2017.01.19 (Thu)
つい最近、実家の母親の祥月命日であったため(ちなみに、ちょうど十日後は、父親の祥月命日で、どちらも1月中のことであり、偶然なのか どうなのか、末尾の数字も同じと きている)、
そのせいか、この時期になると、特に、いろいろ思い返すのだけれど、
なかでも、ある場面が、いつも必ず思い出される。
それは、「脳のなかの光景」だ。
こんなことは、言っても しょうがないだろうので、周囲の者たちの誰にも、わざわざ言うことなく きているのだが。
いよいよ、今晩が峠であろうという旨を宣告された日だった。
母は、意識不明に陥っていた。
(急激に、この状態になったのは、ある看護婦からの心無い仕打ちが切っ掛けに違いないと、私は確信している。思い出すと、胸が苦しくなるので、あまり考えないようにしている)
実母と二人きりで過ごすのは、幼い頃に生き別れて以来だったはずの、母の先夫とのあいだに もうけた娘すなわち、私の、父親違いの姉に当たる者を、その夜は、病室に残して、見守らせることとなり、
父も私も、とりあえず、それぞれの自宅へ戻った。
出勤したばかりで、他の同僚らも出て来ていない早朝、近所の人からの突然の電話で連絡を受け取り、母が入院中だった病院へ大急ぎで直行して以来、
私は、どこか、現実離れしたような浮遊感覚のまま、
また一方では、今後の流れを冷静に見越しながらという、
真逆に相反する心と引き裂かれる思考を同時進行で保持しながら、
好むと好まざるとに かかわらぬ、さしあたっての やるべきこととして最低限の準備を済ませて、ようやっとのことで、真夜中過ぎのベッドに もぐり込んだ。
すでに、不眠症が深刻化していた身には、
疲労困憊していたせいで、かえって、眠りは訪れにくく、少々うとうとしたかと思ったとたん、目が覚めてしまった。
直前に見ていた、夢とも言えない夢の光景は、あたかも、放送終了後のテレビ画面さながらの、「砂嵐」そのものだったことを憶えている。
そのまま寝直す気にも なれず、
まるでロボットのように機械的に起き上がり、
敢えての計算で着ていたワンピース型の寝間着の上に、
セーターやボトム、防寒コートを着込み、
その間、何の感情も動くことなく、機械的に、
再び、母のいる病院へと向かっていた。
冷たい冷たい早朝の澄んだ空気のなかを、昇ってきたばかりの陽の光が、まばゆく きらめいていた。
あの日から、はや10数年が経っているのだが、毎年、あの早暁の前後の光景を、まざまざと思い出さずに いられない。
さて、もう一つの「脳内ビジュアル」の話。
例の「カルト連」の巣窟サイトにて、
あそこの連中の誰もが無関心だったなか、その詐欺サイトと連中の正体に気づき始めていた私が、あえて、ひとり呟くように語ったことだ。
それは、私が、その時点から数年前に経験した麻酔の効果による現象の話だった。
それよりも もっと前には、全身麻酔も経験していて、
そのときの印象は、「砂嵐」どころか真っ黒な画面と言うか、
まさに「疑似的な死」あるいは「限定的な死」とも言うべきものであったが、
局所麻酔の場合、自分の意識自体は、まず通常どおり働いているので、
意識が全く働いていない全身麻酔のときとは異なった、興味深い現象を垣間見ることが できたのだった。
そのおりには、より近年の経験だったわけで、記憶も、より詳細だったとは思うが、
多少アヤフヤになってしまった今でも、鮮やかに残っている光景。
オペ室のベッドに横たわり、しばらくしてから、
寝入りばなの夢のような感覚で、わりと心地よく うとうとしながら、
しかし、私のなかの「もう一つの眼」はシッカリと見開いていて、
眼前に繰り広げられ始めた鮮やかな光景を見つめていた。
乳白色の滑らかなプラスチック様材質を思わせる、四角い、かつ細長い帯状の物体が、左右から静かに、同じ速度で、蛇のように するする伸びてきた。
基礎の乳白色の物体のなかから、不思議な光が漏れている。
少しアヤフヤになっているが、
一方はオレンジがかった赤系の蛍光色、もう一方は緑系蛍光色だったと記憶している。
左右で全く異なっている色調の それらが、全く同じ速度で、中心に向かい、同時に伸びてきている。
と見る間に、
その両側の細長い「光の帯」は、中心の位置で出遭うと、
たちまち、鉤なりに組み合わさって合体した。
そのとき、
麻酔が確実に効き始めていることを、私は自覚したのであった。
思うに、脳のなかで、薬剤の化学反応の光景を如実に眺めていたという感である。
2017.01.19 (Thu)
『家庭の経済格差 学習意欲にも差』関西テレビ 1/18(水) 22:02配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00000007-kantelev-soci
貧乏だから どうだという一括りで、全てを結論付けることが できやしないのは、他の様々な問題と同様である。
往々、ある程度以上のレベルにあると見做される家庭では、それが、
たとえば、先祖の身分的なことであろうと、企業経営者、あるいは、学者の家系であろうと、「プライドを保つべき」「自負心」の由来あれば、その後継者と目される子に対して、有形無形にプレッシャーを かけてしまう、かけられてしまうということは よくある話だと思われる。
それが、良い効果になることも あろうし、
本人を潰してしまうことも ある。
さて、うちの親は、父母とも、学業成績優秀で(とは言え、都会育ちの母に言わせれば、ど田舎育ちの親父の学力なんて、田舎のレベルでは、という話に過ぎないと、せせら笑っていたものだが)、
それでも、
父方の祖父は、地方藩とは言え、身分の高い武家の出で、当時の運輸系技術官僚から、若くして一代で企業を起こしており、たいへんに裕福だった実家から、
父の母方の田舎の伯母が嫁していた貧乏な家へ、つよく請われて、生後まもなく、跡取り養子に入っていた親父が、あの時代の貧乏家庭の子息たちにとって、出世の糸口でもあった士官学校にて選抜されたうちの、県内で僅か4人のなかの一人であったことは事実だ。
母のほうも母のほうで、裕福な家庭では あったものの、
担任の教師が、自分の資金援助で通学させるから、とまで申し出たのを、
「うちは貧乏ではない。カネの問題ではない」
と一蹴して、弁護士や教師を志望していた母の進学の希望を断ち切らせたのは、義理の祖母の意向だった。
私の母は、その義母にとって、先妻が残した、しっかり者の長女、目障りな存在だったので、一日も早く、嫁がせたかったのだ。
たしかに、
この、母の父親よりも大幅に年若い義母は、私の祖父が高学歴だったのと異なり、「無学文盲」に当てはまる人だった。
しかし、自分が産んだ子らは当然のごとく、しっかりと高学歴に育て上げている(苦笑)
要するに、
私の両親は、どちらも、学業優秀だったにも かかわらず、進学の希望を、彼らの親によって潰されていたので、自分の子どもらには、基本的に、希望どおり進学させることに吝かでは なかった。
しかし、ことは、そう単純では ない。
私自身には、子どもが いないので、これは、他の人の子育て実感からの話だが、
子に、高レベルの進学先なり、将来的目的を果たさせようと願うならば、肝心の子ども本人以上に、親の本気の努力と執念が必要だということだった。
それについて、私自身の育った家庭のなかでも、頷けた事例は ある。
私の兄(ただし、腹違い)は、家計が苦しいから、逆立ちしても、私立には進学させられないし、塾にも行かせられない、しかし、
高卒程度で、そのへんの会社に就職しても、恐らくは、その偏向ぎみの性分や思考の癖ゆえ、長続きしないだろうし、それどころか、ヘタすると、何らかの犯罪に転げ落ちたりして、まさに「人生の落伍者」になりかねない、という危惧が、自他ともに あった。
兄は、私の母が来るまでは、酷いチック症を患うほど、親父と姉に虐められており、家庭内スケープゴートの役回りだった。
だから、
もともと、親父自身は、その学校時分、それほどガツガツしなくても、学業成績が良かったので、
子どもなんてものは、放っておいても、できるやつは できるんだ、放っておいたがために できないやつは、見離して、最後まで放っておけ、と思っていたようで、日常生活上の、どうでもいいような些末なことには、むやみにヤカマシイだけで、教育熱心でも なんでもなかったので、
私の母親のほうが、義理だからこそ、というプレッシャーと、
言わば「跡取り息子」であるから、なんとしても、世間体の良い、堅い職に就かせなければ、後妻の自分の立場が ない、という悲壮な意地とミエが大いにあり、
幼い私の目から見ていても、
また、兄本人も、母親の執念の凄さを感じていたものだ。
そこには、
母自身の、自分の義母に対する当てつけめいた心理も あっただろう。
逆に、
戸籍上や形式上は「末っ子」であり同時に「一人っ子」でもあり、跡取りでもないはずだった女の子である私に対しては、「勉強しなさい」と口先で煩く言うわりに、兄に対するときのような情熱が、からっきし、なかった。
母に言わせれば、兄のときで、すっかり燃え尽きてしまったのだそうだw
しかも、
障碍を持ち(もっとも、親自身は、頑として、これを直視しなかったが)、
できるかぎりの手を打っておかねばならなかったはずが、
放任というよりも、ほぼネグレクトに近い、無責任このうえなかった。
家庭環境が悪い、というのは、
親父の だらしなさゆえの家計の逼迫も勿論だが、
実家の場合、身勝手な親父と、気性の激しい母親という組み合わせで、夫婦仲が険悪、しょっちゅう、どハデな夫婦ゲンカ、私以外の子どもらと親との確執が渦巻いているような家庭だったので、
私に言わせれば、自分の正気を保ち続けるだけで、エネルギーの殆どを消耗する日々だった。
いま思い返しても、ゾッとする。
障碍のこと、母を置き去りにすること、どんなに勇気が要っても、もっともっと早く、あの家を出ておくべきだったのだ。これは、後年になって、母自身も、そう言っていた。
子どもらのなかで、最も気合を入れて、めでたく、教職公務員という安定職に就かせた跡取り息子は、理由不明のまま自殺、
ああいう親は、結局、どの子も幸せにできないし、その自覚も薄い。
貧乏な家だからと言うよりも、
それは勿論、裕福であれば、それに越したことは ないのであり、
ロケーションというものが、そこの街の住民の自負心やメンタルに影響するのと似て、
なんと言っても、住環境などの表面的環境条件は大いに有利なはずだが、
要は、
家庭内がゴチャゴチャ落ち着かず、荒れぎみということは、
それは、家庭の運営者たる親自身の心理が荒みがちであることの現れなのである。
そのことが、子に影響しないわけが なかろう。
それに負けないなら結構なことだけれども、
一つの負の要因だけでなく、私の実家のように、いくつもの負の要因が重なって絡み合っていると、本当に大変だ。
だから、
「ヤフゴミ」捨て場の住民のような、
視野狭窄にして思考あさはかなカン違いネット民は、
よく知りもせず、理解もできない他者のことをコキおろし、貶めるコメントを投稿しまくるヒマが あるのなら、
ちっとは黙って、自分の恵まれていた条件に感謝しておるが よかろうに、と言うのである。
人並みに恵まれていながら、
その程度の知性と、底意地の悪さでは、拾うところが ないというものだ。
結論を一言で述べておくと。
貧乏であろうが なかろうが、
根本に潜んでいる要因は、
誰しも備わっていたはずの自然な自尊感情や自己肯定感というものを徹底的に踏み躙ることが、
子の持久力を奪い、逃避的に仕向け、無気力に陥らせるのである。
まずは、このことを、公的支援によって周知させねば なるまい。
2017.01.15 (Sun)
ワキ毛ぼーぼー、
と聞くと、反射的に思い浮かぶのが、
腹違いで、一回り以上も年上の義理の姉。
私が小学生のときのこと、その姉は、すでに、社会人で、いわゆるOLを やっていた。
たまたま、他の家族ら皆が出かけていて、私と、義姉だけが、家に居た夜、
茶の間のテレビを つけっぱなしの食卓の前で、義姉が、何を思ったのか、おもむろに、ワキ毛処理の準備を始めた。
ふつう、そんな所で、ワキ毛の始末なんか しないだろと思うけど、
そのときの ようすが、いま思い返しても、奇妙なことに、
なんか、小学生の私に見せびらかすかのように、自慢げな態度むき出しで、さも、もったいぶった手つきで行なっていたものだ。
それは、子ども心に呆れるほど、
ぼーぼーだったよ。。。
ちなみに、
このひとは、自分自身の母方の家系に似たらしいと聞いては いたが、
結婚してから、精神的に病んでることが明らかになって。
おとなしい婿さんや娘らにも、ずいぶんと苦労させていたようだが、
まあ、精神的に おかしいのは、うちのアル中親父に似ていたとしても、べつだんフシギでない。
じつは、
性的にも、女性には めずらしいのではと思えるほど、「淫乱」のケが あってね。。。
ちょっと、と言うか、だいぶ、人聞きが悪く、言いにくい話なので、
向こうの家族には勿論のこと、ほとんど誰にもバラシたことは ないんだけども。
近頃、父親のほうの義姉らについて、私の腹に据えかねるほどの怒りが あったので、
これまでは、情けを持って秘めてやっていた過去を、
これ以上、チョーシに乗っていたら、本人の前で一気に、ぶちまけてやるかもしれんと心づもりしてた。
まさにバクダン級に恥ずかしい話だからね。
もっとも、証人や証拠は ないから、認めようとしないだろうけど。
それくらい、みっともない話だった。
以前、これも、ネット上でストーキングを はたらいてきた自称「心理学徒」なる女も、何らの臆することなく、自分は「自己愛性人格障害」者であり、かつ「セックス依存症」であると、のたまっていた。
恥ずかしいという自覚が希薄なのだろうか、
その者みずから語っていた幼児期のエピソードによっても、特に性的なことに関する、並々ならぬ関心が生来的に、異常に高い傾向が窺え、
なるほど、
人格障害の場合、性的な方面の問題をも特徴的に、つよく保持しているケースが多いという説に頷けたことだった。
うちの身内連中も、あやつと言い、こやつと言い、
病理的に顕著な傾向を示していた事例豊富なので、
この方面の学者さんには、さぞ、興味深いだろうと思います。
よかったら、研究に資するであろう参考事例を提供いたしますぞよw
ま、私自身が、第一志望だった心理学部を出て、その系の分野の学者になっていれば よかったんだけどww
そう言えば、
あの『汚気・愚』で、ワキ毛についての質問したとき、
いやに悦んで「ボーボー♪」「剛毛~(^^♪」とハシャイでた野郎が いたようだ。
たぶん、これも「カルト連」のオッサンだな、と睨んでいたが(嗤)
『26歳のイギリス人女優、レッドカーペットのドレスでわき毛を露出!』
Movie Walker 1/12(木) 9:53配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170112-00000023-mvwalk-movi
『脇毛ぼーぼーでレッドカーペット 26歳女優が話題に』
シネマトゥデイ 1/13(金) 7:16配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170113-00000005-flix-ent
この女優さんのこと、知らなかった。
ワキ毛の話題で、イッキに知名度アップかな(笑)
いや、ワキ毛を生やしてるつうの自体は、いまに始まったことじゃないよ。
もっと こう、クール系とかハード系の感じな衣装なら、ワキ毛とバランスも とれていたのだろうけど、
この女優さんの場合、なんせ、その着用している可愛らしい花柄ピンクのドレスと、ギャップ激しいよね(笑)
わざとの演出かなー?
たとえば、このPVのなかの女性たち、
こういうファッションの場合に、ワキ毛が あると、よりセクシーで、退廃的このうえない。
ただし、ボウボウは いけない。あくまで、しっとりと艶っぽく、だ。
私が出演する女性側なら、可愛く生やしたワキ毛姿で堂々と腕ふり上げて踊るだろうし、
監督する立場なら、彼女たちには、プリティなワキ毛を見せて踊ってちょーだいと命ずるであろう。
じつは、
むかーし、このヴィデオ見ていた頃、
ダンサーの女性たちに、ワキ毛あったものと思い込んでいたのだが、
あらためて見てみると、なかったな。。。チッ、残念。
Robert Palmer“I Didn't Mean To Turn You On”
The Power Station“Some Like It Hot”
まだ一般的でない、普通でないからこそ、インパクトが あるのであり、
一種のファッションにも なり得るということの一例。
知ってる人も多いだろうけど、
私が若かった頃から、特にはロック界や映画界あたりの有名人で、一部の女性たちが、フェミニズム思想とかいうよりも、エロチシズムを滲ませたファッションとして見せつける向きは存在してた。しかし、同時に、
女性のワキ毛は処理してあるのが普通というのが、あくまでも一般的には、基本的マナーとしての社会通念だったし、
あるいは、もともと、女性には生えないか、生えにくいものなのだ、というイメージを信じていたウブな人も いるかもしれないね。
西欧においても、
「エンパイア様式」とか言うんだっけ、シュミーズみたいなドレスが大流行した時代は ともかく、18~19世紀に入るあたりまで、いまどきのタンクトップみたく、肌を露出するような衣装は、少なくとも一般女性の日常では、ほとんど用いられていなかったようなので
(西洋絵画を見ていたら、フランスあたりの、うら若い女性でさえも、多くは、まるで厳格な修道女みたいな服を着用してたのが分かる)、
ダンナに対する恥じらいとか、見られてなくてもエチケットとして、というのは、あったのか なかったのか知らないけれど、
わき毛を剃ろうが剃るまいが、他人の目につく気遣いまでは、あまり必要なかっただろう。
そもそも、わき毛を剃る習慣なんて、日本の古来文化じゃないわね。
極端なようだが、強風の日に、着物の裾が巻き上がって、アソコまる見えでも平気だったらしいし。
腰巻だけじゃなく、パンツも履くようになったのと同様、やっぱり、アメリカあたり由来で定着したのでは ないかな。
私が、ごく幼い頃は まだ、盛大なワキ毛も気にせず、袖なしであろうが平気で着ていたオバちゃんたちの記憶が残ってるし、
ちょうど、街なかで授乳するのも、人目はばかる感覚自体が薄かったのと似ていたように思う。
男女混浴にさえ、抵抗感なかったみたいだもんね、昔の日本人て。
ワキ毛を含む体毛というのは、だいたい、男性ホルモンの影響が強いのだろうから、上述したように、性欲や性的な方面への関心が盛んだった義姉などは、性格も非常に攻撃的だったことと、多少は関係性ありそうだ。
ちなみに、
私には、ワキ毛ありませんのだす。
20歳代の頃までは、かろうじて、それらしいものが あったには あったが、以降は、いつしか、とんと ご無沙汰。
いまでは、ほんに、つるつる状態なんだす。
母親の話では、戦後しばらくの若い頃、友人に誘われ、費用も出してくれるというので、
その当時、最先端美容だったワキ毛の永久脱毛を、つき合いで試したというのだが、もともと、母親も、体毛が薄い。
親父も青年時代は、髭すら生えてこず、青インク塗たくって、髭よ生えろ、と、せつなく祈ったそうだ。
軍隊時代の戦友らに、肌の滑らかなることを、いと愛でられていた!wという本人の自慢どおりでww、男にしては、体毛が薄いので、
肌が色白なのと同じく、いったい、両親の どちらに似たものなのか、自分でも、いまだに分からんのだす。
まあ、手間と費用を かけずに済むのは、大いに助かるわ。
そのかわり、
エロを演出したくてファッションで生やすのは、自前では不可能なわけだが(苦笑)
ひょっとしたら、ワキ毛エクステというのもアリか?
聞くところでは、
おシモのほうに生えてこないという遺伝か何かの現象が あって、
近く結婚を予定している娘さんの親が心配して、ついに、おシモ用カツラを誂えたという話が あった。
冗談かと思ったけど、マジな話であったそうな。
2017.01.15 (Sun)
アメリカ次期大統領トランプさんの経済策方針について、ある専門家が述べている分析記事もササッと読んでみたけれど、
そのなかの一つに、なんだか、根本的に読み間違えているので なかろうかと、少しく違和感を感じたものも あった。
私が、どちらかと言うと好感を持って、時々読み継いできたサイトの掲載記事でもあることだし、敢えて、その学者さんの名を、ここで明記しないが、そのセンセイは、トランプ氏の主張ならびに、このひとを選んだアメリカ国民の妥当性ありということと、トランプ氏によって、新たな時代が幕を開けるのだとして、高く評価しているという。おそらく、皮肉も混じっているとは思うが。
もちろん、私は門外漢なんてもんじゃないほど疎いのであるから、私のほうが大いに間違えているかもしれないのは先刻承知だが、
これまで、いわゆる識者や専門家、錚々たる学者センセイたちの言ってた あらゆることが、私よりも的外れだったという現実を知った以上は、ちょっとだけ自信を持ってみてもいいのかもしれない。というわけで、
いまのところ、私が感じていることを、上手には言えないけれど、素直に言ってしまうと、
トランプ氏は、言わば「新たなる『新自由主義』」を始めようとしているだけにも見えるのだ。
あるいは、ことばを替えて言うと、
「内向き(縮小した?)なんちゃって『保護主義』コスチュームに衣替えしてみただけの『新自由主義』と言おうか。
つまり、本質は、やっぱり「新自由主義」のうちに過ぎないのでは?ということ。こういう言い方で正確なのかどうかは、よく分からないが、
だって、
アメリカが そう来るならと、各国も、それぞれに自国ファーストのシノギを削り合うとか、
逆に、アメリカにトコトン追従することで生き残りを図っていく
(日本は、その可能性が最も高いだろうねw)
となると、
やっぱり、これは これで「弱肉強食」の構図に ほかならないでしょ?
いまや、不自由になった巨人だからこそ「弱肉強食」を大っぴらに目指すことになったに過ぎないと。
「アメリカ ファースト」という新鮮な?スローガンにしても、これを通すためには、
あのフシギな髪と人さし指をブンブン振り回して、めいっぱい、
なりふり構わず、言いたいほうだいの やりたいほうだいになりそうなことは、すでに大統領就任前から大々的あらわになってる。
トランプさんてひとは、ずっと前の当ブログ エントリーでも指摘しておいたように、
彼自身が、「なりあがり」層であると同時に、ごく少数の富裕層に属する一人でもあって、
おせじにも、プア層や庶民らの味方であるはずが ないでしょう。
その点では、
「反トランプ」を称する「エスタブリッシュ」層や「1パーセント」のナンチャラ連中と、たいして変わらないだろうわけで、ただ、
理念や思想の置きどころや「知性がジャマして」といった面での高低差異しかないのかもしれない。
撤廃!と息巻いて、とうとう決定したらしい「オバマ ケア」についても、
どこのサイトの記事だったか、専門筋の人が述べていたには、じつは、「オバマ ケア」の廃止は、保険会社にとっても つごうが悪く、少なくとも、廃止不可能になっている範囲が存在していて、
そこについては、トランプ氏は、いかにも、自分が刷新し直したかの如く見せかけて、自分の名の付いた看板を掛け替えるような小細工を するつもりでいるらしいと。
まあ、私には、向こうの制度は ややこしくて、よくは分からない。
ただ、アメリカ人と結婚している知人が言ってたけど、その人は、ダンナさんが、ワシントンの省庁勤めの役人だから、かなり裕福な家庭であるが、ひとたび、病院に行く必要が生じたら、どの保険を使うかの自己判断が、毎回、けっこう悩ましいことのようだ。
ある日本人で、芸能界関係の人だったと思うが、アメリカで交通事故に巻き込まれたか何かで、向こうの医療制度の過酷なことに仰天し、慌てて、日本に帰国した、と言っていたことも憶えている。
ただ、これは、日本人の多くが、考察からスッコ抜けているようだが、
アメリカは、そもそもの起こりに、キリスト教精神が ある。
「プロテスタンティズム」というものが、資本主義と密接に関係していて、その柱を なしているのだという。ウェーバーだっけ?この程度は、辞書に載ってるわな。
そして、
日本と大いに違うのが、やはり、ボランティア活動が盛んだということで、行政上の支えが薄くても、民間が機能している、ということらしい。だから、辛うじて、もっているのだと。
一般的日本人に、こういう精神は、まだ希薄だと思うし、イメージしている「資本主義」についても あさはかで、大いにカン違いらしいのだ。
とにかく、ネット上を徘徊しているウヨどもの言うことは、てんで信用ならない。
『産経』系サイトで、旧のブログを やっていたときに、はなはだ驚き呆れたことの一つが、
「経営者の苦労を考えろ、雇ってもらってるだけで感謝しろ、無能な労働者は、ワガママ言うな、甘えるな」
の大合唱だったこと。
要するに、
「自己責任」ばんざーい!「新自由主義」ばんばんざーい!!
の大合唱だったってわけ。いったい、どこから出てる指令なのだか、
それも、少なからぬ、「底辺」「非正規」と呼ばれているだろうはずのブロガーどもが、だよw
異様でしょww
まさに、「肉屋を支持する豚」の喩えがピッタリ。
あれから、数年。
いまじゃ、さすがに、現実の重さが歴然で、ネットウヨと言えども、かようにムチャな主張は、影が薄くなったっしょ(嗤)
まあ、すでに、現役勤務を引退してる世代の爺さん連中とか、
なかには、
こりゃあ、暴力団が、政治団体の看板かけてアジってるのかと思しきブロガーも いたよww
新興宗教か何かの集会に、無関係の者が紛れ込んでキョトン、
あっと仰天、恐れ入る。
まるで、かつての私が、あの「カルト連」のオッサンに、詐欺目的で勧誘され、何も疑わず参加してからの唖然呆然状態の再来だ。
あそこのブロガーらは、当然と言うべきか、ほとんどが『産経』・『正論』の愛読者だものなあw
私も、何らの先入観も予備知識も なしに、軽い気持ちで参加したものだから、
えっ??ここ、どういう場所だったの?(汗)
と面喰ったなんてもんじゃなかったよw
これも また、処し方として「ビジネス ライク」を好む性質の中国との関係性においても、かつて、アメリカは、(旧)ソ連とのこともあるから、わが方へ中国を取り込んでおこう取り込んでおこうとして、先方の腹中に潜めていたものを読み間違えたか(それは、わが日本にしても同様のことだろう)、
いまでは、辛うじて生き残っていくため、焦りの段階に入っているようにすら見える。
この話、何年前にか、例のQAサイト「汚気・愚」での回答で紹介したことが あるんだけど、めんどいから、詳細は端折って言うと、
実家の父が、戦後の進駐軍と、アメリカ側通訳(日系人)を介した遣り取りで、ほとほと呆れたことに、
「アメ公はな、簡単な掛け算すら できないんだぞ!」
って話だった。
でも、そんな相手に負けたのは、日本w
掛け算を理解しないアメさんにイライラ、
しまいにブチ切れた親父は、
通訳の日系人が、あいだに挟まってオロオロなだめるのを よそに、当の進駐軍兵士と大ゲンカ。
もと陸軍エリートだった自分のほうが、とっとと、職を退くハメになった。
さて、
「簡単な掛け算が できなくて」も、アメリカは、ものすごく計算高い。
頭の良いユダヤ人たちの おかげだったのかどうかは、知らないよ。
でも、
日本が、ちまちまコセコセ計算し尽くしても勝てないんだわな、これが。
私が愛読していた あるギャグ マンガで知ったセリフなんだけど(たしか、『パタリロ!』でw)、
「大男、総身に知恵が回りかね」に対して、
「小男は、総身の知恵もタカが知れ」
というのは、まさに、日本国の姿だぁね。とほほ。。。
どないすんねんな、歴代あほ政府にバカ官僚ども(爆怒)
これも何年前か、旧のブログ エントリーでだったか、
沖縄の米軍基地問題に関連して、私は、
「日本は、かつて、自分が取り込んで利用してきた、たとえば琉球王国を始め、周辺の弱小国が、大国間の思惑や動向に右往左往、四苦八苦してきた姿を、頭越しのアメリカと中国とに挟まれた位置で、今度は、自分自身が演じることになるだろう」
と述べた。
~驕れる人も久しからず
猛き者も、ついには ほろびぬ~
と語った大昔の人の喝破に、つくづく感心するばかり。
2017.01.11 (Wed)
『どうにも かったるい』の続き。
言い足しておくと、
哲学的に、
あるいは、もしかして、生物学などの見地でも言えるのかもしれないが、
「自由」というものは、ほんとうのところ、あり得ないという指摘は、決して間違いではないだろう。
自らの由とは何なのか。
結局、自分の やれるようにしか やれない。
たとえ、自分の好むところのみを やっていてすらも、それで、ほんとうに自由というものなのか、言いきれるわけで ない。
われわれは、むろんのこと、この世の大摂理に組み込まれた、自分一個の矮小なる欲求にさえ、思わず知らず従わずにはいられない、そんな「不自由」な身だ。
知っていての犯罪、敢えての自殺、いずれも、最も不自由だからこその行為とも言える。
誰しもが、そもそも「不平等」と言うべき何かしらを抱えているのは明らかなこと。
あらゆる格差は、あって当然のこと。
そんななかで、ひとたび生まれてきた以上、まさに等しく、まずは生き抜くという基本の方角に向かわんとするのが、この世に生じた者の基本だ。
だからこそ、
そこに普遍性を認めて、おのおの抱える「不平等」「格差」というものを、多少なりとも均すという社会の努力が要請されてくる。
なぜなら、
多様性の温存は、生き抜くための選択肢に他ならず、
たとえば、ヒトの性が概ね男女に分かれたという自然現象も、原初段階における多様性の選択肢の一つであろう。
「弱肉強食」を、突きつめていって、何が残るか。
何も残らない。
最も強いはずの者ですら、残れない。
共産主義も、小学生だった私にすら、欠陥を内包した思想だと見抜かれてしまう程度だが、
民主主義というものもまた、致命的欠陥を抱えている。
その名のとおり、主権者たる民の全体的知的レベルがモロに反映されてしまうのだ。
でも まあ、どんな政治的主義や体制でも、結局のところ、民衆の知性が反映することには大差ないのだろう。
私としては、
ヒラリーさんの執念ゆえか、せっかくのバーニー・サンダース氏に、その身を引かせたことは、今回、アメリカ民主党自身で招いた失敗だったような気も している。
ただ、サンダース氏も、オバマ氏と共通した印象が あり、やはり、理念の人、良識の人、という印象だ。
ま、オバマ大統領は、彼なりに、いくつかの新しい扉を開いた。
良し悪しは未知数では あろうが、
最も画期的だったキューバとの国交再開、
広島訪問、
今後とも努力の継続が望まれるところの「オバマ ケア」(医療は、格差の問題と最も密接にかかわる分野。だからこそ、社会的弱者に対する配慮の重要事項)、
心残りは、アメリカの宿痾とも言うべき銃規制の問題だったろう。
世界第一級を自他が任じる大国だけに、心身ともの激務であったことを しのばせるように、その おぐしは、すっかりと白いものに覆われた。
もの足りなさや異論も様々あろうが、いまは、ただ、お疲れさまでしたと言いたい。
さて、
こんなに「品もコケラもない!」
と言いたくなるような大統領は、いまだ かつて いただろうかというほどのトランプさん、「劇薬」という仇名が、これほど似合う大統領は初めてと言って過言でない。
いつぞや、
「同盟国の国民にも、アメリカ大統領選に投票参加する権利を」とかいうコメントに、それ、マジで言えるかもなあと思ったことを述べたけれど、
それくらい、アメリカの動向は、日本にとって、ぶっちゃけ、首相が誰かということよりも影響大かもしれないのだから、なさけないっちゃあナサケナイ。