2020.02.03 (Mon)
大阪憎し!在日韓国・朝鮮人憎し!のイメージ濃厚な『産経』シンブンwが、またまた大阪の悪口を、多数雇ってるらしい在日の記者さん使って書いとるのかと思って覗いてみた記事が ありましたがww
「がーん」と同じくでw「冷コ」は死語?という話題だった。
うちのブログでも、新年の二日に、「冷コ」のことをホンの少し話題にしたエントリー『「幻想小説」』をアップしたけど、
そうね、「昔ながらの喫茶店」というやつが減ってるという実感は あるな。
落ち着いた雰囲気、椅子も ゆったり、食事系も美味しい、そんな喫茶店、私は今でも好きですわ。しっかり分煙されてたら、もう上出来。
大阪の喫茶店名物とも言えよう「ミックス ジュース」「ミックス サンド」また「スパゲッティ ナポリタン」にせよ、どこか家庭的な温もりが ありつつ、やっぱりプロの味で、ほんとうに、いつも美味しいね。
喫茶店って、私の若い頃、たしかに、会社の「会議室」代わりに利用したり、場合によっては面接のときに使ったりもしたもんです。
なかには、個室を備えている老舗も あるそうな。
近場で、マスターと馴染みだったら、いや、そうでなくても、かなり長居していても、大らかに「放置」してくれたりね。
もっとも、学生街の、とかじゃなく、貧乏学生でもなければ、客のほうも、ある程度の時間が経過したら、自分から追加のメニューを頼んだりするけど。
これは もう、だいぶ前のことになったけど、過去エントリーにも書いたか、『難波』駅前から『心斎橋』へ続くエリアに あった『平野屋』さんが なくなってたのは、まじでショックだった。
あの、すばらしい「コーヒー ババロア」は、もう食べられないの?
と、泣きたくなったくらい(苦笑)
あとには、何やら いまどきのチェーン システムの食べ物屋が開店していて、風情も何も なくなり、腹立たしくさえ あった。
『平野屋』は、若い頃、映画鑑賞や買い物帰りなんかで通りかかったら、母親あるいは友人と、時々利用してたんだけど、ここって、どこか独特の内装と雰囲気で、そうとう古い喫茶店だったようで、うちの母親が娘時代にも、友人たちと、よく入ったと言ってた。
むかしの同僚の男の子が、学生時代に、友人たちと行きつけの喫茶店へ入るたび、テーブルに備え付けの、お店オリジナルの灰皿なんかを、皆で、制服のポケットなどに隠して盗みまくり、しまいには出禁になったと言ってた、真面目なんだか不良なんだか判然としなかった あの美青年、いまではスッカリおっさんになってるだろう、どうしてるやらw
父親違いの姉が幼稚園の頃、母親と別れ、自分の父親のもとへ去ってから、向こうの家で、すでに同棲を始めていたという内縁の後妻が嘆いたらしいんだけど、
自動販売機なんかのジュースを買って飲ませようとしたら、姉は、
「ちゃんと お店に入って、椅子に座ってからじゃないと、お行儀わるいもん!」
と言い張ったそうな(笑)うちの母親が、さも自慢そうに言ってた定番話の一つ。
最近、「タピオカ」というものが大ブームになって、それと共に、ゴミ処理の問題が酷くなったと指摘されてるのは私も知っているけど、
ハイティーンくらいの頃、テレビが、都会か観光地での繁華な街の通りを映し出したとき、茶の間で一緒に眺めていた両親が、
「今どきの者は、憚りもせずに歩きながら飲み食いして、行儀の悪い」
と苦々しい顔で批判した。
親父なんかは、
「こういう風潮はな、戦後に乗り込んできたアメ公の影響なんだ」
と吐き捨てるように言っていた。
親父は、やっぱりテレビなんかで、リスが木の実を両手で持ち、ちょこんと座って食べている光景を見ると、たちまち相好を崩し、「行儀が良いな」と褒めちぎっていたw
蛙なども可愛いと思う理由は、「きちんと座って、行儀が良いから」だとさww
自分自身を振り返ってみろやと言いたいがwww
まあ、世間の おとうさん族に多いらしい、パンツいっちょうで、家のなかウロウロとか、おならコキまくったりとかは、ぜったいにしない人で、行儀そのものは、まあまあだったけど。
酒乱じゃねえ。一切が台無しだわねえ
むかし、うちの母親が子ども時分の同級生と、通院先でバッタリ会ったら、喫茶店の経営ってのは、「モーニング」やら いろいろサービスしてるけど、利益を出すのが大変なのよとボヤいてたそうだ。その人は、実家の お店を継いでたのだが、そろそろトシだし、病気になっちゃったから、たたむつもりとか言ってたらしい。
昨今は、うちの居住地域でも、最寄りの駅前などに、まだ何店か辛うじて残ってるけど、逆に、市の中心部の駅前に行くと、せっかく洒落た構えの洋菓子・喫茶の お店が、数年前に潰れてたし、私が幼い頃から何度か入ったことのある、ここいらでは老舗の喫茶店が、先日、なくなってたのを見て、ちょいショックだった。この数年で、目につくことが増えたよ。
さて、「冷コ」の話でした。
私も、二十歳ごろまでは、このコトバ、知らないままだった。
それって、たしかに、いわゆる「バブル時代」の頃では あったけれど。
しかしながら、わたしゃ、兼好法師の おっしゃった、「奥ゆかしい」部類の人間でしてなw
ほとんどの場合、「最先端」的な物事については全般、疎いことが多いんですわ。
むしろ、こういうふうにしたら良いのになあと、かねて思ってたら、数年も遅れて商品化されたものが世間で出回ってきたりとかいうことは あっても。
代表的なのは、パソコンを、家庭で使うため購入したのが、世間さまよりも10年は遅れ、インターネットのアレコレにも、ほぼ無知、「複アカ」だの「なんたらチャンネル」って、それは なんですか?状態。
それまでは、会社の仕事くらいでしか触ったことが なかったので。
だから、あの「カルト連」の悪行には、最初キョトンとしてて、事情が分かり始めた頃には唖然呆然だったわけ。
さてさて、
あれは、やっぱり二十歳の頃。
母親の知り合いが経営してた喫茶店でアルバイトしてたときに、初めて、お客さんの注文を取りに行って、
「冷コ」
と言われ、は?となったもんでした。
そう、あの頃、バリバリ若者だった私だって、「冷コ」の意味を知らなかった。
家では、そういう類の流行コトバは使わないし、聞いたことすらなかった。そういう実例も あるんですよ。
初めて耳にしたときは、業務用のコトバなのかなあ?という印象。
「冷コ」だけじゃない、たしか、「アイミティ」なんてのも あったかと。リスカじゃなくてw「レスカ」てのも。
もちろん、よりいっそう、はあ??ですわ。
私は聴障だから、まーた聞き間違えたかな(汗)と思ったんだけど、
常連らしき お客さんが、
「ああ~、この子、意味を知らないんやぁ」
と、お連れさんに、苦笑しながら言って、私のほうに向きなおり、本来の正確な名称を説明してくれました。
ふしぎなことに、「ホット」というと、自動的にコーヒー(熱い)のことになるよね。
けっして、「ホットコ」や「ホッコ」でもない。
「冷コ」に対して「あつコ」にもならない(笑)
『スタバ』や『マクド』『ミスド』といった所も、私は、これまで、十本の指で数えきれる回数しか入ったことないと思う。
最新式で、いわゆる「セルフ サービス」の店なんかだと、どちらかと言えば、いまだに慣れないもんだから、うかうか一人きりで入って、初めてだから、店内システムの説明を、店員さんが早口で言ってくれても、聞こえなくて何度も聞き返すハメになったことが あり、以来、連れが いないときは、あまり、足が向かない。なので、いまいち慣れないまま。
『スタバ』がブームらしいことは、なんとなく聞いていて、初めて入ったのは、これも、かれこれ20年前だったか。
叔母が亡くなった、あとの始末に、大阪から東京方面へ何度か出向き、やっとこさ、きょうで最後の日となり、叔母のパトロンだった おじさまが、前夜も、和食の お店で、松茸フルコースなどを奢ってくださったのに続き、
「いよいよ、これが最後ですから、どこかで休憩しましょうよ」
と おっしゃったので、私は、通りすがりの『スタバ』を見て、あっさり、ここにしますぅと言った。
入ってみたら、圧倒的に若い人で満員。やっと、二人で座れる席について、私は、ふうん、と、店内を見回していたら、おじさまは、私を見つめ、
「あなたの叔母さんは、こういう店には入りませんでしたよ」
と、哀しそうな顔して おっしゃるのよ。落ち着けなかったのね。
どうやら、最後の最後まで、「きちんとした」和食の お店あたりに入りたかったらしい。
それから、ほどなく、おじさまとも、今生の お別れとなりました。
ご病気のことは、いちおう知ってたけど、あんなに あっけなく亡くなられるとは予想してなかったので、成城の お屋敷に預けっぱなしになっている、有名画家の絵を返してもらう手立てが なくなってしまった。
離れの茶室などに過去から何度も空き巣が入ったらしいので、あの絵も、もう やられてるかもしれない。とほほ。。。
帰れ~、きみ、『馬上の恋人』、われのもとへ~♪
ま、こういうことが あるから、有名画家の作品が、杳として行方不明になったり、長い時を経て、とんだ所から発見されたりすることが あるんだなあと思う このごろ。
なつかしの喫茶店、「冷コ」…
罪のない話題の一つとして、しかも、期せずして社会情勢をも織り込みつつ、誰でも気軽に参加できて盛り上がりやすい話題ですね。
「喫茶店と言えば」の定番メニューに挙げられるうちの一つが、クリーム ソーダ。
ユーミンの歌に、『ドルフィン』という名の喫茶店いや、レストランだっけ、ソーダのことが出てくるよね。あ、ソーダ水だな。
…アイス クリーム、プリーズ!(笑)
透明な緑色とバニラ アイスの黄みがかった白がキレイな取り合わせだなあと、子ども心に思ったもんでした。
まずはアイス クリームを一匙すくい、できるだけ濁さないようにソーダを飲み、しているうちに、どうしても、柔らかく淡いパステル グリーンに変化していく。貨物船が通っても、見えなくなるw
もうン十年前になったが、『小田急』から『江ノ電』と乗り継いで『鎌倉』に向かっているとき、ふと、『天気雨』の歌詞が浮かんできたのを憶えている。
ユーミンさんがデビューした頃って、私まだ子どもだったので、知らないまま20歳代になってから初めて聴いた。それまでは洋楽方面にドップリで、日本人の楽曲には殆ど関心が なかったので。
では、喫茶店にちなんだ懐メロを どうぞ。
松任谷由実『海を見ていた午後』
石川ひとみ『まちぶせ』
ガロ『学生街の喫茶店』
~あのときの歌は聞こえない。人の姿も変わったよ~
2020.01.22 (Wed)
『「楽観性」とは』の続き。
ついでに、
トランプさんの いわく、「悲観的な予言者」云々について。
以前、キューバの故フィデル・カストロ氏のことを評し、かのゲバラでさえも心底から呆れるほど「徹底的に楽観的な人」だったということを、うちの過去エントリーで取り上げてある。先日のエントリーにも再掲している。
ゲバラについても、その並はずれた意志力と活動性には、幼い頃からの喘息を持病としていたため、服薬歴に、なにがしかヒントが あるのではと考察してある。
フィデル・カストロと、トランプさんの言う「楽観性」には根本的な違いが あるね。
その出発点の違いを考えてみよう。
楽観的なと言うか、楽観的で いられた人というのは、その共通性として、まず、猛烈にエネルギッシュ、それだけで恵まれている人が多いだろう。
なんせ「楽観的で いられた」んだから。
うちの親父なんかでも、それに近いタイプだった。
そのわりに、ちまちまとヘンなところで神経質だったけどw
まあ、暑苦しいタイプww
先天的な心臓の弱点が少し あったりは したが、浴びるほど大量の飲酒や喫煙が できるという、言わば「アディクト」に耐えられること自体、基本的には体力が あるからこそだろうと思う。いまの時代こそ珍しくもないが、かなりの長命だったし。
そんな親父の体質に似た面も あるはずの私なんか、無理。同様のことを したら、死んでしまうだろう。
もっとも、晩年の親父は、お酒は やめられなかったものの、禁煙だけは実行していたが、そこに至る前には、友人に勧められた「禁煙飴」というものを大量に しゃぶり過ぎて、体重が激増、
しかも、なかなか やめられないタバコと交互に口にしていたものだから、「あんたは、よっぽどシツコイ性分やな!!」と、母親に怒鳴られていた話を、過去に述べたかもしれない。
母親のほうだって、病気の問屋を自称していたわりに、食べることが大好きで、したがって、料理も苦にならない。自分で厨房に立つ割烹料理店を開いたくらいだ。
両親とも、いわゆる「精が付く」という食物を、ふんだんに、滞りなく摂取できる。
私は、それも、なかなか困難。
出産なども そうだが、いずれも、それらを こなす基礎的体力自体は備えているということだろう。
私の考えるに、基礎体力と持病とは必ずしも関係ないのかもしれないと思う。
両親とも、最後の最後は、自分最優先、それを遠慮しない。
そのために、利用できる者は利用することを憚らない。
彼らは、それを、自分は当然に持っている資格であるかのように思っていた。
家庭環境に恵まれなかったせいか、その他の面での有利さには自負心が強く、
それでも、なお心底に、「被害意識」が横たわっていたから、常に、「損を させられてなるものか!」と警戒し、防衛意識を強化し続けていた。子に対してさえもだ。
必ず、何かと引き換えに運ぼうとする。その自覚が ない。
ほんとうの、掛け値なき全き善意は、難しい、
そういう自覚が なかった。
親と子においては特に、最も密接な利害関係者なのだ。
「さても、まことに、成ること難し」だ。
「楽観的で いられた」からこそ、「哲学」から遠く、そんなものは不要とし、世俗の価値観などを、つゆ疑う必要もなく、どっぷりと従い、多くのことは、深く考えないで済ませられたのだろう。まあ、あくまで、多くの人々の場合は、だ。
まあ、「悲観的」ばっかりの男性も、魅力に乏しいかな?(苦笑)
かく言う私だって、いくつも背負ってきた重荷のなかで、せめて、障碍を背負わずに済んでいただけでも、こんなブログ、全然、やってなかったと思う(苦笑)
ずっと前にも言ったことだけど、
生来のほほん、ノンキさに輪を掛けて、中途半端な思考で満足し、軽佻浮薄・軽薄短小な人間のまま、年齢だけ重ねていたことだろう。
また、そのほうがラクだったには違いない。
自分自身の面前に差し迫ったことでなくても、真剣に考えることが できる、こういう人は稀有な人なのだ。
トランプさん、実際に、生き残れない人(それは、われわれも含めて全員なんだが)その個人にとっては、その時点で止まる、まぎれもなく「世界の終わり」なんですよ。
あくまで自分や自分の周辺だけは、このまま生き残れると、根拠なく固く信じているから、「終末」や「世界の終わり」なんか ない、というのは、
それは楽観性では なく、単なる幼児的ウヌボレです。
まあ、「自己愛性」に必然として伴うものでは あるけれど。それが なければ、誰も、子どもを産もうとは思わないだろうしw
たとえば、
原子力をコントロールしてみせるのだ!これが人類のチエなんだとリキんでみても、必要なことを「コスト カットしたったぜ!俺って有能だろ!どーだ!!」
とか鼻高々で言ってたら、
どっかーーーん!!!
…
あらゆる災害などによって、「断末魔」の果てに亡くなった人の、最後の思いを、生きて相変わらずメシ食ってナニ出してる者に分かろうか。
「断末魔のなかで死ぬ」ということが、どんな思いか。
そうなると知っていて、誰が、子を産みましたか?
知っていても、産みましたか?
当事者には、このうえなく残酷な質問だろうけどさ。
この前のエントリー内で、私は、こう言いました。
「自然界の(人間にとって)『不条理』『理不尽』と闘っては倒れ伏し、起き上がっては闘い、また倒れる、それを歴史としてきた『人間たる』の本来やむことなく、飽くなき希求からドンドン遠ざかり、そして、
手の施しようもなくなった「カオス」の濁りを眺めて、力なく立ちつくすだけ←いまココ。」
いまからでも行動しさえすれば、闘えば、こんな現状と先行きの不安を少しでも変えられる、改善できると信じられる、これこそが本当の「楽観性」。人間の歴史。
そのようにして、ヒト族の知性は発達・発展してきた。
グレタさん17歳になったのね。
遠い日、同じ年齢だった頃、
「環境に良くないよ?」と言うたびに、「うちだけ気にしてもムダ!」と、親に無視されていた私は、彼女の主張について、いまだに殆ど知らない。
頻りに批判するオトナたちが言うように、ただ極論だけを主張しているというのであれば、それは問題だろうけれども、
批判側のオトナたち自身も、これまた極論を主張しているのでは ないのかな?
なんと言っても、これから、まだまだ勉強を重ね、成長していく若い人だ。
とにもかくにも、弱冠16歳から、世界に飛び出した行動力、その怯みのなさに感心する。
2020.01.22 (Wed)
『「長期政権には、すり寄り」』の続き。
職業柄なのか、生まれつきの性分なのか、ヘンに こまかいことに拘って警戒する親父とは また違い、うちの母親のほうは、わりと豪快と言うか大ざっぱな面も あって、あまり普段からコマコマしたことばかりは言わない人だった。私も、どっちかと言えば、そういう点は似たんだろうけど、
ただ、飲食店を経営していて、一人で切り盛りするには忙しくなってきた頃、手伝いに雇った女性が、毎日、お子さんである女児を連れて来て、その子の要求のまま、店の冷蔵庫からチーズやら、おつまみ用の食品を取り出して与えるので、
おおかた、家計が苦しいのだろうからと見逃していたら、どんどんエスカレートしていき、遠慮会釈なくなったらしい。
商売の品を勝手気ままに消費することが頻繁過ぎ、女性への報酬以外に、子どもさんへのケーキなどまで渡していた母親も、さすがに、大目に見ることが できなくなり、辞めてもらったことが あった。
見るからに、つましい雰囲気で、地味な女性だったが、図太い子連れだったなあ。。。
そのかわり、うちの母親は、非常に、自分への称賛を求めてやまない人だった。
自分一個のプライドを傷つけられたと思ったら最後、ぜったいに許さない。
どういうわけか、私や親父ら家族のことは、自分から徹底的に侮辱して楽しむシュミが あったけどw
やっぱり、「敵・味方」の区分けが激烈なところが あって、
それでいて、称賛を求めたい相手には、調子よく取り入るし。
でも、それを自覚してないようでもあった。
「自己利益こそは正義」と信じていることに無自覚だったんだろうか。
自分にとって、つごうの悪いことは頑として認めなかった。
さて、
「権力」というラベルが貼られた砂糖壺に、蟻の如き人間どもが群がる。
そういう手合いは、いつでも どこにでも いますわな。
問題はね。
商売では ない、公組織の、それも国家レベルのトップともなれば、「自分さえトクできれば」ということではダメなんだが、それこそ「類は友を呼ぶ」でね、
安倍政権が、これを最も具体化して見せつけてくれたわけだけど、
アベシの嫁さんが、何を言っていたか。これも皆さん、忘れてるのかな。
私は、このブログで何度か言ってきてるんだけども、わかってない人が まだ多いようなので、もういっぺん言っとく。
アベシの嫁さん、昭恵さんね(漢字、合ってるかな?w)彼女が、いみじくもバラシてたじゃないですか。
「私たち夫婦を利用してね」
と常々主張し、宣伝してきたのだと。
まあ、あの奥さん個人は、(悪い意味で)単純なだけかもしれないけどw
あくまでも彼女ら側にとって「良い活動」のために利用してちょうだい、
と、そのうち明るみに出た一つが、例の『森友』事件だった。
「ご利用ご利用」「利用してちょうだい」
ってのは、要するに、
「すり寄ってちょうだい」
ってこと。
【続く】
2020.01.22 (Wed)
然り。
識者や専門家のセンセイに、今ごろ指摘されるのを待つことなく、当ブログでも言ってきたことだけど、
とかく、
権力に類する者には、自己利益を期待する者が すり寄ってきますわな。必ず。
当人らは、それを何ら恥ずかしいこととも思わないのよ。
かわいい可愛い自分がトクすることこそが正義と、骨の髄まで思ってるんだから。がっちり喰らいつく。
価値観になってるんだな。
こないだも言ったわよ。
自分がトクするかどうかを、気にも留めない者は、小バカにされるくらいなんだと。
こいつ、あたま悪いのかと思われちゃうからw
ま、価値観や行動規範が違うんだよね。もっとも、「自己愛」なんて、誰しもだが。
しかしながら、「貪欲」度合がね、根本から違ってるんだろうなww
えらく単純な例なんだけど。
私は20歳代の頃、営業の仕事も経験しました。
女性の飛び込み営業って、男性に比べて、格段に危険と隣り合わせだし、私は初心者でもあったから、女性どうし二人で組んで、アポ先を回りましたんやけど、
組んだ相手は、もともと、私を勧誘した人で、ほとんどの場合、飛び込みのアポは、聴覚障碍者の私の代わりに、概ね、事務所の人でなければ、その女性が電話して、なんとか約束が取れたら、そこへ向かう段取り。
ある日、彼女が以前から知っている人の所へ向かうことになり、アポ先の人は、いちおう経営者で、われわれが女性だからということも あってか、お昼どきだし、近場で食事を奢ってくださるということで、レストランへ入った。そこで、先方の男性が、お手洗いか何かで中座した隙に、私は、がぜん、メニュー表を手に取り、大急ぎで、すべてのメニューと、その値段を比較にかかりました。
それを見て、連れの おばさん、ププっとフきだし、
「あんた、なに焦ってんのよ?ここぞと、いちばん高いの頼もうと思ってるでしょ!」
と、ニヤニヤしてる。
私はね、体質も あって、そもそも食べられないものが少なくない、その上で、少しでも安いメニューを、と思って、急いで調べてたの(笑)
だって、忙しい人の時間を奪って、営業しに押し掛け、しかも、ごちそうになるんだから、高いものを頼むのも、もちろん、気が引けるし、さりとて、安いものを、というのも、かえって失礼かと、いろいろ考えて、どのへんが頃合かなと検討してたわけよ。
連れのオバサンは、その理由を知って、呆れた!という顔を した。
そして、即座に言い放った。
「そんなもん、遠慮なく、いちばん高いものを頼めばイイの!!」
と。(爆)
自分で言ったとおりにしていたし、私にも、同じことを強制した(爆)爆)
なるほど、
そのオバサンは、別の場所で私と出会って、まだ浅い関係だったんだけど、いったい私の何を見込んだか、営業の仕事に勧誘されてからのち、プライベートにも深入りするほどに、ずうずうしくて強欲な人だということが知れましたよ(苦笑)
本人は尽くしたつもりの内縁の男に捨てられて、一時は、自殺するの何のと大騒ぎ、うちの親まで巻き込んだり。
んで、最後の最後は、私の分の報酬まで横取りして、トンズラこいてくれましたもん。
まっ、思い起こせば私も、いろ~んな人に遭遇して、困惑したり観察したり、いろいろ経験・体験しました。ある種の「人間動物園」ですかな。
なかでも、いちばん困惑し、違和感が拭えないままに終わったのは、実は、家族や親だったりして。
もっと若かった頃のアルバイト先では、これが また、あつかましい来店客の、連れてきた子どもに、伝染性の病気を移されてしまい、私は、もとが弱い体質なもんで、たちまち悪化して、結局は救急で入院したんだけど、
その間に溜まったというか、店長がメンドクサがって溜めまくった帳簿を、私に何とかしろと押しつけてきて。
その後、間もなくして、全く別の職場に変わったのに、
それでも なお、くだんの帳簿を処理し終えるまで、私が抱えておりました、はい。
基本的に「お人よし」なんでね、わたしゃw
親を始め、周囲の連中ほぼ全員からは、あほバカまぬけ呼ばわりされてましたわw
でも、こんな私の おかげで、まず、あの家あの一族からして、家族どうしの凄惨な事件を起こさないで済んだんだ。それを、誰一人として分かってないけどね。
だいたいが、私が奇跡的に生まれてなかったら、実家の親や兄弟・姉妹とも、その後の人生は ない。
真逆で、自分の兄弟姉妹の全員を、この世の地獄に突き落とした母親は、もっともっと早くに、不本意なまま、恨みを抱えて死んでしまったろうし、
親父は、すさみきった生活のなかで、皆から持て余され、酒壜かかえて息絶えたことだろう。実の息子にブスリとやられて。
まあ、いわゆる「たられば」で終えたこと自体、あの親らの強運ぶりでもあったか。
子ども一人に全ての犠牲を押しつけにしなければ ならなかった程度の、スケールちっせえ人生だったけどな(嗤)
で、
そのとき転職した先の同僚は、押しつけられた帳簿の話を聞いて、当の私よりも怒ってさ、
「前の職場に突っ返しに行って、そのまま無視しなさいよ!なんだったら私が話を つけてあげようか!」
とまで言ってくれたけど。
まあ、マヌケで、お人よしだった私自身、このトシになってみたら、若い子が、もしも、そういうハメになってるのを聞けば、やっぱり、自分のことのように怒っただろうw
こんな私みたいな者でも、公的施設に勤務時、かなり高額の税金を取り仕切ってきた経験から、それ(すり寄り)は多少なり実感したこと、先日のエントリーで言いました。
ここで付け加えると、
その公的施設では、前任者の自己つごうで、何もかも うっちゃらかして仕事を中断した状態だったので、いちばん大事な仕事である、帳簿管理が、おかしなことになってて。
それを、新入りの私が真っ先に、引継ぎ一切なしで、緊急処理しなくては ならなかった。
私はね、自他ともに認める、数字に弱い人ですよ?(苦笑)
そこで、うちの親父が、まがりなりにも(?)w経理の専門でしょ、この親父に、私の勤務先の施設まで、足を運ばせ、問題の帳簿を見てもらったんだけども、
何が原因で、こうなってるのか、ワカランなあ~、と言ったきり、首かしげるばかりなのよ。
どうにも埒が明かないので、いったんは親父を帰らせた後、私は自分で電卓たたきながら追究しました。
そして、原因が判明した。
「ちっ、なんだよ、あの役立たずの親父」と舌打ちしたもんだ。
この一件を思い出すと特に、
私の これまでの人生ってのは、結局ほぼ自力だけで解決しないとならなかった、
しかも、そもそもは、他者(特に親)が拵えた原因によって。
つくづく、そんなケースが異様に多かったなあと、感慨にふけるところ。
【続く】
2020.01.20 (Mon)
『まさしく「暴力団国家」」』の続き。
戦後政界史上でもダントツの弱者叩きと庶民イジメを繰り返し、その一方で、公私混同、自己利益誘導を憚らない、腐れ安倍政権を高く支持している、「屠殺屋・肉屋を支持する豚」的、ありえないマゾ国民からは、
現政権の政策や施策の多くに対して「反対」「納得できない」という尤もなパーセンテージが高いのに、しかも同時に、「政権支持率」も高いなんて支離滅裂な結果が出る。
いやいや、待てよ?
「ダブル バインド」これを向けている、その先の対象は、
ひょっとして安倍政権か!?
納得できない、信頼できないよ⇔でも支持しているよ。
なに?これ
永遠のグルグル。
「支離滅裂なパーセンテージ」を弾き出した、それが本当の掛け値なしの事実であるなら、
すでに指摘されてきたように、大手紙や各メディアの調査方法の裏側で何らか小細工している、否、けっして、そうではないのであれば、
これは もう、
日本の多くの国民・一般有権者は、いまや、キテレツ国の、オツム分裂症国民になってしまったとしか思われぬ。
こうなったら、政治屋やヒラメ官僚を信じられないことなんかよりも、もっとずっと悲しく、恐ろしいことだ。
私は早くから危惧し、日本国民の「感情鈍麻」傾向の深刻化を指摘してきたが、
いずれ、そのうち、恐ろしい結果を招くに違いない。
かつて、「クレイジー!」「精神年齢12、3歳!」とか言われてきただけあってwもともと、あまり論理的とは言い難い国民性だしね。
しかも、大多数は、やっぱり無知、不勉強だもの。
直感、直観力が生まれもって鋭敏なら ともかく、凡庸者が不勉強のままでは、見識も磨かれないのは当然だ。
現政権のA―Aコンビとかアベシ!ひでぶ!コンビを見ていたら、ついには甚だしい了見違いへと結び付いているほどの彼らの酷さは明らかなのだが、
この不見識、不勉強度合というものは、他の少なからぬ政治家や専門家に対してさえも言えるようで。
ただ、専門家のほうは昔から、「専門バカ」とも称えられてきたしwある面で偏った、または特異な脳みそだからこそ、その道ひとすじに進まざるを得なかったと言えそうな事例も少なくないのだろうw
全ての段取りを逐一、自分でやるしかない、しがない庶民層は、ナリワイや野暮用に追われ、高い見識を磨く余裕も時間も乏しいのだから、何らかの方法で特別に選ばれた者に、皆で出し合った高報酬を与えて託すのだけれど、
結局は、見識の低い者が選び出す者は、やはり、レベルが低い、という哀しさエンドレス。
ところで、
『明治維新』前後あたりの時代だったか、私は未読なので、詳しく知らないが、ある白人女性が残した有名な旅行記が ある。
当時の日本へ訪れ、各地を旅行するにあたり、雑用一切その他を頼むための一人の若者を雇っていたそうで、その若者のことを忌憚なく評している くだりが あるらしい。
この日本人青年が、外見は甚だしく愚鈍なように見えながら、なかなか どうして、抜け目なく、チャンスと思えば変わり身早く、堂々とピンハネも辞さずw狡猾でさえある性格のことがズバリ指摘されているそうな。
そして、
外国人とくに白人に対して屈折しているのか、底意地悪い面もあるが、それでいて、要所要所で こまかく気が回り、意外と親切でもあり、見かけによらず、仕事そのものは誠実に こなし、優秀だったそうな。
ただただ、うちら「お人よし」だから~と、のんきにウヌボレて、智恵もなければ理念も哲学もない、まぬけなだけの今どき日本国民は、実のところは相変わらず、「クリーンさ」よりも、と言うか、クリーンさなんて信じられないゆえにか、むしろ、恋しき田沼の「濁り」こそを好み、不道徳だろうが悪辣だろうが何だろうが、
公正や正義などよりも、横車を押す「インドラ」みたく、まずは強力であることを評価する。ここだけは、昔ながらに保ち続けた本音の国民性なのだろうか。
トイレ掃除じゃあるまいしw材質が根こそぎ台無しになってしまおうとも、ひたすら強力に効くー!ことだけを望んでいるかのようだww
自然界の「不条理」「理不尽」と闘っては倒れ伏し、起き上がっては闘い、また倒れる、それを歴史としてきた「人間たる」の本来やむことなく、飽くなき希求からドンドン遠ざかり、
そして、
手の施しようもなくなった「カオス」の濁りを眺めて、力なく立ちつくすだけ←いまココ。
実際、現政権で、甘い甘い汁を堪能してきた特定層・既得権層は勿論、これから、遅ればせの自分だって多少は、と期待して支持してきた「コア支持層」は いて、それがホンの何割かに過ぎない。
これ以外は、変化を恐がってビビる者、いまどきは若者層にこそ多いようで、溜息が出るなあ(苦笑)
しかし まあ、若い者こそは、意外と、やみくもに恐れる側面が大きいものだったりする。何ら得てもいないうちから、失うであろうと、先走って恐れていたりするもんだ。
過去エントリーの どこかで触れたけれど、私の周辺でも、「どうせ」とか「言ってもムダ」とかハナから諦め口調で言う若い人も いる。
何か事情とかハンデとか背負っているわけでもないのに、若いうちから何を そんなに恐れているのかなあと思ったけど。
哲学なき、骨なき、小粒揃いに磨いた良い子ちゃんを量産する、長年の培養教育の成果かね。
歴史的に見ても、日常生活の道具、制度、思想、何もかも、ほぼ全てが借りもの、ほんとうのオリジナル性を持たないような国民。
「日本人」というものは、「単一」どころか、いわゆる「民族」でさえ なく、
ご存じ『縄文系・弥生系』、この列島に広く居住していた先住民、
前『天皇』さんも認めておられたように『朝鮮』民族由来の血筋が入ってるどころか、もそもそも『皇室』自体からして、海の向こうの半島だか大陸から やって来て、先住者を どうこうしておいて居座ったのが発端という説もあり、
その渡来した朝鮮半島系民族はと言うと、もっと古い頃から、地続きだけに、中国大陸の人々との混血が頻繁だったらしい。
そのうえで、『アメリカ』ならぬ「人種・民族の坩堝」状態は、太古の日本列島において、すでに実現していたのだろう。
四方を海に隔てられているからこそ、あちこちから、この列島の上に、様々なものが集まり集められ、それは、あまりに遠い昔なので、ふだんは、われわれ自身も忘れているけれど。
ならば、
アメリカの「坩堝」は、イノベーション的発生を多く産み出してきているのに、その先駆者も先駆者であるはずの大先輩たる日本人は、なぜ、、、と思ったりもするんだけど、なんせ遠い遠~い、遠すぎる昔だからなんでしょうかね。
そして、
「古い家」ほど、女の子ばかり生まれるようになり(それが基本だからw)、やがて、
子ども自体が生まれなくなって、途絶えていく。自然の摂理である。
不自然なほど、ずっと一本で続いてきているように思えるのは、どこかで細工して、そう見せているだけ。
そして、
現代の日本は、そう見せている状態を今後も続けるために、なんとかして、どこか弄らねば ならぬと侃々諤々喧々囂々。
『沖縄』については、近い歴史上、もとは他国だったことがハッキリ分かるが、いまでは、沖縄県民として、日本人のうちに入ってる。でも、同じ「民族」とかではないよね。そういうことだ。
単一でも民族でもない、
「日本人」とは、「そういうことにしておく」というカタチ、言わば、お約束の名称。
義務教育レベルにも届かないような麻生さんらの知識・教養のなさは、いまさら どーでもいいし、やめられない症状みたいだから、勝手に失言たれ流してなさい、てなもんだが、
国民の顔に泥を塗るごとき軽率・軽薄発言の かずかずには、まじでムカついてきたけれど、一言だけ再び。
いいかげんに引退しなはれ、老害。
それだけよ。
大卒アタリマエ、院卒めずらしくない、これだけ高学歴社会となりながら、相変わらずの低知性に現れている、その自覚もない。
悪しき「要領の良さ」だけ、こじんまりと回ってる。
ウヌボレ屋は、失敗する。それも、
一番大事な、肝心なところで大失敗する。
その大失敗は、次代へ、そのまた次代へ、連綿と影響していく。