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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.01.18 (Mon)

刑罰とはの続き。

 

この世で最も ひ弱な存在であった彼ら犯罪者は、
また、過度に潔癖な側面を持ちながら、

その「過度」さ「過剰」というものが、他面にも及んでいるがゆえに、自身内部の欲求と衝動の湧きあがりを抑え切れず、

自分自身、持て余す欲求、衝動を抑え切れなかったことの正当化を図らずにいられないながらも、

可愛い自分、しかし、抹殺するべき自らを殺すことも、
ちょっと力強そうな者を挑発して殺させる勇気もなくて、
結局は、権力機構による死の刑罰を大いに歓迎してみせた。

 

あるいは、

ついに最後まで、卑劣であれば あるほど、向き合う力も出せないまま、自分から目を逸らし、
この最高権力の機能によって、生を潰えることとなった。

 

彼らは、ほとんどの場合、
身勝手な欲求を受け入れてくれそうな相手か、支配欲を満たせる相手か どうか、自分が、これから もたらそうとしている危害を撥ね返せる相手か どうか、そこだけは、しっかりと見分けしているようなのだ。

 

 

というわけで、

是非の問題、とりわけ実際的・現実的な影響問題については さて置き、この、死刑という刑罰が、
むしろ「逆効果」になってしまっているのではないか?
という危惧は、もう少し、つっこんで考察しておく必要が ありそうだ。

 

たとえ、犯罪者本人たちが望み、死刑を歓迎しているようすを見せていても、彼らは、世のなかに存在していては許されない自分の死刑は当然なのだと主張しているまででないか。

これなら、まだしも分かり易い話で、

現行、どの刑罰のケースにおいても、相応の反省を促し、
そのことが期待でき得る本人の従容たる心持ちをもって、刑に臨ませる方針のはずで、だからこそ、「更生」ということに重きを かけるのが基本にある方針とは聞いている。

しかし、
相応の反省を示せ得たとしても、
ひとたび死刑という罰の後には、後世は あるかどうか知らないが、現世での更生も何もないわけだ。

 

もっと始末に負えないのは、自分が犯した行為について、反省の要なしと主張する場合。

この場合に、いかなる刑であれ、納得しないまま臨ませることは、本人の反省どころか、あべこべに、被害意識を養ってしまうかもしれず、
宮崎何某の場合には、本人の言動にハッキリ表現されている。

こうした恐れは、知的問題による理解力の乏しさ等には該当しなくても、「自己愛性人格障害」者あたりにも顕著な性向だと思う。

 

 

この世で最も抵抗力の弱い存在を歯牙に かけ、手の打ちようもなかった遺族を計算高く辱めもした、

そんな自分を許せないとは思うのか。

でも、やっぱり、自分で自身には手を下せなかった。

自分よりは確実に力の強い者に殺させる機会さえも作れず、

最後は、この社会で最も強力な機構に殺させようとする、彼ら。

幼子よりさえも、あまりに、ひ弱な、不自由な彼ら。


 

ひ弱で不自由ゆえに、他者の人権を奪い、踏み躙り、

それによって、自分が強者になったような錯覚を、いっときは起こすのかも しらないが、

やがて自分自身が、最大限に、人権を剥奪されるときが来る。

完全なる人権剥奪 それが、死刑という罰だ。

ひ弱で不自由ゆえに、他者の人権を奪い、踏み躙ったから。

 

 

その、最も ひ弱な者たちを、
最大の力をもってして、総がかりで殺しているのは、

この社会と、ここに所属する構成員である われわれ全員に他ならない。

これを自覚する者には、なんとも後味が悪くて当然なのだ。

 

彼らは、許されぬ罪を犯した自分自身を罰すると同時に、
われわれを引きずり込んでいる。

 

こうして、アクロバットさながらに、二重に重ねる罪と復讐、相反する目的を同時に叶えている。

 

本当の裁きとは何か、

本当に裁けてなんか いるのだろうか、他者が?自分自身が?

それは不可能なことだと分かったなら、

では、裁くのを やめましょうか?

罰することを放棄しましょうか?

 

 

どのように ふるまって見せようと、

人間は、心底では自分のことが一番、重要で可愛い、
この摂理から脱け出せは しない。

 

他の誰かを大切に優先していようとも、それも やはり、人生の主人公である可愛い自分の思いや価値観こそが重要だからだ。

 

単純な者は単純なりに、欲求を満たそうとするだけ、
幼い子どもなら、世間は許すだろう、概ね、その程度のことしか しないから。

だが、すでに、子どもの年齢でない者は。

 

 

他者を襲い、命のメカニズムを確認しようとでもする目的なのか、あたかも、機械を分解し、組み立てを確認するかのような所業は、たしかに、
生ある他者への共感性や想像力の欠落としか思えないし、

また、男性は、視覚から受ける刺激に敏感という説もあったのではないかな、
性的欲求も垣間見えながら、異様なほど幼稚な精神レベルだと思わざるを得ない。

 

これで、理性的な冷静な判断力さえ身につけて発揮できるのなら、
たいした追究欲、研究欲であり、こうでなければ勤まらない学問や仕事もあるだろう。基本的には、男性性の特徴だと思う。

 

 

【続く】

 

 

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