2019.04.14 (Sun)
あの『汚気・愚』でもそうだったが、
複アカ多重投稿して、それは小遣い稼ぎでやってるのか何だか知らないが、
まーた、ここへ覗きに来ては、私が書いたことを、アホみたいにパクって(つまり、オマエさんには、思考や思想のオリジナリティや哲学的資質が備わってないからw)、しかも、
しまつの悪い歪めかたを する
(オツムと性格の歪みそのものが表出しとるw)このパターン。
おい、カルト野郎。
あんた、いまだ かつて、まともに就職して、会社勤めした経験ナシだろw
で、うちのブログに来て、これ↓読んだんだろ(嗤)
私はね、「マイペース」であること自体を咎めたわけじゃない。
過ぎると問題だよ、って言ったの。
そりゃ、どんなに「マイペース」でも、分担した仕事さえ きちんと進行できているなら、周囲にシワ寄せは行かないのだから、誰に迷惑かけて恨まれることもない。
私自身、体質の弱点もあり、本来なら、サッサカ動けるタイプじゃない。いたって のんびりした性分だし、それこそ、心ゆくまでマイペースを通させてもらいたい。
自分のペースを無理に変えることほど、ストレスになるものは ない。
でも、それだと、仕事が終わらないことも多々あるのよ。特に、チームワークで、常に締め切りに追われる業務だとね。
べつに、「マイペース」だとしても、私自身は自分の担当分だけは、最後に帳尻合わせて捌いていけるんだけど、
かなしいことに、障碍のため、一部だけ、大目に見てもらわないとならないことが あるから、
「マイペース過ぎ」るあまり、サッパリ進行しない先輩の担当分を、新入りの私が引き受けざるを得ない状態になってしまってたわけ。
当時の上司の言い分では、
「障碍のために、どうしても できないことが ある分、他の社員の何倍も こなしなさい」
と要求されてたんでね。
なんでやねん、と思うけどさw
新入りの こちとら、仕事できない先輩社員よりも、給料が少なかったんだけどさw
だいぶ前の過去エントリーでも書いたとおり、
あの当時は、異様なほど無能な先輩社員の、その無能の原因なり理由なりに、気づいていなかったから、ものすごく怪訝に思ってたわけ。
私に対して、過重なほど要求する上司を始め、少なくとも人並みの能力の先輩社員たちも、おもて立って注意するということを避けてたようだし、
私にばっかり押しつけるかわりに、本人に言わないのがフシギだった。
いまごろになって振り返ると、あ、と思うわけ。
いわゆる『発達障碍』の一種だったのだろう、
「マイペース」過ぎて、本人一人は、自分の業務の進捗ゼロでも、
他の全員がネジリ鉢巻き状態で、こめかみに青筋たてて、もうすぐ来る締め切りに合わせなければならんとガンバってるっつう状態なのに、
いちおう設定された休憩時間になれば、本人一人、つと立ち上がって、自分のための お茶を汲みに行く。
自席に戻ってくると、マイ湯呑みを、机の上の、寸分たがわぬ決まった位置に置く。
「どこまで進みました?」と尋ねると、案の定で、全然サッパリ。。。
それを知って、ゲゲッと のけぞった各メンバーは慌てて、自分の担当分に、「マイペース過ぎ」な おかたの分の仕事を つぎ足す。当然のように、私には、より多く足されるw
よりいっそう処理スピードを上げていくチームのなかで、一人、涼しい顔して、おもむろに、マイ湯呑みを取り上げ、お茶を すすっておられ。
そりゃ、しまいに怒られても しょうがないわなあ。
でも、本人、キョトンとしてるのよ。性格が悪いというのとも違ってた。
それで、高校のときのクラスメートを思い出した。
授業中に、堂々と、教壇に背を向け、真後ろの席の子に話しかけてる。
普通の大きさの声で!
話しかけられてた真後ろの席の子は、さすがに、終始、小声で応じてたけど、
先生が、「△▼さん」と、最初は静かな声で呼びかけて、それを全く無視しよるもんだから、先生もカチンときたのか、もう少し大きな声で呼ぶ。
それでも相変わらず、真後ろ向いたまま、自分ひとり くっちゃべってる。
どうもね、悪いこと、非常識なことしてる意識ないんだ。
とうとう、業を煮やした先生が、かなり大きな声で、前を向くよう叱ったら、やっと振り返った本人、キョトンとしてやんの。
で、しばらくしたら、また繰り返す。
私もビックリした。
教師をバカにしてるのでも なく、悪気なく、ああいう態度を とれるんだから。
成績は、まあ中くらい?いちおう真面目な子だったよ。全体に地味と言うか、女子高生らしい華とかシャレっけとか全然なかったけど。
正直言うと、その子に対して、良い印象は持てなかった。
私が聴覚障碍のせいなのか、それとも、他の理由でなのか、
なぜか、いつも小バカにしたような眼つきと見下すような態度だったから。
なので、上記のような、授業中の異様な態度を目撃して、
やっぱ、この子、ヘンやな、と思ったもんだ。
『発達障碍』というコトバや概念は、まだ全く知らなかった。
【続く】
2019.04.09 (Tue)
するんだそうで。
またぞろの「イベント」で瞬間的にでも支持率アップを、
結局、何やってもダメだったアッソー安倍ちんコンビの「レジェンド」らしきものを、と、涙ぐましいと言うか、さもしいと言うか。
賛否両論あるのは、現政権の、この状況下ならではのことだろうし、
これらの新しい登場人物を、よう知らんわとか、まったく知らんとか、
「樋口一葉から津田梅子とかビジュアルの落差に目眩」
と、失礼なことをw言う人もいて、
まあ、たしかに、樋口一葉先生は、面立ち涼し気に整った別嬪だしね。
でも、その人生のとおりと言うか、どこか貧乏くさい感じも あるね(苦笑)
なら、大山捨松にするか?w
しまいにゃ、
「生理的に受け付けない顔ってある」!
とまで言ってのける人も いて、
澁澤翁らが御存命なら、たいへん失礼な言いぐさだわなw
ま、そう言いたいキモチは分からんでもないのだがww(をいをい)
まー、私もね、澁澤翁の御尊顔をハッキリと確認したのは、今回が初めてと言っていいくらいで、
あらためて拝見してみて、
「こういう御面相でも、『日本資本主義の父』てか。人は、見た目じゃないというのは、やっぱり本当かも」
と、思っちゃいやしたw
いや、失礼失礼!
もうちょっと若い頃のだったら どうかしら?たいして変わらん?ww
まあ、澁澤翁のことを言うくらいなら、いまどきの政治屋連中、ことに、現閣僚らのア●づらマ●ケづらは、揃いも揃って、ヒドス、、、(ry)
なかには、アニメの主人公を提案する人も いて(笑)
~
1万円 ドラえもん
5千円 オバケのQ太郎
2千円 エスパー魔美
千円 パーマン
~
と。
思わず、
うん、それ、イイネ!と思った(笑)
特に、『オバケのQ太郎』大好き!だし、これでも大いに良いけど、
私はねー、『ディズニープリンセス』!とか『プーさん』!と言いたいところだが、ありゃあ、外国のだからね。
あくまで国産で(?)ということなら、
私としてはねえ、
『ゲゲゲの鬼太郎』(目玉の とっつあん大好き)
『リボンの騎士』、
『魔法使いサリー』または『ひみつのアッコちゃん』
『妖怪人間ベム』
『デビルマン』
なども加えてほしい。
トシが わかっちゃう?(笑)
あとは、、、
『高松塚』古墳壁画の女官像とか。ほれ、『万葉集』にもイメージ繋がるじゃん?(笑)
『キトラ』古墳壁画の「朱雀」や「玄武」とかもカッコイイじゃん。
ただし、朝鮮っぽいけどね?まっ、いいじゃないかw
紙幣のデザインも、これまでの仕来りや枠組みを脱皮し、まったくの抽象的デザインでも良いのでは ないかなという気が してきた。
2019.04.09 (Tue)
こないだの『大阪府知事』選挙のことだよ。
以前の無効票のときみたいに、
「どっちもイヤ!!!」
と、よっぽど、書いたろうかと思った。。。
なんか、大阪の『維新』と、中央の『維新』とは違う、てな奇怪なこと言ってるけど、
私は やっぱり、どっちの『維新』も嫌いというか、
どうも信用できない感じが拭えないままでいる。
そもそも、あの橋下さんも、とんだ不勉強ぶり、不見識ぶりを曝け出したときに、ああ、やっぱりなと思ったし、
前回の住民投票で敗れた直後、政界を退いたのは結構だが、ほどなく、また舞い戻ってくるという話が起きて、ああ、やっぱりな、と、こればっかりよ。
戻ってくるんであれば、それ自体が約束破りだし、
「武士(男)に二言は ない」
というコトバ、知ってるかい?w
だいたい、大阪だろうが中央だろうが、『維新』に対する不信感は、まず、例の『森友』に絡んで、アベシとの癒着疑惑が あること、
それと、
例の長谷川 豊というケシカランこと甚だしい輩を、たびたび立候補させるということ、
これらを思うと、なんで、『維新』なんぞを信用できるかよ。
それにしても、
『自・公』候補に投票するのも また、はらわた煮えくり返る思いだし、
選択肢が あるようで、ない選挙は、もう厭だぁー!!!
2019.04.04 (Thu)
大昔から、日本人は、「舶来もの」が大好きだ。「舶来信仰」というコトバが あるくらいだ。
どうにも、「オリジナリティ」や大胆な「イノベーション」力に乏しい傾向だから、なおさら。
香炉峰の雪や いかに、と。
『天皇』や『皇室』、それらを囲む上流階級の「王朝文化」を権威付けするための、最大の拠り所であった古代中国、その典籍からピックアップする、それこそが、わが国の「伝統」だったはずのことを止めてw
今回は、『万葉集』からピックアップしてみました、ということだそうだが。さてねw
早速、何やら問題になっているらしいのが、私個人的にも、なんとなく引っ掛かっていた「令」の一文字。
もっとも、私としては、語感のほうから先に、躊躇うものを覚えていたのだけれど、
「令」という文字の意味は、単に良い悪いとか言う以前に、どうしても、「上を仰ぎ見る下からの視線」、「上下」関係の存在を含んでいることは確かだと思う。「令夫人」といった尊称にも同様。
で、その『万葉集』中の序文であるらしい、ひとまとまりの箇所に含まれているという、「令月」というコトバを、偉い学者さんも、世間の人々も、「令」は「良い」といった意味合いを持つとのみ解釈しているようだ。
そして、安倍政府も、今ごろになって慌てたかのように、「美しい」という意味で解釈するよう、諸外国へ告げよ、という指示を出したらしい。
ホレ見ろ、やっぱり、「令」だろ、と嗤っている向きも あるw
あくまで日本の国内でしか通用しない、内輪の話レベルのことでしかないものを、なんだか、くだらなくも大げさな騒ぎになってきたもんだなあ、という感じだが、
そこへ『外務省』が、省内公文書を西暦で統一方針とかいう話が報じられると、とたんに、「せっかくの慶事に水を差すな!!」と、いかにもウヨ的ネトウヨ的な感情まる出し指弾の声が大きいとやらいうので、外相である河野さんが必死でマスコミのせいにしてみたりの言い訳。
「慶事」などとはサラサラ思わぬ私も、「え?なんで今ごろ?」とは思ったよ。だって、
「こんなときに水を注す」も なにも、『外務省』ともなれば、西暦あるいは世界標準を基本にするのは当然のことなので、とうの昔から そうやってるものだとばかり思ってたから。そういう意味で、なに言ってんだ?てな呆れしかなかったけど。
さて、
くだんの「令月」というコトバ、
この直前に「初春の」と置かれていることもあり、「令」という文字の持つ第一義的に、「知らしめる」といった意味を持つ以上、本来は、「令月」が直接に「良い月」「美しい月」というよりも、陰暦2月の別称の一つで、春の季節の訪れを(大自然界が)「知らしめる月」である、という意味かなと、私は思ってたんだけども。
とにかく、「美しい」という意味で解釈させろ、という安倍政府の姿勢は、毎度ここでも相変わらずのゴリ押しかよ、とシラケた。
「人々が美しく心を寄せ合う」?
まーたまた、そらぞらしいことを おっしゃる。
安倍さん、あーたが、そのシンパ団体らと共に やってきたことは、
「分断」「格差」の促進でしょ。
なるほど、
「和」という文字は、日本の別称でもある。となると、
「日本(国民)」に「命令」して、「臣民」として縛りつけたい欲望ミエミエじゃんw
といった解釈も、言われてみれば、そんなバカな、まさか!と笑っておれない気が してくる。
そんな解釈は、「ネトウヨ」らが頻りと呼ばわる「パヨク」だの「左翼」だのに該当するからだ、とばかりは思えないな。
まあ、ミギもヒダリも無関係な私自身は、ただ、安倍さん、そして『自民党』に対して、そうとうに つよい嫌悪感を持ってるのは確かだけどw
すでに多くの人から指摘されちゃってるようだが、
さすが、自己陶酔のナルシスト、という人物評が定着してるわけか、
とにかく、「ウツクシイ」というコトバが言いたくてしょうがないのね、安倍ちん、そして『日本会議』はw
そう言えば、「森羅万象」が どうだとか口走ったんですって?安倍ちん。
私は、いよいよ、現シュショーに関するニュースなどは、あの御仁の顔を見るのも、声を聞くのも、極力、避けるようにしているのでw詳しくは殆ど知らないんだけど、
「大自然界が(春を)知らしめる」ということで、
安倍ちんの「森羅万象」発言に繋がってくる?ww
「美しい」「うつくしい」「ウツクシイ」こればかりを口走りたがる者の姿の、あべこべな醜悪さ。
「信任された」「責任を持って」「丁寧な説明」
これらについても、全く裏腹な姿勢であることの羞恥のカケラもない。
さしづめ、安倍政権支持層である「ウヨ」「ネトウヨ」と呼ばれている連中が特に好んでいるらしい「潔い」というコトバが、彼らの態度からは ほど遠いのが実態であるように、
人間、やたら言いたくなるセリフは、自己自身の実態からかけ離れてるからこそ、だったりする。
おまけに、「元号で、政権支持率アップ」ですってさw
イベント盛り上げ演出で誤魔化そうとするのが定番パターン、安倍政権お得意の狙いどおりか。
それが事実なら、たしかに、つくづく軽薄短小が多い国なんだなと、あらためて、なさけなく思うけれど、
日本の大手メディア・マスコミも、この国の人々を、そういうふうに仕向けてきているでしょう。
あー、やだ やだ。。。
たとえば、イギリスあたりの王室崇拝者の名物的な人物を話題にしている記事なんかも見かけたことが あるけど、しょせん他国のことだから、「ふうん、もの好きというか何と言うのか、こんな人も いるんだ」と、他人事感覚で笑っておれる。
ここまでの崇拝者というのも、けっして多数派では ないだろうとは思うが、しかし、ひるがえって、自国の人々の、少数でなく、もしや大多数が、こんなふうだとなると、同じ国の人間として、なんだかナサケナイというか、やりきれんものが漂ってくるよなぁと思ってる。
その滑稽なまでの軽薄さ、おめでたい単純さ、知性の乏しさを剥き出しにしたようなスノッブぶりは。
こういう崇拝者の存在って、彼らに持ち上げられてる側の当人(女王とか)から見ると、けっして悪い気は しないとか、やっぱり、嬉しいものなのかねえ?
かえって、そこはかとない見下し感情すらも内心に湧いて、
「やれやれ、わが民とは言えど、しょうがないなあ。。。」
という持て余すような感覚にならないのかなと思っちゃう。
近頃、女王の夫君が、交通事故を起こし、そのために危険な目に遭わされた被害者たちが、ろくな謝罪もないままだということで、苦情を明らかにしたところ、やっと、少しは誠意らしきものを示してもらえた、という記事を読んだけれど、
日本なんかは、ほら、
例の、『オリンピック』のエライさん。
『皇族』でもないのに、「プリンス」と呼ばれていたらしい、あのかたなどは、過去に、死亡事故を起こしておりながら、『皇室』と繋がりを持つ家柄だからと周囲の協力や何かでムニャムニャとかいうスキャンダルも あるよね。
今度の「元号」の話題に戻ると、
『気淑』(「きよく」と読むらしい)が、この「淑」にしても、また、「和」にしても、全体に、いかにも女性的イメージである。
なんだか、あの仙谷氏の「柳腰」騒動を思い出してしまうw
まあ、個人的には、『一世一元法』には、良い印象を持てないのが実感だ。なぜなら、
旧ブログでも述べておいたことなんだが、
『昭和』時代に生まれ育った一員である私も、あの元号の時代が長過ぎるほど長かったせいなのか、これしか実地に経験していない『昭和』という元号も、いつの日にかは変更になるのだということをチラッとでも意識に上せたことすらなかった。
なんとなく、いつまでも『昭和』のままで続いていくかのような錯覚を起こしていることの自覚もなかった。
要するに、
親が老いて、死にゆく日が訪れること、
自分も また、同じような日を迎えるであろうことを、アタマでは分かっているつもりでも、正面きって考えることを、先に延ばしつつ延ばしつつしてるうちに、
「きのう きょうとは思わざりしを」てなことになる、そんな感覚に近い。
そして、
いよいよ『昭和』時代が終わるのだという日に直面してみれば、
自分でも驚くほど、心理的な抵抗感が起きていることに愕然とした。
ああ、こういうことなのか!と。
ほんとうに、愕然としたのである。
なので、ハッキリ言う。
『一世一元法』は、有害です。やめるべき。
こんな心理操作、心理的に有害なもの、国民一般に強いるもんじゃないと思う。
一個の人間に過ぎない者に、「神話」を背負わせ、無謬性を要求し、
「聖上」などと持ち上げるバカ。
おのれが、そういう立場であったら、耐えられるか?
「自分には耐えられないから、天皇は偉いのだ」、
しかし、天皇さん御自身、やりたくて やってるのか?
もし そうであるなら、こんな奇怪で不自然なこともない。
少なくとも私は、押しつけたくないね。自分を含め、誰に対しても。
「やりたくない」と言ってはいけない、
言わさないようにしているのだから、こっちも、何も言わない、言えない。
国民全員おのおのが当事者であることを避け、心煩わしいことは、
「おまえだけ祈っておれ」と、ただ一人に押しつける。
代わりに「祈ってくださる」のだから、国民は気楽、
国民どうしで「心を寄せ合う」どころか、他人事として遠巻きに眺めるだけで済む。
そうして、お互い黙りこくったまま、
「中空」に、見えない目配せと声なき声が、ひそひそ飛び交う。
その国では、
「祈らなければならない人」も「祈らなくていい人」も、誰もが、ほんとうの責任を とることは ない。
「責任者」は いないから。
ぽっかり空っぽなまま。
2019.04.03 (Wed)
なんだか、寂し~い印象だね。
スッキリしてると言えば そういう感じもするけれど。。。
敢えて喩えてみると、
『高松塚』古墳の壁画に描かれた女官のような、飛鳥時代の、「大き のり まします」的、素朴にして おおどか、ゆったりと ふくよかな女性の顔だちが、元禄時代に爛熟した芸能である「歌舞伎」の女役が代表したような、キリリと痩せて凄艶なまでの雰囲気へ、
というと、それこそ「人工美」というような感さえしてくるが。
まあ、夜桜見物のための提灯に書かれた字面なんかの写真を見てると、いっそう、そんな印象を受ける。
なんとなく江戸期めいた古風感もあり、そこはかとない寂しさの漂う感じもある。
要するにね、
『令和』の令が、「冷気」の冷に見えてくるような(苦笑)
つい、「冷気※年」とか口走ってしまいそうで、いまから怖い。。。
なんせ、「失われしン十年」のあとだもんねw
何ら実績らしいものが ないどころか、マイナスだらけにしてしまった安倍政権の、相変わらずな、ここぞとばかり、鼻につくイベント演出ぶりとか、
か~るいミコシの安倍ちんの、相変わらずな軽薄短小ぶりとか、
そもそも、「元号」制に対する批判等々は、ここでは さて置くとして、
私個人も従来から、『キリスト教』を基底に置いているらしい西暦一辺倒にするというのは、多少の不満が あるものの、
今回の「元号」には、自分から使用することを避けたくなるのみならず、やはり、公的な書類の場面でも、できるだけ、見たくない気が してしまう。
元号なんてものは、せいぜい、貨幣などだけに残しておくていどでいいんじゃないかな。
強制ではないと言いつつも、役所の書類などは、「和暦」でしか書き込めないようになっていたりして、
ま、こういう やりくちが、昔から日本の公が得意とするところである。
現憲法が保証している『天皇制』(それもあるから、天皇家は、現憲法を大切に、と常から主張するわけ)、
その大前提に、「日本国民の総意に基づく」云々という欺瞞が堂々と記されてあるように、
「選択肢」を保証・保障しておりますよ~んと、表面的には言うけれど、
内実は、真綿で首を絞めるてな やりかた。
だから、日本人はイヤラシイと思われちゃうんだろうね。まさに「スネ夫」的なイヤラシサだもの(爆)
うん、さしづめ、現シュショーや、ネトウヨ総本山らしき『日本会議』のメンツそのものの姿じゃんか(爆)爆)
私自身も、日本人の気風といったものが、どこか合わないような感覚が ずっと あったので、おとなになったら、実家を出るどころか、日本を出たいと思っていたものだ。
まず、障害、そして、親の問題とかに足を引っ張られなければ、さっさと実行してたと思う。こういうことは、若いうちでないとね。
わりと最近のエントリーでも、
かつての『昭和』や現在の『平成』という呼称を例に、「名前負け」という皮肉な現象が ありうる、という話を した。
「和」と付けたせいか、かえって、大戦争を招き、さんざんな敗戦を喫する結果となった『昭和』。
後半においては、あくまで表面的な「経済大国」としてのし上がったように見えるけれど、それも、うたかた。
そうして、
「平らかに成」らなかった。
国土も、人心も、大きなデコボコだらけ。
非常に頭が良いはずの人でも、日本は、かつての勢いを取り戻すべく、いかに稼げるようにしていくのか、「経済の立て直しを!」といった論ばかりを展開する識者たちは、掃いて捨てるほども多いようだけれど、
今後は、こういう「枠組みに囚われた」ような論それ自体に対する疑問を持ち、客観性を問い直すべき時代に入ったのでは ないかと思う。経済でも、軍事面でも。どこの国家もだ。つまり、人類的課題。
要するに、
たとえば日本の現況、「少子高齢」の問題は、むしろ、誇りにすべき医療と福祉の高度化が齎した恩恵の現れとも言える結果、「高齢者が増え過ぎて」というよりも、第一には、人口のアンバランスから起きている面が大きいし、一般国民・大衆が、素朴に単純に、「子どもを持つ」ことが妨げられやすい情況・状況となっているのであれば、そこを分析し、改善していかなければ ならなかった。
あくまで私個人的には、子を産み落とすことに抵抗感つよいけどね。
ましてや、これからの日本は、戦争でなくても、大災害が、いよいよ頻々と起きるであろう国で、よく産めるなあ、と感心するのも通り越して呆れるけどw
まあ、こないだは、かねてより私が考案してあった「世界養子」を提案しておいたがwいずれにせよ、「親」とか子産みというのは、
「道連れ」にせんものとするシタゴコロ
である以上、しょせんエゴの世界には違いないですわww
「マカク猿」の世界を観察しても、自分自身や自分たちグループの勢力維持・拡大は、人間と同様、それを最も重要としているのは明らかなようで、
しかも、猿たちは、人間ほどの計算や下心で細々したことまでは当然、考えないからね。
とある雌猿ときたら、ボス猿にモテるらしいものの、次々産んだ子猿は、長女は病気持ち、長男は知的障碍、やっと普通らしい娘が生まれたら、それは幼くして あっけなく事故死、最近、また産んだ息子は、見るからに弱っちいと、こんなんばっかりだ。
でも、
例のアブノーマル・マザコンの知的障碍者である息子を産んで、一時は大いに悩んでいるようすではあったけれど、結局、いまでも、そのアホ息子を一番、可愛がってるところを見るとw
人間の世界で言われるような
「子に条件を付けないと愛せない」
ということでは なさそう。
ちなみに、最近のエントリーで付け加えるのを忘れたが、
知的や精神面の病気とか異常が あることと、あたかも引き換えのようにして、何らかの特異的才能や能力が あるに違いない、という考え方自体が、「条件を付けないと愛せない」ことに通じるよ。
「自分の子」「自分の!」ということに拘り過ぎるのも、同じことだ。
生殖の問題というのは、繊細・微妙になればなるほど、うまく いきにくいものなのかもしれない。
だから、だらしない者ほど、だらしなく、子どもをホイホイぼこぼこ産みまくるというのが、ありがちなことでw
おまけに、人間社会では、ことに、こんにちの日本社会では、
ぽこぽこ産んでボコボコ殴り殺す、
そういう、猿以下の社会になりつつある。
年齢が高くなるにつれ、女性は妊娠・出産に悪影響が出易いとか、男性ホルモンの減少とかいった支障が、「晩婚化時代」には必然として伴ってくるし、
科学的には本当のところ どうなのか知らないが、たとえば、女性の場合は、パソコン仕事を長時間するだけで、婦人科の病気を負いやすいとかいう説も、どこかで読んだことが ある。
「アジア」何番目の経済大国だの「G」何ヵ国のうちに入っておらずとも、軍事に税金を注ぎ込んでおらずとも、
国民や民衆が、まずは平和に、そこそこの水準の生活を送れる、穏やかな国であることは、けっして不可能ではないのじゃないかということ。
そのためには、どうするのが良いのか。
各国のケースの研究も、もっともっと深くしてみたらいいのにと思う。
冷たい空気が、この列島を覆わぬように願いたい、
と思ってたら、新元号が発表されたとたん、
とうに4月だと言うのに、なぜか、冬の寒さが戻ってきた
なお、その「骨皮筋ヱ門」さんは、並んで立っていた仲間の桜の木たちと共に、ばっさり切り倒されていました。。。
『花は、騒がしい人間のことなど 知ったこっちゃないのだろう』