしまうのは、ある意味、当然かと思ってしまった。
くだんのコメント者の投稿内容、これも また、冷静に、少しばかり緻密に検証さえすれば、如何にも奇みょうなことを述べていることが すぐ分かるていのものだ。
分からず、そのまま鵜呑みできる者は、世のなかに疎い子どもか年寄りか、よほどの迂闊者だろう。
このコメントが言うところの、「存在が近ければ近くなるほど」とは、まったく限ったことでなく、
手当たりしだい、
(まさに、今回、被害を受けた盲導犬のように)
見知らぬ他者であれ、あかの他人であれ、
自分と比べて、状況的に、絶対的に負ける恐れはないものと直感的に踏んだら、ひとたび目についた対象相手に向かって早速実行、身勝手な欲求を押し通すことはある、脳や精神面に異常なところがあっても、こういうときの判断だけは、なぜか、じつに素早いものがあるのでは ないか。
「自己保身」のための他者犠牲といった、ほぼ特徴的、類型的な迷惑行為を及ぼして恥じないという共通した性質は、私の経験では、家族内に、身内に、職場内の同僚にも、ことごとく見受けたけれど、
これは、たとえ、どんな「身体的障碍」を持っていたとしても、あくまで、
その個人個人の内面的資質、精神のほうの問題ゆえの発露
なのだ。
そういえば、
うちの母親も、むかし、本人が、まだ若かった頃、友人の家族である視覚障碍の人から、ひょんなことで誤解を受け、全く不当な、いわれなき疑いを向けられた不愉快な経験を したというので、ずいぶんと、視覚障碍者全体を指して、あれこれ批判めいたことを聞かされたことがあった。
そういう当の母はというと、
すでに述べてきたとおり、脳に一部異常を抱えていた、しかも、要領の良いこと人後に落ちない優等生だったのだから、
わが母親とは言え、聞かされた こちらも、なんとも返事に窮したことを憶えている。
で、彼女の娘である私自身は、聴覚障碍者の端くれだw
当事者の端くれである私自身も言っておきたいのだが、
聴覚障碍者は、必要な音声を拾うことが できないと同時に、ほとんどの雑音や不快な騒音の類からは必然的に免れているという現象でもあるので、そのせいか、
それこそ、「大半の」人は、
どちらかと言えば、もの静かで、のんびり・おっとりタイプな性格の人が多いのが特徴と言われている。これは、私自身も少なからず思い当たることで、
つまりは、
「障碍も個性となっていく」
という一つの喝破に繋がっているのだなと実感する。
ただ、中途で聴覚障碍を負うことは、高齢になると誰しも珍しくない。なので、ただでさえ気が短くなる人が多いという高齢者で、家族のなかにいても孤立した感じに苛まれてしまう場合、イライラと、身近の家族に当たるということは、あるのかも しれない。
私なんかは、父が歳を取れば取るほどに、持病の影響でか、ますます、聞き取りにくい喋り方をするようになり、母は、とうに亡くなっていて、他の きょうだいたちも皆、他人事で、私だけが、めんどうを みている状態のなか、
もともと、暴力的で、きらいな親だったこともあり、
だんだん繰りごとのような話を聞き取るのに、難聴者の私は骨が折れ、ますます、疲れとストレスを溜め込んだ時期があった。
私の障碍についても、過去、親としての義務を果たさず、いっこう無関心であり続けたことも、私のやり切れなさに拍車を かけたと思う。
でも、イライラしていても、私は、暴力は振るわない。暴力を振るうのは、いつも、「健常者」たる父のほうw
私は、人生の殆どを、辛うじて「健常者」のフリを とおして生きてきたので、私以外の同分野の障碍者に接した経験は、いまだに、ごく ごく少ないままだ。
そっち方面の、数少ない知人のうちで、私よりも、もう少し重い等級ゆえ、子ども時分から発語訓練や補聴器を手離さずにやってきていた人は、長年の補聴器使用自体の苦痛からも、重いストレスを訴えていたことがある。そのために、仕事も辞めざるをえなかったそうだ。
まあ使ってみないと分からない鬱陶しさというのは、そうとうトシを喰ってしまってから、遅れて使用する機会が訪れた私も、早々に音をあげたくらいなので、少しは理解できている。
さて、
「そういうので八つ当たりとかをされるのは、自分の子供だったり近場のごく親しい人だったり。盲導犬も近い存在かつ、刃向わないなので、そういう風に扱われる事もあったりするのではと」いう、くだんのコメント投稿者。
だが、
私の知るかぎりで、聴覚障碍者というのも、一般的な業務に従事していれば、まず間違いなく必ず要請される的確なコミュニケーションと、日常生活上のあらゆる場面で多かれ少なかれ危険性が伴うため、周囲の人たちを巻き添えにしてしまうような迷惑を かけまいとするあまりに、がまんを重ね続けてきた結果、かなりのストレスを溜め込んできてしまっているのが大部分の現実だ。
はっきり言わせてもらおう。
私自身の場合は、一応「健常者」として、家庭においても職場でも「健常者」なみの仕事と、
どうかすると、それは、「弱みにつけこまれて」というべきだったのかもしれないのだが、
並居る「健常者」たち以上にも重い役割を果たさざるを得なかったことが一番大きい原因だろうが、
こういう立場にいる者の、知られざる苦労や困難の かずかず、
そのなかには、誰あろう「健常者」たち自身
(↑ことに、「隠れ」的と言うべき、要するに「共有」ということを できていなかった精神的問題のある者たち)からの悪意ある言動の端々から齎される苦痛や、それに対して堂々と抗議し、対等にモノ申すことすら、往々難しい立場であったことも、このブログでも幾度かは言及してきた。
私にストレスを齎してきた主な相手は常に、家庭内においては、私の親であり兄弟姉妹だったし、
一歩、外に出れば、職場の同僚なり上司であり、つまり、「健常者」たちだ。
その彼らも また、全員が、精神面あるいは脳における、何らかの異常や歪みを抱え持つ「隠れ」的障碍者だった。
このことは当然、あかの他人であれば勿論のこと、いちいち確証を得るわけにいかなかったものの、
のちに、いろいろと知識を得た私が、あらためて、当時を検証した結果、あきらかに思い当たることであり
(たとえば、1時間以内に提出しなければならないものを、上司が黙っているかぎりは、2時間でも3時間でも、ヘタすると一日じゅうでも!かかりっきりで同じことを繰り返し確認し続けている、要するに強迫的行為である それは、自分のミスが発覚して叱責されることを異様に恐れ過ぎるほどプライドが高いゆえだったかとも思われ、
そのくせ、シワ寄せを及ぼされても、責めることなく引き受け、その先輩社員が1時間かけるものを、30分、15分、10分とガンバって仕上げていく私に、口を極めて居丈高なセリフを吐いたとか、
くそ真面目以外にトリエがなく無能な部下を、どう教育することも できず、ただ、優秀な部下一人に、薄給ながら押し付けて犠牲にし、そうして誤魔化すというセオリーでやってきた、管理職である自分自身の業績を守ることしかアタマにない、個人としてはヤリ手、上司としては無能者は、私の場合にも、こちらの障碍を いいことに、捌ききれない分すべてを背負わせていた、とか。
どう見ても、思考回路や精神がマトモでは なかろうというものだ)、
うちの家族や身内の場合なら、もう、はっきりと、それぞれ何らかの精神異常だったり、脳の一部異常だったりしたことは判明している。
何らかの専門的立場にでも従事していたのか?と匂わせつつも、根拠と言える根拠なく、ただ、目的は、聴覚障碍者全体への誤解を招き、重ねさせようという悪意を感じるコメント。
ひいては、障碍者全体、特に身体障碍者全体への偏見に繋がっていきかねず、拡散的効果が高いと思われる「ヤフー」コメントで、こうした問題投稿。
これは もう、社会問題と捉えるべきであり、はなはだしい卑劣ぶりと言わざるをえない。
とにかく、今回の「アイ メイト(盲導犬)」事件の加害者は、必ず捕えてもらって、
捕えたら、その内面性、動機等を、よくよく調査してもらいたいものだ。
内面性の問題があることだけは明白。
2014.09.02 (Tue)
私も、「盲導犬」の存在については、そもそも動物としての、犬の本能的生理に、かなり無理を させている、つまり「虐待」スレスレと言われかねないのではあるまいかと心配するところがあったので、犬という動物が、ことのほか、人間からの情愛を得て、人間の役に立ち、褒められることに喜びを感じる傾向が高いらしいから、飼い主さんが精いっぱいに報いてあげられるのなら、それは それでと割り切りつつも、いささか複雑な思いはある。しかし、
なにも「盲導犬」でなく、そのへんの普通の犬でも、人間からの虐待は多い。
首輪を嵌められ、鎖に繋がれ、一日の殆どを、狭い場所から出て行けないことだけでも、本来、犬にとって大いに迷惑なことだろうし、極端な最後は、最悪、保健所送りで始末されることだ。
しょせん、動物の一種である人間、記憶力と知恵だけは突出して発達したので、ありとあらゆる生き物を上手く利用しながら、自身を延命させているわけで。
大昔から、使役する牛馬等家畜には、人間さまを差し置き、真っ先に、水を飲ませてやり、餌を食べさせ、丁寧に からだを洗ってやり、気候に合わせた寝床を拵えてやる。それも これも、結局は人間自身のためなのだから。
さて、↓この記事に付けたコメントのなかに、こういうことを投稿している者がいる。
『盲導犬の後つける若い男 沿線駅で目撃情報 オスカー事件との関連捜査』
産経新聞 9月2日(火)11時24分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140902-00000516-san-soci
あの「カルト連」のうちの誰それかと思い当たるような、まことに奇みょうな特徴ある言い分の投稿を見たとき、そのことを指して、当ブログで述べておいたことがあったと思うけど、
その時のハンドルと、今回の、この主コメ投稿者のハンドルというのが同じであっても、間違いなく同一人物の それだか どうかは、一般閲覧者には、もはや分からない。
一応、過去投稿の確認できるところを見てみたかぎり、やはり、そうとう殺伐とした趣きからして、あのときと同一人だろうかという印象は つよい。
ところで、なによりも、この「pom*****」という投稿者。
コメントが、これ一つっきりかwなるほどねww
さてさて、
とある「盲導犬」が、外部の不明なる通行人から悪意ある被害を蒙ったという、この話題のもとで、なぜに、聴覚障碍者の「わがまま」ということを挙げて指摘せねばならないのか、その必然性もサッパリ不明なのだが、
ことわっておくけれど、聴覚障碍者だから「わがまま」ということには全く ならない。
むしろ、私の知る限り、「わがまま」どころか、がまんにガマンを重ねつつ、世渡りしてきた人のほうが圧倒的に多いだろうことを指摘しておく。
ただ、
どのような障碍であっても、軽度・中度クラスの、ことに、内部障碍者の場合、それと分かりにくい状態で、「健常者」を主体として構築されている社会の ただなかに出て行き、働き、やがては高齢を迎えたからとて、障碍者としての特別な年金等を望めるわけでは ないので、周囲の理解が乏しい場所で、たとえ屈辱的なことがあっても、がまんして、身を置かざるを得ない苦労を強いられている人も少なくは ないことだろう。
こういう立場というものは、見て、すぐに察しが つくとか、
たいがい鈍くて、想像力に欠けるうえ、しまいには、あべこべに「障碍者に迷惑かけられる被害者」という偏見に満ち満ち、じつに無神経だったりする「健常者」にさえも、わりと追体験可能な重度障碍とは、また異なる苦労と苦痛が付きまとう。
しかしながら、
人間が視覚から得る情報は、はかり知れないのに、まったく見えないといったら、本当に、危険と隣り合わせを文字どおりで、生活されてきたであろうと、私なんかでも普段から思いは する。
もちろんのこと、重度障碍は大変なのだし、周囲も否応なく関わらざるを得ない度合いは飛躍的に高くなる。
およそ障碍者が、極端なほど社交性に欠けていたりすると、苦労も飛躍的だ。
「人嫌い」を打ち出してばかりいては、やっていけない。
それだけでも、実際問題として、「わがまま」は慎まざるを得ないというもの。
どんな人も、一人だけで生きていけないのだ。まして障碍者は。
だからと言って、「健常者」に、見下されたり、むやみと居丈高な発言を されていい理由には ならない。
ましてや、昨今、にわかに大っぴら叫ばれるようになった、「弱者の弱者叩き」。
私もコメントを受け付けなくなった原因に、精神科患者でありながら、私の身体障碍を嘲笑し、口汚く侮辱し続けたアラシのつきまといがあった。
やれ、
「身体障碍者は、精神障碍者よりも劣っている」
だの、
「目に見えない障碍のほうが苦労が多くて大変なのだ」
とか、
いったい、ネットのなかでは、何度ズケズケと言われたことだろうか。
それで、私が、
「では、内部障碍者で、かつ、身体、精神ともに障碍を抱えている人の場合は、どう考えているのか?」
と問いただしても、まったくダンマリ。
ただ ただ、同じ凄まじき勢いを落とさず、相変わらず「身体障碍者は~」と、ひたすら罵り続ける。
この不可解な現象は、何かとも共通しているなあと思っていたら、そうそう、
(主に親が金持ちとか、不労所得があるからという以外での)「ニート」やら、働けど働けど「ワープア」が、「生活保護」受給者を叩きまくる、つまり「弱者が弱者を叩いてる」という構図。
先日も、あるブロガーさんに対するコメントで見かけたけど、
「生活保護を受給するようになった者は、たちまちにして、良い服を着るようになったのを、自分は、身近で何十人も見てきた」
と、いかにも、おかしな話を平気で する。
この者は、自分も精神障碍者であると、自ら言っていた。
そうそう、また、
在日韓国・朝鮮人または中国人を「特ア」とか称して、反日許さんぞ!と叫ぶ、そういう「ネトうよ」と呼ばれている輩に、在日の友人・知人で、仲良しが何人もいるし、居住地域には、在日が大勢いると言う。
この奇みょうさのことも、先日のエントリーで指摘した。
いつだったか、ずっと前にも、
「ケースワーカー」だか何だったか専門職として、「生活保護」受給者たちと関わってきたキャリアありというので、そこで見聞してきたケースとて、いろんな話のなかで、「生活保護」受給者たちへの中傷すべき ありさまを、これでもかと言わんばかり述べたてていたが、
だが、こちらが少し冷静に検討しつつ読んでいけば、どれも これも作り話(=デマ)めいていて奇みょうで、ツッコミどころ満載なのだ。
このうえもなき悪意まんまんで、少し読んだだけで、胡散臭さが鼻につき、げんなりして、すぐに閲覧を中止した。時間のムダ以外のなにものでもない。
けれど、直接に詳しい知識や経験を持たない一般人のなかには、ただ驚いて、「正義」の怒りを掻き立てられてしまうことも、まま多いことだろう。だから、こんにち、おかしな風潮が蔓延し始めている。
いったい、こんなことを述べてばかりいるブログなど、誰かに頼まれてやっているのだろうか、
そうでは なく、
自発的に、あるいは、自らの抑えきれぬ欲求に駆りたてられてやっているというのか。
こういうところが、正直言って悪いけれども、精神障碍または精神科患者と自己申告しているひとたちのことを理解するのにも、はなはだ困難であると感じてしまうところ。
もっとも、精神障碍者、精神科患者であると一口に言っていても、その資質、内実、現実も様々だ。
(続く)
2014.08.18 (Mon)
というわけで、
家族や身内、職場でも、精神や知能に問題のある人たちを少なからず、そばで見てきた私は、結論としては、彼らを無害な存在なのだとか、ましてや、必ず有益を齎す天才性を持っている存在だとか言って、むやみと肩を持つ気には、とうてい、なれない。
同時に、「普通」の脳とは、どんな脳で、そう言い切れる脳などあるのか?という疑問も持っている。
いわく「アスペルガー」にしても、聞くところでは、「何割アスぺ」とか称して、要するに、ほとんどの「通常人」は、明白には気づかずにおれるだけのことに過ぎないと。
もちろん、これも何度か言及してきたように、どんな人にも本来、長所や、磨きを かければ光り出す面はあることだろう。
ただ、こと精神とか知能方面の問題を抱えている場合、それが明らかなレベルであるほど、欠点も また、非常に大きいものになるってことだ。
しかし、幸い、自他が承知できていれば、周囲の共有があれば、これを つぶさに研究し、予防的対処も可能になるだろう。
うちの、精神科患者だった身内も、自分で納得して以降は、自発的服薬を怠らず、調子が悪いときは、真っ先に自分自身で気づけるようになっていった。
あるいは また、「治療」というものが存在しないとか、
もっと困惑させられるのは、何らかの「隠れ」と言うべきような場合だ。
おもてに明らかには出てこないだけに、始末が悪いこと このうえない。
身近な者が、人知れぬ苦労を味わうことも多いのが実態と思う。
酷いときには、無辜の者の人生をも破壊さえしてしまう。
~
凡人にも存在意義があるってことは喜ばしいが。
~
さて、
こういうコメントするってことが、すなわち、この投稿者ご本人は、とりもなおさず「凡才」「凡人」である表れってことなのかもしれないが。。。w
あのね。
じゃあ、「天才」とか、「(これこれの分野について)間違いなく天分が認められる」とか、周囲から評されていた私が逆に聞きたいのだけども。
いわゆる「天才」の存在価値とは、畢竟、どういう人々が つくりだしてるわけ?w
要するに、「天才」とは如何なるものかを理解できてる人々とは?
ってことよ。
「天才」と呼ばれる人にとって、「凡才」と目される人たちが大勢居てくれてこそでしょうにww
私なんか、どれだけ天分があるとか言われても、じつに残念なことには、その方面が好きなわけでないので、他の苦手分野と同様、努力も何にも せんにんw
ただただ「好き」、というエネルギーには勝てませんww
なのに、できちゃう、わかっちゃう。
つまり、多かれ少なかれ、ある程度「端折れる」んだ。
なぜかと問われても、
ある分野においては、努力まったく関係ナシにできてしまうんだから、しかたない。
生まれついての「絶対音感」等と同じかな?
「天才」って、「来るのが早過ぎた」云々とか言われることも ままあるようだけど、つまり、「時代が追いつかなかった」とかってね。
このへん、時間のプロセスをイッキに「端折れる」という天才性と関係してそうではある。
学校では「飛び級」とかもね。これは、IQの際立った高さがモノを言うけど、
芸術分野は、その点、IQ抜きにできる有り難い分野だからねwそりゃあ、承認欲求の奴隷みたいなのが、われもわれもと、「あーてぃすと」を主張するわけだww
精神の異常や知能の極度な高低これは必然的に、まず思考力全般に作用を及ぼすし、感性面にも大きく影響するはず。これらと、何らかの「人格障害」等が重なっていることは多いだろう。
結局はバランス。
偏りの程度。
いつだったか、もう数年前に、例の「OKウェイヴ・おしえてgoo」で回答したとき、こういうことを述べておいたことがあった。すなわち、
「精神や知能における何らかの障碍があるということが即、天才と呼ばれるべきことや大きな功績を産み出すと限ったわけではなく、
ほとんどの場合、ただただ平凡な人生で終わったり、それどころか周囲の お荷物的存在で終わってしまうことも ままある、というのが多く現実ではあるということ」。
そのとき同席していた回答者のなかには、まったく別人の質問スレッドだが、やはりアスペルガー障碍にまつわる悩みごとに関するスレにて遭遇していた人もいた。
その回答参加者自身も、外国人(ヨーロッパ圏だそうな)である配偶者や子どもさん等ご家族が、「ディスレクシア」とか言うのだろうか、識字障碍等を持っていると告白されていた。
もっとも、(私は、後になって気づいたことだけれど)
この会員さん、どこまで本当の話、事実を述べていたものやら、保証の限りでないのは、ネットの宿命か。
で、その人は頻りに、そういった「精神や知能における何らかの障碍があるということが即、天才と呼ばれるべきことや大きな功績を産み出す」という ご主張だったがね。
これは これで、逆に差別だとか、別様の問題を生じさせる恐れがあると、私は思うわけ。
じゃあ、なにかい、「天才でなくば、生まれて生きてちゃいかんのか?」って問い返したくもなるしw
だいたい、てい良く劣等感の代償にすべきじゃないわな。
当事者の辛い、やり場のない気持ちも全く分からなくはないけれども、
それこそ、「紙一重」になりかねん。
2014.08.18 (Mon)
私自身、身体のほうでの後天的障碍を持っていて、それだけでもエネルギー消耗して苦労が多いのに、自分の障碍のために、周囲に迷惑かけないよう注意する以上に、職場においても、(隠れ)精神・知能障碍者としか思えないような同僚の分まで、めんどう見るハメになったこともある。
以前のエントリーでも書いたことがあったが、
私が在職中、ついにクビになった人もいたが、しんどくなった私が辞めてしまったあと、とうとう自分も持ち堪えきれなくなって辞めた人もいた。
いやはや、
めんどう見てあげてる相手が先輩筋だったせいもあって、こっちが、あべこべにエラそうに言われたりして、
先方の仕事能力の驚嘆すべき低さよりも、あの ふてぶてしい発言ぶりのほうに、はらわた煮えくり返ったw
だってさ、普通にできるはずの、
いや、障碍持ちで新入りの私でも普通にできる仕事が、まるでダメ。
どーして、そんな体たらくでも、数年のあいだ、そこで勤まっておれたのか?という疑問は、私も当然に持ったが、
なんのことは なくて、私の入社前にも、めんどう見てくれる役回りの同僚が居てくれたという、その おかげに尽きる。
とは言え、
まあ、「ルーチン」作業が嫌いな私と違ってw几帳面で「クソ」が付くほど真面目なところもあったから、本人自分一人でも できることなら、そりゃもう、クッソ真面目にやってたよ。バカみたいに長い長い時間かけてさ。ほとんどワガママというもの。
それで、上司に命じられた期限や〆切りが、いっこうに守れない、と、こういうのは、ビジネスにおいて致命的だから、そこで、またまた私の出番w
だいたい、複数の業務が押してるとき、そのひとは、優先順位というものを、まったく つけられずに、どれも同時進行しようとしてパニック状態に陥るわけ。
ぜったい休まない、有給も ほぼ一切取らない、遅刻しないで頑張ってた。
上司の小言にも、表向き、ぜったい、反論しない。
舌を出すのは、腹の中と、同僚等を相手に安心して同調できるときだけ。
これは、このひと一事が万事ってやつで、
本人にとっては、懸命に編み出した世渡りのコツのようだった。
自分が責任を負ったり、失敗して責められる事態になることを、異様なほど恐れてたから、かねて事前に、その時々場合によって、誰かしらの人のせいに持っていっておく雰囲気つくったり、口だけは達者だったw
陰では周囲にシワ寄せが行こうとも、なりふり構わず。
とにかく、保身にだけは長けていた。
そこだけが唯一の、要領よかったところ。
他に磨くべきほどのことが なかったとでもいうのだろうか、
こういうとこばかりを、必死で努力し、磨いてきた来し方だったのだろうか、このひとは。
そう思わせられるほど凄まじいものがあったよ。
要するに、自覚が乏しいゆえなのか、
真逆で、大いに自覚あるからこそ、劣等感を深めてきた人生ゆえだったのか。
いずれにせよ、性格が よろしくは なかったわけ、そういう人たちってのは。
で、その性格の悪さというのは、どうも、本人の家族関係や家庭環境に帰するには、かなり無理があるようだった。
言ってしまえば、
本人のオツムとか精神のほうに、先天性の問題があったからでは ないか?としか思えなかった。
ああいう人が一人でもいると、遅かれ早かれ、職場の雰囲気全体も良いものでは なくなってくるし、
外部からの空気が入れ変わり難いという特異現象すら生じる。
一番大きな原因は、そもそも、そういう部下を、どうすることも できずに、もっと できる部下のほうにシワ寄せしておいて事足れりとする上司・管理職も また無能だってこと。
結局、長期的に見て、業績が落ち、やがては経営も危機に瀕していく。
実際、潰れた。
うちの身内の精神病者なんかも、発作を起こしたときは、はっきり、人に危害を齎しかねない行為を やったこともあるし、
自分の欲求と つごうのために、他人の生活を破壊した者も、一人ならず いる。
共通してるのは、一種の幼児的万能感というのか、思考停止的ウヌボレの つよさ。
だから、ヘンに「信念」を 振りかざして、他人を攻撃するのを躊躇わず、これを特別な存在たる自分だけに許された「権利」とすら見做しているようだ。
宗教とかオカルト的教祖に多いタイプではないかな。
あと、「アーティスト」を気取りたがるやつw
やたら「啓示」だ「閃いた」とか言うww
その半面の、根拠が希薄な劣等意識、被害意識の強烈さ。
だからこそ、本来無関係な者を巻き込み、自分のために利用し尽くしても、なにが悪いのか?と恥じることがない。
本人にしてみたら、何かと「損を させられた」可哀そうな自分だから、特別にして当然の、やっぱり「権利」だと思い込んでるふしがある。
こういったことは、「自己愛性人格障害」者の特徴だともいう。
「人格障害」の場合、病気とは言い難いそうなのだが、私の見るところ、原因としては複合性があるかもしれないにせよ、いずれ、これらも、多分に脳内の問題だと思う。
(続く)
2014.08.18 (Mon)
「天才」ゆえになされることというのは、
それは、「努力」というものが、どれほどに関係するのだろうか。
いや、「努力」できること自体が、一つの「天才」だという見方もある。
私の思うに、
第一には、本人の持続可能体力かつ気力、
そして生育環境が、どれほどのチャンスを用意できていたかということも大きく左右するところだろう。
「凡人」「凡才」と見做されたままの一生を終える人々だって、その殆どは、せっかく持って生まれていた大きな長所を掘り出し、磨くチャンスに恵まれなかっただけのことだという。
逆に、人並み以上の機会等に恵まれて、本人も渾身の努力を続けていても、最後まで実を結ばないことも多々あることだろう。
『自閉症の一つといわれているアスペルガー症候群。原因や症状は?』
Mocosuku Woman 8月16日(土)21時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140816-00010001-mocosuku-hlth
~
人類の叡知とか言うが、その叡知はすべて、一握りの突出した天才が作り出したものだ。
~
それは違うと思うぞw
「人類の叡知」と言うが、
科学方面なんか特にそうだが、
世にゴマンと居る優秀な研究者・学者の殆どが、地味なこと この上ないチマチマとした実験を、何のために、膨大な時間を費やしてまでコツコツ続けているというのか。
実際、「人類の叡知」と呼びたくなるような事象というものは、単なる偶然と、それによる発見が齎したものであることが多いのではないか。
たとえば、
「芋を洗い始めた猿」とかいう逸話にも、若い個体から始まっているといった、興味深いことが幾つも潜んでいる。
分かりやすい例を あげれば、一番大切な食べ物。
何を食べて だいじょうぶなのか、危険か。人体実験ではないが、こういうのは、偶然分かったことが最も多いだろう。
身近の誰かが食べたとたん、体調を崩したとか、間もなく死んでしまったということがあれば、まともな知能さえ持つ者ならば、以後、よく注意し、学習するはずだ。より必要性があれば、可能性をパターン分析し、それらは、やがて膨大な蓄積を成す「データ」となっていく。
あえて「天才」と呼ぶべきは、このように、通常人が、やっと判明、または身に付くところまでに、相応の時間を費やして学習や訓練を行なう、その学習や訓練を殆ど、あるいは全く必要とせずに到達するのが、先天性のものとか「天才」の なせるわざと言えるだろう。
もしくは、ある目的に到達する確実なルート等を、パッと見分けられるとか。こういうのは、俗に、「勘が鋭い」と言い慣わしてもいる。
「端折っても いける」という能力、
通常人においては、「あれ」とか「それ」とか、
ことに日本語遣いにおいては、必要以上に主語を省いていても理解でき、通じるなんて芸当もあるわけだけれどw
ことばを端折ると、たちまち通じなくなるのであれば、省かずに、きちんと足せばいいだけのこと。そういう方策が必要な人もいるのだ、ってことだろう。
わざわざ「アスペルガー」ってことじゃなくても、
たとえば「隠語」の存在に見られるように、部外者には通じにくい、ピンと来ないなんて、いくらでもあることだ。
どんな「天才」であろうとも、すべてにわたって万能ではなく、それどころか、
むしろ、限定的で大いに偏っているからこそ「天才」と呼ぶに足り得るのかもしれない。そう、往々にして、ごく狭く偏っているということ。
たとえば、数学に関して極めて優秀であろうと、あるいは音楽の才能があろうと、はたまた「霊感」に優れていたとしても、彼らの「得意分野」以外における その発言内容の価値や、人となりの良し悪し如何とは別ものであり、いたって局所的、限定的なものだ。
ちなみに、例の「カルト連」ね。
あの連中は、なぜか、やたらと「アスペルガー」であることを自慢するふうの癖があってねw
どうやら、「天才」の呼称に餓えてるらしいんだけども(嗤)
「天才」が無理なら、せめて「芸術家」(爆)
ああ、それと、「サヴァン」とかいうやつ。これも同じくで(嗤(嗤)
ただ しかし、「サヴァン」てのは、「賢人」と言いながら、その実、思考力とは関係のない現象でしょうw
たしかに、「天才性」というものは、思考力と本来無関係に、すでに得意なものとして備わっているのだろうけど。
さて、
実際問題、「人類の叡知」これには、人類の息の根を止めかねないほど迷惑なものも含まれて存在する。
それこそ、(女性性の変異・異常とも見える男性お得意の)戦争や軍事目的に伴って発生し、やがて、日常生活に用いられるように転換していった物事は多い。
こんにちでは、まず、原発だとか、インターネットの出自が そうだという。
だが、はて、そんなにも必要に迫られたものだったのか、というと、大きくクエスチョンが付く。
かの南方熊楠という「天才」と称された学者も、その家族・身内にとっては、ただワガママ身勝手で、迷惑このうえない存在だったという。
うちの親なんかも、非常に頭の回転が速く、学校も よく できて、芸術方面の才能もあったのが、脳に局所的異常があったことが分かったということは、先日のエントリーでも述べた。
また ちなみに、
「左利き」って、これも一種の脳の異常なのだということを、科学系記事で読んだことがある。
欧米人に多いようだという印象があるんだけど、違うのかな?
『「左利きは天才肌」はウソ?ホント?都市伝説と化した「左利き天才説」の真実について検証してみた!』
2014年04月23日更新
うちの母のほうは、もともと左利きだったし、私にも少し、その片鱗はある(概ね右利きだが、場合によっては、左の方が断然やりやすい)。
母は、やがて両方とも基本的には同じくらい不自由なく使いこなせるようになり、学校時分は、クラスメートに羨ましがられたと言っていたが、何を やっても要領良く、とても器用な人だった。
ただし、文字や絵を書く(描く)こと以外は!(笑)
母にとって、けっこう深刻なコンプレックスだったようだ。
あ、今ごろ気づいたが、もと左利きのせいか?!
それほどヘタでもなかったし、絵では、賞を取ったこともあるそうなのに。
子である私にとっては、産まないでほしかったとまで思うほどに、はた迷惑な存在の親たちだったが、
彼らも、華々しく世に打って出るチャンスを逃さず掴んでさえいたら、大きな時代の流れに乗れていたかもしれない。
私とこは、他の身内でも、美貌を誇り、センスの良さを誇り、美術方面の批評能力には天与のものが見受けられたが、のちに、精神に明らかな異常を来たした者とか、
人格障害が何十年経ってもサッパリ緩和されないまま、相変わらず精神科に通い続けてる者もいる。
その娘は、親が切っ掛けなのか、それでも父親のほうには経済的余裕があったので、それに助けられて、いったん就職、結婚し、すぐ離婚してから、4年制大学に入り直し、院を出て、臨床心理の資格を取ったとかいうのだが、
幼い頃、その性格の悪さで、さしもの親らをも嘆かせていた この娘、
知っている私から見て、まるで役立たずな凡庸者でしかない。
およそ研究センスなんてものがあるとは思えんのだが(苦笑)。
(続く)