2014.04.18 (Fri)
オバマさんに似てるうぅ~!うわぁー
2014.04.09 (Wed)
良い時代だねーw
「生類憐み」の世もマッツアオではないか?ww
でも、いっぺん見てみたいわね、ニンゲンさまのこちとらが。(笑)
『人ではなく“犬が観る”専門チャンネル!「ひかりTV」で6月スタート』
RBB TODAY 4月7日(月)19時13分配信
これも旧のブログにて、うちの犬猫たち自慢エントリーの一つで書いたことだけど(笑)
私が幼稚園時代、家の前で遊んでいたら、トコトコ歩いて来たのを拾って育てた真っ白な犬が、やがて成長して産んだ、これまた真っ白な女の子、母犬に似て非常に気が強いと同時に、犬ばなれした賢い子犬でね。もちろん、テレビを見ても、いろいろ反応してたけど、
なーんてったって、
テレビの後ろ側を覗き込みにいってたもんね!
家族全員で感心したもんだよ、ふむっ(どんだもんだい!)
2014.02.14 (Fri)
えっとね、私自身が、だいぶ以前に、くだんのひとの「作品の存在」ということを知って、「iza!」での旧ブログ エントリーで とりあげてみたのは、
産経新聞の記事
『全聾作曲家のCD大ヒット「1を得るために99を捨てた」壮絶人生』(2012/12/16 10:23)
というのが切っ掛けでねw
この記事は、
すでに削除されてるようだから、直に証拠は出せないけどねww
だからね、
NHKでも とりあげたのは、その翌年のことになるんだね。
私自身は、ウヨでもサヨでもないし、正直、どっちも好かんのだけどw
NHKに「サヨク」が跋扈した結果、、、
云々つってる、やふコメのネトうよさんたち、それこそ真っ赤な嘘で、暴力団顔負けのヘンな言いがかり つけるのは およしなさいねw顰蹙もんにしかならないよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140213-00000078-dal-ent
「糸が見事に」って、何の「糸」だよwww
2014.02.07 (Fri)
実は私も、いつだったか、だいぶ前に、産経の記事が切っ掛けだったが、旧ブログのほうで、くだんの佐村河内氏の作品を とりあげたことがあった。
その音楽作品自体は、ふだんの自分の好みではないものの、なかなか迫力があって、これは これで良い作品じゃないかと思った。くだんの人の障碍云々とは別の、いたって単純な個人の感想。私は、クラシック音楽に詳しいわけでも、特に親しんできたわけでもないし。
まあ、いわゆる「現代音楽」ってのは、何かと胡散臭い話題が付きものというイメージもあるんだけどさw
私自身、幼児期の薬害による聴覚に障碍を持っているが、私の場合は、左右で若干の差もあり、全聾までは いかないので、まあ普通に聞(聴)きとれる場合と、補聴器を使用していても、まったくダメな場合とのムラが激しい。そこが、周囲からの誤解の原因にもなりやすかった。
聞こえてるふりを したことは多々ある。
私の場合、親の命令で、基本、健聴者として生きてきたから、相手に、気を使い過ぎて。だから、疲労蓄積も激しいわけ。
「聴覚障害2級」ということだと、ほぼ全くと言っていいほど聞こえないのではないの?
佐村河内氏の場合、全聾とはいえ、もともとは聞こえてたという話だったので、そういうことも可能なんだなあと、単純に感心するばかりだった(苦笑)
新垣氏のほうにも、不審としか言いようのない点が幾つもあるけど。
最初から「私が作曲しました」と言えば済むことなのに。
まあ、たとえば、全盲の人が、名画を描きあげた、とかね(苦笑)そりゃ、一種のミラクルですわなw
そこに何の必要性があったのやら分からないが、こういう、殊更ややこしい細工をしないでいられないひとの心情というのが、「ストレート プレイ」(←「フィロトピア」のメンバー、名付けて「カルト連」からの蔑称w)な私には理解し難い。
ただのヒトに対して、イメージだけでもと、完全無欠を求めてやまない。いまだに天皇制を戴く国民性ゆえもあるのだろうか?
いわく「作品と作者(または現実)は切り離すべき」
再び三たび言うのだけれど、さあ、これって、どうなのだろうか?
小説の場合は特に、作品と作者(または現実)を切り離してもらいたいと、実は作者自身が望んでいないのではないのかな?w
江川紹子さんは、かの「オウム真理教」を連想したというのだが、
~しかし、現実よりも、過去の情熱が共感し合えた時を引きずって、普通であれば、異常に感じることも感じなくなる、考えるはずのことを考えなくなる状態が続いたのは、単にプロデューサーと制作者との関係では済まされない、何かがあったのではないだろうか。その「何か」はよく分からないが……。
~
~
それは、必ずしも苦痛ではなく、指示をよりよい形で実現する喜びのようなものもあっただろう。自分がやっていることを自覚できないまま、「指示されるがまま」に曲を書き続けてしまった、という新垣氏のコメントは、自分の仕事の結果が何をもたらすかについて関心を持たなかった信者の状況を、ほんの少しばかり彷彿とさせる。
~
ある面、「ナチス」も然りかな。
私としては、あはは、littlekiss(にゃんこ~!)の、あのセリフを、またまた思い出したw
「ボス(stomachman)とは共犯関係」なのだと、あの潰れてしまったサイト「フィロトピア」で、頻りに言ってたっけなあ。
だから、「何の共犯関係?」と私は質していたんだけどね。
延々はぐらかすことしかしないもんで、あそこでの時間まるまるムダになった。
ここでも私が真っ先に思ったのは、
そもそも、佐村河内氏の目的とは如何なるもので、
恐らくは「墓場まで」の話だったのだろうに、なんで今ごろ、こういう真相が発覚に至ったの?
報酬700万円ほどとは、相対的に高いの安いの?ってことなんだけど。
これらのエントりー内容とも、決して全く無関係の話ではないだろう。
~
会見での言動を見ている限り、新垣氏は生真面目で誠実で、金銭欲や名誉欲や権利意識が希薄で、執着も薄く、自己主張が弱く、そしてあまりに浮き世離れしていて社会性に乏しく、音楽の世界だけで生きてきた、という感じがした。きっと彼は、人の善意を信じてしまうタイプだろう。彼に教わった音楽家たちは、口々に彼が本当にいい先生だった、と言っているようだ。そういう善意の人だからこそ、なおさら、佐村河内氏の全聾を装うことについても、その意図を疑うこともなく、深く考えることもなかった時期が長いのではないか。善意が無自覚を生んでしまったと言えるかもしれない。
疑うこともなく、深く考えることもなかったのは、1人新垣氏だけではない。ドキュメンタリーで記譜する場面を決して撮影させなかったのは、「おかしいな」と気がつくきっかけになると普通は思うが、スタッフはそれを疑ったり確かめたりしなかった。佐村河内氏の「物語」はいつの間にか「神話」になっていたのだろう。メディアにいて彼を取り上げる人たちは、「神話」を受け入れつつ、それをさらに増幅して、多くの人たちに届けた。音楽評論家の中にも、佐村河内氏を激賞して、「神話」をさらにグレードアップする役割を果たした人もいる。
~
あの「カルト連」の場合、「OKウェイヴ」会員たちのなかにも、水面下でナリスマシていたとか自作自演とか、それ以外でも、ある程度、裏を知っていて結託していた者もいると思う。なんせ、ネット自体に新参だった私とは違って、ネットそのものにも、あの「OKウェイヴ」でも、最も古いクラスの会員たちだ。
私は、インターネットでの問題にも、こういう点は大いに共通点を指摘できることだと思ってきた。
私自身にも、江川さんが、ここで推測している新垣氏のような面の個性は多少ある。
ただ、私の場合、あの連中と多かれ少なかれ関わっていたあいだ、自分に何らかのメリットはあったか?というと、真逆はあっても、メリットと言えるものなんて一切何もなかったし、その分もあってか、連中の欺瞞に気づくのは、わりに早かった。
したがって、問題の拡散を、たった一人で危惧し始めるのも早かった。
まあ、なんだか「カサンドラ」みたいだけどさ。
ちなみに、これもオモシロイねえ。
「イザ!」ブロガーの一人だった「レッドフィールド」さんとか、シマウマのプロフ画像を使ってたりとかw
【続く】
2014.01.31 (Fri)
ウィトゲンシュタインつながりで 2011/01/20 01:59
クリムトの作品は、モローなどと共に、私が若かった頃、特に好んでいた。
エミーリエ・フレーゲという人は姉妹と共にオート クチュールのブティックを経営していたそうで、当時の女性としては珍しかっただろうと思う。
クリムトとは、彼の弟と、エミーリエの姉が結婚したことで出会ったらしい。
クリムト自身も、エミーリエのためにドレスをデザインしていたという。もしかしたら、ウィトゲンシュタインの姉が着ているドレスも、クリムトがデザインしたものかも?とても優雅なドレス。
http://stephan.mods.jp/kabegami/kako/Margaret/picup6.html
どちらもクリムトの愛人とか恋人だったのではと伝わっているけれど、アデーレ・ブロッホ・バウアー夫人などの溶けんばかり妖艶そのものな表情に比べると、エミーリエの肖像は、固く、むしろ冷たさを感じるくらいの表情と色彩だ。
ところで、1902年の、クリムトによる肖像画が、エミーリエは気に入らなかったのだそうな。この点、ウィトゲンシュタインの姉、マルガリータと同様なことになってしまった(笑)
大変、プライドが高かったらしいクリムトが、マルガリータのご機嫌のために、背景に手を入れ直したりしたそうなのだけど。。。
マルガリータの肖像は、彼女の結婚記念のための絵だったらしい。何が気に入らなかったんだろ。
こちら↓は、クリムトと親しく、自身も画才に恵まれていたという、ウィトゲンシュタインの姉の一人、ヘルミーネの肖像。
姉妹のマルガリータの肖像と、ほぼ同様のポーズ。
なんか、白いドレスの肖像画が多いね。
白に白、というテーマは、ホイッスラーを思い出させる。
クリムトといえば、ビアズリーも連想するのだけど、そのビアズリーとホイッスラーは、、、へえ~(苦笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC
Symphony in White No. 1: The White Girl(1862)
ウィトゲンシュタイン家は、当時のオーストリアで「鉄鋼王」とまで称されていたほどの大富豪だったとか、私は、『地獄に落ちた勇者ども』という映画を連想してしまったのだが、全く関係ないのかなぁ?
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カテゴリ:本・アート > アート