2018.07.30 (Mon)
『このパターン。』の続き。
『オウム真理教』の連中へと話を戻すと、
憲法に関わってくる『破防法』適用如何の議論については ともかくも、
1989年当時、『オウム真理教』に対し、宗教法人認可を与えてしまったのは、当時の東京都知事・鈴木俊一氏のときなのね。
『家族の会』とかいう団体の会長さんだっけ、先日、そのかたの談話記事を読んだのだが、
この認証が、致命的失態として悔やまれる、ということを、たいへん残念がって指摘しておられた。
ここで、またまた「ネトウヨ」相変わらずのデマこきでもって、
「ヒダリ」の村山政権の責任だ~とか「ヒダリ」政権時には、大災害が起きるんだ~とか、しょうもないこと喚いてるのが いるようだけど、
私に言わせりゃ、
そもそも、アベシが「第一次」で出張ってきたあたり以降、いよいよ、国土そのものが おかしな ぐあいになってきたという感じするんだがw
ちと調べてみたら、
なんと、この鈴木元知事は、アベシの爺さんの側近だった!ww
不吉よねえ。
1989年つまり『平成』元年。しょっぱなからテロで始まって、自然災害も大事故も、てんこ盛り。
『平成』という「御代」の名前負けなのか何か祟ってるのかワカランけど、ウラハラなんてどころじゃないなwww
また、
『家族の会』の会長さんは、教団自体の「闇」のみならず、
警察や公安捜査の ありようについても、
様々に不審を感じておられる ようすだ。
まさに、何事かを隠蔽しているような、という、そういうこと。
まったく、どうなってるんだろうね。。。
日本の「マフィア」たる暴力団とズブズブであることは、昔から明白に知られているにも かかわらず、底が見えないほどの闇に仕立てあげるまで、そんな自民党を支持し続けた、愚かな国民たち。
そりゃあ、
「政治は政治でテキトーにやってて。自分は自分の生活のことだけ考えて やっていくし」と、それが賢く割り切った態度だくらいに思ってたら、
ごく平凡な毎日の、いつもの通勤途上で、とんでもないことに巻き込まれ、そこから、人生の最後まで ずーっと、得体の知れない病気や障害に苛まれる日々の始まり。こんなことが、現実に起きるんだ。
似たような高学歴、似たような理由のパターン。
徹底的に分析するべきだったとは思う。
表面的な「動機」では なくて、
その「動機」が生まれるに至ったことが、真の動機。
そこに至る「プロセス」。
私は、やはり、ある種の「脳パターン」が、大きな鍵の一つじゃないのかなと思っている。
私の人生と取り替えたら、ものの半年も耐えられなかろう、
と思えるほど、
挫折感や劣等意識に苛まれ過ぎ、プライド高過ぎ。
これじゃあ、
そのへんの凡庸者や落ちこぼれに対して、腹の底では、どんだけ見下してることやら、、、
いやいや、凡庸者や落ちこぼれは、デキなくて当然だ、しかたないことと、なま温かく許容してやれば よい。しかし、
この、選ばれし自分だけは、そういう連中のようなわけに いかない。
常に上を、上を目指さねば ならないのだ。
然して、真理を発見し、知らしめ、無明の衆生を救済してやらねば ならぬ。……
マッタク、大きな お世話なんだがね
私には、ひどいウヌボレやに見えるよ。
ある意味で、「ダメンズ」に貢ぐ女の理由が、
「この人には、私が必要!!」
ってやつに似てるね。うちの母親が、そうだった。
そして、結局、足を洗えないのは、もはやタイミングを逸してしまったことも大きいだろうけど、
要するに、
「投資」(入れあげた)分を、少しでも取り返したいと、諦めが悪過ぎるんだw
『オウム真理教』幹部らのような、そういうタイプが、なまじエリート コースに乗り、押しも押されもせぬ世間的肩書を得たら、どういう心理になっていくやら。
これらと逆で、
自分なりのプライドが欲したレベルを、豪も満たせなかった者の心理は。
あっけなく落選した松本。
教職に就けなかった植松。
なーにが、
「マハー」だ「愛の戦士」だ「大師」だ「正悟師」だ「大臣」だ「長官」だ、
まるでガキの なりきりゴッコ。
内部は、ご多分に漏れず、俗物の大好物である「ヒエラルキー」世界。
私は生来、こういうのには、興味が薄いので、違和感しか ない。
崇拝する者から、なまぐさい息ふきかけられて、びんびんシビレ、
「うむ、苦しゅうないぞ、近う寄れ」そう言ってもらいたくてウ~ズウズ。
積極的にソンタクし、手先となって使われる側にも、思惑は あったろう。
典型的官僚コースに進んでいてもフシギは ない学歴、
並はずれた知能、知性を備えておりながら、
子どもじゃあるまいに、大のオトナが。
松本智津夫の舌先三寸だかチープなトリックだか「イニシエーション」と称した麻薬による幻覚大会だか知らないが、そんなところで、コロリ~ンとまいってしまった、このパターン。
なるほど、この国の官僚たちが、『オウム真理教』幹部らと共通性が高い脳ミソなのであるならば、
おまけに、
彼らに入れヂエしてもらう安倍ちんは、一見、表面だけ合法なやりかたでもって、水面下の私利私欲を遂げていく、毎度のパターン。
おかしな国にもなっていくわけよw
江川紹子氏いわく、「天地の差」。
たとえばアメリカあたりの判決で下されそうな、「懲役10000年」、と言うより「死刑1万回」と、これが松本に相当するとしたなら、
洗脳をも手伝い、手足となって実行した幹部連中は「死刑10回」相当とか、そんな感じ?wよくワカランけどww
あの「PC遠隔操作」事件の犯人についての見解の甘々には、かな~り呆れたし、
そう言えば、古賀茂明氏の騒ぎのときは、テレビ局や安倍官邸ではなく、古賀さんのほうを咎めるかのような意見だった。
あのときも、私は、江川さんて、土台は、やっぱり優等生気質の良い子ちゃんなので、時に、それが過ぎるみたいな感じだわと思った。商売柄と言うか仕事上の「敵」は、極力、増やしたくないだろうしな。
ここで、
ほんの ついで話を一つ二つ。
「母親の愛を知っていれば」
云々てなクサいセリフ並べている「ヤフゴミん」、
これが また「カルト連」の一分身である「ブラげろ」あたりのオッサンが言ってたようなセリフのパターンそのままなので、
まーたハンネだけ変えて出没してやがるかよ、
と思わず鼻白んだが、
さて置き、
「親の愛」を知らずに育ったなら、凶悪事件を起こす、と限ったものでは全く ないのだし、
少なくとも世間並みか、それ以上に恵まれた生育環境で育てられていても、親との軋轢から、殺人や凶悪事件を犯す者のほうが、むしろ多いのでは ないかという現実について、どう答えるんだろうか、
相変わらずクッサいヤフゴミん(=カルト連あま*ブラ)は。
うちの母親なんかねー、
ふだんから、恩着せがましいことばかり言うし、
オメデタくも素直に「感謝」すれば するほど、いよいよウヌボレて、
そのオメデタい相手を見下し、ますますふんぞり返る性質だったよw
これでは、弱い立場の者は振り回されるばかりだし、
振り回す本人のためにも ならん!ww
だいたい、当の本人だって、心底では、自分の やってること、その意味、薄々わかってるという意識は あるんだ、潜在的にせよ。
基本的には、クッソ真面目な優等生気質だからね、
自分が おかした誤り、ひそかな邪まさ、認めるのは辛いわけ。
だから、うしろめたい。
しかし、認めたくない。
うしろめたさを認めるのは辛い、
ますます、自己の心底から、目を逸らす。
それを、ヨシヨシしてやったら、逆効果なの。
もっともっとチョーシに乗るんだから。
かと言って、
たまりかねて糾弾なんぞ しようもんなら、狂ったように反撃してくるw
【続く】
2018.07.30 (Mon)
思えば、
自然の脅威や天災という、人間にとって納得し難い「理不尽」「不条理」に抵抗し続けた人類の歴史の最たる現れが、われわれの「社会」というものだ。
然り、およそ法律というものは、個々人のためと言うよりも、総じて社会の存続、このための防御を第一義としているに ほかならない。
「死刑」に抑止力というものが備わっているのか否か疑わしいのは、それが あれども頻々と殺人事件は起きてくる現実が あるからなのだが、
ならば、「死刑」を廃止した国が多くなってきている現代、実際に廃止したことによって、殺人事件の発生率などは どう変化しているか いないか、興味深いところだ。
もし、ある程度の期間が経って釈放するとしたら、やはり、再犯の恐れが気になるし、
「終身刑」にするとしたら、刑務所が不足してしまわないのかということが気になる。「死刑」が あっても、殺人を犯してしまう者は、なくならないからだ。
もっとも、日本においては、被害者が一人のみの場合、情況によるだろうが、死刑にまでなることは少ないだろうし、
皮肉なことに、「死刑になりたい」からという、犯人側の理由で、多人数が被害を蒙ってしまうケースも ある。
「更生」してくれたところで、失われた人が元どおりになるわけでは ないのだ。
ハッキリ言って、
「更生してもらう価値すら ない」
ということさ。究極の突き放しだ。
他者の命なら、いとも やすやすと奪えるのも、激烈な自己愛ゆえ。
そういう者ほど、なんだかんだと言っても結局は、とりあえず、ただ今の自分が死なずに いられることのほうを選ぶだろうから、いちばん大切な自分の命、だからこそ、最も恐ろしい、辛い、自分の命が奪われる恐怖や口惜しさというものを、加害者自身にも味わわせることを もって処罰とする。
だって、
善良だった、たいせつな あのひとは、生活を、人生を、命を奪われたのに、
冷酷にも奪った あいつは、なぜ、きょうも生きてるの?
わたしたちと同じように、食べて、寝て、相変わらず、同じ空気で呼吸している。
あのひとは、いなくなってしまったのに。
あいつに殺されたのに。
あいつは、いままでどおり存在している。
いまから「更生」してくれなくて いい、
あいつの「更生」なんて、知ったこっちゃない。
ただ、あのひとを、元どおりにして。
ここに戻して。返して。
……
「理不尽」な行為に対しては処罰することによって、せめても納得に繋げようとする。おそらく、多くの人は。
人間は、納得いかないものに対して、ひどく傷つく。
およそ宗教の根源も、ここに発する。
深刻な被害や苦難に遭った人は、必ずと言っていいほど、真相や理由(という論理)を探り求めるようになる。
真相や理由のほうを渇望するあまり、加害者を死刑にするよりも、その口が きける状態で いてくれるほうをさえ望むようになることも ある。
死刑という、それで こちらの気が済むわけでも なさそうな、
ただ虚しさだけが残るような処罰よりも。
何年、何十年かかろうが、いつか、真相や理由を話してくれるのでは、という、かすかな希望が続いていく。
また、
自分の大切な者が、掛け替えのない命を奪われたからといって、
その大切な、掛け替えのない者の名に おける「死刑」と言う殺人を犯させたくない、
無垢な存在だった者を汚されてしまうような気が するから。
このように思う遺族も いる。
このたび、極刑が執行されたばかりの『オウム真理教』幹部らの生前の顔写真画像を、あらためて しげしげ見ていると、
まず、先日のエントリーで指摘した「新実の眼つき」の独特さを始め、他の者のなかにも、私から見て明らかに思われたところの、いわゆる「発達障碍」者の特徴が感じられるような眼の表情、あるいは、中川のように、学歴と年齢に そぐわぬほどの、見るからに幼い顔つきと表情が、目に つく。
非常に優秀な頭脳であるほど、どこかしら、ひどくアンバランスな箇所が あるのかもしれないと思う。
だいたい、よりによって科学、それも物理学を修めたという者が、「空中浮遊」だとかと、私ですら、あほらしやと鼻先で嗤いたくなるような、いかにも安っぽい現象に、ころりとまいったのは何故なのか。
あまりに子どもっぽ過ぎるでは ないか。
何を求めて、ああいう胡散臭いところへ、自分から近づいていくのか。
単なる「ヨガ教室」と思っていたところ、やがて、それと異なるほうへ勧誘されたなら、私だったら、ソッコー逃げ出すと思う。
しかし、幹部のなかには、「アサハラ」の著作を手に取って すぐに関心を持ち、自分から入っていってる者も いる。
例の「カルト連」に、ネット サイト上で、連日のように悪罵され続けていた頃、
あの連中も、
「救世主 出現!」の願望あらわに、やれ「マイトレーヤ」が、「奇跡が!」「ミラクルが!」と、他の投稿者たちに向かって、あたかも聖人気取りの説教など かましていて、
「スピリチュアル」ブームなんてものに疎かった私は、
こやつら、よっぽど安っぽい心性なのか感受性というか、バカみたいだ、と、呆れはてる思いだった。
「ミラクル」なんて、目の前に溢れかえっとる。
およそ「物質」ほど、フシギな奇跡は ないものを。
また、
『オウム真理教』信徒のなかには、友人がハマったというのを聞き、救出しに向かったはずが、自分自身が、まさに「ミイラ取りがミイラ」を地で行く立場になってしまった者も いるそうな。
何故だ。
横から、あーだ こーだ、念仏みたいに執拗に唱えられ続けると、つい、グラ~っとホダされヨロめいて、その気になってしまうタチなのか?
ココロの隙間にか。
脳のスキマにか。
優等生が、センセイの言うことを、「乾いた砂が、水をグイグイ吸い込む」ごとく素直に吸収してしまうように。
ここで、興味深い事例を一つ。
これも、例によってwザ・「脳に異常」うちの母親の場合ですw
なかなか良いサンプルでしょ(?)ww
この人は、娘の私にとって、大いに困ったちゃんな存在でもあったが、
世間の他人にとっては、大いに才気走ったタイプで、計算機みたく、数字に つよいのみならず、幼い頃から、教師を はじめ、周囲の大人たちから注目された才能の一つに、音楽や歌唱の才能が際立っていたということが あるのだけれど、
いわゆる絶対音感というものが生来的に備わっているということを、本人自身も自負していた。
ところが、
中年期になって、自分の教室を持つようになり、
生徒たちに、コーラスや個別歌唱指導を行うと、なかには、どうやっても、手の施しようも ないほどの音痴さんが混じっていることも ある。
そこで、集中的に指導しようとするのだが、その音痴な生徒さんを、指導する自分の声に ついて来させて歌わせると、
肝心の指導者である自身のほうが、音程が狂ってる生徒さんの歌声のほうに、容易く引きずられてしまう、と、頻りに ぼやくのだ。
もともと子どもの頃から、耳もとで、ヘタな人に歌われると、たちまち引きずられ、自分の調子が狂うから困るんだ、とも言っていた。
それだけに、
生徒のなかでも、見込みが ある人に対しては満足そうに頷き、自宅に帰ってくると、私に向かって、そのことを話しては、その生徒を褒めそやし、嬉しそうにしていた。
テレビ等で見かける、歌唱力ある歌い手さんはベタ褒め。米良美一氏も、その一人で、「この人、音程の正確さバツグンや!」と。
これも、旧ブログか どこかで書いたこと あったかな、
千葉県育ちの親父が、なかばフザケて、大阪弁を真似して しゃべると、そのたびに、母親は大声で激怒していた、って話。
同様に、テレビ ドラマで、関東育ちの俳優が、慣れない大阪弁のセリフを しゃべると、激怒。
理由は、
「とにかくキショク悪い、音程が おかしいから!」
と。
そのせいで、
朝の連続ドラマなんかで、ヘタクソな大阪弁を しゃべる俳優が、連日のように出てくる設定だと、気も狂わんばかりの ありさまwww
ちなみに、
谷崎潤一郎原作『春琴抄』を、いまでは やや古い映画となったけれども、新藤兼人監督が『賛歌』として撮り下ろした作品、これを、私なんかは、「エロコメ」に分類してるんだけどwそのなかの一場面で、いっちばん爆笑したシーンw
琴を教えている生徒が届けに来た品物に対し、「…才能あるもんなら、こっちからタダで教えてもやろうが、ろくな素質すらない者が、師匠への届け物に『白雪羹(ハクセンコ)』一折り(で済ます)とは何事ぞ!」云々と いう、そうした内容のグチを、お嬢さま然としたヒロインが、マゾの相方「佐助」に向かって、がーがーがーがー言い募るのだが、
この えげつないまでのリアルさ満ちたセリフに、谷崎の『細雪』も好んでいた うちの母親は、
「同感」と笑っていたw
【続く】
2018.07.26 (Thu)
――自民党を支持してるわけじゃない、
と言い訳しつつ自民党支持――
近頃、こういう手合いが増えてきたようだw
自分(利害関係者含む)のための政権を維持のため、ジミン党の いつものやりかたは、アメリカさま詣で。
北朝鮮拉致問題は、安倍政権維持のために、打開が必要。
でも、にっちもサッチモ。んで、トランプさんに泣きつく。
その見返りとばかり、アメさま軍事系ショッピングで莫大な お買い上げ。
いつも上得意なのに、サービスや割引どころか、ググッと割増代金。
この舞台裏を、トランプさん、アベシと合同会見の場とかで、晒してくれちゃった。
ああ、恥ずかしい。。。
トランプさんてば、イジワルw
プーチンさんへのゴマすり接待のバカらしさ以来、いや、それ以上に、
私は、国民として、ひどく惨めな気分になった。
でも、メディアは、追及しない。
「代わりに頼んでくれて、ありがとーう、ありがとーう」
ぼくちんの辞書に「恥」というコトバは載ってない!
と言わんばかりの安倍ちん、いつものようにシレッと流して、恥じるようすも、バツの悪そうなようすも、全くない。
ま、いつものことでは ある。
さて、
まーた やらかしてた、という感じw
てか、ワザとじゃないのかww
『投資信託:家計保有額、30兆円以上も誤計上 日銀がミス』2018/07/23 22:11
貯蓄から投資」実態は逆
個人の代表的投資商品である「投資信託」の家計保有額が、日銀の統計作成時の誤りで30兆円以上も過大計上されていたことが判明した。近年順調に増加しているとされてきた投信保有額が、実際は減っていたことになり、「貯蓄から投資」が進んでいると信じてきた証券業界に衝撃が広がっている。
過剰計上があったのは、金融機関や家計など各部門の資産や負債の推移などを示す「資金循環統計」。同統計では年1回調査方法を見直す改定を行っており、今年6月下旬発表分の改定値を算出する際に過剰計上が見つかった。2005年以降の数値をさかのぼって改定した結果、17年12月末の家計の投信保有額は、改定前の109兆1000億円から約33兆円少ない76兆4000億円まで激減。個人金融資産に占める投信の割合も、改定前は12年の3.8%から17年の5.8%まで上昇していたが、改定後は14年の4.6%をピークに低下し、17年は4.1%まで下落していたことが分かった。
これほど大きな修正が生じたのは、日銀が、ゆうちょ銀行が保有する投信を個人が保有しているものと誤って計算していたことが原因だ。
家計の保有額は、投信の総額から、金融機関など他部門の保有額を差し引くことで算出している。関係者によると、日銀が改定作業を行う際、ゆうちょ銀の保有分でこれまで「外国債券」としていた資産の一部が実は投信だったことが判明。改定後はその分だけ金融機関の投信保有額が膨らみ、逆に家計保有分は減額された。ゆうちょ銀が近年、比較的利回りのいい投信の保有額を急増させていたことも、「誤差」の巨大化につながったようだ。
日銀調査統計局は「調査項目が多数あり、見直しが追いつかなかった」と釈明するが、証券業界は「30億円なら分かるが、個別指標で30兆円も変わる改定は聞いたことがない」(大手証券幹部)と怒り心頭だ。
政府や証券業界は、現預金に偏る家計の資金が、経済成長に資する企業への投資資金として回るような政策を進めてきた。日銀の統計に基づく投信保有額の増加は政策効果の表れとみていただけに、金融庁幹部は「我々の認識以上に個人の投資への動きが進んでいないなら、改めてどうすべきか考えないといけない」~
(文字強調等は、当ブログ主による)
まあ、「働きかた改革」のデータも、唖然とするデタラメだったし。
上記の記事を読んだあとのせいも あってか、
この記事↓に付いた「kus」と名乗る「ヤフゴミん」コメントに失笑。
『古賀茂明「アベノミクスのせいで先進国から転落しそうな日本」〈dot.〉』AERA dot. 7/23(月) 7:00配信
…私はね、
『産経』系サイトで(それが、何を意味するところかを知らずw)旧ブログやってたときに、あるとき、「左」を自負するブロガーと、そこのコメント欄の常連のみならず、
あきらかに、産経ならではの「ネトウヨ」と思しき連中までがドバっと押し寄せて、
そして、クソみそボロちょんカスなみの扱いで「フルボッコ」されたことが あった。
そう、
あの胡散臭い(元)在日が経営してる『汚気・愚』(←OKウェイヴ・教えてgooのことさw)での「カルト連」と同じことを、そこでも やられたわけなんだけど、
私が、何を言ったから、そういう仕打ちを されたのかと言うと、
要するに、
その「左」系をアカラサマに出しているブロガーのとこへ行って、その人の いつもの持論に対し、
「ネトウヨと言うのか右系的な人たちのコメントというのは、おっしゃるような貧乏で底辺で、というよりも、むしろ、親なんかが裕福な家だったりして、だから、現状肯定というスタンスで、自民党支持だったり、安倍政権支持だったりしてる場合も あるのかもしれません」
といった内容のことをコメントしたわけ。
さあー、始まりましたよ。
クソみそボロちょんカスなみの扱いで「フルボッコ」が。
もしかしたら裕福な連中なのかもよ?と言ったのが、よっぽど、気に入らんかったらしい。
それ以前の あるときは、
「ネトウヨと言うのか右系的な人たちのコメントというのは、おカネもらって投稿してるんですかね?」ということを尋ねたら、その同じブロガーから、
「いや、彼らは、カネと関係なくて、言わば信仰で やってるに過ぎない」
とかいう答えが返ってきた。
しかし、実際は、どうなんですかね?
だんだんに分かってきたんでないの?「おカネで雇われてる」らしいってことが。
つまり、私が推測したとおりだ。
まあ、ジミン・アベ支持のコメント投稿者と言っても、まさに「信仰」とか、あるいは、私が推測したような、「うまくいってるんだから、現状肯定」派でもない、ハシタ金に飛びついて内職やアルバイトしてるのなら、そっちの連中は、たしかに「底辺・貧乏」ということなのかもしれないけど。
ああいうコメントって、実際、知的に問題ありそうな、もちろん、高学歴なはずもないと思えるほど、おそろしく知性に欠けてるか、
そう見えても しかたないのを承知で、投げやりにコメントしてるって感じするもんな。
報酬が低いなら、数で稼ぐしかないのだし。
だから、
私は、「ネトウヨ」とか「右」系だけでなく、
「左」系に対しても、けっして、良い印象は持ってないわけなの。
思想が どうこう以前でね、
どっちもゴリゴリ頑なで、視野は狭く、
どこかから教育されたらしい信仰的態度は同様の似た者どうしじゃん、と、冷た~く距離置いて見てるよん。
まあ、なんせ、あそこは『産経』系サイトだったし、『ヤフコメ』だって、一見は「左」とか「野党支持」っぽく見えたり、そう自称していても、やっぱり、殆どの連中の本音や正体は、自民党支持者。
『日本会議』あたりの歪みきったエセ思想に毒されるのも、いいかげんにしないと、
あやつらの本性は、「思想」なんて ごりっぱなもんじゃなく、カネカネカネの「ビジネス右翼」なんだから、
なんぼでも、おかしな国に落ちていくし、
一般の国民だけが泣くハメになるよ。
こんなもんに、ウシロダテしてもらってるのが、アベシであり、現政権。
思えば、なさけない国になったなあ。
もともと、なさけないことを たくさん やらかしてきた国では あるけど、
それを認めて、新規まき直したはずなのに、
やっぱり、身に付かない、
表面だけマネしゴンべ根性は、なかなか直らないものなんだな。。。
ま、私なんかは、日本は、もう手遅れだという感ヒシヒシですわ。
なぜかと言うと、
もうね、
自民党を のさばらせ過ぎた。
自民党に、政権を長く握らせ過ぎた。
一言で言って、これに尽きる。
まず、『自民党』の ありかたという そもそもから、アメリカと、どんな密約を抱え続けてきたのやら、
少なくとも、それに従い、まさに「共犯」官僚どもが、長年にわたって慣れ親しんだ「ボス」である自民党と癒着してしまってること。
それだけでも、ものすごくマズイのに、
大手紙を含む各メディア、それも、一般国民の目に触れやすいだけに、影響力甚大な大手メディアが、ここへ来て、いよいよ、政権との共犯関係を深めつつあるらしいこと。
したがって、
とおりいっぺんの情報に軽~く接しただけで、そのまんま、大メディアの論調に容易く影響されてしまう一般国民。
愚民が大多数、マジョリティなのだから、主権者国民の知性レベルが高くないと成り立たない民主主義が危うくなるのは当然ですわな。
それにしても、
新聞を始めとするジャーナリズムが、政権に おもねって どうするんや?
そんなもん、ジャーナリズムと言えるか?
また、国民、特に、最近の若い人の少なからぬ層が、「政権に逆らうのは おかしい」という、それこそ おかしな考えに毒されているのだそうだが、
「現人神」の戦前・戦中時代じゃあるまいし、どこの独裁政権国家だよw
一般国民に知らしめる役割のメディアを懐柔し、従わせ始めたら、それは もう、民主主義国家の政権とは言えない。
少なくとも、まともに機能している民主主義国家だというのであれば、
国民の最大の権利であり、後世に対する義務なのよ、
政権や政策に対する批判を行うことは。
2018.07.26 (Thu)
『【続】「本質」の見分けが できない「ヤフゴミん」。』の続き。
ちなみに、
あの佐世保の「同級生を襲い、遺体を損壊」という、女子高生の事件。
あの女生徒についても、当ブログ過去エントリーで、私なりの分析を述べてあるけれど、そこでも触れたと思うが、本人が得意とするという、絵の描きかた。
植松も また、絵を描くのが好きで得意だそうな。
この両人、ともに、上手いと言えば、それは確かに上手いのだろうが、
異様な緻密感とともに偏執性ただよう、
なんとも言えず、キモチの悪い作風だ。
正直言って、絵の好きな私でも、見たとたん、吐き気を もよおした。
べつだん、ことさら不気味な題材を描いているのでもなく、自画像であるとか、泳ぐ魚とか、いたって平凡な題材であるにも かかわらず、なんとも異様さが滲み出ている。
こういった点からも分析してみれば、大事件を起こすに至った何らかの共通性は あるだろうと思う。
ところで、植松の顔と言えば、
例の『オウム真理教』幹部の一人だった新実智光の顔と似てるなあ。。。笑顔が特に。
口もとなんか、さしづめ「般若」っぽいというか、
「サイコパス」っぽい顔、ってとこなんだろうか。
ある種の脳のタイプに特有の顔だちや表情かもね。
研究・分類してみたら、興味深い知見が得られるかも。
大昔から存在する「人相占い」とかいうのも、基礎にあるのは、やはりデータの蓄積なんだろうけど、
ただし、外見というものも、一筋縄では いかないのだ。
たとえば、うちの母親なんか、
「きょうなぁ、帰りの電車に乗ってるとき、たまたま隣に座っていた女の人に、奥さん、すばらしいい人相してはりますね、って褒められたわ」
と言ってたことも あったが、
あるときなんかは、
「これで肌さえ浅黒かったら、うちらと似てるわぁ」
と、サークル活動か何かの招きで出会った、インドから来日の女性たちに口々に言われたそうで、
私のクラスメートなんかは、
「あんたとこの おかあさんて、教科書に載ってたイギリスのヴィクトリア女王に似てる!」
と言ってたくらいだ。
娘の私から見ても、あたかも古代ギリシャ人というか、白人に近い目鼻立ちで、ごく若い頃なら「芍薬」だ「牡丹」だ「百合の花」だと褒めそやされたことだろうが、
中年以降は、はなはだ肥っていたので、歩く姿も威風堂々、といった趣だった(笑)
しかし、なぜか、足の形や指は、まぎれもなく、ぶかっこうな「アジア型」w
私の足指は、それこそ、いわゆる「ギリシャ型」とか言うのだろうか、
ところが、
これは、「弥生」系と言うか日本人らしく「ひらたい顔」の父親由来なのだから、わからないものだ。
でもでも、
うちの母親、「脳に異常」が あったんだもんね。「脳波の」ナンタラとか。
ちなみに、母親の姉妹の一人で、若くして自殺した、私の叔母にあたる人は、癲癇の持病が あったそうだ。
私も、わりと近年になって察しているのだが、母親にも、そのケが あったものと思われるフシが窺えた。
もう一人の妹は、中年になってから、激烈な精神病になったしね。まあ、比較的に、おさまるのが早かったのは、不幸中の幸いだったが。
うちの父親のほうも ほうで、先日のエントリーで述べたように、私に言わせりゃ、親父も そうとうオカシイのだがw
その先妻との長女が、やっぱり、精神病。この原因は、向こうの実母の家系にあるとは聞いていたが。
で、
うちの母親も、戦時中だったこともあってか、子ども時分は痩せっぽちだったそうだが、トシとともに肥っていた原因も、べつに、食べ過ぎと言うより、体質と持病の影響。
ところが、ここにも、脳の異常が絡んでいたわけよ。
あれほどの 立派な ご面相で、「異常な脳」の持ち主なんて、誰が見抜けるか、ってのw
また、私の観察だが、
特に新興宗教とかの熱心な信者のなかには、一見して、なかなか上品で、なんだか つるんとしたような印象の、美男・美女クラスと言っていい顔だちの人も見かけたりする。
これってのは、
どうも、「良い子ちゃん」「優等生」特有の、あどけない、可愛らしい子どものような素直さとかが絡んでいるような気も するのだ。
もっとも、一歩ちがうと、「アホづら」に近いものかもしれないがw
おととい読んだ『西日本新聞』ウェブ記事に載っていた、被害者ご遺族の一人である高橋夫人の感想にも、新実の眼つきが恐ろしかった、と記されていた。
『オウム23年の出来事 一気に突き上がった」地下鉄サリン事件の遺族、死刑執行の日の思い』7/23(月) 11:27配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180723-00010004-nishinpc-soci&pos=1
『<早川、新実2元死刑囚>謝罪の手記 死刑制度には疑問も』
7/23(月) 18:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180723-00000045-mai-soci
「~真理のため、救済のためと思って戦い、テロを実行して得られたものは苦しみと悲しみでした」(早川紀代秀)
「真理のため、救済のためと思って戦い」
私に言わせりゃあ、
ヘッ、恵まれた分際で生きてきて、どんだけウヌボレておれたんだ。
甘ったれんな、子どもっぽい俗物がよ!!
の一言だけどね。
2018.07.26 (Thu)
『「本質」の見分けが できない「ヤフゴミん」。』の続き。
障碍者で、しかも重度だから、これは排除一択とするのなら、
まさに、障碍とは、
「罪なくして受ける刑罰」
の対象者に他ならなくなってしまう。
(再掲)『“Leave Me Alone”』
いわゆる「健常者」と見做される人に対して、
「罪なくして罰」
を与えるなどという理不尽が許されるはずもないのだが、
これが重度障碍者に対してなら、許されるというのか。
ましてや、自己の意志表示すら不可能な人に対して。
それと、
こうした主張にも、その愚かさに、へどが出るほどの思いなのだが、
「ホッとした親も いるはずだから」などとヌカす輩。
どこの世界に、わが子がメッタ刺しされて、ホッとできる親が いるというのか。
こういうことを平気で言うバカが、たとえば、「親の無償の愛」だの「家族の絆」だの、
さしづめ災害被災者などに対して、「日本人どうしの絆」でガンバロウ!なんてな、歯の浮くようなことを言っているひにゃ、笑止千万も通り越し、鼻白むばかり。
ああ、この軽薄ときたら、まさに罪悪に等しい。
また、親が、各家庭において、障碍児の世話を するべき、という主張も、浅はかなんてものじゃない。
こういうことは、高齢の親の介護問題と共通性が あって、私自身も直面した経験が あるが、
さすがに、下劣な「ヤフコメ」内でもチラホラと、諌めの指摘する投稿者も言うように、個々の家庭で24時間介護などは、およそ現実的ではないし、単に「共倒れ」を招くのみだ。
だから、こういう分野においても、業種として従事する人が、妥当な報酬を得る大前提で、分担する。このほうが、だんぜん効率的であるし、
客観的な視野と広い蓄積を得て、研究と改善に寄与する。
問題は、日本だから往々ありがちなことなのか、私には分かりかねるが、
いわゆる「3K」と呼ばれるような、負担の重い業務に就いている人たちへの待遇が、じゅうぶんではないことと、人員補充のこと、かつ、医師等と違って、専門的知見と資質を備えていない者が、安易に就業できるというか雇用するしかないような現状、つまりは、行政面の不備と遅れである。
報酬や待遇に原因、というのは、少なくとも植松の場合には、あたらないだろう。
彼と同じ職場で共に勤務していた職員たちも いるのだから。
私は、植松が主張したヘリクツについての記事は、正直、あの顔を見るだけで、胸くそ悪くなるのを抑えきれないので、この頃は、あえて読まないようにしている。
おおよそにせよ、その主張も、事の経緯も分かっているのだし、私なりの分析も、ほぼ済んでいるので。その分析によって、
植松も加藤も、「本質は」同じなのだ、
と断言する。
ところで、
私は、個人的に、ある公的施設において、
おそらく「自閉症」等、いわゆる発達障碍児、および、知的障碍児たちの親子サークル活動を垣間見る機会が あったので、そのなかの参加児童の幾人かとは、じかに接触することも あった。
そのときの出来事を、何年も前に、ネット上で書き込んだことも あるし、いまでも、時に思い起こすことが ある。
それは、特に印象的な男児が いたからなのだが、
年齢は、たぶん、小学2、3年生くらいだったろう。その男児に関して言うならば、ことばを発することは できないながら、微笑んだり泣いたりして豊かに表現する あかんぼう、あるいは(これは語弊のある言いかたかもしれないが)、人間に慣れている犬や猫と、人とのあいだのコミュニケーションに近いものすら感じさせるほどなので、
だから、むろんのこと、年齢相応に、まともにコトバを発することも できない、知的な面での問題を抱えているには違いなかったのだろうが、
断言する。
あの男児は、単なる知的な遅れとか停滞というコトバで かたづけられるものでは なかった。
むしろ、尋常ならず鋭敏で、些かの濁りなき その眼を通して、通常児には見えないものを見通す子であった。
感情は じつに豊か、その表現は、ダイレクトに、人の心に訴えかけてくる力が あった。
はっきり言って、この子は、ある意味では、並はずれて聡明な子である、とさえ思えた。
ひとくちに「発達障碍」だ何だと言えども、やはり、他の事と同様、その子、その人によって、表出してくるものや度合は様々なのだということを、あらためて実感させられたものだ。
もちろん、
何を考えているやら、当人の関心を ひいたらしい対象にのみ、ひたすら没頭し、周囲の呼び掛けには全く反応しないという極端な状態で、ひどく手こずらされた子どもも いたけれど。
こういう お子さんだと、親ですら、持て余すだろうなと思ったりしたが、
やはり、これは これで、この子 本人なりの、ことばには できないけれども、理由に近いものは、内に あるのだろうと思われた。
さて、
教職を落っこちた過去を持つらしい、入れ墨、整形やりまくり(?)植松の吐露するところ、
「『心失者』が、糞便を撒き散らし」云々ということだそうだが、
だから、意思疎通が できない、と決めつける前に、
なぜ、そういう行為を するのか、ということを少々考えてみよう。
幼い子どもは、体温調節しかり、排泄機能しかり、まだ未熟であるうえ
(いつぞやのエントリーで挙げた、例の『森友学園』籠池夫妻の教育方針とやらに、私が怒りを覚えた理由の一つだ。こんなものに賛同していた安倍夫婦、『日本会議』w)、
排泄に関するルールも、順を追い、時間を かけて、理解させていくわけだが、そもそも、このように普通の場合ならば、日毎、理解能力が成長し、向上が望めることの前提が、ある地点までで、知的能力が止まったままの重度障碍者ならば、そのように いくはずもない。
なお、
子どもは、自分に対する関心を得たいがために、親や養育者を困らせることをワザとすることが ある、ということを、新幹線にて殺傷事件を起こした者についての先日のエントリーで触れておいたけれど、
私は、専門的な知識を持ち合わせないので、自分なりに推察して述べるのみだが、
たとえ、からだは、いちおう普通であっても、知的な滞りが重いということは、必然的に、表現方法全般も幼く、拙くなるだろうし、
もしかしたら、その重度障碍者なりに、そういう表現でもって訴えたいことが あったのかもしれないでは ないか。
【続く】