2023.01.26 (Thu)
思い出したので、ちょっと言っとくのは、
「結婚して、子どもも いるのに、今さらの『カミング アウト』」したっちゅう夫婦の事例について。
本当は、自分は男性では なくて、女性なんだと主張している男性が、じゃあ、なぜ、女性相手に恋愛感情を持って、結婚して、子どもを拵えたのか??と。
女性のはずなのに、男性の肉体を持つ自分なんて、
ずばり言うけど、「勃起」してる自分なんて、認めたくないはずなんじゃないの?と。
そりゃ、一見して、すごく ごつごうに思われても仕方ないだろうよ。
この私ですらも、ですねw
なんか近頃、あちこちで見かけるようになった こういうケースは、どう考えたら いいのかいなあと、ちょっと困惑の気分では あった。
なので、実際の事例というのを、それほどの関心も なかったままに
(だいたいの察しは ついてたから)、
いささかの好奇心と、より深い考察の参考にしようかなぁという、あまり感心できないと思われそうな動機で、実在の御夫婦のケースを覗いてみたんだけど。
ま、あれか、
肉体だけが男性、なかみは女性だと言うからには、
つまりは「レズビアン」の相手に愛されていたのと同様なのか!という、いわゆる「ノンケ」の妻にとっては大ショックってことかな?
でも、「遅過ぎカミング アウト」に至った、もと夫にしてみれば、もと妻が、いまでも大好きなんだなとは窺えるわよね。
私に言わせれば、
好き過ぎるくらいに大好きだからこそ、
自分も女性になりたいのと違うんかな?と思えた。
これ、いろんな事例で、わりと多いじゃないだろうか、
女性そのものを好き過ぎて、という心底の動機は。
べつにフシギとは思わないよ。
私の過去エントリーでも、何回か述べてます。
「なんせ女性は、男性の故郷(ふるさと)だからよ」ってことを(笑)
むろん、科学的な見解に おいてもだ。
日常レベルでも よくあることでしょ、特に若いうちほど顕著な傾向だけど、
男性でも女性でも、
ある人に対して、好き、リスペクトを感じるほど大好きになったら、その対象の真似を したい、自分も、そんなふうになってみたいし、同じように ふるまいたい、という、素朴な欲求。
わかりやすく、一言で言えば、
キライ、あるいは無関心の対象なのに、自分でワザワザ真似したいと思うか?
ってことだ。
これは、たとえば「男役」を演じる女性についても言えるはずだろう。
だから、手始めに、その対象が持っているもの、使っているものと同じものを、自分も入手して、使いたい、っていう、ちょっと子どもっぽいような傾向。
もと妻の下着と同じものを隠し持ってたという、それを発見した奥さんの告白を聞いて、そういうことだなあと思った。
もっとも、
まさか、よそから盗んで持ってきたのか?あるいは、他の女の?と、
血の気が ひく思いになってしまうわよね、その意味でも、奥さんの当初のショックは大きかったろうなと察する。
さて、本当の同性愛者は、異性っぽいタイプが好きとは限らない。
それどころか、
むしろ、いかにも同性の特徴がハッキリしている相手をこそ好む、というのは、私自身にも思い当たることなんだけど、
だから、男性の同性愛者なら、俗に言う「マッチョ」タイプとか、あるいは、自分に似た男性とか。
必ず限れることでは ないが、
ただ、私の場合、気が多いのかしらんけどw異性でも同性でも、わりと、いろんなタイプを好きになったし、しかしながら、男性と女性とを比べたら、女性のほうが、間口が広い。許容範囲が圧倒的に広い。
あえてコアを言えば、すでに述べてあるとおり、女っぽい、色っぽいくらいの女性が好みです。だからと言って、そんな極端なことは しないよ、世の男性に多く見受けられるようなイヤラシイことは ありません。
ほんとよ。これでも、いちおうは女性ですので。
ただ、
私が恋愛感情を向けた女性の殆どは、断固拒否ることが なかったし、けっこう受け入れてくれたというだけ。
むしろ、私のほうが、同性たちに「セクハラ」されたようなことが多かったぞ。
友人との旅行先で、一緒に おふろに入ったら、いやらしいムフフ笑いと、ねっちりした眼つきで見られたり、就寝したら抱きつかれたりw
まあ、友人だから、腹は立ってないけども。
友情は友情。
恋愛は恋愛。
これが、好きでもない男性相手だと、立腹どころか、一歩まちがえたら陥る危険性に敏感にならないとだからね。メンドクサくなる理由ですわ。
言い替えれば、
男性に対しては、気に入る人が圧倒的に少なめの傾向で、それだけに、本気で好きになるかわり、気に入らない場合の男性に対する嫌悪感は、女性に対する場合よりも、だんぜん激しくなる。
女性が相手の場合は、概ね逆。
受け入れられる人は多め。嫌悪することは少なめ。
これは、
多くの場合、人生最初に傾倒する母親という存在が女性で あるし、
とくに女性にとって、多くの場合に、「同性の親しみ」というものは大きいだろうけど、
それでも、
私自身、男性を本気で好きになった、恋愛感情を持った場合と、同性である女性に対する それとは、やはり、基本的には同じであると同時に、根本的には異なる感覚も伴うことを知っている。そこには やはり、生殖に関わる本能的なものが絡んでいるからなのかなとも思うけど。
女性の多くが、優しい男性とか、外見的に女性的な印象の男性を好みがちなのは、そのへんとも無関係では ないだろう。
ひょっとしたら、
似合いもせんのに、わざわざ女装して、女性に対する性犯罪に及ぶ男がチョイチョイいるのも、それを知ってるからなのか?(嗤)
だいたい、女性どうしの同性愛と、男性どうしの同性愛が全く同じかどうなのか、私は、ちょっと異なっているんじゃないかなと思っている。
からだの造りが違うからね。
多くの女性の場合、相手が男性であれ同性であれ、自分側が母親的態度になりがちだという指摘も あり、それは、一般的な異性のカップルに おいても、よく見受けられること。
年齢が、かなり年下の女性でも、年上の夫の母親的存在になるのは、多々見受ける現象だ。
女性どうしの場合にも、やはり、母子のような関係に なりやすいと聞いたことが ある。
あるいは、まあ、どちらかが、男役と言うか、父親的になるのかもしらんけど。
さて、
残る問題が あるとしたら、愛しているのか否かということだろう。
それは、
くだんの御夫婦の場合、たとえ辛うじてにせよ、いちおうにせよ、存続しているようには見受けられるし、
もと奥さんのほうが、本質は「レズビアン」の人に、自分は愛されていたわけか!?愛されているのかということを、嫌悪なく受容できるか どうか、というところかなあ??
もと夫のほうは、だからと言って、男性を好きになりましたので、というわけでも なさそうだし。
でもね、
くだんの御夫婦の、もと夫さんの場合も、同様のケースの他の人たちに対しても多く感じることで、私には、やっぱり、ふつうに男性じゃんと思える。
それは、ただ肉体面でしかないことだと言われても、そもそも、肉体と精神は一体だし、全くスパッと切り離せるものじゃないだろう。もし、そういう事態であれば、そりゃあ、まともな精神状態では いられないはずだろうし。
あす、起床して見たら、男になってた、、、アワワ~
という場合を想定してみたという話を、去年の過去エントリーで述べておいたけど、
結論としては、それは それで、、、てなwイイカゲンな私が思うに。
性別どうこうって、けっこう曖昧なもの。
科学的な見地に おいても、いろんな意味に おいても。
で、
あなたは、相手が男だから愛しているんですか?
女だから、誰でもイイわけですか?
違うよねってこと。
たしかに、
性別の違いも、本人が意識しきれないくらい様々に影響を及ぼしていないはずは ない。
それでも。
性別によって、愛せるのか愛せないのか、
それって、「条件付きの」ナントヤラじゃ、、、
存在まるごとでないのなら、それって、、、
それ、ほんとうに愛なのか?
ということに尽きると思うの。
2023.01.26 (Thu)
『愚者列島の冬』の続き。
それから、
近頃の私の、僅かな慰めの一つには、外国の風物や現地の生活ぶりなどを紹介した動画を視聴することも含まれるのだが、
そのなかの、たとえば『イタリア』に長年に わたって在住している人が言っていたには、やはりイタリアでも、物価高騰ぎみ、なかでも光熱費の高騰が恐いとのことだが、ただ、日本とは違って、異様なほどの温暖さが持続しており、おかげで、もと日本人である彼女は、便利で重宝している携帯カイロを、今冬は、いまだに一つも消費していない、とのことだった。
そんな彼女へのコメント常連の言うことを眺めていると、
「皆さん、バンバン海外旅行できる裕福な人たちなのねえ。ふうん」
と、私は、少々の驚きと、正直うらやましくも思いつつ眺めているのだが、
なかには、現地イタリアでの季節的恒例のバーゲンセール(それでも、『ユーロ』を日本円に替えたら、最低でも、概ね数万円クラスのブランド品)の光景を見た とある熱心な投稿者の一人が、
「日本での買物を1年ガマンして、イタリアへ行って爆買いしようか」
などと言っていたのを見て、
そりゃその人の勝手では あるけれど、私は思わず呆れてしまった。
ま、さて、
そういう、暖房など光熱費用のこと、自転車を めぐる費用のことなどを述べたとおり、
昨今の私個人の生活も、ここへ来て、いよいよのこと苦しくなっているわけだが、遠からず、これも頭痛のタネになりそうなパソコン新規購入問題と同様、単に欲しいから買いたいと言うよりも、買えないと困ってしまうから、基本的な日常生活が まわせなくなるくらいに困るから、購入の要に迫られている製品、特に電化製品、いわゆる白物家電の購入が、この数年来、悩みのタネであり続けたなか、
そこへ差して、いろいろと、バカな政治屋や、その支持者連中と思しきネット投稿者に、心底からの不快を感じているところ、
今度は、もと『東京都知事』だった舛添氏が、見出ししか私は目を走らせないことが多い例と同様、これも見出しとプラスアルファ程度しか見てないのだが、
この人も『ジミン=ダッピ統一壺売国党』の政治屋らと同じ見解を持ち出していたようで、いわゆる「バラマキ」がーと、国民に対する給付の是非についての批判理由として、「買いたいものが ない」のだから、消費が伸びないのであって、だからムダ、という、言い古された見解を披露したらしい。
くだんの舛添氏だけでは ないが、
いわく、「買いたいものが ない」国民とは、いったい、どの層だけを見ての発言なのだろうか。
彼らの眼には、
買いたくてもガマンし続けている人々
の姿は、豪も映らないらしい。
こういう偏った見解を思い込んでいる人が、政治の世界に入り込んだら、そりゃ失敗するに決まってるわ。
さて、
主には『ジミン=ダッピ統一壺売国党』支持者ならびに、その歴代の各首相支持者連中が、おのれ汚いことして大失敗したくせに!と、案の定の叩きコメントに走っていたようだが、
その舛添さんは、およそ経済の専門筋では全くないだろうけれど、少なくとも、かつては政治の世界に身を置いていて、いまでも、とりわけ政治や国民生活のことに関する「ご意見番」扱いされたいらしいうちの一人と見受けるが、この人も また、就いていた地位や知名度に相応しない不勉強と、現実の様相に無関心すぎて、視野が狭い類の人なんだなと思ったしだい。
ましてや、『ジミン=ダッピ統一壺売国党』の、なかんづく、故 安倍氏の支持者むき出しな『吉本』系芸人ふぜいが何をホザくかと、そのテの記事の見出しを見かけただけで、はらわた煮えくり返る日々、
仮にも政治家や専門筋の お歴々までが、現実知らずの不勉強のバカまる出しを、これまたバカなマスコミ・メディアに取りあげてもらい、持ち上げてもらって、嬉しげにトクトクと一席ぶっているのを見るひにゃ、、、はらわた煮えくり返るどころか、絶望だよ。
「親の七光り」を地で行くオボッチャマが老害となり果てたあげく、
いまじゃ、甚だしいピント外れの毒舌を吐くことに生きがいを感じているらしい腐れ老害や、
その後追いに熱心な「若手」どもやら、
自助!自助!!自助ぉ~!!!
と喚きつつ、おのれのセガレらには、思いっきり汚い手を駆使して甘い汁を吸いまくった、冷酷むき出しな御面相の、いまだ野心を抱く前首相やら、
もう、どうにも虚しい溜息しか出てこないほど、特に国会に おける議論を徹底的に無視していた安倍政権時にイッキに悪化した面を、恥知らずにも堂々と継承している体たらくの現首相やら、
そういうヤカラに お追従してヘラヘラ媚びつつ、同性に向かっては悪罵の かぎりを繰り返し、かつ、弱者叩きを楽しんでいる女のヤカラ。女性のハシクレたる私にとって、ある意味、最もナサケナイと嘆きたくなる。
いまだに時代錯誤を剥き出し、「左翼がヒダリが」と、バカバカしいセリフを判で押したごとく言い募って飽きない「ウヨ」連中は、毎度、唾棄に処するしかないほどのクダラナサだが、
どんどん堕ちていってる旧『民主党』系の二党は勿論のこと、『共産党』もね、最近は、内部の低次元な問題がチラチラ顔を出しており、いずこも、相変わらず、国家全体や経済問題についてのヴィジョンが窺いにくいし、社会的弱者に関する声も小さいなあと感じる。
大手紙を含め、メディア・マスコミ全体が、積極的には報道しない傾向のせいも あるのかもしれないが、
いわゆる「リベラル」勢ってのも、私は、これに関しても、よく知らない、分からないけど、声が小さい、力弱いのは同様だと感じる。
改善すべき問題点や、どのように改善すべきなのか、全くの五里霧中とは言わせないよ。
私が若い頃から、すなわち、何十年もの前から、ほぼ、手を打つこともなく、この先に希望の片鱗すら見えないまま、「でごんしょう、でごんしょう」で、ズルズル来た有権者国民。
そんな国民だから舐められる。
政治家や大手メディアが不勉強なのも大問題に決まってるが、
ところが、専門家や、その方面の学者ですら、バカなことを言い散らかして、要は、まさに「今だけカネだけ自分だけ」が欲しいから、「テレビ・マスコミ・ネット芸者・ホスト」だのを精出して演じるのかと思しいけど、
ことに深刻なのは、特に経済界の専門家や学者ね。
市井の凡庸なと言うよりも、一般のレベルよりも苦労した障碍者である私ですら、無知・無教養と見做されるであろう低学歴な私ですら、見てきて知ってる現実や、少し考えたら分かる論理を知らない、分かってない彼ら彼女ら。
彼ら彼女らが持ってるのは、自分もエリートの一員だという、お門違いのウヌボレとカン違いだけの苦労知らず。
そういうヤカラに吹き込まれた「ダッピ」的支持者や、
そこから拡散された愚見を信用する一般の有権者国民。
最近も また、社会的弱者叩きを盛り返し、
やれ、
富裕層や企業経営者にこそ感謝しろ!無能者や貧乏人ども!!と、
おのれの地頭の救いようもない悪さに無自覚なのか、悪意むき出しのコメント投稿に精出す連中。
誰が、社会のインフラや貴重な資源を最も利用し尽し、消費し尽してきた存在なのか、
それを分かっているからこそ、昔の大阪商人は、「社会に還元すべき」という義務の哲学を持っていたことも知らないでいる。
「本当に必要な人は受給できない!!」と喚きつつ、そのココロは、
『生活保護』制度を受給するな!受給するくらいなら死ね!!
という本音の呪いがアカラサマだということに無自覚なら、ほんものの低能にして無知そのものと言わざるを得ないが、
確かなのは、すさまじい悪意のカタマリであり、
ネットのコメント欄を利用した、一種の社会テロだということ。
『ヤフージャパン』は、このテロの拡散に協力してきた業者の筆頭格だ。
コメント欄を廃止すりゃ済むことだろうに。アホがバカっぷりを宣伝する場にしかなってないものを。
これも また相変わらず、
高齢者を中心に、いとも容易く、大金を騙し取られて、結局は暴力団に献上しているしまつの、いわゆる「オレオレ詐欺」ヒガイ者が後を絶たず。
なぜ、この人らが、これほどの大金を、いままで得ていられたのかと、
フシギで しゃあない私だが、
もっとフシギに思ったのは、
「やっぱり、こんな高齢者からも騙し取るのか、ヤクザは」
などと、マヌケなコメントを堂々と投稿している者ら。
こういう連中が、震災時などで、殊勝なボランティアを装ったり、子どもに菓子を撒いたりする暴力団を、「良い人たちやん!」などと有難がるんだろうな。
もしかしたら、「なかの人」なのかもしれんけどな(嗤)
身内に、かつて、暴力団から死の被害を受けた者が一人ならず いる私には、なんてバカなんだとしか思えないわ。
全体的に、ネットのコメント欄への投稿に熱心な連中の傾向は、やっぱり、甚だしい無知と低知性が目立つのだが、『ダッピ』で発覚したようなカネ絡みの利害関係なのか、ヒマ過ぎるのか、その両方が含まれているのだろうが、
こんなものに引きずられたり踊らされる者らも また、少なくは ないようだから、
しかも、
仮にも政治家や専門家と肩書の付く者たちまでが踊ったり煽ったりしているようすを見せつけられるたびに、
ああ、この国、いよいよ終わっていくんだなあ。。。
そうして、昔の無力きわまった先祖の屈辱の記憶に しがみつきつつ、それゆえの同族憎悪と劣等感の心底から脱出できないでいる隣りの民族と、重なったルーツに ふさわしく、ますます似ていくんだろうな。。。
と、暗澹とした気分を打ち消しきれない。
『ジミン=ダッピ統一壺売国党』支持者が中心なのであろう、ネット投稿なんぞに時間を割いて、夢中で繰り返す中毒者どもに対し、私は最近ますます呆れてしまっており、このブログを更新するのも、国政や様々な問題に関する記事を読むのも、ほんとうにダルくなる いっぽうだ。
いったい、これは何の間違いゆえなのだろうか。
私ですら唖然とするほどの愚者ら、
それも、専門家や政治家であるはずの愚者らに何を言っても虚しさしか残らないから。
終わらば終われ。
カン違いの愚者列島!
2023.01.26 (Thu)
ここ数日は、やはり真冬らしい寒さが戻って来て、とうとう、一昨日から『極寒列島』だそうで、
こちらでも やっぱり雪や霙もようの一日となった。
こういう日は、まあ、大阪やから ずっとマシやわなあと思いつつ、
先日来、またぞろ暖房費の節約にリキ入れなおしているのだが、
やっぱり寒い、あたりまえだけど。
夏は夏で、ギンギラ酷暑列島になるわけだが、エアコンの使用に関しては、だんぜん夏のほうが、止めにくい。
なぜなら、自分自身が家に不在でも、部屋じゅうムンムンむしむししてるのは全体に好ましくないし、何よりも、帰宅したとき、玄関ドアを開けたとたんに、むお~っと押し寄せてくる室内の熱気の不快は耐え難いから。
高くなり過ぎた室温を、まずは換気して、少しでも下げてから、すぐエアコンをスイッチ オンしても、なかなか冷えてくれないし。
さて、凍らせんばかりの冷たい風に吹かれながら、家を出て、泣きたい気分を叱咤して、やっとこさ辿り着いた先も、いずこも薄ら寒い場所ばかり。。。長居は したくない。
なかには、驚くことに、暖房を禁止しているドラッグ ストアも あるそうで、これまた「ブラック」やんかと呆れたけど、従業員に厳しいどころか、顧客サービスも放棄してる感じ。。。
それでも、帰宅して しばらくのあいだは、うちは暖房を入れない。
外に比べたら、体感温度をググッと下げる風が吹きつけて来ないだけ、少しはマシに感じられるから。
むしろ、エアコン暖房というのは、つけたら、かえって寒く感じてしまう。
一定の室温に達したら、そこから しばらくは、ただ、風を送ってくるシステムになってるからだけど、そのために、体感温度が下がってしまうので、最初のうちは素直に、政府ご推薦の20度設定で開始しても、そのうちにガマンできなくなって、少しずつ、設定温度を上げてしまう。
それでも、ここ数日の寒風には押されぎみで、ついつい不本意な設定温度に してみたところで、やけにスース―寒いのは おさまらない。
うちは、数年前に、使用していた電気ストーブが、おそらく耐用年数を超えてしまったのか、完全に壊れてからは、しかたなく、エアコン暖房で しのいでいるのだが、まあ、室内にスペースの余裕が乏しいうえ、集合住宅なので、エアコン暖房が無難では あるだろう。
そこで、やっぱり、携帯カイロは重宝だ。特に、貼るタイプを使うのだが、これと併用していないと、室内は勿論、外出も、よりいっそうの苦行となってしまう。
それにつけても、毎年が極寒の地域に住まっている生活苦の人たちや高齢世帯の人々が脳裡に浮かんでくる日々。
私も本当に他人事じゃなく、食費を削減してたら、栄養不足で、よけい寒いからね。
寒いと、持病の腰痛に障るのは、若い頃から分かっているのだけれど、
去年のエントリーでも言っただろうか、
おり悪しく、
数十年もの長きに わたって使用してきた自転車が、漕ぐたびギコギコ言ってたのが、ついにブッ壊れてしまい、
ここまでになると、なまじに修理しても、かえって高くつくだろうかと考えあぐね、その間、徒歩で外出するたびに、ますます腰の痛みが悪化するという悪循環なので、これじゃ、ふだんの買物もロクに できやしないと、とうとう、腹を括って新品を購入した。
で、数年前の晩夏に、大阪でも大型台風の被害が大きかったあと、所々欠けていたままになっていた自転車・バイク置き場の雨よけ屋根が、ついにバリバリに破れており、ほぼ完全な露天と化していたので、こっちも ひらきなおって、どうせ、めちゃ古いんだからと、雨風に さらされるままにしてあったもんだから、ますます傷んでしまったマイ自転車。
何度か変わったオーナーは、変わるたびに悪質化していって、と言っても、前のオーナーが最も悪質で、共用部分の清掃さえ雇わずに、雨樋のゴミも放置状態だったが、いまのオーナーも大概で、屋根を付けなおす気が全くないようだし、消えかかっている屋外灯の取換えすら怠っている しまつ。日暮れや夜間は、まじで剣呑だ。
以前のマンションで、階段から落ちたことが ある私は、昨今、腰痛が ぶり返しているので、特に恐い。
そのくせ、共用廊下などの外灯も全て、不要な日中も点いたままにしている。
むかし、ここを建てた初代オーナーは、わりと高齢の夫妻だったようで、地元の農家か何かの人だろうが、もともと、不動産経営等には初心者だったと思しく、私が入居した当初は、キッチンの水道の蛇口に浄水器が付いていたり、各戸ごとに割り振られた物置用ロッカーも あったりと、それまで住んでいたマンションには なかったサービスも付属していたので、どうやら、業者に、あれこれ売り込まれて、薦められるまま素直に設置したんだろうなあと察しつつ、代替わりのオーナーらのシブチンぶりを見ても、最初のオーナーが「ウブ」だった おかげで、古い築年数でも、なんとか持っているのだろうし、
ここの住居の最大の長所は、私が入居したマンションの全てで経験した騒音の悩みが少ないことだ。
夜間も いたって静かなので、長年の不眠傾向が なおりきらない私でも、イライラせずに、まあ安心して眠れる。
たぶん、建物の全体としての造り自体は、それほど悪くないのだろうと思う。
今度の自転車購入前は、さすがに いろいろ考えて、
基本的には「物持ちが良い」私のことだから、またも数十年に わたろうが、もはや余生のかぎりは使用するかもしれない新品を、雨風に さらして、傷みを早めることだけは避けておこうと思い、補助錠も新品に替えると共に、雨よけカバーも、わりとシッカリしたものを購入して、予想以上の出費となったが、さいわい、良心的な店主だったので、それでも比較的おトクだったのだろうとは思う。
それにしても、ヘルメットを着用しろとか、行政は本当に、いつもズレたことを言うもんだ。
そんなことより、「自転車専用レーン」の問題は どうなってるんだよ?昔から問題視されてたろ?
以前、歩道と車道の あいだの極狭なスペースを走ってたら、あの部分は、歩道との境の縁石が少し高くなっている部分に、走行中のタイヤが触れたりしやすく、それだけでもハンドルが取られるのに、
そのうえ、傾斜も施されているから、よけいに倒れやすい。
うちの近くの大型道路は、トラックやダンプも頻繁に通るから、次から次に煽られる かたちになって、まじで恐い。
だから、私は、何と言われようとも、可能なかぎりは歩道を、ゆっくりと慎重に通らせてもらいますよ。
ヘルメットだとぉ?真夏に、そんなもん、かぶってられっか!
自力でシコシコ漕いでる分、全身に汗かくのに。
せいぜい小児や児童・生徒あたり、よぼよぼの高齢者くらいまでにしておいてちょうだい。
ぜんたい日本って、公に おいてさえ、やるべきことは思いっきり後回しにしといて、言いやすいとこ、押しつけやすいとこ、苛めやすいとこからゴリ押しして済ませる傾向が高いよね、昔からだ。
んで、
じつは、昨年の暮れあたり、市内中心部の商店街のなかにある自転車屋で、店頭に陳列してあった自転車の一つに、8千円とナンボくらいの値札が付いているのを見つけ、その ずっと前に、別の自転車屋の店主が、安いのだったら1万円くらいで ありますよと言ってくれていたのだが、それよりもっと安いのが あるじゃ~ん!と、思わず駆け寄ったら、中古品という断わりが添えてあった。
それでも、しげしげと見て、あれこれ確かめられるところは確認しておいたのだが、その場は、持ち合わせも乏しいし、また出なおして来ようと、いったん帰宅した。
それから少しして何日後かに再び見に行ったら、すでに売れてしまったようで、やっぱり、思い切って買っとけば よかったなあ~と後悔しつつ、痛む腰を さすりながら帰宅。
それから また数日後の ある日。
最寄りだったのに、いつの間にか閉店したらしくて、シャッターが下りたままになっていた自転車店の店頭に、売り物の自転車が並べられているのを発見、
あっ、やってるわ!
と、
こないだ買い損ねた自転車と似た感じのものは ないかいなと、
主が替わったらしき店の高齢の男性に、安価な品のコーナーや、附属品に関する価格を確認したりして、いちおう新品だから、先述した中古のメンテナンス品のようなわけには とうてい いかないけれど、まあまあ許容範囲内の出費で おさまりそうな品を指定し、内金を入れておき、明けて新年早々、約束どおり、引き取りに行った。
色調も、先に見かけて、気に入っていた中古メンテナンスのものと近いし、さすがに、これまで乗っていた古い自転車と違い、あれこれの改良が随所に なされていて、予想以上に乗り心地も良かったので、まずはホッとした。
ただ、
自転車なんかにも、若い勢いというものが あるのだろうか?と驚いたほど、軽やかな あまり、元気が良すぎて?もう ちょっと落ち着いてくれたら、よりいっそう、乗り心地が良くなりそうだとも思う。
おまけに、これは後から気が ついたのだが、
その自転車は、何かシリーズとしての作製になっているためなのだろうか、名札のようなパネルっぽい小ぶりの部品が付いていて、そこに記された、あたかも名前のようなコトバが、近頃の私の個人的関心に関わることの名称と合致していたということが あって、なんだか妙な気分になった。
ともあれ、いままでの自転車も、その前の自転車にも、私は、ひそかに、しゃれた名前を付けてやっていたのだけど(笑)、今度の新顔さんにも、これまでに使用した自転車の愛称を半分流用し、新たに、可愛くもエレガントな愛称を命名しました(笑)
なんかスピリチュアルっぽい話になっちゃったなー?w
2023.01.13 (Fri)
きょうも、山田五郎さんの『オトナの教養講座』を拝見しようとして、これは「公認 切り抜き」ということらしいのだが、よく知らないけど、つまり、完全版では ないようなので、私は、ふだん、こちらのほうは ほとんど見ないのだけれども、例のルソーが挙がってきていたので(笑)飽きも せずにwまたぞろ覗いていた。そして、またワハハと笑っていたww
その次も同じく「公認 切り抜き」として、かのミレーの『晩鐘』を取りあげていたので、あ、これはと視聴したのだが、スタッフの人などが、なんとなく「恐い絵」という印象を持たれていたというので、そう言えば、この絵について、何年前にか、うちの過去エントリーで「解説」wしたことが あったっけと思い出し、探してみたら、やっぱり あった。
というわけで、
私自身は、恐いとかいうより、なんかフシギなという第一印象を、子どもの頃は持っていた。
それもそうで、
当時は、まだ、幼稚園に入っていたか どうかくらいの幼い年齢だから、クリスチャン家庭では ないのだし、「晩鐘」などと難しいコトバも『キリスト教』の何たるかも一切、知りやしない。
ただ、絵から鐘の音が聞こえてくるわけじゃないので、登場人物たちが、神さまなどを表現した崇拝対象が近辺に見受けられない、広い畑のような所に立ったまま俯いて、何やら お祈りしているようであるのは察せられても、いったい何に向かって祈っているのだろうか?と、怪訝に思っただけ。
ちなみに、
過去エントリーのなかで、「うちの母親が、私にデタラメを教えた」というのは、
「土の神さまに祈っているんや」
という答えだったw
それでも、やはり、ある種のフシギさとともに、もちろん、このコトバ自体も全く知らなかったけれど、おとなになって振り返ると、言うなれば、まさに「敬虔」なるものを、幼心に、なんとなく感じ取っていたのだと思う。
けれど、
「恐い」とか、またはダリが言っていたという「トラウマ」級の極端な感想も、夕暮れ時の全体の暗さと相俟って、ある意味で共感できるわけで、
それは、私が挙げた過去エントリー内で指摘しておいたように、この絵には、性や生殖のシンボルが満ちており、生まれ落ちて、営々労苦と引き換えの僅かな作物を得て、そして死ぬという、人間の一生を一枚の画布のなかに見事に端的に凝縮した作品であり、
見様によっては、なるほど、死んだ あかんぼうを今しがた埋葬した若い農民の夫婦が、自分たちの嬰児の亡きがらを埋めたばかりの地面に向かって、頭を垂れて祈っているように見えなくもないわけだ?(苦笑)
ついでだけど、
先述の『晩鐘』についてのエントリーを探していたら、なぜだか、いっしょに挙がってきた過去エントリー、これもアプしておきます。
安倍氏亡きあと、初めて、こうして読み返してみたら、なんとも言えないものが ありますわ。。。
2023.01.10 (Tue)
『今年の抱負(?)その他の雑感』の続き。
最後に、やっぱり政治の問題を。
ところで、
一般的に男性ってさあ、何かにつけて、女性を支配したがる傾向なのは古今東西あきらかだけど、その反面、気のつよい女性の言いなりになって満足してるケースも世のなか多いじゃん?w
まあ、なんせ母親という存在が異性だからこそ、いっそう複雑な心理になるんだろうけど、
むかしから私の見るところ、男性は、いわゆる悪女タイプが好きよねえw
要はラクだからよね。
自分のアタマで考えて判断する必要なく、放棄してハイハイと、支配欲の旺盛な誰かに寄っかかっていられるなら。
さて、ちょっと言っときますが、
世に言う「新興宗教」とかは、大概が胡散臭いを通り越して犯罪レベルの問題を起こしてきたことは多々知られているけれど、
もちろん、古い宗教だって、問題は多い。単に、長~い年数が経ってる おかげで、ウヤムヤになっていたり、てい良く隠されてきただけのことだろう。
去年、安倍氏射殺事件とともに、「宗教」を名乗るカルト団体との癒着が明るみに出た おりの当ブログ過去エントリーで、私は、いかがわしい宗教などに易々と引っ掛かってしまう人の背景事情のことについても少々触れておいたのだが、なかでも、ハッキリ指摘できることの一つが、
自分の子が何らかの障碍者であることを、どうしようもなく忌むタイプの人、特に、産んだ母親に、その傾向が顕著であると見受けること。
うちの母親は辛うじて、特定の宗教などに のめり込むことは なかったのだが、それも、娘である私の障碍が、誰の目にも あきらかに分かるほど重度では なかったことを利用しており、しかも、原因が、そもそもは自分に あったことも隠しとおしたかったからでも あったろうゆえ、あくまで私自身の「自己責任」「努力」しだいなのだと決めつけて、受験だろうが就活だろうが何だろうが、本当のことは言うな!とにかく誤魔化せ!と、頑強に主張し続けた。
その言いなりになっていた子である私もアホだったが、
父親に対する反感も影響していたので、ほぼ完全に信用していた母親の言うとおりにすれば するほど、やっぱり、現実との乖離に苦しむことが積み重なっていった。
そのことを少しだけ吐露した相手の、近所の幼なじみのとこの おばさんだけだった、
「奥さん、□※ちゃん(←私)が可哀そうよ?」
と、
あのプライドの権化みたいな うちの母親に向かって、ズバリと忠告してくれたのは。
他の周囲の者たちは全員、私の苦しみに無頓着で、
異常なほど気の つよい母親の言うことを正しい、としていた。
でね、
「ヤフゴミん」の連中にも言っとくよ。
「生活保護スレスレの苦しい生活なのに、自分たちは救われない!」と、さも、くやし気に言い募るオマエさんらに、私は一言、聞きたいのよ。
「おたく、持病とか障碍は負っているの?」
とね。
そうじゃないなら、病気も障碍もなく、ふつうのカラダと体力に恵まれているのなら、
「生活保護スレスレ」である不満や怒りについては、おそらくオマエさんらが支持しているのであろう『自民党=ダッピ統一壺売国党』や「ゆ党」の主張どおりのコトバで返せるのよ。すなわち、
「自分の努力不足でしょ」「おのれの無能さを恨みなさい」
とね(嗤)
故 安倍氏ならびに『自民党=ダッピ統一壺売国党』と『世界平和統一』なんちゃら(旧名)『統一教会』など、いかがわしい宗教団体との癒着も、暴力団(在日韓国・朝鮮人多数よね?w)と同様に、むかしから指摘されては いた。
かつて、このことでも大失敗している歴史を持つ日本に おいて、「政教分離」というものは、もちろん、こんにちの憲法のうちに含まれており、いずれにせよ、国家権力に対する「縛り」なのであるが、
最近、私は、国家権力の側のみでなく、そこに向かって はたらきかける宗教団体に対しても縛りが必要なのでは なかろうかと考えるようになった。
なぜなら、
ある「宗教」団体にとっては都合のいい主張を「教義」として掲げ、その組織力をもって(しかも、それを撥ね返すだけの力を、有権者みずからが放棄している体たらくの日本だ)、政治の中枢や国家の権力に喰い込ませた結果、そこの信者でもない、まったくの部外者である国民の多数が、納得なんぞ できないし、あきらかに間違ってるし、理不尽だとすら思うほど酷いにも かかわらず、その団体の主張する「教義」、それが、
われわれ一般の国民が知らないうちに社会の現実と化してしまっていて、小さからぬ不審や疑念を感じつつも、しぶしぶ、あるいは否応もなく従わせられる状況になっていた、
こんな事態が ありうるのだということが、安倍氏射殺事件を切っ掛けに、白日のもとに曝け出されたからである。
だから、去年の当ブログ過去エントリーで、もはや「自己責任の範疇を超えてしまっているぞ」と、指摘したわけ。
ほんとうに、民主主義という制度は、有権者の知的レベルを厳しく問う。
リッパな先進国の一員であり、超高学歴社会にも なって久しいはずの日本で、相変わらず、有権者としての意識も知性も磨かれぬまま、どんどん堕ちていってる、この国の社会。
近頃の私は、ますます、何を言うのもダルくなってきている。
有権者がアホだと、政治も、それ以上に新聞社などのメディアも、一斉にバカになるんだよ。
せめて、若い層にシッカリしてもらって、、、と、つい望んでしまうところだが、どっこい、こちらでも、「老害」に負けてないアホも多いみたいだなと思えてしまうし(嘆息)
まあ、若いということは、経験や体験の引き出しが少ないゆえ、思考が浅いのも仕方ないのが現実か。
ますます、自分に子や孫が なくてヨカッタと思えてくる。
もっとも、いたとしても、やっぱり、国外に出て生活していけるだけの力を身につけろと言い聞かせるだろうなあ、たぶん。
なんと言っても、遠からず、また大災害が やってくること必定の国土だしね。
最後に、『成人式』だか何だかワカランくなった式典のことを。
もう、必要ないがなと思うんやけど。税金つかってケッタイな行事は。
18歳だか二十歳なんだか、どっちやねんと言いたくなるほど、ややこしくなってしまったし、相変わらず、バカ造が、自分のためのオンステージとカン違いするだけで、これという意義に乏しい感じしか残らん。
女の子たちの和服姿の画像もチラッと見たけど、かつてのブームだった「大正ロマン」とか称していた、なんだか ばばっちい色柄から、最近は、また、古典柄っぽいのに近い方向へ戻ってきたのかなと思いつつ、色めのほうは相変わらずのケバケバしい下品さ。
こんなんが良いと思うんかねえ、近頃の女性の大多数は。
うちは、私が子どもの頃から、京都の呉服屋さんの出入りが あったので、いわゆる「はんなり」したものに魅かれるからでもあるだろうけど。
しかも、
あれじゃ、衣紋ぬき過ぎに近いやろ。水商売の年増じゃあるまいし。
せっかく若い娘の清純さも台無しやん。
母親なり着付けの美容師さんなり、周囲が教えてあげへんのかいな、いまどきは。
自分の娘だったら、
「そんな、品もコケラもないようなカッコ、やめときぃや!」
と、ガミガミ言ってしまいそうだわ。。。(苦笑)