2023.03.25 (Sat)
『ロシア』が御立腹だそうで。(爆)
『岸田氏しゃもじは"挑発"』
という、
『時事通信』によるニュース記事を見たのだが(苦笑)
いかがなもんかな?という感じは、私も していたw
私は、まず、『広島』名物ということを知らなかったので、
なんで、ここで「しゃもじ」やねん?
ダッセえー!
「千羽鶴」みたいに、ジャマになるもんワザワザ置いてくんな!!
と思っていたww
ただ まあ、国会で紛糾するようなことでもないだろうという意見も、
いーや、顰蹙ものだろ!という意見も、
どちらも、あえて理解できるような気は、する(苦笑)
しかし、「必勝」ってのもなあ。。。
はっきり言って、むなしい気休めに過ぎないと同時に、一種の呪術的なものでもあると思うしw
単なるスポーツ大会レベルのことなら、ご愛嬌で済むけど。
たしかに、『ウクライナ』側に「勝ってほしい」というのは、現状、日本の政府、国民ともに、概ねのスタンスとして間違いないところだけど、
よりによって、日本に おける不戦の誓い、平和祈念の象徴とされる地、『広島』の、というのは、なんか違うだろ?という気もする。
なんとなく思い出していたのは、
かつて、『チリ』の落盤大事故で、坑内の深くに取り残されてしまった人たちを元気づけるためにと、梱包資材の、いわゆる「プチプチ」を、製造している愛知県内の企業が贈呈したということが あり、あのときも、国内では、批判の声も あったと憶えている。
まあ、うちの母親も、この「プチプチ」を入手したとなると、とたんに、最後の一粒まで丹念に潰して、ストレス解消だか何だかの役に立てていたみたいだから、
困難を極めた救助が達成できる日まで、ストレスや退屈を紛らわせる一助にしてもらえれば、ということだったようだが、その思いも理解できる気は するものの、
総じて、一言で印象を述べるとするなら、どちらの場合も、
「日本人って、肝心なところで軽薄で、それでいて、みょうに泥臭くて、センス悪いのなあ」
という感慨を新たにし、そして、ちょっと恥ずかしいというのが、正直な感想では あった。(苦笑)
2023.03.21 (Tue)
ほんとうに、日本が厭になりそうですわ、いろいろと。。。
まずは、公文書の問題から。
およそ「公文書」というものが不正確あるいは捏造すら あり得るということになってしまえば、、、
ドえらいことになるよね。
それも、官僚側のみならず、そこに、官僚の「ボス」たる大臣、つまりは政治家も加えて、と言うよりも、むしろ、「派閥」争いに代表されるような、いわゆる政争に おいて、大臣の椅子に就いた政治家こそが中心となって、裏で采配することも あり得るということにもなってしまうわけだが、
そういう彼らの悪意や企みしだいでは、公文書の類を弄ってでも、と、そのような手段を駆使しかねない、ということが、いま、われわれ一般の国民の前に曝け出された恐ろしい事態なのだ、ということであれば、だ。
このドえらく深刻な事態を目撃しても なお、一般の有権者国民の多くは、キョトン、のほほんとしているようにすら見えるが。。。だいじょうぶかよ
だってさ、
公文書なんて、どうせ、しょせん、信用ならないものなんだということであれば、これは、報道界やメディア各社が そうであるということよりも、もっと深刻かつ異常な事態だよ。
新聞や雑誌とかの、あらゆる記事、テレビ番組等々は、いまのところ、まだ、いちおうは、市民・国民自身が個々に選択できる余地あるはずのものだけど、
われわれ一般の有権者国民は、主権者でありながら、お任せするしかない、もはや知ることが できない、タッチできない「国権の中枢の闇」のなかで起きているということに ほかならないのだから。
わかってんのかなあ?一般の国民たち。。。
国家に関する何もかも全てが、信用を置けないものになってしまうんだぞ!
と、指摘した人が いたけど、そのとおりになるよねえ。
うわあ、、、
そりゃ、憲法違反、不法行為であることは分かってるからこそ、
「自分の代では やらないと思う」
と、いちおうの ことわりは付けてたけど、
やはり、高市氏が言い放ったことは、とんでもない禍根を残すことになりそうだな。
そもそも、磯崎という人の罪も甚大だ。
くだらねえ、醜悪な権勢欲の前には、不法だろうが無法だろうが、ゴマスリ、焚きつけ、煽り、恫喝、何だってやるんだ、って典型だね。
最初に、山田秘書官がズバリ言ったとおりで、まさに「ヤクザ」だ。
まじで軽蔑するわ。しょっぴけ!!
安倍氏が殺害された事件を機にするように噴き出した、この国にとって最も意味深い『奈良』という地に絡んだ因縁話が、このところ、次々に現れている感じ。
なかなか、気持ち悪いものが あるな。。。
どうなってしまうんだろう、この国。。。
次は、
自転車のヘルメット着用が「努力義務」になったということについて。
以前も、この話題が報じられたときに、当ブログは、思いっきり、不満を述べたんだけど、
『愚者列島の冬』
もう一度、言っとくわ。
お役所よ。
まずは、不法駐車いわゆる路駐を どないかしてから、われわれ一般の市民・国民に要求せえよ。
それと、
何よりも、あの、滑稽なほど極狭の、名ばかり「自転車レーン」な。
あの線上をズレずに走るのは、ほとんど綱渡りなみよ。
あそこを走行してると、そりゃ、事故が起きる危険性いや増しだ。
狭すぎる、傾斜してる、歩道との段差が ある等々から、転倒し易いのはアタリマエ。
だから、ヘルメットせい、ってか。
ふざけるな!!
立場の弱い者に向かって、おのれら、ろくすっぽ知恵も出ないくせに、狡猾さだけは極上、苛め大好きな「お上」の義務は棚上げしといて、
黙ってたら、なんぼでも、こちとら庶民にシワ寄せしてくる。
ほんと、いよいよ、いや~な国に なり果てたわ。。。
私自身は、交通ルールを、できるかぎり順守してるつもりだけど、たしかに、自転車でも歩行者の立場でも、自動車やバイクほどの深刻な事故や公害を発生させることは ないので、比較的に気楽な面は あるから、知らないまま、ルール違反していることも あったし、いまでも、そういう人は、よく見かけるけどね。
その場合、ルール違反している相手が悪いんだから!と、こちらがガチガチに意固地になってたら、かえって危険だ。
融通とか柔軟にやることも大切。
それでも。
最も危険で、街じゅうに公害を撒き散らす自動車やバイクと違ってな、
エコな自転車は、自分の全身を使って漕ぐんだよ。
真夏の炎天下で、ヘルメットなんか かぶってたら、この異常な高温で、よけい暑いわい!
『新型コロナ(covid19)』が、もし、またぞろ ぶり返しでもして、マスクも せにゃならんとなったら、ますます熱中症は確実や。
『『宮』家と『アベノマスク』の共通性――優遇・優遇また優遇』
第一には、
路駐(酷いときは、歩道にまで!)と、
最悪な自転車レーンの問題を、なんとかせんかゴルァ!!
それが解決できたなら、そもそも、自転車にまでヘルメットを必要とする理由の根拠も、ますます希薄になるわな。
どうせ、業界のカネ儲けと絡んでるんだろうが。
聴覚障碍者に対する「筆談」も、たしか、「努力義務」になってたそうだが(2年ほど前からは、「合理的配慮の提供義務」となったらしい)、
そんなもん、「健常者」の殆ど誰もが、義務とは思ってへんで(嗤)
筆談については、過去エントリーでも取りあげてるけど、
いつまで たっても、「健聴者」側の誤解も多い。良くも悪くも。
これについては、また あらためて述べるとして。
うちら障碍者側から、「義務ですので守ってください」などと言ったもんなら、世の「健常者」らは、
「甘ったれるな!!」
「少数でしかない障碍者のために、多数の健常者が、迷惑かけられるのは理不尽だ!!」
と、喚くだろ?(嗤)
宣言しとく。
ヘルメットなんか、私は、かぶらないよ。
てか、まずは、そんなもん買う余裕も ない。
腰痛を引き起こした、壊れた椅子の買い替えと、その処分費のほうが、よっぽど大事。
それにしても、
よい子新聞社『毎日』は、こないだの「オフレコ発言」スッパヌキが影響したのか、ここ最近、ますます、政権・官憲側に おもねった記事を連発するようになったな(嗤)
安倍氏の後ろ盾だった『日本会議』と並んで安倍氏の「悪だくみ」仲間だった筆頭格『日本財団』の宣伝がましい記事も連発しよったし(怒)
極右団体の『日本財団』さんよ。
うちら障碍者を、おたくとこのイメージ アップ作戦に利用するのは、やめてんか。
正体を知られてないと思って、舐めとったらアカンで。
いわゆる「通名」とかw正体隠しの別称が異様に多い『日本会議』さんもな!(「壺」と いっしょやないか 嗤)
2023.03.19 (Sun)
先日のエントリー、『「汚いはキレイ♪」「売国は愛国!」』にても言ったけど、
「~概ねの官僚というものは、ボスたる大臣や政権中枢に対し、彼らが狙っていること、意志していることを叶えんがため、最大限の働きに努める、そういう習性を強く持っているだろう。それは、優秀さを自負し、支えを期待される官僚の保身からでもあるだろうが、
ならば、行政文書の裏付けを云々するよりも、官僚の、そういう習性を基本として作成されたもののはずなのだよね」。
もう一度、言っとこう。
メディア側が、政権からの圧力に屈するようでは、そりゃナサケナイの極みだが、
それは置いとくんだ。
国家権力や政権は、メディアに圧力かけたり、それに類する はたらきかけを やっちゃいけない。
法も憲法にも違反した所業だからだ。
テレビ局側の方針や姿勢が変わっていないということを もって、
政権からの圧力が なかった証拠には できないんだよ。
論理能力も ないやつらが、毎度のようにゴッチャゴチャに しまくってるけど。
アホばかウヨども(←『ダッピ』か『日本会議』か「壺」まる出し連中 嗤)が、コメント欄と言うコメント欄を占拠する勢いでドドッーと押し寄せては、全員、判で押したようなイチャモンつけて、瀕死の高市姐さん援護射撃を繰り広げてる(嗤(嗤)
指令が出てるんやね、毎度まるわかりだ(爆)
以前から、「ゆ党」入りしたい切なる願望が見えていた『国民民主党』と党首の玉木氏は、しばらく観察させてもらってたけど、、、
やっぱりダメだな、こりゃ。
さて、私からもヒントを。
聞くところによれば、『日本共産党』も、そこのところを疑ってるのでは ないかなという ふしが窺えそうなのだが、まあ、これは、私自身で直に確認してないけども。
「『行政文書』保管ファイル」とかいうものに、今回の、問題となっている文書が、登録されていなかったから どうだ こうだという騒ぎ。
当の総務省は、これから入れときますので、って言ったそうだね(爆)
これって、
その保管ファイルのなかに入れちゃってたら、まずは、当時の法務大臣だった高市氏からしてが、まじでマズイから、だったんじゃないの?w
先日の過去エントリーから引用した内容で指摘したとおり、
総務省職員にとって、泣いても笑っても、当時の自分たちのボスなのだし、
安倍政権スタートから歴然と、官僚のソンタクも目立つ いっぽうだったからねえ。
ここから下は、全く別のことで、ほんの ついでです。
でも、「ウヨ」「ネトウヨ」という関連性は ある。
しょうもないことなんで、これまで無視してたけど、
近頃、
犯罪者を指して、「この方」と呼ぶのが、マイブームみたいな、ケッタイな投稿者がチラホラ。
じつは、こういうやつ、例の『汚気・愚(OKウェイヴ)』の常連にも いたんだよねー(嗤)
かれこれ20年近く前だけど、いまでも憶えてるよ、
とある母親が、自分の あかんぼうを、はしたガネ目当てに、よその男に、性的利用の犠牲にするため、差し出したとか、そういう事件だったと記憶してるけど、
この えげつない事件を話題にしたQAスレッドに おいて、先述の投稿者は、あかんぼうを、おのれの餌食に供させようとした男のことをば、
ずばり、「この方」と呼んでいたんだよw
(おまけに、「氏」も付けてたよ 嗤)
日本語の用法に詳しくないのか、あるいは、性根が歪んでいる あまりに、世の犯罪者たちの味方が したいんだか、そのへんは知らんけど。
他にも いてるでぇ。
ふつうは、一般的に、たとえば、「ず」を用いるところを、「づ」にしていたりね。
何か、本人としては、「旧仮名遣い」みたいなもののつもりで やってるようにも窺えるけど、残念ながら、文章全体が、いつも、どこかチグハグなので、単なる表面的、猿真似レベル。
まあ、私自身、自分なりの考えなどを優先して、学校や世間の通常は こう、という、標準的な用法を、敢えて、変えることも あるんだけれど。
そうでは なく、単純に、国語の基本が身についてないゆえに間違えてる人も よく見かける。
このテの人は、コトバと、その用法について全く考えることが ないままに、年齢を重ねてきて、自分の言いたいことを、とにかく垂れ流すように言えたらイイだけだから、義務教育レベルの国語は勿論のこと、論理的に積み上げる文章がサッパリ書けないまま、感情だけが先走り。
おまけに、たいがいは、横文字の類にも弱い。
覚えられないし、間違ったまま覚え込んでいることにも気づけないんだろうけど、代表的なのが、たとえば、「シュミレーション」とかねw
もう一つは、相変わらず、才能の片鱗も見えない、ひたすら下手くそで、長文なだけの「ポエム」投下w
いずれの例も、
これまた、あの『汚気・愚』常連に目立っていた異常傾向ww
やれやれ、『2ちゃんねる』やら『汚気・愚』やら、ありとあらゆるコメント投稿欄に出没しまくってたけど、
あれからン十年たっても、「ヤフゴミ捨て場」や『MSN』コメント欄に貼り付いとるわ(嗤)
相変わらずの、ドっひまバカ。
少なくとも、首から下だけは、ギンギンに元気なんだろ?
ふつうに「健常者」なんだろ?少なくとも、首から下だけはw
働けよwwちっとはマトモに。
それとも、なけなしの小遣い稼ぎに必死なのかな?www
そう言や、
『汚気・愚』のQAで、
「ふだん、話を する分には、ふつうに良い人なのに、仕事で やってる書き込みは、同一人物が書いたものとは思えないほどの、口汚い罵倒や酷い誹謗中傷なので、そのことで違和感が拭えず、悩んでいる」
というふうな内容の、とある会社員らしき会員の投稿を見たことが あるんだけど、
この話も、何年前にか、どこかの当ブログ エントリー内にて取りあげたことは ある。
そのQA投稿を見かけた当時は、疎い私には、なんとなく、直感的に、ひっかかるものを感じは したけれど、かと言って、
いったい何の話を しているのやら、ちっとも分からなかったのだが、
いまではハッキリ察している。
まさに『ダッピ』的「仕事」のことを言っていたのだな、と。
もう、20年近く前のことですよ。あれから、ずーっと続いてるんだわな(呆)
どうりで、
あの『汚気・愚』サイトも、そこからのスピンアウト的サイトだった『F■▲■▼』でも、『自民党』の支持者と言うか、『ヒットラー』や『ナチス』大好きウヨらが異様に跋扈してたわけよw
父親は、どこぞの暴力団員だけど、でも良い人なの♪などと言っていた、みずから「軽度知的障害者」だとも名乗っていた会員とか、
「女は産む機械」と言って、なにが悪い!と叫ぶ『■▼んこ』ババとかww
まあ、売れない小説家の成れの果ての売文稼業も、どこぞの私立大学のセンセイやってたとしても、食い詰めがちなのは現実だもんね。
いつまでもチョーシこいてたら、今度こそバラすぞ「カルト連」!(嗤)
2023.03.15 (Wed)
『【落とし穴】日本の養子制度』の続き。
というわけで、
親父の母方の伯母(のちの養母)は、戦前の まだ不便な時代に、千葉の片田舎から大阪までも、列車を乗り継ぎ乗り継ぎ、鼻の穴を真っ黒にして、よれよれクタクタの貧しい姿で、大都会『大阪』の どまんなかに大邸宅を構えていた妹の嫁ぎ先を訪ねてきて、まだ あかんぼうの親父を、ほとんど もぎ取るように、連れ帰って行ったという。
その頃は、三男坊だった親父だが、いまだ乳飲み子であり、自分よりも気の強い実姉に押し切られた ていで、あかんぼうを奪われた実祖母は、しばらくは泣いていたそうだが、
うちの母親の
「貧乏な末妹の息子よりも、大金持ちに嫁いだ妹の息子を養子にしたほうが、何かと有利に決まっとるからなぁ」
という、
冷静というか、いささか意地悪く穿った推測に対して、
親父は常に、断固、否定していたのだが、
たしかに、私の母親が言うとおりだとしたならば、もらわれていった親父が、貧乏な伯母の家で、終始、何かにつけて不自由したまま、進学の希望も叶えられなかったという理由が分からない。
最初から経緯や事情を熟知している叔母たち親戚も身近に いるわけで、
ほんとうは、実の子じゃないんだよと、こっそり遠まわしに伝えてくる者も いたそうだが、当の親父は、なぜか、気にしたことが ないらしい。
ただ、そんな親父が言うには、
養母は、大阪の生家に対し、千葉へ連れて帰った子のことで、経済的援助を乞うなどのことだけは、頑として やらなかったのだと。
そうこうしているうちに、養母が病没し、やがて、大阪の実父も病没。
双方とも若死に。
親父は、まだ小学生にも かかわらず、友だちと遊びたいのもガマンして、
毎日、残された養父のための買物を して回り(昔の田舎だから、すごく不便)、つたないながらも食事を作り、
小学生の男の子が拵えた、その食事が みすぼらしい、マズイ、なんだコレは!と、
養父に文句を言われては、お膳を引っ繰り返され、殴られる日々。
学校一の優等生なのに、疲れ果てて、宿題すら できかねるし、進学の希望を一蹴されるに決まっている状況のなかで考え詰め、
あの時代、出世する可能性を最も狙えた士官学校に志願し、合格して入学したわけだが(県内では、合格した者は僅か数人しか いなかったらしい)、
とりあえず跡取りの一人息子だからということで、戦地には出されずに済み、近衛連隊の青年将校として、『天皇』や その一族の護衛として、宮城に詰めたりしていたわけ。
親父の実の兄たち二人は、その下に、まだ末弟が いるからというわけでか、応召後、戦地に配属された。
で、二人とも、相次いで戦死してしまった。
本来なら三男坊である親父に、生家を継ぐ役割が降ってきたはずなんだけど、幸か不幸か、養子に出ていたため、言わば、命拾いしたようなもんなのである。
私としては、
うちの親父こそは、戦死が確実な激戦の前線へと配属されるべきだったのに、チッ!
と思ってきたw
で、
田舎者にしては、なかなか ととのった容姿だったという親父の養母はシッカリ者で、実の妹ながら、似ても似つかぬ猿顔の、ちゃっかりタイプだった実母以上に、キッツイ性格だったそうですw
うちの息子にしたいと つよく望んで、実妹から奪い去るように迎えた甥である親父に、けっして、愛情がないわけでは なかっただろうけど、
躾が厳しいというよりも、ほとんど虐待に近いというので、それを見ていた末妹の息子(親父の従兄弟)たちは、自分たちに お鉢が回ってこなかったことを安堵していたというくらい、ヒステリックで、キツかったらしい。
いつも、こめかみに、頭痛よけの膏薬を貼っていたそうな。
それらの話は、私の母親が、法事などで、親父の田舎へ一緒に出向いて行ったおりに、そのイトコたちなどから聞いたと言っていた。
それでも、当の親父自身は、養父のことは憎んでいても、伯母である養母のことだけは断固として庇っていた。
私自身の母親も気性が激しかったし、大らかという以上に、だらしない面とともに、たいがいキツイ面も あったから、
「もし、おとうさんの母親と、うちの おかあさんが、ふつうに嫁姑で暮らしてたとしたらサ、毎日毎日、『□▼子さん!!(←うちの母親の名前w)なんですコレは!?』って、すごい剣幕で、お互いに衝突し合ったやろなあ」
と、私が言ったら、さすがの親父も、
「そうだな」
と、認めて苦笑していた。
これも、ちょっと今、思い出したんだけど、
私がハイティーンの頃に、生まれたときから可愛がってくれていた、もともとは母親の知人である夫妻が、ある晩に訪ねてきて、早速、毎度のように、にぎやかな酒盛りが始まった。
おじさんのほうは、飲み進むにつれて、ますますキゲンが良くなり、饒舌になって、若い頃の下積みや苦労話のなかで、たいへんな重労働にも耐えてきたことなどを誇らしげに披露しながら、こう言い切った。
「そういう仕事を やり遂げてきて、結果、いま、ワシが思うに、世のなかに、重労働というものは ないんだ!と」
このように宣言した。
横に座った私が、おみやげに もらったチョコレートを齧ったりしつつ、耳を傾けていると、
杯の手を しばし止めた親父は、ポツリと、こう言った。
「ま、そもそも重労働とは何か?ってことだな」
と。
けっこう哲学的な返しでしょ?(笑)
そんな親父の愛読書の一つは、
『山本五十六』に並んで『どんと来い!税務署』www
(ごじゅうろく、ってwヘンな名前!と言って、「いそろく、と読むんだよ、偉い人なんだぞ」と、諌められた私w)、
ちなみに、
おじさんは、肉体労働を中心に頑張って生き抜いた人だけど、
親父は、まあ、曲がりなりにも、いちおう頭脳労働者だった。
うちの両親と、おじさん・おばさん夫妻は、全員、1920年代から1930年代の生まれである。
つまり、戦前に生まれ、戦中に育ち、あるいは親父のように、ごく若くして軍隊に入り、敗戦後は「高度経済成長期」時代に、ばりばり働いてきた。
もちろん、じゅうぶんに報われたとは限らない。
むしろ逆のことも多かったろう。
親父なんかは、幾つかの中小・零細を相手の企業経理やってたから、経営者と、その会社の内実と問題を、経営者たる本人以上に、つぶさに知ってるわけだから、自分の報酬を、もっと上げてくれとは言いにくいどころか、いちばん後回しだし、
同時に、
個人経営者と、その一族が、税務署の追及を かわす裏で、どんだけの狡い、だらしないことを やってるかも知っているから、不本意ながらも、それを手伝ってる立場であり、ものすごい苛立ちや葛藤も あったんだろうと思う。
クライアントのなかの、とある同族企業の社長とは(『芦屋』育ち、フランスの混血ボンボンです)、税務署を上手いこと やり過ごしたことの祝いに(?)wお酒を酌み交わしている途中、経営状況のことを話し合ううちに、いつしか、どつき合いの大ゲンカとなり、翌朝、親父の顔を見たら、大きなタン瘤が できていたという話も、過去エントリーで述べたことが あったけど、たしか、あのゴーンさん逃亡事件のときだったかな。
てなわけで、
これが大企業だと、さぞかし、、、推して知るべき、ってとこですかな?
まあ、大企業クラスを担当する経理マンともなれば、うちの親父どころでない、大規模な誤魔化しや法の抜け道もガシガシ利用してるんだろうかねえw
母親から聞いてたけど、
「決算期に入るとな、おとうさんの体重、ガタッと減るんや」
と。
だからか、この時期は、親父のために、乏しい家計のなかから、お刺身や肉料理を精いっぱい並べていたのを憶えている。
さて、それでね、ここからが、私の推測、憶測なんだけど。
実祖父は、そもそも、親父の伯母のほうに一目惚れだったのだというでしょ。
それを、妹でガマンしてwご対面、そして、泣きながら結婚(爆)
それでも、子どもは順調にズラズラと生まれた。
それが、世の男女の現実よねw
で、
甲斐性のない男と結婚した分を、女房である自分の細腕で稼ぎつつ(結い髪とか縫物とか、とくに習ったわけでもないのに、いろいろと器用で、田舎の女性には珍しく、技術を持っていたそうだ)、
親父を もらう前に、ある女の子を一人、一時は養女として迎え入れていたらしいんだけど、何の事情が生じたのか、結局は戻したという。
ちなみに、
親父は、だいぶ後年になってから、その女の子の消息を知る機会が あって、それ以来、「あねさん」と呼んで、交流を続けていたようだ。
昔の女性にとっては屈辱的で、ほとんど致命的なほどのことだったという。
けれど、自分には、実の子は一人も できない。
言ってしまえば、姉である自分の身代わりとして嫁いだ、ブサイクな妹は、まさに「棚から牡丹餅」だ。
都会の お屋敷住まいで、子どももスムーズに何人も生まれている。
かつて、あれほど、自分に一目惚れした男との。
2023.03.15 (Wed)
大昔から、特に『中国』を中心に、アジアに おいては、「子どもは財産」という基本感覚が あると聞いていた。中国や朝鮮、もちろん、日本に おいても、「養子」という現象は、身分の高低を問わず多かったとも聞いている。
敗戦後、逃げ惑う日本人たちの子どもを、積極的に引き取った中国人の養父母が多かったことも知られている。
共通していることの一つは、やはり、労働力の補充という意味が大きく理由だったであろうし、殊のほか、「家」意識が つよいゆえでもあった。
一個の家のみでなく、地域・組織の存続のためも、また、現代のように、一人だけでも生活が可能なほど、便利でなかったことも大きいだろう。何事も手分けして しのぐための人手が多く必要だった。
近頃、大騒動となった(旧)『統一教会』の教義になっていたのかどうか、私は詳しくは知らないけど、
べつに必要もなさそうなのに、信者の家庭間で、子どもを やり取りすることも奨励してきたということが明るみに出て、問題になっているようだ。
ところで、
最近、読んだ記事は、日本国に おける「養子」制度の長く根深い問題を取りあげている内容で、読みながら、いろいろのこと、あれや これやを想起していた。
わが大阪出身の、著名な学者であり、弟子にして同性のパートナーが いた折口信夫(釈迢空)氏は、最愛のパートナーが、徴兵の事態に直面し、いまこそ、彼に対する責任を取ってやらねば!と思い詰めて、この藤井(折口)春洋氏を、自分の「養子」ということにした。応召されていた春洋氏は、戦地で斃れ、折口氏は、みずからも亡くなったあとに、深く愛した春洋氏と二人で眠るべく設けておいた『父子墓』のことでも知られている。
しのぶと はるみ。(偶然とは言え、どっちも女の子みたいな名前ね 笑)
…
養子と言えば、
うちの親父は、母方の貧乏な伯母の所帯へ養子に迎えられと言うよりも、連れて行かれたというのが実態だったらしいのだが、このあたりの事情も、当ブログの ところどころで、おりに触れて述べてきているので、少し知っている読者さんたちも おられるかもしれないが、
もともと、親父のほうの実家は、非常に裕福で、先祖代々、『兵庫』県内の片隅のとは言え、武家による治世、「藩」の時代には最高位クラスの家柄だったので、その末裔たる、親父の実父すなわち私の実祖父は、当時の運輸系官僚に相当する身分となり、後年、実の息子である親父が生育することになった『千葉』県内へと、ある大掛かりな公共事業の指揮・監督者として出向くことになった。
まだ若く、独身の青年官僚だった実祖父は、初めて赴く土地で、自分と国家の輝かしい未来と将来性を賭ける気分で張りきっても いたことだろう。
あるとき、赴任した現地にて、経緯は知らないが、何かの切っ掛けで、とある若い女性と出会い、たちまち一目惚れしたという。
その女性が、後年、親父の伯母であり養母となるわけだが、
実祖父が、ひどく残念がったには、彼女には、すでに亭主が あったので、しかたなく諦め、その代わりに、彼女に妹が いるということを聞きつけ、あいだに入ってくれる人に、ぜひとも、その妹さんを紹介してくれろと、いっしょうけんめい頼み込んで、希望は叶い、
なにしろ一目惚れした女性の、血を分けた妹なのだから、期待どおりの別嬪に違いないと喜び、昔は、よく あったことだそうだが、多忙のせいも あったのだろう、さて結婚式に臨む当日になって、初めて、ご対面となった。
花嫁の顔を見たとたん、
花婿である実祖父は、しくしくと泣きだし、
式の始めから終わるまで、さめざめと泣き通したというのだ(苦笑)
ここで、テキトーな替え歌を どうぞ♪
(名曲『花嫁人形』のメロディでネw)
〽羽織袴に威儀ただしつつ
〽花婿どのは、なぜ泣くのだろ
…
後年、一代で のし上げた企業経営者となりながら、働き盛りの年齢で亡くなってしまった、親父の実父とは異なり、
未亡人となってのちも、並はずれて長生きした、若かった実父にとっては想定外の「猿顔」だったらしいw実母の葬儀のおり、
生家の兄弟姉妹たちとの会食の席にて、
身内のなかでは、よく知られているらしい、かつて、彼らの両親の婚姻の席で起こった、あの哀しい涙の出来事を持ち出して、ウハハ♪と、
うちの親父一人が大笑いしてみせた。
そのことに激昂した、実の姉妹たちが口々に、
「◇■ちゃん!!(←親父の愛称)あんたは、自分だけ千葉に養子に出されて、この家で育ってないからって、それでも、あんたにとっても、産みの母親やんか!実の母親を、よりによって、葬式の日に笑い者にするなんて、あんまり酷いやないの!!」
このように責められたことを、帰宅した親父は、私ら家族の前でも再び笑いながら披露していたのだが、
母方の伯母の所帯へ養子に行った経緯について、親父の女房である私の母親はと言うと、
まず、私の実祖父が、非常に裕福であったことから、
そこのところで、なにがしかは含んでいたに違いないと、
いささか冷たい視線で憶測していた。
うちの母親は、親父との不倫で産んだ私を連れて、いまで言うデキ婚・略奪婚みたいな経緯だったせいもあり、親父の実母からも白眼視されていて、いっさいの交流が なかったし、私自身は、ごく幼かったので、そのへんは何も覚えていないのだが、いちおう孫娘の一人に違いない私に対しても、親父の先妻の子らとは全く異なった態度で、冷たい対応だったのだという。
そんなわけで、
私の母親にしてみれば、プライドを いたく踏み躙られて、おもしろくない姑だったのだろうが、
私にとっては、ついに一度も会ったことがない、顔も知らないので、実の祖母とは言え、ほとんど他人も同然、冷たく あしらわれた、などという話を聞いたところで、べつだん、腹も立たないどころか、無関心なままである。
息子である親父にとっても、閉口する実母だったそうで、
戦後、例の「掛け算事件(または、タテヨコ事件w)」で、進駐軍の兵士と大ゲンカしたあげくに、職を退き、
当初は、千葉で結婚していた先妻と子ら、ならびに、ほどなくして亡くなることになる養父を置いたまま、自分だけが、実父亡き後、もはや没落してしまった生家が残っている大阪へ出てきて、とりあえずの仕事と居を定めようとしていた頃、
さしあたって仕事の世話を確実に頼めそうな、これも会社を経営していた、姉の夫に向かって、
この息子(←うちの親父)は有名大学を卒業しているだの、国家資格を持っているだの何だのと、自分の手を離れて育った息子の再就職をば有利にせんものと気負ってか、さんざんにホラを吹いたもんだから、
なんとか就職できた後も、30歳代にして、小学生に混じって、そろばん塾へ通ったという親父は、実母のホラの おかげで、恥を掻き、よけいな苦労を させられたと、これまた恨んでいた。
私は、
うちの母親が亡くなってから、実家に通っては食事を作り、食後の親父の繰り言や思い出話の相手をしている頃に、あるとき、ふと、
「せやけど、千葉のほうの、おとうさんの母方って、三人姉妹やねんから、わざわざ、遠い大阪へ嫁いだ真ん中の妹の息子やなくても、自分の地元で結婚した末の妹の息子が何人も近所に いたんやし、そっちから養子を もらったほうが、よっぽど早かったんと違う?」
と、疑問を差し向けた。
すると、親父は、しばしキョトンとしたあとで、
「あっ、、、そう言や そうだな!」
「おふくろ、なんで、わざわざ大阪まで、俺を引き取りに来たんだろう?」
「俺、おまえに言われるまで、ちっとも考えたことなかったわ」
と、首を捻りつつ言っていた。
(結局、見るからに俺が可愛かったからだろう!ということにして、一人で納得していたw)
あらためて考えてみるとフシギだ。
出産できない身体となったり、自身で産んだ子を持つことの できない人生だったのは、私の母方の叔母が そうだったし、親父の養母であり実の伯母が そうだった。
親父は、生家に おいては三男坊、養家に おいては跡取りである一人息子。
出産できず、子を持つことが なかった私自身も、親父にとっては三女なのだが、両親の あいだでは、一人娘でもある。
こういうこと、多いんですわ、うちの身内は。
【続く】