2014.04.16 (Wed)
私はテレビ見てないし、ネットの速報で断片的にしか、経緯が分からないし、
なにしろ、「スタップ細胞」の最初期段階から殆ど注視してこなかったものだから、
今回、渦中の笹井氏が、(おそらくは、あらためての)「仮説」段階に留まっている現実という説明は、それだけのことなら、とくに大問題とは終始ならなかったはずなのだ。
バカンティ氏が高く買うのは「プレゼン上手?が役に立つ」?実際の中心人物たる小保方さん、
やはり、このひとが、科学者にとっては、自分の学説を証明する最大の よすが、掛け替えのないデータに、不要、不可解にして不適切な加工等を行なっていたこと、これが、今回のスキャンダラスな大騒ぎに変化させてしまった直接原因には違いない。
ここ、間違えないように、とダメ押ししたくなるコメ投稿者、あまりに多過ぎだ。
当初は、なんとなく関心が薄かった私も、この騒ぎになってきてから、小保方さん自身の引き起こした問題は厳然たる事実であると共に、
こういう結果になったことの背景に、「理研」という、あるいは また、その前段階の早稲田大学および院という教育機関のシステム的欠陥等々、各組織内において潜在化していた問題についても同じく重視すべきことなのだろうと考えていた。
いや、「各組織」という以上に、大きく科学界・学問世界の、
いや、ごく ひらたく言ってしまえば、つまるところが、
「先生」
と、「先生」どうしが呼び合う世界の独特さ、
というものが、今回の笹井氏の発言を通して、明確に見えてきたと思う。
そうなのだ。
私みたいに、民間一般の企業しか勤務経験が、ほぼ無いに等しい者から見れば、
「先生」と、「先生」どうし、お互いに呼び合ってる世界というと、まず思い当たるのは、自分が通った学校の先生たち、または、病院に行ったとき目にする、医者どうしが「先生」「先生」と呼び合う光景だ。
それと同様な世界のことを、笹井さんの説明から窺えた。
なるほど、独特の世界なのだろうと思う。
いかに「先生」でも、
それこそ、人間が「未熟」な、ポッと出のペーペー研究者でも、ひとたび、「博士」なりの資格、その他の免許を取得してしまえば、ほぼ自動的に、一人前と目され、丁重に扱われることになる、らしい。
豊かな将来性ある研究者を育成することは、それは勿論のこと大切だ。
だが、莫大な国家的投資で、ニセモノ養成に励んだとて不毛だろう。
本質的な問題は、その資格・免許には、確かな内実が伴っているのか どうか?ということだろうか。
その点で、まず早稲田大学が曝け出した問題は、看過できない重大事態だ。
ついでに、
笹井さんたち以上に見苦しいのが、「やふコメ」の、主に男ども。
下ネタや「オボとサッサはデキ」とか何とか、いいかげん五月蠅いのよ![]()
そりゃあ、もしも、小保方さんの抜擢人事の陰に「不適切」な関係が存在し、それが、確実に作用したものだったならば、決して軽視できないことだとは思う。
しかし、笹井氏の今回の説明を考慮するかぎりでは、「先生」と呼び合う世界の特殊性を鑑みただけで、ある程度は腑に落ちる。
むしろ、小保方さんが、そもそもは、その直下で所属していたという若山さんのもとで何があったのかということのほうが気になるくらいだ。
笹井氏の言っていることが、専門用語ばかりで難しい~よく分からない~、とボヤキたおしている「やふコメ民」たち。
笹井氏の発言内容自体が、かなり学問的領域に踏み込んでいたとしても、さすがに今回は、各新聞社も、要約を噛み砕いて載せているだろが。
要するに、そのボヤキの原因は、オマイさんらのオツムの出来に原因があるだけぢゃw
やれ「マスゴミ」、「下世話な下品な質問するな」という資格は、オマイさんらには無い!
「マスゴミ」は、どこまでも、そうした「下世話・下品な質問」に餓えたオマイさんらのニーズに沿って やっているまで。なんてったって商売だものw
ただ、
ネットというものが存在しなかった時代には、こうした連中は、せいぜいが、ゴシップ雑誌を買って見たり、テレビの奥さま番組を見て、下衆なりの欲求を満たしていた。
それは飽くまでも、基本的に受身の、各自では おとなしい存在でしかなかった。
ネットが できあがった こんにちでは、たちまち、下衆がワラワラと湧いて出て、おのれ自身でもって、いっぱしのゴシップ雑誌・奥さま番組の司会者づらを提げ、ガツガツ投稿してくる始末だ。
オマイさんらが居座ってるかぎり、オマイさんらが盛んに罵って言う「マスゴミ」の「下世話・下品な」記事はなくなりゃしないよ。
それでマンゾクなんだろ?w(まったく笑止千万)
2014.04.16 (Wed)
あのな![]()
「ガリレオ」と一緒にするのはバカげ過ぎだと思うぞ、「小保方擁護」派のファンレター「科学者」www
むしろ、
ガリレオの場合とは真逆、正反対の情況だろうにさ(呆)
んでま、些細(なミスw)じゃなかった笹井氏ですか。
「装い」が どうだとかってのは、さすがに、このオジサンたちの場合には、まずもって言われることもないだろうし(爆)
質問側メディアさんがた、その分、今度は もうちとマシなレベルで お願いね。たのんますわ。
『STAP論文 小保方氏への指導責任どう説明 共著者の笹井氏』
産経新聞 4月15日(火)20時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000562-san-sctch
…
小保方さん経歴、「ウィキぺディア」なんかでサッと読んだ感じでは、博士号取得したときにも、なんか大急ぎで論文出して、、、って印象なんだけど。
早急に理研に入れてもらうためだったのでしょうかねえ。
それも、若山教授さんのツテだったらしいんだけども。
小保方さんに関しては、「戻っておいで」バカンティ氏が、かつて、手もとに置いとく期限延長させたというほど、彼女を大変気に入ってたらしいという、その理由(それこそ「プレゼンのうまさ」を見込んでか?w)、
また、
ラボにてロハお手伝いさんだったはずの、この時点で、博士号さえ持ってないペーペー時代の彼女のホテル代を、「出張扱い」としてハーバードが負担していたという理由とともに知りたいもんだわ。
さぞかし、今回発覚したような手抜き・剽窃・捏造なんかせず、真面目に、科学者らしくコツコツと仕事してたのだろうか。
近頃では、「オボちゃん」だの「オボコップ」とか呼んでるコメ投稿も多いもんだからwつい、私の むかしの職場関係の人で「小保方」の「方」を取り払った名字の人がいたことまで思い出した(苦笑)
以前も言ったけど、「佐村河内」と言い「小保方」と言い、珍しいほうの名字だから、たまたま同姓の人たちは、はなはだ気分よろしくないでしょうなあ。
たとえば、定期券買うときなんかに、窓口係員が、「小保方○▲」と記入されてあるの見たとたん、思わず「プッ」ときたりとかしたりして(苦笑)
気の毒だなあ。。。
まあ しかし、去年大騒ぎだった「食品偽装問題」から こっち、飽きもせず、
「偽装」⇔「捏造」⇔「詐欺」⇔「偽装」⇔「捏造」の取っ替え引っ換え状態だ。
「偽装大国・捏造ニッポン」て国際イメージになってしまいそうぜよ。
うちは最初から先進国♪みたいにスマシた顔してる小キレイな小金持ち日本人が増えただけのことでさ。
昔の日本の代名詞なんてば、「安かろう悪かろう」だったというのだからねえ。
だから、よその国のこと哂えないでしょ、っての。
なんせ、お金があって、これなんだから。
「発展途上国」あたりが やったってよりも、もっと恥ずかしい。
2014.04.16 (Wed)
まさに、言ってることと やることチグハグ、矛盾大国のアメリカ。
(あ、中国もかなwニュアンスが だいぶ違ってくるけども)
巨体過ぎな自分自身の手足や末端神経までは制御しきれないのかなあwそれは それで、ある意味、辛うじて救いになってる感もあるんだけど(苦笑)
もしかして、
「この程度の飴玉、しゃぶらせとくほうが、むしろ良いのさ」と、余裕シャクシャクゆえ?w
矛盾の小国は、さしづめ日本かなw
こっちは、上から下まで、なんだかギスギス度いや増しだけどww
まあ、どこの国だって、大なり小なりケッタイなんだろう。
『NSA活動暴露にピュリツァー賞=米・英紙、電子盗聴の実態伝える』
時事通信 4月15日(火)6時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000022-jij-n_ame
【ニューヨーク時事】米報道界最高の栄誉とされる2014年のピュリツァー賞が14日、発表され、米国家安全保障局(NSA)による情報監視活動の実態を暴いた米紙ワシントン・ポストと英紙ガーディアン(米電子版ガーディアンUS)が、公益賞を受賞した。
両紙はスノーデン元中央情報局(CIA)職員のリーク資料を基に、NSAが世界規模で行っている電子盗聴の実態を暴露した。賞を運営するニューヨークのコロンビア大は声明で、ガーディアンの報道について「安全保障とプライバシーの問題をめぐる政府と国民の関係について、論争に火をつける一助となった」と評価した。
このほか、昨年4月のボストン・マラソン爆弾テロの報道で、米紙ボストン・グローブがニュース速報賞を受賞。国際報道賞には、ミャンマーのイスラム教少数民族ロヒンギャ族の迫害を報じた英ロイター通信の記者2人が選ばれた。
こういうのもw
で、
『米グーグル、ソーラー無人機メーカーを買収』
AFP=時事 4月15日(火)9時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000006-jij_afp-int
アキンドというもの、いかなることもヘノカッパで突き進み、ひたすら商売商売ww
最終目標は、、、
もちろん、政治をも跪かせることだろう。その点は、たいていの宗教組織だって同じだが。
2014.04.14 (Mon)
先日のエントリー
にて、彼女の装い等が、科学者らしい冷徹な計算によるものなのか、真逆なのか、結果的には計算違いになってしまったか、どれだろうと述べたのだけれども、
さて、こういう記事が出た。
これは、けっこう興味深い。やはり、その方面の基本知識の有無が絡んでくる側面を持つ話題だ。
それにしても、ツイッター民にはバカが多い、っていう評判、頷けないことでもないのだなと思ったw
もっとも、ひとり「ツイ民」に限ったことではなく、当然、その他のネット民も兼ねているだろうし、旧式テレビ民だろうが何だろうがwおしなべて、その殆どは、平平凡凡の一般人大衆に違いない。
『<ツイッター分析>小保方氏会見への応援・支持、批判の2倍に』
毎日新聞 4月14日(月)11時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140414-00000000-maiall-soci
~
科学とメディアの関係に詳しい田中幹人・早稲田大大学院准教授は小保方氏の会見時の服装に驚かされたという。「海外には科学者が記者会見に臨む際の手引きがあり、女性の場合は『落ち着いた色のワンピース、装飾品はパールくらいまでが望ましい』とある。教科書通りの服装で臨んでいた」。会見の中身についても特徴的だったといい、「STAP細胞作製に200回以上、成功したと言いながら、決定的な証拠は出していない。積み上げた努力はあると感情に訴えたが科学的な論争には乗らなかった形だ」。
~
ということは、むしろ、冷静な計算にもとづいていたというわけかあ(笑)
でも、まあ、日本においては、こうした場合、ワンピースではなくスーツで、という感覚のほうが一般的ではあるのだろう。
もっとも、この私自身、彼女の立場だったとしたら、とくに考えもなく、似たようなワンピース姿で出たかもしれないので(苦笑)その点、やっぱり、一般的な日本人の感覚とはズレているのかもしれないw
それは私自身も最近、小保方さんの会見動画を見る機会があって、それを見てしまったら、何と言っても自分より ずうっと若い年齢の女性が、、、ということで、表面的には部外者として、単に眺めているだけの こちらとしても、居た堪れない気持ちは、どうしても起こる。私は、佐村河内さんの会見時にも、そういう感覚は多少起きた。
さて、いままでのところ、あきらかになっている点としては、
小保方さんは、少なくとも高校以降、従来の正規の手続き以上の、言わば「おトクなステップ」を踏んで、こんにちの身分・立場を得た陰で、
科学者の基本として、あってはならないルール破りをしてしまっていた、ということ。
この「不適切」について、はたして悪意があったか なかったかという部分で争点となり、
先日の会見は、彼女が科学者としての、特に「スタップ細胞」の有無について見解を示すための会見などではなく、
あくまでも、「理研」職員としての現在の身分保全を中心テーマに据えた目的あっての会見だったということ。
ここが、世間の人々が、第一に勘違いしている点ではなかろうかと思われる。
「インディペンデントで成功している人もいる」という言明にしても、それが事実であったところで、小保方さん自身が、あってはならないルール破りをした事実は、もはや覆らないのだ。
このことは、今後、もし、彼女自身によって、または、他の人員によって、あらためてスタップ細胞のことが成功しおおせたとしても、覆らないのは同じことだ。この点でも、世間の多くの人々は勘違いしていると思われる。
ところで、これも最近、小保方さんの出生年を知って思ったには、
やっぱり、多分に無意識のうちなのかもしれないけれど、「演技」だとか「見せる計算」というものが、あるのだろうなと思った。
それは、彼女の、ある意味で特徴的な容貌を見ていても、薄々察していたことなのだが、
出生年を確認したうえでの、ある特殊な「コツ」による、私独自の推察で(笑)、この点の詳細を、ここで述べるのは避けておくが、一応かんたんに まとめておくと、
ある範囲の人たちにおいては、他者が設定した決まり事やルール、または、そうでなくて、自分で決めたのであっても、いたって習慣的な事がらに対しては、一般的以上に従順というか、非常に保守的世俗的な基本的価値観を持つということ。それは、ほとんど盲目的ですらあるもので、本質的には、決して、自分自身なりの哲学とか思想によるものではない。
要するに、一般的に言う「真面目」「誠実」そのものに、少なくとも見えるわけなのだが、その反面で、
これは実にフシギなことなのだけれど、
周囲も意外のあまり、思わず仰天するような重大深刻なルール違反を、ときとして平気でやってのけてしまう面もあるということ。
かつ、外見に比べて、本当には反省しないことが ままある。ここは、心理的に見て、それほどフシギなことではないのかもしれないが。
私の周囲の、条件が合致する者たちを観察していても、はっきりと分かる これらの特徴は、その、ある範囲の人たちにおいて顕著なもののようだ。そして、
彼らは往々にして、本来の実力相応と言えるのかどうかが悩ましいながらも、一般的以上に、「おトクな」環境(つまり、本人の実力だけによらない、たとえば世襲であるとか、配偶者からの恩恵とか)に恵まれた人生を歩んでいるのが定番だったりする。
このことは、特に経済的な面で顕著。
しかも、なおフシギなことに、
精神面において、往々にして先天的に、何らかの深刻な問題を抱えることになりやすい傾向があるということも特徴的に見受けられる。
環境条件的には、人並み以上に大きく恵まれているにもかかわらず、なのだ。
だから、なおさらフシギに見えてしまう。
…ま、いずれにせよ、とりあえずは理研の調査結果を待つしかなさそうだ。
最近、こういうサイト記事も見つけた。
例のバカンティ氏のもとにいた、ハーバード大学に所属する日本人医師のインタビュー記事だ。
(なぜか、当時の日付が見当たらないようなのだが、数ヵ月ほど前に読んだ、朝日新聞系サイトのインタビュー特集記事も、日付を記載していなかった。こういう傾向が、ネット記事全体に出てきているとしたら、いったい、どういう理由からなのか?わからないが、あまり良い傾向でないのではなかろうか)
『組織工学の手法で、気管再生に取り組む』
http://www.terumozaidan.or.jp/labo/interview/03/index.html
2014.04.14 (Mon)
以前のエントリーで、この事件、小説家と編集者の関係性との共通点もありそうなと述べたが、
私は、今でも、くだんの新垣氏、しょせんは、ご本人が認めたように、一民間大学非常勤講師程度では得られない報酬目的の、「共犯者」以外の何者であったとは思えない。
ただ、以下の記事で紹介されている氏の発言を読み、この疑問について、あらためて、ご本人に聞いてみたいものだと思った。
『新垣氏 佐村河内氏に「感謝」も…「Mr.サンデー」で語る』
スポニチアネックス 4月13日(日)22時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140413-00000126-spnannex-ent
~
佐村河内氏の名前で作曲したことで、自身の名前ではありえなかった圧倒的支持を受けたこと。さらに、佐村河内氏が新垣氏の作った曲を「実際に聞こえていたかどうかはともかく、真剣に聴いてくれて『いいですね』と言ってくれた。そのやりとりが重要だった」と語り、その意味では佐村河内氏に「感謝ですね」と明かした。
また、作曲するためには、あるところまでは佐村河内氏が作った指示書が必要、長編小説のプロットを作るきっかけというのが必要であると語り、2月の記者会見で「共犯」と語った意味を説明した。
だが、自身が作曲した曲が評判になったことで佐村河内氏がテレビなどへの露出が増えたことで「これは参ったな。これ以上世間に出てしまうと、本当のこととまったく違う。フィクションになってしまう」と危機感を覚えた。また、佐村河内氏の自伝を読んだことで「これ以上、今のことを続けるのは危険であると『直感』いたしました。活動を1度打ち切るのが賢明と思われます」とコンビ解消を訴えたという。
~
どこぞの週刊誌にて、暴露スッパ抜き記事が載ったことで、新垣氏、たちまち青くなって震えあがったというのが切っ掛けになっての告白会見だったとか報じられていましたがねえ。
それにしては、ずいぶん、キレイごとの話になってw
「佐村河内氏の名前で作曲したことで、自身の名前ではありえなかった圧倒的支持を受けた」
では、
佐村河内氏の注文に合わせて作曲した作品と、本来の新垣さん自身で産んだ作品たちと、どう違うのですか?それとも、違わないのですか?
そして、新垣さんが、本来、支持を受けたかった対象とは?
分野の専門家、識者たちの、厳しい見解によれば、
佐村河内氏の依頼のために作曲した作品は、音楽の歴史に名を残した巨匠たちの作品の切り貼りめいている、それもあって、高い評価は下す気になれなかった、という。
この点は、ほぼ単に、その方面知識の有無の問題だ。
それならば、
あれらの作品に感心してしまった、無知なシロウトたち(私も、まあ一応、そのなかに入っていたと言っていいだろう)のセンスは、けっして悪くはないどころか、けっこう判断力があったわけだ。
だって、「寄せ集め」に使った素材自体は、もともとが、とても良いものだったのだから。
最近のエントリーで、「小保方さん会見」への感想で述べた、
「服装一つとっても、本当にカシコイ人は、自分本来の好みや自己満足よりも、周囲に与え得る影響効果を冷静に優先して計算するのだろう」ということ。
これと通じるものがあろうと思うので、新垣氏の、今回の発言を知って、素朴に問うてみたいと思ったのだ。
芸術作品とは、最初から、敢えて(ウケの)計算づくのなかで生まれるものなのですか?と。