2015.06.09 (Tue)
やっていいこと、悪いことがある。
言っていいこと、いけないことがある。
悪いことを した者が、今度は、
言ってはいけないことを言う。
必死で抗弁し、
あわよくば「美談」めいたストーリーに持って行こうと図るのは、
畢竟、罪の意識が払拭しきれないからだ。
おまえさんたち、
骨も拾えぬ、
文字どおり「影」だけになってしまった市民の姿を留める石を直視してみよ。
『初の核実験「太陽のよう」=原爆開発70年で研究者―米』
時事通信 6月3日(水)14時45分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150603-00000080-jij-n_ame
『「マンハッタン計画」に関わっていた女性科学者に話を聞きました。』
フジテレビ系(FNN) 6月8日(月)13時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150608-00000237-fnn-int
あたかも、
罪人となったイエス・キリストの茨の冠を被ったかのようにも見える、あの「原爆ドーム」。
「実験」対象にされた当の日本が、こんなアメリカを護衛せねばならないのですってさw
土地さし出し、カネを積み、
このうえ、命も張って血を流して、ボディガードたるはずの世界最強軍事力を持つ核兵器大国を、守らなければならないと宣言した安倍政権(嗤)
アメリカ大喜びするわけよ(嗤)嗤)
この70年の平和が続いた実績とは、
すなわち、どこからも、なかなか攻め込んできてくれなかったという現実なので、
これに業を煮やして、
武器商売で稼ぎたくって、
自衛隊を、名実とも「軍」として通用させたくって、
ウズウズしてる安倍政権としては、
自国憲法の遵守という最大義務を放り出してでも、
「日本のためだ、アメリカを助けるぞ!」
という名目で、こちらから攻め込んでいける理由を つくりたいのでしょう。
弾劾相当ですぜ。
なぜ、そうしない?できないのか?
「これは もう、だめかもしれんね、日本。」
2015.06.09 (Tue)
国家権力志向や戦争は、男性性ゆえの本能みたいなもの。
いつぞや、中東の戦闘組織にワザワザ入りたがっていた学生とか、この「平和ボケ」日本でも発覚したよね。
いっぺん、自衛隊に、無記名アンケートでも とってごらんなさい。
案外と、
戦争ドンパチ厭じゃない、というのが本音のひと、少なくはないと言うか、むしろ多いくらいじゃないかな?
もともと、こういう組織に望んで入ったくらいだもの、ムシが好くはずよ、「マッチョ」の世界w
男だもの、生まれて一度は、
「ヒリヒリするよな」極限状態のなかに飛び込んでみたい、
生きるか死ぬかの修羅場状態のなか、思いっきり、武器を使いこなしてみたい、
圧倒的な力で、「敵」を叩き潰してみたい、
自分の力を、これでもかと、皆に見せつけ、
自信と哀愁とに満ちた男になりたい。。。ww
これも何度か指摘したけど、
そもそも自衛隊にとって、自民党は「ボス」と呼ぶべき対象、自民党支持者が多いのは自然なこと。
安倍政権の指示にも粛々と、と言うよか、
「左」系は無論、一般国民からの心配だろうが、
「止めてくれるな、おっかさん」的に、むしろ、行かせてくれよ、と思ってるかもね。
その後に、どんなトラウマを抱えることになろうとも。
私はね、どうしてもそうしたい、行きたいというのなら、止めないほうなんだ、本来の性格は。
ただ、
国家と国民のために「当然、リスクを負っているはずだし、負う」自衛隊諸君の身の危険を心配するよりも、
彼らが、自国以外の争いに、首突っ込んでいくことで、
かえって、一般国民の、自国内においてさえも、要らぬリスクを招く事態を呼んでしまいやせんかと、そっちを心配してるのよ。
それに、若い層の人口減、経済力減の時代に、軍事費の肥大ばかりを迎えたひにゃ、どうなるのかと。
まあ、どうなろうと、私が死んだあとのことになる。
後は野となれ山となれ、とも言える身なんだけどね。
ほんと、子どもや孫が いなくてヨカッタ。
この大災害列島で。
ほとんどの人間いずれは怪我や病気で、最後は苦しんで死ぬのが必定だと分かっていて。
おめでたき親や爺さん婆さんたち、ガンバってねー(嗤)
2015.06.09 (Tue)
「2007年」当時というと、安倍第1次の頃ですね。
『「ヘイト」を追及し続けるジャーナリスト・安田浩一インタビュー(前)
両論併記に逃げるメディアの傍観者たちは「ヘイト」の意味も危険性もわかっていない!』
http://lite-ra.com/2015/06/post-1160.html
■大江の安倍批判はヘイトじゃない! 言葉の定義すら知らない新聞社
──この2年間、ヘイトスピーチに関する報道も増えました。安田さんから見て、この2年間でメディアの報道姿勢は変わっていると思いますか?
安田 変わっている部分と変わっていない部分、両方あります。在特会が社会に出てきたのは2007年でした。外国人労働者の取材をライフワークとしていた僕の視界に、彼らの姿は嫌でも飛び込んできたんです。
それで取材を始めましたが、同業のライターとか編集者に彼らについての企画を持ちかけてもみんな断られました。「あれは一部のバカがやっていることだ」「いずれ消えてなくなる」といった理由をさんざん聞かされた。反発心はありつつ、一方では僕自身もそうした理屈を受け入れつつありました。
そういう当時の状況と現在を振り返って変わったのは、この問題にしっかり精通して、正当な批判を加えることのできる同業者が増えてきたこと。存在を知っていながら意図的に無視したり、自分の手を汚すことなく彼らの存在を論じていた人々が、今は少なくとも現場に出向くようになった。もちろん、数としては少ないですよ。でもそういう人が出てきたということは、やっぱり僕はメディアも変わったと思います。
ただ、まだまだメディアの無理解というものがなくなったくわけじゃない。ヘイトスピーチをめぐる議論がこの2年間活発に行われてきた一方で、例えば産経新聞は憲法記念日に行われた護憲集会で大江健三郎が行ったスピーチのなかで安倍晋三が呼び捨てにしていたことを踏まえ「一国の首相を呼び捨てで非難するのは、『ヘイトスピーチ』そのもの 」と報じました。ヘイトスピーチとは人種・民族・国籍・性などのマイノリティに対して向けられる攻撃で、一国の首相を呼び捨てにすることはヘイトスピーチでも何でもありません。新聞社が未だにそうした報道をすること自体驚きですが、普段周りの同業者と話したり、メディアの学習会に参加すると、近い考え方をする人は決して少なくないと気づかされることもあります。
~
(一部文字強調は、当ブログ主による)
あはは。
だいたい、各分野の有名人・著名人ともなれば、どんなに偉くて業績の高い人でも、敬称を付けずに紹介されたり呼ばれることは、世間で普通にあること。
ましてや、主権者は国民。
言わば主人が使役する者に対して、敬称を付けないことに、なにほどの問題があるというのか。
むしろ、
国民から主権を剥奪せんものと狙う、あの思いあがった暴走シュショウには、今後は、どしどしと呼び捨てにしてやったほうが似合いだとさえ思っとります。
安田さん、
ご存じ「安倍政権御用達・煽り」産経新聞社のね、
けっこう名物記者と言っていいのだろうか、私は よく知らないけど、
あひる、じゃなかった、
あびらびら、でもない、
たしか、「あびる」ナントカとか言う記者が居るんですけど、
「世を憂」えるあまりに「われとわが身を甘やかし」?ているのらしい
(贅肉プヨプヨおデブちゃんなのだろうかね??)、その記者は、
元首相の菅氏を指して、
「アレ」
と呼ばわっていたのですよ(爆)
なんでも、当時、首相の名前を普通に呼ぶのすらも厭だとかいうので。
まあ、数年前、ろくに何も考えてなかった私が、たまたまブログを始めたサイト先が、たまたま、「産経」系運営サイトだったので、その頃に、たまたま目撃したことで、細部に関してまでは記憶が曖昧になってますが。
だからね、
到底まともに向き合って真面目に読むもんじゃない産経、自称「新聞」も、
そんな産経「新聞」を愛読していられるオツムの連中も、
「バカウヨ」「ネトウヨ」」と呼ばれるような投稿を繰り広げている愚衆も、
私に言わせれば、
「自分棚上げ」方式の典型タイプ、
これぞオポチュニストであり、
一定程度なりに知性と論理性、良識ある判断力というものを持ち合わせている人々には相手にされず、軽蔑されていて当然なんです。
2015.06.08 (Mon)
『西日本 非常に激しい雨・雷雨に注意(7日19時更新)』
ウェザーマップ 6月7日(日)18時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150607-00010002-wmapv-soci
だそうです。
雨も大雨も雷雨も暑いのも寒いのも厭だw![]()
2015.06.07 (Sun)
の続き。
とにかく、成績が良いというのは、一緒に授業を受けていれば、こちらにも、すぐに察せられることなのだけれど、単に、学科全般が良くできるというだけでなく、
私の身内にも、そういうタイプは いるのだが、そもそも、知能指数がズバ抜けているという話だった。
そのA君は、見るからに、頭脳の優秀さが現れたような外見で、
他の男子どもが、汗臭くも、浅黒い顔にニキビを爆発させていたのとは対照的に、
神経質そうな青白い滑らかな肌、澄んだ切れ長の目、ちょっと捉えどころのないほどクールな表情を常に浮かべていて、
要するに、絵に描いたような、透明感のある、繊細な優等生の風貌であり、およそ「体育会系」とは程遠いタイプだったのだが、それでも、本当に優秀な人って、いわゆる「文武両道」だとか言われるものだけれど、A君も、じゃあ、体育系が苦手かというと、そういうわけでもないようだった。
小学校時分から、「女番長」などと呼ばれたこともあるほど、五月蠅くチョッカイを出してくる男子ども相手には真っ向からやり返すことを辞さなかった私にも、その名物優等生男子A君が、感情を少しでも表に出した場面を目撃したことは、ついぞ なかった。
もちろん、A君が、私に対して殊更に何か言ったり仕掛けたりしてくることは一度もなかった。
したがって、こちらとしても、彼が、すごい評判の持ち主という噂を聞きつつも、遠巻きに眺めているだけのことで、私にとっては、大変な優等生だとかいう以上に、単に、もの静かで大人しくて、この年頃にしては珍しいほど非常に冷静な男子であるという以上の印象は希薄だった。
入学して、私が最初に希望していたクラブ活動は、
およそスポーツが得意なわけでもないのに(フシギなことに、両親、特に母のほうは、国体候補になったことがあるほど、スポーツ万能だったのだが)、
単なるミーハー精神だけで、かっこ良さげなテニス部を志望していたのだが、さすがに、ここは希望者が あまりに多かったそうで、とりあえず別のクラブを考えないとならなかった。
前後して、
クラブ選択するにあたり、全新入生のためのレクチャーを兼ね、各クラブごとに持ち時間を与えられた、主に三年生の先輩方が中心になって、「ぜひとも、わがクラブへ!」という勧誘演説が、講堂にて行われた。
私は、それらを一応真面目に聞いていて、テニス部以外に、とある文化系のクラブに興味を持った、と言っても、
その内容も名称も、こないだまで小学生だった身には聞き慣れないもので、活動自体に興味を持ったというほどではなかったのだが、
なにしろ、そのとき勧誘演説していた三年生の男子先輩の呼びかけが、とても情熱的で知的で、いわゆる「意気に感じた」わけだった。
小学生あがりには、三年生は、なかなか大人っぽく見えた。
しかも、そのクラブは、人数が少な過ぎて、存続は風前のともしび、ということで、先輩の演説には、まことに悲痛なものがあった(笑)
ミーハー憧れのテニス部がダメだというので、一転、その潰れかけ文化系クラブのほうに心を決めた私が、そのことを、帰宅後の夕食時に、親たちに報告すると、
ふだんは何ごとにつけ反目し合っていた父と兄が、このときばかりは口を揃え、なぜか大反対した。理由は、
「これ以上、ナマイキになっては困るじゃないか」w
どういう意味?とムッとした私は、わが家の父兄の意見は全面的に無視することにして、その潰れかけたクラブの部室へと乗り込んで行った。
先輩がたの、涙ながさんばかりの熱い歓迎のコトバ(笑)、懐かしい思い出の ひとこまであった。
ある日のこと、クラブ活動の日に、部室へ赴いたところ、なぜか、くだんのA君が、そこに居た。
私は思わず、
「あれぇ?A君、このクラブに入ってた?」
と話しかけたが、
相変わらずクールなA君は、まともに返事もせず、ただ、口の端を微かに曲げて、ニヒルな笑みを浮かべて返しただけであった。
あるとき、男子女子合同でドッジボールを やる機会があった。
体育の通常授業の一環だったのか、特別なイベントだったのか、いまでは記憶が曖昧だが、
とにかく、相手グループのなかに、くだんのA君が加わっていた。
さて、
対戦相手の一員として加わっていたA君、なぜか、集中的に、私だけを狙ってきた。
コートのなかで、私が、どの位置に逃げていようと、A君の眼は常に、私のほうを見ていた。
私が必死に かわしても かわしても、
A君は、こちら目がけて、執拗なほど、ボールを投げつけようとした。
実際、当てられてしまった私は、怪訝な感じを持ったが、その頃は、それだけで、あとは忘れていた。
二年生になる頃には、クラス替えもあったし、時おり、A君の相変わらず優秀さを窺わせるエピソードを漏れ聞くことはあっても、私にとって、それほど興味ある対象ではなかった。
やがて、
飽きっぽい私は、放課後のひとときを、仲の良い友人たちと遊ぶほうを優先し始め、
顧問の先生が、私の将来性を高く買ってくれていたにもかかわらず、クラブ活動をサボり始めて、遠ざかっていき、
ついには全く、顔を出さなくなっていた。
ある日の学校行事で、たぶん、文化祭だったかにて、講堂の演壇上で、各種クラブ活動の一端や成果を、全校生徒と来賓たちの前で発表しているとき、その頃すでに別のクラブに所属していた私が、とうに やめてしまった、あの潰れかけクラブの、相変わらず少ないメンバーたちも登壇していた。
その代表として、A君の姿もあった。
彼は、あのあとも最後まで残り、
先輩たちが卒業していったのちは、彼自身が部長となって、クラブを率いていたのだった。
彼の発表ぶりは、立派なものだった。
私は、いささか恥ずかしい気持ちを覚えた。
それから、
人生最初の受験シーズンを迎え、それぞれが高校へと進学する頃には、クラブのこと、あのドッジボールのときのことも、すっかり忘れたまま、最近になるまで、記憶の底に沈んでいた。
ときおりは、
あの風変わりな男子の記憶を、ふとした機会に連れて、少し思い起こすことはあっても、なんだか怪訝な印象だけが先に立ち、すぐに忘れていた。
要するに、私にとっては、その程度の思い出だった。
彼の名前も、もう思い出せない。
どこに進学し、どんな職業を持つ大人となったかも一切、知らない。
ただ、あの神経質そうな青白い肌と、澄んだ切れ長の眼と、感情の見えないクールな表情だけは、わりと先日会ったかのように思い出せる。