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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.02.13 (Sun)

「ヤフゴミ捨て場のヤフゴミん」に告ぐ。の続き。

 

これも、ヤフゴミんの一人が言い放った小賢しいヘリクツの一つだが、

「好きで産んだのでなければ、虐待する」。

 

ちがーう。

 

むしろ、逆よ。

 

世のなか、不倫やら、周囲の猛反対を押し切っての大恋愛で結婚したという夫婦ほど、年がら年じゅうの大ゲンカしてる皮肉な例なんてゴマンと あるだろうし、

逆に、

「お見合い」などで、いたって冷静に、つり合う相手を選んで、結果、最後まで穏かに添い遂げた、こういう例のほうが多いかもしれないよね。

 

子に対しても そう。

自分の思いや つごう第一、メンツやプライドのために、子を利用する親が、子にとっては迷惑で窮屈で ないはずもなく、早晩、その愛情の有無や真偽を疑いも するだろう。

 

肝心なことは、子自身の安心立命。落ち着いた環境。

 

「血の繋がり」の あるなしも関係ない。

 

たとえば、犬や猫などのペット。

あれは、飼ってる人間が産んだのか?w

 

でも、自分の子どもなんかよりも、純粋に可愛いと思えて、

ペットのほうも、安心して、甘えて、幸せそうに してるようだが、
なぜだろうかね。

 

 

子の幸せを、親や保護者の メンツや複雑な つごうで考えているようでは、それは似非だ。

そんなことに振り回されるくらいなら、ただ、義務や責任のみの冷静さのほうが、夾雑物なく、よっぽどスッキリしている。

少なくとも、子にとっての順当な進路を妨害し、将来や人生を歪めてしまうことは なかろうから。

 

どんなことでも、

しょせん自分一個の つごうで頑張ることは、どんなに頑張っても、いや、頑張れば頑張るほど、結果、周囲の弱者を踏みつけてしまい、結局は、全体の不幸を呼ぶハメになる。

 

 

昔は、大家族が普通で、家事は勿論、農業や家内工業で忙しい母親ら実の親が直接、子どもの世話を することは、むしろ少なかったそうな。

子どもを産んだ端から、上の子に世話を させるし、親の眼が届かない所は、誰かしらが見ていて、褒めたり叱ったり庇ったり、近所の おとなたちが代わりを務めてくれる。

 

でも、じゃあ、大家族が良かったのかとばかりは言えないよね。

 

特に「嫁」としての女性にとっては、舅や義理の兄弟からの性的虐待の対象になりがちだったそうだし、

出産翌日から野良仕事、ということにも あらわれているように、嫁いだ先の人間関係に、気を遣う。

「家長」を頂点に、厳しいヒエラルキーの世界。

 

生活・家計が苦しいなら、カンタンに嬰児殺し。
自分の腹から排泄したみたいなもんで、
育てれば、それは人の子だが、
育てないなら、「大便」なみの割り切り。
いちいち気にしてられない。

生活・家計が苦しけりゃ、またすぐに身籠ることになる。

娯楽が乏しいからか、セックスくらいしか、楽しみが ないので?w

 

昔の子どもは、学校に通わせないでも、べつだん咎められずに済んだし、家業の手伝いさえ覚えさせたら、あとはホッタラカシでも、それ以外のことが過酷だったろう。

そもそも、母親が子どもに構っておれないくらい、他のことで忙しかったはず。

 

野口英世博士の場合も、
おかあさんが農作業に出ているあいだ、あかんぼうだった博士を囲炉裏端に寝かせていて、左手の大やけどを招いたという話が有名だよね。

まあ、それが、「怪我の功名」とでも言うか、やがて、博士となる切っ掛けになったわけだし、おかあさんのほうも、息子さんに触発されてか、助産婦の勉強のために、読み書きを習うことから始め、資格を得るまでになったという。

 

 

自分が好きかどうかで選んだ、ということは、まずは自己のエゴが優先なのだから、むしろ、産んだ後も自分自身の勝手な つごうや気分しだいだろ。

 

これは、結婚でも同様で、

うちの両親みたいに、もとの配偶者を裏切り(ただし、彼ら彼女らのほうにも、配偶者としての欠陥や大きな問題は あったらしいが)

まがりなりにも、すでに築いていた家庭を壊し、子どもに辛い思いを させるのも厭わずに、ほんとうに自分一個の好き勝手つごうで一緒になったわけだが、

まあ、私が縷々語ってきたように、

その結婚生活は、よりいっそうの深刻な問題を頻発させ、新たな犠牲と不幸の原因を生じさせた。

もっとも、親父と先妻の子らに関しては、実の両親のままで続いていたら、姉も兄も、中学卒で働きに出されたろうし、兄は、父親との刃傷沙汰を起こしただろう。
しかし、
私の父親違いで同腹の姉は、グレることなく、きちんと学校を卒業して、まともな人生を歩んでいただろう。

そして、私自身は、、、
生まれてない!w

 

 

うちの親父も母親も、生育環境に それぞれ問題が大きかった。
なまじに、意に沿わぬ道を歩かせられたことから、自己の人生の本番がスタートした。

でも、
結局は、ガマンして、最後まで耐えることなんか、できや しないんだ。

いずれ、どこかで爆発する。

そのときには、躊躇もなく、自分よりも弱い存在を無視し、あるいは利用し尽くす。

 

自分の役に立たせられる子であるか否か。

それが根本。

 

悪いことを したんだという自覚が ない?

これも、そうじゃないことが多いと思うよ。

 

どこかで自覚しているから、目を逸らす。

 

しかし、
プライド、からっぽなプライドに囚われている者こそは、自分自身の罪、あやまちを認めることが できないんだ、どうしても。
何が悪いんだ?で押し通す。

 

ほら、「謝ったら死ぬ病」てな揶揄が あるでしょ。まさに、あれよ。

生きてられなくなる!死んでしまう!
本人ばかりは、ここが「無自覚」なんだけど、そのように固く思い込んでるのだから、必死で認めないわな、そりゃ。

認めて反省したらば、軌道修正しなければ ならなくなるが、そうすると、自己つごうに合わなくなるからね。

 

生きるか死ぬか、やられる前に やれ!
どんなこと したって、自分が勝つんだ!!

そういう、ケダモノです。言わば、「手負いのケダモノ」。

 

人間の皮を被った、と言いたいところだけど、これも、まぎれもない人間の一種である。

どこまでも自分に甘く、自己の衝動性をコントロールできない、
ケダモノまる出しな人間も いるのだろう。

 

はっきり言って、
多くの男性の脳は、こういう傾向を持っているのだと思う。

女性にも、支配欲や残虐性が あるのは確かだと思うが、

ただ、やはり、身を以て産む性、母乳によって育てるという生物の基本が あり、そのためにか、暴力性の発露も、幾分は緩慢な傾向、直接よりは搦め手的な やりかたを する。

あとから分化してきた男性は、人類の初期段階から仕込まれてきて特化されているようだし、一種の偏りによって突き詰めて研究・発展した精華の数々が、あらゆる学問や技術、芸術に活かされているように、構造物や生命体というものに対する興味や関心の特異な さまは、一般的女性の場合よりも目立っていて、
これまでに報じられてきた虐待事件の内容にさえも、垣間見えるものが ある。

幼児的な好奇心ゆえの「実験」的破壊欲も窺え、一般的女性に比べて、より直接的だ。

 

 

あとね、これも何度か言ってきたことだけど、

「サディスト」は、すなわち「マゾヒスト」です。

 

「トラウマ」や「PTSD」などが絡むのであれば、なおさらだろう。

 

キーワードは、「自己投影」。

 

自分が、自分の弱さ・弱点が許せないから、
他者の弱さ・弱点も許せないんだ。

 

したがって、見るからに弱そうな者、抵抗できなさそうな者を見るや、グッーと刺激される。

ほとんど性欲。

 

自分で自分を痛めつけて、ついには殺したい衝動が止められない。

自慰みたいなもんだ。

 

でも、そこは自己愛が激しいからwやっぱり、他者に向かっちゃう。

 

 

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Updated   
2022.02.13 (Sun)

いつも いつも、あさはか、小賢しい、
それが、「ヤフゴミ捨て場のヤフゴミん」連中だ。

「縁なき衆生は度し難し」とは言えど、

今回も また、こうして、ブログ更新、
ああ、めんどくせえ。。。emoji ほんとに、めんどくせえ。。。

 

どうして、わかんないかねえ。

 

子どもの虐待や子殺しの問題に限らない。

複雑怪奇な人生の実態・様相を知らない者に、こういった案件の分析・理解は できまいよ。

ましてや、
現実の対応となると、ものが分かっている人ですら困難だもの。

 

実際問題、せっかく通報しても、ムダになってる事例が幾つも報じられてる。

通報できるのは、まず、交友関係が ある場合か、多少なり、異変を目撃した場合に限られる。

まったく かかわりのない他人だと、すぐ隣に住んでいても、密室のなかのことは分からない。

 

まあ、どんなことでも、ほんとうに、他者を助けようと思ったら、ハンパなことでは無理だろう。

けれど、ほんの ちょっとのことが、命拾いに繋がったことも あるのだ。

非力な私でも、気づく努力、気づいた以上は、自分に できることを やるまでだ。知っていて知らん顔だけは すまい。

 

まずは、やらなきゃ始まらないことが、すでにハッキリしている手立てを、政府や行政各所が、さっさと 取り掛かれ!

いつまでもグズグズするな!!

保身にばかり汲々と しくさって。emoji

 

有権者国民も、いつまで寝ボケてんだ?

 

ただね。

『児相』とか、育てられないなら、親から引き離して施設に、とカンタンに言っても、それが万全の解決策であろうはずもない。

 

そもそも、親に見捨てられたカタチや、自分を養育する力のない親だったから引き離された、
そんな立場になった子どもが、てんで嬉しいはずも なく、
心底では、みじめで寂しい思いを抱えているのもアタリマエだろう。

 

私自身、ある夜の親父が暴れている最中、辛うじて隙を見て、ひとまず、近所の知人宅へ、母親と共に逃げ出したことが あった。

そこは、幼なじみの家でも あり、おじさんも おばさんも、むかしから、うちの事情を多少は知っているのだけれど、やっぱり、認識が甘いのよ。

 

おじさんは、

「□△ちゃん(私のこと)は、うちで泊める。けど、あんた(私の母親)は帰りなさいよ」

と言った。

それで、私は、引き止める おじさんたちを断って、結局、母親と一緒に、スゴスゴ帰宅した。

 

帰り道で、
「おかあさん、死にたいね」

私が呟くと、

母親に どやしつけられた。

 

 

さて。

「子は、親を選べない」のと同じく、「親だって、子を選べない」。

この小賢しいセリフ、うちの母親も、口とんがらかして言ってたよw

 

 

まあ、たしかに「産む産まないの選択は、ある程度は~」みたいに、これまた小賢しい断りを言い添えてたけど、

こういうことは、とりわけ、生物の一種でありつつも、人間ならではの特殊性も影響するので、基本的には、人間以外の動物たちのように、時期が来たら、何らの疑問も持たず、本能的なものに従う、そういう人間のほうが圧倒的に多いだろうけれど、
同時に、「賭け」を覚悟しなければ ならない面も あるよね。

だからこそ、

まずは「五体満足」であることにホッとするのよね。

 

「金融投資」などと同じくで、「賭け」は、やっぱり自己責任だ。

自分はリスクを負いきれるのか どうかを考慮しなければ ならない。

リスクなんか ないだろうと、もし、あったとしても、なんとかなるさ~、自分以外の誰かが なんとかと、ノーテンキまる出しの幼児的万能感の、
年齢、いや、カラダだけ成人こそが、いちばん、子どもをホイホイと産む()

 

でも まあ、そういうアホやバカの おかげで、人類は連綿と続いてこれた(()

 

知性が高い者ほど、子を産むことを躊躇し、あれやこれやのリスクも考えてしまうのは当然だし、

それでも、大概の場合、敢えて産むことのほうに傾けさせるのは、
やはり、自己愛とウヌボレだろう。

 

ましてや、男性側は、少なくとも、妊娠・出産については、自分の心身の負担が ない。

どこまでも「据え膳」みたいなもんだし、だからこそ、その代償を引き受けないと、責められる。

ことさら、「男として!」「守るんだー!!」と、自他に対して精いっぱいにリキまざるを得ないw

 

「籠のなかに入りたがる鳥、出たがる鳥」()

 

あまり苦労せずに、スムーズに生きてこれた人なら勿論だし、

真逆に、
苦労だらけで、それがコンプレックス、劣等感の原因になってしまってる場合も、

「ここで挽回するぞ」とか「やっと人並みだぁ」とか、ささやかな「支配欲を満たせるかも」といった目的で産む、特に現代社会は、そんな人も多いだろうと思う。

 

出産でも結婚でも、人生のスゴロクに おいて、言わば最大の「賭け」だわね。女性にとっては特に そうだろう。

 

少なくとも出産は、さしづめ、ここ数年来、私個人的に、『ユーチューブ』などで視聴してきた、主として『アカゲザル』などに おける出産・育児の ありさまを観察していたら、人間の場合と同じく「賭け」なんだ。

母猿の気質、体調、タイミング。子猿も同じく。

 

もちろん、人間の場合と同様、難産だったり、先天的障碍を持って生まれる子猿も少なくない。

基本的には野生だから、それだけでも危険が様々に待ち受けるが、そこへ加えて、人間どもが齎す悪影響も大きい。ゆえに、
母親も、一部の四肢の欠損やら失明などの障碍を負っていることが多いうえ、食料の乏しさから、母乳の分泌も乏しいことが多い。したがって、せっかく生まれた子どもの発育も貧しい。

 

もちろん、知能的欠陥を伴って生まれてくる子猿も いる。人間と同じ。

ところが、知能の遅れが伴う子猿に対して、通常の子猿に対する以上に根気づよく、甘やかしているとさえ見えるほど可愛がって育てる母猿も いるんだよ。

むしろ、まずまず健康な子のほうには厳しめで、できるだけ早く自立させたいのだろうが
(のべつ しがみつかれて、乳を吸われる母猿もシンドイからね)

しかし、なぜか、特に知能に問題を抱えている子のほうには甘い。

 

私が観察し続けた親子のなかでも、ある子猿は、あきらかな知能の遅れが見られた。
「毛づくろい」は、猿の社会に おけるコミュニケーション、
それは、もともと、健康のための処方であり、ケガなどの回復を促進するためでも あり、子猿を よく眠らせ、躾と自立を早めるためでも あり、
真面目に真剣に行なうべき、「神聖な」仕事の一つでさえ ある。

 

通常レベルの発育状態にある子猿なら、おとなの猿たちを見習って、毛づくろいの やりかたを覚えようとの積極性の発露が見受けられるのに、

くだんの、先天的に知能の問題が見られた子猿は、ずうたいが大きくなってからも、なかなか覚えようと せず、怠惰で、なげやりで、もっぱら、やってもらうほう専門。

常に、母親の乳を恋しがり、ねだり、食べることだけ夢中。

この光景を、うちのブログで紹介し、私も、いささか冷笑していたことが あるのだがw

ところが、

いつの間にか、毛づくろいを覚えており、
他の猿に対して、積極的に取り組むようになっていた。

まあ、多少はヘタなようだったがw

それでも、真剣な眼差しで、没頭して やっていた。

 

私は、それを見ながら、

よくあるアクシデントのようだが、人間の何者かに殺害されたらしき母猿を思い浮かべ、

「根気づよく育てた甲斐あって、死んじゃった かあちゃんも、やっと報われたねえ」

と、
心のなかで労いつつ、その先天性知能障碍の若いオス猿の成長ぶりを、しみじみと眺めた。

 

こういう例は、他の親子にも見られた。

しかし、恐らくは、少ない事例なのかもしれない。

 

くだんの母猿は、比較的に体格が大きく、母乳の出も豊かなほうで(これは決め手)、しっかりしたベテランかあちゃんであり、知性の高さを窺える雌猿だった。

猿の社会では、母親の知性や気質如何、健康であることは、人間社会に おける生育環境の有利さと如実に重なるもので、

親自身が生きのびるために、いろいろと不利な条件が重なる場合などは、障碍の ある子どもは、さっさと見捨てることも多いだろう。

 

付け加えて言うと、

オス猿でも、余裕が あるなら、自分の子を可愛がるのみならず、群れのなかの子猿を躾けたり、メンドウを みてやったりも するのだが、

自分の食料を確保するために、人間の興味や関心を惹きやすい可愛い子猿を、母猿から奪って確保し、その子猿の餌を全て横取りして、ついには餓死させてしまう例も ある。

 

人間にも、いろんな面で、子を利用する親やオトナなんて、めずらしくもない。

 

【続】

 

 

Updated   
2022.02.11 (Fri)

それは、

――「青信号」で――

ということだな。

 

『皇室』『宮家』の全員が全員、いついかなるときも、そうしているのかは知らないけれど、

特に、『秋篠宮』家が、プライベートに おいてさえも、乗用車で移動されるときは、道路という道路の進行途上の信号という信号を、ものの見事に、すべて「青信号」にしてしまえるという、なんだか魔法のような趣の話を、どこかの記事で、一度ならず、目にした記憶が あるのだが、

これって、
結局、『秋篠宮』家に殊のほか目立つ、お子さんたちと、こんにちでは、その配偶者に至るまでも、みごとに同じパターンよねえ。

「青信号」でスムーズに、がミエミエなのw

 

 

でさ、

『アベノマスク』にしたって、
最初から最後まで、「進路の優遇」を確保し続けてきたよね。

しかし、
それは、安倍・『自民ダッピ党』支持者の嘯くように、われわれ国民・民衆のためなんかじゃないのはハッキリしていて、どこまでも、アベシの必死な保身のためでしかなかった。いまだに、だ。

 

いやはや、なにやってもダメあべのマスクは、どう転んでも、やっぱりダメのシンボル。

 

大量に余って、保管し続けている、いまや保管料で「カネ喰いマスク」になってしまったゆえ、たしか、6千万円(だっけ?)のが、まだしも安あがりだからと言って、単純に廃棄してしまうだけでは、あまりにも むなしい。

かと言って、
それ以上の莫大な税金を再び三たび費やして、またぞろ無料配布するのも愚の骨頂なのは言うまでもない。

 

そもそも、最初に無料配布したダメあべのマスクにしたって、

うちも そうだけど、結局、タイミングを大きくズレてしまい、かなり遅れてから届いたことも あり、そうこうしているうちに、カビが付着してる!などという指摘も、あちこちから あがってきて、全く使わずじまいのまま、この先に使う見込みもないのだから、

では、もう、ただ捨ててしまうか、

やっぱり、せめて、別の用途に使いまわしてから捨てるかすることにならざるを得ない。

それでも、誰が咎められる?

 

正直、この数年の『新型コロナ』騒動において必須となった「不織布マスク」やアルコール ティッシュの類は、ビンボボな私のサイフにも喰い込んでる。

どうせ配布してもらえるなら、そりゃ、「不織布マスク」に限る。

 

もともと、『アベノマスク』は、『新型コロナ ウィルス(covid19)』には、全くと言って過言でないほど、防御効果が期待できないのだから、最初の配布分からしてが、いまさら、『新型コロナ』用には使えないのも理の当然だろう。

それは、これから自力で受け取りに出向く、あるいは自腹で費用を容認したうえで入手した場合でも同じことだ。

何に用いようが勝手でしょ!でしかない。

 

要は、欲しいのなら、自力で取りに来れる者、あるいは費用は自分持ちで、という条件に、最初から しておけば よかっただけなのに、

何故だか、それを しないから、何度でも みっともなく紛糾を招いている。

 

そのうえ、

これまた今さらで、政府や厚労省などが、入手希望している者に譲渡するマスクを、いったい どのように使用するつもりなのか問いただし、マスクはマスクとして使用するように干渉したって、しょうがない。必要ない。ムダだ。

そんなことのために、またまたぞろぞろ繰り返して、余分のコストを かけるなんて、目も当てられない。

 

どのみち、本来の『新型コロナ』対策には なりようもないマスクなんだから。

 

大判ハンカチやバンダナの類のほうが、『アベノマスク』よりも、よっぽどマシだと、私は言ってきた。

 

 

『立憲民主党』もね、せっかくツッコむのなら、

敢えて『アベノマスク』を欲しい場合は、受け取りに来るなり、費用を持つなら、ということを、条件に最初から しなかったのは何故なのか、首相である岸田さんに問いただしたらエエのや。

岸田さんも、はぐらかすんじゃないよ?

 

 

しかし、アベシの恥の上塗りぶりよw

 

「もっと早くやっていただけたら よかったのに」とかナントカ、さも得意げに、被害者ぶって言ってのけてたらしいよね。

そういう、これ見よがしなパホーマンスの端から、なんぼでも、あらたな恥のタネが顔を出すのぢゃww

 

あの臆面もないハシャギぶり見てたら、
そのへんの一般国民である こっちのほうが赤面するわ;

 

せめて、黙って おとなしくしてりゃいいものを()性懲りもなくemoji(()

 

 

さて、

『皇室』というものは、他国の、単なる『王室』とは違うものなんだと、こういうことを、いわゆる「保守」だか「ウヨ」らが、なにが そんなにも自慢なのか知らんが、とにかく、得意そうに言うよね。

『王』では なく、『皇』だと。

言わば宗教的な意味合いをも持っている、
ゆえに、単なる権力だけに とどまらぬ、「神聖」なる性格の統治者として君臨するのだと。

 

ならば、
まさに「出家」した坊さんのように、私利私欲や世俗の価値観を離れ、
いと高い次元で、透徹した眼差しを以て、世の人々を見詰め、教え、諭さねばならない。『ローマ教皇』さながらに。

しかし、どうなんだろうか?

 

 

見ていて、どうやら、『皇室』のなかでは、各『宮』家間での、言わば「人気取り競争」みたいな実態も垣間見える。

そこには、各『宮』家付きの側近やらスタッフたちの縄張り意識とか競争意識みたいなものも あるんだろうか。
それこそ、「チーム※宮家」、みたいなw

まるで下世話な芸能界のようだ。

 

どうもね、昨今の『皇室』、

いや、大昔から、えげつない権力争いを繰り返した歴史の見本でもあるのだから、昨今に始まったことでもないのだろうが、

特に『皇嗣』家と、アベシと そのトリマキとに共通した ありようがチラチラと垣間見えてしまうのよ。

 

ほんとうは、『皇室』制度なんて、さっさと廃止すべきと思ってるくらいなんだけど。

ま、『天皇』でも『首相』でも同じくでね、

一般人・庶民のようなレベルで、

「とりま、自分の半径何メートル内の つごうと生活が大切」

という、矮小な視野に汲々と とらわれるようでは、そりゃ、
憲法で縛っておく
ことが必要にもなるわな。

 

野に放つと、いずこからともなく、いろんな悪い虫が飛んできて、
たちまち、びっちり ひっつきまくって、危ないからさw

 

特別扱いや権力を与えられてアタリマエに思い込んで育ち、生きてきた人には、意識的にも無意識的にも、自負心が根強いから、
そこへ、
ひとたび何らかの不安や不満を感じて屈折しつつも、同時に背中合わせに保っていると、そこを くすぐられて、あっさりノセられ易いみたいだからね。

 

じつは、民衆にとって、本来、「お手本」なんてものじゃなく、本質は危険な存在なんだよ。

だから、真っ先に、戦争の理由にもなった。

 

こないだ、私は、ちょっと調べものをしている途中、たまたま、ある心理学方面の学説に行きあたり、ザッと目を通した程度なので、筆者名も憶えてないのだけど、たしか『京大』の専門筋による論文のようだった。

そのキーワードは、「畏敬」とか「畏怖」とかいうことで、

あくまで私なりに理解したことだけど、ごく短く まとめれば、

(ある対象への)「畏敬の念」「畏怖心」というものは、ひるがえって、外部の集団に対しては、「懲罰」的動機や「対決」的姿勢、攻撃性を強めたり促進するため、争いの発生や激化させる要因となりうるとか、
そういうことのようだった。

まあ、大雑把に読み流しただけなので、恐らくは、正確を欠いているかもしれないから、まんま信用されるのも困るけどw

 

では、

逆に言えば、

いったい誰が、何者たちが、いやが上にも「畏敬の念」「畏怖心」を抱かせるために、あれこれゴテゴテと飾りたがり、以て、対外への「懲罰」やら「対決」を促さんとして、それを利用しようとするのか。

 

 

あらゆる宗教も、ヒエラルキー世界の代表格だけに、争いごとの歴史の宝庫であることは よく知られている。

 

要するに、
キレイごと言って、「平和の象徴」なんかには なりえないどころか、その逆が本質だ、ってことか。

まあ、とにかく、
「黙れ、平民!」
などというのが『コーゾク』の本心なら、ますます、いらねえ。

 

 

Updated   
2022.02.11 (Fri)

【続】昔の「ヤング ケアラー」と、現代の母親たちの」続き。

 

義祖母が やって来る前の事情なのだが、

長女である母親は、小学低学年の年齢で、実母(私の実祖母)を亡くしているので、幼い弟妹たちを、自分自身も まだ幼いうちからメンドウみていた。

間もなく、日本は、『太平洋戦争(第二次世界大戦)』開戦、

経済的には裕福な家庭だったと言えど、見たこともない田舎へと、弟妹たちを連れて移住し、祖父が借りあげた一軒家で疎開生活を始めたものの、妻を亡くした祖父とて、大阪での仕事が あるから、なるべく定期的に訪れるのが精いっぱい。

そのたびに、まとまった生活費も、長女に一任して託し、次に来るまで、それで やっていくんだぞ、と言い置いて帰っていくが、私の母親だって、まだ小学生だ。

 

お米などは、祖父が、近辺の農家と契約していて、あの当時でも、母親らは、基本的に白米を食べていられた。

けれど、米だけで生くるに あらずで、

まだ聞き分けのない弟妹に ねだられたり、ぐずられたりして、どうしても、生活費の割り振り予算をオーバーしてしまう。

 

そこで、小学生だった母親は、近所の商店に頼み込んで、掃除や洗い物、井戸水汲みなどのアルバイトに雇ってもらい、下校後や休みの日に、僅かな日銭を稼いでは、足りない食料品や日用品を買い足しつつ、父親(私の祖父)が訪れるのを待ち焦がれていたそうな。

 

生まれつき病気がちで、子ども時分は痩せっぽちだったという母親が、
うんしょ、うんしょと、井戸水を汲み、洗い物に掃除と、いっしょうけんめい働いているあいだ、

おなかを すかせた下の叔母が やって来て、めそめそ泣きながら、
「ねえちゃ~ん、ねえちゃ~ん」
と、まとわりついてくるのを、店の人に見つかるとマズイ、家に戻れ!と叱って追い返すのが辛かったと、

この話を、私に聞かせるときの母親は、いつも涙ぐんでいた。

 

いま盛んに言われている「ヤング ケアラー」そのものだったわけよね。

 

 

私自身も、ある種の「ヤング ケアラー」に該当していたのだろうと思う。

両親とも、それぞれに、手間の かかる親だったからねw

 

母親を庇って、酒乱の親父を なだめ、どつかれ、

家のことも、近所の人たちが感心するくらい、よく手伝っていたはずだけど、それでも、母親にとっては、大いに不満足だったようで、

きょうは、どれだけの手伝いを したのかと詰問し、

もっと手伝いなさいと怒り、

溜まりに溜まっていた洗い物や掃除を やっといたよ、と告げると、

「それくらい やっても、バチは当たらん!」と返してくる。

 

そんな母親が、めずらしく、私について褒めていたのは、皮肉なことに、

私は、素直に喜ぶ気性で、素直に、お礼を言える性格だ、ということ。

プライドが高い母親には、それが できにくい傾向が あったからだろうか。

 

それ以外は、常に、

「おまえは、皆から嫌われる」と、

私に向かって呪文のように唱えていたけどね。

 

あと、

「おまえは、負けてクヤシイとか、他の人に できることを、自分は できないことが悔しくないのか!?」

と、小学生時分に、よく責めてきたものだが、

おっと、おっかさん、

くやしくても、努力で できるようになるわけじゃないからね。

不治の障碍を背負っている身で、他の人たちがアタリマエに できることを、自分が できないと、自分で自分が許せないのなら、もう、自殺でも するっきゃないわ。

 

「悔しくないのか??」

と問い詰められた私が、

「…べつに」

と、困惑して、力なく答えると、

母親は、心底、フシギで ならなかったようだ()

長じるに従い、諦めたのか、だんだん、それだけは言わなくなったw

 

たぶん、
他の人たちに できることが できなくても、

私に できることが、
母親も含めた、他の人たちには できないことも ある、

それが、なんとなく、私の余裕になっていた部分は あると思う。

 

まあ、でも、私だって、何度か自殺を はかったけど。

 

 

で、

私がマメに家事を手伝うのは、母親が病気の多い人だからと、子どもの頃から心配して思ってたからだが、

加えて、

いずれは親父と離婚する基礎づくりのためだったらしいが、東京の叔母の所で、まとまった おカネを貯めるために、長期間、家を出ていたので、少なくとも、自分のことは自分で殆ど やらなければ ならなくなった当時、私は小学低学年だった。

その後、大阪へ戻ってきた母親は、親父と、どういう結論を出したのやら、いちばんの理由は、私が、転校することを嫌がったからだと言ってたが、ほどなくして、割烹店を始め、数年後に交通事故で長期入院。

 

この間に、私は、年齢が大きく離れている腹違いの姉らのイヤミやイジメに晒されながら

(特に、義姉は、私を殴るように仕向けるため、親父に告げ口して唆す等、かつては義兄も同様の目に遭っていたらしいが、今度は私を餌食にしようとした)

いよいよ、自分で自分の身の回り全般を始末するのは勿論、
家事にも親しまざるを得なかった。

 

もっとも、このトシになって、ほんとうに手抜きばかりのズボラと化してるけどw

 

正直に言うと、

病気の親というものは、特に母親が そうだと、いつも、なんとなく、気分が重苦しく、鬱陶しいものだ。

特に精神面の問題を抱えている親は、ほんとうに、子どもは災難だろう。言って悪いけどね。

 

 

昔から、日本の庶民は、たくさん生まれた順繰りに、上の子が下の子を負ぶい、めんどうを みるのがアタリマエの習慣だったという。

母親も、農家だったり家内工業だったりで、夫と共働きがアタリマエ。

出産翌日には、野良仕事に出ていたという。

 

いまの時代なら幼稚園児に相当するくらいの子でも、あかんぼを背負わされ、あかんぼが今にも背中からズリ落ちそうになりながらも負ぶい続けていた、それは、現代では、「ヤング ケアラー」と名付けられ、虐待のうちと見做されるようになった。

 

常に、あかんぼをアタリマエに負ぶっていた、昔の、幼い子どもから見れば、現代の中学生や高校生ともなると、ほとんどオトナに等しいだろう。

オトナのように見えるであろう中学生や高校生は、幼い弟妹を負ぶわされたら、早々に殺してしまうかもしれない。
そんなことを懸念しなくては ならないようになった。

 

それどころか、実の母親ですら、産んだ端から、持て余して、殺す。

そんな時代に、どこが どうして、こうなったのか。

 

いやいや、

大昔から、母親は、わが子を間引いていたのだ。

「母親だからといって、母性を期待するほうが おかしい」

ナルホドよね。

 

 

……

おどんが うっ死()んだちゅうて

(だぃ)が泣いて(にゃあて)くりょか

裏の松山 蝉が鳴く

 

 

Updated   
2022.02.11 (Fri)

昔の「ヤング ケアラー」と、現代の母親たちの続き。

 

『発達障碍』などが要因で「手の かかる子」でなくても、
愚かな親は、自分の配偶者や家族に対する不満や怒りを、
「手の かからない子」でも、全面的に ぶつけるよ。

生活が荒れぎみで、身も蓋もない殺伐ぶりだと、なおさらだ。

うちの母親は そうだった。

そりゃ、周囲の猛反対を押し切り、自分で選んだ道が、想像以上の苦難の道だったら、

自分が選んで、それが期待外れだった男の血を引く、まだ幼く、抵抗できない、何も分かってない子に ぶつけるのが、いちばん容易いもの。

プライド高い性格や意地っ張りな気性だと、自分を責めるのが最も辛いだろうしね。

おかげで、子どもが大迷惑。

 

そして、避妊したがらないのも、バカップルの特徴。

子どもを手離したがらない虐待親のキミョウな傾向は知られているが、
これは、
抵抗力の弱い存在が、思いっきり、苛めや虐待の対象として安心できること、かつ、俗に言う「子は鎹(かすがい)」えせバージョンで、
バカップル間の「えせ絆」を保つことに利用できるからだ。

 

だから、虐待を実行するメインとサブ間で、弱っている者の ようすを報告し合ったり、画像を送ったりと、ケッタイなことを やってるよね。

ま、「支配・被支配の確認」と「連帯感の醸成」だ()

 

 

私が近ごろ疑わしく思ってるのは、

昨今、「猫も杓子も」という勢いで、盗撮犯罪が、あまりにも蔓延しているようすだが、これらと同様、
いわゆる「闇サイト」のような所で、小遣い稼ぎにも利用しているのでは あるまいか、子どもの虐待光景を。

 

 

ところで、
うちの母親に、私がハイティーンか20歳代くらいの頃、問いただした事が あった。

体質や持病の問題も あるのに、避妊しなかった理由をね。

答えは、

「おとうさんが、いやがるから。。。」

だったよ。

 

根っから、気が強いのも通り越し、気性が激し過ぎるような母親だったけど、本質は「ファザコン」で、男に弱い。
本人は無自覚で、真逆のつもりだったろうが。

叔母も そうだったが、
叔母の場合は、子が できない体質だったからマシだ。

 

いいかげんな父親でも、
実母を早くに失ったうえ、継母の仕打ちが酷かったせいもあるだろう。

言ってみれば、私自身が、ほんとうは、いちばんタチの悪かった母親にベッタリぎみで育った理由が、酒乱の暴力親父のほうが剣呑で、まったく信用できないやつだということが、子ども心に分かりやすかったから。

 

 

あとね、

親父も、母親(実の伯母)を、小学生時分に亡くしてから、継父の世話を含めた家事を やりながら育った。

なので、家事に関しては、一般的な男性よりも慣れてたし、母親よりも、よっぽど、気にして、小まめに かたづける性格だったけど、
ヨメである母親自身は、乱雑なほうが落ち着く!と言い放ち、
亭主である親父に、黙って任せる普段の家事は、せいぜいトイレや浴室掃除くらい。
これは、母親がデブ過ぎて、狭い所で しゃがんで掃除するのが至難のワザだったからだろうw

なぜか、特に台所に入って、親父がゴソゴソやる場合、たちまち、盛大なヒステリーを起こすw

母親が言っていたには、「台所は、主婦の城」なんだそうで。

なんぴとも侵してはならぬ聖域であるみたいに主張していたw

たしかに、母親の料理の腕前はプロ級だったわけだが、

世間で言う、料理したあとの かたづけを しない夫という批判と同じで、

ここは娘の私が、流しに いっぱいの洗い物を かたづけたり、乱雑な鍋や食器の整理を するのは、大いに満足して、キゲンが良いww

むしろ、知らん顔してたら烈火の如く怒るし、やっといたよ、と言うと、

「それくらいしても、バチは当たらん!」と、憎まれ口が返ってくるわけ。

 

 

出産・子育てを除けば、私も、老人の介護なら多少の経験してるけど

(フルタイムの仕事も同時進行で、同居したら、ヘルパー制度を利用できなくなるから、別居のまま通ってて、近所のオバハンらに、「人の道」をば説かれたもんですわw親父のメンドウみるために同居せよ!とね。私に暴力ふるってた親父のねw)

そりゃあ、
若くて体力旺盛なうちから、産んだばかりの あかんぼうを持て余すようでは、
自分自身もトシくった あと、老親の介護なんて、もっとムリだろうねえ。

 

うちの親も、突然、倒れたりしたから、たちまちにして介護の必要性が迫ってきたけど、やっぱり、その方面の経験や知識の ある人に、利用できる公的制度のことや届け出書類のこと、いろいろな くふうの やりかたなどを教えてもらったよ。

 

ま、出産・子育ては大変よという話や経験談は、いろいろと聞いていたんじゃないのですか?世の妊婦さんや子育て中の おかあさんがた。

実際に自分自身が出産・子育て開始する前は、何を考えておられた?
って言ってるの、先日のエントリーでもね。

 

ただただ、
「サポートがー!サポートをー!カモーン!はよーサポートぉ!!」と、他人まかせか?

あなたの人生のパートナーや、子の父でもあるダンナさんとは、何の話合いも打ち合わせもナシ?何も言えんのか?

 

 

ところで、

私の実家や特に母親、腹違いの姉らに関して、まだまだ、このブログでも明かしてない、えげつない話や出来事は ある。
みなさん、聞けば恐らく、「げげっ!?」と驚くような話ですよw

でもね、

かつての同僚などから打ち明けられた話のなかにも、私ですら、ううーむ、と、コトバを失うような内容が、多くは ないけど、あるには あるのよね。

で、やっぱり、母子家庭だった。

と言っても、

彼ら彼女らの御両親それぞれの性格や行いなどは、みな同じでないのは当然で、情況の内容も、いろいろだ。

 

 

これは、私の母方の叔母の一人で、

「猫いらず(殺鼠剤)」とかいう毒物を あおって、自殺してしまったという、ごく若くして亡くなってる人なのだが、私が生まれる ずっと前のことだから、もちろん、会ったこともなく、顔も知らないままなんだけど、

と言うか、

私の実祖母を始め、母親や叔父、叔母たちの子ども時代の写真なども、実祖母の形見の品と一緒に、義祖母が、一切合切、捨てたり燃やしてしまったとかで、写真1枚すらも残ってないので、
私の母親らの話によると、まさに『エリザベス・テーラー』に似た、絶世の美女だった、という実祖母の顔も知らない。ちと残念。

 

で、

その、服毒自殺してしまった叔母というのは、これが また、母ら三姉妹のうちでも、いちばんの美人という評判だったそうなんだけど、
最も可哀そうな人生でも あった人で。まさに「美人薄命」。

この叔母のことは、私、初めて、ブログに書くんだけども、

先日のエントリーでも、
義祖母の性格のキツさで、私の母親ら全員、たいへんな苦労するハメになった経緯を述べたけれど、

母親や2番めの叔母は、良く悪くも要領が良かったというか上手いこと逃げる すべも心得ていたから、まだ少しはマシだったらしいけど、

くだんの叔母は、次女にして、最も美人で、楚々として女らしくって、性格の穏かな、おとなしい性格だったという。

そのせいか、義祖母に、いちばん酷く虐められていたそうだ。

 

あるとき、何が切っ掛けだったのやら、些細なことから、義祖母の逆鱗に触れた叔母が、服も下着も剥がされ、素っ裸にされて、寒い戸外に放り出された。

そろそろハイティーンくらいの お年頃に さしかかっていた叔母は、それまで、義祖母に逆らうことなど なかったのに、このときは、義祖母の隙を見て、家のなかに戻り、そこに あった「裁ち鋏(バサミ)」を掴んで、義祖母めがけて、思いきり投げつけた。

裁ち鋏の鋭い刃は、義祖母の太腿に突き刺さり、救急車を呼ぶ騒ぎになった、そのあいだじゅう、義祖母は、狂ったように泣き喚いていたという。

 

たぶん、そのあと、ほどなくして追われるようにだろうか、くだんの叔母も、家を出て、『京都』へと向かい、住み込みの仕事に就いたというのは。

 

【続く】