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Updated   
2019.02.16 (Sat)

何がって、この国の大手メディアよ。

とっくに知ってるわい、って?そりゃそうねw

 

今回、『時事通信』の記事で、またまた、目が点になった。と言うのも、

安倍政権になってからアタリマエみたいに恒例のようになってしまったかのようなパターンが、またぞろだったから。

 

例の「統計不正」問題が発覚し、今国会で野党側が徹底追及、
当然のこと、大多数の国民も、じつに疑わしいと思っている、

にも かかわらず、

な~ぜ~か、「政権支持率」というものに、ほとんど影響が見られないと言うのだ。

 

あうう、、、キモチわるいのねん。emoji

 

疑ってる。けど、支持してるぞー♪って。

 

どう分析を すべきなのか、はなはだ悩ましくなる、この分裂、支離滅裂のパターン。

 

日本国民のアタマのなかって、とうとう、こんなふうになってしまったのだろうか。

分裂、支離滅裂アタマ?

 

いやいや、そこで また思ったのは、

まーたゲタ履かせとるなw」

という直感。

 

だって、どう考えても、まともじゃないでしょう。

省庁の不正データと同じ臭いが するもんね。

 

各方面から指摘されてきた、安倍政権の大きな特徴の一つが、メディアに対する圧力・恫喝だもの。

 

もはや、殆ど共通のスタンスなのか、メディア各社も。

あまりの長年にわたる自民党政権との癒着が染みついてしまった省庁・官僚らと。

 

 

おかげで、
自民党以外の政党は、やっとこさ、政権に就いたとしても、
たちまち、困難な運営へと追い込まれ、短命に終わり、
結局、経験を積むことが できないまま。

ために、

もとより『自民党』支持者のみならず、表面しか見えていない浅慮で無知な国民たちの多くにも、頼りないし、任せられないのでは?というイメージが すり込まれてしまいつつある構図。

 

 

ここで再び三たび言う。

自民党以外の政党さんがたへ。

あなたがたが、()『民主党』のように、しょせん「第二自民党」だの「自民の亜流」なんて呼ばれたくは ないのなら、

下記の警告を、よーく、肝に銘じておいてくださいね。

 

もし、このあと、政権を奪取できたとしてもだ。

なにしろ、戦後最悪の(これも当初から、私は言ってきた)安倍政権、その あと始末だよ。

 

また失敗したな、と思われたら、もう未来永劫に、この国では、「野党」というものは存在できない。

存在できるとしたら、それこそ「未来永劫に万年野党」でしかない。

 

したがって、

政権を奪ってみせる、という気迫、モチベーションは堅持していてもらわなければ困るが、

さしあたっては、なんとか「与野党伯仲」レベルには達してちょうだい。

その間に、

自民党と癒着してるモロモロの連中、特に、官僚らと、どう渡りあうのか、

そして、

こ難しいことはイイから、とにかく、おカネ、経済、おカネ、というのが唯一の、と言っていい殆どの国民の本音を、どう満たしていくのか、

良い大学出た、良いオツムなんだから、よーく考えて、机上の空論ではない策を練っておいてちょうだい。たのむわ。

 

 

たださぁ、

「政権支持率には、ほとんど影響してないよーん♪アッカンベエ~」

と、ことさらに言いたいみたいな、こうしたパターンには、

「野党よ、国会で追及するのはムダよムダ。せやから、やめといて~な、お願い~」

こう言いたいらしいのも、透けて見えてくる。

 

これが、こうしたパターンの記事に仕込まれてあるところの、安倍政権と、その周辺の本意なんだろうなと思えてくる。

 

 

ああ、キモチわるい世のなかだ。

もともと、私は、この国の民衆全体に対して、高い評価や信用に ふさわしいレベルに達せているとは、いまいち感じられないでいたが、

近頃では、いよいよ、ここまで堕ちてきたか、、、という感、しきり。

 

統計不正問題を報じないで、分かりやすい子どもの虐待問題ばっかり、という不満は、その気持ちは理解できるけれども、やっぱり、底のほうで繋がってるもんなのよ。

庶民の日常生活の片隅で頻々と起きる虐待問題。

その庶民が、選挙で投票し、議会へ政治家を送り込むのだから。

 

国民のレベルが政治のレベルでしょ?

 

アベノアクム

 

 

【続く】

 
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Updated   
2019.02.15 (Fri)

例の『野田市 小4少女』の死亡事件だけど。

 

【続・続】千葉県野田市の小学4年生の事件について

 

「ヤフゴミ溜め」のコメントというのは、たぶん、同一人物が、複数のアカウントを取得して、大量に投稿しているらしいのが窺えるので、必然的に、同じような内容のコメントがズラリと並ぶことになるわけだろうけど、あれ見てたら、つくづく厭になるのはね、

やたら残虐な刑の「提案」ばっかり並べ立てて、いわゆる「しつけ」という虐待、と言うよりも折檻、拷問に相当してしまうようなエスカレート現象の根本考察や、そこから発して、分析へ、予防の観点へは、豪も進む気配が見受けられないところなのよ。

しまいに、心底、寒々としてきて、

昨今の流行みたいな「子殺し」現象は、この国が、いよいよダメになってきている兆しのような気もするけれど、
そこから持ち直す希望すら、もう持てないんじゃなかろうかという、絶望的な気分になってしまうので、社会的弊害・有害の面が大き過ぎる「ヤフコメ」欄は廃止しろ、と言い続けてるんだけどね、私は。

 

まずね、

「ヤフゴミん」お好みの「死刑」も さりながら、被害者である少女と同じめを、この親にも味わわせたところで、もちろん、被害者が浮かばれるはずもないどころか、

加害者である親は、もっと、自分の娘を逆恨みするだろうということ。

 

なぜかというと、

「しつけ」のためだったと頑強に主張するんだから、自分は正しいのだ、間違ったことは してない、それなのに、なぜ、そんな自分が、拷問されたり、死刑にされなきゃならないんだ?と、

ますます、自分の子を、「自分にとって、最悪の災厄を齎したダメな子」として憎しみ、逆恨みするハメにしかならないの。

 

 

以前のエントリーでも何度か言ってるけど、

このテの問題を起こす当人というのは、私自身、もともとから脳の何かしらに問題が あったり、「自己愛性人格障害」の傾向を持ってたり、それを嵩じさせたりするんだろうな、ということを言ってきた、と同時に、

それらは、殊のほかに「被害者意識」を持ち易い要因にもなり得る、ってこと。

 

したがって、その「被害者意識」を、「仮にも、自分は正しい」という信念を持っている者は、単に刑罰を受けただけでは、「被害者意識」かつ「自己憐憫」と、逆恨みを募らせるだけなのよ、せいぜいが。

こんなことでは、それこそ、被害者は浮かばれないわよね。
ましてや、実の親ときてるんだから、これが。

 

とにかく、
まずは、何が、折檻するに相当するだけの「悪い子」だったと思うのか、加害者本人に、説明させることから始めなきゃならない。

もちろん、作話や、自分を正当化するためのデッチアゲも辞さないから、慎重な注意を要する。

 

でないと、

まあ、大概は、子ども側が言うこと聞かなくても しかたないほどの、くだらないことが「しつけ」の理由なんだろうけど、

その「理由」が、いかに くだらなくて、身勝手きわまる次元のものだったかを、当人に分からせないと、反省の段階に進められない。

 

うちの親父なんかも、たとえば、「ふろの掛け湯は何杯までにしろ」とか、そういう、守る必要も感じられない、くだらなくも、もの凄く細かい主張を してくるタイプだったんだけど(一事が万事で、カネにも細かいw)

最も原因になってたのは、やっぱり、お酒の問題。

 

それでも、壮年期までは、病気で入院することもなく(自分のルール違反による交通事故のときだけだった)、いたってエネルギッシュで頑丈なカラダだったから、私ら家族も、他人も、りっぱな「アル中」の域に入っている者だということには、なかなか気づかなかったの。

なんだかんだ言ってても、いちおう、仕事は行ってたし、管理職を務めてもいたし。

 

うちの母親も亡くなり、そのおりに、じつは、脳に異常が、という話を聞かされ
(うちの母親は、自分の店を経営してた時代に、交通事故で、頭を打って長期入院したことが あるので、そこからのものなのか、遺伝性のものなのかは、さだかでない。ただし、母親の姉妹たちは、生まれつき癲癇持ちとか、中年期に精神病を発症したということは ある)

今度は父親のほうも、いよいよ高齢になり、さすがに入・退院を繰り返すようになってからだ。親父の主治医の忠告で、ハッキリと「アル中」ですよ、と言い渡されたのは。

 

 

それからね、「脳が委縮する」という、虐待児に起き易いという現象。

これが、殆どのケースに見受けられる事実であれば、これこそが、虐待、折檻といった暴力行為の連鎖を引き起こす原因になってしまうのかもしれない。

 

まあ、委縮した脳で主張する、「この自分は正しい」「必要な躾だった」と言い募るのが、はたして真っ当で妥当な内容だったのかどうか、推して知るべし、というところだわな。

たぶん、ほとんどの場合、親側の無自覚で勝手な言い分に過ぎないだろう。

 

 

そもそも、自分と感覚が異なる人と常に一緒に居ると、ストレス溜まってしまうのを自覚してるからこそ、普通に、もともとアカの他人と結婚して、子どもの二人や三人も拵えて、一つ屋根の下で家族を形成する、
そのなかで、
自分の勝手な細かい主張に従わないからとて、暴力を振るってしまう者の感覚が、どうにも理解し難いのだが、

私なんかでも、けっこう細かいところが気になったりする神経質な面は あるし、だけど、その神経質さは、ほとんどの場合、畢竟、自分の感覚による つごうに過ぎないだろうし、他者は他者で、また異なる感覚を持っているだろうから、相手が子どもであるとか、生態の異なる動物に対しては特にだが、基本的生活上の問題に繋がるようなこと以外では、こっちの つごうによる細かい要望を押しつけたりしないよう、自分自身の身勝手や独り善がりに注意しながら律するし、

それが 成人どうしのあいだである場合なら、お互い、すでに自分なりのライフ スタイルを築きあげてしまってるだけに、致命的なほどの嫌悪を感じるレベルならば、可能なかぎり、距離を あける。

感覚や考えかたが大幅に異なる相手を、生活の伴侶には、とうてい選べないわ。
反面で、自分の主張を、相手に呑み込ませて従わせるのも厭なのでね、私は。

 

 

いわゆるサディスト・マゾヒスト、この両者は、同一にして表裏である。

他者を暴行するというのは、「私物視」「同一視」しがちな者が、自分自身を暴行しているのである。

すなわち、相手に対する暴虐・憎悪は、自分自身に対する暴虐・憎悪である。

 

ところが、やはり、自分は最も可愛いのが基底であるから、常に、無自覚のうちに、どうしようもない葛藤を抱えている。

「愛」と「憎しみ」も、表裏一体になりがちだ。

 

それらを誤魔化すのに つごうが いいのが、「躾のため」という単純化である。

だが、そんな誤魔化しが、ほんとうの心理的解決になるはずもなく、事態は延々と続く。

 

はまって抜けられない自分自身を憎悪し、その憎悪を、私物視・同一視している相手に向けていく。

ほとんどは、自分にすら逆らうことが できないはずの相手だ。要するに、「自己投影」。

 

やれば やるほど、アディクトの深みに はまる。

行くところまで行かないと、もの足りなくなる。

 

ものすごく醜悪な世界だよ、こういうのって。

 

ところで、全く知らないものを、「足りない」からと欲しがるだろうか。

少しは知っていて、全く知らないのでは なかろうし、

結局、

「足るを知らない」のだろう。

つまり、「餓鬼」の姿だ。

「餓鬼」というものは、エネルギッシュである。

 

 

うちの親父が、酒かっくらって、あるいは、必ずしも、お酒を飲んだからとは限らないところも困るんだけど、

とにかく、暴れて、私らに暴行し始めるときの姿というのは、
まさに「悪鬼」か、というほど、凄まじいものだった。

あの直前には、親父の全身が、ヘンな色に赤らみ、こぶしを固く握り締めて、仁王立ち。

 

母親を庇う私が必死で とりなそうとすると、ニヤリと、気持ちの悪い表情を浮かべる。

暴行を はたらいている最中は、まさに、「溺れている」感じなのよね。
邪まな快楽に。

 

学校時分の私が、あの親父、はっきり言って異常なんじゃないかと言うと、

母親は、

「シッ。異常だと決めつけると、かえって、それを理由に、ああ、俺は異常なんだからな、と、もっと ひらきなおりよるで」

と言ったものだ。

 

 

ここで、私なりの指摘を すると、

男性の場合、性行為と、単なる暴力行為というのは隣り合わせというか、かなり重なっていると見受ける。

だから、暴行したあと、セックスに入るとか、強姦したあと、嬲り殺すとか、ありがちなこと。

これと同様で、実は、食欲と性欲も、密接に繋がっているらしい。

 

ま、男性というのは、敢えて喩えれば、女性性の「足」を一本もぎ取ったような性ですから、良くも悪くも偏っているのは本当だと思う。良くも悪くもね。

 

 

心理学でも指摘されているようだけど、

「怒り」というものは、怒れば怒るほど、もっと怒りを募らせてしまうもので、これもアディクト、一種の「中毒」なのだ。

なので、「自己愛性人格障害者」なら、もろにハマるんだろうと思う。

 

これも、すでに言ってきたことだけれど、

この「怒り」にせよ、「被害意識」にせよ、常に正当・妥当な理由が あるとは限らないということを踏まえておかなければ ならない。

 

むしろ、そこの見極めが できないか、

分かっていれば尚のことで、ひらきなおってしまい、身勝手という邪まさに溺れてしまう人種も存在するということ。

 

まあまあ「普通」に平穏な人生を過ごしてこれた、もの知らずな人たちが、あらゆる社会的システムを担い、運営していくしかないのであるから、そういう仕事に携わっている「普通」レベルの人たちこそは、世のなか、こうした「度し難い」ほどの異常な者も少なからず存在するということを知っておかなければ いけないね。

 

 

ひとえに生育環境に発した問題が あったのならば、そこを解きほぐしていけば、本人の自覚を得ることは難しくないかも しれないし、社会的な対策を探ることも容易だが、

それだけではなく、生まれつきの性質・気質も大なのであれば尚のことで、本人に、自分自身こそが問題の最大原因であることを自覚させるのは、はなはだ困難だろうと思う。

でも、なんとかしないと。

 

われわれ市井の庶民としても、まずは、自分の足もとからだな。

 

「弱者叩き」して愉悦しているような国民では、解決は不可能だよ。

もっとも、
「ネトウヨ」というエセ愛国者は、この社会を劣化させることを目的として煽りに煽ってるようだけど。単に異常性格だから、自覚が ないのかね?

 

 

Updated   
2019.02.14 (Thu)

【続】「生まれぬが幸せ」の続き。

 

さて、最後になったが、本題。

 

哲学や宗教としてでは なくて、

あくまで法律としての面で考察するのであれば、現実的・実用的というのか、早い話で片付けられそうだわね。

つまり、相続絡みといった一部の場合を除いて、

「胎児には、人権は認められない」。

ということで、

はい、却下!w

となるんだろうけどね、ただし、日本では。

 

インドでは どうなんだか、調べてみても、わかんなかった。

古来、各種の宗教色が濃い国柄だし、

女性や女児の人権が、そうとうに混沌とした現状では、胎児の人権など考えてるどころじゃない次元かもね。

 

だけど、

そもそも、「意志表示」というものが できない者には、人権は ない、ということとなれば、意味深なことではある。

もちろん、現実的な問題も生じるし。

胎児でなくても、意志表示が可能でない人も存在するのだからね。

石原チンタロ爺さんあたりは、躊躇なく、人間としての範囲から外すのかも しれないけどw

 

 

ま、自分は生まれて生きて、いちおう満足してる、あるいは、幸せだ、と言える人は、素直に感謝しておれば いいことで、

自分よりも艱難辛苦を味わっている人を指して嘲笑したり、侮蔑したり、罵倒したりは、厳に慎むが よい。

そういう行いを見るにつけ、

「ああ、この者、ほんとうには、自分自身が不満タラタラの心であるのを、他者が そうであると見て、ケシカラン!と非難しているのだな」

と、見抜かれてしまうよ。

 

 

ところで、

「憂きことの尚この上に積もれかし、かぎりある身の」……

と、
ここまでエネルギッシュなことは、私は、よう言わんし、すでに、おなか いっぱい。

けれど、

誤解している者を多く見かけるが、

自殺でさえも、実際には「自由」とか「選択」では ないのよね。

本人としては、追い詰められ、のっぴきならなくて、まさに「不自由」ゆえのことなんだから。

しかも、

失敗したら、目も当てられねえ。

今度こそ、自殺を図る行為すらもできなくなって、カンペキなる不自由に陥る場合も ある。


 

 

「意志」って何なのか。「自由」って。

ほんとうのところ、そんなものが、われわれに あるんだろうか?

 

 

Updated   
2019.02.14 (Thu)

「生まれぬが幸せ」の続き。

 

かく言う私、
若い頃、『ウパニシャッド』に興味と共感を持ったことも あった。

ぶっちゃけ言うと、

いわゆる「カルマ」が どうこうといったことについて、頷ける気持ちが全く ないでは ないのよ。

だって、

それこそ、「生まれることを自ら選んだ」覚えはサラサラないけれど、

敢えて言えば、

親でもない、それとは全く別の、正体不明の存在に、

「ほーれ、あの愚かもん夫婦のとこへ、生まれに行ってやらんかーい!!早う行けー!早う行けーー!!そりゃーーー!!!」

蹴っ飛ばされて、泣く泣く、生まれさせられた、

ような感覚なら、なんとなく ある。。。(苦笑)

 

とは言っても、

私は、泣き声を あげるどころか、黙ったまま、

ほとんど死んでる状態で産み落とされた。

 

放っておいてくれたら、ほどなくして、きげん良く?死んでいったはず。

ほんと、リーヴ ミー アローンですわ。

そのまま死なせてほしかった。。。

 

しぶしぶ、生まれさせられたというか、蘇生させられてしまったのよw

とほほ。

おかげで、

最後の最後まで、あの愚物夫婦に つきあわされてしまった。

 

 

腹のなかに居るあいだにも、無知で愚かもんの不倫妊婦である母親に虐待されてる状態だったんでね。

酒責め、予定日が、とーっくに過ぎていても完全無視、

そのあげくが、

胎盤ズル剥け剥離で、栄養どころか、酸欠状態に晒されていたんだから。

 

体力なく、虚弱、おつむの回転ぐあいは常に、ぼーーーと停滞状態なのも、極限に置かれていた胎児時代と、続く大難産の悪影響が終生、つきまとっていたゆえだろう。

 

 

うちの親らは、特に母親は、父親と、その連れ子に対する強烈な不満から、

「出来損ない」だの「おまえなんか産むんじゃなかった、おまえのせいで、おかあさんは損してる!」

などと、罵倒し続けた。

 

すべてを見届けた いまなら、私は言えるよ。

「オマエさんらの、少なくとも、晩年、老後は、誰の おかげだと思ってるんだ?あーん?emoji

とね。

 

それを言っても しょうがない、それならば、そっちも、

「おまえなんか産むんじゃなかった、わたしは損してる」

などと、下劣なセリフをホザクな、ってことよ。

こちとら頼んだ覚えは ねえよ、と言いたくもなるわいな。

 

親子が逆転していて、母親を常に心配していたのは、娘である私のほうだった。

親父の暴行から庇い、あらゆる人からの抗議やイヤミにも、本人の知らないところで、私が謝罪していた。

 

 

さてさて、

人間は、「本能を逸脱」していると言われるほど、知能が発達してるだけに、いろいろと余計な、どうかしたら邪まな計算も入り込んでくるのよね。

子どもを産むことにも、「エゴ」が入ってき易いわけ。

 

たとえば、昔なら、

「最低でも、墓守を継ぐ者が絶対に必要だったんだ。だから、好きでもない相手と結婚せざるを得ないことも多かったし、子どもが できないというのは、大きな問題だった」

とは、
まさに、子どもが できない伯母の家に養子として連れ込まれた、実家の親父から聞いた話。

(せっかく、大金持ちの家に生まれたのに、田舎の貧乏人に、もぎ取られるように連れて行かれて、かえって迷惑な事態になったんでねw)

「跡取りが必要」とか、

「子どもが できたと迫れば、彼が結婚してくれるかも」とか「子どもを孕ませたら、俺のものになるかも」とか。

 

子どもを幸せにしたい、では なくて、

ほんとうは、自分が幸せになるためにと期待して産むんだ。ほとんどの者は そうじゃないかね?

もっとも、子どもによって幸せになれたよと思えるなら、それは それで、結構なことなんだろう。

 

 

「単に(子どもを)欲しかったから」という単純な理由は、最も素朴な理由だわね。

むしろ、それくらいのほうが好ましいのよ。

結婚でも何でも そう。

 

うちの親みたいに、あれやコレや、邪念と欲望を下地に、狡猾な計算を巡らして、というよりは、ずっと。

目的を持って、いろいろと事前に目論むタイプは、わたしゃ、鬱陶しい。不自然さが鼻についてしまう。

 

 

ただね、

「エゴ」で産む、ってのは、猿のように、人間と似た社会形態を持つ動物にも、多少は見受けられるようだ。なぜなら、

この あとのエントリーで再び取りあげるつもりだが、

子どもを多く持つこと、子育て経験が豊富であること、というのは、オス猿の生殖相手に選ばれやすい、すなわち、雌猿にとって、一種の「ステイタス」を得られる手段でも あるようだから。

 

母猿が、死んだ子猿の死体を、いつまでも未練がましく、それこそ干からびてる状態になっても連れ歩くのは、そのことにも関係していそうに思える。

 

次回のエントリーでも、例の『アンコール トム』で、社会生活を営んでいる猿たちの動画を幾つかピックアップする予定。
眼を背けたくなるような場面も あるけれど、
ヒト族の社会の原始を目撃しているかのような、とても興味深いものなので、ぜひ、見てみて、そして、考察してみて。

 

 

殺人であろうが何だろうが、それを行えたということは、可能だったからだ。

「この世」が許しているから、それを行える。

そこで、これも哲学的テーマとして取りあげられるのが、

「人を殺して、なぜ悪い?」。

 

しかし、それじゃあ、おのおの剣呑で困るんで、知性と理性が発達しているはずの人間は、あらゆるルールや法律をワンサカこしらえて、お互いに、身を守ろうとする。

そこからハミ出たら、または、バレたら、罰される。

それが、人間の歴史と社会。

 

 

「それを言っちゃあ始まらねえよ」としか言いようのない、くだんの訴えを掲げた男性の御両親ともに弁護士ということなので、

それで、裁判所を、言わば、親子ディベートの場にしちゃえ、というアイディアでも出たのかしらと思ったんだけど、

息子さんは、じきに30歳代に手が届く年齢、そのトシで、いまさら「論理的思考育成」も ないわいなw

【続く】
 

 

Updated   
2019.02.14 (Thu)

というのは、おシャカさまのコトバじゃなかったかと思ってたんだが、検索しても出てこないので、記憶違いかもしれない。

でも、ショーペンハウエルあたりが、とか言うけれど、錚々たる西洋哲学の大家たちよりも、ずーっと昔に、そういうことを喝破したのは、やはり、お釈迦さまだろうと思う。

とは言え、王子時代の彼は、すでに自分の子が いて、その後に出家したそうだけれど。

 

 

お釈迦さまと言えば、「悟り」。

ほんとうに悟りを開いたとなれば、以降、生まれようが生まれまいが、いっさい、頓着しなくなりそうなもんだがね。

生まれるも良し、生まれぬも良し、と鷹揚にw

 

 

「神」なるものを希求するのも、人間ゆえだ。

人間は、他の生物と比べ、知性が非常に発達しているので、意味のないものには耐えがたい。

快楽に理由は なくても よかろうが、
苦痛を伴っていれば、理不尽さや無意味さには耐えられないからだ。

 

およそ宗教というものは、源を、肉体ゆえの煩悩に発する。

だから、

大概、どの宗教の戒律を見ても、

肉体の超克

を目指すようなものが多い。

肉体こそが、この世を「苦」ならしめているからだ。

 

もちろん、そこへ、快楽というものも多少なりは加わるのだが、

圧倒的に、「苦」の存在が大きい。

 

 

「生まれるの、やめときまっさ」

と流れていった胎児の話は、芥川の『河童』に登場するんだっけ?

 

 

「本人の同意なしになぜ生んだ?」インドの男性が両親を告訴へ

2/7() 17:26配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190207-00010006-huffpost-int

 

うん、まさに好事家的というか、高等遊民的な、そしてナンセンスな提案では あるだろうけれどもw

これってのは、永遠の哲学的テーマとしての典型よね()

ほとんどの人は、若い頃に、一度は考えたことあるんじゃないの?

 

あるいは、この「自分」とは何か?とね。

まあ、これに関しては、イタリアか どこかの学者さんが提唱したらしいが、ある一個の肉体の内側を通して見たり、聞いたり、触れたりなどすることによって、これが自分で、自分そのものである、というふうな感覚が できあがっていく、という説が、私は、もっともだと思う。

ある意味、「自我」って、その程度なんだ。

脳という、肉体の一部をチョチョッと弄っただけで、記憶・性格・気質までもがコロッと変わってしまうそうだし。

 

このことは、いつぞやのエントリーでも少々触れたけど、

「リサイクル」。

少なくとも、「この世界」では、おそらく、すべてが物質ゆえのことなのだ。

もちろん、肉体も、そこから生じる心の動きも、この物質世界ゆえの現象に含まれる。

 

 

さて、この記事に付いた「主コメ」の一つには、そして、諸手を挙げて賛同している大量の「従コメ」にも、心底、呆れてしまった。

同意ができると考えてるなら拒否もできるはず

それは違うよおw

チミたち、はなはだズレてるよww

まったく分かってないね。やれやれ。

 

だって、

同意するも拒否するも ないじゃん。

そもそも、ハナから聞いても聞かれてもないんやがなw

 

ふつうに、われわれの日常生活のなかでも、基本的として心がけてると思うけど、

当事者本人の同意を得てもいないのに、勝手に実行するなー!

ってことでしょうよ、言いたいのは。

 

でも、それが罷り通っちゃうのよねー。

 

「本人の同意をー」云々とメクジラ立てるのは、

たとえば、「神」の存在を求めちゃう心情と同様、あくまでも人間ならではの、そして、その社会におけるものであって。

自然の摂理は、そんなことに お構いない。

「出物腫れ物ところ選ばず」ぢゃwww

 

 

およそ哲学の初歩レベルのショッパナから、外れてしまってる代表的な思考停止コメントを挙げてみると、

「無よりは有であるべきだ」なーんて断定しちゃってるコメント投稿者ねw

チミは、哲学的センスを持ち合わせていないのだから、こういう話題には参加しないほうが無難だわよww

 

根本的に、

なぜ、「無では いけないか」。

なぜ、「有のほうが良い、望ましいと言えるのか」。

ほれ、答えてみな?wほれほれww

 

哲学というものはね、何ごとも、徹底して根源根本を考察するの。

あってアタリマエの感覚を大前提には しないのよ。

そこに、自力で気づけない人は、そもそも、自分は哲学的センスを備えていないんだと悟ったほうが いい。

 

 

まあ しかし、このように、

「同意を得ていなかった」こと、すなわち「拒否しなかった」ことにイコールであるとか、「同意が できると考えてるなら拒否も できるはず」とかいう、のっけからズレズレなコメには、「完璧な論破」と称賛の列だわ()

 

案の定で、見るからに「ネトウヨ」まる出しなプロフィール画像を掲げてるところを見ると、しょせん「ヤフゴミん」は、このレベル。ぜんっぜん、哲学方面の適性ゼロwわかってたけど、あらためて、ため息が出るww

 

無理して、こういう話題に参加し、滑稽なくらいにズレたコメント投稿するのは よして、気が狂いそうなほど大好きな「特ア」関連とかミリオタ向きの記事にでも飛びついてろよ、いつものようにw

あさはかが剥き出しになってる自覚もないんだから、哀れさえ もよおしてくるぞww

 

それとね、

「精子」も「卵子」も、おとっつあん、おっかさん、それぞれのカラダが持つ機能や生理反応の一部でしょ。

そこの「ヤフゴミん」ら、わかっとるかい?

なぜに、
おとっつあんの「精子」が、おっかさんの「卵子」目指して突進して行ったのは、まだ胎児にすらなってない、その時点では影も形も ありゃしない自分自身が突き進んで行ったからで、それ自体をもって「同意した」と見做せる、なーんて、えらく支離滅裂なことが言えるんだよ
(^_^;)

 

父・母と自分の違いは分かるかね?

もしかして、同一視してるんかな?

「ネトウヨ」や「ウヨ」の特徴的思考回路だからなあ、自他の区別が曖昧模糊で、つい「同一視」してしまう傾向性が大というのはw

 

それと、
「ネトウヨ」らは、子どもを産むのは、愛国の義務!みたいに思ってるらしいから、そりゃあ、生まれることに文句を言うなんて、「不孝」で「不忠」で、けしからん非国民!と思うんだろうなw

 

まっ、「ヤフゴミ捨て場」は、いわゆる「ネトウヨ」系の巣窟、
こんな思考レベルの連中に、およそ哲学的考察なんざ、ハナッから無理ムリ!(ヾノ・∀・`)ムリムリてなもんだけどw

 

辛うじての救いは、せいぜいのところ一人か二人か三人くらいかな、
まずまずな解釈を してるのは、しかし、そのコメントには、青ポチわんさかw

 

 

もう亡くなられたが、生前は個性派で鳴らした、ある有名俳優さんは、

「子どもを産み落とすということは、この世にツバつけるようなものだ」

と おっしゃってたのを思い出す。

 

もう一つ、思い出すのは、

おとうさんが、たしか、黒人の米兵だという、(もと?)女子プロレスラーの何と言ったっけ、名前は失念してるけど、
彼女が思春期の頃だかに、イジメの原因になってたということで、

あるとき、おかあさんに向かって、なぜ勝手に産んだんだよ、と文句を言った。

すると、おかあさんは、

「ああ、勝手に産んだよ、それが どうした」

とピシャリ答えたんだと。

 

そのことを取りあげて、

むかし、例の『汚気・愚』で、「生まれぬが幸せ」についての質問投稿したことが ある。

 

あそこのサイトでは大概、何のつもりなのか、いきなり噛みつかんばかりの凶悪な回答者が出てくることが多々あるんだけど、

そのときも、おそらく、回答している自分自身が、親として忸怩たる状態に あるのか、または反抗期の子どもに手を焼いていたのか何か知らんが、

えらく無礼で屈折しまくったオッサンが、さっそく乗り込んで来て、さんざんヒステリックに八つ当たりの説教したいほうだいしていきよったことが あった。

口先で説教している内容と現実のあいだに、大きな乖離が あるんだね、ということが窺えるってもんです。

 

 

【続く】