2014.09.29 (Mon)
【旧ブログより】
時代が違うと、感覚も印象も違うってこととか 2012/04/17 17:07
現実を思い知らされるような。
実際、よくあることだが、私は久しぶりに、けっこうショックを受けた。
ああ、あの『星の王子さま』が。。。(苦笑)↓
http://www.lepetitprince.net/sub_manuscript/manuscript-3StEx.html
(読み比べるとオモシロい)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0016.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%86%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AA
しかし、そりゃそうか。
いまでこそ、航空機パイロットというと、エリートの一種という感覚だけど、
わが国が黎明期の飛行機技術を輸入する前の、先行していた本場の操縦士たちなんて、ほとんどサーカスの曲芸芸人に近い存在みたいだったのかも。
芸能人も そう、作家も そう、その始まりには、大なり小なり軽蔑を含んだ対象だったという話は実に多い。
ところで、例の「象を呑んだウワバミの絵」のエピソードで思い出したのが、
手先の器用だった うちの母は、食器掛けや、ちょっとしたカバーなどに使うため、無地の生成りの布帛等に刺繍を施すのに凝っていた時期があって、そのころ仕上げた力作の一つには、帽子が仰向けに置かれた そのなかに、色とりどりの花々が盛りだくさんと投げ込まれてあり、周囲にも点々と蝶のごとく小花が舞っている、という図案のものがあった。
(似てないけど、まあ、こういう↓)
『「帽子の中の色々な花」』
http://mnnoblog.exblog.jp/14769254/
時間を費やして出来上がった それを、母が得意げに広げたとたん、父が一目見て、
「なんだ?どんぶり鉢に蝿が たかっているところか?」![]()
と言って、またも、プライドの高い母を激怒させた。
父には わりに よくある類の言動なのだが、このときも、からかったのでも何でもなくて、まじで言ったのである。(余計に悪いわ;)
しかも、
たまたま、その場に居合わせた、母の妹である叔母までが(←アーパーなのに、美意識だけは高い)、このときは、うちの父に同調して批判的な意見を述べたものだから、あとで私が、母の怒りと嘆きを一頻り、聞かされるハメになった
まあ、私にも、少しだけ似た失敗はあって、友人の父が描いたサボテンの絵を、完全に野菜と間違えたとか。
友人は、そのことを、おとうさんに言ったらしいが、ご本人はオモシロがって笑っておられたそうだが。
さすがの石川啄木の この短詩は、つつましくも、泰西名作映画の一場面のようでもあり、宮澤賢治あたりに共通した、卓越した浪漫的美を感じさせる。
『「飛 行 機」 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2410988/
(上記urlは旧ブログのもので、すでに、このサイトは廃止されてます)
カテゴリ: 話題! > 話のタネ
関連ニュース
【逍遥の児】初めて空を飛んだ日本人 (04/10 12:11)
2014.09.29 (Mon)
ダメなものはダメ。
なぜか、それが分かるということ。
『転機の心象写す資料発見=宮沢賢治、友人宛て書簡など』
時事通信 9月24日(水)20時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140924-00000176-jij-soci
~
このほか、背表紙を自ら塗りつぶしたとみられる「春と修羅」の単行本も発見された。同書を「心象スケッチ」と称した賢治は、背表紙に詩集と記されたことが不満で、ブロンズの粉で文字を消したと別の友人に伝えていた。発見された本は書名や著者名まで粉が塗られ、川島学長は「それだけ否定したい気持ちが強かったのでは」としている。
~
田中一村画伯の幼少時のエピソードを、また思い出した。これについて、かつて、例のQAサイトの悩み相談に対し、回答中で紹介したことがあった。
それは、画伯が、まだ小学生くらいの年齢だったかに、やはり美術関係で、たしか彫刻の仕事を されていたという父上が、ご自分の子息(のちの一村)が初めて、ものされた絵を見て、ごく部分的に、ちょいと手直しされたところ、幼い画伯が俄然激怒、
それは子どもの手になるものとは到底思えないどころか、プロの大人も真っ青かというほどに早熟な描きようだったものを、怒った一村ご本人が間髪入れず破ってしまったのだという。
(弐へ続く)
2014.09.29 (Mon)
『アイドル、所属事務所を提訴 盗撮、全裸動画強要、レッスン代搾取でギャラはマイナス』
Business Journal 9月23日(火)6時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140923-00010001-bjournal-ent
この記事に付いた
「不審感→不信感ね。最近の記事は誤字が多すぎて
それを間違えて憶える人もいるので
気をつけて欲しい・・・。」
というコメントがあり、そのコメント自体に対しても また、賛否が分かれ、いろいろと意見コメントが付いているのだけれど。
そう言えば、「煮詰まる」という意味を、逆に取り違えている記事についても指摘があったばかりのようだ。
私自身、「不審感」と敢えて書いたことは先日もあるしw
こういうブログを、あくまで一個人として気ままに書いてるだけのことだから、文字変換機能に流されて、ついウッカリ見落としていたりするし、
だいぶ あとになってから、思い違いやミスに気づくことも少なくは ない。
なので、ふだん、他人さまの書いたもののなかで、よほど、これでは意味が狂ってくるとか、要旨が掴めないとかで、目に余る場合以外は、文字の間違いやら用法等について糾弾することは、あまり、してこなかった。
理由は あとで述べるけど、
実は、「不審感」という書きかたも、正式には認められていなくても、それほど、おかしいとは思わないのだよ、私は。
もともと、文法という取り決めごとやリクツは苦手なほうで、私の文章の構築の仕方なんて、言わば「絶対音感」に頼ってるみたいなもんですけど。
いつも念頭にあり、苦心するのは、どう書けば論理的に要旨が伝わるのか、それが第一。
さて、
そもそも「審」という一字には、
「物事を詳しく調べて明らかにする。はっきりとよしあしを見分ける」
という意味があるのだから、
ならば、「不審」とは、詳しく調べて明らかにすること できず、はっきりと よしあしを見分けることが できない、という意味になる。
つまり、怪しい、ということ、そのものだ。
だったら、「怪しい感」って、そんなに おかしいかな?と思う。
で、「不審」という単語そのもののなかに、すでに、
「疑わしく思うこと」
という意味も入っているというのだから、つまりは、
「疑わしく思うこと」を思う、
ってなことになってしまうかw
だが しかし、
「不審に思う」
という言いかたは普通にあるのだ。
「危惧感」とか「不安感」とかも、よく見かける。
「危惧」:「あやぶみ、おそれること」とあり、「危惧の念を抱く」という用法も載っている。
「不安」:気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。
「不安感」は、「不安な感じ」と、これは辞書にシッカリ出ているw
トートロジーみたいな解説だが(爆)辞書には よくあることだww
ついでに、
同じ場所での、ある投稿者の指摘について。
「全然大丈夫」という言い方は、昔は しなかったが、いまでは通用しているじゃないかという指摘なのだが、
これは、むしろ、より古い時代の、つまりは、本来の用い方に戻っているのだという説もある。
「的を得た」の例もある、
「一生懸命」の例もある。
いずれにせよ、現行の辞書だけが全てではないわな。
後手後手になりやすいのも、既存の辞書の弱点の一つだ。
あまりガチガチに金科玉条みたいに とらえるまでの必要は ないと思う。
たしかに、ことばというもの、時と共に変化するのは宿命的。
しょせん多数決の世界という側面も、たしかにある。
だって、大多数の人々に、まずは通じなければ意味を成さないのは現実の問題だもの。
ならば、何よりも意味が通じておれば、まあ いいだろう、という考えかたもあり得る。
なお、
記者という職業は基本的には、あくまでも記事をドンドン書いていく仕事であって、「赤ペン」入れることが仕事なのではないし、国語の先生でも ない。
私は、ネットにおけるニュース等の記事を発信する経験は持ってないので、よくは分からないが、どうやら、こんにちアタリマエになったネット上においては、紙媒体記事の出しかたとは従来の手順が異なっているようだなとは思う。
校正作業も、記者自身で時間を割かないといけなくなったのだとしたら、ネットのおかげで、一人で こなす仕事が増えたということかね。
実際、パソコンやネットが、一般の職場に普及し始めた頃から、これ幸いと、校正作業などは、まっ先に省かれることになっていった。この動向は、紙媒体のメディアが、よりいっそう衰退していけば、ますます加速することになるだろう。
もちろん、なんにせよ、ものを書くことを生業にしてるとか、曲がりなりにもプロともあろうものが、そんなことで どうする、と叱りたくなる気持ちは、分からないでもないが。
私なんかも、「汚気愚」で、あの「ぶらゲロんぬ」が、わざわざ自称して言うに、
自分は言語関係の専門家筋だか研究者だとかとシャアシャアのたまうところを目撃してさえおらなければ、
あの爺さんの、
「のたまわります」
てな言いぐさを、あえて嗤うこともなかったろうと思うw
2014.09.27 (Sat)
『次は自分? 「黒字なのに2割クビ」納得できるか』
プレジデント 9月26日(金)9時15分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140926-00013511-president-bus_all
エントリー冒頭にて、ちょっと言っとくけども、
「ヤフコメ」あたりで投稿しまくってるという それだけでも、そのライフ スタイルたるや、どんなもんだか彷彿ってとこだし、
そういう者がトクトクと、「雇われ者は甘えてる、おれ自身は経営者だから、超過勤務だろうが残業手当ゼロだろうが」寝食惜しんでガンバルのは、そりゃアンタの勝手です。
だれに頼まれやしないのに産んでみた自分の子どもみたいなもんだろ、個人の店や会社なんて。
せいぜい、おきばりやす。
だいたい、あんたみたいのが経営者だなんて、それ自体が信じられんけどね。
私の知ってる企業勤務者は皆、
ましてや管理職ともなれば、女性であっても、年がら年じゅう出張だ打ち合わせだと、たまの通常勤務でも、席がロクに温まることなく、会社じゅう走り回ってるから、あんたみたいに、朝昼晩問わず「ヤフコメ」なんかに投稿して遊んでるヒマもなし、
そもそも、「ヤフコメ」じたいも知らないはず。
さて、
働かないにせよ非常に優秀にせよ、様々な場合において、極端な者であろうとも、常に一定割合で存在するという説は、知っている人も多いだろう。これには、世の摂理というものを考えさせられる。
従業員を消耗品のコマのごとくに考えていけば、企業も非情なら、社員も、所属先は飽くまで一時的踏み台に過ぎず、「愛社精神」なんてコトバは死語、まさに過去の遺物へと まっしぐらだね。
もともと、日本の企業の殆どは、お世辞にも、一般社員の待遇を手厚くするほうではなかったし、かなりの部分、従順な社員の滅私奉公的勤務態度に支えられてきた面が大きかったが、いつしか「リストラ」という名が、そのへんのオバちゃんでも知るところとなり、その嵐が吹き荒れ始めて、はや数十年にもなるのか。
そうして、いよいよ、アメリカ型追随、個人主義時代の本格的スタートか。
余裕がない。
だから、
きちきち押し付け合い、
ギスギス足を引っ張り合い、
周囲のようすを窺って風見鶏、
大きな卵を産むこともできず、小ぶりの卵を潰し合って、育成どころじゃない。
私が知っていた企業の一つは、顧客購買動向のデータ収集にのみ血道をあげていて、最初から最後まで、そういうデータにだけトコトン忠実であることを戦略として貫き通し、それで しばらくは規模を拡大していったかに見えたが、結局、あえなく潰れた。
また、社員を大事にしない会社だった。特に女性社員を酷使する。
まず問われることは、ある業務なり分野のことに対し、もし、能力に著しく欠けている者が いるのであれば、そもそも、その者の適性や方向性と、適材適所に関して疑って かからねばならないのだが、それは、ここでは置いておいて、
何らかの原因や理由で、能力に著しく欠けている者が、せっかく優秀な者の足を引っ張ってしまっている場合、全体から見たときに、やがて問題を引き起こす危惧は当然あり得る。
たとえば、能力に欠けている者の分までも、優秀な者が一人でフル回転して埋め合わせてやらざるを得ない場合。普通は続かない。
埋め合わせが常に特定の優秀な者の負担が重くなるよう仕向ける(ほとんどの場合、その場のリーダーとしての無能と安易さ、怠惰、管理職として適性のなさが原因。)ことが長期に及ぶと、いずれ疲弊を招くし、破綻するのは自然なこと。
なにも企業における話だけではなく、
これまでも当ブログで幾度か言及してきたように、個々の一般家庭内でも起こる様相なのだ。
こういった場合でも、「チーム」の全体でカバーでき得るなら、かえって、それこそが、社会全体から俯瞰してさえも、目指すべき好ましく良いことなのだが。
2014.09.27 (Sat)
過去のプリント スクリーンやログを少しチェック・整理していて、久しぶりに思い出したよ。
「RingQ」ってハンネのやつに
(もちろん、「カルト連」の一人であり、私のブログへもアラシに押しかけて来たやつだということは、当初から察しが ついてる)、
やれ、私が最初にやっていたブログを宣伝していた、とか、
その宣伝文句として、
「セックス ゲームの標的にされていました」と、私が述べていただとかw
「カルト連」グル仲間でやったか自作自演なのかは知らないが、
「OKウェイヴ・おしえてgoo」でも「2ちゃんねる」でも、そういうデマを飛ばしまくっていて、私を人格否定し、口汚く侮辱しまくってたことを。
あきらかに規約違反のはずなのに、なぜか運営は、削除もせず放置。
私は、サンザンあちこちで、
最後には、旧の「イザ!」ブログでも、なぜか「汚気愚」会員のw_letterにソックリなana5というブロガーにまで(「西田三郎」なるブロガーの仲間でさ、これがw)
わけ知り口調で「嘘つき」と言われて、おやおや?と呆れ、
そして、
「ははん、ああ、ここでも そうなのか」と気づいたけど。
言っとくが、
私自身は、自分のブログを宣伝したことも一切ないし、そうしようとしたこともない。
ましてや、
「セックス ゲームで標的に」云々などと、一度たりとも言ったことは ない。
最初のブログでは、自分のブログを宣伝できるサービス?みたいなものがあったらしいこと自体、そもそもから全然知らない。
つまり、それらは、あの「カルト連」の一人であり、私のブログへもアラシに押し掛けて来たやつ
すなわち「RingQ」とも名乗っていた本人がやった、ってことに ほかならないだろう。
ったく、
どっちが「嘘つき」なんだか
こういう、非常に醜いことを やらかした、
その報いは当然、やった本人、
もしくは、本人が「かけがえのない」と思っている大事な存在対象へと、必ず返っていく。