2015.11.10 (Tue)
さすがに、ポリシーであるナチス称揚やら軍事独裁賛美、安倍ぽちネトウヨの「カルト連」らしいコメントで、あのアラシ野郎だなと睨んできた私の確信は、いよいよ深まったw
この、一種詭弁的コメントの本音は要するに、軍人、軍事政権、老獪な独裁者側をこそ賛美したいのだということに気づく人が、どれだけ いるかなあ?
それに、本当は、スーチーさんのような女性に反感持ってるんだよねえ、このテのオッサンはww
『<ミャンマー総選挙>スーチー氏野党「勝利」 与党敗北宣言』
毎日新聞 11月9日(月)22時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151109-00000110-mai-asia
『ミャンマー与党党首を解任、テイン・セイン大統領が介入 党内で対立』
2015年08月13日 15:36 発信地:ヤンゴン/ミクロネシア
http://www.afpbb.com/articles/-/3057265
軍事独裁政権が早手回しにて、あらかじめ、スーチーさんが大統領には就けない法を拵えてしまっていたことも知らずか、このコメントに賛同している他のネトウヨ投稿者が また、
彼女の父親と夫を取り違えていたほどのド外れた無知なマヌケときてる。ま、こんなもんだ。
それと、
「理念が立派過ぎ」るから失敗する云々とかホザいてるバカ。
立派でない理念なんか、世のなかの どこにあるってんだ。そもそも必要あるかよ、立派でない理念なんてものがw
人間は、やすきに流れがちだからね、
理念くらいは立派過ぎるくらいでなくっちゃ、どうすんだよ。
あと、「民主党みたいに」云々ってな。
ばーか。関係ねえわ。
いいかげん苛々するから黙ってくんないかな、こいつらは。
まったく、いまどき、大学や大学院まで出てて珍しくもない「成熟」国家、日本だとよw
インターネットというものが普及していなかった頃には、世論の動向は、大手メディアや有名識者といった、いわゆるオピニオン リーダーの見識や良識にかかっていたし、
そのもっと前の時代には、経済力に恵まれている男性だけが、選挙参加を許されていて、特に、子女の教育に初期段階から直接関与する多くの女性の学識は低く、と言うか、
そもそもが男女共に、まともに文字すら読めない、したがって、論理的、科学的、合理的思考の訓練や涵養にも不十分なままの一般国民多数、それが、当時の支配層に真っ向から異議申し立てする手段も能力にも乏しかった大きな要因だったろう。
ところが、どうしたことか、
ネットに溢れかえっているコメントの多くが、無知かつ愚劣極まる体たらくと きている。
ほんとに、大学出てるのかぁ?と疑わしいほどの。
勉強や知識の収集なしに、ものごとの道理がスンナリ分かる人は、ほんものの優秀な人だが、
ひとえに無知ゆえの愚劣ならば、そりゃあ、凡人として、真面目に、コツコツ勉強せねばならないだろうが、
勉強して勉強して、それでも愚劣なら、どうしようもないわな。
庶民層に関しては無関心で酷薄、
自分の欠点や弱点、間違いを容赦なく批判する対象には、あからさまな憎悪を見せるという、政治家失格な安倍朕と、その政権も、これについては自覚するのも認めるのも、さすがに憚っているのだろうが、当ブログで何度か指摘してきたように、深層心理では、日本国民を憎んでいるのよ。ただし、庶民については大部分、侮蔑ねw
ヘーゲルのヘの字も知らないであろう安倍朕らが「愛している」対象は、「国家」という名の付いた形式・入れ物に過ぎない。
で、
くだんの「半島系」云々との自己申告を述べる「ヤフコメ」常連が、本当のところ何国人なのかは知らないが、
少なくとも、「媚日」姿勢であるにも かかわらず、心底で日本国民を憎悪しているのだなということは感じ取れる。いや、人類そのものを、なのかもしれないな。
安倍朕に同じくで、民主主義についてもだ。
こうした者らが、ネットを利用することで、過去の時代には なかったほどの直接的悪影響を、老若男女を問わず一般民衆に広範囲に及ぼしてる。
もちろん、代表格は「自民党ネトサポ」、
ならびに『日本会議』その他の偏向著しい団体組織の活動だ。
再び三たびのプリスクで示したごとき、こんな尤もらしい詭弁の真意を見抜けない民衆が増えると、確実に、歪を招く。
国でも世界情勢でも、誤った道を辿らせる水面下の原因だ。
どうやら目的を持っていると思しき、その「憎悪」の原因が、本当に国籍絡みなのか、実は全然、違うところに由来しているのかは、こちとらには さだかに分からないが、
つまり、
こともあろうに、現代日本の為政者しかも首相に、しかもしかも返り咲いてしまってるのが、何かの悪夢としか思えない安倍朕と同様の潜在心理だということさ。
さて、苦節何十年を乗り越えて、スーチーさんが勝利の日を迎えた。
もちろん、彼女は、その国の歴史に名を刻むほどのエリートの地位にあった人の子女、国外での留学経験等、ミャンマーにおいては殊の外、男女を超えて恵まれた立場の人には違いないだろう。
それだけに、こういった立場の人ほど、自分自身の直接的経験から学んだ以上の想像力と洞察力が要請される。
たしかに、国政に携わる政治家としての実務手腕は、ほぼ未知数と言っても過言ではないだろう。
遠国の一外国人に過ぎない私にも、お手並み拝見という興味津々的な気分も少々混じる。
ミャンマーも また、中国とは切っても切れないほど、歴史上も民族的にも縁の深い相手だし、この影響の扱いには苦慮することだろう。
現大統領であるテイン・セイン氏自身も、容貌で容易に察しがつくように、中華系の血筋だという。貧しい階層の出身だというから、その点では、スーチーさんよりも、世間的な苦労を よく知っているだろう。
インドネシアに同様なところがあるのか、いかにも発展途上国らしいというか、公的な面でさえ、迷信のような習慣を、いまだに排除できない傾向も大きいらしい。
類稀なカリスマ性を備えているとは言え、そのカリスマ性と取引するかのように、現テイン・セイン政権との妥協的協力を経たうえで、
齢70となって、やっと、本番のスタート地点に辿り着いた彼女の今後、
恐らくは、政治生命として残されている寿命は、あまり豊かとは言い難いし、むしろ、彼女の意志を息長く体現できる能力を持つ後継者を、未定であるなら、できるだけ すみやかに探しながら、という道になるだろうとも思われる。
ただただ、ミャンマー国民の将来、庶民の未来に幸あれかし。どこの国でも そうだ。
2015.11.08 (Sun)
『女性を彩る「きらめき」の影、雲母採取の児童労働 インド』
AFPBB News 2015/11/2
「安倍朕持ち上げ連」ときたら、自民党擁護ならびに韓国、中国罵倒コメントを大量に つけることには熱心なのに、それ以外のはサッパリ、というのがアカラサマ(嗤)
よりによって、この「経済大国」たる日本において、
子どもたちの貧困と連鎖問題が悪化の兆しを見せてきているというに、安倍政府・自民党は、何やら、寄付を募ってるらしいのだが、
安倍朕にも自民党にも「持ち上げ連」にも、まったく関心がない私は、彼らが何を言おうと、露ほどの興味も湧かない。
ところで、旧のブログでも書いただろうか、
母の話では、私は、幼い頃に一度でも与えられた本を、繰り返し繰り返し飽きもせず読み続ける特徴のある子どもだったという。
そんな私が親しんだ、かずかずの童話のなかで、いまだに鮮明なイメージ、鮮烈な印象のまま残っているものが、洋の東西を問わず幾つか ある。
ことに、『幸福の王子』にせよ『大男の庭』にせよ、いずれも、あのワイルドの作品であるということを、ハイティーンから20歳代あたりにもなって初めて知り、ああ、そうだったのかと、妙に納得して頷いたものだ。
というのは、
的確に表現するためのコトバも知らぬまま、幼心に、『幸福の王子』や『大男の庭』に出没する、いたいけで清らかな少年の姿に極度に凝縮された、ある「耽美」の匂いを、これらの作品から、敏感に嗅ぎ取り、訝しさと、微かな嫌悪すらも感じていたからだが、
それでも、
『幸福の王子』の最終場面で、雲の上の神さまが天使に命じ、
「この世で最も尊いものが、あそこに二つ ある。あれを拾ってきなさい」
と言った、このコトバに、いたく感じ入った記憶が ある。
『若い王さま』という作品も あった。
これまたワイルド作品であったことを、つい最近、知ったばかりで、些か驚いたのだが、この作品も、幼い私には、非常に印象に残っていた。
先に挙げた2作品と比べれば、耽美どうこう言うよりも、もっとミステリアスな雰囲気が迫ってきて、夜の悪夢のなかに繰り広げられる場面が醸し出すせいか、なんとも言えない不安感と同時に、この世の隠されたところにある厳しい現実というものがあることを、幼いながらに理解した覚えが ある。
こう思い返すと、
クリスチャン家庭で育ったわけでもなく、キリスト教に さしたる共感が あるわけでもない私の幼少時、特に記憶に残っていた童話の類には、少なからぬキリスト教の影響を秘めたものが多くあったことに、自分でも意外さを感じる。
そういえば、絵画でも、ご近所の おうちにて、ミレーの『晩鐘』の複製画あるいはタペストリーの類か何かを見るたびに、なぜか気になって気になって、母に、この絵の意味はと、頻りに尋ねたことを憶えている。
もっとも、母自身、その方面の教養が なかったので、いまにして思えば、そうとうデタラメを言っていたのだなということは分かる(笑)
まあ、ごく一般的・表層的な意味では、あたらずとも、、、といった程度のデタラメで済んではいるが。
ちなみに、この絵のテーマは、背景の夕空を舞う鴉たちの姿からも察せられる意味が あるように、多分に作者自身の来し方・生活感情を しのばせてあり、単なる感謝のための祈りといったものではないのだそうな。
まあ、私ていどのシロウトでも、男性の傍らにある農具や、女性の足もとの籠が、何を意味しているかは、容易に汲みとれる。後ろの手押し車に載っている袋状のものは、私には、ベッドの枕に見えなくもないのだが、乳母車あるいは人生を運ぶ車を象徴しているようにも思える。
つまりは「メメント・モリ」というところだろうか、総じて、生死ということが、この絵に込められた真の意味だということだ。
それに胸打たれていたように思う。
ちなみのちなみに、
学生時代、友人と共に、美術館にて、来日していたミレー作品を、間近に鑑賞する機会があったのだが、
その絵のなかの、畑作業を している農夫が、突然、動き出した幻視に一瞬おそわれ、思わず、叫び声が出そうになった。
おそらく、寝不足のせいだったのだろうと思っては いるが、
別のときにも、
たとえば、テレビの画面に映し出されたベックリンの絵のなかの船上の人物が動いているのを感じたことがあり、このときは、べつに寝不足でも なく、しかも、わりと長い間隔だったことから、最初のうちは、これは絵画ではなくて、実写か何かの場面なのかと思いかけたほどだ。
他には、動物が登場する話に特に弱くて、月に上げられた兎の話や、『因幡の白兎』の話にも、胸を痛めた。
私の こういった点は、小学校低学年時分の担任にも、通知簿の所見欄で、わざわざ指摘されていたほどなので、傍目にも明らかな傾向だったようだ。
むかし、亡母の語っていた思い出話の一つに、義理の母親で、家庭的に苦労したせいか、母自身は『マッチ売りの少女』を読んだとき、可哀そうで可哀そうで、涙に くれたということを言っていたが、
私には、この話のなかで、主人公の少女が、優しかった祖母との楽しい ひとときを、最後の幻影のなかにせよ味わい、微笑みつつ死んでいったのだから、まだしも救いがあるじゃないかと思えなくもなかった、
その反面で、
さしづめ『フランダースの犬』のパトラッシュは、人間たちの勝手つごうと巻き添えのせいで、酷い空腹を強いられたまま死んでいったというのだから、もっと可哀そうだとさえ考えていた。
要するに、人間のほうに対して、わりと冷たい(苦笑)
このような、童話の類型による心理学的考察を、どこかの専門家筋が、ズバリ『フランダースの犬』を用いて提唱していたような記憶があるのだが、その ずーっと前から、私自身、「『フランダースの犬』型」云々と考察していたものだから、やっぱりな、と思ったことがある。
「ルーベンス」という大画家の名前も、『フランダースの犬』によって初めて知った。とても印象的だったものの、話のなかで、そのルーベンスによる聖なる祭壇画を直接に見ることは できないのだから、その分、想像が掻き立てられ、どんなに すばらしく、もの凄い絵なのだろうかと、子ども心に思ったものだ。
でも、ルーベンス、こんな絵も残してる(笑)
えらく若い後妻さんだそうな。
『小さな毛皮さん』
2015.11.08 (Sun)
『移民受け入れ検討を=河野行革相』
時事通信 11月7日(土)20時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151107-00000106-jij-pol
この記事にも、例の「カルト連」が相変わらず、ハンドルだけ とっかえひっかえの自作自演だか仲間どうしの八百長だか知らないけど、
あの『OKウェイヴ・おしえてgoo』から、「移民」さながら引っ越してきて、ああだ こうだと飽きもせずに やっとるw
中国人はダメ、イヤ朝鮮人は云々と、的外れなことをギャースカ喚いてる。
まじ、バカじゃなかろうか。
(言ってることが本当かどうか怪しい こやつも「カルト連」のナリスマシと睨んでいるのだが、この視野の狭さ、むだなケッペキぶりの無自覚さ、
それでも自分は、ものごと よく分かってると自負しているらしい思い込みの激しさといった「カルト連」の特徴が、いやがうえにも、私に、嫌悪感を催させるw)「自分も半島系もと在日です」あたりが、またぞろホザいてるもんだから、こりゃまた鼻白む。
同時に、
他にも、だいぶ以前に見かけて、こやつも「カルト連」の誰それの別ハンだな、と指摘しておいたときとは、文体がゴロッと変わってるやからが、この記事のコメントに しゃしゃり出てきてるように、最近、またチョロチョロしてるけど、これも毎度のパターン。
OKウェイヴ・おしえてgooに居たときも、このような同じケッタイな現象を平気で起こすもんだから、あっちのサイトでも、他の会員から、たびたび不審がられていたもんだ。
「汚気愚」に居付いてるだけじゃ飽き足らないのかねえ。
せっかく、「汚気愚」を見限り、やれやれ、これで、あの醜悪な連中を見なくて済むわと思ってたのに、ほんと目障り。
とっとと消えてくんないかねえ
必ずしも当該サイトからでなくても、どこぞのウヨ系団体からの報酬でも受け取って、ヒモ暮らしなオッサンとか売れない「売文屋」あたりが、なけなしの稼ぎにしてるのかなと勘繰りたくもなるほど、いやにコメ投稿熱心なのよw
あの異様な長文かつ また夥しい投稿連発数の凄まじさは、、、なんぞ、やばいクスリでも やってるとしか思えん。
アマぐあっぱらにも、たまりかねて、
「おたく、いったい、いつ寝てるの?」
と言ってやったものだがw
ヨメや悪さ仲間が医療関係者とか「ホメオパシー」信者とかいうからには、やばいクスリの類も入手し易いルートがあるのかもしれないねww
ま、もしも、それが事実だったら、いずれ、手が後ろに、、、ってことだな。
さて、
移民については、旧のブログでも言ったんだけれど、
なかば冗談だが、
いっそのこと、世界じゅうに日々溢れている捨て子や孤児たちを、日本国として引き取り、全くの日本人として立派に育て上げたらいいと。
国際的にも、歓迎されるんじゃないかしら。
アメリカみたいに、なんだかんだ言って底力のある国、画期的なものを次々産み出す先進性というのは、どうも、「人種の坩堝」的な国のほうが大きいような印象もあるし。
もちろん、タテマエだけじゃなしに、チャンスは平等にしてこそだ。
移民の問題については、まず指摘されるところの、宗教が文化が言語が生活習慣がといったことのトラブルは、年齢を重ねてしまっているほどに、いわゆるアイデンティティが出来上がっていて、解決困難になりがちなのだろうから、
できるだけ幼いうちに、日本のなかで、掛け値なしの日本人として養育すれば、これらの問題点は、だいたいクリアできるのではと思うのよ。
もっとも、肌の色やら目の色の違いやらは どうしようもないし、
あるていど大きくなれば、本人自身が、ルーツや出自のことで悩む時期も来るかもしれないけど。
そこを、逞しく乗り越えさせるだけの養育能力、温かさ、受容性、公平性などが、はたして日本と、その国民に持ち得てあるのかどうか、これは、私も、あまり太鼓判押せるほどの自信はないのがネック。
さておき、
移民と言えど、あくまで自国が基本で、稼ぐだけ稼いで、いつかの日には帰国するつもりでいるのならば、物価や貨幣価値の、本国との大差があったればこそだろうが、
そりゃあ、パターナリズムに安閑としておれる平々凡々な日本人ほどには おとなしくもないでしょうし、いまどきの日本人よりも、ずっと忍耐強くて、苦労多い国出身だけに、ど根性ある者が少なくないというし、気性の激しい民族出身ともなれば、暴動くらい起こすかもw
日本で生活し続け、最後は、この国に骨を埋めるくらいの覚悟で移ってくるのであるなら、最低限でも、平均的日本人のレベルで生活できるように施策しておくのでなければ。
(追記)
つまりは結局、日本国民自身の、特に中間層以下の経済・生活レベルを全体的に底上げしておかないと、ここからも鬱屈が積み重なり、今度は移民層に対する不満や怒りが溢れてくるということになり得る。昨今の「弱者叩き」を見ていたら容易に予想できることだ。
これも、移民との衝突の大きな要因になってしまうだろう。
どう転ぼうと、確実に言えることは、
受け入れ国側、移民側いずれにせよ、自分たち側の目先の利益のみを目論んで、いかに相手を利用できるかだけを考えていたら、いずれ衝突するのはアタリマエだ。
双方にとって不幸せとならないようにするのでなければね。
2015.11.08 (Sun)
『「尖閣」問題と「中国脅威」論【2】-4』
の続き。
【旧ブログの記録より】
・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
うーん、あとからできた「大陸棚についての規則」という解釈を、どう適用するか、しないかってのが問題?
~
正当な根拠の有無にかかわらず、中国が尖閣は自国の領土だと主張し、両国政府間で合意ができていない以上、何らかの合意なり調停なりが成立しない限り、その地域は不安定な状態に置かれ、紛争の火種となり続ける。本来はこうした領土問題の調停の場として国際司法裁判所があるが、日本は「領土問題は存在しない」という立場なので、調停には後ろ向きだし、もう一方の中国は、そもそも国際司法裁判所の強制管轄権を認めていない。
唯一の超大国である米国は、この問題は日中間の問題として、あくまで静観の立場をとっているため、第三国による調停も期待ができない。となると結論としては、中国が尖閣の領有権を主張する限り、日本は実効支配を続ける、つまりこれまで通り海上保安庁などを使って領海や領域の侵犯を排除し続けることで、いずれ中国側が諦めるなり方針を転換するのを待つしかないというのが、横田氏の考えだ。
~
具体的には、仮に船長を釈放するのであれば、検察、外務省などの意見を踏まえて、最終的には政府が、良好な日中関係を保つために釈放を決定した形にすべきであったと横田氏は言う。その場合、法務大臣の検察に対する指揮権の発動が必要になるが、「良好な日中関係を保つために」は十分に指揮権発動の根拠となりうる。そうしておけば今回の衝突事件は、日本が尖閣領域での主権、つまり実効支配の継続を証明しながら、その一方で、対中関係にも十分配慮している姿勢を見せられる好機となり得たのではないかと、横田氏は残念がる。
釈放の最終判断は政府がすべきだった
今回の事件が起きたのは日本の領海なので、日本が拿捕したことは正当といえますが、日本はこれまで、あえてそのような対応をしてきませんでした。それを日本がしたので、中国側は危機感を持った、あるいは怒ったというような表現が使われています。法律的には正当な行為をこれまで日本がせず、してみたら中国が怒ってしまったというのは、国際法の観点からはどのように理解すれば良いのでしょうか。
~
中国が怒る・怒らないというのは感情的な問題ですが、中国が注文を付けてきた基礎は、尖閣諸島は中国の領域であり、その近海で日本の巡視船が中国の漁船に停船命令をし、拿捕しようとした行為自体が、中国の主権侵害だと主張しているように見えます。
~
しかし尖閣諸島は完全に日本の領土ですから、当然日本の主権行使ができます。そこでは、日本は主権行使をしなければいけないし、し続けなければいけません。そうしないと実効支配をしていないことになります。そうすると、今回の釈放が実効支配を放棄したことになるかどうかということが、ポイントになります。
~
釈放が問題になる可能性があるわけですね。
~
しかし、こちらの理解ではそうはなりません。日本政府は、那覇地方検察庁の判断だという言い方をしていますが、日本の刑事訴訟法の規定に従って、起訴便宜主義、つまり、検察は起訴することもできるし、色々なことを考慮して起訴しないこともできることになっています。実際今回は、起訴しませんでした。起訴せず、退去強制としました。この退去強制手続きも全部、日本の国内法にしたがってやっているわけです。日本の国内法の枠内で全部行った以上、日本の主権は全部行使されているということになります。
~
起訴便宜主義ですけれども、那覇地検が日中関係を考えて釈放したと言ったことが一部では問題になっています。
~
日本の国内法上の問題なので、中国との関係での問題は出てきませんが、日本の国内で見ると、必ずしも適切な処理ではなかったと思います。その理由は、日本では外交は外務省が一元的に処理しています。この問題は、那覇地検が「日中間の関係を考慮して」と言っていますね。これを考慮するのは、検察ではなくて外務省です。検察がやったとしても、最終的には外務省が決めることです。外務省ということは、最終的には政府です。
~
それが今回の場合、「政府は政治的な判断をしないで、検察側の判断を了とした」と、こういう官房長官の説明ですね。そこのところ、私にはすっきりしません。本当は、やはり政治的な判断をするのは、政府でなければいけません。外務省が外交上のことを配慮して、政府がそれを考慮して、釈放を決めるということを、しなければいけないです。
~
政治が決めるということは、結局は「法務省の指揮権」ということにならざるをえませんね。指揮権というかたちで検察に、今回は起訴はしないと決めたと言えばすっきりするし、責任もはっきりします。
~
指揮権発動というのは、戦後1回しかなかったので、きわめて重大な決断になりますが、私は今回の事件はそれくらいの重要性をもった、日中関係にかかわる重要な問題だと考えます。
~
今後の日中の良好な関係を考慮して、めったに行使しない指揮権を行使したということは、外交上、中国に対する非常に良いメッセージにもなります。私はむしろ、それをした方が日中関係にも良かったのではないかという考えを持っています。
(文字強調部分は、当ブログ主による)
↑この記事を読んで、やっと私も、まずまずの把握はできたのだが、
先の記事にあったように、「今回の事件で、死者と負傷者が出なかったことは幸いだった。が、事件はまた、必ず起きる。」
ということは、上記の横田氏の示すところでは、
「結論としては、中国が尖閣の領有権を主張する限り、日本は実効支配を続ける、つまりこれまで通り海上保安庁などを使って領海や領域の侵犯を排除し続けることで、いずれ中国側が諦めるなり方針を転換するのを待つしかない」
ということだ。
『再発防止で日中協議を=尖閣事件受け菅首相―参院代表質問』
時事通信 10月8日(金)11時41分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101008-00000053-jij-pol
これは、さしあたり、仙谷官房長官の言う、中国漁船の、いやに鋭角だという鋼鉄の舳先に負けないよう、せいぜい、わが海保巡視船の どてっぱらを頑丈にしておくことかな。(苦笑)
カテゴリ: 政治も > 外交
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2015.11.08 (Sun)
『「尖閣」問題と「中国脅威」論【2】-3』
の続き。
【旧ブログの記録より】
・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
私は、「普通なら、事故の直後に海上保安庁が公開してしかるべきもの」というあたりの事情は、よく知らないけれど、
「今回は公開しないまま検察に渡ってしまった。お陰で、世界にPRする手だてを失った? この話も詰めた方が、後々のためになりそうだ。」
これは、そのとおりだろうと思っている。
要は、今後のシステム作りを どうするのか、ということになるか。
同時に、以前から指摘していることだけども、松原議員の言うとおり、
「外交的な敗北だというだけでなく、なぜここに至ったかを考えるべき。 自民党時代を経て尖閣諸島でも竹島の問題でも、長いこと放置してきたことのつけだ」
田中角栄氏のときに、中国に言われるまま「棚上げ」としてしまったらしいことのツケが明白になった、そういう時期に突入しているということにほかならないかと思う。
『再び起こる!?「尖閣諸島」衝突事件(信太謙三=東洋大学社会学部教授)』2010年10月7日 リベラルタイム
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20101006-01-1201.html
~中国側も必死なのだ。事故後の十二日、午前零時に丹羽宇一郎駐中国大使を呼び出したというのも、たんなる嫌味というだけでなく、中国側が相当焦っていた結果ともいえる。
尖閣諸島問題の怖さは、最悪の場合、軍事衝突に発展する可能性があることだ。今回の事件で、死者と負傷者が出なかったことは幸いだった。が、事件はまた、必ず起きる。
『横田洋三:国際法上は尖閣の領有権に疑問の余地なし』
2010年10月7日
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20101007-01-0901.html
~
問題は、日本政府が主張しているように、尖閣諸島が日本固有の領土であって、どの国からも文句をつけられるものでないかどうか、というところがポイントです。この点については、国際法の観点からは、尖閣諸島については日本固有の領土という、今回日本政府が繰り返している主張が正しいといえます。
国際法上、島の領有はどのように決められるかを説明します。国が島や領土を合法的に取得できる原因となる事実を、国際法では「領域権原」といいます。権原とは、あるものを所有する絶対的な権利を持っているということを示す事実ということです。
~「領域権原」の先占、添付、割譲、併合、征服、時効のうちのどれかに該当し、それが証明できれば、日本に領有権があるといえます。
~
尖閣諸島は1895年の時点で、国際法上誰も所有していなかった島でした。その時に日本は、当時の沖縄県の一部に平穏に編入しました。それについて当時、中国はもちろんですが、どこの国からもその行為に対して抗議もなければ、注文もつきませんでした。それで、平穏に日本が実効的に支配し、領有する意思を示しました。それにより、誰も持っていない土地「無主の地」を、先に支配した「先占」ということができ、これが領有の根拠になっています。
~中国は根拠を示していないため、実際にこのように言っているということではありませんが、筋の通る形で中国の主張を理解しようとすると、中国の大陸棚は尖閣諸島の下まで続いており、その上に尖閣諸島はのっているから、大陸棚の上にある島も自分の領土だという主張をしているように見えます。
~
1982年に国連海洋法条約ができ、その中で大陸棚についての規則がはっきりと決まっています。そこでは、どことも向かい合っていない大陸棚については、自然の延長上にある大陸棚を沿岸国の領有にすると決まっています。中国は、沖縄トラフ(海溝)まで中国の大陸棚が続いており、その上に尖閣諸島がのっているから自国の領土だといっているように見えます。
しかし、大陸棚の制度と、領土を取得する理論とは別の話です。大陸棚という考え方が出てきたのは、日本が尖閣諸島を領有した1895年よりもっと後、戦後になってからです。その意味では、中国の主張は受け入れられない、不当なものだと言って良いと思います。領有権の基礎としては、まったく認められません。
(文字強調部分は、当ブログ主による)