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とりあえず、ひかりのくに
     
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2014.01.22 (Wed)

 

小児ではなく、「障子に」何だって?              2011/01/03 07:50

石原氏の小説は読んだことないけど、小児に突っ込んだという場面でもあるというのか?

一般書のコーナーから成人向けコーナーに移動させること自体に、何の問題があるのか。

私は、とうに、そういう扱いになっているものと思ってたくらいだ。

 

むしろ、本質的に問題とすべきは、幼い子どもを、変態性欲者の餌食にすることを賛美、肯定する作品、

それを流通に乗せ、一般市場に蔓延させようとする者らの魂胆だろう。

その点で、私は、マンガ以外の、あらゆる分野でも、サッサと実行すればいいと思っている。

 

ただ、視覚要素が最大のマンガと、コトバのみの表現方法を とる小説などとは、全く同じというわけにいかない。これは、子どもが低年齢であれば当然のこと。子どもの読むものは、まず絵本から入ることを思えば分かることだ。

 

また、概ね、知能面に問題を抱えている者、特に男子ほど、細かい字が並んだ小説ではなく、漫画、イラスト等の視覚作品に刺激を受け、事件を起こした実例は、けっして少なくはないと思われるが、どうだろうか。

 

昔は、江戸川乱歩の作品ですら、親に見つかったら咎められるので、父親の本棚からコッソリ抜き取って、隠れて読み耽ったものだという。

こういう、「隠すべきもの」、「隠微なるもの」という判断が、そういう情況のなかでこそ、おのずと養われていたであろう。

 

子どもは本質的に、おとなの価値観を受け入れ、マネをするもの。そうやって育っていく。

 

問題は、「溢れかえっている」という情況のほうだ。

 

事が直接、自分自身の身に不快や危害が及ぶことであれば、いかに日常茶飯事的現象であっても嫌悪は生じるものだけれど。

なんらの制限もなく、巷に大っぴらに溢れかえっていて、いつでも手を伸ばし、手に入れることができるという情況では、子どもは、それは、べつに悪いものでも いけないことでもないものなのだと思って育つのが自然だろう。

 

よりによって児童という存在を凌辱すること、それを問題視したものではなく、ただ賛美肯定するという、こうした作品を、何のために、ことさら子ども自身の目に触れさせたいのか?

 

実在の それか どうかは関係ない

要は「子ども」、児童という存在自体(=象徴)をポルノの題材にしたくて たまらず、実際そうしたくらいなのだから、できるだけ実在の子どもを実際に「開発」したいとでも欲望しているのだろうか。

 

恥ずかしいという感覚が全くないのか。ならば、規制されても仕方なかろう。

しょせん、おのれの恥ずべき欲求を恥じる感覚さえ持ち得ない、何かが欠けている者に、自発的道徳心など期待するほうが無理なわけだから。

そもそも、道徳心なるものを期待できるのなら、

よりによって、抵抗力のない小児という象徴存在を対象とした凌辱シーンごときを、肯定する姿勢で描いたものを、鉄面皮にも流通に乗せ、世のなかに拡散し、稼ぎ、
あわよくば実際の子どもたちに、そういう自分らの醜悪さを受け入れてもらいたいと心中秘かに画策する、、、

まさに反吐が出る醜悪さだ。恥を知れ!

 

 

マンガだけじゃないだろ、子ども相手だけが何故ダメなんだ、と食い下がるなら、マンガ以外のものも、子ども相手以外のも、全部規制せよ。

こちとら、ちっとも困らんわぃ。

 

肯定する姿勢そのものが問題なのだよ。


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カテゴリ:コラむ

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