2026.03.20 (Fri)
『【ほんとに最終w】働け!働け!働け!_| ̄|○』の続き。
過去エントリーで、これも一度ならず、カルト宗教に のめり込んでしまった幼なじみの親子との経緯を述べてあるけれど、
やっぱり、おとうさんが、若くして病死されたことが切っ掛けで勧誘されたみたいだったが、小学生のとき、幼なじみの自宅に出向いて、お葬式に参加したことも憶えている。
彼女は、典型的な優等生で、しかも、優しくて素直な気立ての良い子で、
優しく素直だからこそ、砂地が水を吸い込む如くに受容度が高かったのかなとも思うけれど、
私だって私だって!優しくて素直この上ない気質だったのは、けっして、ウヌボレでは なく、周囲からの評価だったはずなのに(本当ですっ!!)
あの幼なじみと私は、どこで、別の世界、別の価値観へとスッパリ別れていったのか、たまに思い出すと、考えずに いられなかったのだが、
決定的な違いが あったとすれば。
私は、言ってしまえば「異様なもの」に対する違和感や嫌悪感、拒絶感が、子どもの頃からハッキリしていた、その自覚は あったのだと思う。
なので、
彼女が、どんなに優しく、私を誘い込もうとしても、
私としては、あの、「先生」と呼ばれていた、子どもの眼にも、まだ若いと見えた女性が、おもむろに登場してきて、ビロード張りの、立派な椅子に腰掛け、そのまま、おおぜい集まった「信者」衆のほうに向けて、いかにも何かを操るような奇妙な手つきで招く しぐさを してみせた、その途端、うしろから、私を突き飛ばすように這い出てきた男性が、壇上から見下ろしている「先生」の前に進み出て、さも、ふしぎな魔法に かけられた!という感じで、ひっくり返ったり飛び上がったりしながら踊り狂う姿の、その異様さに、ほぼ反射的嫌悪感を覚え、唖然としながら、思わず、私の横に座っている幼なじみのほうを見たのである。
すると、彼女は、うやうやしく合掌しつつ、眼前の異様な光景をウットリと眺めている。
私は子ども心に、いよいよ慄然とした。
あの違和感と嫌悪感は、いまだに ありありと思い出せる。
そこが、幼なじみと私との、決定的な違いだったなと思う。
私の生い立ちや家庭環境が、世間なみに穏やかでは なかった、それどころか、酒乱の父親と、気性が激しい母親を中心に、腹違いの姉や兄という複雑な家族関係のなか、怒声や暴力が頻々と飛び交うような、そんな不穏な環境だったことを承知の読者も いらっしゃるだろう。
ひるがえって、幼なじみの家庭は、たぶん、紳士的な、まじめで穏やかな人柄だったであろう おとうさんと、優しい おかあさん、かわいらしい妹、そして、おじいちゃんとの5人で、平和に暮らしていたと思う。
それだけに、残された家族は、おとうさんが亡くなられたショックに打ちのめされたのだと思う。
つまりは、私のように、おとなの生臭い事情に振り回されて、怪奇なほど複雑な人間関係のなかで育ってはいないわけ。
少なくとも、彼女の おとうさんが亡くなるまでは。
そんなわけで、
例のアベシ射殺事件の犯人が述べていた、彼の母親像とも重なって感じられてくるのである。
ある日、大きな衝撃を経験するまでは、私が幼くして味わってきた「修羅場」のようなものを、まったく知らないで生きてこれたのだろうな、と。
要するに、そういう「免疫」が なかったのだろう、と。
ま しかし、
大多数の人間が、あらまほしきと切望するはずのことや価値観に対し、この自然界の摂理とか「仕組み」とか、宇宙の方向性などといったものとは、まったく逆なのであるらしい、冷酷な現実。
それを見せつけられても直視できない、往生際の悪い、潔くない、執着心がトコトンしつこい人間どもw
「前世」だ「来世」だ「魂」だ等々と、聞きかじりを、見てきたように演説してみせる連中なんざ、ソクラテスじゃないけれど、ちょっと質問を重ねて追及してやれば、あっけなく、何も言えなくなること明白なんだけどねww
そりゃ、私自身が、何を隠そう、いわゆる「超常現象」とかオカルト的経験や体験を してこなかったわけじゃないのよw
じつは、むしろ、けっこう、いろいろ ありましたわ。
それでもね、敢えて言おう。
「祈る」べきことが あるとしたら、
それは、
二度と発生することなかれ!だ。
この醜悪な宇宙が、だ。
かくして、
「1本の弱々しい葦」である私は、いまや、「宇宙の」、正確には、その「みなもと」を叱るヒトになりましたww
…
でね、
結局、重度の障碍であるという、公共の、言わば「オスミツキ」が ある人のケースと、そこから弾かれてしまっている人のケースとは、
一言で言ってしまえば、
「苦労や苦悩の なかみが異なる」
ってことなんです。
このことを、同じ「障碍者」という括りにして語ってしまうとね、そこには、実際や現実を無視したキレイごとや欺瞞などなど、もっと始末の悪いことが多々起きてくる、ってこと。
しかも、
それが、「同じ障碍者」によって引き起こされるのですよ、ってこと。
もう一度、言っておきます。
私は、「感動され」たり「感謝され」たりするどころか、
おまえのように、人並みでない障害者ごときでも、雇ってやっているんだから、「健常者」たちに迷惑を かけているのだから、謝りなさい感謝しなさい、と、決めつけられてきた。
だいたいねえ、うちの愚母の言うように、
「人が できることを、自分は できないということを悔しいと思わないのか!」
と責められたって、
障碍を負わせてる実の子に、それを言うか、ってもんだわ。
私の おかげで、実際には助かっていたはずの「(エセ)健常者」連中からこそは、お門違いの文句を言われ続け、謝罪と感謝を要求されてきた。
たとえ、「障害手帳」の おかげ、「障害者枠」の おかげで、大企業に入社できても、しょせんは非正規あつかい、不当に低い給与、ボーナスなし、ふだんの生活からして余裕なく、そのうえ、実家の親の入・退院のたびに早退やら欠勤やら、自分の懐から持ち出しになることも ままあり、とてもじゃないが、貯金どころじゃなかったけど、曲がりなりにも雇用されているあいだは、各種納税も してましたよ。
あーあ、だるいダルい。
政治や社会の情況・状況なども併せて、もう、ほんとうに、つくづくと厭になってくる。
年々、あらゆる面で、理不尽さと生きづらさが増大していきそうな、この国。
この国だけでも ないか。
下品でワガママむき出しのガキっぽい要求が世界じゅう飛び交ってる。
こうして、ブログに書き募ってみても、むなしいこと虚しいこと。
あほらしやの鐘が鳴ります、ちーんた~らり~ん。
【おしまい】