忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2025年07月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[185]  [186]  [187]  [188]  [189]  [190]  [191]  [192]  [193]  [194]  [195
Updated   
2019.01.21 (Mon)

『阪神・淡路 大震災』を めぐって

の続き。

 

前振りが長くなったが、さて、

24年前。。。せいぜい数年前くらいに感じられる。

あれで震度7。。。

関西では概ね、大地震が起きる懸念は薄いという(根拠なき)印象だったのだが、去年の地震、また、台風は、非常に恐かったですね。

 

今後は、もっと高い震度で、かつ、回数も増えるというのだから、どうなることやら。

 

正直、子どもを持つことのない人生だったのが幸いであったような気すら してくるよ。

いや、マジに、大災害の多い所で、子どもを産む気になれるというのが、ちょっと理解し難いわ。。。

そもそもが、子どもを産むということ自体、人間にあるまじきほど脳天気な行為と言えなくもないんだろうけど。

 

 

阪神地域とは、ほんの隣りながらも、あの『阪神・淡路 大震災』で、大阪では、比較的に被害が大きかったのは、ごく一部の地域のみ。

辛うじて買い出しに来阪することが できた被災者たちが、梅田あたりの通常と変わらぬ賑わいに、まったくの別世界、と呆然のていであったほどだ。

 

しかし、あの大震災を経験していたからこそ、東北の甚大災害が起きたとき、遠い地域の他人事とは思えなかった面も ある。

 

 

私の周辺では、当時の勤務先の同僚が亡くなっている。まだ20歳代の若さだった。

この同僚は、居住していた周辺地域自体の被害度は低かったはずなんだが、一人暮らしの住まいであった室内に、将来の目標とか趣味としての方面での本を大量に置いていて、それが崩れ落ちたなかに埋もれるようにして亡くなっていたということだった。

1冊1冊は知れていても、書籍類とて、大量のものがイッキに崩れると、恐ろしいことになるんだなと、あらためて認識したものだ。

 

大阪のなかで、被害が大きいほうだったのは、豊中周辺が そうだったし、私も、初めて一人暮らしを開始したのが、あのあたりだったのだが、資金に乏しかったため、大型の家具などは、まだ殆ど揃えられなかったのが、ある意味、よかったのかもしれない。

うちも、比較的に大量の書籍類を保持しているクチだが、当時は、一つだけ運び込んでいたガラス扉付きの本棚に、全部を収めるのは後回しになっていて、ほとんどは、ダンボール箱のなかに入れたままだった。

 

じつは、当初、神戸方面へ引っ越すことも視野に入れていたんだ。なかでも岡本とか芦屋周辺とか、私が生まれた街に似た、閑静で落ち着いた雰囲気が好みなので。

でも、大阪のなかでも北部の、豊中に ごく近いあたりで気に入って決めてしまい、それから しばらくして、あの大地震。

もし、当初の希望どおり、阪神間に引っ越していたら、どうなっていたことか。

 

 

その瞬間のこと、まざまざと憶えてる。

たまたま、私は起きていた。

再び書き綴るのが、これもダルイので、一言。

 

入居した部屋は1階じゃないのに、ゴオ~という地鳴りのような音が、足の下から微かに聞こえ、青白い閃光が走った。

 

 

それと、あとから知ったのは、うちの親が、これも じつは、淡路島に移住しようかという話が、少し前に出ていたのだという。

そのことを初めて聞いた私が、「なんで また、べつに縁も ゆかりもない淡路島?」と問うと、父親自身も、

「そうなんだよ。なんで あのとき、淡路島に引っ越そうと思ったのか、今となったら、おれ自身、よく分からないんだよ。ただ、テレビ番組で、淡路島の特集やってたんだ。おかあさんと いっしょに、それ見てるうちに、なんだか、その気になりかけてたような」

と言っていた。

 

まったく、気分屋の両親だ。

子である私なんかは、どこに引っ越そうか、その理由なども、ある程度、はっきり意識していたというのに。

 

 

先述した同僚の話に戻る。

あの頃、私は、直接、出張先で仕事していて、長期間、帰社しなかったので、彼の経緯は全く知らないでいたのだが、

出張も一段落し、久しぶりに自社へ戻って来たら、なんとなく、違和感が あった。

さりとて、それを意識に上せることもないまま、上司に促されて、示された空席に座っていた。

 

この会社では皆、各地の出張先で仕事していることが多く、いつも同じ席に座っている社員は、ごく僅かなので、それ以外の者は、どこでも、空いてさえいたら、勝手に座って作業する。私も、そのとき、上司が、ここに座ったら いいよ~、と言われたので、そのとおりにしたのだが、

ほどなくして、違和感の原因が、かすかに分かったような気が した。

 

「そういえば、この席って、いつもは、あの男の子が座ってたのに」

きょうは休んでるか、出張に行ってるのかな?と、さして気にせず、割り振られた作業に とりかかっていた。

 

そのうちに、どこからともなく、線香の香りが濃厚に漂ってきた。

 

はて、夥しいビルが立ち並ぶビジネス街ど真ん中のオフィスの すぐ近くに、お寺とか あったかしら?と思いつつ、やはり、たいして気にもせず、作業を続けていた。

やがて、昼休みになり、同僚の女の子たちと共に、飲食店へ出向き、昼食を注文しているあいだに、事情を知ったのだった。

 

 

他の かたがたの話と共に、ある、娘さんを亡くした かたの話を、いまでも思い出すことが ある。

 

就寝中に、一緒に被災して、娘さんの上には、たしか、大きなタンスか何かの重い家具が のしかかり、おかあさんのほうも、同様に、上に何かが のしかかっていて、全く身動きが とれない状態。

暗闇のなか、娘さんの すすり泣きと、苦しがる訴えが聞こえてくる。

おかあさんは、なんとか正気を失わせまいと、救助が来るまで耐えるように励まし、叱咤するのだけれど、その すすり泣きが、徐々に弱まっていく。

だが、どうすることもできない。

やがて、おかあさんの必死の呼びかけに、ぱったりと、応えなくなった。

 

それから数年ほど経った頃、私は、このかたの話を、新聞で読む機会が あったわけだが、

当時の談話によると、
いまでも、親しくしていた知人などに、ついつい、亡くなった娘さんのことを話し出してしまうのだけれど、そうすると、その知人に、
「いつまで、そんな話を しているの!」
と、呆れたように言われてしまうんだそうな。

 

 

なんと無神経で、優しさや思いやりに乏しいのかと思ってしまった。

これほどの災いに酷く傷ついて、苦しみが癒えていない人を叱りとばすなんて。

私は、こういう人も苦手。ハッキリ言って、きらいだ。

 

せんぐり せんぐり話そうが、時間が許すかぎりは、あるいは、まとまった時間を つくってでも、とことん聞いてあげれば いいじゃないかと思うの。

私なら、そうする。

そして、自分も知る故人の思い出話や、私個人は、何らの宗教的なことに傾倒するものでは ないが、故人が、もしも、言いたいことが あるとしたら、大切な おかあさんを案じて、これからの平穏を望んでいるはずよと、そういった話で応じるだろう。

 

 

でも まあ、世のなか、いろんな思考回路や感覚の人が いるわけで。

悲しい、辛い話を聞かされると、自分まで落ち込んでしまうから迷惑だ、と思うタイプの人も いるだろう。

 

その知人のかたは、たぶん、終わってしまったことばかりを思い出さず、前向きになりなさいよ、という励ましのつもりだったんだろうと思う。

 

だけど。。。

 

あの おかあさんは、少しは元気を取り戻されているだろうか。
どうか、そうであってほしい。

 

 

うちの両親の祥月命日も、1月だ。

母親に比べて、年齢が ずっと上だった親父は、女房の あとに続くのに、そこから十数年ほども遅れたが、結局は二人とも同じ月の、似た数字の日が命日となった。いかにも腐れ縁のバカップルらしいわいw

ま、生きてるうちに縁切りしたかった私は、とくに何も する気ないんだけどw

 

 

PR
Updated   
2019.01.20 (Sun)

耳は障碍、眼は傷めてる、皮膚は弱い、もともと、嗅覚も鈍いとか、ま、要するに、いわゆる「五官」の ほぼ全てが、人並みじゃないと言えるかもしれない

 

子ども時分から、母親が不在だったり外出の多い人で、晩御飯用の米を焚いておくように言いつかることも たびたびだったので、言われたとおりに洗い、頃合を見計らって、火にかける(炊飯器を買い替えずに、ガスで炊いてたから)。そこまでは普通なんだけど、

ところが、

母親が帰宅し、玄関の戸を開くなり、大声を張りあげる。

「焦げ臭いでっ!!emoji

あ、また やっちゃった。。。emoji

 

そして、必ずのように言われる。

「おまえは、こんだけ焦げ臭いのに、わからんのか!?」

と。

怒ってるというよりも、まじで呆れている母親。

 

母親のほうは、これまた異常なくらいに、嗅覚も聴覚も鋭い。

眼は弱点だったけど、五官に関しては、それだけ。

料理が得意だっただけに、味覚も鋭かった、というよりも、食い意地が張っていたw

 

いやあ、言われてみれば、そして、自室の戸を開けられてみれば、なるほど、家じゅう充満し始めている、ご飯が焦げている臭いに、さすがの私も気づく。

 

私は、何か他のことに集中していると特に、気づきにくいんですわ。

こう、ひたすら没頭してしまうのは、聴障者の特徴的一面でもあるらしいのだがね。

そういう状態のとき以外は、これは、小学校の1年生で、担任に指摘されたが、注意散漫であると。

もしくは、親父に言われたところの「昼行燈」の如くに、ぼーーーっとしている。

ぼーーー ⇔ 注意散漫 ⇔ 没頭 ⇔ ぼーーー ⇔ 注意散漫 ⇔ 没頭

こんな感じのサイクルだw

 

ところがね。

この、すばらしく鈍い嗅覚で、フシギなことが起きたこともある。

 

ちなみに、
カゼを ひいたら、鼻が鈍く、っていうのは よく聞く現象だけど、

私の場合は、カゼを ひくと、なぜか、逆に敏感になるw

まず、水道の水。

てきめんに、カルキ臭さが鼻につくようになる。
それによって、あ、カゼひいたな、と分かるくらい。

 

 

さて、旧のブログでは詳しく書いたことが あるんだけど、
以下に、そのフシギなエピソードを少々挙げてみよう。

 

実家で生活していた頃は、裏が、一軒だけ残ってた農家の田圃、

隣の おっさんが、家庭菜園や園芸に凝ってて、桃の木やら葡萄棚とか、所狭しと拵えてあって、そのせいか、ナメクジやら特大サイズの蜘蛛が、うちのなかにも たくさん這い回ったりして、すごく迷惑した。

 

うちの父親は、千葉の田舎育ちだし、大阪の街なか育ちの母も含めて、親らは、わりと平気なんだけど、ナメクジは厭だ、と顔を顰めていた。

私は、ナメクジなんか、ずっとマシだわと思えるくらい、あの特大の蜘蛛が怖ろしくて怖ろしくて、実家を離れた理由の一つが、これだった。

こうして、文字で書き記すだけでもゾッと厭な気分になるくらいだ。

 

でも、あれは、いわゆる「益虫」扱いされている面もあって、性質自体は、いたって おとなしいんだけどね。。。

なんせ、姿が悪すぎだ!wemoji

おとなしいからこそ、ああいう姿なのかな?

性質だけなら、ちっこいハエ取りグモのほうが、よっぽど、気が強いもんねww

ちなみに、むかしの実家に居ついていたハエ取りグモくんは、洗面所の大きな鏡に向かって、「威嚇のポーズ」を とっては、悦に入るのがシュミだったww

それで、

チミ チミ、なにやってんの?と笑いながらチョッカイ出すと、
あっ侮辱したなあ!とばかりに、怒っているのが、その眼で分かるもん()

 

人間でも言えそうだよね。

大柄な人が、見かけによらず、ぬぼ~と おとなしくて、

小柄な人のほうが、負けん気つよくて、攻撃的だったり()

 

それは さて置き、

あるとき、夜遅く、おふろに入り、浴室を出て、自室へ戻る途中、台所を経由するんだけど、勝手口の近くを通りかかったら、何か臭いが する。

 

今までに経験したことのない臭い。。。

なまぐさい臭いだ。

んー?と思いつつ、そっちへ視線を向けると、一瞬、細長い尻尾が見えて、たちまち消えた。

 

小さな蛇の後ろ姿だった。

 

 

じつは、これ以前の数日前から、時々、何か なまぐさいなあ?と感じていたのだが、気のせいかなと、親にも言わないままだった。

思いがけず、その正体が知れたわけだが、もう夜中だし、いちおう、姿は消えたし、あしたにしようと、ひとまずは就寝した。

で、翌日。

 

ふだん、庭仕事を している最中、枯葉や芝のあいだに、白い色のテープの切れ端なんかを目にしたとたん、

ぎゃああああー!!!

と、

ご近所もビックリの、「絹も裂けない」オッサンの凄まじき悲鳴を あげる親父。

そう、田舎育ちのわりに、蛇だけはダメなんだ。

 

案の定で、昨夜、私が見た光景を告げると、ビビリまくり。

蹌踉として、出社していった。

 

そりゃ、私だって、苦手だよ。

田舎育ちじゃないし、そもそも、虫も爬虫類も、大の苦手。

エビやカニも食べられないくらい、グロテスクと感じてしまうんだもの。

 

それから、また数日。

あの小蛇は、もう、どこかへ出て行ったのかなと思っていたら、

ある日、
帰宅した私は、以前から台所に据えてあった『ごきぶりホイホイ』に、頭と尾っぽの先だけが、それぞれ貼り付き、胴体部分は『ホイホイ』の外側を囲んだ状態のまま、身動きできずにいるところを見つけてしまった。

よく思い返すと、
『ホイホイ』の片方の入り口に、頭と尻尾どっちも貼り付いてたかも。
なので、
1ヵ所の入り口から、胴体部分がU形にハミ出ていたという かたちだったかも。

とにかく、生きてるのやら死んでるのやら、全く動かない。


 

あいにく、家族は出払っていて、家には私一人だけ。

どうしたものか、、、と困っているところへ、以前、隣家に住んでいた人の引っ越し先へ遊びに行っていた母親から電話。

さっそく、かくかくしかじかと事情を話し、そんなわけだから、なるべく早く帰宅してほしいと言うと、

そんなの、見たくないわぁ♪おかあさんだって怖いわぁ~♪

と、なんだか、似合わぬ ぶりっこ声を出して、てい良く、帰宅を拒む。

 

じゃあ どうすんのよ!と言うと、

(反対側の)隣りの おっちゃんに頼め、と のたまう。

隣り、ってのは、くだんの、家庭菜園や園芸に凝ってる おっちゃんとこね。

 

この おっちゃんが庭仕事してたら、時々、上からドサッと、ぶっとい「みーさん」が落っこちてくるんだって、と、うちの親らが笑っていたが、
少なくとも、親父は、笑ってる場合じゃなかった。

そう、この小蛇の出現した原因は、たぶん、隣が拵えてある葡萄棚だろう、と。

 

しかたないから、頼みましたよ。たまたま、おっちゃんが庭仕事してるのが見えたから、かくかくしかじかと。

もうね、再び繰り返して、この経緯を書くのも業腹なんですわ。

だから、ごく掻い摘んで言うけど、

やれ、

「○○ちゃん、蛇くらい始末できないと、嫁に行けんぞ」

とか。なんの関係が あるん?それって、と言いたいくらい、くだらん説教たれまくられてさ。

 

原因つくって、こうして隣家に迷惑かけまくってるアンタみたいなド田舎の育ちとはワケが違うんですわ、こちとら。

わたしゃ、大阪でなければ東京の高級住宅街以外は、ほとんど知らない都会っ子の(当時の)現代っ子でございますので。

 

しかもだ。

やおら、大きなハサミemojiを持って来なさい、と命令してきた。

は?と思ったら、

『ホイホイ』を囲んでの字形に固まっちゃった、かわいそうな小蛇ちゃんの胴体をブツ切りにする算段らしい()

 

それだけは、と思いとどまらせて、

要は、『ホイホイ』ごと、外に出してくれたら いいんですわぁ、

と、必死こいて頼んで、やっとこさ、一件落着。

 

…どういう神経と思考回路なんだろうか。

頭と尾っぽの先だけが貼り付いてる。で、『ホイホイ』の外に出てる胴を切断して、何になる?無意味だろが。

あたま悪いというか、思考がズレてんだろうなあ。。。

あるいは、イヤガラセのつもりで、ハサミ持ってこいと言ったんだろうか。たぶん、それに違いないが、

まあ、手間のかかることだよ。

ホイホイごと、外に出す、たった これだけの頼みに、さんざ、勿体つけて、恩着せがましく。

 

ハッキリ言いますが、私は、こういう手合いも、きらいなタイプ。

 

 

冒頭に述べたように、「五官」というものを はじめとして、われながら甚だ鈍いにも かかわらず、私には、他にも幾つか、普段の自分からは、とうてい想像もできなかった奇妙な出来事の経験が ある。

続くエントリーでも、一例を記してみよう。

 

【続く】

 

 

Updated   
2019.01.11 (Fri)

そろそろ、対外バラマキするにも、カネが乏しくなってきたという日本だが。

私に言わせれば、アベノ外交とは、emojiemojiおホモダチ作戦emojiemojiと言うべきほどの体たらくだw

 

だって、
見てごらん、まずはアメリカ、ロシアのトップに対しては、そうとしか思えないほどの媚びっぷりと二股だし、

北朝鮮、近頃は韓国までにも、こっちもオトモダチかよ?と思わせられるほど、援護射撃してもらってるだろww

 

いくら、安倍ちんが、無自覚、潜在的にせよ、どうやら、女性よりも、男が好きそうで?、マッチョなタイプの男たちに憧れやまず、個人的にも気に入られたいからってwww

 

 

いつの時代からなのか、あの「ロン・ヤス」時代からなのか知らんが、
およそ政治や外交に、個人的指向とかシュミとか好みを大いに混ぜ込むのは、よろしくないと思う。行き過ぎると、見苦しい。

やっぱり、どなたさんとも友好的に、しかし、なあなあには ならないよう、一定の距離は保っておかないと。

 

 

ことわっておくけど、個人的に、ホモ自体を嫌っているわけでは ないのよ(苦笑)

まあ、私自身も、いわゆる「LBGT」とかいうもののなかに入るんだろうから。

 

 

それとね、

相変わらずの権力おもねり層である「ヤフゴミん」の一人が、

「値上げに対してブーブー言う消費者も問題」とか、知ったふうに言ってたが
(最近になって、さすがに、安倍政権のタチの悪さが知られてきたせいか、悪名高き「ヤフコメ」のなかでも、以前よりは、安倍政権や企業経営者側の肩を全面的に持って、一般国民や、そのなかでも弱い立場にある層をバッシングしまくる投稿は、僅かながら減っては きたようだが、あの『産経』系のブログ サイトでの一般ブロガーらの主張は、それは それは酷いもんだったよ)

値上げにブーブー言うのは、実際、生活が苦しければ当然だ。

 

だって、『アベノミクス』だか、それが失敗したのだか知らないが
(私は当初から、『アベノミクス』なんぞ、実質カラッポだと主張してきた)

「実質給与は、上がるどころか下がってる」ってんでしょ?

 

なぜ、そうなるの?

 

一般消費者が、どれだけケチで、情弱、もの知らずだったとしても、実際の生活が逼迫していなければ、10円、20円値上げされたからといって、おとなしい国民性で、そんなにまでブーブー言うはずが ない。

 

貯金を溜め込んでるだけの余裕が ある人たちがブーブー言ってるわけじゃないだろう。

現実、ろくな貯金もない人たちが大いに増えつつある状況で、

しかも、一つずつは、たかだか数十円でも、あらゆるものが一斉に、それも、贅沢品ではない、日常の必需品に相当する品であれば、困ったなあと思うのは本音だ。

 

本来なら、日常生活に必要なものだから、購入することを躊躇う理由も なく、

しかも、すぐにでも必要だから、買えるかぎりは、ただちに買うはずの層が、せめてもと、買う頻度を減らす。
商売人だって、困るはず。

 

なぜ、こうなる?

 

求人の「有効倍率」なんたらだって、表面だけ見てたんじゃ、何にもならない。

相変わらず、非正規が中心、

どれほど人手不足で、高齢になっても働け働け、障碍者や病人も働け!と言っても、

ある一定の年齢層から上になると、ばっさり圏外、こんなの、何十年も前から変わってない。

 

これらは、一般消費者のせいじゃない。

ひとえに、

長年の歪んだ政治と、甘ったれた経営者側の齎した問題だ。

 

カン違いするなよ?ヤフゴミんemoji

アタマ悪いうえに無知でカン違いだらけなんだから、すっこんどれemoji

 

 

それにしても、社会に有害なバカの巣窟、かの『2ちゃんねる』の跡継ぎ「ヤフーコメント」、いーかげんに閉じてくれんかのおemojiemoji

 

 

Updated   
2019.01.11 (Fri)

まず、思い当たるのは、インターネット。
こんにち、ほとんどの人が頷くことと思う。

これと同様に、医療の分野でも、機器の発達・発展と共に情報量の膨大な増加と、それらを捌ききれないといった、現場の問題が持ちあがっているらしい。

 

このエントリーは、下書きしたまま、毎度のごとく、ブログにアップできず、放置してあったのだけれど、年末に、これらの記事を読んでは いた。

 

東大病院、画像診断書「未開封」4割…主治医の確認形骸化12/28() 9:55配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00050000-yomidr-soci

がんの「画像見落とし」はなぜ起きる? 放射線科医が語る“原因”2018126日 木曜 午後7:00

https://www.fnn.jp/posts/00397050HDK

 

読んでいるうちに、何かに似てるなあ、、、と感じ、
あっ、そうか、と思い起こしたのが、かつて、自分が従事していた職業のこと。つまり、校正・校閲の部署でも ありがちな問題だったのだ。

掻い摘んで言うと、たとえば、私の経験では、制作部署のライターが、チェックお願いね、と言って回してきた原稿を、各段階に おいて、校正・校閲で、可能なかぎり、全チェックする。だけど、ライターにしてみれば、自分が見落としていたり、リスクが隠れているとは思いもしなかった箇所すべてを挙げつらってくれるのは、なんとも頼もしく思う反面、やっぱり、ずらずら並んだ、それらに目を通せば、その分の時間を取られるばかりか、ヘタすると、思わぬ大仕事やメンドクサイ作業が増えるわけだから、鬱陶しく思う面もある。

これは、私自身が、もともとライターから出発してるので、気持ちは大いに理解できるのだが。。。

 

まあ、私なんかは生来が横着だし、けっして、仕事が早いわけじゃないんだが、紙媒体では、各段階に応じて、優先順位を つける、
と言うとカッコイイかもしれないが、それなりの「手の抜き」ようが ないこともないのでw

実際問題、締め切り押せ押せの仕事は、そういうふうに、うまく「手抜き」していかないと、次の段階に なかなか回せない。

これの融通が利かないクソ真面目しかないタイプの先輩社員のトバッチリが、全部、私に被せられた苦い経験も ある。

けっこう人が良いんでね、私もwwそのうえ、こちとら、はっきりと障碍者であるということを明らかにしたうえで中途入社してたから、ヒケメも あるのよ。

 

過去エントリーで、この、「仕事できない」先輩社員について幾つか書いたことあるんだけど、いまにして振り返ると、彼女、何らかの内部的な、つまり、精神とか発達系の問題が あったんだと思うってこと。

それだけなら、責める気持ちには ならないが、

なにしろ、劣等感の裏返しなのか、えっらそうに言うタイプだったんでねw

最終的には、ネタミの塊りみたいな性質の人なんだと見極めて、すっぱり切ったけど。

 

一言で言えば、この人の場合も、「自己保身」が過ぎるタイプ。

自分の立場が不利になるのを、病的なくらい恐れるがゆえ、立場の弱い者へトバッチリが行こうと、かまってられない、という、余裕のない人。

 

生活や生きかた全て、そういう方針で、どんな些細なことにも用心深い。たとえば、カゼ?と、ちょっとでも思ったら即、病院へ駆け込む。

それでいて、あるいは、有給休暇を、全く、とらなかったりもする。

こういったことも、広い視野で見たら、社会的に弊害が あるものだね。

(生活費全般をケチってでも、『宝くじ』だけは、希少な楽しみとして購入しているらしいがw)

 

それは、何ごとにも手抜きせず、慎重に丁寧に進めるという、一見、美質のようでも あるんだけれど、私に言わせれば、本質は、自己中だ。

だってね、

ふつう、1、2回も見直せば済むはずを、10回でも20回でも、同じところを確認してる。

こんなの、ビョーキでしょ。

そうやって、ふつうなら、ものの5、10分もあれば終わるはずを、1時間でも2時間でも かけてる。

むだに時間を費やして、自分は安心感を得るかもしれないけど、誰が、そのシワ寄せを受けるんだ、ちゅうの。

 

それで、「(障碍者のくせに)仕事が早い」というんで、私という後輩社員を陰に陽にネタムわけ。

精神だか何だか知らないが、迷惑がられても しゃあないやろ、これじゃ。

 

でも、校正・校閲部署の基本的責務として、「ん?」と思った箇所は全てチェックし、訂正させるべき箇所は、ライターを叱りつけてでも、訂正させなくては ならぬ。単なる外注の業者の立場だったら、いーから、とにかく訂正!とまで言う権限も必要もないので、クライアント側に、ほっといておくれやす、と言われたら そこまでで、あっそーですか、で済むだろうが、それにしたって、いちおう、ひっかかってくる箇所は、それとして指摘したうえでのこと、ましてや、同じ企業のなかでの制作部署と校正・校閲部署だと、畢竟、同じ会社の者どうしなんだから、「そりゃ、こっちの話でさ、ほっといてちょ」「あっそ、どーぞ御勝手に」では済まないからね。

しかも、どっちかと言うと、分が悪くなるのは、校正・校閲側なんだから、ライターは、もの知らず、感覚だけで書き散らす脳天気、くらいに思っておかないと()

 

けれども、コレぜったい訂正なっ!!というレベルでは なく、「このままゴーして だいじょうぶ?」程度の微妙さだと、担当ライター側がウンともスンとも反応しない場合は ままあり、最終段階に至るまで、しつこく延々とダメ出しを続ける。だって、世間に、その出版なり印刷物が出回った後になってから、「あーっ!?なんで言ってくれなかったんだよお!!」てな責任転嫁されたくないもん。だから、証拠を残す。

 

 

さて、医療の分野で起きてるという、CTやMRIなどの画像から得られる情報量が膨大になってきているうえ、「読影」方面の専門医が不足しているという内容の記事。

日本では、CTやMRIの機器が、アメリカを上まわって設置数が多いということなので、少々驚くと共に、そうなると、読影の専門医不足という現象にも、なるほどなと思わされた。

 

まず、「開封」ボタンの問題について、「未開封」でも、実際は読めるようになっているのは、現場でのチームワーク上の必要が あってのことらしいし、ボタンの使い勝手には、さしあたって、くふうと改善の しようが ありそうに思える。

それ以上に、「読影」専門医の養成を急ぐのは勿論だろうが、

何段階かに分けて、改善策を設けるとともに、やはり、ここでも、患者の「自己選択」の必要性が出てきていると言えるのかもしれない。

これは、当エントリー冒頭に挙げた、特に、インターネットに接して、多くの人が、昨今の情報量の膨大さのなかで、いかに選択していくのかということの重要性と共通していると思われる。

 

日本人というものは、もともと、「パターナリズム」を好む国民性が あるように見受ける、というのは、従来から私は指摘し続けてきたけれど、
こと、医療の分野において、こういう傾向性は昔から顕著だったし、医師も患者も、それを好んでさえ いたと思う。
ごく近年に至って、「インフォームド コンセント」とともに、患者自身の自主性や自己選択というものが重視されてきているようでは あるが、それでも、まだまだ、やっぱり「先生、先生」となりがちなのが現実だろうなあと思う。

 

うちの母親みたいに、漢方医の父親を手伝っていた子ども時分や、医師になった弟のことを思うにつけ、「ワタシだって、ワタシだって、男にさえ生まれていたら」では あるまいけれど、医師に向かって、

「先生、あの薬を出しなさい!」

てなセリフを吐くというのはトンデモナイことには違いない(苦笑)

だいいち、ヤバい話なのだ。

これは、かれこれ30年ほども前のことでは あるが、

くだんの「あの薬」というのを、うちの母親が執着し始める頃になってから、当時の母親の かかりつけ医は、ぴたっと、処方することを止めた。

そして、母親は、「先生、あの薬を出しなさい」と、命令口調で のたまうに至った。

 

ちなみに、その主治医の家庭では、夫人が三度ほど変わっている。
最初と2番目の奥さんは、いずれも、若くして、謎の(?)死を遂げているらしいという話が、近所では密やかに流布していた。。。

(株に凝っているらしく、診察の途中でも、株屋から電話があると、あーだ こーだと長電話でウンザリする、とも言ってたなあ)


私自身も、急病のとき、この医師に特別に往診、注射してもらったあと、なぜか、症状が急激に悪化し、一晩じゅう苦悶で七転八倒したことが あった。

当時は、何らの疑心も持たぬまま、ついに、救急を頼んで、他院に緊急入院し、一命を取留めた。

 

その入院時、容体が回復し始めてから、かねて、学生時分から困っていた腰痛、これは多分「椎間板ヘルニア」というものなんじゃないかと自分で推察していたのだが、ことのついでに、こっちも調べてもらおうと思って頼んだレントゲン撮影。

 

いま振り返ると、なぜ、ほぼ裸にならないと いけなかったのか、よく分からんのだが、そのレントゲン室にて、背中から腰のあたりまで撮るための、ベッドのような台に横たわり、ふと、室内外を隔てている壁に穿たれた小窓を見たとき、
そこには、担当の技師のみならず、白衣を着た男どもの顔が、スズナリ状態になって、全員、こちらを凝視していた。。。

 

 

いずれも、何だったんだろうか、あれらは。

この話、旧ブログで書いたことあったかなあ、憶えてないんだけど、そのうち、詳しく書いたろうと思っていた。

 

さて置き、

その後、他の病気で手術前に受けたCTやMRIに関しては、あの頃は、いまよりも、もう少しだけ、撮像時間を要していたと記憶する。

技師が出す、息を止めたりする指示が、聴力障碍者の私には聞こえづらくて、何度か やりなおすハメになり、ご迷惑を かけたことも思い出した。

 

その前の時代は、もっと時間が かかってたらしい。

当時の隣家の おばさんが、MRIを受けて、けっこう長時間かかるあいだに、だんだん、気分が おかしくなってきて、錯乱したんだって!と、うちの母親が、なかば呆れてたけど(苦笑)

 

 

話を戻して、

「何段階かの改善策」というのは、たとえば、安価にして基本的に有用な機器であるレントゲン以外に、高額となるCT(CTスキャン。コンピューター断層診断)やMRI(磁気共鳴画像診断)を受けるかどうかの選択、

そして、受けたならば、その結果を、どこまで知らせてもらうかの選択、

あるいは、もれなく全体の読影結果を知らせてもらうか否か、否の場合には、そのとき診察・治療を受けようとしている箇所のみに絞って留めるか、やはり、全体的な所見を知らせてもらうのかの選択、

また、全体的な読影の結果、もちろん、多忙を極める主治医の負担を、これ以上にも増やすのは よろしくなかろうので、主治医の専門分野以外の箇所で見受けられる懸念が あった場合には、ごくシンプルに、簡潔に挙げることを前提として、主治医または画像診断専門医側から、それに相応した専門部署に知らせる、ただし、これも事前の、患者側の選択による、といった方策は どうだろうか。

 

いずれにせよ、患者側の主体的選択が重要になってくるだろう。

また、この選択の各段階に おいて、従来から当然のことでは あろうが、患者各自の経済事情が左右することも起き得る。
経済的事情ゆえの選択は、主体的選択とは言い難かろうが。。。

 

 

政治分野の情報の的確な取捨選択も そうなのだが、

自分や家族の病気に関する取捨選択にも、情報の蓄積と見識、哲学のレベルまでもが問われる時代に入ったようだ。

患者も、そして医師にとってさえも、「パターナリズム」の心地良い揺り籠から、いよいよ這い出なければならないのか。

おめでたき、単純な「しろうと」であることが許されない時代。

「しろうと」にとって、そして、専門家にも、厳しい時代になりそうだ。

 
 

Updated   
2019.01.06 (Sun)

この年末・年始に:ヒトから猿へ返れ?wの続き。

 

「何見てんのよ!見せ物じゃないわよ!!emoji

だめ息子を撮影されて、歯を剥いて怒る母猿のほうも、この息子の二の舞になったら困るからというつもりでか、少し大きくなり始めた娘に対しては、ことのほか厳しく あたり、ずいぶん早いはずなのに、乳離れを急かす。

 

この娘は、わがままなアニキの とばっちりで、わりを喰わされたあげく、まだ子どものうちに、交通事故で、あっけなく死んでしまったそうな。

 

長男の育てかたに失敗したからとて、他の雌猿に比べると、じゅうぶんに出る乳も敢えて与えてやらず、罪もない娘には、何かと厳しくして、ある日、思いがけず死んでしまった娘を嘆き、いつまでも呼び続ける母猿も また、多くの閲覧者の軽蔑を買い、

「息子とは大差つけて、幼い娘にはネグレクトしてたくせによ」

と批判されていた。

 

 

ところがね、この母猿、なぜか、ボス猿にモテるんだわ。

片目は潰れてるし、けっして、器量良しでもなく、人間で言えば、巨乳というか、まあ、つまりは おでぶちゃんなんだが、

自分の息子に大甘であると同時に、他の猿の子どもも、よく あやしてやったり、毛づくろいしてやったりしてる。本来は、子どもが好きなのね、この愚かな母猿も。

 

こういう面は、自分の子を大事に育てている母猿に共通するのか、他のグループの雌猿のなかにも、似たタイプは いた。

もっとも、そっちの雌猿の場合、くだんのマザコン息子の母親よりは聡明で、自分にベッタリしてくる長女の嫉妬深さと、気立てが良くないのを見抜いていて、あかんぼの妹にチョッカイ出すたびに、姉娘を厳しく怒っていた。

 

仲間たちに穏やかに接し、怒っている若い雌猿には、すみやかに謝り、なだめるのだが、

基本的に、いつも子どもを抱きしめ、こまやかに見守りながら、慎ましく座っている。

それが、
どこからか、若い雄猿が闖入すると、仲間に加勢を呼びかけつつ、自分は赤子を抱えたまま、勇ましく撃退に向かう。

あっぱれですなあ。そこいらの人間の雌よりもアッパレである。

 

 

ところが、
ある日のこと、体調を崩したのか、しかたなく、気立ての悪い長女に、妹の子守を させつつ、気分の悪さを堪えているようだったが、何が原因になったのやら、片足が壊死したようになって、そのまま、姿を隠した。

 

ついには、
撮影隊メンバーが探しに赴いた遠い森の片隅で、すでに、土に還り始めた死骸を発見したようだったが、

あわれ、まだ乳飲み子のうちに取り残された妹は、よからぬ たくらみを秘めているような、見るからに冷酷そうな顔を した長女の腕のなか。

以後、

若過ぎて、子育てなんて到底ムリなうえ、母親を めぐって、かねて嫉妬に満ちた長女に、案の定、さんざん虐待され、行方不明となってしまった母の乳も飲むことが叶わなくなったので、地面に落ちているものに必死で腕を伸ばし、拾って食べようとしても、見かねた人間が何か与えようとしても、意地悪い姉が、ことごとく、邪魔を する。

 

レスキュー隊が救出したとき、すでに遅し。

飢餓状態が極まってしまっているから、栄養摂取も進まず、皮肉にも、母親と同じく、足を痛めつけられたまま、回復しきれずに、ほどなく死んでしまった。

 

 

そりゃあ、行き届いた世話を してくれた情愛深い母親ならでは、いつまでもベッタリつきまとい、未練がましく、どんなに大きくなっていても、かつて自分のものだった乳を独占している、下の きょうだいを憎む、嫉妬深い長男や長女。人間世界でも ありがちよねw

 

 

うちの犬を見てても思ったように、野性や動物の世界では、子どもを可愛がる母性豊かな熟女のほうが、オスのウケが断然、良いようだw

人間の価値観とは違うと言うか、特に日本の社会とは真逆なのかもね。

 

「マチュア」よりも、どこかは青いまま、どこかは黄色いまま、脚は棒切れの如くして、首筋は鶏ガラみたいに痩せぎすの「オコチャマ」が大好き、

そして、自分の子どもよりも、他人の産んだ、大きな子どもである「おこちゃま男」を最優先にしてくれる雌女(メスジョ)が大好きw
なぜって、

どうしようもなくアホでバカで、何につけても、心身ともに さえないオスで あるにも かかわらず、全面的に受容してくれる。
こういう雌女こそは、俺にとって最高の母性の持ち主だからだ!!w

 

「他の男とのあいだに産んだ子どもを殺せ」。

猿でも やらんみたいだよ?自分以外の男の子どもは殺すなんて、少なくとも、私が閲覧したマカク猿たちの社会では。

 

親と はぐれて、泣きながら呼び続けるマザコン猿を、ずっと傍について見守ってやったりする。

「グルーミング」も、小さい若い猿が、おずおずと求めると、時間を かけて丁寧に、虫取りを してやり、つきあってやる。

 

そうかぁ、「ボス」や「ボス」候補になるには、ガタイが大きくて、ケンカが強いという条件だけじゃダメなんだ。

人望ならぬ「猿望」も確保しないとならないんだなあと理解した。

見習うべきよね、人間社会のほうがw

 

強くなくては、生きていけない。優しくなくては、生きていく資格が ないって、チャンドラーは言ったもんだ。

 

けれど、猿の世界でも、優しく、良心的で、ものが分かってる賢さ、誠実さを備えている者が、あっけなく死んでしまい、

素直で無垢な者ほど、虐待や苛め殺されたりして、

結局は、

嫉妬深く、おそろしく執念深く、拒まれても拒まれても徹底的に自己利益を求め続けた者が生き残ってるのは、あのマザコン息子や、妹殺しの姉が証明してる。

 

 

人相ならぬ猿相だってあるみたい。

冷酷な姉猿は、冷酷な顔つきだったし、

マザコンあほ息子は、アホまる出しの顔してたw

 

閲覧者のコメント欄には、

「妹殺しに餌やるな!」

「バチが当たることを祈る」とか、

「マザコンのヘンタイ息子は、とっとと追い出せ!」

「このバカ親子!」

「周囲を見張ってるつもりのボスの父親の眼は、UFOでも探してるんだろう。結局、何も見ていないのだ」

と、人間たちの揶揄と怒りの声が並ぶ。

 

「あの姉猿も、まだ子どもだし、ストレスが溜まったのでは」とか

「食べ物を譲らないのは、それが、猿社会の文化なんだから」等と擁護する人も混じっているが、

ほとんどは、非人道的で、けしからん猿に対する非難轟々()

 

 

人の子らに臨むところは、また獣にも臨む。…皆、一つの呼吸に よれり。…人は、獣に まさるところなし。みな空なり」(『コへレトの ことば』)

 

いやいや、より劣るのかもよー?

それよか、せっかく、辛うじて「まさる」ところを やめれ、とワザワザ、生きるか死ぬかの「ヒリヒリ」するよな暗黒のディストピア、ヒャッホウ社会に戻すべきだー!と主張する愚物とか、くだらん「先祖返り」を煽ってコメント連投する、ネットのなかでしか大きく出れないバカは(←すでに指摘してきたように、私が『カルト連』と名付けている、あの連中の誰かですわ、こんなバカな投稿しまくるヒマなのは)

ドンパチやってる国の一兵卒にでも、さっさと志願して来いよw

まあ、ろくな体力もないヘナチョコ男じゃ、雇ってすら もらえんけど。口先だけ勇ましいのはね()

自衛隊に、この類のアホが入られたら困るんで。いや、もう入ってる者も実際には いるんだろうけどさ、増殖したら、ますます困るから。

 

 

ということで、

当シリーズ エントリー冒頭にて、インターネットに対する不審や不信を、いまだ解消できていないことを述べたけれども、

インターネットにおいては、常に、選択眼と主体性を根底から問われていることを大前提としなければ ならないことを念頭に、

問題は、この能力が乏しい者には、まさに危ない玩具で あり続けていること、

ましてや、悪意ある者にとっては、堂々と利用できる凶器で あり続けている。

 

従来の「パターナリズム」的な情報メディアでは限界が あることに気づかせ、幅広く、深く、情報に接することが可能となったのは、インターネットの最大の長所だ。少なくとも私個人にとっては、メール以外では、そういう点が、有用なところ。

ただし、他は、相変わらず、問題だらけのまま拡大していってる。

しかも、
いまや、従来の大手メディアまでが、ネット上で跋扈している、胡散臭い連中、魑魅魍魎の後追いをし始め、愚かな真似を するようになった。

 

現状、
政治でもメディア業でも、どういう層に支持してもらいたいのか、それによって、大きく左右されている。

とにかく当選したい、とにかく支持してもらいたい、とにかく儲けたい、
とにかく生き残らねば ならぬ。。。

 

理念も理想も そっちのけになるの、あたりまえだ。

これを多少なりとも解決に向けていくには、「層」の質を変化させていくしかない。

やっぱり、教育だ。

でも、その教育の なかみが問われている。

 

 

ま、そんなわけで、検索していたら、たまたま遭遇し、このところハマっていた動画の おかげで、子猿は まだしも、お猿さん全般、なんとなく、好きになれないでいた私だったのに、その印象を大きく変えることが できた。

そして、これまで接してきた他の動物たちと同じく、学ばせてもらうことが できた。

なまじっか、おえらいセンセイがたよりも、よっぽど、深いところを教えてくれる。

とても有意義な、精神的収穫だった。

 

生き残りの厳しさゆえに酷薄、
それと同時に持ち合わせている、人間以上の優しさ。大らかさ、繊細さ。

特に、猿という種類のものは、知られているとおり、最も、われわれヒト族に近いだけあってか、そういう社会のルール、マナー、家族や仲間との関係の ありかた、人間に おける恋愛や、親子・兄弟姉妹関係の原型というべきものを見い出せた。