2019.10.14 (Mon)
トランプさんでも橋下さんでも百田さんでも竹田さんでも、
いま話題のグレタ・トゥンベリさんを、アタマから批判したり、中傷したり小バカにしたりするのは、
私に言わせれば、そんな彼ら自身が、何か確信犯的なのか?それこそ、何らかの勢力や権力筋に「洗脳」されている軽薄短小者なのか?
と疑わしい連中です。
それとも、
「汚れっちまった」エセ大人であることに、まったくの無自覚なのか。
彼らの言っていることは、単に「自分棚上げ」や「自己投影」から出ているコトバとしか思えませんわ。
まだ子どもと言っていいほど若い人を つかまえて、やけにムキになってさ(嗤)
実は、このエントリーも、数日前の ある記事を読んで、ほぼ書きあげてあったのを、またぞろ、そのままにしていたのだが、
さて、東大名誉教授の上野千鶴子氏が、こう おっしゃったそうだ。
「環境問題は『未来世代との連帯』と言われてきました、が、その『未来世代』は死者と同じく見えない、声のない人びとでした。その『未来世代』が当事者として人格を伴って登場したことに、世界は衝撃を受けたのでしょう」
いやいや。
子どもや孫を持つ人たちは特に目の前で日々、見ているじゃないですか。「その『未来世代』当事者」を。
私自身は、子や孫を持たなかったから、怪訝に思っていたけれど。
「しょせん、子どもが いない者は」
と言う人たち、世間では とても多いみたいよね。
でも、最近は、
実際には、そんなもんなのだなあ?と、諦念に似て思うようになった私。
以前から指摘してきたけれど、
子どもを産み落とした人たちは、私に言わせれば、往々にして楽観的で、基本が俗物なのですw
「子を持って一人前」とか、子を持つことで、それだけで、なんだかリッパになれたような気が するらしい、野生の猿の価値観さながらな人々ww
そうでないと、
子を産み落とすことなんて、
ましてや、
このような日本で、なにがしかの抵抗感どころか、子を産むのが当然!という気には とうてい、なれないはずですよ?
あのグレタ・トゥンベリさんの世代から見れば、まさに、私らの世代こそを中心に含めて、「よくも!」と糾弾したくなる対象だろう。
けれども、
例の『福島』での原発大事故を機に、あらためて私が驚いたのは、
「いつの間に!日本じゅうに、こんな たくさんの原発が」
ということだった。
ところで、私の実家では、いつだったかの過去エントリーで述べたように、
夏の1ヵ月間だかは購読料ロハにするという約束を、営業に来たオニイチャンに、うちのケチな親父がフッカケて、無理やり押しつけたらしく、
以降、ずーっと、『読売』新聞ひとすじで何十年と購読していたのだがw
そもそも、国の「原発」施策に大いに関わっていたという、あの『読売』ですら、私が若かった頃までは、「原発」の問題についても、わりに、ちゃんと報道していたように記憶している。
でないと、中学・高校生時代の私が、ほぼ『読売新聞』しか読む機会が ないのに、問題意識を少しは持ち得ていたはずが ないので。
いまでは もう、すっかり、安倍政権ソンタクのヨイショの、
『自民党』御用達ペーパーとなり果てて久しいけどなw
うちの親らは、「低学歴のうえ、女」である母親でさえも、政治や社会問題全般に対して関心は持っているほうだったのだが、なぜか、両親ともに、「原発」問題については、何か話していた記憶が ない。
フシギな気が するほどだ。
それと、
私が、「環境に良くないんじゃ」と咎めたことに対して、「うちだけが心がけてもムダ!」と即座に一蹴されたという出来事も、一度ならず あった。
特に母親のほうは、戦中・戦後の子ども時代を経験しているにもかかわらず、食品を使い忘れたまま腐らせてしまったり、つくり過ぎて廃棄したり、食べ残したりと、食べ物を粗末にする傾向が あったので、子である私のほうが、よっぽど、食べ物をムダにすることへの抵抗感が つよくなった。まさに「反面教師」と言えるだろう。
うちの親らの世代というと、間違いなく、まずは、あの戦争に翻弄された世代である。
親父らの同世代は、例の『特攻隊』といった「クレイジー」な命令にも従容と、あるいは嬉々として、従った。
その世代が、戦後、中心となり、こんにちの日本へと繋がる道を着々と つくりあげてきた。
うちの親父は、個人的に、自分の養父に対する恨みも あってか、
自分自身が高齢になるにつれて、親世代に当たる『明治』生まれ世代への反感を つよめていった。
もとは、若きエリート軍人らしく、『天皇』崇拝者だったのに、いつしか、『昭和天皇』に対しても冷淡な姿勢へ変化していった。
自分自身の子どもや孫が いるからこそ、全体の将来像を思い描き、深く案じもするはずだろうと思うのだけれど、はたして現実は、そうだろうか?
うちの親も、自分自身の人生への不満やらを、子どもで個人的に解消したいと思っているフシは見受けられたが、
おおむねは、単なる「自己投影」に発し、軽薄な「自己満足」に終わっていた。
いつの時代も、子どもは、その親世代のツケを払わされることになる、
それが、この世の現実では なかろうか。
かつての子ども、すべての子どもは、グレタさんなのだ。
それにしても、あちゃらの若者は行動的で、おとな顔負けにシッカリしとんなあと感心することも多いけど、
日本の子どもや若い世代は、いよいよキモチわるいくらい、おっとなしいねえ~。だいじょうぶかよ?
先日も、二十歳代の人と、仕事の ありかたなどについて少し話を する機会が あったのだが、あまりにも、従来の社会や陳腐な おとなたちの影響下にあるのか、些かの疑問も持たず、画一的で、通り一遍で、「哲学」のテの字もない、ある意味、人間の現実というものを無視した、形式的良い子ちゃん、つまり「優等生ちゃん」むき出しで、「こりゃあアカンわ」と思った。
その若者自身は、公私とも平均以上に恵まれた立場に居る、健康的な好青年だけれど、
何と言うか、
適性とか考慮することなく、言わば「苦役」であっても、「仕事」というものは、そんなものでアタリマエという考えなのね。おそらく、世間一般からの受け売りだろう。
そういう、決まった「枠」が大前提として あり、
そこから少し違う角度でも考えてみることなんて、思いも つかないようだった。
そりゃ「ブラック」でも従容と黙々と従って、逃げもせず、抗議もせず、
機械的に日々の作業を続けていた「良い子ちゃん」が、ある日とつぜん、とんでもない事件を起こして、周囲が仰天する、そういうパターンが増えてきたような気もするわけよ。
【続く】
2019.10.05 (Sat)
『【続】異常者は、ゴリ押しが お好きw』の続き。
ところで、
うちの親父のほうはと言うと、これが また、「千葉」と「目黒」の各父親に似ている。
その女房である母親のほうは、まさに、「森山」という人と似ている。
やれやれ。。。
スケールは小さいながら、こんな夫婦に挟まれてたんだぜ、私って。
(苦笑)
やはり、決定的に分が悪かった親父は、母親の話によると、
かつて、家庭裁判所で小細工してまで真っ赤な嘘を通そうとしたそうだし、
なるほど、
徹底した被害意識と自己憐憫ゆえのものか、
恥ずかしげもなく、さめざめと泣いても見せるし、
なんだったら土下座すらも厭わないところが あったよ。
知人たちの話を聞いていても、
かなり深刻な問題を孕むケースの家庭は、世のなか、意外なほど少なくないのかなあと思うけど。
専門家筋の話によると、
「『自己愛性人格障害者』は、実際に、企業などの組織体で出世していることも多い」
ということだし、
「勢いが強過ぎるタイプの人は、精神的異常の範疇」
ということである。
はたして、そのとおりだろうと、私は かねてから推察していた。
そして、
「異常性」を潜めた手合いこそは、個々の家庭から大きな組織体に至る そこかしこで、マメに動き回り、はたらきかけ、世のなかを牛耳っているんだわ。
そりゃあ、人間社会は良くなるどころか、やがては腐っていく一方よ。
世のなかを動かしている中心は、自己愛に凝り固まって異常性を帯びた者たちなんだから。
ひいては、
異常発生的に「特化されている」男性というものが、人間社会の中心を動かしている意味も考えてみたら いい。
男性という存在が いなかったら、良くも悪くも、どうであったろうか、と。
それらを考えたとき、
およそ男性に弱い女たち母親たち、
さしづめ『自民党』所属の女性議員や『日本会議』あたりの組織に参加し活動している典型・稲田のような女たちの、
なんとナサケナイおつむや精神レベルであることかも、思い当たるだろう。
要領の良い「優等生ちゃん」ばかりではダメなんだ。
どうやったら、精神性を高められる、ほんとうの知性を育むことが できるのか考えないと。
大多数の一般人・大衆にこそ喫緊の課題。
民衆の(女たちの)知性が高ければ、愚物や自己中を、権力の(夫の)座に寄せつけることは ないのだから。
政治は、民衆のレベルの反映。
夫婦は似た者どうし、つり合うレベルだから ひっつく。
2019.10.05 (Sat)
『異常者は、ゴリ押しが お好きw』の続き。
「いままでに、わたしが ついた嘘なんて」どーでもエエよ、というような
福井の海w
さあ、出るわ出るわ、あの「パンツ高木」やら「国民の幸せ第一はダメ!の『日本会議』稲田」やら。
『自民党』は昔から、こうだからね。
だから、私は、もともと大の「自民党嫌い」なんだけど。
同時に、
それほどは驚かないのが、あたかもマヒを起こしたみたくに、また困ったもんで。
最近、発覚した『関電』の大疑獄。
先日のエントリーでも述べたように、真っ先に疑問が湧いたのは、もと「助役」なる経歴だが、
それ以前の仕事は何を やっていたのかな?
それと、
この森山さんが、「先生」と呼ばれ、
よりによって「人権」をテーマとする講演に出ていたというので、
なにソレ???と、フシギに思ったのだが。
また、
数々の「働き」は、「助役」を退いた後の数十年に、ということらしいが、
言っても、たかだか、田舎の中小企業でしょ?
そこが、あんな巨額の裏金って。。。??
この分では、そもそも「助役」現役中のことも、調べあげねば ならないだろう。
さて、
こちらの事件では「森山」という人物の生前のようすを聞くにつけ、うちの母親と共通した性格を思い起こさせる。
「プチ森山」とでも言おうか、
もちろん、うちの親なんぞは、両者とも結局は一市民の人生、スケールは いたって小さいものだったけれど、その性質や性格、行動パターンの基礎には、まぎれもないものが窺える。
福井県での「関電」疑獄発覚において、中心的存在として動きまわっていた森山なる人物には、
自分の意向どおり運ぶためなら、どんなゴリ押しも辞さないし、
いざとなれば、暴力団顔負けの恫喝や恐喝も やってのけていた、という指摘が あり、
こういう性格は、うちの母親とも共通性が ある。
「アベノミクス」の呪文も効かなくなり、
「外交の~」という涙ぐましいキャッチフレーズも、単なる「代わりに言ってくれてアリガトウ」の社交に過ぎない!と喝破され、
ここへ来て いよいよ生気のない、だるんだるんの顔つき、どんよりした眼つきになっている現シュショーのアベシにも、かねて、
「爺さんゆずりの恫喝だけは いっちょまえ」
という指摘が漏れ聞こえていたがw
さすが、
「ケチって火炎瓶」の暴力団との交流で培っただけのことは ある(嗤)
私もね、
「ヤクザ」と言うよりも、現代では「暴力団」と呼ばれる組織の者らと、少々の話を したことくらいは あるよ。
印象としては、
そのへんの一般サラリーマンなんかよりも、よっぽどマメに気を遣って、愛想は良いかもしれない。
ただし。
飽くまで、あたりさわりのない雑談を するかぎりでは、だ。
明るく大声で笑っていても、眼は決して笑ってないぞ。
そして、やはり、どこか、尋常でない眼つきを している。
と言うか、
もっとも、私個人は、むかしから、
「ふつうのサラリーマンやOLである自分たちは、まともで真っ当な人間の種類に属している代表」
と信じていることにすら無自覚な、そういった「会社勤めの一般人」こそは、いちばんウヌボレててイヤな感じの連中が多い、
と思ってたけど。
うちの親の両者とも、事情を深く知らない他人さんからは、「腰が低い」とか「感じが良い」とか、
または、母親のほうは、その並はずれた容貌と体躯ゆえに、「堂々としていて威風が あって、恐いくらいだ」と評価させるほどで、
両親どちらでも、いわゆるソトヅラは いたって良く、
似ない娘の私は常々、「もっと愛想を良くせよ」と注意されていた。
ただし、
彼らは、自分の意に叶っているかぎり、あるいは、
自分では太刀打ちできないような力を持つ相手や権威・権力筋ならば、態度はコロリと変わる。
それでも敢えて逆らおうというような場合は、なんとか自分でも太刀打ちできるだろうと踏んでいたり、そのための下地を前もって構築しておいた場合に限る。
ハナから見くびっている相手(娘の私とかw)なら、
せめて基本おとなしくしているか、
自分の要望を従順に聞き入れ、できるかぎりは積極的に、意に沿うよう動いてくれていると見做しさえすれば、むしろ、大いに肩を持って、感情むき出しに援護射撃してくれるけどねw
もちろん、
意に反して逆らったなコイツ、となると、
とたんに猛烈な妨害や恫喝が開始されます。
こういうのって、天性のものなのかねぇ?ようワカランけど。
なるほど、この両親に全く似なかった私では、歯が立たなかったわけだw
見下されつつ、同時に、たいへんアテにされていた私。
もっとも、私には、親の失態による、不利な条件が様々に負わされていたので、それゆえ、彼らの要望を完璧に満たしてやることが できかねるという、致しかたない側面も あったわけで、そのへんは幸か不幸か、というところ。
しかも、
私の子ども時代は、他の子たちと比べて、非常に素直な性質だったものの、日常生活で多岐にわたる軋轢の多さから来る疑問に直面せざるを得なかったから、そうそう「素直」ばかりでは いられなかった。
長じるにつれ、あらゆる知識と共に、リクツっぽい面も大きくなり、
そういうところが、うちの親らにとっては、可愛げなく、オモシロくない点だったろうw
【続く】
2019.10.05 (Sat)
残虐な男を前に、母は弱し。いと弱し。
例の「目黒」での5歳児虐待殺人事件の首謀者であった継父の公判が始まり、なお いっそうの詳細な経緯を知るにつれ、うちの親父との共通点が思い当たって、いやがうえにも愕然としている きょう このごろだ。
私の生育環境も、いまなら間違いなく、「児相」からの偵察が来て当然な範疇だったから。
さて、
千田さんと言ったっけ、どこかの大学教授さんは、あくまでも「DV男」に ひっかかった女・母親の肩を、一も二もなく持っていらっしゃるが、
子の立場での経験者でもある私としては、正直に言って、かなり甘いのでは?と思っている。
「ああいう男でなければ、母親だって、あんなことには ならなかった」
ということを主張しておられたようなので、先日のエントリーでも、
だったら、それは やはり、「男しだい」ということになるよ?
と指摘したとおり。
『日本で「元気」なものとは?』
なぜなら、
あのテの男と ひっつく女はね、基本的に、男に弱いのよ。
並はずれて気性が激しく、プライド剥き出しだった うちの母親でも そうだったよ。
あの事件のほうの母親は、恐れのあまり、亭主に逆らえなかった、ということらしいが、
どうも、そんなに気が弱いばかりのタイプでは本来ないんじゃないのかな?
というふうに、私は思ってるんだけど。
法廷での言動や態度にも、ちょっとクサい芝居がかったものを感じるし、
しかも、そういう面は、もし、うちの母親が、同様の事態が発覚したのち、こうして、裁判の場に引き出される状況になったとしたら、やっぱり、あの母親である被告と似たような、いや、もっと大げさに、「悲劇のヒロイン」として演じ切ろうとしただろう。それも、自覚なく。
と言うか、
自覚を恐れていたふしも あったから。
うちの母親が、まさに、そうだったんだけど、
「こんな男だからこそ、わたしが必要!」
とヘンな信念もって ひっついたケースも、世のなかには多いかもしれないよ。
実際、あの人は、結果的には、最初の夫とのあいだに もうけた娘よりも、私の父親のほうを選んだよ。
それと、
「目黒」での虐待殺人事件において、犠牲となった5歳児の身体には、
なんと、百何十ヵ所もの痣や傷が見受けられたと、
救助に入った人の証言が あるのに、これを、くだんの母親が「知らなかった」なんてことが ありうるだろうか。
主犯である亭主のほうも、
どうも いわゆる「根性焼き」じゃないか?という、被害者の足裏の無数のケガについて、やっぱり「知らない」と主張してるんだってね。
母親は、「添い寝」もしてたと言うんでしょ?不自然です。
ごく狭い住居のなかで、
来る日も来る日も、亭主が、幼い娘を痛めつけていたのを、厭でも知らないはずが ないよ。
あとね、
主には継父が義理の娘を、性的に暴行していたという事例も、世間では けっこう少なくないようだが、
こういうことって、個々の一般家庭のなかにおいても、じつは、少なくないのだという指摘が、すでに あるけれど、
うちでも、それに近いことは あった。
私の父親違いの姉は、17歳で出産した。
幼い頃に、私らの母親と別れ、姉は、むこうの父親らと生活していて、
(母親のダブル不倫という)事情が事情だから、私らとは、ほぼ音信不通状態だったのだけれど、
年月を経て再会した姉は、ひどくグレてしまっていた。
姉の生育環境も また、酷いものが あり、グレるのも無理ないと、私は、いまでも、姉が不憫なのだが、
どうしたものかと、姉の父親らも お手上げ状態となってから、実の母親の家庭である私らの所へ泣きついてきたカタチになった。
そんな姉が、その後、いわゆる「できちゃった」というので、中絶が可能な時期も逸しており、スッタモンダのすえ、
どうにか こうにかで出産前後、うちのほうで、私にとっては甥に あたる あかんぼうと共に預かっていた。
私らの母親は、ここぞとばかり やかましく、孫である あかんぼうの育児のことについて、姉を指導・叱咤し、特に授乳については、だんぜん母乳を!と、
いつものことだが、なかば命令のように勧め、実行させていたのだが、
あるとき、少々の酒が入っていた親父が、隣室にて、息子に授乳中の姉を覗き込み、それに気づいた姉が、小さな悲鳴を あげるようにして不快感を示したので、母親が、親父を たしなめたという出来事が あった。
ずばり言って、あのとき、親父は、イヤラシイ雰囲気だった。
そのことを考えると、
もし、私らの母親が、最初の頃に望んでいたという、姉を連れて、親父の連れ子や、私ともども一緒に育てるということを実現させていたら、
やっぱり、姉は、義理の父すなわち、うちの親父に、性的な面も含めて、いろいろと厭な思いを したであろうと確信せざるを得ない。
幸か不幸か、離れて育ったからこそ、長じて再会してのち、うしろめたさもある親父としては、それなりに、気を遣い、可愛がったところも あるので、姉も、親父を好きで いられたのだろうと思う。
なにしろ、姉の実父という者も、これまた、親失格の体たらくだったそうなので、よけいに、うちの親父のほうが幾分かはマシと思えたらしい。
それでも、
初めて、親父と対面した幼い頃、
「知らないオジサンが、うちの おかあさんと、、、」
と思ったそうな。
さて、私自身も、二十歳前後になった頃だったか、
入浴中を何度も、親父に覗かれるということが あったので、たまりかねて、母親と二人きりのときに、それを訴えたことが ある。
しかし、
意外なことに、母親の態度はハッキリせず、煮え切らない、曖昧なものだった。
あれほど、気が つよく、間違っている!許せない!となったら、徹底的に抗議する性格なのに、
あのときの母親の、なんとも形容し難い、複雑な表情。。。
案の定、自分の亭主に、このことについて何も言えなかったようだ。
むかしの実家も、親父の借金やら親父側の連れ子である義姉や義兄の進学に際し、家計の逼迫ゆえ、私の母親が、長期にわたって、親戚宅に滞在して働き、
いずれは、亭主と離婚するためにも、資金を溜める目的を秘めて、不在だったあいだ、
私の態度が、親父の気に入らないという理由で、丸めた新聞紙か何かで、いきなり、頭を叩かれ、そのとたん、大量の鼻血が噴き出し、
そのあと、部屋じゅうを ひきずり回されたことも あった。
その間、
さも嬉しそうに、ニヤニヤして眺めている義姉(←親父のほうの長女)の、なんともイヤラシイ顔つきも、視野の片隅に入った。
ちなみに、
かなり年齢が離れている この義姉に、子ども時分の私は、性的ハケクチにも利用されていた。
「自己愛性人格障害者」の特徴であるとも聞いてるが、義姉は、女には めずらしいほど、性欲はなはだ つよいタイプでねw
このことを知っているのは、ただ一人だけ。
打ち明けておいたことのある、母親のほうの姉のみ。
他の誰にも言ったことは ない。
なお、
根が嫉妬深く、ファザコンの母親は、自分の亭主と、この、自分と年齢が近い義理の娘との あいだの(心情的)関係性を疑っていたりした。
助けてくれる者は、誰も いない。
親の知らないところを狙って、いろいろと、私に対する侮辱やイヤガラセを はたらいていた義姉は、結婚と出産後、問題行動を激しく起こすようになり、「自己愛性人格障害」という診断が下ってから、たいへん長い。
ただ、
うちの両親でも義姉や義兄でも、では、カンペキなる悪人かというと、そうとも言い切れない面が少しは あるから、こちらとしても些か複雑な心境になってしまうのだが。。。
現実の生活って、往々にして そんなもんよね。
【続く】
2019.10.02 (Wed)
2週間以上も前の記事になっちゃったけど。
『天王寺動物園の「ヒデヨシ」死ぬ けんかで腹刺される』
9/12(木) 20:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-00000072-asahi-soci
『エランド』という種名が あるのは知ってたが、
コメントに あった「牛は序列が厳しい」というのは知らなかった。
言われてみれば、牛って、意外と怒りっぽいみたいだもんね。
煽りまくってワザと怒らせる「闘牛」ってのも あるけど。
もちろん、動物の世界の「上下」意識って、たしかに、人間が日常的に飼っているペットなんかにも見受けられるし、
動画で観察していて、気づいた、猿の社会の序列なんかも、以前から言ってきたように、凄まじいものが ある。
「動物は人間と同じ感情を持ってるのが分かる」
というコメントも、そのとおりです。
それも これも、肉体あるがゆえですわね。
「喜怒哀楽」の みなもと。
「これが自分」
という確信を齎す、物質こそが かたちづくっている生命体を保全し続けたいのは、否応ない「本能」的な欲求なので、これを脅かされると感じたら俄然、立腹し、あれこれの攻撃に出るわけで。
圧倒的に分が悪いと感じたら、フリーズしちゃう場合も あるが。
はっきり言って、「自由」だの「自由意志」だのは、ないというのが実態だろう。
認めたくない向きも多いかもしれないが、最も多いのは、そもそも、そこまで思考が及んでない人々。
皆、それぞれの「肉袋」のなかから、小さな穴を通して、周囲を見ていて、苦痛や攻撃から防御せずにいられない この守りたい肉袋こそが「自分」だと信じている。
そういう状態から抜け出たいがために、「肉袋を超越」しようと、特に宗教なんかで、いろんな「修行」に励んだりもしてきた。
肉体ゆえの煩悩が激しい男性は特に。
究極は「即身成仏」なんてね。
で、
「エランドの器の小ささが招いた」
「かっとなって刺してしまいました」
ってコメントも、ついフいてしまいそうになったけど(苦笑)
結局、これ まさに人間(特にオス)界の争いごとの殆どでもあるもんね。
たださぁ、
クラゲ(ふわふわ漂ってる感じのアレ)には、脳というものが ないと聞いたときはビックリしたなあ。
人間なんかは特に自己防御に際して、今こそ脳をフル回転させねば!とリキみそうなもんだけど。心臓もバクバクしたりね。
思えば、クラゲの「傘」の動きかたって、心臓の拍動みたいな感じが するとは思ってたが、それは、やはり、そういうことらしい。
水流に乗ることが できずに、そのまま、水底に沈んでしまったとなると、自力で泳ぎ抜こうと力んだところで、もはや「傘」の開閉が困難であるから、じきに疲れて死んでしまうらしい。
それ、わかる気が するわ~。おや、あなたも?(苦笑)
詳しくは知らないけど、クラゲの場合、神経網の反射だけで、生体としての活動を まかなっているそうな。
まあ、われわれだって、勝手に反射する機能もあるし、心臓なんか、まさに自動的に動いてるもんね。
これには、「電気」が関わってるよね。
私は むかしから、「電気」の摩訶不思議さのことも考えていたけど、
剥き出しの心臓そのものみたいなクラゲは、原始的でありながら、脳も ないから煩悩も ない、らしい。
もしかしたら、これこそは最高度に進化した生体なのかな?とも思わせる、意外なほどの不思議に満ちている。
毎度のごとく、話が飛んだけど、
ところで、
この動画、オモシロいよ(笑)
「おい!!こっち見ろよ!!シカトしてんじゃねーよ!!」
さんざん、自分よりも大きいラバ(であるらしい)相手にケンカ売っておいて、
たまたま、ラバが尻尾を振りたて、
それが、自分の顔面に ちょっと当たったとたん、思わずビビリまくるヤギw
気が強いんだか弱いんだか、どっちやねんww
われわれが、なんとなくイメージしているヤギや羊とは違う実際が あるのだねぇ。
うちの母親が子どもの頃、近所で飼われていたか、学校で飼われていたのか、詳細は忘れたけど、羊の世話を した経験が少し あるように言ってたが、まず、
「羊ってなあ、ちーっとも可愛くないんやで!」
と言い切っていた。
なんでも、外見からは想像できないほど、プライドが大変に高い動物だそうで、
餌やりの時間が、ほんの少しでも遅くなると、猛烈に拗ねて、そっぽ向いたまま、金輪際、餌のほうを見ようともしなくなるんだそうな。
あんな頑固な動物は、他に知らんわ、と言っていた。
私も大阪の子では あるから、『天王寺動物園』には一度くらい行ってるはずなんだけど、まだ学校に上がってない幼い頃だったみたいで、よくは覚えてないのだが、
晩年の母親が長期入院していた大きな病院の近くでも あり、いっぺん、また行こうかなと思いつつも、そう思えば、いつでも行ける所って、意外と、なかなか行かないのよね。
まあ、そのうちに、って思ってるうちに、月日は流れて。
たまにしか行かない土地だからこそ、あっちも こっちも、と欲張って見ておこうとするもんで。
あかんぼの頃から小学生時分までは毎年、親戚の居る東京に行ってたので、もちろん、あちこち遊びに行ったし、十数年ほど前までの神奈川県にも馴染みは あったので、どっちかと言えば、むしろ、大阪のなかのほうが、いまだに疎い場所が多いかもしれないくらいだ。
たしかに、このニュース記事の添付写真を見ると、くだんのシマウマが立っている草地が、大阪の特に騒がしい街の ど真ん中に立地しているとは信じられない光景だけど、
そう言えば、こんな動画も あったよ。
これも、「お気に入り」に加えてあったのを思い出し、再度の紹介です。
『いつも笑顔のシロフクロウ』