2014.09.29 (Mon)
『アイドル、所属事務所を提訴 盗撮、全裸動画強要、レッスン代搾取でギャラはマイナス』
Business Journal 9月23日(火)6時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140923-00010001-bjournal-ent
この記事に付いた
「不審感→不信感ね。最近の記事は誤字が多すぎて
それを間違えて憶える人もいるので
気をつけて欲しい・・・。」
というコメントがあり、そのコメント自体に対しても また、賛否が分かれ、いろいろと意見コメントが付いているのだけれど。
そう言えば、「煮詰まる」という意味を、逆に取り違えている記事についても指摘があったばかりのようだ。
私自身、「不審感」と敢えて書いたことは先日もあるしw
こういうブログを、あくまで一個人として気ままに書いてるだけのことだから、文字変換機能に流されて、ついウッカリ見落としていたりするし、
だいぶ あとになってから、思い違いやミスに気づくことも少なくは ない。
なので、ふだん、他人さまの書いたもののなかで、よほど、これでは意味が狂ってくるとか、要旨が掴めないとかで、目に余る場合以外は、文字の間違いやら用法等について糾弾することは、あまり、してこなかった。
理由は あとで述べるけど、
実は、「不審感」という書きかたも、正式には認められていなくても、それほど、おかしいとは思わないのだよ、私は。
もともと、文法という取り決めごとやリクツは苦手なほうで、私の文章の構築の仕方なんて、言わば「絶対音感」に頼ってるみたいなもんですけど。
いつも念頭にあり、苦心するのは、どう書けば論理的に要旨が伝わるのか、それが第一。
さて、
そもそも「審」という一字には、
「物事を詳しく調べて明らかにする。はっきりとよしあしを見分ける」
という意味があるのだから、
ならば、「不審」とは、詳しく調べて明らかにすること できず、はっきりと よしあしを見分けることが できない、という意味になる。
つまり、怪しい、ということ、そのものだ。
だったら、「怪しい感」って、そんなに おかしいかな?と思う。
で、「不審」という単語そのもののなかに、すでに、
「疑わしく思うこと」
という意味も入っているというのだから、つまりは、
「疑わしく思うこと」を思う、
ってなことになってしまうかw
だが しかし、
「不審に思う」
という言いかたは普通にあるのだ。
「危惧感」とか「不安感」とかも、よく見かける。
「危惧」:「あやぶみ、おそれること」とあり、「危惧の念を抱く」という用法も載っている。
「不安」:気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。
「不安感」は、「不安な感じ」と、これは辞書にシッカリ出ているw
トートロジーみたいな解説だが(爆)辞書には よくあることだww
ついでに、
同じ場所での、ある投稿者の指摘について。
「全然大丈夫」という言い方は、昔は しなかったが、いまでは通用しているじゃないかという指摘なのだが、
これは、むしろ、より古い時代の、つまりは、本来の用い方に戻っているのだという説もある。
「的を得た」の例もある、
「一生懸命」の例もある。
いずれにせよ、現行の辞書だけが全てではないわな。
後手後手になりやすいのも、既存の辞書の弱点の一つだ。
あまりガチガチに金科玉条みたいに とらえるまでの必要は ないと思う。
たしかに、ことばというもの、時と共に変化するのは宿命的。
しょせん多数決の世界という側面も、たしかにある。
だって、大多数の人々に、まずは通じなければ意味を成さないのは現実の問題だもの。
ならば、何よりも意味が通じておれば、まあ いいだろう、という考えかたもあり得る。
なお、
記者という職業は基本的には、あくまでも記事をドンドン書いていく仕事であって、「赤ペン」入れることが仕事なのではないし、国語の先生でも ない。
私は、ネットにおけるニュース等の記事を発信する経験は持ってないので、よくは分からないが、どうやら、こんにちアタリマエになったネット上においては、紙媒体記事の出しかたとは従来の手順が異なっているようだなとは思う。
校正作業も、記者自身で時間を割かないといけなくなったのだとしたら、ネットのおかげで、一人で こなす仕事が増えたということかね。
実際、パソコンやネットが、一般の職場に普及し始めた頃から、これ幸いと、校正作業などは、まっ先に省かれることになっていった。この動向は、紙媒体のメディアが、よりいっそう衰退していけば、ますます加速することになるだろう。
もちろん、なんにせよ、ものを書くことを生業にしてるとか、曲がりなりにもプロともあろうものが、そんなことで どうする、と叱りたくなる気持ちは、分からないでもないが。
私なんかも、「汚気愚」で、あの「ぶらゲロんぬ」が、わざわざ自称して言うに、
自分は言語関係の専門家筋だか研究者だとかとシャアシャアのたまうところを目撃してさえおらなければ、
あの爺さんの、
「のたまわります」
てな言いぐさを、あえて嗤うこともなかったろうと思うw