2016.11.13 (Sun)
てか、
敗戦までの天皇家をマネしてるみたいな「金王朝」のマネが したいのやろかw
それにしても、就任前から、こんな嫌がられる大統領て。。。(呆)
普通は、アメリカ全国、めでたやー!という雰囲気になるとこなのに、
デモや暴動て。。。(呆×呆)
このさき、どうなんねん。。。
まあ、選挙制度の歪みと言うのか弊害と言うのか、システムを根本的に改善する必要があるのは、日本と同じなんだね。
ところでさ、私は、これ、過去エントリーでも言ったことあるんだけど、
ケネディ、特に、J・F・ケネディ嫌いなのw
さて、この↓記事を読んだ。
『トランプとは何者か? アメリカ人記者が見た孤独とコンプレックス』2016/11/08 12:28
https://www.buzzfeed.com/sakimizoroki/who-is-trump-2016?utm_term=.tbp3rqM81#.xl1KePOwA
この記事中でも、「非常に大きな不安感」「ソシオパス」という指摘が出てくる。
そのとおりなのであれば、
やはり、「パーソナル ディスオーダー」に特徴的な、その個人の内面に、理由の如何を問わず、つよく巣食っている不安感から、常に掻き立てられるように精力的に動き回り「頑張る」タイプなのだなということが分かる。
住んでいる世界が異なる他者に対する敵愾心や警戒心が旺盛なのだろうから、どうしても、家族や血縁者で固めようとするし、安心できる相手には、そうとう甘い面も見せるのだろう。それが また、限られた範囲の人々との結束を強化するわけだ。(日本の現首相にも、同じような傾向あるよねw)
そのかわり、ひとたび、裏切られたとか、その疑念が兆すと、容赦もないだろう。
私も連想したとおり、
チンタロウもとい、石原慎太郎家の親子を、似ているぞと感じた人たちは多いようだ(苦笑)
その慎太郎氏自身が告白していたには、まだ若い頃から、ときに、
「あまりイイ気になるなよ?」
と、鏡のなかの自分自身に向かって諌めていたと言う。
それもそうだろう、
たしかに、このテのひとたちは、強運と言うか悪運と言うべきか、むやみやたらなエネルギー旺盛ゆえ(トランプさんも、少年時代は、素行の悪さが目立っていたそうだ)、思う存分に動きまわって、それだけの俗っぽい見返りも手にするが、
ついには、うぬぼれが過ぎたあたりで、とんでもない料簡違いや詰めの甘さを見過ごすと、そこから、あれよあれよと転落する例に事欠かない。
まあ、この手合いは、勝負運が尽きる頃合いを見計らって、バレたら困ることが露見しないうちに、この世を去ることで、永久に逃亡できるか どうかが、最後の明暗を分けるので、人生終盤に差しかかると、ひたすら、腐臭が漏れぬよう幾重にも閉じ込めた重たい行李を背負って、追手の眼を避け、ひたすら逃亡することにもなりがちだ。
トンズラしおおせたら、アガリ!の人生。バクチみたいな人生w
パーソナル ディスオーダー、日本では「人格障害」と呼ばれる、この類の者たちは、たしかに、何らかの面では、とにかく頑張るし食い下がるし、その必死の頑張りをもって、自分の(身勝手な)欲求を堂々と主張できる根拠とする。
だから、勉強を頑張り、それなりに優等生だったり、仕事を頑張り、かなり出世して、権力を手にしていることも多いという。
もちろん、そうでない者も多いだろう。精神を病む傾向も高いのだから。ただ、
その「努力」の一環として、「空気」も敏感に積極的に読み、必要な相手方のニーズ(あるいは、弱み)をガッチリ掴む。この点は、今回、最大限に、テレビ タレントでもあるトランプさん頑張ったわけだ。
「右翼」「左翼」とか関係なく(実際、当のトランプさんは、かつて、民主党に所属していた時期もあった)、
俗に言う「目的のためには、手段を選ばない」と言うか、どんな汚い手でも躊躇せずに使う。マフィアみたいw
なぜなら、自分が持つ目的のために役立てば いいから。それしか考えていない。
人に対しても、基底は、自分にとって何らかの役に立つのか、使えるかどうかで判断する。実の親子でも。
だが、私は、ここでも言っておく。
こうした者たちの「頑張り」なんぞ、結局、誰も幸せにしない、余計なことでしかない。
それどころか、
むしろ、全員が多かれ少なかれ不幸になる恐れのほうが高いのだ。
その理由は、「頑張る」本人個人の、尽きせぬエゴにある。
もう一つ、言っておこう。
ヒラリー・クリントン氏は、たしかに女性である。
だが、その前に、
彼女は、あくまでも「エスタブリッシュ階級」のなかの一員なのだ。
トランプ氏と、ここまで大接戦だったということは、彼女も また、、、ということw
サンダース氏の潔くアッサリした引き際とは対照的な二人だw
彼女の言い続けた「ガラスの天井」は、トランプさんにとっても存在していた「天井」だったのだろう。
時々、思い起こしていたのだが、
むかし、まだ、私がハイティーンか20歳代だったと記憶するから、もう何十年前のテレビで、あるドキュメンタリー番組を視聴していた。
それは、たぶん、当時のアメリカ国内での撮影だったと思うのだが、
黒人の女性と、白人女性とが相対して、議論を交わしている一場面だけをクッキリと憶えている。その議論というのが、
白人女性側が、男女の差別問題について、熱く提議しているのに対し、クールな表情の黒人女性は、「男女間の差別よりも、人種差別のほうが、私たちにとっては、もっと切実な問題よ」というふうに、ピシャリと撥ねつけていた光景。
白人女性は、負けずに、なおも主張を続けていたが、
一緒に見ていた母が、それは、人種差別のほうが、優先的に解決するべき問題だろうよと頷いていたことも憶えている。
いまの私は、人種間だろうと男女間だろうと、差別の生じる みなもとは、畢竟同じことだと判断しているが、
たしかに、生活維持に直結する社会問題としては、人種間差別のほうが、より すみやかな打開を求められる深刻さが あったのだろうと思う。
【続く】