2016.02.01 (Mon)
『『狭山女児死亡』事件のこと』の続き。
個人的な話に戻すと、
亡くなった親らを知っている、古くから親しい知人などと、むかし話を しているおりなどに、
このトシになった私が、幼少時から蒙ってきた虐待のことなどを、ふと言ってみても、なぜだか、
「え?そうだった?」
みたいな、些か怪訝な表情を浮かべる人が少なくないのだ。
生まれたばかりの頃から可愛がってくれた私のことも、両親らや実家の事情も、よーく知っているはずの人たちが、だ。
まだしも、むかしのことは知らないけれど、こちらから、過去の出来事を掻い摘んで話せば、ああ、そうだったの、と頷きながら聞いてくれる他人さんもいるのだが。
要するに、たいした虐待では ないだろうと思っていたのか、
しょせんは、無関心だったということなのだろうか。
この疑問に、最近になって思い当たった。
もしも、うちの ご近所で、このようなことが あっては、、、と、
報道を見かけるたび、周囲に無関心であっては いけないと、新たに自戒しては みるのだが、
万一、お隣あたりで、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきたとしても、
私は聴覚障碍者だから、はなはだ心もとない。
だが、多くの人も、一度や二度三度くらいなら、聞こえていても、そのままにしておいてしまう人が殆どではないだろうか。
私自身、心身共に虐待されていたと言って過言でない環境で生育しているゆえ、子どもを持たなかったことに、自分でも納得しているし、
もっとブッチャケを言うと、
あの13、4歳の頃に、しっかり死んでおくべきだったのだと、
重い仮死状態で出生した、そのまま放っておいてほしかったと、
その後、何度も何度も思うことがあった。
「連鎖する連鎖する」と聞けば、
鬼畜も のけぞるような母親に、皮肉にも、容貌の よく似た、この犠牲の子が、
いつしか、自分も親となり、わが子に同様の苦痛を もたらしたやもしれず、
それを、理性でグッと こらえることが できたとしても、
実母とは異なり、わが子を普通に愛することが できたとしても、
心底に残る深い傷は、生涯、疼き続けるだろう。
先ごろ、とある心理学専門の教授さんが、
「人生は、けっして、わるいものではない」
と おっしゃっていたようだが、
このような事件に対しても同じことを言えるのだろうかと、疑問に思うことを禁じえなかった。
この先生は、いつも、当たり障りないことばかり言うというのが、一部で批判されているようなのだが、
私は、数年前から、ある場所で、このかたを知っていたので、今さら驚かないし、むしろ、いかにも、心理学の学者さんなのだなと思える。
なぜなら、こういった、優等生的態度、
もっと世俗的な呼び方をすれば、「良い子ちゃん」的態度というのも、
一種、自己防護の方法だからだ。
このかたの場合も、氏名や肩書を公開して仕事なさっているのだから、これは無理もないことだと、私は思っている。
いずれ、このような不自由極まる、愚か極まる、始末の悪い親を持ったまま生き延びても、将来の苦労のほどが思いやられるというもの。
事件の犠牲者である幼い子どもたちについては、
幼いうちに、さっさと人生を終えたことを、むしろ、マシと思えなくもないのだ。
と言うか、そうでも思わないと、やりきれない。
たった3年。
たった3年の人生で、何を学んだのだろうか、子どもたち。
2016.02.01 (Mon)
こういうの見ると辛くなるので、あまり見ないようにしてるんだけど、
くだんの事件についても、先日、少しだけ指摘しておいたように、
こうした事件の場合、「ストレス」云々と言う以前に、
あきらかに、子どもを利用して、自分たち男女の共依存関係を強化する道具にしていたと見受けることが殆どだ。
再び指摘するが、国家間でも見られることで、
特定の攻撃対象を拵えることで、連帯感を醸成する、ってわけ。
ただ、お互い、軍事力に限らず、拮抗する力量を保持しているどうしだと、慎重に構えて、おいそれと手を出すのは控えるものだが、
このような家庭内イジメ事件では、抵抗する すべが全くない幼い子どもばかりが犠牲になっている。
ぜったいに歯向かってくる恐れを危惧しなくて済むのだから、こんなに、お手軽なスケープゴートは ないわけだ。
早い話が、家庭内のイジメなのであって、
要するに、絶対的に無抵抗の幼い子を利用することで、自分たちなりの「絆」づくりに いそしんでいたようなもので、
いまどき、子どもの学校、PTA、「ママ友」関係、ネット リンチ、とにかく、ありとあらゆる場所、場面において、思い当たる理由らしきものもなく、
あるとき突然に始まる傾向が目立ってきている。
当該事件を起こした親の場合、
母親のほうは、男の束縛の執拗さに疲れ、別れたがっていたという話もあるようだが、そのせいもあってか余計に、子どもを利用し、そこに集中させることで、少しでも自分から関心を逸らせ、男を安心させ、宥めようとする心理もあったかもしれない。それと同時に、自分自身の鬱屈も発散させていたのだろう。
ある意味では、
こうした親は、子どもを、無意識のうちに私物化して考える傾向だろうから、むしろ、「共依存」の役割を、子どもに強制的に被せて担わせていたという推察も あり得る。
それにしても、やはり、いつもの疑問は尽きない。
被害者幼児の祖母に当たるらしい者は、「上の子と下の子で、叱りかたが全然違う」とか、気づいていたはずなのに、
他の幼児死亡事件でも同様だが、
隣り近所は、子どもの泣き叫ぶ声で、「ありゃあ虐待だね」と言い合っていたというのに、なぜか、そのままになってしまっていたという不可解さ。
この不可解さが、いつも繰り返されているのは、いったい、どういうことなのだろうか。
子どもの出生数減少が、国家の大問題になってしまっているというのに、この ありさま。
『日本会議』的ネットウヨの得意げに、「大家族制度の復活を」と、トクトクと言うが、
こんにちの核家族的形態に至ったのも、「大家族制」特有の弊害や犠牲が多かったせいもあるだろう。
農家や長男に嫁ぐのを忌み嫌う傾向と同様で、だから、おいそれと復活は無理な要求だ。
だいたい、去年、えらく若い夫婦が、ゲームに没頭していて、あかんぼうだか幼児だか泣く子をゴミ箱に放り込んで死なせた事件があったが、
あそこは、たしか、三世代同居の大家族だということだった。
いわゆる「従軍慰安婦」システムを拵えても、あの時代、それでも なお、旧日本軍兵士たちは、やっぱり、外に出ては強姦しまくってたという事実が伝わっているんだよ。
ちょっと検索すれば、それを偏りなく行なったなら、まともな学者や専門家が、資料を出して解説してくれてる。
最初から、歴史事実と異なる話ばかり聞かされて、そのまま信じ込んでいるのか、
それとも、間違いを承知で、あべこべに、自分たちの主張だけが正しい正しいと言い張っているだけなのか知らないが、
いわゆる「従軍慰安婦」の問題、その歴史事実や経緯に関しても、殆ど何も調べもせず勉強もせず、知ったかで、自分たちに つごうのいい部分だけをツマミ食いし、拡大して、トンデモな主張を振りかざしてる。これを厳に戒めなければならないのは、ウヨクサヨク関係ないことだ。
まともな資料や識者によって勉強した人を つかまえて、捏造だ、騙されているのだと のたまう始末。
このテの連中が、「真正の歴史事実」として喧伝したがるのは、
『日本会議』あたりの御用達学者の お説でしょw
日本人は、自分の身を守るのに汲々。これは、いまに始まったことではないのだろう。国民性だな。
「八紘一宇」だの「アジア解放」だのキレイごとのタテマエを動機として語っておいて、
どどのつまりは自縄自縛、結局、自己保身に足掻くだけで終わった。
大言壮語するでなく、あくまで、自国の苦しさだけを訴えての戦いだったなら、まだ同情も できるが、
身の程に似合わない野心・野望を抱えて、ことを起こすから、大失敗したのだろう。
それでも、素朴なシモジモ国民の兵士は、蓋を開けてみたらば、おかみが言ってたことと真逆じゃないかということに気づいて、
そこで、義憤から、せめてもの罪滅ぼしをと願ってなのか、
それとも、自国に対して絶望してなのか、
現地の抵抗勢力に加担して、戦いの手伝いを した。
当時の中国「八路軍」にも、そういう日本軍兵士が少なくなかったという。
今度もPKO部隊が、派遣された現地で何を やってるか暴露されたけれど、それを見て、
「やっぱり、慰安婦制度は必要なのだ」なんて、
もうナサケナイどころでない、バカなことを早速、言い始めてるネットウヨども。
そんなことを言えば、旧日本軍部の立場が正当化できるとでも思うんだろうか。
恥の上塗りでしかないものを。
それにしても、
古今東西、男どもが やることは皆同じ。
繰り返し言ってきたが、
戦争は、そんな男どもの本能的獣性を剥き出しにすることを正当化する事態でしかないのだ。
だから、
男どもの獣性にホイホイ追随する女どもはバカの極み。
そう、『日本会議』や『在特会』系の思考停止ウヨ女どものことだよ。
【続く】
2016.02.01 (Mon)
きょうは、思うところあって、いつもより立て続けの更新になる。
思い起こせば、去年の今ごろは、あの、後藤さんたちの凄惨な事件が あった。
『「1日中、食べて寝るだけの生活」 ドイツの小さな村で絶望する難民たち』
The Huffington Post | 執筆者:HuffPost Newsroom
投稿日: 2016年01月30日 10時28分JST 更新: 2016年01月30日 12時50分JST
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/29/german-refugees-report_n_9116696.html
『難民申請を取り消したい。スウェーデンに渡ったシリア難民の苦悩』
The Huffington Post | 執筆者:Fady Zeidan
投稿日: 2016年01月04日 17時56分JST 更新: 2016年01月04日 17時56分JST
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/04/syrian-refugee_n_8909150.html
一報を聞いたときから思ったが、
やはり、各国当局の対処のやり方にも、見直すべきところが幾つかは あったのではないだろうか。
ただ、どことも、人員などに余裕が なくなってきて、疲弊し始めているという指摘が ある。
先日、
この「経済大国」なる看板を掲げている日本の国民に、餓死者が相次いで出ていることから、生活保護についても、あれこれの批判が述べられていた「ヤフコメ」で、
「公平のためには杓子定規でなければ」という誤った意見を述べる者が、目についたので、
それは真逆だということを述べておいたわけだが、
そこに加えて、
「いや、役所は杓子定規でなければならないので、そこから漏れたものを民間で何とかせねば」とかヘリクツを述べている者が いたようだ。
これも違うよ。
なぜなら、民間で できかねることをこそ、行政や役所が請負わねばならないからであって、
民間で間に合うことは、とうの昔から民間でやってきているに違いないのだ。
ことに日本では、宗教のありかたの差も影響しているのか分からないが、ボランティア精神というものが、いまだに希薄だ。
昔から、そういう精神の持ち主を、「奇特な人」と呼びならわしてきたことでも察しが つく。
2016.01.27 (Wed)
『【続】自縄自縛とは』の続き。
日本人というのは、ファンタジー好きのネットウヨクが盛んに言いふらすようなデマ、「純粋」なんて者は あり得ず、「単一民族」も幻想に過ぎない。
ちょっと真面目に考えたら、すぐ察せられるはずだが、
実際には、いわゆる「在日」どころでなく、建国の時代に遡る以前から、隣国は勿論のこと、種々の民族が入り乱れて生活してきたはずで、ましてや、地続きの国々では当たり前のことだろうが、朝鮮民族も、やはり、もとは中国から入ってきた人々との古くからの血縁が濃いようだ。
それに比べれば、四方が海の島国だけに、比較的には少ないのかもしれないが、
似たような黒い目の黒髪が入り混じって、同一の言語を喋り、同じような習慣を順守することで、あくまで表面的には、「単一」とか、そういうふうに見えるというだけのことだ。
さて、日本も、今後、どのような理由からにせよ、できるだけ、難民を受け入れ、移民数を増やしていかなければならないのであれば、欧米諸外国の先例に鑑みて、可能なかぎりの事前の対処は考えておかなければならない。
ましてや、中東方面の争いに、日本も今後は直接的参加するとなれば、どこで どのようにか縺れた国家間の反目が、わが国内に おいて反映する事態も あり得る。
まずは、わが国の自然災害の特異的多さ、一般国民を筆頭に、経済力低下傾向等の現状を、よく理解してもらうこと、
そのうえでも、なお、来日を望むのであれば、
日本での職業生活に直結する言語教育や社会的習慣、日常のルールに至るまで、きめこまやかな事前教育を施しておくのが望ましい。それも また、税金を費やすことが必要なわけだが。一つの投資であり、日本人にとっても、雇用の新分野開拓くらいに考えればいいだろう。
一般的に、日本人は、どちらかというと、同じアジアの近縁の人々には、まだ なんとなく見下す気分が残っているようだが、それは、やはり、ある一定の年齢層から上の世代に多いように見受ける。
あるいは、自分が その世代に属していなくても、
最近、逮捕された、いわゆる街宣右翼が、まさに親子そろっての逮捕であったように、
時代特有の価値観を叩き込まれた親から子へ、また、その子への連鎖もあると思しい。
子の側に、親を超える知性が ないのなら、
それは、最も影響を もたらす存在である親からの受け売りで、かんたんにカブレてしまうだろう。親にとっては、可愛いばかりだろうがw
ヘンに「素直」な人格障害者なら尚更の傾向だし、
むしろ真逆に、
正反対のイデオロギーへと、やみくもに突っ走る事例も少なくないようだ。
こういった現象は、「右」だ「左」だとは無関係で、
どこまでも、親という、または指導的立場の他者から脱皮して、自分自身の知性と思考力を開発していけるかどうかに かかっていると思われる。
話を戻すと、
白人種は勿論のこと、白人でなくても、容貌が、それに近いとか、あるいは、距離的に遠い地域になればなるほど、もともと似た者どうしの相手を、いやらしく見下す如き気分は薄れる傾向があるように見受ける。
けれど、
ひとたび悪印象を買うような出来事を起こせば、もとが小心な国民性だけに、たちまち警戒心を呼び起こし、しかも、たび重なるうちには、アッという間に偏見が蔓延り、差別やヘイト対象として固定してしまう、
そうなったら、最悪の事態だ。
いずれにせよ、生まれ育った自国を捨てて逃れざるを得ないほどの境遇の人々には、少なからぬ負の感情を抱え持っていてフシギは ない。こういう場合、人の感情は抑圧を受けた分、激しくなりがちだし、
反面で、底なしの無力感に陥ることもある。
無神経に、劣等意識を刺激することが、思わぬ事件を発生させる原因にも なろう。
多くの日本人に、そのような事態を防ぐ度量と周到さが あればいいが、はたして、どうだろうか。
私の知る一つの事例に、こういう話がある。
とある日本人男性は、あるとき、たまたま出会った在日韓国人女性に、いたく一目惚れしたのだが、彼女は、すでに、家庭の主婦だった。
それを知っていて、なお激しく執拗に迫り続けたあげく、ついに妊娠した彼女は、親の言いなりで結婚したに過ぎなかった、もともと好きでもない夫のもとを出て、憤る夫と、やっとのことで別れ、日本人男性は、こちらは、かねて疎んでいた元の妻を追い出し、二人は一緒に暮らし始めた。だが、
えてして、こういう大恋愛カップルほど、仲睦まじく、とは まいらず、
毎日、顔を突き合わせる日常生活に入ると、やがて、ケンカざんまいになりがちという皮肉なパターン、
もっとも、一番の原因は、日本人男性の側にあったのは確かだが、
くだんの男性は、略奪した女性の元夫に責められて平謝りはしても、
彼女とケンカになるたびに、他人である在日家庭から奪い取った くだんの女性を、「この朝鮮人」と罵るようになった、という顛末。
それでも、そう単純な話ではなく、
お互いに、最後まで惚れ合っていたには違いないと言っていいのだろう、それは、ほとんど獣の嗅覚で貪り求め合うようなw
こういう、いかにもドロドロした男女の話というのは、いまどきのレンアイには実に薄い、
どことなく「昭和」のエネルギッシュさと言うか、暑苦しい重さを感じさせて、一種、羨ましくも懐かしくもあるのだけれどww
このように、日本人の差別意識というのは、どこか捻じれ感のある、
そうとうに奇妙なところがあるようだ。
私などは、どうも、この男女関係の様相に、どこぞの国と国の関係性を連想してしまうのであるw
さきに指摘しておいた、自称「元・在日」の「ヤフコメ民」
(と言うか、私は、「ははん、『カルト連』のアイツだなと睨んでいるわけだがw)
hyd*****ではないけれど、
うまくいってると思っているうちは、「何国人というのは関係ないよね」と、おおらかに語っておりながら、
ひとたび、思いどおりにいかない、気に入らない状態となると、たちまちにして手のひら返し、
「何国人、何民族だから」ウンヌンと言い募り始める。
日本人独特の ごつごう主義的お子ちゃま精神なのだろうか。
ある意味、「青臭い」と言うのか、やはり、どこか子どもっぽい。
さきの戦時に、アジア各国で仕出かした所業にも、そのへんの国民性が出ているなと感じる。
政府が目論むような、内心で、日本の利益だけを目的に、すでに現実にも起きている搾取が、このような人々に向かって集中するシステムになれば、一般的日本人ほどには従順でもない、忘れっぽくもない人々が、激しい反抗の動きを見せる事態が現実化することも、それは あり得るだろう。
日本人自身のシビアな意識・精神改革が果たせないまま、中途半端な状態で受け入れていくと、それは、大ヤケドするだろうと、私も思う。
2016.01.27 (Wed)
『自縄自縛とは』の続き。
受け入れ各国での難民あるいは移民たちに対する処遇の詳細は、日本のなかにいては分かりにくいのが現状だ。
恐らく、まさに自分で自分の首を絞めるような行いは、精神の すさみが第一の原因と言えるのだろう。
ただ、自分で自分の首を絞めるような行いを続けていたら、当然、周囲からの風当りや締めつけは厳しくなる。
本国を逃げ出した身で、逃げ出した先でも拒絶されたら、この先、どうするつもりなのだろうか。
ところで、
こないだ、たしか蕨市あたりに住み着いてる「クルド人」の人たちについての動画を閲覧する機会があったのだが、
そのなかで紹介されていた男性は、かれこれ10数年前からの日本暮らし、いまだに、健康保険にも入れない、宙ぶらりんな立場のまま、からだに支障が起きていても、キツい肉体労働に従事しながら、地元や日本人に迷惑を掛けたり、顰蹙を買わないようにと気を遣って、自発的に、同胞たちへの啓発パトロールに励んでいる姿が紹介されていた。
彼らの少なくとも殆どは決して、好戦的でも暴力的でもないようだし、むしろ、本国に居た頃から、先祖代々の地味な仕事に就き、差別に晒されながら生きてきたというだけに、並みの日本人よりも我慢強く、真面目だと思えた。
実際、そういう生活態度だからこそ、地元では好意的に受け入れられているようすだったし、このようにしてこそ、自分たちの身も立つのだという自覚が あると思われた。
昔の日本も、移民(実質は、棄民だったという)を大勢、出してきたけれど、概ねは、そのような姿勢で、現地に受け入れられるよう粉骨砕身で努力し、生活の場を確立してきたのだと察している。
そのクルド人男性は、晴れて普通に就職して、普通に働けるようになることを、つよく望んでいた。
彼の、幼い、お人形のように可愛らしい娘さんにとっては、日本が故郷だ。
いつぞや、クルド人たちと、他民族の同国出身者たちがケンカで大騒ぎになったというニュースが流れてたけど、あれも、出身国での差別に晒されてきたというクルド人にしてみたら、「おのれ、ここで会ったが百年目」てな感じだったのかもね。
翻って、
当該記事の事件については、たしかに、詳細情報が不明なので、ここに至った確実な経緯が分からないことには、何を言っても しょうがないのだが、
hyd*****ら「ヤフコメ民」どもの言いぐさ見てたら、毎度のことだが、まさに、「下種の勘繰り」剥き出しコメントがテンコ盛り。
「キノコ」が何を意味しているのかは知らんけどw
要は、自己投影のストーリーでしょ。毎度のこっちゃけど。
もっとも、どのような状況であっても、アクシデントを防ぐための基本的に留意すべき要点は あったのだろうと思う。
まず、
大人たちの問題が、そのまま、子どもたちにも連鎖をもたらし易い傾向は、こんにちでは知られていることだし、
出身国も言語も異なる、18歳未満の少年たちばかりを収容しているという状態であれば、
15歳という年齢の不安定さ、特に、男子の場合は、性的な目覚めと相俟って、ケンカ騒ぎが起きることなど尚更だと思われる。
加えて、これは、要因の一つとして、あくまで推測の域を出ないが、
被害者女性が、まだ若い白人であるということ。彼女のキャリア如何にもよるけれど、
先日の、ドイツ・ケルン市での「セクハラ」騒ぎにも見られたように、
難民側成人男性からして、受け入れ先国の白人女性に対する屈折した感情が拭い難いのではないだろうかということも考えられる。
発展途上国には、だいたい、その傾向が根強いということは言えるだろうが、
中東のほうは、宗教の影響も強いせいか、
彼ら独特の、女性に対するイメージと扱いかたが、現代の一般的日本人にとっては、理解不能なほど酷いと感じるのも事実だ。
生活レベルが上まわっている外国の女性、
そこに逃げ込んできた、途上国の男性。
こうしたことは、敗北感を抱えている側が、ひとたび切っ掛けあれば、
たちまちにして、「勝者」側に立つ、または立っていた対象の、そのなかでも、腕力の弱い者に襲いかかるという、もっぱら男性に見られる現象が珍しくないという歴史事実にも現れている。
そもそも、こんにち、拡大の一途を見ている中東地域での根深い問題を蔓延させてきたのは、白人たちの国家だ。
その引き起こした争いに、一応、縁遠かったはずの日本人を加わらせようと嗾け、それに応えようとハリキッているのが、現首相ときている。
おまけに、
日本国民として忸怩たる思いにとらわれざるを得ないのが、
実は、日本人自身、「黄色い白人」よろしく加担してきているという、
水面下の実態が あること。
それを大目に見てくれていた中東の人たちが、昨年の安倍朕の外遊先における演説に刺激されてか、そろそろ、いままでのように見逃しては もらえなくなってきたこと。
それにしても、「先進国」の看板を掲げている日本は、たしかに、昔から、受け入れ量が少な過ぎて、諸外国から文句を言われても、申し開きできない現状ではあるようだ。
在日韓国・朝鮮人の特別処遇にしても、
このことの、最初の原因は、他ならぬ日本人自身が拵えたものであり、
誰かが、いったん定着すると、身内縁者が、そこを頼って来るのも、古今東西よくあること。
それであっても、
帰化申請は、なかなか認められない厳格な傾向を一貫して通してきていると聞く。
少し前の時代まで、在日の人々への就職差別は有名だったし、
その結果の一つの現れが、芸能人の多さであり、あるいは、暴力団員の多さであり、
学校の勉強が よくできたなら、一般社会の日本人企業に雇ってもらわなければならない職は、最初から避ける。
そこで、個々人が才能なり優秀さなりに恵まれているか いないかの差が大きく出る。
それだけ、隠然たる差別が、日本のなかに存在してきた証拠だ。
日本人の平均値を上まわる知的職業に就いたり、「ヤフージャパン」の経営者も その一人だが、世間で押しも押されもせぬ、それなりの敬意を はらってもらえる立場になれた人ならば、日本人に糾弾されるまでもなく、みずから積極的に、いわゆる通名を捨て、堂々と本来の氏名で通している人は多いようだ。
【続く】