2021.07.20 (Tue)
『タイム カプセル~過去からの「贈り物」』の続き。
すばらしきかな、
『日本会議』に雇われた御用聞きアベシ、もとい、
『日本会議』と共に、こよなく「道徳」を愛し、重んじる安倍主席さまw
ハイル!!シュレッダーあべ総統さまww
国民の権利をガシガシ削っていく政治を支持するようなバカな日本国民は、今後、もっと思い知る必要が あると思う。
自分たちの権利(それは、本来、義務を健全に果たしていくためでもある土台)を、自分たち自身で壊していくことの結末を、目の当たりにするが よい。
まだまだ、反省が足りない。
この、カクレおこちゃまな未熟な(ニセモノの)国は、昔からだ。
最後に、もう一つの警告。
日本と同様の主義や国家体制を基本に持っているはずの国々においても、この「新型コロナ禍」では、強制力をも辞さず、わが国とは大きく異なる施策を実行してきている。
日本国内では、大多数の国民その他の人々を含む大衆が指摘し、憤りさえも見せるところの、
「新型コロナ禍」に おける自粛など、あらゆる「お願い」のみで乗り切ろうとしているのは、
日本は、いちおう『自由主義』『民主主義』の国であるから、といった尤もらしい理由が、判で押したように返ってくるようなのだが、
私は、
じつは そうでは ないのでは なかろうか?
恐らく、与党としての『自民党』は、かねてからの目的へ誘導する計算、戦略を以って、ひそかに期待し、待ち構えていることが あるのでは ないか?
と睨んでいる。
いままで、この国の一般国民は、概ね、他国に比しても、そうとう際立つほどの「横並び規律」や国家権力に対する従順さ、「同調圧力」の強さが特徴的な国民性だったゆえに、「暴力装置」たる国家を筆頭とする権力側にとって、いともコントロールし易い、扱い易いことでは世界一と言っても過言でない国民だろう。
しかし、そのせいで、かえって出しにくい「手」も ある。
「新型コロナ禍」というものは、そう見ると、ある意味で、与党『自民党』にとって、堂々と、国民大衆を縛りあげるための下地づくりへと大きく踏み出せる、千載一遇のチャンスでも あるわけだ。
その与党『自民党』が「期待」するところにとって、現在のように、日本の国民大衆が、「お願い」も「まん防」も、そして「緊急事態宣言」でさえも、繰り返されるなかでは、もはや飽き飽きしており、麻痺にも似た無感覚の如き状態で、かつてなく、てんでバラバラの好き勝手が赴くままを始めることは、じつは、与党『自民党』にとって、待ってましたと望ましく、ひそかに、ほくそ笑んでさえいるのでないか?ということ。
そう考えると、
たしかに、諸外国と比べて、少なくとも見かけ上と現在のところまでは、単純な感染者数からして、桁違いに少なく収まっているままと見えるのに、
ところが、
日本で殊に大きな問題となってしまっている、バカげているほどの奇妙な問題、例の「医療・病床の逼迫」、これは、どういう意味を持ってくるか。
おりしも、ワクチンを めぐる動きも、あれこれ不可解なまでのトラブルや見込み違いなどが、官民ともに繰り返され、
担当大臣の言動すらも、ますます不可解に変転している。
そんななかで、いよいよ引き返せなくなった状態までゴリ押しに運ばれた『オリ・パラ』が開始されるのだが、
世界じゅうから集まった選手団、随行スタッフ、メディア各社の人員。
ホスト国たる日本は、自国民を放り出しておいてでも、預かった大量の客人たちを手厚く優遇せねば なるまい。
と言うか、
まあ、とっくに、受けられるはずだった基本的医療や治療を施されもせずに、いつの間にか、一人きりで、あっけなく死んでいたという事態になるまでホッタラカシになっていた事実が相次いだ、これが、この、日本という「先進国」たる、
とりわけ、医療面に おいては、他国から仰ぎ見られるほどの高い水準を誇っていたはずの、この国の、つい先頃までの実態だ。
なるほど、「ヤフゴミ捨て場」の工作員と思しき連中が、ここぞとアレこれ煽りたてるわけだな(嗤)
なぜなら、
『自民党』は、国民側からの要望を、今か今かと待っているのだから。
つまり、
明白な強制力を何ら憚ることなく持ち、自分たち一般国民を縛ってほしい、政府の言うとおりに従えと強く命令してほしいのだと、
まさに国民のほうから声を大に求めてくることを待っているのである(嗤(嗤)
2021.07.20 (Tue)
『最近の三つの話題から』の続き。
だいたい、太田氏が指摘するような、「校閲」を通っているんだからという理由も、そりゃ新聞社などの堅い報道系なら必ず存在してなきゃならない部署だし、せめて、きちんと系の大手出版社が発行しているものなら ともかく、いたって俗でヤワな部類の、それも、いまどきのミュージシャンに好き勝手に、か~るく語らせた程度の内容を掲載する雑誌なんでしょ?私個人は、見たことも読んだこともないけどさ。
だから、
チェックに そこまで真面目な手間を かけたら、場合によっては、せっかくアケスケに しゃべってくれた本人が語ったとおりの内容では、いろんな面で甚だマズイですので、、、などとメンドクサイだめ出しすることになりそうだし、そんなことよりも、今月号は注目の誰に登場してもらって、何を ぶっちゃけて しゃべってくれたと、どういうツキヌケた内容の記事をウリに掲載するかが主眼の商売なんだから、どうだろうなあ?
せいぜい、もとのインタビュー内容との単純な突き合わせ校正程度で、「校閲」なんて、たいそうなことは一切してないんじゃないかな。
それにしても皮肉なことの上塗りみたくに、糾弾されている関係雑誌の表紙に、どアップで登場している、くだんの小山田氏の頭の上には、これまた いずれも「ジャパン」「ジャパン」と大きな文字が(苦笑)
なんか示唆的だな。
私ね、最初に、この騒動の経緯をササッと読んだとき、小山田氏は、小・中・高と、いわゆる持ち上がりで進学する私立校の出身であると見かけて、
こちらも大騒動を巻き起こした、日本の珍奇いや高貴なる一族とされている女性のカレシである男性と、顔の感じやら名前まで似てるなあと、なんとなく思い浮かべながら(苦笑)、
じゃあ、こう見えて、なかなかのオボッチャマ育ちなのかぁと、わりと意外に思ったんだけど、
いやいや、
私自身、世間では、いちおう「歴史と伝統の、お嬢さま学校」で定評ある私立高校を出てるから、たしかに、地元の名士やら「成金」家庭も含めた裕福な育ちの令嬢たち、お上品そうに見えていても、その下の顔や本性が どんなだかということを知ってるからね、一人だけ混じってた「貧乏人の お嬢さま」たる私はw
ま、太田さんって芸人さんも、いつの間にやらか、「安倍シンパ」みたいな「ネトウヨ」的価値観へとシフトされたんだろうかね?
だって、
その「時代の価値観で」云々というセリフは、まさに「ネトウヨ」が普段から振りかざす定番セリフの一つなんだもの(嗤)
もし、敢えてというわけじゃなく発したコトバであるのなら、どうやら、彼も、自覚の薄いタイプみたいだ。
それと、
小山田氏のイトコさんですか、
「正義を振りかざして~」云々と、勇ましくコブシを振りあげてみたものの、あえなくアカウント削除してトンズラしたっつう男性。
とんだカン違い一族と嗤われちゃってるよねえ。逆効果もイイとこだ。
こういう場合はね、
身内としては、渦中にある問題の本人に なり代わって、まずは深々と頭を下げて陳謝するくらいが、賢い態度というものなのですよ。
だって、
だいいちには、 その ひらきなおったセリフを見るに、
「正義」は到底、自分たち側には ないのだと分かってるわけよね?
なんと言っても、聞く限りでは、どうにも庇いようのないことを、イイ年齢になっても やらかしてたわけで。
むろん、だからと言って、それこそ「加害」のレベルに達するほどの指弾・糾弾もダメなんだけど、
どういうものか、こうした極端に真逆の態度に転変する如くなのも また、いわゆる「ウヨ」「ネトウヨ」に目立つのだから、いやはや。
まさに「正義を振りかざし」「正義に酔っている」と感じさせられる。
首尾一貫性にも乏しい者どうしで、ほとんど「同類相打つ」の様相(嗤)
ま、「贔屓の引き倒し」というコトバも あるように、かえって、お互いを潰してしまうのだよ。
でね、
世のなか、最も許容性に欠けてるのは、やっぱり、他者を苛めたり虐待する側に違いないのだ。
これの心理的カラクリは、私の推測によると、おそらく、先天的な傾向も含めて、ある種の「被害意識」に極度に敏感ゆえの不安感と背中合わせになっている支配欲・優越欲求ゆえの、常軌を逸した「自己愛」性が絡んでくるのだろうと思う。
したがって、
満足できるまで、手あたりしだいというほどの「アディクト」状態に陥るのだが、
それが なかなか、満足しきれるにも遠い。「餓鬼」の如くに。
ある意味、哀れでしょ。
もし、ほんとうに、自己の満足を得られたとして、
その頃には、どうにも思いあがったままで年齢を重ねた、軽薄で、箸にも棒にもな、喰えないウヌボレ老人の いっちょうあがりだ。
最後に警告しときましょうか。
あの『相模原やまゆり園』事件の植松 聡ね、あやつは、最初に、『自民党』の、アベシなど おエライに向けて、これから、障害者大量殺人を実行いたします!と、オテマミなんぞ差し出していたらしいよね。
てっきり、『自民党』こそは、この計画に賛同してくれるはずだ、実行したら、大いに褒めてもらえるはずだと信じ込んでいたそうだが、それだけ、「ナチスに見習」う『自民党』は、インターネットなどのメディアを徹底的に悪用して(しかも、税金を横流しして?w夥しい配下を動員し)、
そうした邪悪な主張をば、この国に広く定着させんものと陰に陽に、すり込んできたからに ほかならない。
すなわち、
「障害者は、社会の お荷物。税金喰い。本来、淘汰されるべき者、甘やかしては ならない。存在しては ならない者である」
とね。
このように、障碍者に関する考えかたの基本としては同様なのだから、
小山田氏の問題についても一切、まともに答えるつもりなんか あるわけないのよwそりゃモウマンタイが本音ですww
それにしても、
小山田氏にも支払われる報酬額、どれくらいなのかしら。
とうとう辞任を申し出たそうだが、それを受理しても、けっこうな金額なのだろうね?
しかし まあ、「サイコパス」なみのイジメというか虐待加害を自慢していたと糾弾されている「アーティスト」の楽曲でもって、
「すべての差別を許さない『平和の祭典』」を挙行いたします!!ってw
そりゃあ、たぐい稀なほどの「ブラック ユーモア」ですね?そうですねww
そうそう、
嘘、誤魔化し、恫喝、圧力、改竄、汚職、横流し、その他もろもろを、
日本国の政治に不可欠のものであり、
当然の有意義な手段であるとして、何ら悪びれることなく、粛々と汚い手を駆使し、犠牲のターゲットを据えておいて、もって、邪悪なことを次々に やってのけ、
マズくなったら、いち早く上手く逃げおおせる者こそが、
大邸宅に住み、ごちそうザンマイの贅沢で安泰な生活を満喫でき、
良き人生を全うすることが できるのだよと、
周囲を固める「オトモダチ」の面々ともども、
そのように、身をもってシッカリと定着させ、
われら日本国民の手本たる生きかたの指針を示してくれた、ミゾウユウなまでにスバラしき安倍政権は、つごうの悪い書類だの名簿だのは、ほいほいとシュレッダーに かけていき、
事の経緯を、旧『民主党』系を中心とする野党側に追及されたら、
さっそく、障碍者のせいにしてたよね(嗤)
かの御用官僚の鏡、佐川クンには、
「つよけで行け!!」
とハッパ(爆)、
そして、
よく できましたと御褒美を下賜(爆(爆)
これぞ、「純日本人の鏡」であるw
日本国民は、このように生きていくべきなのだということを、若い人たちもシッカリと引き継いでくれるでしょう。なにしろ、『自民党』支持のバカ者、いや若者が圧倒的であるそうだからねww
まさにミゾウユウの事態ですよwww
【続く】
2021.07.20 (Tue)
まずは、
カラオケパブ経営者だった若い女性が殺害された『天満』で起きた事件についての追記から。
私は、この事件で逮捕された男が、被害者となった女性に対し、かつて、「甘い物は苦手」だと断られたにも かかわらず、「甘い物を好きになってほしい」というふうなことを主張して、なおも、ケーキなどの菓子類を持参して差し出していたという話が、とても引っ掛かり、怪訝に思っていたのだが、まあ、このへんは、誰が聞いても同じく怪訝に思い、理解不能だとか、なんと押しつけがましい性格なのかといった憤りの感想を持つところだろう。
少し経ってから、思い当たったのは、
容疑者の家庭に、娘が二人いるらしい、ということ。しかも、被害者と同じくらいの年齢だそうな。
私も、むかし、ちょうど、娘が二人いて、かつ、くだんの男と似たような、と言っても、こっちは化学分野だけど、技術系専門職として勤務している男との つき合い経験が あるのだが、なんとなく、共通性が あるような印象を受けていた。
ふだんは、まあ、優しいと言うか、おとなしめと言うか、落ち着きのある、ソツが ないタイプに見えるし、もともと研究畑の出身だけあって、学校の成績は良かったのだろうし、知的なレベルは高いほうなのだけれど、どうかしたら、ミョウなところで、やっぱり、少しヘンだなと、鬱屈と自己チュー的傾向が あるのは感じていた。
なまじ、頭脳レベルは高いだけに、、、
てな感じのタイプ、けっこう いるものよねw男性に多いようにも見受ける。
いわゆる「核家族」であるなら、ヨメさん、ならびに娘二人に対して、男は自分だけの3対1だもんなぁ。
先述した、私が知ってる男も、家に帰りたくないんだと、何度か言ってたような記憶が ある。
だからと言って、じゃあ、ヨメさんらとの仲が、あきらかに良くないのか?というと、そういうわけでは ないみたいなのね。
でも、
娘たちは ともかく、
ヨメに対しては、とうに、愛しては いない、と言い切ってたけど。
私が察するに、
あの事件で逮捕された男は、被害者となった女性に対し、
自分の娘を重ねて見ていたのでは なかろうか、ってこと。
一見は平和な家族に見えても、やはり、家庭内での疎外感めいたものが あったのかもしれないな、と。
お次は、
昨今、昔なら考えられなかったような堅い職場や職業人に おいてさえも、そこかしこ、あらゆる場面で盗撮したものや、なかには、女性が女性を盗撮という事件も あったようだが、この場合は、じつは、男に依頼されて、という経緯だったらしいのだけれど、
性犯罪系の いかがわしい動画をアップすることで、ネット サイトなんかで手軽に小遣い稼ぎみたいなことを やれるようになっているのであれば、自分の欲求を、性欲プラスお金のワンセット同時で満たせるのが、やはり、最も大きな動機と原因なのだろうと思う。
しかし、
この風潮と言うか社会的現象は、いつだったか、ずいぶん前にも、うちのブログで指摘しておいたことが あるが、じつは、テレビ全盛の時代から、すでに始まっていたのだ。
私の若い頃に、人気番組の一つだったのが、一般人がビデオ撮影した、たとえばビックリするような場面、それは、最も お手軽には、自分の幼い子が、何かに ぶつかるとか落っこちるといった、危険な状況に遭遇する場面を、テレビ局に提供したものを集めて、番組構成していたようなのだが、
うちの母親は、あれは、親みずからが、ワザと、子どもを危険なめに遭わせて、それを撮影しているに違いない、と呆れながら怒っていた。
さて、レントゲン室で、女子中学生の裸を盗撮していたというので逮捕された技師の男。
この記事に付いたコメントを見てたら、私が思っていた以上に、似たようなことが あり、非常に不快な、厭な思いを したと述べている投稿者が続出しているので、世のなか、やっぱり、そうなのかなぁと、
自分自身も若い頃に経験した出来事を思い出した しだい。
『男は女が大好きw』
最後に、
まあ、偏見に満ちた見解だと思われるかもだけど、
正直に言わせてもらうと。
いまどきの日本の芸能界、特に、流行・世俗的な方面のミュージシャンであるとか、芸能人とか芸人さんなどは特にだが、政治分野のことを筆頭に、理念や哲学・思想にも かかわってくるような ものごとに対する意見や主張は、なるべく控えておいたほうが いいんじゃないの?と思える人は少なくない。
彼ら彼女らは、「世俗の波」に乗っかっての生業、「万人ウケ」してこその人気稼業であるし、どうしても、そのレベルを超えた思考には進みにくいのだろうかと思う。
はっきり言って、浅薄なうえ不勉強だし、すれば必然的に感情寄りだし、それも、やはり世俗の、たとえば、いわゆる「右翼」的な主張などが世間に台頭、跋扈してくると、たちまち「ネトウヨ」らの性向と同じゅうして、そうしたものに、全然良くない意味で「素直に」影響され易いようだ。
また、およそ権力者や、その地位に靡き易いようにも見える。
まあ、自分を使ってくれる人、儲けさせてくれる相手には逆らえないのであれば当然か。。。
そもそも、彼らの生業・商売からして、そういう性向で いるほうが、しごく都合が良いわけだろうから。
で、
自分が、自分たちが、一般人の平均レベル以上に、表面だけ見て、たやすく影響され、流され、毒され易い、そういう軽薄な性向であるからこそ、世俗を商売ネタとするに都合の良い性分となっていることの自覚が乏しい。あるいは、ひらきなおっているか。
俗物的自己満足感に浸って来れた人生となると、まず、不勉強のまま、見識を磨こうともせず、それで上手いこと世のなかを泳いできたんだ、という、なまじな自負と自信だけはマンマンだ。
こうした「アーティスト」だの芸能人の類は、誰か「恩義のある」(?)相手の代弁も兼ねて、トクトクと軽薄な演説なんかせず、本職以外では、なるべく黙っておればイイのに、、、と思うことが たびたびだ、私は。
もっとも、テレビ局を筆頭としたメディア側が、こういう芸能人を積極的に使う以上、まさに共犯関係だわな。
しかも、この手合いが、ほいほいと即席「政治家」になっちゃったりもするわけだからね、タチの悪い現象だよな、まったく。
いまや「金満オバサマ」となり果てた感すらある松任谷由実氏の、じつに軽薄な感性と同時に「安倍トモ」ぶりまでが発覚したときは、さすがの私も、まさか!?と驚き、
「日本の音楽界、それも、いたって世俗的な、流行歌の類に携わる、しかも人気が高い人ほどウハウハ儲かるわけだからなのか、たしかに、運と要領、才能には、常人よりも恵まれていたにせよ、その おかげで、深い思索や哲学的思考などは しない、できない、必要ないものなんだろうかな」と、認識を改めたことだった。
もちろん、芸能界でも、どの方面でも、いろんな感性や思考タイプの人が いるはずだし、ここに敢えて日本の、と付けたのは、たとえばアメリカのロック ミュージシャンでも、「自分の楽曲を使用するなよ!」と、時の最高権力者、大統領であったトランプ氏に正面から抗議したりしていたわけだし、
そういった面でも、「あべトモ」になって、甘い分け前の御相伴に あずかる仲間に加わり、そこを「恩義」にか、以降、持ちつ持たれつ、事あるごとに応援や、お互い援護射撃に励み努めるといった特徴的チョーシの良さは、日本の芸能人ほどには、あまり感じられない。
ただし、日本の場合、自分の立場が危なくなりそうだと感じるが早いか、宗旨替えと手のひら返しだけは猛スピードだという特徴も兼ね備えてるけどねw
しかも、そこに、忸怩たる思いや罪の意識みたいなものは薄くww
どこまでも、可愛い自分が正しいとしか思ってないオメデタさwww
純粋に楽曲作品としてのレベルを考えてみても、
たとえば『サイモンとガーファンクル』の作品などは、曲のレベルだけに とどまらず、歌詞のレベルが非常に知的で格調高い。日本のミュージシャンやアーティストと称する人で、これくらいのレベルってのは、正直、あまり見当たらないんじゃないかという印象。
まあ、私が疎いだけかもしれないけどね。もともと、日本人のは、一部を除いて、子どもの頃から、あまり聴かないほうだったせいかな?よく知らないままというのも否定しきれないから。
とは言え、テレビは勿論、その他からの情報全般にも疎くならざるを得なくなって久しい私だから、
今度の『オリ・パラ』式典で使用される楽曲を担当するらしい小山田さんという人の存在も、もちろん、その作品についても、全く知らなかった。
今、何やら大騒ぎの渦中にあるらしいと知っても、「『小山田圭吾』?ってダレ??」としか思わなかったのだが、
まずは、辟易の気分で、
「はあ?またぞろ『オリ・パラ』に まつわるスキャンダル発覚かいな。最後の最後まで、どんだけやねん、、、」
と思いつつ、
やっと、イジメというも通り越した虐待に等しい加害、それも障碍者相手だったらしい騒ぎの内容を知るに至り、いまや、「恥だ!」「日本の恥だ!!」と大合唱している理由が分かった。
くだんの小山田氏は、まだ若くて新進の、せいぜい30歳代くらいの人なのだろうかと、なんとなく想像していたところが、すでに50歳代であると知って、これまた、けっこう驚いた。
お子さんとか いるのであれば、なんとも、示しが つかないだろうにというか、ご自分の子が、障碍者だったら、どう思うんだろ?と。
それから、
太田ナントカいう芸人さんのことも、ほとんど知らないでいたのだが、
こちらも同じく50歳代の後半と知って驚いた。
太田氏より年下ながら、同じく50歳代の米山隆一氏が指摘していたような、「戦国時代」にまで遡って、とまでは思わなかったが、
そこまで遡る必要もないと思う。
せいぜいは、『旧制高校』というものが存在していた頃の、『デカンショ節』なんぞ放歌しつつ「布団蒸し」で下級生をシゴキたおす、というような時代とかだね、
それでも、その下級生は、基本的に健康な同世代であり、けっして、病者や障碍者では なかっただろう。
せめて半世紀ほども前を指して、「その時代の価値観は」と云々するなら まだしもだが、
それにしても、たかだか30年も経っていない話なんでしょ。
私自身の学校時分って、彼らよりも、もう少し前になるけど、その頃でも、イジメとか、特に、障碍や病気などを抱えている人に対するイジメなんて、悪いこと、恥ずべきことという基本は変わらなかったよ。
陰では大っぴらという現実は ともかく。
もっとも、私自身の場合、母親が原因の後天的障碍を抱えていながら、単に性格の問題だ、努力不足なのだと決めつけられて、明確な障碍者としての立場を、肝心の保護者である親らに一切、認めてもらえなかったから、よけいに、そのことを利用した陰湿なイジメには遭ってる。
障碍者をイジメてるんだという後ろめたさから、眼を逸らすことが できたからね、私のケースでは。
「むなしい努力」というものを、いやというほど実感している私のような人も少ないだろうな。
【続く】
2021.07.17 (Sat)
『国民民主党』の玉木さんも、しょうもないことを言うねえw
「左右の」云々と明言したからには、『日本共産党』だけを槍玉に挙げるのは どうなのかしら。
インターネット上でも、とーっくに言われてきてるが、
いまの日本で、最も「リベラル」的な政党は『共産党』だとか、
逆に、「全体主義」だったら、それこそ、むしろ『自民党』のほうだろ!と、
どこが『自由民主』党なんだか、と(嗤)
『自民党』は、もはや、『中国』や『北朝鮮』を目指しているんじゃないかとしか思えんとの指摘されてるの、いまだに知らないのかな?玉木さんよw
党名のことをアレこれ指摘していると、どうしても、中学校時分のクラスメートを思い出してしまうことを、旧ブログや過去エントリーの どこかで言ったことが あるかと思う、と言うのは、
「美しく貴い男」という文字どおりの字が並んでいる名前の男子が、同じクラスに いたんだけどw
彼は、その名前のせいで、私ら毒舌女子生徒から、陰で嘲笑されていた(苦笑)
でもね、その男子は、けっして、ブサイクでは なかったし、まあ優等生のうちに入ってたし、性格も悪くは なかったし、おまけに、彼の おとうさんは、会社を経営していると聞いてたので、つまり御曹司とか御令息とか、要するにオボッチャマじゃんか!?と、私ら女子も、それは言ってたんだけど、ま、いま振り返ると、かなりイイ線上の男子だったわけだ(笑)
なので、「どこが美しく貴い男なんだぁ?クスクスw」と、陰で嘲笑っていたことを、まことに無礼千万なことだったと反省している。
ごめんね、Nくん(苦笑)元気してるぅ?w
いずれにせよ、「看板に偽り」は良くないね。
「名は体を表」しているはず、
というのであれば、そのように ととのえることが基本だ。
かたや『日本共産党』については、なんだか「原理主義」みたいなヘンな執着が あるらしくて、
ヘンなと言うのは失礼であれば、まあ、あの党らしい(?)ゴチゴチなまでの義理堅さ、生真面目さとでも言えば いいのか、とにかく、その党名の影響だけで、だいぶ損しているんじゃないかという指摘も、とっくに されていて、
私自身も、このブログ上で2、3度ばかり、提案や代案wを述べたことが あるけど、
そんなことより、いちばん問題なのは、『自民党』だわ。
これは、間違いなく詐称であり詐欺だからだ。
『自由民主』だって?どこがじゃ(嗤(嗤)
前首相のアベシなんか、
自分の主宰する『創生』ナニヤラいう組織の会合で、
「国民主権を なくせー!!」
とか叫ばせてたやないかい(嗤(嗤(嗤)
戦前復古!全体主義へ帰ろうぜ!!
という『日本会議』とガッチリ組んでるジミン党は、
「不自由民死党」
が本名なんだろ、さっさと党名変更しろよ!!(嗤(嗤(嗤(嗤)
あ そうそう、
「ナチスを見習う党」
でもエエわね(嗤(嗤(嗤(嗤(嗤)
2021.07.17 (Sat)
『空に顔が あったってイイじゃないか?w』の続き。
(前掲記事文中から)
――「見る人に現実の不確かさを突き付けてきた」――
――「当たり前すぎて気づきにくいもの」。――
まさに、「当たり前」と思い込んで、些かも疑問を持たない者に、およそ「哲学」は無縁なのだが、
しかし、自分が良いと思い、有意義と考え、「快」を感じるからとて、他者に対し、問答無用に押し付け、強制して いいのかどうかということも、「哲学」としての追究に足り得る。
税金を費やす価値が あるのか否かについては さて置くが、
世のなか、「粒粒」形状が耐え難く、たとえばビーズで拵えた財布や人形などの小物とか、極端になると、盛られた御飯の粒粒を見るのも不快という人も いるらしい。
その場に いる人たちを否応なく巻き込むというパフォーマンスも、アートのうち、っていう考えかたも あるらしいよね。
子どもが泣くから、とか、トラウマが、との主張も多いようだが、だったら、秋田県だったか東北地方の『なまはげ』にも文句を言わないとなw
私なんか、子どもの頃に、『なまはげ』の話を知って、そういう風習のある地域に生まれなくて よかったぁと、心から思ったもんだww
それと、
『ねぶた』とか『ねぷた』とかいうのも あるよね。
あれだって、題材とか見ようによっては、おどろおどろしくて恐い感じするけどな。
ひとつクギを刺すようなことも言っておこうか。
先行エントリー冒頭に掲げた記事にて紹介されている「アート チーム」の人たちは、もともと、今回の『東京五輪』に関わる一環でのプロジェクトということらしいのか(違うのか、どうもハッキリしないのだけどw)、
相反する見方の どっちとも取れる、じつに「玉虫色」みたいなw尤もらしく、かつ難解なww彼らの発言にも、どうやら、そのあたりの事情と葛藤、思惑が透けて見えるような気は するw
つまりは、このインタビュー記事を掲載した『毎日新聞』のスタンスも透けて見えるわけだがww
「ヤフゴミ捨て場」に並ぶコメントの一見して大多数が、かなり激しい反感を示している傾向なのも、そのへんから来ているのかもしれない。
…
良いものは良い。
悪いものは悪い。
単純に、わかりやすいものも また、「当たり前すぎて気づきにくい」。
(自分にとって)心地良く入っていける作品も ある。もちろん、こういうのは、私も好きだ。
疲れて暗い気分だからこそ、ホッと癒され、明るい気分にさせてほしいという要望は理解し易いが、真逆も ある。
(自分が)どうにも辛くて、暗い気分のときに、ことさらパアッと明るいものなんて、見るのも むなしくて厭だ、という場合も ある。
圧倒的な「美」、また、迫力に抗い難く感じる作品も ある。
一目見て、吐き気を もよおすほどの醜悪を感じさせるものも ある。
思わず、眼を そむけるほど恐ろしくて醜悪なはずなのに、ジッと見入ってしまうことも ある。
一見、穏かな、ごく「当たり前」と思えるものに、しまつの悪い醜さが潜んでいることも ある。
昔、独特の作風で知られた、ある高名な画家に、子ども時分から懇意にしていたという、こちらも、のちに有名となった写真家が青年時代の頃、好きな絵を、どれでも持ち帰って いいですよ、と言われたので、それじゃ、これをと所望したところ、その画家に叱られた、と述懐していた話を読んだことを思い出した。
くだんの画家は、
「ぼくが若かった頃の、そんな綺麗な絵を欲しがるなんて!」
と、大いに怒ったのだそうな。
なぜか、ある詩人の作品も連想した。
…
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。