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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2015.01.14 (Wed)

“Charlie Hebdo”事件と「表現の自由」ということについて

 

ところで、
インドネシアあたりもイスラム教徒が多いことで知られるが、私の知人は、かつて、当地に旅したおりの印象から、あそこの民衆は、わりと気性のキツい国民性かと感じたと話していたのだが、たぶん、イスラム教の関係なのかなと言っていた。

 

イスラム教徒の日本人で、現在、インドネシアで長らく生活しているという女性のブログを、ひょんなことから閲覧したこともあるが、

読んでいて、あちらには あちらの仲間という人々が存在し、ネットが発達した こんにち、ブログのコメント等で、お互いの近況報告を行っていて、部外者の当方には、ちょっと不可解なところもあるのだが、交流を温めている日本人ムスリムが、想像していた以上に、世界各地に散らばっていることは窺えた。

そして、

公的に知られているような、古来の戒律を厳正に守ることの重視よりも、むしろ、非常に個人的内面における信仰態度、すなわち、「自分の神」との対峙のありようのほうを厳しく自問自答するような姿勢なのであるらしいこと。

一般的な日本人には殆どが縁遠いであろうイスラムの信仰のありかたには、まだまだ窺い知れていない面が多々あることだけは、おぼろげながらも実感した。

 

ただ、、、

その女性のブログを読んでいると、どうも、いわゆる「オカルト」的な独白も目につき、現地に渡る前からの、彼女の日本の家族との軋轢も仄めかされていて、現地での人間関係においても、いろいろと悩み、と言うよりも、かなり危険性を伴う不穏な情況に置かれているのかなと思わせられるようなところも見受けられ、と言うのは、要するに「オカルト」としか言いようのないことなのであるが。。。なんなんだろうか。

イスラムだから、という以上に、かの地インドネシア特有の背景事情もあるのだろうか。

 

くだんの女性は、一般的水準以上に知的で怜悧で、政治でも外交問題でも宗教に関しても知識豊富で、いたって論理的に思想信条を述べられるだけの能力のある人だということは、私も、あるていど知っているのだが、
ご本人は自覚していないとしても、やはり、どこか不寛容なまでの冷厳な匂いが、そこはかとなく漂っていた感もあり、

ほんとうに、何なんだろうか、この危うい激烈な感じ、不穏なアンバランスさは、ひょっとして、彼女個人として精神的に、かなり深い問題を抱えているのかもしれないなという、まあ、それもあって、以降、私は、そのブログには近づかないことにしたのだが。

 

 

はたして、イスラム教は、「寛容な」宗教なのだろうか、不寛容な宗教なのだろうか。

『千夜一夜』には、「不寛容の罪」ということも鋭く描かれていたけれど。

 
 

Scheherazade Went on with Her Story_ Illustration from Arabian Nights by Virginia Frances Sterrett (1900-1931)_Penn Publishing Company (1928)


そして、今回の悲劇の舞台となったフランス。この国に、憧れを抱いて、留学や長期の滞在後、精神を病んで戻って来た日本人、特に女性が多いという話は、私も、むかし、新聞か何かで読んではいたのだが、

あちらでは、外国人、ことに、フランス語が不自由な者に対して、非常に冷たいという話も聞いたことはある。

 

まあ、アメリカあたりで生活した経験のある日本人でも、そうした見下しぶりが実際にあることは、聴覚と言語障碍ゆえに、母国語でさえも聞き取れ難い、一部発音に支障のある私には、いまだに苦々しい気分と共に思い出すしかない英語教師の記憶があるので、なにもフランス人だけに限ったことでもないのだろうとは思っているが。

 

佐伯祐三やゴッホなど、かの地で精神を病むに至った芸術家たちも連想するものの、もちろん、馴染んで過ごせた人々も少なくはないだろうし、
たとえば夏目漱石のことを考えても、そもそも外国で生活するということ自体、なま易しいことであるはずがないのは尤もなことだろう。

 

                                       
                                                    藤田嗣治『魅せられし河:お針子娘』

 

特に女性が華やかなイメージのあるフランスなのだが、
18、9世紀あたりまでの、かの国の一般女性たちを描いた肖像画でも見てみたら些か驚くのは、

画家たちが自分の母親を描いたものなどは殆どが頭から足先まで包み隠した黒づくめに近い服装で(イスラムのヒジャブだのチャドルだのと大差ないような)、真面目くさった硬い表情は、まるで謹厳実直な修道女さながらだ。若い娘を描いたものでも似たり寄ったりの慎ましさは珍しくない。

 

古来、裸体芸術盛んな西洋と言えど、聞けば、その昔は、うら若き女性の、あらわな裸体など描くにも、それが飽くまでも神話や宗教に擬えた場面であるという前提と言うか建前である場合にのみ、公に出すことを許されていたのだそうで、勘繰れば、これも また謹厳実直な校長先生みたいな顔つきした画家たちは、そこを上手く利用してもいたろうというわけだ。

 

シャルリーの「風刺」画の場合は、さて、どうだろうか。

 

 

【旧ブログより】

フランスって国も                        2011/12/08 18:18

極端に違う顔を幾つも持ってる国なんだなあ。

 

ロココの国、農民の国

優美の国、ギロチンの国

芸術の国、どろぼうの国

ソースで隠し、香水に紛らす

フランス語を話せない日本人を見下し、

ジャポネズリーを好む

やさおとこの軍事大国

消費税発祥の国、

原発の国w

 

…でしょうか?

小規模レベルの原発事故は、しょっちゅう起きてるらしいけど、もし大事故が起きたら、おフランス ワインも、たちまち飲めなくなるねw

おとなりのドイツに、風が行くようになってるそうだから、フランスよりも、ドイツのほうが、大急ぎで避難しなくちゃならないね。補償金は どうするのかな。

 

人間て、なんで、原発なんか必要になったんだろ?

いまさら素朴過ぎる疑問ですかね?(苦笑)

 

国家の自立とイコールのエネルギーの自立のはずが、いい気になって、ぬんちゃく振り回してるうちに、おのれのアタマ直撃するてな滑稽な愚もなくなり、名実ともに安全確保となるには、あと どれくらい かかるんだろう。

 

Douce France”

 

 


関連ニュース
心温まる逸話も芸術を生み出すフランス(2011/02/02 09:52)
フランスはなぜ原発にこだわるか(2011/12/08 10:17)

 

カテゴリ: 世界から > ヨーロッパ

 

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Updated   
2015.01.14 (Wed)

言わば、このことについてこそを、私自身も、旧ブログ等にて、この数年を費やしてきたようなものなので、もはや、ここでは手短に述べる。

これは、例の「カルト連」問題の基本部分にかかわることでもある。

 

そういえば、あの連中も、やたら、フランスに縁のあるようなことを言っていたなあw思い出したわww

 

当初は、連中が、いったい何を やりたいのだか、私には皆目わからず、だが、厭味と不穏な空気感だけは、私のようなボンヤリした者にも否応なく感じ取れ、

先方が、こちらに向かって説いていたところのことと、その目論むところも、実際には全くズレていてハチャメチャ、

しまいには「権威、良識、倫理の類はクソ喰らえ」とか言い出す始末、
そりゃ、まあ いいんだけどね、

私からの指摘と「糾弾」ぶりにも、確信と歯切れ良さには欠けているであろう自覚が多少なりあったものの、先述のような出発事情なので、鋭く的を突いていくというわけには、なかなか行かなかったのだが、

いろんな側面から、そのうち、だんだんに見当もついてきて、

当時、あの連中の誰やらが(猫ばばサマだがねw)頻りに呟くようにして、

「時間が経てば、そっちの誤解だったということが分かるだろー」

みたいなことを言っていたけれども、

誤解どころか、やはり、私の当初の直感と不審は、ほぼ合っていたのであり、私の感じた憤りの妥当ということも、いまでは分かる。

 

つまり、

少なくとも、その場においての少数側、何らかの理由で立場の弱い者を、嘲笑あるいは皮肉りや罵り等の対象にすることの、どこが「芸術」、または「文学」なのか?ってことだ。

 

 

旧ブログでも、そうだ、まさに、このことなのだ、と思って、とりあげておいたコトバを、再び紹介しておく。

たしか、キューバの、
いまは高齢になり、もっぱら後進の指導に あたっているという、かつて、世界的名プリマだった人のコトバ。

 

芸術とは、人の心を豊かにするものです」。

 

そう。。。

芸術が、人の心をクサクサさせたり鬱屈させたり荒ませたりするためのものであるはずがない。

 

 

さて、今回のような事件で、インタビューを受けたイスラム教徒の人たちが異口同音に言う、
「彼ら過激派と、私たち普通のイスラム教徒とは別ものです」という訴えなのだが、

私が気になっているのは、
それこそ、生まれつきの「過激派」なんて いやしないだろうに、
もとは「普通のイスラム教徒」だったはずの者たちが、ああした過激極まる「イスラム教徒」に変貌するらしいのは何故なのか?ということである。

(続く)

 

 

Updated   
2015.01.12 (Mon)

“ブチ模様”の白毛馬・ブチコが8馬身差で初V!
デイリースポーツ 110()1027分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150110-00000021-dal-horse

 同馬は、母に白毛馬のシラユキヒメを持つキングカメハメハ産駒。半姉のユキチャンは交流重賞を3勝しており、この日の内容からも砂戦線での大きな飛躍が期待できそうだ。

話題のブチコぶっちぎりV/京都1R
日刊スポーツ 110()1053分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150110-00000009-nksports-horse

 白毛に茶色の斑点模様がある斑毛(ぶちげ)で、デビュー前から注目を集めていた。母シラユキヒメの白毛一族で、半姉にはダートで重賞3勝のユキチャンがいる。次戦もダートとなる見通しだ。

 

「母に白毛馬のシラユキヒメを持つキングカメハメハ産駒」()

 

そうなの、それは それは(()

もう だいぶ前の話題だったと思うけど、「ユキチャン」勝利を報じる記事を見かけたときも、思わず親しみを感じてた()

なんせ私自身も、下の名前のせいで

(周囲の人々に言わせれば、名前と外見の雰囲気が、この上なくピッタリ合ってるんだってさw
でもね、もともと本当の出所はと言うと、例の、あの、腹切りした有名ウヨ作家なんだよぉwwそれだから、いっそ変えられるもんなら変えたいと、ずっと思ってたこともあるほどに、内心複雑なのよwww)
そういう呼ばれ方してたし。

 

しかし、なんだか、わてと縁のある名前揃いですなあ、これは また。

「シラユキヒメ」つったら()いまは もう、なつかしの、、、?
になっちゃってるけど、知る人ぞ知る、かな?(()

まあ、いまでも、似たようなハンドルを使ってるわけだがなw

 

「ブチコ」というのもね、
私が学校時分に飼ってた犬が最後に産んだ女の子、最初、私は、普通に「
シロ」と名付けたんだけど、

家族も親戚も友人知人からも、ことごとく、
「シロなんて ありきたりでツマランし、ブチ」にしなよ!ブチに!!」
と強力に勧められて、結局いつの間にか、「ブチ子」と呼ばれるようになってた。

なぜかと言うと、母犬に似て、鼻先がピンク混じりのブチ模様だったから。

 

これの母犬というのは、
私が幼稚園児の頃、忘れもしない、お昼ご飯どきの うららかな陽ざしのなか、自宅の前を、一匹だけでトコトコ歩いて来たのを拾い上げてから、私が高校生になるまでを生きたけど、

どうも、秋田犬だか紀州犬だかの血が入ってるみたいな(こちら大阪なので、紀州犬の可能性のほうが高いのかな?)全身真っ白で、やっぱり、鼻先がピンク混じりのブチ模様だった。


この犬は、拾った私が、白い子を、なんとなく好むのを最初から知っていたかのように、やがて出産のたび、真っ白な子を必ず一匹は混ぜていた。

そして、最初の子と最後の子は、どちらも一匹のみを産み落とし、
しかも、やっぱり、全身真っ白な子。

 

気性は激しめで、神経質で、犬のくせにキレイ好きで、気も強いから、家の者の言うことを聞かないところや気まぐれな放浪癖までもあったけど、

母犬としては、お産でも子育てでも、人間さまの母親たちを感心させるほど手際が良く、非常に賢かった。誰に教わったわけでもないのになあ。

こういうことって、自然界では、ことに動物の世界では、大きくモノを言うのだろうかと思わせられたくらい、オス犬たちにモテモテだ。

かなりオバアちゃんになってからも出産して、最後に産んだのが、くだんの「ブチ子」だ。母犬に、気性も外見もソックリ。

 

ある日のこと、
私が知らないうちに、よそのお宅へ貰われていく話が ついていて、それを知ったとき、私は猛烈に泣いて怒ったものだけれど、新しい飼い主さんが、そのことに いたく感激されて、わが家に贈り物を届けてくださったりした。

敏くて賢いから、立派に番犬を務めていますよということだったが、裕福な家庭の部屋飼いで、とてもとても可愛がられているという報告だった。人間の お嬢さまみたいに愛されて、一生を終えたことだろう。

 

その母犬を始め、犬に限らず、猫であっても、うちで飼ってたメスは皆、気が強く、甘えんぼで、でも賢くて、
雑種だし、器量が特別良いわけでもないのに、オスに やたらモテモテ、という共通点があった。


    
 

「人間というものを知れば知るほど、人は、犬を讃えるようになる」
とか言い残したのは、誰だったかしら。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52178968.html

 



 

  
  

 

まあ、家族の一員として愛してきた人たちは、馬でも犬でも猫でも、その備え持った美質の点や憎めなさや、一生のあいだに、彼ら彼女らと自分たちのうえに起きた、ささやかにして様々な出来事など、語り始めたら、なかなか止まらないのを、多くが経験しているだろう。

 

旧ブログでは、そういった、うちの犬や猫たち(本来ノラだが、すっかり、良家の子女然として、うちの庭に居ついてたのも含めてw)の、いろいろ不思議な現象もあったことを書いたりしたんだけど。。。

 

ほんと、動物には、ふしぎなところがあるよ。

 

 

 

Updated   
2015.01.10 (Sat)

≪『はじめてのおつかい』:きびしくてやさしい「ウソ」と子どもの自立の心理学』≫
201515 227

http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20150105-00042031/

 

(注:はじめに、

かねて言ってきているのだが、

私は、「グーグル」と同じく「フェイス ブック」に対しても、ひときわの不信感を持つゆえ、ここのアカウントは持っていないし、かつ、今後も、加入するつもりは ないという考えなので、上掲、「ヤフー」が主宰するコラムに対し、コメント投稿が できない。何度か試し直してみたのだが、そういうシステムになっているようだ。

したがって、以前にも、やむなく、こういう かたちを とったことがあるが、今回も、碓井氏の、このコラムについて投稿できなかったコメントを、ここに載せておくとする。)

 

* * * * * * * * * * 

 

碓井先生。

ここで仰ってる「うそ」とは、言い替えれば、「ストーリー」でしょうか。

 

私も、かつては時々見ていた番組を、今回、例に挙げられて、テレビ局を大いに喜ばせるようなことを述べておいでですね。

いまでは、私は、テレビ自体を見ることが なくなっていますので、ながらく ご無沙汰になっていますけれど、

あの当時、たしかに私も、子どもたち、その親たちの、素朴な「ドラマ」に、ほほえましく感じたり、ハラハラしたり、ホロリときたりしたものでした。

 

その番組も、思わぬ事故等アクシデントを起こさないでこれたからこそ、賛辞を受けることが できるのでしょう。

 

ところで、
子どもを「利用」した番組では、一般家庭の日常のなかで、一歩間違えたら、命の危険すらあり得るような(たとえば、高い位置から転げ落ちるような)場面にあった子どもを、親が、動画に撮ったものを、テレビ局に投稿し、そのなかから選ばれたものを公開するといった番組もありましたが、

だんだんとエスカレートしていったのであろうか、偶然ではなくて、どうも、親みずから、わが子を危険に晒すことも辞さずに、敢えて、そうした演出を行い、撮影したものを、番組に投稿しているのではないかという疑念を抱かせられるようなふしさえ窺えました。

その番組が、以降、どうなったかは存じませんが、いまでは、さしづめ、「ユーチューブ」あたりに、投稿の舞台を移しているのでしょうか。

 

 

さて、
私の幼なじみの家庭では、そこの おかあさんは、自分が やったほうが断然、早く済む、ということで、かえって手間になりかねない家の事などを、子どもたちに手伝ってもらうのを、むしろ、避けていました。

私は子ども心に、その おかあさんの姿勢に疑問を感じていました。

 

私の場合ですが、子ども時代、自他ともに認めるほど、親の手伝いを、よくするほうの子どもだったと思います。母が病弱だったのが、一番大きな理由だったのですが、家に、母が不在だった時期も長期間ありましたので。

 

はっきり言って、親だけでなく、他の身内も その傾向だったのですが、私に対して、ほとんど女中扱いのようでしたけれど(苦笑)

実際、幼い私の手伝いが、親たちにとって、多少なりとも役に立っていたからこそ、常に、家庭の手伝いを、あれやこれや命じられたのだと思います。

 

 

ただ、「自己肯定感」というものについてですが、

何らかの原因で、根深い無力感に陥ってしまっていると、前向きに、自分自身のための努力すらもできないし、

「自分のため」というよりは、周囲のために、つごうよく振り回されているだけであることに気づかず、
かえって、自分のための努力、自分のための生活や人生、自分を優先させることに、潜在意識のなかで、深い罪悪感を持つことさえあると思います。

それなりに努力していたとしても、心底からの「自己肯定感」というものは、なかなか得られないでしょう。そういう極端な心境を余儀なくさせられるということは、さすがに、一般には少ないケースだろうとは思うのですが。

 

 

純真な子どもは、なんにせよ、おとなの、打ちひしがれた姿というものを見ると、なんとも悲しくなるのですね。

自分の大切な親や肉親が、追い詰められ、傷心を抱え、ほとほと困っている姿なんかを見ると、自分のこと以上に切なくて、深く不安に苛まれるのです。

 

そんな子どもの純真さを、おとなたちには、ヘンに利用することのないように、くれぐれも心してもらいたいです。

子どもの人生を、将来にわたって損なう恐れもありますので。

 

 

Updated   
2015.01.10 (Sat)

いま さっき読んだ

スポーツ報知 110()1945分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150110-00000118-sph-soci

 

ま、一言。

「自己愛性人格障害」者なんかと、うかうか付き合うもんじゃありませんわ。

始末悪いこと、このうえないからね。

 

「腐れ縁」というコトバもあるが、まず100パーセント近くは、どうしても、歪な、腐った人間関係になっていきやすいですから。

最後は、「共依存」とかに陥って、どっちも どっち状態に。

 

どーしても離れられないのであれば、せめて、子どもは つくらないようにすることだ。

子どもが、ものすごいトバッチリで、迷惑こうむって、さんざん苦労しますからね。

自分でも知らず知らずのうちに、歪みの影響を受けてしまうこともあるし。
なんせ、あのテの者というのは、「
平気で嘘を つく人たち」ですから。

 

しかも、なまじに頭が良い者ほど、その嘘が嘘だと気づかれるまでに、長い年月を要したりする

同じ「人格障害」者であっても、たいしたオツムでない者は、比較的すぐにバレる嘘を つくがw

 

本人は、今回の「事件」にも見られるように、非常に軽薄、かつ俗な性質なのです。

ただただ、自分の価値というものを、身勝手な方法で確認したいだけ。

根が俗物だからですよ。

だから、他者に対して、隙あらば、こういう俗悪な要求を突きつけ、恥を掻かせ、困らせようと欲してやまないのです。

「悪意」?ありますよw

私は、その「悪意」の対象になっていた経験があるから、ある程度、察しが つく。

なぜなら、以前も言ったけれど、

彼らには、生まれつき備わってるのか?と言えるほど、
もともと「被害意識」があるからです。
ただし、その被害意識に、客観的あるいは論理的妥当性があるかどうかとは一切関係ない場合も多々あるらしい

だって、

いつも、漠然とした不安感とか「見捨てられ不安」などを、つよく感じているというのだから(脳内分泌のぐあいにも関係してるのかね?)、それが、彼らの「被害意識」の源なのであろうし、

ひいては、

常に つきまとう、その根強い被害意識を、鬱憤晴らしを させてくれやすそうな相手を、常に虎視眈々と窺ってますわw
もともとが敏感過ぎるほど敏感で、抜け目がないと言っていいほど、損得計算、駆け引き計算に長けて、よく言えばシッカリした性格のひとも多いじゃないの?このテのひとたちってww

そして、これは、むしろ、普遍的な類の心理なのかもしれない、
すなわち、人というものは、
自分にとって重要な相手であるほど、その相手に、「転倒」
と言うべき、被害意識を持つものらしい。


わかるかな?


その相手が、自分にとって、価値ある存在だと思えるからこそ、それが そのまま、わけもなく、損害意識や被害的感情に結び付いていくのらしいということ

失うことを恐れるからこその反動ってとこかな?


だから、そういう相手に対してこそ何らかの鬱憤晴らしをせずにいられないのかもしれない。
だが、それを やってしまったら、ほんとうに、見捨てられてしまいかねないという危惧がある場合には、、、

どうするかねえ?
第一に言えることは、とことん鬱屈するのだろうね。
思いっきり、ぶつけたいのに、ぶつけられないとなると。
じゃあ、どこに、ぶつけようとするだろうか。

 

それにしても、近頃の老若男ども、ナサケナサ過ぎやしませんかね?wははは、はっww

ごめんね、つい嗤ってしまってwww

 

まあ(辞任したそうだが)、人さまの子女を指導・教育する職に ありながら、この大学講師さんは、
年甲斐もないほど「おぼこい」のか、純情なオッサンなのねw

たぶん、女性経験が少な過ぎたのだろうかな?

 

 

ただ、ま、「人格障害」というのは、殆どが持ち前の性格ということなのだけれど、それだけに、基本的には、治療の しようもないわけだそうで、
かろうじて、年とったら、少しずつマシにはなっていくと言うのだが、

私の身近で知るかぎりでは、たしかに、けっして、「治る」ものではないようだ。

 

ヘタに責任感とか使命感でもって関わらないほうが、お互いの身のためだと思うがなあ。

最後まで自分一身の範囲で引き受けきる覚悟があるのならば、敢えて止めないけども。

それなら それで、一つの徹底した人生のありようかな、とも思えるし。

 

ただし、
たとえ悲劇を覚悟していても、くれぐれも、子どもは つくらないようにね、と言いたい。

巻き込んで、世代連鎖しやすいからね。そうなったら、ほんものの悲劇に終わる恐れが濃厚だから。


あの「カルト連」みたいに、自分の家族やリアル身近の周囲に対しては、いたって おとなしいと言うか、いわゆる「外弁慶」の歪形みたいなタイプだとすると、真逆に向いて、まるっきりの他人さんをこそ巻き込む傾向があるようだがね。