2025.04.14 (Mon)
『どうすんの、コレ』の続き。
ところで、
『フランス』の「極右」党首(ルンペンとか いったっけ?)が、何かの法律に違反(秘書給与流用だっけか)で有罪、被選挙権を何年間か停止されるというので、トランプまんせーのウヨどもが、早速、トランプの口癖の一つである「魔女狩り」だー!!と叫び回ってたけども(嗤)
あの党首ってさ、『ロシア』のプーチンからカネもらってたとか借りてたとかいう報道が、近頃 あったにも かかわらず、それを1回だけ読んだ私は、それっきりで、以降、続報の類を目にしていないままなので、「あれ、どうなったんだろ」と、怪訝に思っているということを、最近までの過去エントリーにて一度ならず疑問を呈しているのだが、一般のコメント投稿など見てみても、そんな話は、誰も覚えてや しないようで、フシギなくらいに、誰も何も言わないね。
それと同時に、
ただいま絶賛(?)暴走中のトランプ爺さんの場合も、やはりプーチンがらみで何か あるんだろうに、それをスッパ抜くメディアが登場しないな、しないかな、しないのか、なんでや?と思い続けていたところ、やっと、ここへ来て、大統領選に突如として躍り出る以前のトランプが、ロシアの「オリガルヒ」がらみでカネやら支援やらを云々といった裏話を紹介する向きもチラホラと見受けられるようになってきたみたい。
でも、トランプ返り咲き選に おいても、プーチン・ロシアが介入していたと報道されていたのに、そのことについて、一般のコメント投稿者の あいだで、指摘しているようすも、全くと言っていいほど、ほとんど見かけない。
ああだ こうだ言ってても、一般人の殆どは、世界情勢に関するニュース等は読んでいないことが日常だからなのか?それとも、やっぱり、あえて、取りあげないようにしているのか、
それは、何らかの組織・団体の回し者が混じっているのが「コメント欄」の実態だからなのか、
メディア各社も また、記事にしない、続報を控えるようにという根回しでも されているのか、ほんとうに奇怪な情況だ。
要するに、「チーム プーチン」ってことかいw世界じゅうの あちこちで。
さてさて、
またぞろイーロン・マスクの「カネばらまき」作戦だったが、今度の目的は、『ウィスコンシン州』という所の最高裁で、『共和党/トランプ』マンセー判事の選出を企図してのことだったそうで、その光景を、ニュース動画にて苦々しく眺めていたところ、前回のとき同様、今度も また、みっともないアメリカ人が躍り出てきて、カネ当たった!カネ当たった!!わーい♪わーい(^^♪とばかり、欣喜雀躍の ていを、恥ずかしげもなく見せつけるのだろうて、と、予想していたのとは、ちと違っていた。
と言うのは、
いずれの「当選者」も、前回のときのように、あまりに露骨な悦びを表出するのは控えているような態度だったからなのだが、
この場面を指して、「アメリカ人らしいというのか、あっさりした態度だ」とか言ってた、めでたいコメント投稿者が いたもんだ(これは、『МSN』コメント欄だった)。
バカじゃねえか。。。つくづくマヌケ。
先述したように、前回のときのバラマキ当選者らは、まさに「欣喜雀躍」の ていだったんだよ!
もう すっかりと、忘れてやがんの。
このように、「健忘症」なんだか、IQ低すぎの記憶力ゼロなんだか知らんが、このレベルが、およそコメント欄というコメント欄で、最大多数の投稿を占めている、この現実。
私が、かねてから指摘してきたように、「あほとカシコの勢力分布図」が、如実に示されているわけだ。
くだんの判事選では、カネばらまき不発に終わったことを切っ掛けのように、いよいよ、トランプみずからが、「大盟友・同志」のはずのマスク追い出しへと踏み出すのかいと、私なんかは即座に察したけど、コメント欄の投稿者らは、それにもピンと来ていないらしく、相変わらずの、あさってなコメントばかりを連発していた。わざとかもしらんけど。
ところで、
『「夏の終わりまでにアメリカは民主主義国と言えなくなる」その理由は…
【報道1930】』4/11(金) 18:21配信
なるほどね。
もうすぐ、「夏の終わり、、、」そして、民主主義の終わり。。。
だが、
そりゃね、トランプが、その手前勝手な方針を、頑として変える気が ないのも当然ですよ。
なんたって、
こうするぞ!それでイイんだろ?それが良いんだな!
これで、圧倒的に勝てた(『ロシア』側からの介入も あったにせよ)。
だったら、変える必要が どこに ある?
自国民全体からの「お墨付き」を得ているのだから、この方針、この方向へ、ひたすらレッツ ゴーゴーだー!文句あっか?!
かくて、「クレイジー号」は驀進する。
わわわ、、、こりゃエライこっちゃ!!と、気づいたならば、国民たち自身が、命がけで、その身を投じて、暴走列車を止める試みを するしかないのよ。死屍累々も覚悟で。
それは さて置いて、
前から指摘してきたことを、ここでも言う。
『笹川平和財団』とかいうね、そもそも極右のヤクザ組織を土台に、「アベまんせー」を繰り広げつつ跋扈してきた『日本会議』やら『(旧称)統一教会』などのオトモダチを、近年の大手メディア、それも、『毎日』系や『朝日』系が、何かにつけては登場させ、ご意見うかがいしておるのな。
これだから、オマエさんらは、ある意味では、あの『蛆・惨軽』もとい『フジ・産経』系よりも胡散臭く、なにを企んでおるやら、油断が ならんというのや
どうやら、アベシに媚びてるのかいなと思えた『あべま』とかいうメディアが ある。これも、『朝日』系でしょ。
で、イケしゃあしゃあと、例のケケ中を登用しとるっちゅう。。。
あの、「金持ちの足を引っ張るなよ」と、しゃあしゃあと のたまったケケ中をな。
どういうつもりやゴルァ!!
こないだも、ケケ中信者まる出しの愚か者が、例によって、「ヤフごみ捨て場」にて、
「富裕層は優遇されて当然だ、損している富裕層を、もっと優遇しろ」
てなバカまる出し主張を、いまだに恥ずかしげもなく唱えてるのを見かけたから、見かねて、「ヤフごみ捨て場」運営に注意しといたよ。
いいかげん、こういうコメントを載せ続けるのは やめなさい、と。
なぜならね、
これも、もう何度も言ってきたよ。
富裕層が、大いに努力した結果の富裕とは限らないのは、ここでは さて置いといても、
まず、社会的インフラ全般を、最も利用し尽くしているのが、大企業経営者などに代表される富裕層だ。当の『ヤフージャパン』経営者らもズバリでしょ。
しかも、
これら富裕層が、束になって かかったとしても、たった一つの社会や国家を支えていく力には到底、足りないんだよ。
富裕層以下の、底辺層も含めての存在なしには、富裕層自身も存在できないの。
この基本的な現実の構成を、サッパリ理解できない、おのれが低知能であるということも、自分自身が最も知らないまま、みずから、恥を掻き散らして回っていることも気づいていない。
しかし まあ、昨今のアメリカを見ていたら、「プロテスタンティズムの倫理」ってな、ありゃ大嘘だったのかしらんと思えてならない。
『オリンピック』の問題も、
「商業主義オリンピック」「金権オリンピック」「ぼったくりオリンピック」とか言われるようになって久しいけど、これがハッキリ目立ち始めたのも、たしか1984年『アメリカ・ロサンゼルス』のときからよね。
しまいには、例の関税作戦遂行に あたって捻り出した、いかにも御立派そうな「数式」モドキね。
こないだ、その件についてのニュースを見かけたとき、真っ先に思ったのは、どの国でも、官僚ってものは、「ボス」と仰ぐ政治権力者からの要求に応えるためには、どんなに姑息な、歪んだ手段でも用いるんだなと、あらためて実感したこと。
それと、『ソーカル事件』というのを ちと連想した。
とにかく、いつま~でも、アメリカを親分と頼んで、ひたすらアメぽちに徹してきた おかげで、とうとう、かつては世界第二位だった経済面でも決定的な煮え湯を呑まされた日本の こんにちの現実は、ひとえに、『自民党=本名:ダッピ統一ツボ売国党』と、それを支持し続けてきた大多数のアホばかノータリン国民が招いた結果だ。
私は、自分の人生、これだけは終始一貫させてきたと、自信を持って言えるのは、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』をば、ただの一度たりとも支持したことが ない、ということだ。なので、愚衆どもめ、甚だ迷惑なと思ってきた。
【続く】
2025.04.14 (Mon)
あ~あ、どこを見ても、値上げ値上げ値上げ!
今夏の電気代のことを思っても、恐ろしくなる。
そこに加えて、またぞろ登場した「汚染米」騒ぎ。
これまでは、『あきたこまち』を買うことが多かったのだけど、「カドミウム」の基準値を云々というので、今後は、別の銘柄米に変えたほうが いいのやら どうやら。。。
まあ、うちは、一ヵ月のうち数日くらいは、ほぼほぼ絶食を余儀なくされるので、非正規で働いていた頃も そうだったけど、近年は、ますます、栄養不足との闘いに陥りやすい私、去年あたりから、いよいよ、お米を買えていない、全然。
ま、腰痛が ぶり返すことが増えて、重たい米袋を提げて帰る体力も萎えていってるし(苦笑)
実際、お米よりも買わないわけにいかない品は、他にも多いもんね。魚や肉は差置いても、最低限の野菜類や衛生のための用品は最優先だものね。
「10万円のハンカチ」が当たり前な特権階級や上級国民とは、住んでる世界が全く違いますから(嗤)
さて、
私が まだ学生の頃だったかな、社会人になってからだったかな、いずれも、都度はっきりとまでは憶えていないのだが、過去にも、コメ不足とか「古過ぎる」米とか、いわゆる汚染米等の大騒ぎは起きたことが あった。
特に、汚染米騒ぎのことを思い起こすたびに、故 有吉佐和子氏が、その著作(『複合汚染』だったかな)のなかで述べておられた話をも思い出すというのは、過去エントリーの どこかでも言ったことが あると思うが、それは、お元気だった頃の有吉氏が、たしか、あるベテラン官僚に取材しての際、汚染米の問題に関して聞いたときの内容だったのだが、
くだんの管理職 官僚氏は、国内で大問題となっている米の処理方法に ついて、このようなアイデアを示したと。
すなわち、日本が持て余している汚染米を、『東南アジア』圏などの、いわゆる「発展途上国」と呼ばれる国々に寄付したらば、貧しく、食糧に困っている先方から感謝されるうえ、日本は、持て余している汚染米を処分できるので、一石二鳥という内容の話だったらしい。
有吉氏は、くだんの、地位ある官僚氏が、心から真摯な大真面目な善意のつもりで、そのアイデアを披露した ようすに、つくづく、呆れたそうだ。
まあ、たとえば、被災地への救援物資だとて、一般家庭からも続々寄せられる段ボールのなかには、消費期限も とうに過ぎた食品やら、穴の開いた靴下やら、洗濯していないままの、汚れた下着とかをゴッソリ詰めて送ってくるという現実が あったわね、さすがに、近年では、固く お断りしているらしいけどw
「困ってるんだろ?なら、こんなもんでも有難いだろが」
と、
腐った食品や汚れきった衣服を突きつけて、善行気分で、処分も できて、自己満足に浸れる「一石二鳥」。そういう国民性の国ならではの、官僚であり、政治だ。
それにしても、値上げ値上げと騒ぐ前から、その ずーっと前から、たとえば、ティッシュペーパーなどに顕著だったけど、容量やサイズを、ひそかに減らしていってるぞ、私は気づいてるぞ、ということを、当ブログは何度も言ってきたけどね、ここへ来て、もう、だれ憚るものか!とばかり、堂々と値上げの勢い凄まじくなってるわな。
その値上げ攻勢の おかげで、従業員、一般労働者全体の給与も妥当なレベルまで上げられるのなら、結局、「重税だあ」と喘ぐ感覚も薄れるはずなんだけど、ごく限られた存在でしかない大企業を除けば、日本では殆どが中小・零細、そこに勤務する国民が最多だからな。
以前から言ってきたけど、
「ウヨ」らが頻りに主張するような、「国産を買えぇ」とか「グローバルがぁ」とか、知りませんがな。。。
私とて、価格に大きな差が ない場合は、たいがい、国産のほうを買うのだけども、まず、見当たらなくなってる場合がアタリマエになって久しいでしょ。
個人的に、積極的に、日本産・国産は~どこじゃあ~と探すのも一苦労な場合も多く、しかも、「日本」製とか産と表示されていてさえも、名実ともに そのとおりとは限らないもんね。
一般の消費者が、ことさら『中国』を筆頭とする外国産品を望んだってことは なかったんでないの?
いつの間にか、こんな状態になってたなあ、ってのが、ほとんどの国民の感想じゃないのかな。
じゃあ、誰が、そういうふうに仕向けたんだろうか。
『アメリカ』のトランプ政権も、躍起になってるところらしいが、それ以前に、すでに日本は、安倍政権の頃、特に、「国内回帰を!」と叫んでいたはずだけれど、結局、いまだに、そうは なってない。
それにしても、思い起こすたび、もはや冷笑しか湧いてこない、例の掛け声、「トリクル ダウン!!」(嗤)
やっぱり、貧富の差を、より拡大するだけで終わった。
また、
「消費税減税」なんなら「ゼロに」してもらってもね、それを要求する低所得層のキモチは、その一員として、私も痛いほど分かるけど、
だいぶ前にも指摘したように、それで最もトクするのは、富裕層なのよね。
消費税も高く つくことになる高価な品を、ふんだんに購入できる富裕層が、最もトクを するので あって、私らビンボボ族は、そもそも、安価なものを、少ししか買えませんからなあ(苦笑)しょせん、知れとる。
それよりか恐いのは、
「消費税を減らしたりゼロにしたのだから!何兆円分の福祉も削減させてもらいまっさ」
とか、ていの良い言い訳に利用して宣言されたら、目も当てられん。。。
アホが「良い子」ぶりっこしてる、それが、日本の庶民。
私はね、かねがね、「政治屋」含む利己主義者の商売人どもを、深く軽蔑しておりますけど、
そして同時に、
常々、一般の国民、庶民層を大切にしろ!と、つよく主張してきていますけど、
あこぎ極まる「政治屋」と商売人に対すると同じくらいに、
民衆・大衆というものも、大キライなんですよwだって、アホでバカで愚かで軽薄きわまるからさ(苦笑)
しかしながら、政治家でも企業経営者でも、あこぎな利己主義者ばかりでは ないだろうと、思っていますよ。
ひょっとしたらw半数近くは、かなり良心的なのかもしれないし?wwもしかしたらw五分の一くらいは、利他の精神を併せ持つ、聡明、賢明な人格者も存在しているかもな?と、願望混じりに思っておりますww
しかしながら、一般の国民、民衆、大衆に おいて、アホでもバカでも愚かでも軽薄でもない者は、ほんとうに、ほんとうに、稀少なのだろうと思ってます。
じつに、じつに残念だけどね。
いや、そりゃ、知能的に問題ありとか、様々なケースは必ずや、ある程度は含まれてしまうのが摂理だけども、
世間を眺めていたら、ボッケ~っとしてる私ですらも、難なく分かる道理や予測を、どうして、こうまで分からないのか、はずしまくるのだろうかと唖然愕然
呆然
とするほど、アホでバカで愚かな軽薄短小が大多数なんだもの。うちの過去エントリーが証明してるでしょ。
そのくせ、目先の利害意識は旺盛で、チョコチョコちまちまとした損得計算は、本能であるが如くに労を厭わないマメさ。
ある意味、エネルギッシュならではなんだろうね(嗤)ほとんど執念みたいだもの(嗤(嗤)
要するに、10円や100円の単位では目ざとく、けっして間違わないけど、これが、万や億のレベルになると、あっさり、やらかす。政治の世界で特に多いよね。私とは、まったく逆のパターンですよ。
ウヌボレが つよいほど、こうなるのです。根拠らしい根拠もない、ほとんど「幼児的」なんとやらだ。
うちの親や身内も、こういう典型のタイプだったわ。
卑近な事がらでは、人並み以上に要領よく機敏に立ち回るわりに、致命的な失敗、それも、他者の命や人生を陥れるような間違いは何度も やらかす。
つまるところ、欲深だから、ってことなんだろうか。
欲と、そして、ウヌボレで目が曇っているから、道理も予測も、はずしまくる。
はっきりと、知能に不足ありと診断されていてさえ、自己愛とウヌボレだけは人並みに持っているもんだ。
だが、知的に大きく問題ありと知っている対象に、誰が、ものごとの判断を預けるものか。
むしろ、もっと始末が悪いのは、
低知能とまで明白に診断を下されていないかぎりは、自分はマトモ、賢いはずと信じてウヌボレている、そんな愚衆が、りっぱに主権者、有権者なのだから、いや、有権者たるの重みも理解していないし、どうやら、本当に、「なにが何だか」五里霧中の精神状態に見える。
なぜか、「ネトウヨ」と思しい連中に目立つセリフ、
特に、支持していると思しい『自民党=本名:ダッピ統一ツボ売国党』が、またぞろの醜聞を曝け出したときに、なぜか一挙に増大するセリフ、
すなわち、
「与党も野党も、どうせ、政治家は全員」とか「マスゴミは皆」とか、
ヤケクソみたいに、十把一絡げに断じる。
とりま、自分が理解しやすい!と思えるだけ同レベルの権力者を良いだろうと思えて信用してしまうのも当然だ。それは殆ど誰しもなのだが、
となれば結局、知性の高低が左右することになる。
ただいまのアメリカが、典型的な見本劇を繰り広げてますわな。
毎度の「ヤフごみ捨て場」では、つい先日まで、大っぴらにトランプを称賛する連中が湧いていて、危うさが浮上すれば そのたびに、どういうわけだか、必死に擁護していた「ヤフゴミん」の一人が、
こないだは、とうとう、
「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」
などという、大昔も大昔の『中国』由来の言葉まで御大層に持ち出していたのを見かけ、
そう言えば、と、連想したのが、
例の『産経』系ブログ サイト。私も、一時は、ここで、旧のブログを やっていたわけだけど、そこの常連の一員のブログ タイトルが、同じく「燕雀~」そのものだったのよね。
このブロガーは、当時、野球クラブだかに所属しているという息子さんらが いて、仲睦まじい奥さんとともに、とても教育熱心な おとうさんなのだなと見受けていたのだが、
おそらく、もともとは『自民党』の支持者だったものの、その頃、気を吐き始めた『維新』に、大いに期待を かけていたのに、あの党も、早々に、『自民党』顔負けのスキャンダラスな話題やら問題が勃発、発覚してきたもんだから、くだんの「燕雀~」氏は、だんだん不安な気分になっていったようであった。
しまいには、他の同好のwと言うか、同志的ブロガーたちと、
「あれ?あれれぇ??」
なんか違うぅ、、、と、嘆いているところを見かけたことも あった。
なんだか、信念の つよそうな、いかにも体育会系っぽく溌溂と元気そうな「保守」派の人と見受けていたけれど、あのブログ サイトでは、当然だが(苦笑)激しく浮いていた私に対して、いささかエラソーに返答されたことも あったが、いまごろは、かの「燕雀~」氏、どんな気分だろうかと、ちらっと思ったりしたw
【続く】
2025.03.30 (Sun)
で、まあ、そういった流れのなかで、時々、考えていたのですわ。
宇宙の発生とは。いわゆる『ビッグ バン』以前の それは、と。
思い切って雑な言い方で言ってしまえば、
いわくビッグ バン云々については、それほどには難しい話でも ないでしょう。要するに、やがては縮んで、そしてバクハツ、縮んではバクハツ、
「リサイクル」に次ぐ延々リサイクルの世界ということなら。私が小学生の時分に思いついた、宇宙の仕組みみたいなことについても、これに近いものだった。
いずれ、宇宙自体が収縮していき、「粒」とか「点」とかのレベルまで圧縮されて、ほんで またバーンと いくと。
ほんとうの問題かつ見果てぬ永遠の疑問は、やっぱり、ビッグ バンすらも起きてない状態で発生したのだろうか?ってことですわな。
むろん、人間が考える「必要」性だとか「価値」なんぞは全く意味を なさない、ましてや「主の思し召し~」だとか、笑止千万の論外。
「んなもん、カンケーねえ~」ってことだ。
聞くところによれば、専門家の あいだでは、「揺らぎ」がぁとか言ってるらしいけど、揺らぐには揺らげるものが必要でしょw
そうなると、われわれドしろうと一般人の あいだでも、何かと言えば
「無ぢゃ~」「無なのぢゃあ~」
と、見てきたような悟り澄ましたことを言うスピリチュアル趣味の手合いが散見される俗世間だけど、この手合い、例の「(オ)カルト連」の構成員にも多かったわよぉ(爆)
あやつらについては、わたしゃ、思い出せば、いまでも不快で大っキライだし、ぶっちゃけ、軽蔑を誘われざるを得ないほど、哲学や科学には ほど遠いくせに、そういう所で愚にも つかない演説したがる、単なる俗物、
しかも、俗物ならではのコンプレックスを刺激されたとたん悪罵を繰り出す癖のあるオゲレツ連中だったけどさ、
それは さて置き、
当ブログには「科学」系カテゴリーを中心に、宇宙について話題にした過去エントリーも幾つか あるけれど、
そこでも触れてきた、「無」と「有」の問題ね。
次いで、「無機物」から「有機物」への相転移に対する疑問。
われわれ人類の感覚や歴史的な積み重ねから否応なく影響される「無」と「有」の現象だけれど、つくづく考えるに、実際、ほんとうの「無」なんて、この世の どこにも ありゃしないんだからねえ。
ふだんの生活場面でも言われがちな「無」というのは、どこまで行っても、われわれ人間の思う「無」であって、宇宙や科学の場面で言う「無」とは異なっている。
だったら、どこまで遡って追求しても、そこには、結局、「有」の世界しか ないのであって、「有」の状態から始まったのだと、そう考えれば、辛うじて、ツジツマみたいなものは合う。
そこで、思い当たった。
ちょっとだけ頓智っぽいようなだけど、
「無」とは、ないこと、そのものであると。
だったら、無そのものが、ないのである。ちゃんちゃん♪
いや しかし、それにしたって、どう転んでも、なんかキモチわるいのよねえ。。。
「ほんとうの無」も、「有」しかない世界も、どっちも。
んま、こんなことを ふと思い始めたら、いつまでも つらつら考えてるんだから、そりゃ、「ヘンなやつ」とか思われて、浮きまくってバカにされまくっても しょうがないか(苦笑)さすがに、ふだん、こんな話題は、おくびにも出さないけど(苦笑)
日常の多忙な生活感覚や、それに つごう良く合うことしか思わない、考えない、それが、「ふつうの人」ってことなんだろうから。
閑話休題。
ま、当ブログを読んでこられた人は、ほぼ首肯なさることだろうけど、ここまで、私が述べてきた あらゆる分野、特に、政治関係の見通し、展開について、ほぼほぼ言い当てていたことは お分かりだろうと思います。べつに、自慢してるつもりは全く ないですよ。ただ、呆れているんです。なさけないとすら思うの。
なぜ、大学も行けなかったボケ~としてる私でも、それなりに、すぐに理解でき、分かることが、多くの賢い人は、
もっとも、民衆や一般大衆というものは、愚かなものなのだろうにせよ、
とりわけ、私と違って、知能も学歴もズバ抜けて優秀なはずの人たちですら、的を外しっぱなしの愚見を振り撒いては、事の次第が明らかになるにつれて、とたんに口を つぐむか、あるいは、そんなこと言いましたっけ?ウフフ、みたいな、唖然とするほど素早い変わり身を披露するのか、その あさましい態度、思考がね。
いま、まさに、トランプの姿が見本になってるけど、
個人は勿論、国家のレベルでも同様に、劣等感やコンプレックスが異常に つよいタイプ、プライドだけが異様に つよいタイプ、それと、ウヌボレが やたらと つよいタイプ、たいがいは、これらを同時に背中合わせで持っているようだが、こういうタイプを、およそ権力の椅子に座らせてはダメなんだ。
けれど、えてして、こういうタイプこそは、自己愛のため、そのためだけに、がつがつガンバっちゃうからねえ。
しかも、
単純に好きでガンバってきたわけでは ないのが本音なのだろう、何か別の目的を、無理して遂げようとガンバってきた証左が、ああいう連中の、傍迷惑でワケわかめな被害意識。
それは、俗物根性だからです。
まさに、「謝ったら死ぬ」病なんですよ。
そのうえ、深刻な間違いや、悪業を重ねてきたからこそ、素直に謝れなくなるでしょ。
トランプ政権全体が、見本を見せてくれてますやん(嗤)
一般の家庭内でも、同じですよ。
うちの親が、ほんとうに、こういうタイプだったけど、まったくもって、傍迷惑なんてもんじゃない、本質的に無責任だし(親なんて、無責任だからこそだけどw)、自己愛のために、抵抗力の乏しい者を利用し尽くし、その人生を潰すことすらも辞さないからね。
もともと精神的に脆弱な おのれの、いよいよ首から下の身体面も弱ってきたら、たちまち、それまで以上に依存を強烈にするからね。
なので、いわゆる「毒親」つまりは「自己愛性人格障害」者を親に持っている人に対しては、私からはシンプルに一言。
障害とかを負わされてしまっていたら、脱出するにも困難を極めるかもしれないけど、そうじゃないなら、
とにもかくにも、いちおう自活できる経済力を持つこと。
それから、可能なかぎり、遠くへ去ること。
ぐずぐずしてたら、いよいよ自分もトシくってしまってから、親に踏み潰されるよ。
ブツブツぼやいてるヒマは ないのよ。
「三十六計逃げるに如かず」だ。
ほとんどのところ無自覚だったのだろうか、そういうふうに装っていただけなのだろうか、
私には、うちの親の本当の正体を、正確にまでは分からないままだけど。
なんせ、優秀であったはずの脳に、生来的異常をも抱えた、まるで「人種が違う」としか思いようのないタイプの人たちだったからね。
さて、
「建国の歴史が浅いから」とか、そんなことが当たってるかどうかは分からないけど、「騎士道」も「武士道」も、そんなものは最初から持ち合わせや しないまま、世界じゅう、あちこちの紛争や戦争に首つっこみまくり、みずからが仕掛けさえ してきたことも、世界じゅうの人々が、『アメリカ』について知っていることの大なる一つだが、
そのため、肝心の自国兵士などの人命を筆頭に、莫大な損失を生じさせ、保険業界も深刻な負担を被ったであろう、というようなコメント投稿を見かけたのだが、そこで、当ブログの過去エントリー内で紹介しておいた『赤旗新聞』の、この記事を思い出したわ。
一昨日のエントリーでは、最近、鑑賞させてもらった、少し古い時代の映画の感想を述べておいたけれど、言い添えるのを失念していたことについて、追加。
制作された時代が、敗戦後、まだ10年も経っていないせいなのか、こんにちでは、すっかり失われてしまったような日本人と、その社会の、基本に生真面目さが濃厚に残る気風や矜持を見受けたが、特に、垣間見て、ひときわ驚いたシーンが、『愛すればこそ』の一場面。
当時の機動隊(正確な名称は知らないけど)と衝突する一般の民衆、国民たちのデモ隊が手に手に掲げていたプラカードの文言だ。
そこには、
「日本の再武装と教育を」
といった要望のコトバが並び、特に、若い世代を演じた俳優のセリフにも、
「日本の独立のために」
といったコトバが出てくる。
しかし、
この映画の監督さんについての批判に近い指摘を見ると、「左翼」思想が強いので、辟易したという内容なのよね(苦笑)
昨今の「右翼」「ネトウヨ」などと、いつの間にやら入れ替わったのかいなと思えたほどの話なので、世代が全く違う私は面食らい、とにかくビックリした しだい。
ついでに加えておこう。
『細雪』の結末にしても、
やっぱりと言うか、谷崎の、俗な、あるいは「保守」的なと言えば いいんだろうか、女性の人生、生きかたに対しては、うちの過去エントリーでも批判しておいた、かのオスカー・ワイルドとの共通した感覚が窺えた。
結局は、女性は、亭主を頼りにし、従順でいることが幸せの近道、
そして、理想の女性の姿とは、芯から貞操ゆるがぬ、気高い淑女であるという結論。
なので、そこからの逸脱や、逆なキャラ、生きかたを する女性は、結局は、罰が与えられるのだよ、、、みたいな(苦笑)たぶん、古今東西の男の共通性の一つでしょうねwでも、「悪女」も大好きでショww
…
というわけで、
またまた、おひさしぶりねえ♪な更新でしたが、
さすがに数ヵ月ほども放置状態になったら、それは、おそらく、生死にまで関わるほどの何らかが起きたなと察してもらっても いいだろうけど、なんせ、気まぐれな性分なもんでしてね、また、できるだけw近いうちにねww
それでは、ごきげんよう~
2025.03.29 (Sat)
ドッカーンですわな。
当然の報いと反応だと思える『アメリカ』、「またぞろ」も通り越して、やらかしましたなあ。今度のは、ひときわデカいですぞ、例の(『フ―シ』派とかいう組織への)襲撃計画の機密漏洩。
『アトランティック』誌の記者氏は、記者の本能とも言えようはずのスクープ欲を抑えて、慎重に対処、よっぽど「愛国」的姿勢だったものを、きわめて口汚く罵られていた、このことも、トランプと、その政権メンバーらの恥の上塗り状態となっている。
それにしても、いっぺんで、ほぼ消えたな、トランプ支持のコメントが(爆)
どうせ『(旧名)統一教会』とか『サンクチュアリ教会』とか、あるいは『福音派』たらいうカルト集団でなければ、これらと裏で手を繋いでいる組織構成員の「お仕事」か、
残るは、何でも かんでも逆張りや訳知りを気取りたがる軽薄短小の連中が。
入れ替わりに、
トランプと、その政権メンバーを非難、糾弾するコメント投稿が激増しているが、
おたくらもなあ、ここぞと正義感に満ちあふれるコメントを、やっと今ごろになって惜しみなく投稿する、その情熱をば、どこに隠してたんですかの?(苦笑)
ほいほい日和ってばかりではダメよw
私みたいに、ふだんからの姿勢というものが大事ですよww
私はね、当初から、トランプは「愛国者」どころか、その逆、自国を逆恨みしているか、あるいは、どうも、プーチン・ロシアとの あいだで、何か邪まな経緯が あるんだろうということを指摘し続けてきたわけだけど、
もちろん、それだけでは なく、トランプ個人の人間性や志向、好みなど、そっちの影響も大きいだろう。
で、
たしか『ハーバード大学』卒というアメリカ人で、なんとモノズキにも、日本で芸人やってるとかいう御仁。この人が言ってたようなんだけど、「トランプは、スパイとかいうよりも、スパイのように振舞っている」とかナントカって。
いやいや、実際に、そのように振舞った結果が、まさしくプーチンの都合に良い運びとなっていってるのであれば、それは、取りも直さずスパイであり、「売国奴」です。
わが国の大昔の賢哲の一人、兼好法師が仰ったとおりに、
「キチガイの真似する者はキチガイ」
ってことですw
兼好法師って、洞察力が鋭くて、ほんと、アタマ良いよね。
トランプは、どう見ても、よりによって自国の信用、国力、築き上げてきた威信を根こそぎガタガタに壊そうとしているようにしか見えないということを、私は、ずーっと指摘してきたし、まさに、それに違いないのであれば、その結果を、誰が最も悦ぶのかを考えてみれば、一目瞭然でしょうがw
従来の枠組みなどを大胆に変化させること そのものを反対するわけじゃないよ。
アメリカの来し方も また、問題が甚だしいものだった。
だがね、
時代錯誤なマッチョ爺トランプたちのせいで、日本も含めた世界じゅうが、たちまち、軍事重視へと舵を切り始めた。
こんなこと、人類が目指してきた世界か?人間が やるべき仕事なのか?
とんだ先祖返りだよ。
ボルトン氏あたりでさえも、トランプは、プーチンと友だちのつもりなのでと指摘しておられたけど、私は、やっぱり、それどころじゃないやろと思う。
少なくとも、故あべポチのようには勝手が違い、プーチンは、「ブロマンス」を乞い求めるトランプに対しても、温かい対等なスタンスで接しては いない、どこまで行っても、故アベぽちの実態も そうだったように、「片思い」に過ぎなく、もっとズバリ言えば、「焦ってる足もとを見透かされている」側と見受けるけどな。
だって、少なくとも中国、そのトップである習 近平氏に対しては、トランプ自身、友人とかいうような態度と全然ちがうやんww
ことわっておくけど、私だって、大キライですよ、
他国からの援助やら「互恵」取引やらの おかげで、ぐんぐん蓄えた余裕を、ほいさ ほいさと軍事に注ぎ込んで、あげく、周囲にケンカ売りまくったり、挑発しまくるような国はね。
まっ、こんにちの結果を導いたのは、欲を掻きまくった日本のアキンドどもと癒着する『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』も熱心に手伝ってきたに等しい要員だ。
まあね、言うて、私はアメリカ人じゃないんで、その分、気楽に、近ごろの過去エントリーでブチマケタとおり、
「泣け!思いっきり泣くが よい、アメリカ人」
と、呆れに乗じて言い放っては みたものの、これまた現実になってきた、わが国の行く末よ。
「なんとか、距離を あけるようにしていかないとなあ」という姿勢を、日本だけじゃなく、その他の「同盟国」各国も、それを真剣に考え始めたでは ないか。
とりわけ、日本は、アメさんがクシャミしたら、こっちは肺炎とまで言われてきたくらいに、アメリカからの影響をモロに ぶっかけられる立場だからね、いいかげん、真剣に、この先のことを考えて、徐々にでも方針転換を心がけていかないと、アメリカに平伏する一辺倒では、どこでトバッチリを浴びせられ、とんだ濡れ衣を着せられ、ついには悪者にされてしまうやもしれぬ。とにかく、罪つくりの お先棒を担がされ、本家の身代わりを引き受けさせられないよう、重々警戒しないと。
つくづく、恐ろしい事態になってしまいましたな。
日本も、経済が好調で、余力の豊富なうちに、アメリカの網のうちから少しは抜け出せていたら よかったんだろうけど。
何もかもが、遅すぎた。
『ウクライナ』の資源類についても、全部よこせや!!と、あらためて執拗に要求しているというトランプのアメリカだが、これについても用心しないと、「踏んだり蹴ったりに なりは しないか」と、私が危惧したとおりだったね。
いまや、自国内でも分が悪くなってきた状態らしいゼレンスキ大統領は、ここで また迂闊なことを決めてしまうと、自分とこの国民たちにさえ、いよいよ恨まれてしまうかもしれないし、
だいたい、まるっと寄こせ寄こせーアメリカに!と要求している真意には、なんとか辛うじて、ウクライナ支援を継続しようと思案している各国へ牽制する意図も大いに含んでいるわな。これまた、プーチンにとって、好都合だ。
例の『クリミア』で味を占めてるプーチンの、新規選挙を実施せよとかいう要求を聞くにつけても、そもそも、誰のせいで、選挙が できなくなっとるのか、どの口で言うとるのかと、こっちの開いた口が塞がらない酷さは、トランプの常套手段と、基本は同種。
まあ、だんぜんトランプと、その政権メンバーのほうが、アッタマわるいんじゃねえの?というイメージは濃厚だけど(嗤)
私は、当初から指摘したように、『NATO』に入りたい入りたいと公言していた側も軽率きわまると思うけど、
プーチン・ロシアの側もね、再び言うけど、おとなしく していれば いいんだよ。
おとなしくしているところへ、なんでNATOが、何のために攻め込む必要が ある?
『グリーン ランド』についても、最近、プーチンが、またぞろ、もっともらしいネタにしてるみたいだけど、
ことによると、トランプ政権時代のうちにと、グリーン ランドを入手しておくこと、これが、どのような効果を遠からぬ将来的に齎し得るかということも、もっと穿った洞察が必要かもしれない。
なにしろトランプの やること なすこと、すべてはプーチンのために、そんな思惑がプ~ンプ~ン臭ってくる状態なのだから。
やれやれ、
これまたマッチョ趣味(=女性蔑視(女性恐怖)という点でも、明らかに共通点が窺えてきたエルドアン氏。ついに、大きく本性を曝け出したようだ。
ふん、このテの男どもが やりたがることって、古今東西、結局は同じだわ。
んでもって、それを、さも「正義漢」ぶって忠告しにいくトランプ政府(爆)
なぜに、プーチンらのような余計な手合いが生まれてくるのだか、ほんと、マッチョ趣味と時代錯誤は傍迷惑だ。
だいたいね、特に生活感覚に おいて、世界の どの地域であろうと、共通性が大きいせいか、本来、女性の殆どは、「領土争い」なんぞにサラサラ興味は ないですよ。
なかには、男の出来損ないみたいなバカ女も いるけどさ(嗤)
そりゃあ、「染色体」の片足が欠けているかに等しい形態に特化された、ある種の異常性を抱えて生み落とされた男性という存在は、ある面では、およそ生物界のなかで、人類だけが特異な発展を遂げてきたことを、その異常性をこそ駆使して担った役割も多大だったにせよ、
もう、そろそろ、異常性ならではの、その役割も行き過ぎに至ってしまっており、ここいらで、淘汰、消滅してもらってイイんじゃないかとw
とうに、じゅうぶん過ぎるくらいの発達・発展を遂げおおせているのだから、昔なら、男性が いないと不可能だったような作業なども、女性だけで回していけるでしょう?w余計な欲さえ搔かなければ、それなりに回していけるわよww単純すぎるかしら?冷酷かしら?www
なんてったって、もともと、男性などという者は存在しなかったんだからwwww
【続く】
2025.03.28 (Fri)
まずは、日本の映画から。
谷崎潤一郎の『細雪』という小説を映画化した作品は、これまでに幾つか あるようなのだが、今回、私が鑑賞したのは、ヒロイン『雪子』を、若き日の山本富士子さんが演じていたもの。
私自身、谷崎の小説も好きなほうでは あったが、小説の方面に関しては、どちらかと言えば、もちろん翻訳だけれども、主として欧米の作家の作品を読むことが、意図せず多かったので、とりわけの好みと言うほどでない場合には、日本の作家のものは、多少、谷崎の作品も含めて、疎いままで きている。芥川とか太宰などは、小学生時分から読み耽った時期が あったし、いまでも引き込まれるほど好きな作家たちでは あるが。
ただし、江戸川乱歩は、だんぜん別格w
先日の過去エントリーでも ちょっとだけ触れたように、
母親なんかは、泉 鏡花が好みだと言っていたのが意外に思えたこととか、まだ元気だった頃、娘の私自身も、ごく若かった時分に、『細雪』が、新しく映画化されたというので、父方の実祖父は、伝え聞くところに よれば、運輸官僚の職を辞したあと、まだ若いうちに海運関係の企業を興して経営していて、それこそ『船場』界隈に豪壮な屋敷を構えて、いたり、
うちの母親のほうも『大阪』の生まれ育ちで、「いとさん、こいさん」の世界には親近感が あるせいか、いろいろな和服が登場するのも楽しみに、『細雪』を観に行きたいということを言っていたのが思い出され、そこで、毎度の『ユーチューブ』(苦笑)。
オススメ一覧に出てきたもんだから、ちょうど、またぞろの体調の悪さを、ひたすら、許容範囲のヒマと睡眠で癒やしつつ、他は、できるだけ、室内にての気分転換でもって紛らわせたいとの思いから、ほんの、気まぐれで、これ観てみようかと。部分的ではなく、全体を通しで観られるということなので、さっそくクリックして見始めた。
最初の場面から、『夙川』駅だっけか、あの周辺の、当時の ようすが鮮やかに映し出されて、まだ私は生まれてもいない時代の違いを大いに感じながら、いやぁ、こんなに風光明媚な所だったんだな、とか、幼い子どもが遊んでいる すぐ横の深い崖下には大きな川が流れているのだが、ガードレールらしきものは一切、見当たらないようなので、その大らかさというか、無防備さに驚いたりも しつつ、
なんと言っても、四姉妹を演じた女優陣の、いま見れば、多少は古風ながら、美人なること揃って気品にも満ち、出演の俳優さんたち全員、力づよい演技も印象的で、
「いまどき、こんな女優さん男優さんたち、おらんわなあ」
と、ひとしきり、感動。二回くりかえして鑑賞させてもらいました。
ごく たまにしか観ることが なかった日本映画の良さを楽しんだ余韻で、またオススメ一覧から、今度は、『愛すればこそ』という題名の、実際には、三つの作品から構成された、オムニバス形式の映画を選んでみた。それぞれの作品名もストーリーも、担当した監督も配役も異なっており、いずれも、私らの世代では疎い監督さんの お名前ばかり並んでいたが、タイトル ロールを ぼんやり眺めていたら、新藤兼人氏の お名前は知っていたので、ここでは脚本担当として表示されていたのを見て、あら、すごく若かった頃のかな?と思っていたら、予想どおりに?若き音羽信子さんが登場していて、ああ、やっぱり?みたいにも思った(苦笑??)もっとも、音羽信子さんにしても、私の記憶では、すでに中年以降のベテラン演技派としての姿だったのだが、若い頃の爽やかな可愛さ、それだけに とどまらず、なんとなくサッパリした、どこか『大阪』育ちらしさも滲み出てるような、気取りのない、独特のメリハリが感じられる演技が、すでに表れていた。
「わ~可愛い!きれい~、さすが、『宝塚』の娘役を されてたというだけ あるなあ」と、うっとり。
同時に、
この作品の時代背景としては、いまだ混乱が残る貧しさ、そんななかに あっても、矜持や品位を失うまいとする「花売り」少女の健気な ようすにも感心したけれど、やはり、非常に厳しいには違いないが、大らかな側面も あったのかなと思えた。だって、現代では、小学生くらいの子どもに、夜も更けるまで、繁華街の酒場あたりで、酔客相手に、ものを売って歩かせるなど、いかなる事情が あっても、あらゆる面で許されないわけだが、それよりも、どだい、そんなことを していたものなら、ほどなくして、邪悪な男に連れ去られたりする危険が大きい現代、どんな怖ろしく酷い目に遭うことやら、むしろ、いまの時代のほうが、ある意味、もっと危ない情況となっているのかもしれない。
私の子ども時分を思い起こしても、結局のところ、子どもを餌食に利用しようとする男を中心に、油断の ならない、邪まな おとなたちの存在が あることは変わらないにせよ、子どもは子どもである、という基本的な視線は、おとなと子ども双方ともに、どこか揺らいでいる危うさも漂っているように感じられなくは ない昨今。
さて、そこはかとなくオモシロかったのは、三話のうちの真ん中に出てくる『飛び込んだ花嫁』。
観終わったあとも、
「結局は、お芋で意気投合するなんてね」
と、クスッと笑えたほどユーモラスで、こういうのも良いなあと思えた。
でも、やっぱり、厳しい時代背景もシッカリ伝わってきた。
写真だけで、「嫁を送る」なんて、「人権蹂躙」というセリフも あったけど、
さすがに戦後は、「人権」という概念も、普及していたんだなと思いつつ、よく考えたら、うちの母親ってさ、最初の結婚は、継母からの圧が激しくて、まだ十代のうちに、写真どころか、顔も全く知らない人と結婚させられたという話だった。
で、
その後、うちの親父と出会って、と言うか、親父の執拗な誘惑に根負け、みたいに言ってたけどw最後は「ダブル不倫」の「デキちゃった」再婚だわな。私が生まれ落ちた原因なんだけど、いまでも信じ難いわよ。せいぜい『明治』や『大正』時代までやろ?それも、ど田舎のwって思いたいけど、『昭和』も戦後に なってたのに、顔も知らない相手と結婚させられ、っつうのがねえ。
うちの母親も、不必要に勝気なくせして、ほんとうに肝心なところで、なんでやねん?!って言いたくなるような、不可解な行動に走るタイプだったけど、脳が異常だったせいなのか、冷酷な継母と、あっさり宗旨替えして手の平を返す実父を めぐる、複雑な心理やら、世代が違うほど年齢差のある親父と ひっついたこととか、まあ、いろいろ奇怪な話が多々あるわけだけども、私が、これは間違いないと断定できるのは、愛憎こもごもの、「ファザコン」だったんだな、ってこと。
その愛憎こもごもは、最終的に、自分の娘に対して集中的に向けられた。
母親にも親父にも言えることは、自分たち それぞれの鬱憤と暴力を、筋違いにも、家族のなかで最も抵抗力のない、幼い娘に向かって吐き続けたってこと。そして、依存し続けた。
…
『飛び込んだ花嫁』でも同様に、出演している俳優さんたちの、ずっと後年になってからの姿しか知らなかったので、まだ すごく若かっただろうにと、しっかりした演技力に感心。
どうも、この時代の俳優さんたちって、総じて、どこか清新な、どんなに若々しくっても、生真面目な雰囲気を醸し出していて、おそらくは、仕事と関係ない私生活からしてが、こういう雰囲気なんだろうかと思わせられてしまう。
いまでは、やっぱり、どこ探しても おらんような気が する。
最後に、
『愛すればこそ』という、ラストの作品は、あるコメントによれば、いわゆる「左翼」系の思想を持つ監督さんだったらしいのだが、たしかにモロ出しだなあとは思った(苦笑)そういう、良い時代だったのかw
また、登場人物の全員が、それぞれの立場なりに、生真面目というのか、とても情熱的でもあり、とにかく、私なんかの世代からしても、どうしても、時代の差異を感じないでは いられなかった。それこそ、
「こんな日本が あったんだ!こんな日本人たちが いたんだ!」
「どこ行っちゃったのかしら」
と、思えるほどに。
で、
「いまどき、こんな女優や男優、いや、実際、私らの世代も含めて、女性だろうが男性だろうが、太鼓たたいて探したって、見つかりゃせんやろな」
と、老若男女の別なく、またまた感心させられたが、
極めつけは、かの山田五十鈴さんだ。
ここでも同じく、
「いまどき、こんな母親、おらへんわな」
と、
うちの母親の姿を思い浮かべると、なお いっそう、それは、「幻想の母親像」という感を もよおさせるのだが、
にも かかわらず、
しかし、なんだか、たまらなく懐かしいのである。
たまらなく、いぢらしいのである。
現実には見たこともない、ましてや、自分の母親とは、似ても似つかないのに。。。www
「こんな母親、、、おるかあ?」
と、思いつつも、ついつい、おかあさんっ、かわいそね、、、と、ホロリと くるのである。
さすがの大女優で あった。
一言で締めましょう。
山田五十鈴さん演じる母親像は、とことんまで美しかった。
でもさ、
幸田 文さん原作の『流れる』という映画だけは、若い頃に、テレビで放映されていたのを、なんとなくで観た記憶も残ってるけど、やっぱり、まったく違うイメージだわ。女優なんだから、それでアタリマエだろうけど、むしろ、田中絹代さんの名演技のほうが、もっとクッキリと記憶に残っている。
山田五十鈴さんも、私の記憶のなかでは、とっくに老年、往年の、という存在だったし、インタビュー番組で見かける姿も、私生活の面でも、あの母親像とは、イメージが全然、異なるのよね。
なので、よけい驚いた。
しかも、当時の彼女は、現代なら、まだまだ若いと言っていい年齢だったのでは ないだろうか。
長女が20歳代後半、息子が大学生という設定なのだから、やっと50歳代に なるか まだ なってないか?って あたりか。
それと、付け加えたいのは、彼女の和服姿。これも、いまどき、どこを探したって見ること かなわないであろうような、独特の美が あった。
たとえば、ちょっと古い切手なんかに、黒い羽織姿の、ほっそりした、昔の女性が、スッと佇んでいる光景を描いた、有名な日本画を題材にしたものとか あるでしょう。あんな感じよ。
いまどきの成人式なんかの、あの、取って付けたような、仮装大会、仮装行列の如きゴテゴテごっちゃり和服姿の、ズケッと言っちゃって悪いかしらんけど、品のなさよ。。。
どんなに、日本の伝統美を受け継ぎ!と、力んで言ってたって、たぶん、現代の和服そのものの仕上がり具合から着こなしぶりに至るまで、全てが変わってしまっているように思える。
あと、男優さんでは、私個人的に、このかたも、すでに中高年以降の姿でしか なかったし、どちらかと言えば、腹黒い政治家とかwテレビ ドラマの悪役のほうのイメージだったのだけど、山村 聡さん。
くだんの映画を見て、ビックリしました。
すごい端正で、ダンディで、見るからに、アタマ良さそ~って、見惚れたわ(笑)
こちらも、いまどき、こんな男の人、おらんやろなあ、、という感じでした。
結局、3回くりかえして観たw
最後に、もう一つ、
これは『アメリカ』の映画だったのかな、監督は、かのフリッツ・ラングなので、ちょっと面白そうじゃんと思って見始めたけど、やっぱり、面白かったよ。コメント投稿のなかには、たしか『レベッカ』とかいう、ヒッチコック監督の、だっけ?それを連想したという感想を見かけて、むかし、私も、茶の間のテレビで、親らと一緒に観たことは憶えているので、ああ、なるほどねと思ったけど、今回の映画、特にオモシロいなと思ったのは、「部屋の収集」という設定。
ふつう、「収集」する対象に、部屋、というのは、聞いたことが なかったので、これは珍しい視点だなあと。
で、
必要に応じて、正確な復元を施した、「収集された部屋」には、それぞれに、収集理由が あったのよね。禍々しい、陰惨な理由が。
そこには、「マザコン」とか、女性蔑視つまりは女性恐怖といった、心理的な要因が絡んでいたと、そういった、科学的風味付けと相俟って、勇気と愛あるヒロインが追い詰められていく場面にも手に汗握る、なかなか興味深い仕上がり、さすがのフリッツ・ラング監督でした。
これ以上、述べてしまったら、これから初めて観ようとしている人の楽しみを大きく損ねてしまうので、ここまで。
ごく搔い摘んだ、ごく雑な感想でした。