2021.06.25 (Fri)
『政治のレベル=司法のレベル=やっぱり国民のレベル。』の続き。
私個人はね。
子ども時分から、親の名字、親に付けられた名前が嫌いなので、好きな相手と結婚することにでもなったなら、ほくほく大喜びで、相手方の姓に変えますわよw
これまでに何度か、戸籍の氏名を変更する手立ては?と模索したことが あるのだが、やっぱり、結婚する以外での方法は殆ど なく、役所関係の法律の壁はドルメンの如し。
だいたい、うちの親も、年がら年じゅう、しょうもない諍いやら暴力沙汰に明け暮れてるようなバカップルだったから、夫婦や家族が同姓であることで、いわく「絆」だとか「一体感」を齎したり醸成しているなんぞとは、サラサラ思わんわ。
私にとっては、ただ鬱陶しい、それだけ。
それでもね、
『自民党=日本会議』シンパの「ヤフゴミん」らのように、自分自身や自分の周辺といった、ごく狭い範囲が、この世の全てであるかように(要するに、アベシと同じ性向だw)、それに合わせた方針が正しいのだなどと、シャアシャア主張するほどの視野狭窄な愚か者では ない。
うちの兄なんかも、親父を猛烈に嫌ってたから、結婚後、親らが知らない間に、ほんとうは長女で跡取り娘だったヨメさんの実家の名字に変えてしまってたということが発覚し、
親父以上に、血の繋がらない後妻である母親のほうが激怒してた。
うちの母親は、自分は、いわゆる「女腹」で、男の子は授かりにくいんだと言っていて、だから、先妻が産んだ息子は、親父の養子先の家系では珍しく男子で、たった一人の跡取り息子なんだということに、異様なほど拘っていたので、兄が、ヨメさんの実家の姓に変えていたことを、近所の人にもコボシてたもんだ。
「こっちは、婿養子にやった つもりなんかないのに、あの子は勝手に」と。
私には、亡兄の気持ちも よく理解できるんだけど。
けれども、兄は結局、何が理由なのか、戸籍上は離婚してあったらしいのだが、ほどなくして自殺した。
ほんとうは、自分で自分の名前を自由に変えることくらい、認めてしかるべきなんだよ。
何も分からない あかんぼうのときに、勝手に押し付けられてるだけなんだもの。
そもそも、伝統だの昔を問うのなら、ここでも やっぱり中国由来の影響が大きいし、武将などは顕著に変えてたっしょ、名前なんか。
「ヤフゴミん」が常に憎悪(?w)を向ける対象である『朝鮮民族』の「夫婦別姓」ね。あれも、中国発祥『儒教』の影響で、あくまでも、同じ姓(と言うより、正確には、同じ本貫=祖先の出身地)の者どうしで、つまり「近親」結婚なんかしてませんよ、というタテマエに過ぎないでしょ。そして、本質は、やっぱり「男尊女卑」。自慢できる筋合じゃないわなぁ(嗤)
で、あちらでは、いとこ結婚を認めている日本を、野蛮な国みたいな感覚で軽蔑しているのだそうな?w
現実には抜け道だらけのザルだろうし、こういう、タテマエに拘り過ぎるほど拘って、とうに形骸化しても なお、しがみつき、
裏の実態はザルザルのダダ洩れになっていようとも、表面だけは、それらしく調っていれば、という面でも、朝鮮民族と、「タテマエ・実態の乖離」が大の得意な日本国民との共通性が窺えるw
その反動で、攻撃が始まると、とことん執拗。。。
ま、ルーツを同じゅうしているだけのことは あるなww
ただ、「4親等」とか「8親等」とか言ってる違いを考えてみたとき、なぜか、同じ『東アジア』圏の日本では、血族内の結婚について、比較的ユルイほうなのだが、もしかしたら、そもそもは『天皇家』と関係しているのかもしれない。と言うのは、なんせ、列島に やって来たばかりの頃、周囲は「蝦夷」だらけだったから?wかえって、自分たち一族の血を守ることに拘るわけでさ。
さて、
今回、またもや、日本の司法・裁判所は、肝心のところに踏み込まず、手前で誤魔化して逃げた。
やはり、日本における「三権分立」は装いであり、
本質は、(『自民党』)政権に従っているに過ぎない。
『生活保護制度』に関してと同様で、なにしろ、現政権政党である『自民党』(=『日本会議』)の意向第一になってしまっているのだろう。そういう現状。
それは、つまり、その政権政党を「選択」した有権者の意向を尊重して、というテイになっているのかもしれないが、単なる表面上に過ぎず、
そもそも、この国の選挙制度には、国民の知性のレベルと共に、重大な欠陥が露呈してきて、もはや隠せなくなっている。
何よりも、まず、「選択」は、人権の基本である。
このことを、『自民党』と司法・裁判所は忘れるな。
たとえ愚物のアタマで あっても、その選択は尊重しなければ ならないというタテマエも基本では あろうが、
低レベルで、大きな欠陥も ある現状に盲従していて、どうして、レベル アップし、状況が良くなっていくことが見込めるものか。
現状の「夫婦同姓」強制を、「合憲」ということにしてしまった、ヘタレ裁判所。
「選択的夫婦別姓」とは、夫婦同姓であれ別姓であれ、あくまで選択であって、いずれの場合も強制するものではないのだから、サッサと、誤りと言うか「逃げた」ことを認めなさい。
『LGBT』の権利という問題に関することも、私個人的、直接的には、とくに困ってないから、さほどの関心は ない日常だけれど、だからと言って、反対では全然ない。
こちらも、『選択的夫婦別姓』と同様に、他者の選択権を阻むものでは全然ないのであるから。
「夫婦や家族は同一姓であるべき」と主張する側は、単に感情的で あるのみならず、明白に論理破綻している。
彼らの感情も尊重すべきなのだろう。
しかし、『選択的夫婦別姓』は、それを妨げるものでは ないのだし、
それどころか、
私などは、『自民党』と『日本会議』がタッグを組んでおり、邪まな意図を持って、現代日本社会が、先進国として ふさわしい水準になることを、
執拗に邪魔しているように思える。
私や、兄や、その他、同姓であるにも かかわらず、夫婦や家庭の「絆」だの「一体感」だのが嘘っぱちだったことを知っている人々には、「伝統」が、「家族観」が破壊されるという主張は、単なる思い込みや強迫観念に過ぎないことが分かっている。
邪まな欲の眼は、間断なく常に監視しようとするし、
それを知らないままでいる無関心な者の眼を開かせるのは至難のワザだ。
無関心は、無知の罪を招く。
このたび『社民党』の福島瑞穂氏が、『フランス国家功労勲章シュバリエ』を受章されたそうだが、
『選択的夫婦別姓』についても、これを推進するのが妥当と考える人たちや政党は、今後、もっと強力に、一般国民の啓蒙に励んでいかなければ ならないし、それを以って、今度こそ確実に、国会での審議に進めるよう、よりいっそうの努力を。
25年も埒が明かないままというのは、ひとえに、国民の無知蒙昧と無力を示すことに他ならない、まさしく、国家と国民の恥である。
2021.06.25 (Fri)
『あと1世紀は無理」 夫婦別姓、25年前に自民党の壁』 6/23(水) 16:26配信 最終更新:6/23(水) 21:00朝日新聞デジタル
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a70e0b154ced7a28324e2d17fbf45f3878cddc7
~
婚姻時に夫婦の姓(名字)を同じにするよう求める民法などの規定を、最高裁大法廷が再び「合憲」と判断した。
~
ということは、
最高裁は、「夫婦の姓を同じにする」ことを強制していることを「合憲」である、と判断したことになる。
メチャクチャな裁判官だなw
辛うじて、わずか4人の裁判官は「違憲」という見解を出したそうだが、
残りの11人もの裁判官の思考回路と見識は どうなってるんだか、私も聞いてみたい気は する。が、
まあ、「合憲」と判断を下した側は、ここでは、いまのとこ「多数派」なわけだから、
あほウヨがイチャモンつけてるような、「少数派」側の見解ばかりを掲載しているメディアはオカシイ、という主張は、そこに「多様性」を持ち出している以上、ズレてんのよwわかったか?あほウヨ(嗤)
何が「ヘイト」であるか、ということの判断と同じことでね、
「少数派」「マイノリティ」側の見解をこそ、もっぱら紹介したとしても、当然なの。
わかったか?わからんか?あほウヨだからな(嗤)
さて、
たしかに、日本の司法は、国際水準から見て、レベルが低い、と言われても しょうがないわね。
このようなメチャクチャな裁判官らのアタマには、次の選挙時に、しっかりとバッテンを付けます。
(文字強調部分は、当ブログ主による)
それにしても、上掲の記事にも、いつも以上に、わっと跳び付いている「ヤフゴミ」どもw
あからさまに、『自民党=日本会議』の息が かかってる信者どもだということが まる出しなんだけど(嗤)
相変わらず、おつむと品性の低劣さ剥き出し。その自覚も皆無。
自分が、どんだけ履き違えた、理解能力ゼロなのか分かりもせずに、ぎぁあぎゃあと喚き散らしてる。
「ヒダリ」がー!と、定番の呪詛を吐いてもダメだよ(嗤)
現に、私自身、「ヒダリ」でも「共産主義」でも何でもないし。
単に、
オマエさんらが『日本会議』や『在特会』系「ネトウヨ団」なだけ(嗤(嗤)
こういう連中が、徒党を組むだけでは飽き足らず、
夥しい複アカなどを駆使して、下劣な扇動を図る、
その舞台を提供しているのが、『ヤフージャパン』なんです。
いいかげんにしなさいよ、カネの亡者ども
「当時、法務省の参事官として法制審の幹事を務めた小池信行弁護士は『予想もしない壁の厚さだった』」という「自民党内の反対意見」とは、すなわち『神道政治連盟』ハハッ、つまり『日本会議』だね(嗤)
ここと癒着している『自民党』に政権を握らせているかぎりは、
そりゃ、半世紀経とうが1世紀経とうが、変えられないでしょうよ、
『自民党』を与党で居させる、これ即ち『日本会議』に背後で糸を引かせているかぎりはね。
ま、それが、未開な現代日本人と、その社会の限界。
それが証拠に、いまだ『天皇』や『皇室』を有難がってるくらいだものw
と言っても、
一般の国民は、どだい、『日本会議』の何たるか どころか、
その存在自体、知らないままだろう。私ですら、数年前まで知らなかったのだから。
当の『日本会議』自身が、おのれの存在を、一般の国民の眼から隠れよう隠れようとしながら、いわば「ステルス」戦術で活動してきてるでしょ。
だから、ようやっと、今回、『朝日新聞』が、この記事で、『神道政治連盟』と、名称をハッキリ出したのは大いに結構なことだし、
他のメディア各社も、良心と良識あるならば、一般の国民に対し、与党の背後が何者に牛耳られているのかを、どんどん啓発しなくっちゃいけないよ。
だいたい、『皇室会議』に、『日本会議』のアネゴたる櫻井よしこ氏なんかを出入りさせていることの問題性も、一般の国民は知らないし、分かってないよ。
彼女らの何が ふさわしくって、偉そうに口出ししてるんだか。
誰が人選してるのかな?
はてさて、
私が、以前、少し調べたところでは、わが国の現行戸籍制度というのは、いまでは、日本独特とすら言っていいくらいのものらしいのだが、
早い話、国民を縛って管理し易くすること、役所の仕事を増やしたくないとか公務員がラクするために過ぎない、ということだった。
(ちなみに、うちなんか、本当の漢字を間違ったまま固定されちゃってる。抵抗の意を以って、本当の漢字を使うと、いちいちチェックされ、不審がられ、ダメ出しされる。なので、役所関係の書類に関しては諦めた。)
結局、その分、民間にシワ寄せで、
業務上の「夫婦別姓」「通称」を認めている企業が、本来ならば、役所が担わなければならない負担を肩代わりしているカタチになってるわけだ。
(続く)
2021.06.25 (Fri)
これね。
『五輪スポンサー、特別にパトカーに乗せ写真 記者が目撃』6/22(火) 19:48朝日新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5e3f96f937feb58277198201515e5804f5ab4ad
~
岩手県北上市で18日に行われた東京五輪の聖火リレーで、岩手県警の警察官が、スポンサーである日本コカ・コーラ社の関係者から東京五輪特製グッズを受け取った後、関係者をリレーを先導するパトカーの運転席に座らせ、写真撮影をさせていた。朝日新聞記者が現場で目撃し、動画を撮影した。
~
同市『JR北上駅』前を出発地点として「聖火リレー」を開始する前、交通規制されている駅前通りの公道上で、パトカーやスポンサーの関係車両など数十台ものが待機中の出来事だったと説明されていたのだけれど、
私も、正直、具体的には、どこが問題なのか、おそらく、やっぱり、スポンサーからグッズを もらったうえ、その お礼みたくに、そのスポンサー関係の人たちを、パトカーの運転席に座らせて写真撮影していたのが ひっかかるのだろうなあ、くらいに漠然としか分からなかったのだが、
毎度の「叩き隊」今回は「『朝日新聞』叩き隊」がワラワラ出て来てw
やれ、それくらいのことは、ふだんから、イベントなんかで、あたりまえに やってるわぃ、と言ったりなど、さんざんにコキおろしている「ヤフゴミ捨て場」のなかでも、
めずらしく、少数ながら、「たとえイベントの場合で あっても、乗せるのは、せいぜい子どもだけ、ましてや、これは、警察が主催するイベントで なく、まさに公務中なのだから」といった指摘を しているコメント投稿者らも いて、そのコメントを読んだら、
まあ、「うるさいこと言うな!」的に叩かれてる『朝日新聞』側が、べつに間違えているのでは勿論なくて、
コキおろしてるヤフゴミらのほうが、カン違いしてるか、または、根本的に履き違えて、しかも、ひらきなおって、『朝日新聞』を叩いているわけなのだなということが分かったw
まあ、私自身は、なにも『朝日新聞』の肩を持ちたいのでは ないけどもさ、こういうことも、政党に対してと同じで、
間違ってるのは間違ってると、批判すべきは批判するが、「信心」の対象には しない、それだけw
で、お次は、悲惨な軽さの惨軽もとい『産経』シンブンw
こっちは、しょーーーもない、単純な誤字レベルのことで嘲笑されてたww
こんなん、「校正・校閲」以前やろがww
『朝日新聞』を常に敵視し、隙あらばとケンカを吹っ掛けよるくせに、じつは憧れてて大好きな、『朝日新聞』に入社試験で落とされて以来なのか、せつなくも恨めしい片思いの『産経』シンブンw
なんだか『韓国』みたいなwツンデレ『産経』には、実際、在日の記者さんが多いらしいことも、以前に指摘しておいたけど、これと関係あるか ないのかは知らんww
ただ、『朝日新聞』にも『毎日新聞』にも、在日の記者さんは いるのだろうけど、
指摘され、コキおろされ、嘲笑されることの、その内容が、ねw
かたや、なにも間違っては おらんのに、間違ってるゾと、しつこく叩かれ。
かたや、記者ともあろう者が、そのへんの学生以下の、単純な誤字脱字の類で嗤われとるww
かく言う私も、先日のエントリー内で誤変換した「摂取」ですけどw
最後のほうで一ヵ所だけ打ち間違ってるのは気づいてたんだけど、直すのもメンドウだから、ほうったままにしてあるww
しかし、いちおうにせよ「新聞社」の立場では許されないミスよねえwww
でもね、ずっと前のエントリーでも せせら嗤っておいたんだけれどw
『産経』はね、なにしろ、「青息吐息」のことを「青色吐息」だと、大真面目に信じているレベルでも、堂々と記者を名乗れるシンブン社なんですw
これで、たしか3度めかな?「青色吐息」を嗤ってあげるのはw
あの記者くん、いまだに思い込んでるのかなあ?ww
まあ、単純な誤字なんかで嗤われてるのは ご愛嬌のうちで、
肝心の記事内容そのものにツッコんでもらえるレベルでもない。
以前も言ったんだけど、
私なんかは、読んで本気で腹が立つことが あるとしたら、むしろ、『朝日新聞』や『毎日新聞』などのほうで、
『産経』シンブンは、むしろ、せせら嗤っておれるwと言うか、
見出しを見かけただけで、はいはい、とスルーできることが殆どww
ああ、『読売』はね、つまらんです。
腹が立つとかよりもシラケる、もちろん、嗤わせてくれるほどでも ない。
ただ、つまらん。
いつからなのか知らないが、そういうふうになってしまっているみたい。
実家では親が購読していたので、ずーっと読んでいた『読売』から、一人暮らしを始めたのを機に、『朝日』を自分で購読するようになった経緯を、過去エントリーで述べたときに触れておいたろうか、『読売新聞』にアイソが尽きたキッカケは。
『昭和天皇』崩御の おりの、まるで敗戦時さながらに、『皇居前広場』の あたりで正座して泣き崩れている「国防婦人」みたいな女性の姿などをデカデカと、うんざりするほど、たて続けに掲載して見せたことだ。
それを見て、私は心底、呆れたの。
その写真の、当時、まだ3、40歳代くらいに過ぎないかと見えた女性の、あまりな時代錯誤ぶりと、
これを嬉しそうに、どアップで掲げ続けた『読売』に。
そのあたりから どんどん、つまらなくなっていったんじゃないかな。
知らんけど。
ジャーナリズムの気骨もなく、ただ、なんだか小狡い要領の良さだけが鼻について、さながら『自民党』をボスと仰ぐ、御用官僚臭と同じ臭いが漂ってくるような記事。
むかし、うちの母親が経営していた店の常連さんのなかには、『読売』の記者さんたちも いたのだが、あの頃の『読売』記者さん」たちも嘆くだろうほどに、一等つまらなくなったのが『読売新聞』じゃないかなと思う。
2021.06.23 (Wed)
って、
演出家の宮本亜門氏がバラシたという記事を見かけたんだけど、
そんな類の話は、とーっくに知られているんじゃなかった?
私自身、誘致段階から反対だったし、東北の大災害のあととなったから尚更のことで、
ただでさえ、『五輪』後の国家経済はダウンするのが お決まりということなのに、いまは、ほかに税金と注力すべき所が あるはずやろが!!と腹を立ててたくらいだから、
とうとう、アベシの「アンダ~コントロール」やら小泉さんの息子のヨメさんらが「オモテナシ~」などと、チョーシのいい美辞麗句、と言うよりも、
なめらかな(←『ロイター』評w)嘘八百並べ立てて、今度の『五輪』招致が決まった直後あたりから、その類の話は何度も見かけて、ますます怒り心頭だったので、シッカリ憶えてるもん。
だから、
宮本氏の、ここへ来てブッチャケを聞いたところで、何を今さら、に近い感想くらいしか浮かばないのよね。
それよりも、
「なぜ きちんと名前を言わないのか」
と、宮本氏に対して怒っているという、もと都知事の猪瀬直樹氏の、ムキになってる反応ぶりのほうがオモロいw
「名前を言われてしまったら、困るの、おたく自身じゃないのですか?w」とww
先日、どこかのニュース記事で、くだんの宮本氏が、『オリ・パラ』は、やっぱり止めるべきということを主張し始めたという内容をチラッと読んだんだけど、そのときは、なんだか、今ごろになって言い始めるって、ちと遅い感じだし、それだけ、この人も、『オリ・パラ』に関して、いろいろ人脈上のシガラミみたいなものが あって、いままで、ハッキリ言えなかったのかなあ、くらいに漠然と思ったんだけど。
私は知らなかったんだが、
なるほど、演出家として、まさに、今度の『五輪』関係者の一員だったのですね。
うん、だったら、眼の前に浮かぶくらいに、まざまざと想像できるよ。
招致が決まった会場で、早速、
どんだけの現ナマを札束ごと裏で渡してきてゲットしたか、
という苦労話を「自慢げに話してくれた」という光景をさ。
それは、
宮本氏に対しても、「ご同慶の至り」どうし、この大ゴチソウに ありつける仲間だと見做しているからこそ、自慢げに、と言うより、恩に着せる感覚も交えて、「話してくれた」んだな(嗤)
良かった良かった!!なあ、良かったろ!これで、あんたも、われわれと一緒に、甘い汁をターップリ吸わせてもらえるんだから、嬉しいだろ!!と。
アベシの「オトモダチ」どうしで、おいちい~おいちい~おいちいねえ~の世界だ。
ったく、税金、血税に対する感覚がモロ出しだわな。
なぜか、その記事には、断然、猪瀬氏の肩を持つ「ヤフゴミん」が勢揃いしててさ(爆)
名前を出せ出せと、宮本氏のほうを盛んに責め立てていたが、
カン違いしてるヤフゴミんが毎度のように混じっていて、「事実なら、名誉棄損にならないのだから」てなマヌケことを言ってたけど、事実だろうと、真実だろうと関係なくて、訴えられたら「名誉棄損」には なり得ますからね。
まあ、私としては、無責任に、宮本氏には、この際、
「きちんと名前を」
言ってあげたら どうですか?wと思う。ww
それで先方から訴えられても、受けて立たれたら?wと。
場所とか日時とか、その場の状況などをハッキリ詳らかに述べられるのなら、「名誉棄損」で訴えた側も、たとえ、裁判で勝ったとしても、ただでは済まないだろうから。
ま、猪瀬氏の、わっかりやすい反応ぶりで、
名前は聞かなくても、じゅうぶんに察しは つきますわ(嗤)
今度の『東京 五輪』は、何から何までが、ごろっと印象激変。
「アスリート」ちゅうか『オリンピック』選手というと、私も、以前までは単純に純心に、「スポーツ選手のなかのスポーツ選手」みたいな、ストイックなイメージのみで受けとめていたけれど、
いまでは多くの人たちが言ってるように、だいぶドッチラケのイメージになってしまった。
なにしろ、「コンドーム」まで用意してあげてた、っつうので、とことん呆れたよ。
ひときわショックなのは、
女性選手でも、乱交を楽しみに来てる、てな裏話(呆)。
日本の選手は、さすがに、概ね、そこまでの猛獣じゃないみたいだけどw
彼らの話では、スタッフとかボランティアの女性でも、外国の男性選手の部屋の前を通りかかったら、無理やり室内に連れ込まれることもあるとかって裏話(呆)
まじ?そ、それって、ゴーカンとかじゃないの??
まあ、よくよく考えてみたら、昔から、スポーツ界の性的醜聞は殊のほか多いんだもんな。
昨今、男性の観客が、エロ目線まる出し撮影するなどの問題が指摘されてるようだけど、そりゃあ、そういう眼で見られるのも しかたないかも、とすら思える。
言われてみれば、『新体操』の女子選手の演技を とらえた写真なんて、普通の新聞の記事でも、キワドイ瞬間に見えなくもない角度でデカデカと写したのを載せてるわな。
考えだしたら、そう言えば、そう言えば、と、キリがない。
私は、かねて、「2020年」には、何かしら不吉なことが起きるだろう、と予感していたし、そのことは、2020年以前までの過去エントリーの どこかで述べてある。
これも早い段階から、「呪われてる?『東京オリンピック』」と指摘してきたけど、
まあ、なんせ、被災地で亡くなった夥しい人々のことを尻目に、アベシらが、ああいう真っ赤な嘘こきまくって、モノ・カネばら撒きまくって招致したんだもんな。(バチがry)
エゴリンピック、ハジリンピック、コロリンピック、、、
最初から終いまで、上を下への大狂想曲。
どこまで みっともない『五輪』になるのやら。。。
もちろん、今回ばかりは、『オリ・パラ』の話題に目を通す気には ならないだろう、と言うか、これも少なからぬ人たちが言うように、今後は二度と、以前のような素直な気持ちで、『五輪』を見る気に なれないだろうなと、私も思う。
まさか、『オリンピック』に、こんな幻滅を抱くようになるなんて、さすがに想像してなかったわ。。。
それは そうと、
「五輪貴族」の皆さまも、高級酒や豪華なメニュー
を召しあがりつつ感染じゃなかった観戦するのを楽しみにしてらっしゃるそうだが、その間、やっぱり、マスクは はずしちゃうの??w
2021.06.21 (Mon)
『【続・続】最近の話題いくつかのなかから』の続き。
自覚が ない、と言えば、「未開人」みたいな日本の国民性ということを、先日のエントリーで指摘しておいたが、『天皇制』『皇室制度』のこと。
アクロバット的な無理を重ね重ねても、無理の亀裂が広がるだけなのだから、何を執着して思い込んでいるのだか、おのおの国民たちが、胡散臭い「文化人」やらエセ知識人やらの お唱え語りに頼らず、毒されずに、この際、自分自身へ問うてみることだ。
いまどき、男の子を産まなければ ならないプレッシャーは、何ゆえ?
『男系』『男性天皇』でなければ、
女性や女系ではマズイという『皇室神道』「祭祀」って、なに?
それら本質、核心について、肝心の『天皇』自身が、触れようとも しないのは何故?
そもそも、
いちばん、何も知らないのが、ひょっとして、当の『天皇』や『皇族』ら自身じゃあるまいか?
なので、
側近の誰かが、『天皇』『皇族』たる彼らに向かって、「これ、このように するのですよ、しなければ ならぬのです」と、指導しているのだろうか?
あり得ることだと思う。
実際に、『昭和天皇』時代の良子皇后が、侍従に諌められたという話が本当なら。
男性でなくても、女性で いいのなら、
これまでの「伝統」それこそが、連綿と続いてきた「根拠」とされているところの「『皇室神道』祭祀」の意味、
そんなものは無意味なのだというのが本当のところなら、なぜ、『天皇』は、それを言わないか。
そして、
あとには何が残るのか。
『昭和天皇』ご夫妻は軽んじ、前『天皇』、現『天皇』は、共に黙して語りたがらない「『皇室神道』祭祀」。
『皇嗣』は、彼らにとっても国民にとっても負担が大きい、最も重大な儀式を、簡素にすべきだという旨を述べて叩かれた。
「政教分離」の観点からは、もとより、『皇室』が色濃く帯びている「宗教性」の問題が伴っているのは明白なことだ。
だいたい、ほとんどの国民は、『神道』ましてや『皇室神道』の信者などでは ない。
すでに、本筋の血筋から傍系へ傍系へと流れ移っていることは、歴史上も知られている、そこへ「平民」庶民の血が重なっている現代の『皇室』『皇族』。
「男系」だろうが「女系」だろうが、「万世一系」であるぞと誇るのなら、
それは、シモジモ一般の日本国民のみならず、世界じゅう、どこの国の個人だって同じだ。
気の遠くなる太古の昔から「連綿と」続いてきた結果で、われわれ皆が、ここに居るのだから。
何の特別の「伝統」でもなければ、「根拠」たるものも なく、ただ、差別的特権階級でしかない。
そんなものが何故どうして、一般国民の「総意」のもとで「象徴」たり得るのか。
悩み苦しんでいる、死をも思い詰める一般国民に尋ねてみよ。
『天皇』や『皇室』が、心の、あるいは何であれ、あなたにとって「支え」になっているか?と。
戦時中は、はたして どうであったか。
シッポじゃなかった、手を振って振って疲れるほど、アピールが目的の「公務」のために、『皇族』の人数を増やすなんて、愚の骨頂。
いや、真逆だ!
と主張する者は、その主張の根拠を、われとわが胸に問うてみなさい。
そこに あるのは、ただの思い込みと感情だけでしょ。
あるいは、
『皇室御用達』ブランド等を利用し続けたい各界商売人らの思惑。
『天皇』『皇族』の「公務」なんぞは、場合によっては迷惑にさえなりかねないことは あっても、必要不可欠でもないし、彼らにしか務まらないわけでもない。
被災地で ひざまづいて見せた彼らは、至れり尽くせりの御殿へ戻っていくだけ。
市役所あたりの平凡な公務員も、いざとなったら、市民生活を守るため、からだを張って働いてもらわなければ ならないのだから、
『天皇』や『皇室』『皇族』の「公務」と、どちらのほうが大切かと問わば、
それは勿論、言うまでもないことだ。
『皇族』の人数を、これ以上増やして どうする。
むしろ、減らすべきなのだ。
『宮内庁』ともども、ただでさえ、過分な税金を食み続けてきて、しかも、ますます増加させ続けている。
私は、大きらいな『日本会議』あたりの主張と一部分とは言え、重なってしまうのが業腹だがw
彼ら『日本会議』が唱えている、
「菊のカーテンの内側に隠れて、伝統儀式や祭祀だけを やっていれば良い、よけいな公務などは しなくていい」
というのは、ある意味、なるほどで、
外も内も両面から、『皇室』『皇族』なる存在を、国民の眼から遠ざけて、幻影のように薄く薄くボヤケさせていき、ますますもって曖昧模糊、意味不明のまま、やがて消失させていくのには、最も効率的な方法であるww
誰かが、「宗教法人」にでも して残せばイイだろ、とか言ってたようだが、
『天皇制』『皇室制度』は、廃止それでも なお、何らかの形で残したいのが「総意」であるのならば、もっと違う形にしていくことの議論が大事なのは たしかだろう。いずれ、この議論は、どうしても必要になるはず。
飽くまで「出自」や「血筋」の、今にも切れそうな か細い糸に すがりたいのなら、別の形に移行すべきだし、
『天皇』です、『皇族』です、と、自称したいなら、自称し続けたら いいし、
「国民統合の」「象徴」などという、頭が痛くなってくるほど面妖で痛々しいアクロバット演技は もう やめていただき、
女児だろうが男児だろうが構わなく、ご自分たちの「祭祀」を、予算内で済ませられる程度に、勿体だけは つけて行い、
個々の人たちは、『皇族』を名乗り続けたいなら、名乗りながら、どんな問題を抱えた相手とでも、自由に結婚できるように、
要は、一般国民と同じになることで、『皇族』が かこっているという不自由さ、不平・不満も なくなるはずなのだ。
『天皇制』『皇室制度』を廃止すれば即で明白になることは、
いま、『皇室』『皇族』について、次から次へと湧いてきて、並べたてられている諸問題の全て、すべてが一切、キレイさっぱり一挙に解決するということだ。
だいたい、昔は、『皇室』に おいても、相応の男子を迎え入れ、つまり、養子にして、絶えかけている家の跡取りにすることは、めずらしいことでも なんでも なかったようで、たとえば、女児のみの現『天皇』家に、『秋篠宮』家から悠仁さんを迎え、現『天皇』の実子として、跡を継がせるべく直々の教育、養育するという かたちにしていてもフシギは ないだろう。
とにかく、男児が生まれるように細工したなどとは断じて認められない、それを知られては ならない、なぜなら、『皇室』『皇族』は、大なる自然に抱かれ まかせて続いていく、すなわち「やんごとなき」一族なのだから、というのならば、
男児が、とうてい、自然のままには生まれて来なくなったら、そこで「やむ」のみ。
違うだろうか?
もっとも、その時点で「やんごとある」に なっちゃうけどw
庶民層の一般家庭でも、いつしか、女児のみが生まれるようになるサイクルみたいな時期が やって来るようであるのは見受ける。
それは、女性こそが、性の根幹だからなので、要は、男性という「突然変異」から、基本の本然に戻っていくということなのだろう。
およそ一切の「不自然」は、『皇室』『皇族』には、最も ふさわしくない、というのであれば、静かに受容し、少しずつ、終わっていけば良い。
どうしたって そうなる。自然のもとでは。
先日のエントリーでも触れたように、
『ハプスブルク家』にせよ『ブルボン王家』にせよ、これらが潰えて、人々は誰も困っていない。
末裔の人々は、いまだ特権の余韻を残すなかで、それなりに恵まれている生活と人生を得られており、
あの大革命によって、身の毛も よだつ凄惨な最後を迎えた『ブルボン王家』の物語は ことに知られているけれど、潰えて当然と同意した、あの時代の国民・民衆が、今ごろになって、俄然、惜しむはずも なかろうし、今さら、わざわざの王朝や王政の復古を唱えて動き回る人も いない。
かつて、「王朝文化」極めて華やかなりし頃、その面影を残して、
当時の家柄を誇らし気に示す人たちは、現代でも多く存在するけれど、それでも、とうに一般人として、普通に生活しておられるのが殆どだろう。
もとより、現代の平凡な庶民までが、その突出した栄華の残り香を大いに楽しむことは しても、あの大革命で阿鼻叫喚のなかを暴れ回った各界の人々の怒りや憤りは消え果て、誰も困っては いない。
それでも、やっぱり、現代日本に おいては、憲法や莫大な税金で縛っているのだなと、このように私が つくづく思うのは、
たとえば、構成メンバーを減らしていく方向だという『イギリス王室』の事例を見ても分かるように、
『王室』の一員としての称号や王位継承順位を持っては いても、お手当の類は一切、与えられないという立場の王族も いるそうで、その場合は、基本、庶民同様に、まずは自分の持てる能力を発揮しつつ生活していかなければ ならないわけだが、
そういう立場の人(『プリンス』なんちゃら)が、よくない仲間と組んで犯罪とか悪いことしたのが発覚という出来事が報じられているところを見ると、やはり、「血筋」や「出自」の看板が、個々人に優秀さや才覚、倫理観を含む高い見識を与えてくれるわけでは ないのだということがハッキリと分かる。
個人の知能や知性・感受性などの限界で、どこかが、あるいは根本から履き違えた見解を持ったり、ウヌボレる人も いて当然なのだ。
「野に放てば」、「類が友を」引き連れて来る。
だから、やっぱり、「縛っている」のだろう。
そうして、この国では敗戦後、80年近くが過ぎ去った。
「ウヨ」や「ネトウヨ」のみならずで、
ほとんどの人々は、根本的に考え違いを しているのだろう。
「ご清潔で、ご誠実で」「生きている神」の如くな「無謬の人」
などでは なく、それどころか、
その逆でさえあり得ることの疑いを捨てられない。
捨て去れないままでいる。
いまだ「精神は未開人」のような雄叫びと踊りと跪拝を好んで残している現代日本国民は、この さかしまに気づかない。気づけないままだ。