2021.11.29 (Mon)
ここでは、話題を絞りw
例の小室さんの、主としてマスコミに対する おじぎについても、とやこう言われていたようなのだがww
どんだけ深々と頭を下げているようでも、その目は、しっかりと、こっちを見張ってるみたいだ、とかって批判?w
でもさ、かのブルース・リーだったら、大いに褒めてくれるかもよwこれ、あとで ちょっと説明するけど。
私も、子ども時分に、幼なじみが、あるときから、まさに「腰を二つに折り深々と」という お辞儀の仕方を するようになったのを怪訝に思い、その理由を聞いてみたら、要は、相手の心証を良くするためだ、というふうなことを言っていたのを憶えている。
幼なじみの親の離婚に関して、詳しくまでは知らないんだけど、その子の家庭も、おばさん側に根本的問題が あったようで、おじさんは、家庭を大切にする、とても子煩悩な人で、自分の父親で苦労していた幼い私の眼から見れば、子どもの友だちにも優しい、真面目な良い おとうさんと思えていたのだけど、なんだかアッサリ離婚したようにも見えて、フシギだった。
うちの母親が、自分の厄介な家庭事情は棚に上げw生来の「おせっかい焼き」で、当時、幼なじみの父母の両方から言い分を聞いており、事情を、かなりのところまで知っていたのだが、
やっぱり、おばさんのほうに問題が大きいのでということを、おじさんは言っていたらしい。
ただ、問題が、と言っても、うちの母親やwいまどきの女性のような、たとえば「不貞」だの「不倫」を はたらいたとかいうようなことを、おばさんが やっていた、とは全く違うのだが、
むしろ、おじさんのほうが、他の女性と、その連れ子ともども引き受ける覚悟で一緒になりますと、うちの母親に向かって明言していたそうだ。
いま、自分自身が、この年齢になって分かるんだけど、
当時の おじさんは、まだ若くして、たいへん有名どころの料理長を務めていたくらいだから、腕に技術あり、景気の良い時代でもあり、経済的には、強気で やっていける立場だっただろうけど、
かたや、
若い頃は美容師だったという おばさんは、もともと『茨城』か『栃木』あたりの出身で、結婚して来阪して以来、ずっと専業主婦だったから、経済的に不安も大きかったはずだと思う。たぶん、おじさんのことだから、うちの親父とは違って、少なくとも養育費については、できるだけの配慮を したものと思うけど。
まあ、子ども心にも、そこの おばさんは、かなり独特な、ヘンな性格の人のようには思えていたので、おじさん側の言い分に、無理もない感じは持ったのを憶えている。
幼なじみが、近所の おとなたちに対して、不自然なくらいの、バカ丁寧な お辞儀を始めたのは、そのあとからだった。
ちなみに、
この幼なじみには、うちの親父の連れ子の一人だった、腹違い姉のように、私が大事にしているものを壊されたり、隠されたりしたことが何度も あったし、他の近所の友だちと結託してイジメてきたり、悪いことを唆されたりしたことも あった。はっきり言って、嘘つきで、底意地の悪い性格だったが、中学あたりから猛然と、勉強を頑張りだした。それで、地域では2番手か3番手くらいの高校へ進学した。
でも、
それなりに、私が、「なるほど」と感心して反省を促されたようなことも あった。
たとえば、彼女には、妹が いるんだけど、その妹が、まだ あかちゃんに近い幼児なので、たまたま私らが食べている お菓子などを欲しがって、むずかったり大泣きしたり、その単純でアカラサマな反応がオモシロくて、年齢が大きく離れた、義理の姉や兄など、おとなに囲まれて育ち、「弟か妹を、デパートで買って~」と、親に せがんでいた末っ子の私は、ある日のこと、アイスクリームを買い、共に食べながら、くだんの幼なじみに言ったことが あった。
「今から、□◆□(←幼なじみ)ちゃんちへ行こうよ」と言ったら、「今ダメ」と即座に拒否された。
なんで?と聞いたら、「妹が欲しがって泣くから」という返事だった。
なお、私自身は、生まれつきと言っていいほど幼い頃から、およそ、人の ものを欲しがるということが殆どなかったノンビリおっとりな性格なので、真逆に、大っぴらに何かを欲しがって泣き叫ぶ子の ようすが、なんとなく興味深かったのかもしれない(苦笑)
でね、
ブルース・リーは、映画のなかのキャラだけでなく、本来の彼自身がバリバリ「武闘派」で、『截拳道(ジークンドー)』とか言ったっけ、ケンカに勝つための、かつ、「哲学的」武道の家元でもあったという。
そんな彼が、あるとき、指導するべく若い男性が、われわれと同じような、ふつうに目線も下げ、頭を下げる お辞儀を したところ、即座に頭を はたいて、同時に、「目線はゼッタイに外すな!」とダメ出ししていたそうな。
これは、ブルース自身が、まだ子どもの頃に、師匠格の男性から、きつく注意されたことが あったからだとか、そういったエピソードを、ブルース・リーのファンである私は、若い頃に視聴したドキュメンタリー番組か何かで紹介されていたように憶えている。
ま、
とは言えど、小室さん自身は、そういった武道とかに縁が あったようでもないし、彼の「二つ腰折れ」お辞儀wの理由は、私の幼なじみと共通したものだろう。
要するに、相手の心証を計算、慮ったつもり、といったところなのだろう。
まあ、かえって逆効果みたいなんだけどねw
幼なじみも、おとなたちには、「なに?あの子、唐突な」と、嗤われていたと思う。
あれこれ、無理もないのだろうが、
だからこそ、「どこまでもシツコイな、俺らの悪口を言いふらすマスコミがよ。前みたいに、誰がヘコヘコお辞儀なんか してやるもんか、ケッ」と、なってもフシギは ないわな。
いずれにせよ、お辞儀なんかは、一般的には、その人の心理や性格がモロに出やすい しぐさの一つだろうなと、以前から思っていた。
ところで、
「黙れ、平民!!」
とある『宮』家の『女王』さまが、ネット上で のたまっていたんだそうなw
それ、美智子さまの前で言ったら どうよ?とも思っちゃったけどw
そんなセリフを吐いた経緯とか前後の文脈とか、ちょっと検索してみても不明だったので、事実なのかどうかも知らないが、
もしも、わらわの眼の前で 口走ったとあらば、
「お黙り!!このドぶ◆■く女!」
「そなたは、最高級生活保護が なかったら、あきらかに底辺でしかない能力の分際で!!」
と怒鳴りつつ往復ビンタ喰らわしちゃうかも しれないアタクシww
あ、でも、とたんに、国家権力に雇われた何人もの護衛がスッ飛んでくるのかw
こっちがタイホされちゃうのねww
一人では何も できない、戦うことも、わが身を守る能力もないまま、
とことん「お膳立て」してもらって、自負心とウヌボレに無自覚な、あの人たち。
近く、数十億円もの御殿の新築が成って、めでたく入居するときの、次代の『天皇』家の表情が見ものですなあw
さっそく、『宮内庁』は、報道規制を命令するかな(嗤)
ところで、
ただでさえ、いろいろと『北京 冬季オリンピック』のことが懸念されていたうえに、しかも、「新型コロナ ウィルス」の、これまでと全く別系統に変化し、感染力も増大していると見られるものが登場しており、すでに、世界各国で広がりつつあるという。日本も、これから、冬本番だもんね
だいたいさぁ、『武漢』で発生した、その原因が、いまもって不明なままだもんな。。。原因不明のままで、どうするってんだよ?
治療用の飲み薬の効果も、大幅に下落したそうで。
最近、ふと耳にした、懐かしの『レターメン』の『ラヴ』。
「これ、フィギュア スケートのBGMにしたらステキじゃない?さしづめ、王子さまな羽生クンあたり、どうかしら?中国の女性ファンたちが、またもや「アイヤー!!!」と、いっせいに叫び、泣いて悦んでくれるわよ(笑)」と思っていたのに。
2021.11.29 (Mon)
えー、最初に宣言いたします。
あたくし、『自民党』のことは、今後、
『自由だっぴ党』
と呼ばせてもらいますよってにw
まずね、
いつに変わらぬ軽薄短小老政治屋アソウさんまでがトクトクと、ここぞのネガ キャンに利用して得意になってた、そのキャッチ フレーズは、
パクられたり、自分の意図や結論とは全く異なるほうへ歪めて利用されたことの何度か ある私が最初に、『立憲共産党』と言ったわけだけどさ(爆)
まるで、『日本共産党』と組んだせいだ!と言わんばかりの論調が、どこも かしこでも、幅を利かせているようだが、
ここは『立憲民主党』に、敢えて大きく譲歩し、盛り立ててやる側へ回った『日本共産党』が、今回の『衆院選挙』で最も損したな、
『立憲民主党』は『日本共産党』に謝ったか?というようなことを、私は言っておいたけど、
単に選挙だけのことなら、従来どおり、『日本共産党』は、自分とこだけで戦うほうが、よっぽどラクなくらいだろうと思う。
『(貴族)連合』と切れずに、『国民民主党』と、よりを戻すみたいなことに なろうものなら、
『日本共産党』は、もう、『立憲民主党』のキゲンを伺ってやることは ないのよ。もっと自己主張したら いい。
それよりも、今後も、『自分に伝票を切る怪』を除いた「野党共闘」を続ける方針ならば、『立憲民主党』を盛り立てることよりも、他の協同関係にある野党それぞれの盛り立て合いに、力を入れるほうが良い。
なにしろ、あっちゃこっちゃフラフラとブレるのが、何事も、いちばん、始末わるいわね。。。
そもそも、旧『民主党』からしてが、そうだった。
それとね、
『自分に伝票を切る怪』の代表選を やるの やらないの、『自分に伝票を切る怪』創立者、つまり、この怪の最高老害たる、もとが『自民党』構成員たる松井はんは、なんだかんだと翻して居座りが決定とか、
そこを指摘されると、「共産党は どうなんだー!志位ガー」と喚き散らすバカモノども。
あのね。『日本共産党』は、その名が示すとおりに、『共産党』ですからのw
あの党には、あの党ならではの流儀や理念や思考方向が あるのよ。
あたしゃ、よくは知らんけどw
室井佑月さんの夫君である、ええと、最近、トシのせいか、忘れっぽくてw、何と言ったっけかな?(苦笑)ああ、そうだ、米山隆一氏からの批判に対して、
やれ「『共産党』の代表は!?志位は!?!あれこそ、民主主義ちゃうやんか!!」という指摘には当たらないわけよw
オマエさんらが、お門違いを喚いているだけなの、わかったかい?(嗤)
そもそも、根本が噛み合わないまま ひっついて、単に選挙戦のために共依存しているだけの「腐れ縁夫婦」みたいな、まぎれもない「野合」たる「自・公連立」に比べて、
実際の政策・施策方針が概ね一致している「野党共闘」は、庶民国民にとって、なにも矛盾など していない。
あっという間に、『ダッピ』騒ぎも下火にしてやり、
あとは、ひたすら『自由だっぴ党』の代表選ばかりを大々的に報じていたテレビ、新聞業界で あった。
「『自民党』あやうし!」キャンペーンで、『自由だっぴ党』支持者らの危機感を煽り、「期日前投票」へと誘った、『読売』と『産経』コンビw
逆に、
「消極的支持層」だか「浮遊層」だか「無党派層」だかを、安心させるためか、無気力の惰眠のなかに眠らせるためにか、
「『自民党』だいじょぶだよ!!ゼッタイ!」と、子守歌よろしく言い聞かせていた『朝日』ww
『朝日』だって同罪なわけでしょ。ま、わかってるよ(嗤)
この国は、「『天皇』を中心とした」腐敗集権の国であることは。
一般の有権者国民は、相変わらず無自覚にして不勉強だから。
『野党共闘、当落を分けたものは? 出口調査でみえた「勝ちパターン」』朝日新聞社 2021/11/28 18:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/politics/%e9%87%8e%e5%85%9a%e5%85%b1%e9%97%98%e3%80%81%e5%bd%93%e8%90%bd%e3%82%92%e5%88%86%e3%81%91%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%af%ef%bc%9f-%e5%87%ba%e5%8f%a3%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e3%81%a7%e3%81%bf%e3%81%88%e3%81%9f%e3%80%8c%e5%8b%9d%e3%81%a1%e3%83%91%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%80%8d/ar-AARdATb?ocid=FUJITSUDHP
『立憲民主党』の小川淳也氏が、『自由だっぴ党』の、もと「デジタルなんちゃら大臣」だった平井卓也氏に圧勝って。
それは、本質的に「敵失」みたいなもんでしょう。
あの平井氏じゃあね(嗤)勝って自慢にするには当たらんわ。
そりゃ、これで負けてたら、目も当てられんけど、実際あり得ることやからなあw
ふだんは威勢のイイ辻元さんもね、『自由だっぴ党』の重鎮らに縋る前に、本来やるべきことが あったんちゃうの?
私なんか、
「二階さんとこへ詣でて行った」と聞いて、あれ以来、何してはるんかな?と怪訝に思ってたくらいだもの。
しかし、あれだね、
『自・公』支持者のみならず、『維新』の支持者のなかにも、少なからぬ、「野党連立候補者」への投票が見られたというのであれば、これは意外なことだった。
幸先良いじゃないですかね?(笑)
いずれにせよ、来夏の「参院選」を迎える頃には、現首相である岸田さんたちの手腕もハッキリしてきているだろうし、
なにしろ、「野党連立」「共闘」を甚だ恐れていて、
いまのうちに、芽を摘んで、潰してしまいたいとの思惑はヒシヒシと感じるね(嗤)
『日本維新の会(=自分で自分に伝票を切る怪)』に投票するのは、
やっぱり、勉強不足の「無党派」が多いからなんだろうと思う。
あとは、やはり、
従来の野党では、どう やっても、しょせん力弱いものにしか なれまい、という思い込みと諦念。これには、マスコミ・メディア界の思惑と操作も絡んでいると思しい。
「歌を忘れたカナリア」と呼んでいいのかどうかは知らないけど、「公器」たるを忘れた、と言うのか、
ほんとうはネタで食ってる商売人でーす!という本音が あらわになっても恥じない、日本のマスコミ・メディア界。
あれやソレや、あっちでもコッチでも、まるで、単に物量だけで圧倒されてしまった戦勝国『アメリカ』v.s戦前・戦中の日本さながら。
「阿修羅と帝釈天」さながらの、
この世は「正義じゃないんだ、力そのものなんだよ」の摂理かいな?w
それと、やはり、
『自民党』こと『自由だっぴ党』の腐敗ぶり、特に、税金の用い方、カネの汚さは、どうしようもないところまで堕落しているのは分かりきっている、それでも、飽くまで自分自身が、『自由だっぴ党』の利権関係などに所属している者は、そのまま!そのまま!で済むと思ってるんだろうけども、
そうでもなくて、
わかりやすい不満を持っている者は、
『自由だっぴ党』が、税金の用い方やカネの汚さを改めてくれさえ したらなあ、それだけでもイイよ、
という程度の、わかりやすい不満ゆえに、
ただ、わかりやすい「身を切る」というプロパガンダやスローガンを掲げている、それ以外は、まるっと『自由だっぴ党』の分身に過ぎない『維新の会(=自分で自分に伝票を切る怪)』に、やすやすと靡いてしまって投票、という単純な図式だろうと思う。
要するに、ここでも、不勉強で、表面だけを見て判断する、「ふわぁ~」っとした有権者が多いということだ。
こういう、知性の低い手合いは、まさに「金持ちネタムな!僻むな!!」と罵倒されても、しかたないとすら思う。
とか、「ベーシック インカム」を やってくれるなら!!と、その一点だけで縋りつき、『自分に伝票を切る怪』のブチあげた「なんちゃってベーシック インカム」byケケ中に騙されてる自覚が ないのかもな(嗤)
さすがの『自由だっぴ党』政権も最近になって言い始めた「中間層を大事に」という主張と言うか、タテマエ。
「中間層を痩せさせるとマズイ」ということを、私は、かれこれ10年以上も前から警告してきたんだけれど、いまでは、それでは追いつかないだろうと思っている。
つまり、先日も言ったように、
「今すぐに、最も可処分所得を必要としている層とは?」「貯金に回せる層とは?」を考え、
「身を切る」以上に、「全体の底からアップ」しないと、どうにも ならないところまで来てしまっている、と。
全体の底からアップして、文句を唱える層は いないよ。
誰も損しないからだ。
往々にして、「底辺」ほど、ささやかな小さな幸せで満足するからね。
問題は、ここまで落ち込んでしまったまま、あらゆる各層間の断絶そして憎悪、くだらない争いにばかりエネルギーを費やしてしまった国で、どうやって、これから、全体の底をアップできるんだろうか、ということ。
ま、しかし、これとて、『自由だっぴ党』が言い始めるのは、またぞろ10年以上先になるんだろうな(嗤)
私は、その頃には、もう とっくに、この世の人では ないかもしれないので、子も孫も ない身、日本が消滅しようと、痛くも痒くもない。
不勉強のまま、弱い者いじめを して、全く反省も しない風潮の国など、どうなろうが、残念にも思えないし、同情も できない。沈没すりゃええ。
2021.11.23 (Tue)
『【再度】『聖』と『俗』。演出と犠牲。』の続き。
それと、
私は全くと言っていいほど知らない人で、そうとう高齢の女性のようだが、若い頃はアナウンサーだったとかいう、、、ああ、そう、下重暁子さんと おっしゃる、すでに文筆業に専念しておられて久しいのだろうか、例の眞子さんの結婚に伴った騒動について何度か繰り返し主張されていたみたいで、
要は、
「眞子さんたちだけに『家制度』を押しつけるのは愚か!彼女の自由で良いのだから、黙ってなさい!」という論調に終始していたようだ。
私は、この女性のコラムも、見出しだけじゃなあ?と思い、
試しに一度だけ、本文を読んでみたのだが、あ、やっぱり、もうエエわ、という感想しか持てなかった。
だってね、
『天皇制』『皇室』制度、それ自体が、もろに「家制度」そのものを全肯定してるじゃないの。
そして、「家制度」こそが、この国の「連綿たる」「伝統」なんでしょ?
われわれが「押しつけ」?
だ・か・ら、
私は、押しつけてませんよ、ってw
「家制度」そのものを体現している『天皇制』や『皇室』制度を無自覚にか?支持しながら、同時に、
一般へ向けては、「家制度を押しつけるな!」ww
けれども、
「一般人と全く同じくらい自由にしたら よい」とは、とうてい、思えませんな。
「なかの人、おかわいそう」?
だったら、
特別扱いするための、ケッタイな制度は、やめるしかないわなあ、
それだけのことだ。
さて、先日も取りあげた内田 樹氏の、「アンタにとって、『天皇制』『皇室』制度を なくすリスク以上に、これらの制度が存在するデメリットを言ってみろ?」という主張については、そのエントリー内で述べたとおり。
『とにかく汚い『自民党』はダッピッピw(←誹謗中傷?ww)』
要は、一人当たり換算で、たったの1円だろうと10円だろうと、召し上げられるものは召し上げられたうえに、なぜに、「つらい、苦しい、悲しい、籠の鳥」などと、逆恨みめいて嘆かれなきゃならんの?ってこと。
私の疑問と見解に近いらしい、法学の専門家さんも、
「かわいそうと思うのなら、廃止するしかない」
と、ズバリ指摘していたようだが、要するに、そういうことに帰結するほかは ないと思う。
ダブスタや甚だしく無理な矛盾を常に抱えさせられていると、気がヘンになってくる。しまいにゃ、感情鈍麻だよ。
ただ、
本質は商売人であるマスコミ、メディア界が、大衆を大いに煽り、ノセまくって儲ける話題づくりのために、殊更『皇族』の人たちを、尽きせぬ芸能ネタ扱いするのは、すぐに止め、必要で妥当な報道に徹するよう、各社、自戒してもらわなくては ならない。
滾滾と湧き続けるかのように見える「ネタの泉」も、寄ってたかって汲み尽くせば、早晩、涸れる日を招く。
われわれ一般大衆に向かって、「やめなさい!」「黙れ!!」と、
ヒステリックに説教する前に、最もマスコミやメディアに近い言論人たちも、まず、先に言うべき相手が あるだろに、と思う。
その矩を超えるところから、
「ミギ」にとっても「ヒダリ」にとっても、なぜか同様に忌まわしく思えてならないらしい、「『天皇制』『皇室』廃止」という主張や動きが起き始めるのだから。
で、内田氏ご自身は、
「『天皇制』『皇室』制度を廃止するリスク」
とは、どのように重大なことを想定しておられるのかが不明なのだけれど、
ただ、「リスク」面と言うなら、私も以前から言っているように、『天皇』や『皇族』を、民間へ「野放し」にするリスクは あるだろうなと考える。要するに、「悪い虫」「ヘンな虫」が寄りつきやすいというリスクねw
だからこそ、敗戦後の憲法のイの一番で縛ってあるのだろうと思うし。
ああいう、特別扱いと慇懃無礼、崇拝と軽侮が常に同時並行で向けられるような存在の人たちは、意外にも、けっこう鬱屈しているのを隠しつつ、気を遣い過ぎたり、媚びたりも する、その分も、プライドや自尊心とか自負心に縋るあまり、逆に、尊大な、心底ではウヌボレていて、見下す態度がチラチラ見え隠れしていることに自覚が薄い。そうやって、どうにかシャンとして折れるまい!とガンバっているゆえに、かえって脆い。
その意外な脆弱さに つけ込まれ易い。
と、まあ、そんな感じが していた。
ヨーロッパあたりの先進各国では、とうの昔に、「王室」や「帝室」を廃し、共和制に移行した あとになってから、かつての君主と一族が巻き返しを望み、これを担ぎ上げる郎党や王党派みたいな集団が走り回り暴れまくり、というような話はトンと聞かないのだし、
『教皇』なる宗教的地位の世界最高権威も、中世の頃の腐敗と反道徳性は凄まじきに至り、そのことを、やりたかほうだい謳歌する『教皇』本人・一族・係累・関係者一同、いっこうに恥じも せず、気にもしなかったらしいが、
こんにちでは、それでは通らなくなっており、いちおうは、いかにも道徳的な『教皇』のイメージが定着している。
さて、わが国の『天皇』も、多分に宗教がかっているが、いくら何でも、戦前・戦中の頃のような「現人神」の「絶対君主」時代に戻ろうなどと欲する国民は、さすがの日本に おいても、こんにち、ごく限られた方面の、狂気じみた連中くらいだろうと思うが、しかし、それだけに、現代では、『日本会議』を筆頭とした極右的主張の組織構成員が、狡猾さをフルに発揮して、陰に陽に、正体をボヤかしつつ、平凡・凡庸な民衆に喰い込もうとて画策し続けている。
「特権階級」と一般民衆。
どこか心底からウヌボレている人々と、ぼんやりノホホンとしている人々とは深く共通性が あって、どちらも、担がれたり、踊らされるのが好きだw
だから、
何を「国民投票」に かけるとしても、先に、この国の上から下まで、全体の知性レベルを上げていって おかないとならない、そう言ってきた。
ただに自由を、一般の国民、大衆なみに与えたら、「聖性」を備えているゆえに、誤謬や誘惑などに倒されはしないのか、特別な人たちであるのか否かは、すぐにバレるだろう。
「違法なことは、何も ないじゃないか」「証拠は あるのか」と、頻りに擁護する者たちへ。
そのセリフを、アベシなどの政治屋に ついても言うのか?(嗤)
法律なんて、凡俗の世界の最低限でしかないのだ。
ほとんどの国民大衆が、おのれを棚上げして、『天皇』と『皇室』に対し、飽きもせず要請し続けているのは、
単なる法律の基準クリア、などでは ないでしょ?
「聖性」とは、政治屋どものように、「法的には問題ないので」という苦しい言い訳が効くステージじゃないよ。
あなたがたは、まさか、「徳」ってコトバを知らないかな?
もちろん、私は、そんな難しい要請は しないけどw
(旧)『民主党』政権時に、「ハマグリ」という仇名で呼ばれていた議員が、国会開設の記念式典だったかで、『天皇』ご登場を待っていたとき、
居並ぶ議員たちとともに待機しておられた『秋篠宮』が、じっと立たれたまま お待ちになっているのを尻目に、詳細は曖昧ながら、たしか、なぜ立っているんだ、とか、さっさと座ろうぜ、みたいなことを言い放ち、問題視されたことが あったようなと憶えている。
それと、
『れいわ新選組』の山本太郎氏の、例の「『園遊会』おてまみ事件」ね。
当時、旧ブログでのエントリーに、この話題を取りあげ、いくつかの角度から、批判的見解を述べた私は、特に、あのときの侍従長だか『宮内庁』長官だかの態度を非難した。
仰々しくもwわざわざのオリジナル巻き手紙をば、山本議員から差し出された『天皇』さんが、驚きを あらわにも されず、いつもどおりの落ち着きある ごようすのまま、山本氏と少々の遣り取りを かわされつつ、ちょっとだけ開いてみるような しぐさも されたあと、すみやかに、侍従長だか『宮内庁』長官(風岡氏だったかな)のほうに向きなおられ、ほとんど「うやうやしい」ほどの しぐさで、今しがた受け取った巻き手紙を手渡された。
そこで、ニュース映像撮影のカメラが、まともに映し出した場面によって、それまでの一部始終を、さっきから仁王立ちの ていで睨んでいたと思しき侍従長だか『宮内庁』長官が、思いっきし、むくれ顔して、この事態への怒りを憚ることなく大っぴらに表現していたのが見えた。
そして、小柄な『天皇』さんが、ご自身よりも大柄な侍従長だか『宮内庁』長官に預けるべく差し出した手紙を、「当然だ!!」と言わんばかりに、山本氏のほうを終始、睨めつけながら片手で受け取って即、自分の羽織の袂に捻じ込むように突っ込んだのを見た私は、
「どっちが『天皇』で『侍従』なんだか!」
と、嘲笑しつつ非難したので あった。
そういう場面の記憶とか、怪訝に思うことも いろいろ あって、近頃では、どうも、一般の国民よりも、じつは、国会議員や『宮内庁』の関係者など、『皇族』がたに近い人たちのほうが、よっぽど、『皇室』『皇族』に対する軽視や見下しみたいな風潮が進んでいるのかな?と思うようになった。
まあ、案外と、大昔から、こんな傾向は多少あったのかもしれないけど。なにしろ、現代の政治屋と大差なく、互いに利用し合う世界だから。
…
虚ろな空間に、何かが あるように思って、ただ幻影を見詰め、
根本や本質からは、眼を逸らす癖が抜けない。
それでいて、細かいところはネチネチと気にする(嗤)
「哲学」というコトバも概念も持ち得なかった この国は、いまでも、他国からの借り受け暮らし、
真似事で表面だけ撫でて、わかったつもりになって、もっともらしく演じているのみ。
権力層もメディアも民衆も。
「上級」だろうが「シモジモ」だろうが、極端から極端へ持ち上げてみたり落としたりトコトン叩きまくったり。
いつ、餓えたケダモノみたいに牙を剥こうか剥かれるか、
虎視眈々と、怯え。
それにしても、『令和』という元号が発表されたとき、『昭和』も そうだったし、『平成』も特に そうだったと、「名前負け」を危惧した私。
また当たったみたいだなぁ(;^ ^A
2021.11.23 (Tue)
『【警告】一見、尤もらしい意見や提案に潜む罠に御注意。』の続き。
もともと、朝鮮半島あるいは大陸から、米などの栽培とか、武器製作に最も威力を発揮する金属加工とかいった種々の技術、同時に、最先端の学問・技芸の類を携えて渡来してきたわけだろうから、その水準に至っていない先住の人々には、「神秘性」さえ帯びた「権威」と、圧倒的脅威を見せつけることが できたはずで、
それは、ようやっと、自国の製品や産品に、正面から自負を感じることが できるようになった現代に辿り着けるまで、およそ「舶来」に最上の価値を置いてきた日本人の精神性に、長く、つよい影響を与え続けた。
結局のところ、「『皇室』の聖なる権威」みたいなものを、それが、少なくとも俗世間では根深く信じられているということを最も理解していたのが、
現代の若者とも思えぬほど、旧弊にしてスノッブな価値観を持っていた小室青年。彼こそが、やすやすと、『皇族』女性をトリコにできたわけよw
それにしても、
この騒ぎにおいて明らかとなった、眞子さんたちの「大恋愛」をダンゼン擁護、応援する老若男女は勿論、当の『皇族』女性たちの、殊のほか、恋愛に対する憧憬の強さ、ロマンチック趣味は意外なほどだったなw
また、一般人の男性に対する憧れのようなものもヒシヒシ感じられたが、
ある意味、『皇族』とか、いかにも「おぼっちゃま」系は、男性としての魅力に乏しいということかもねw意地悪な観察だけどww
やっぱり、いちばんモテるのは、「悪い、危険な男」系とか「ワイルド系」かなー?w
私個人は、どっちも、どうでもエエと思うけどw
事実、「悪い、危険な男(DV付きw)」だった、うちの親父は、みょうにモテてたし、
それを鋭く指摘した従兄は「ワイルド」系で、ちょっと、ものを尋ねただけの通りすがりの女性でも、たちまち、目がキラッキラになるんだからな、そばで見ていて、スんゴイなあと、感心するよww
もうオッサンになってる従兄は、若い頃から、単にハンサムとかは、私は思わないんだけどw他の女性たちに言わせれば、やっぱり「男前」なんだってさ。それに、なんとなく「男の色気」みたいなものが あるわな。本人は、そんなこと微塵も意識してないと思うけど。
剣道を教えた ついでに、はだしのまま、車を運転して、迎えに来てくれたとき、「あれっハダシやん!」とビックリしたら、がっははは!と豪快に笑い飛ばしたガサツな男なんだけどねえ(苦笑)
男性側だって、いわゆる「悪女」タイプを好む人が多いのは、小室さんちの おかあちゃんの「もと婚約者」さんが代表格の一人になっちゃったなw
ところで、最近、読み始めて すぐに、「あ、しまったな」と、思わず舌打ちしたくなったコラムについて。
元来の性分なのか、いったん読み始めたら、たとえイライラしながらでも、いちおう最後まで読んでしまう癖を、ここでも通してしまい、せめて、誰が述べた主張なのかな?と、筆者名を確認したら、『保坂正康』と記されてあった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/025a4b6019e59170914808c5299dab31666b9507
~「聖」なる存在として畏敬の念をもって見られてきた~
~皇族が聖なる存在として認識された大きな理由~
第一には、そのように演出してきたからでしょ、彼ら(の先祖たち)自身と、彼らと利害を共にする者たちの計算のうえで。
わりと近い時代では、『香淳皇后』の御実父は、『大正天皇』の皇后であった『貞明皇后』に嫌われていたという、その理由が、やはり、おカネの無心とか、
『香淳皇后』の御実兄は、女性関係の問題を起こしていたとか、
他にもスキャンダルは幾つも あるよね。
私自身、子ども時分から、周囲の おとなたちによって、『皇室』のスキャンダルを何度か聞かされた記憶が残っている。
もっとも、『天皇制』や『皇室』制度への反発的意向などが あったからでは全然ない。
むしろ、「畏敬」とか「尊崇」対象という、長年に わたったスリコミが、あの世代には つよく残っているからこそ、時おり発覚する『皇室』の問題やらスキャンダルに ついて、あたかも怪談か「世にも恐ろしい秘密」を語るような口調でもって、殊更ヒソヒソと話していた。
ただ、ごく若い頃は『近衛』将校として、『皇室』周辺で勤務していた親父だけは、瞬間着火の如く激怒したことが あった。
それは、『大正天皇』の体調問題が、脳に起因していたというようなことを、まだ何の先入観も持たない、『大正天皇』って誰?な小学生の私に、何の流れでか、近所の、噂好きな おばさんが吹き込み、帰宅してから、この内容を、本当?と、何気なく、親に尋ねたときだった。
しかしながら、まさに『天皇』その人と、『天皇家』自体のスキャンダラスな問題が発覚しないかぎりは、他の『宮』家のなかの問題であるに過ぎないなら、制度への致命的な打撃までは防げていたのだろう。
ところが、今回の騒動に おいては、遠からず『天皇』となる予定の今後、確実に2代は続けて引き継ぐことになっている『宮』家の一員であったがために、ここまでの大騒ぎになったのだろうと思われる。
しかも、その『天皇』となる予定の人が、お若い頃から堅持してきたという思想やポリシーなどを、親としての教育方針でも、そのまま、ご子女たちに垂れられていたに違いないと、そこからして大いに疑念を持たれている。
お子さんたちだって、幼い頃から、親御さんに常々教えられてきたことと矛盾するようなことを急旋回して言われたら、そりゃ反発するだろう。
~秋篠宮が「皇室としては類例を見ない結婚」と言った通り、これは戦後初めてのこと~
『久邇宮』家の第三『王女』だった通子さんは、どうなんでしょうかね。
ちなみに、
『秋篠宮』家の紀子さま佳子さまと、小室母子の名前の字やイニシャルの重なりが目立つのがオモシロいんだけどw
この通子さんも、前『皇后』美智子さまとは真逆のケースにして同じ読みかたの名前であること、そして、再婚相手の姓が、ご実父のスキャンダルの相手となってしまった女性の旧姓と同じというのも、偶然とは言え、なんだかフシギでオモシロい。
ちなみのちなみに、
うちも、特に私と親らが、『天皇』や『皇室』の かたがたと、誕生日などの数字とか名前の字などが共通している例が奇妙に多いのは、家族内では、時々言ってオモシロがっていたのだが、
先述したとおり、親父は、戦時中、『近衛師団』所属の青年将校だったので、『皇居』周辺に出入りしていた頃、まだ幼かった前『天皇』(現『上皇』)が、うちの親父が腰に提げているサーベルを触りに来られたりしたそうで、時に、ごく間近で接していたらしい。
そのせいか、中高年までは、いまどきの「えせウヨ」や声だけは無意味にデカい腰抜け「ネトウヨ」「ミリオタ」どもなんぞビビるであろうほどゴチゴチの『帝国軍人精神』だの『皇国史観』だの『天皇』崇拝にドップリ浸かってきた名残を隠しようもなかったほどなのだが、
いつしか、老齢に達する頃には、
むしろ、自分の親世代、つまり、青年時代の自分たちを、むざむざ、死地へと赴かせて平然としていた世代への隠然たる反感と同時に、『天皇』『皇族』という存在に対しても、どこか冷めた態度を見せるように変化していった。
と、旧ブログあるいは過去エントリーでも述べた話。
~情報を掴んだ週刊誌記者から取材を受けるまで、宮内庁幹部は把握していなかったばかりでなく~
いや、それも、先日のエントリーで紹介したコラムによれば、『皇室』担当の記者は、週刊誌の記者でも、身辺調査されたうえで、『宮内庁』からの指令を受けて、書くらしいのよ?w
でさ、
そもそも『皇室』の皆さんは、眞子さんの親御さんである『秋篠宮』ご夫妻も、そして『天皇』さんも、『上皇』ご夫妻も、ほんとうに、小室 圭さんとの結婚を厭わしく思って、心底から反対する気持ちなんか あったんだろうか?
まさに『高円宮』妃あたりが、娘さんたちに言い聞かせていたという「恋愛と結婚は別」よろしく、「タテマエに過ぎない、要は、国民向けの儀式と、実際の結婚は別」と割り切っているようにすら見えたけど。
私には、「まるで、話にならんわぃ┐(-_-)┌」としか思えないほど、全く異なる世界の住人であるような保坂正康氏の、くだんのコラムの内容に ついて、案の定、「ネトウヨ」圧倒的大多数の「ヤフゴミん」らが、「これぞ本質論!」とて、つよく共感した旨、歓び勇んで続々コメントしているようだ。
この保坂氏の名は、私も、どこかで目にしたようなオボロな記憶が あるものの、一度も関心を持ったことは なく、したがって、氏の著書を読んでみようとしたことも ないまま、その基本的な思考の方向性などを知ることもなかった。ゆえに、今回、てっきり、「右翼」系の論者によるものだろうと思ったが、ちょっとだけ確認しようと、検索してみたら、「反日」とか「左翼」であるという激しい指弾も出てきたので驚いた。
てなわけで、
「えっ??σ(;=_=)?」と混乱したままの私は、
この保坂氏に対しても、一言で済ませてしまうのだ。
「なぜ、特定の個人に対し、『聖性』なんぞを要請、かつ、全うされるべきと考えられるのですかぁ?」
この、最初も最初の素朴な一歩からしてが、「ウヨ」「ネトウヨ」ばりの、「黙れ!問答無用!!」とて撥ねつけられるタイプの御仁であるならば、やっぱり、私とは、対話はムリだな。
これも先日のエントリーで触れたが、
室井佑月氏の いわく、「祈ってくださるんだよ!」だから有難いんだ、
とする断定的主張も同様のことで、
祈らねば ならぬのであれば、「聖性」が必要ならば、
おのれ自身で、「祈り」と「聖性」を引き受けるべし、だ。
おやおや、「できるわけない」ってか?そーですか、そーですねw
「祈り」「聖性」、そんなの、私は強制したくも、されたくもない。
自分以外の誰かには、そんなこと当然、などと思わないから。
【続く】
2021.11.23 (Tue)
『『聖』と『俗』。演出と犠牲。』の続き。
先日も指摘しておいたように、雅子さまの場合は、いまの眞子さん以上の酷い情況だった。
お身内である前『天皇』ご夫妻、弟『宮』たち、侍従や『宮内庁』のトップからも、擁護どころか、公に批判され、擁護する人は少なく、ネット上のみならず、実際に、駅のなかでも、見知らぬ男に罵倒されたことが あったでは ないか。さぞや、こんな屈辱とは無縁のエリート キャリア ウーマンだった雅子さまも、愛子さんも「トラウマ」になったことだろう。
「ヒエラルキー」世界の体現である『皇室』制度ゆえなのか、
次期から『天皇』家となる家の一員として生まれた眞子さんたちには、内外ともに、顔を見て、応援のコトバを かけてくれる人たちも少なくないという。
やはり、全体として、『皇室』内部に おいても小さからぬ差が歴然と横たわっているように感じる。
どこから湧いてきてるのか、日がな一日を「ヤフゴミ捨て場」に貼り付いている連中のなかには、
『皇室』ならびに小室さんたちこそは「弱者」であると、
批判や(誹謗中傷を含む)非難するコメントに対してトコトン反論し続ける熱心さで擁護している側も、近頃は増加してきているフシギw
だが、では、従来からの障碍者や社会的弱者、いわゆる「底辺」と呼ばれる位置で、まさに、選択肢の不自由や生き辛さや、時として命の危険にまで晒されている人々、
「無能で稼げない!怠け者!お荷物は死ね!!」とまで罵倒され続けている人たちのことを庇う熱意は、眞子さんたちに対するようには、まったく見られないのよね(嗤)
そういうことに関しては、ダンマリだったよねw
「暴露」後の小室さんたちの結婚騒動以来、たしかに、『天皇制』『皇室』制度についての懐疑や不満を あらわにして憚らないコメントがイッキに増加したことは確かだと思えるのだが、
これにも、『皇室』に対する反発ゆえだけでなく、やっぱり、ああいう立場は気の毒であろうという同情から、『皇室』制度廃止に賛成する人たちも増えたようだ。
それにつれて、
私が従来から指摘してきた、
「自分では参加や表明に加わった覚えも ない『国民の総意』とは何?」という疑問とともに、
「国民投票」の対象にすべき!と主張するコメントも増えてきた。
ただし。
『天皇』および『皇室』の存在と制度についての「国民投票」へと運ぶのであれば、そうとう危ういものが出来しかねないことも考慮しておかなければ ならないだろう。
なぜなら、
「国民投票」によって、明白に、国民間の意思が分かれた、となると、
それこそ、まさに、『天皇』や『皇族』の存在によって、一般国民の分断を招いた、とも言えよう現象や結果が明白に齎されることになるからだ。
こうなると、
「国民統合」もヘッタクレも なくなってしまうやね。
公理よろしく、わけワカメな「そういうこと」として、腫れ物に触るように、そっとしておかなければ ならない。それが、あの存在と制度。
結局、ずーっと、そのままにしておくしかないようだ。
一指でも触れたとたん、端からボロボロと欠け、粉のように崩れて、風に吹かれていってしまう古文書のように。
はっきりと見える後継者不足に加えて、目に見えぬ重要な要素も、雲散霧消の気配を漂わせ始めた。
もともと「空気」だからね。クーキ。
それとね、
「『皇族』の各人が、『皇籍』離脱を望まれるのであれば、それを選択して実行し易くする しくみを」という提案も、一見は寛容で結構に思えるけれど、
すると、残った人たちは、自分で望んで残ったはずなんだからと、
ますます、厳しい要請と期待に応えて当然、という風潮に なるかもしれない。日本人は、そういう傾向になりやすい国民性だと思える。
これでは、いやがうえにも、「聖なる非人間」的存在を演じなければ ならなくなろう。
『皇室』への税金投入を削減する余地は どれくらい?
というと、たとえば『生活保護(生活保障)』制度などもそうであるように、
どの分野においても、実際には大した削減余地は殆ど ないということが多いんだろうとは思う。
ただ、『皇室』に関しては、やはり『大嘗祭』などの特に大掛かりな宗教的儀式が喰い込んでいるために
『皇族』全体の人員数も少なくなっているわりには、『宮内庁』職員や予算が、ちょっと驚くほど多いままに思えるのかなと。
だったら、
そもそも、何が本当に「伝統」たる儀式なのであるか?などを再考すべきでは ないかと。
以前、『秋篠宮』が述べられた、「『大嘗祭』を、国費で行なうのは問題」だという御見解は、そのとおりであろうと思うのだが、
ただ、そのことを指摘された御本心は、単に理念や理論上のこととは別のところに あるのかもしれないとも思えてきた。
それは、つまり、『皇室』に直接、入る税金、ということ。
要するに、『皇室』予算の拡大。
考えてみれば、あれや これや、減っていく一方の人員数とウラハラに、税金を更に費やさなければ ならないような状態に進んでいっているような感じも する。『上皇』位の新設も そうだ。
この『上皇』位だって、ほんとうに一代限りで済むのか どうか。
現『天皇』即位の日も近づく おりの、『秋篠宮』の批判的な指摘が公になったとたん、「ヤフゴミん」らは、私が、このように推測することとは全く別のことで、ヒステリックに憤っていたがw
「兄宮のハレの儀式をケチれと言うのか!!」などと。愚かだあねww
もしも、「宗教法人」という位置にするとしたらだが、
まず、いまのような儀式や行事の ありかたは継続できないだろうし、
全体的に、グッと縮小せざるを得ないだろう。
『皇室』の、その面影、名残なる「家」そのものを、あくまでも「形式」としてのみ残せば よいという、大胆な割り切りは、『皇室』の全ての「伝統」、
もちろん、あらゆる儀式についても、そのような思い切った方針で進められるべきこととなろう。
もう一度、言っとくけども、
だいたい、『明治』以前までは、どのように、「伝統」を実践されていたのか。
『明治』から始まったことは、温存に値する「伝統」のうちに入れるべきなのか。
それこそ「十二単」などの誂えなら、私でも納得だが、
またも賛否を呼んでいる「ティアラ」だって、日本の伝統とは言えまいに。
ちなみに、旧ブログ当時、眞子さんたちのティアラ作製についても、私は、やんわりと(?)w批判しておいたことが ある。
『イギリス王室』でも、結婚などで、プリンセスたちが、おつむに のっけるティアラ、その他の宝石類も、エリザベス女王から借りていることが多いという。
日本でも、『明治』から こっち、拵え続けたティアラなどは、そこそこの数が揃っているのでは ないか?
今後は、国有財産としての それらを、必要に応じてメンテナンスやリフォームしつつ、来歴をも意識して、用いていけば よかろうと思うのだが。それで何か不都合は あるのだろうか。
まあ、真実「日本の」と言えるものなど、常に、総じて真似しゴンべな歴史のうえに成り立ってきた『皇室』にあるのか どうかも疑わしいのだがw
先日の当ブログ エントリーでは、内田 樹氏あたりも唱えていたような、「権威と権力の役割分担」といった考えかたは、一見は合理的で賢明な考えと処し方のように見えて、じつは、非常に危険性を孕んでいるのでは ないかという指摘を述べたのだが、
このこととも関連してくる、「『天皇』『皇族』の聖」と俗」なるもの。
権力だけ、という存在は、実際に、個々の平凡な家庭内すらも含めた、そこ かしこで見かけるように思えるものの、
そもそも、純然たる「権威」だけの存在というものが、私は、よく理解できない。
有意義なアドバイスを してくれるけれど、何らも強制してこない存在は、ありがたいものだろうけれど。
そんな存在は、『天皇』でなくても、『天皇』よりも、もっと、他に大勢いるよね。
『天皇』『皇室』は、もともと国家権力側だ。
絶対権力者としての力を失ってのちは、武家が統治する各時代も、それと与することで、めんめんと生きのびてきた。
とうの昔に滅び絶えていてもフシギは ないところ、武家社会のなかにも、もとは『皇族』の血を ひく者も多かったからだろうか。
いまは、国民というよりも、日本の実質的『天皇』アメリカと組んでいるw
徹底的な敗戦の あとは、少なくとも表面的には、直接の政治的影響力などを取りあげられた、ように見えるけれど、外交に関する公務で述べることだって、政権の方針に従ったことを述べるのだし、そのために、政権のメガネに合っている者を「ご進講」させるのだろうし、
むかし、学者か、あるいは『宮内庁』の『皇室』に深く関係している人が言っていたのを憶えているけれど、けっして、「力が ないのでは ない」と。むしろ、逆であるらしい。
そりゃそうだろう、バックには、まぎれもなく国家権力が ついているんだから。
親しみ深い雰囲気で交流することは、外交先の相手にも、良好な感情を齎せるだろう、ただ、あくまでも、基本的に友好関係を結んで よいものと、政権が太鼓判を押して認めている相手のみだ。
かつて、貧乏武士の倅らなどに担ぎ上げられ、長い長いあいだを、鳴かず飛ばずで かこっていた窮乏生活から、ひゃっほー!!♪返り咲いた『皇室』。
こっぴどく負けた戦争のあとは、『アメリカ』の思惑で、命までは取られずに残してもらえた『皇室』。
自分で勝ち得たものなどないに等しい、常に「人のフンドシ」な国と民衆を象徴するに ふさわしい『皇室』。
【続く】