2023.10.17 (Tue)
つい先日まで、汗ダラダラだったのに、急に肌寒くなり、最近、咳やクシャミを連発しております。
いいかげん、マスクしなくてもエエやろかと思ってるうちに、どっちみち、マスクしといたほうが無難な季節に、あっという間にワープしよった。
よー鍛えてくれはる。毎年毎年。何十年と生きてきても、ちっとも慣れん。
もはや、栄養不足になってるカラダが、ついていけねえ。。。
気を取り直して、
さて、秋と言えば、昔から芸術・美術の秋とされる。
久しぶりに、こんな良記事が あったので、紹介します。
私も久々に、新たな知見や刺激を得て、おもしろく拝読しました。
なるほど、もはや哲学的ですね、心理学の観点からも、興味深いですね。
いいね、いいね!眼のつけどころがシャープだね!
『見えない人と美術を見る 「静かにしない」がお約束 高松市美術館』
10/17(火) 8:15最終更新:10/17(火) 8:15 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/d9e2d99c21d73d028e88e10fc009e367fced8ee2
この催しの題材となった絵画作品の一つは、私も、参加者たちが捉えた描写のコトバの内容から、たぶん、古賀春江氏の作品だろうと推測したら、やはり そうだった。
添えられた写真を拡大クリックして確認してみたら、描かれている水着の女性の姿は、往年のアメリカの女優で、パッパラー、じゃなかったw「フラッパー」スタイルで有名な、ルイーズ・ブルックスあたりを連想させる。私、この時代のファッションなどが大好きでして。
で、
私自身は、聴覚障碍ゆえ、つい、何事も、見たり読んだりすることのほうに、より大きく傾いてしまうのだが、
ふだんの生活上では、かなりの無理を堪えつつも、まあまあ、なんとか自力で やってきてるけれど、人との会話にせよ、何らかの物音にせよ、
聞こえない、聞き取れない、聞き分けられないことも少なからず ある。
ある種の音や声、なかでも、小鳥の声とか、フルートの音色などは、まったくと言っていいほど、聞こえない代表的部類の一つなので、
人々が、
「ほら、良い声で鳴いてる」とか、
聴覚や音感に特に優れていた母親が、フルートの音色が大好きで、ウットリするとか言うのを聞くたびに、
ただ、想像するの。
どんなに綺麗な、かわいい声だろうか、透明感のある音色なのだろうか、などと。
だいたい、それで、わかった気になって、ひとり満足してます(苦笑)
誰かが冗談などを言って、皆がウケて大笑いするときも、
私一人だけが、多分、曖昧な笑いかたを してるだろうけど、心のなかでは、
「何か、さぞや おもしろいこと言ったんだろうなあ」
と、周囲の笑い顔を見渡しつつ、ひそかに納得する。
よほど親しい人たちなら、遠慮せずに、内容を聞くけれど、
学校時分は、授業中、先生が、教壇上で、何やら冗談を言ったとき、私は聞き取れなかったが、クラスの全員が爆笑したので、隣席のクラスメートに、「ねえねえ、いま、何て言ったの?」と聞いて、教えてもらって、それから、アハハと笑ったのは、もはや私だけw
教室のなかは、すでに、もとのように静まりかえっていたので、
先生に、
「おまえは、今ごろ何を笑うてるねん!」
と、叱られて、それで また、クラスじゅうがフき出していたww
『頭の中では体は自由に飛び回ることができる【旧“Eine Prinzessin des Lichtes”より】』
あと、
この記事も読んだのだけど、
『「どんな障害者でも、とにかく受け入れてしまう」グループホーム大手運営会社 事業拡大を優先、報酬高い重度者に狙い…現場で起きていたことは』10/17(火) 10:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e96489408728363d3deadadd791c710c6188ed7a
発達障碍とか、知的障碍とか言っても、
視覚や聴覚の障碍と同じく、
全員が全員、まったく同じ症状とか傾向や癖を出すわけでは なくて、
公的な施設に勤めていたとき、私も、自分の目の前で直に見てきたので、
そこでも やはり、それぞれの個性や性格などが、多かれ少なかれ現れるものなのだということを知った経験も ある。
私自身、障碍者のハシクレだから、年齢を重ねてのちは、いわゆる作業所とか福祉業者の知り合いも いるし、やっぱり、「グループ ホーム」に入居することも勧められたことが あった。
私は、自分が、いよいよ「晩年」になったときに、どうするかなということは、普段から、アタマを離れることは ないし、一人で どうにかこうにか かたづけていく力も尽きてしまったら、そのときは、拒否しないで受け入れる可能性は あるかと思ってもいるけど、
かつて、勧められたときは、人が苦手な傾向が あり、常に、他の人の気配が、すぐ そこに あるのを実感するような日常生活は、たぶん、自分には耐えられないだろうからとか言って、断った。
そりゃ、実の親でも、たまらなく厭だったし、結婚も したくなかった大きな理由の一つだもんw
もっと本音を言うと、
私みたいな異端者は、どんなグループでも、疎外感を捨てきれず、ヘタすると、管理する側からも、イジメのターゲットになりかねないと危惧している。
そういうことを考えるとき、
「赤子の手を捻る」が如くに、あっけらかんのボーっとした性格で、他者を疑う警戒心にも乏しかった私が、ここまで生きてきた あげく、自分でも意外なほどの不信感を、予想以上に、内面深く抱えてきてしまったのかな、と、少し哀しくもなるけれど。
母親が添い寝したら、かえって寝ない あかんぼうだったくらいですからねw
「一人にしてやればだが、とにかく、よく寝てくれる あかんぼうで、手が かからなかった」と、
私に対して、口を極めた罵詈雑言を憚らない母親ですら、そう言っていたものだが、
ひたすら寝ている あかんぼうだったのは、胎児のうちから、ひどい状態で放置し、ひどい難産で産み落としたから、疲れ果てていたんでしょうが!!(怒)
一声も泣きもせず、黙ったまま、なかば死んで生まれ落ちた私だもの。
それが なかったら、IQも、ますます高くて、もっとエネルギッシュで活発な、自己利益追求と自己主張が激しい性格だったでしょうよw
親に似た子だったら、姉や兄ら、他の子の性格を見たら明らかなように、グレたり、精神科の お世話になったりで、うちの親らは、いったい誰に依存できたんだろうね。
警察沙汰や新聞沙汰になるような、何らかの犯罪を やらかすとか、
それどころか、
自分たち親が、ひょっとしたら、娘の私に殺害されたかもしれないんだぜ?
うちは、まさに、親子の情が逆転してたからね、こっちが感謝してもらいたいもんだ。
でもまあ、
過去から言ってきたように、凶悪な殺人事件などを起こしてしまった者こそは、この世で最も哀れな存在。
そんな最悪の道を歩かずに済んだのは、まず自分自身のために、せめてもの幸いだったと思うほうが いい。
【続く】