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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2015.08.22 (Sat)

『インノケンティウス10世像による』安倍朕w

 

またかよemoji

またヤジとばしたんだってなemoji

その、カラッポの、虚しい闇の入り口のような口でもってemojiemoji

     
   『Abeノしんちぁんウス3世像』もとい『インノケンティウス10世像による習作』

 


以前のエントリーでも述べたが、
国会の議員は、与党でなくとも、国民の代表者として、国民の代わりとなって質問している。その質問者に対して、蔑ろに あしらうということは、国民に対して、そういう態度かつ本音だということに他ならぬ。


最近、自民党を離党したらしい武藤某という、自分の名前の漢字すらも まともに書けないらしい、あのヒョットコ麻生さんすらも負けそうな、
そうして、ミョ~にトッチャン坊やづらした輩は、学生たちのデモを非難して、戦争に行きたがらないのが利己的だとか何だとか、このうえないバカまる出しなことを言い散らした その舌でもって、
されど、かく言う おのれ自身は、自衛隊に参加するとか戦場に赴くとかいったことを やる気はないのだと、それの言い訳というのが、
先日の当ブログ エントリーで紹介した、安倍朕の言い訳と全く同じこと言ってるもんだから、もうトコトン呆れ果てたよ。

さすが、あの親分この子分だと。

 

要するに、

安倍朕は、自分は飽くまでも為政者なのであるから、そんな御身分であるエリートな自身が戦いに赴くだとか自分の命を懸けるという気は ない、それは自分の役目では ない、

自分は飽くまで生き延びて、命令を下し続けることこそが務めであるからと、そういう主旨のことを、どこぞのテレビ番組内でモゴモゴ言ってたんだそうな。

ケッemoji

ほんと、その無自覚な思いあがり、鼻について胸くそ悪くなるemoji

 


わたしゃ選んだ覚えもない政党が与党で、こんなのがシュショウ。

もぉうemojiはよ辞めてほし。。。emojiemojiemoji

 

 

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Updated   
2015.08.20 (Thu)

UKで感じた戦後70年:「謝罪」の先にあるもの
ブレイディみかこ2015818

http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20150818-00048593/

~謝罪がどうのということよりも、さっと自分から立って紅茶を作りに行くかどうかが、そのことだけが物を言う時代になったとき、日本はどんな国になっているのだろう。

 

いや、それはぁ、

「さっと自分から立って紅茶を作りに行くかどうかが、そのことだけが物を言う時代に」なる前に、かつての道を、またぞろ歩き始めるのでないかという危惧を持つ人が少なくないわけですわな。

 

 

このブレイディみかこ氏のコラム、たまたま拝見したとたん、

嫌いな対象ほど、かえって目につく、見たくもないものほど、ことさら視野に入ってくる現象というのかw、

こちらさまのコラム冒頭で掲げられてあるフォトのなかの安倍朕の顔に、何かに引きずられてしまうが如く視線が行くと同時に、
いつもどおりゲンナリ感を もよおしたは勿論だが、それだけではなく、

「ん?どこかで見たものに似てる、、、?」

と感じた原因が、これだったww↓

  

 
  Francis Bacon『インノケンティウス10世像による習作』

 

 

ところで、

19985月、バッキンガム宮殿に向かう日本の天皇の車に対し、沿道で元POWの人々が背中を向けるという抗議活動を行ったのだ。彼らは日本の天皇が乗っていた車両にブーイングを浴びせ、日の丸の旗を燃やした。UKメディアはこれを大きく取り上げ、炎上する日の丸の写真を一面に使った新聞もあった。当時わたしは、ある日系新聞社のロンドン駐在員事務所に勤めていたが、翌日の日本の新聞の一面は松田聖子と年下の歯科医が結婚したという話題だった。天皇訪英の記事は二面の小ネタ扱いで、その見出しは「天皇皇后両陛下、ロンドンで歓迎を受ける」みたいなきわめて平和なもので、POWの抗議活動や燃やされた日の丸の話題には一言も触れていなかった。

日本からの駐在記者たちはタブロイドの一面や英国のニュース番組を見ながら「これはすごいなー」とか言い合っていたので、知らなかったわけではない。でも、そんなことは誰も書かなかった。書けなかったのだ。

もちろん、今だったらそうはいかない。燃える日の丸の画像を誰かがツイッターに上げて瞬時に炎上するだろうから、新聞だって書かないわけにはいられなくなる。

「日本はここ数年おかしなことになっている」「昔は平和だったのに」というような声をよく耳にするが、その「昔の平和」とは、平和がかき乱されるような外地からの情報がふわっとブロックされていたからこそ成り立っていた、特殊な平和だったのかもしれない。

 

「~翌日の日本の新聞の一面は松田聖子と年下の歯科医が結婚したという話題だった」

松田聖子とか日本の芸能界には、私の興味が薄いせいか、そこは全く憶えてないけどw

 

「~天皇訪英の記事は二面の小ネタ扱いで、その見出しは『天皇皇后両陛下、ロンドンで歓迎を受ける』みたいなきわめて平和なもので」

小ネタ扱いだったかどうかも憶えてないけれど、
まあ平和的な扱いだったのは、基本的に そうだったという記憶はある。だけども、

 

「~POWの抗議活動や燃やされた日の丸の話題には一言も触れていなかった」

そんなことなかったと思うがなあ。

逐一の事実に関しては ともかく、抗議としてのパフォーマンスが あったこと自体は読んだ記憶があるもの。

 

「日本からの駐在記者たちはタブロイドの一面や英国のニュース番組を見ながら『これはすごいなー』とか言い合っていたので、知らなかったわけではない。でも、そんなことは誰も書かなかった。書けなかったのだ。

そうなの?

ああ、1998年当時というと、そうか、

ロハでサービスしてくれるという理由だけでw親父が『読売』新聞一筋だった実家を出て以来、私は自分で、『朝日』新聞を購読していた頃だから、『朝日』新聞には載っていて読めたのかなあ?()

 

 

沿道で元POWの人々が背中を向ける

という行為は、敗戦直後、日本国内に入ってきたGHQに対して、当時の日本人たちが無言で行なったのと同じ態度なのね。

 

もちろん、今だったらそうはいかない。燃える日の丸の画像を誰かがツイッターに上げて瞬時に炎上するだろうから、新聞だって書かないわけにはいられなくなる

さて、どうだろう。。。

中国や韓国あたりの、そうした活動ぶりは、わりと最近になって、一般の大手紙でも記事として普通に とりあげるようになったのかなという感じはするし、
そのために、ますます、日本国内の、ある傾向の(たとえば、てきめんに「特ア」と呼ばわりたがる)ひとたちの いきり立ちを煽っているかのような感すらあるけれど、

同様に、
アメリカやヨーロッパ方面での「反日」活動のハデなところを記事にしたとして、はたして、中国や韓国に対するのと全く変わりのない反応が見られるだろうかというと、どうも そうでは なさそうな気もするしねw

中国や韓国なら、国家全体が そうであるが、

欧米の場合は、あくまでも一部の連中のみで やってることに過ぎないから、過敏になるな、みたいな、つごうのいい思い込みで決めつけるとか、要するに、受け止めかたの冷静度合が異なっているかもねw

 

 

まあ、たしかに、個々人レベルの実際的人間関係のなかで、ああいったことを とりあげ、「謝罪」するのしないのというのは、やはり大げさな気もするし、むしろ不自然な感じもするかな。

だから、このような問題については、国家として代表者が応えるものなのだろう。

 

私自身だって、先方が何も言わないうちから、そのことについての謝罪をワザワザ切り出すということは、たぶん、しないだろうと思う。

でも、相手が、あえて、その話題を出してきて、真剣に、こちらの考えを問い質してきたとしたら、そのときは、私なりの真摯な態度で応じると思う。少なくとも、はぐらかしたりは しない。

 

当時の時代背景のなかで、私の身内に、まぎれもない無辜の被害者と言うべき残虐極まる仕打ちを(日本の官憲筋から)蒙り、それが原因で、命を落とした者が存在していたということもあるし。

そのことを、謝ってくれ!と、いったい誰に向かって叫べばいいのやら?という、なんとも言いようのない事情も現実にある。

 

 

Updated   
2015.08.20 (Thu)

「パクり」「剽窃」問題と「人格障害」の相関性

の続き。

 

かく言う私なんかも、コピーライター時代に、グラフィック デザイナーらと共に仕事してたわけだけど、

彼らの印象を一口で言うと、
【追記】
一応、あくまで、私が知っている社内のことに限定は しておくけども、やっぱり人間関係には微妙なと言うか陰湿っぽい齟齬が多い傾向はあったなあ。。。
それと、特徴的に胃潰瘍を患っている人が多いのは、職業病だとか聞いたこともある。厳しい締め切りに追われる仕事に従事している人には ありがちなのかな。
この方面か、それに近い分野の職業人と密接に関わる仕事を しているという他人さんも言ってるのを見たことがあるけど、
彼らは、どこか変わっているというか、こだわりがキツい性格の人が多いせいか、どうも全体に、ふだんから付き合いづらいタイプの人が多いという悩みを吐露していた。
私の知っているデザイナー諸氏も、もちろん、個々の違いはあるにせよ、多少、共通した傾向はあると感じていた。へんに僻みっぽいとか屈折してるとかさw感覚的な好き嫌いも激しいし。
そのくせ、いやに上から目線とか、けっこうプライドが(脆いんだけど)高いとかエエカッコしいとかww

だから、くだんの佐野氏のような、おそらくは、人あしらいや人脈づくりが上手な人ならば、この業界では珍しいほうかもね。

まあ、私自身も、けっして一般基準的範疇に上手く納まれているタイプでは なかろうから、あまりエラソに言えないが(苦笑)


たしかに、些かの「変わり者」的な面と同時に「俗物」そのものでもあったよw

オシャレだったしw
そのオシャレぶりというのも、どこか独り善がりで、ご本人だけが勝手にマンゾクしてたりねww

ま、こういった面は、この私自身にも多少ありという自覚だけは あるが、むかしは、もっと なかった(苦笑)

他者に横から いろいろと干渉されても、結局、自分の好みとか、わりにハッキリ浮かんでくるイメージとかビジュアルに関しては、なかなか止められない、といったこともあると思う。つまり、こだわり、ってやつなのかな?

 

私に言わせりゃ、

堂々の「人格障害者」なんてものは、度を極めて「俗物」根性だからこそ、俗世間のモノサシから外れることを恐れもし、現に外れていることを苦にするもんだと思ってるのだけどw

 

苦にしてるから、機会を窺っては、いきなり、罪もない他者を つかまえ、猛烈に腹癒せして、留飲を下げたり、勝つとか思うさま支配側にまわったり、それでも最終的に許してもらうとかで安心を得ようとする。

 

 

普通の人々のように猛勉強したり、地味なフィールド ワークなどを行ったうえで、やっとこ辿り着くという下地を一切端折っても結論に至り、それが、
あとになって発表されてくる気鋭の研究者や専門家たちの最新見解や解答に、ごく近かったりすることが珍しくない私は、そりゃ浮くわw理解も され難いわ、
そんな私自身には、自分が希代の横着者だという自覚だけはありwあまり、他人を厳格に追及しトコトン追い詰めるようなことは好まない。
相手の出方にもよるけどなww

 

先日も言ったように、私が自分の頭で考えたうえでの発言等をパクられているのが分かっていたとしても、相手によりけりで、ほとんどの場合、黙っている。

とくに損害があるわけでなく、ワザワザ言うほどの必要性を感じないかぎりはね。

でも、
ふだん、こっちをクソみそボロちょんカスみたいに貶めてきた輩がシレッと、まるで自作そのものみたいにトクトクと披露してるのを発見すると、その心底には、実は、私に対するコンプレックスとか尊敬とか一体化を欲する心理までもが潜んでいるからだ等々、諄々と解説されても、

こっちとしては、嫌悪以外の何物でもないww

 

 

いわゆる「人格障害」者の悩みというものは、極度に「俗物」感性の持ち主、いわば「優等生」気質だからこそ、そこに追いつけないのが悩みになるじゃないのかなと思うのよw

「ピュアな」とか純然たる創造性や芸術の気質とは また別ものだわな。

 

それこそ「天性」的に計算高いよ、ああいうひとは。

もっとも、頭が悪くないからでもあるだろうけどww

それだから、意外に、けっこう上手く世渡りしてるもんだろう。

大概は、心身共にドップリと依存させてくれている対象があってのことだけど。

 

 

なので、かつての名曲?『ひがみブルース』みたいなことにもなっちゃうw

あ、これ読んでる人のなかには知らない人もいるだろうか。

私が子どもの頃に、たしか、『まりちゃんず』とかいうグループがあってさ、私自身、詳しくは知らないのだが、『ブスにはブスの生きかたがある』とか何とかいう、当時、物議を醸したらしい歌があって、その後に発表された くだんの『ひがみブルース』という歌には、

「…でも、会社の人たちが!」
「まともなことを やってたんじゃ、いっこも売れやしねえ!」

とかってセリフが出てくるのww

 

やたら奇矯なものを打ち出したがる人、自分は変わり者で、、、と二言目には言いたがる人っているもんだが、

そういう人ほど、意外にクソ真面目で、俗世間の基準というモノサシを、肌身でシッカリ心得ている俗物に他ならないからこそだと、
ま、私は、むかしから思ってるwww

 

他人をバカにするときも そう。

彼らは、非常な「正義」感・観を振りかざして、

たいがい、徒党を組むことによって、相手を一方的に、徹底的に「フルボッコ」状態にして黙らせようとする。

いまや「ネット時代」が拍車を かけてるわな。


私は個人的に、IT開発関係の仕事してる人とか、シロウトでも、そういう方面に やたら凝ってて詳しいタイプの人というのは、あまり好感が持てないでいるというか、いまだに警戒してしまう傾向が拭えないでいるのだけれど、

パソコンやインターネットで検索という方法が なかった頃には、なんか おかしいな?怪しいぞとチラッと思いはしても、そのへんの一般人は、何らかの大きい組織にツテがないかぎり、まず無力、個人的に追及しまくる手立てなんか なかったわけだ。

その点、

いまでは、どんなにカン違いした愚者でも大バカ者でも不埒者でも、
「倫理や良識クソ喰らえ」の
カルト連でも、
パソコンとインターネットにさえ手が届けば、そういった極端な現象を起こすことが可能になった。良いのか悪いのか、よくワカランが。

 

何やら精神科の範疇に属する病人だか、あるいは看護婦等を職業とする看護側だかボランティアだかに属するらしい「カルト連」も、私に対して そうだった。

彼らは、「フルボッコ」にするときでも、何らかの野心で のしあがろうとするときにも、同じく徒党を組む。
すなわち「人脈」が必要であることを、俗物ならでは重々理解していて、だから、操作し働きかけ、「発展家」足ろうとする

つごうの悪い存在である相手を黙らせるには、まずは「数」が決め手だから

 

そうして、内部から腐っていき、やがて、誰も いなくなる。

「淘汰されて生き残る」者なんて、最後には、誰も ない。

 

 

まあ、あの業界にも、一般世間では知られずに来ていた暗部が明るみに出てしまったという感じはするなあ。

小保方さんのときの騒ぎでも そうだったし、

福島第一原発の大事故のときにも、「原発ムラ」というコトバと共に、学問や技術の世界でさえも そうした底深い暗部や安易な側面がシステム化して罷り通ってきていたということが白日の下に晒し出されたのだった。

 

 

Updated   
2015.08.19 (Wed)

【追記】「ウヨ」「サヨ」どちらに くみしない。

 

佐野氏ならびに彼のスタッフをも加えた「コピペ」問題。ますます泥沼化の様相を呈している。

 

コピペデザイナーはどうして生まれるのか? 東京五輪エンブレム盗作疑惑から学ぶ教訓
cakes 818()1833分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150818-00001154-cakes-soci

 

 

もう何年前になるのか、例の『OKウェイヴ・おしえてgoo』に参加していた頃、美術カテゴリーでの回答でだったか、とあるイラストレーター志望の若い学生さんが、指導の先生の厳しい指摘やアドバイスに素直に従えなくて、自分でも悶々と困っているという相談があった。

それに対して、私は、作品も生きかたも敬愛している画伯、
彼の実妹にさえも「気違いでございました」と、愛情を滲ませつつ評されていた田中一村氏の例なども挙げつつ、

純然たる芸術家(要するに、報酬は度外視)ならば いざ知らず、
クライアント、顧客という存在あっての商業世界でやることなのだから、自分一個の嗜好・志向だけでは、どうにも ならないのでは なかろうか、といったことを中心に答えたと思う。

商業界では、そのときの世間一般でのニーズ関係と切っても切り離せない。しかしながら、

「男は生意気くらいが ちょうどいい」という歌にもあるごとく、あなたのような反発心もあっていい、とも言ったと記憶する。

 

クリエイターだデザインだと言っても、この世界でも分野や手法は様々だし、

だいたい、クリエイトする側が、注文主等からの要望のままに応えるだけが仕事であるなら、そのクリエイター個人の存在意義は ないだろう。
ただ他者の要望どおりにするのであれば、そうできるかぎり、誰でもいいわけだ。

なので、上司や顧客に対する説得力、コンセプト如何も大事だし、世間に出す前の内輪でのプレゼンが重要な舞台にもなってくる。

 

私も思うに、

ご本人にせよスタッフにせよ、恐らく、以前のエントリーでも述べたように、この時代ならではと言うべきウェブ上をサーフィンでもしながら、今回の仕事に何ぞ使えるものはないかいな、と漁っていて見つけたものを、何はともあれ、法的に危なくないかどうか確認することを始めに実行しておき、そこは だいじょうぶと踏んだうえで、厚顔にも無断拝借に及んだのかなあ?という印象だが、

例の一連のバッグの意匠なんかは、「インスパイアされた」とか「影響を受けて」「着想」なんてレベルにも至ってなく、シロウトにさえも一目瞭然もろにマンマなのだから、いくら後付けの「コンセプト」やらを尤もらしく くっつけて説明されても、これのどこに、その人なりの創意工夫ってものがあるの?と呆れざるを得ない。

 

むろん、他者からの影響は、どんな場合にも ないほうがフシギなのだし、歴史上、美術の世界でも音楽の世界でも、そういうことが垣間見えるものは枚挙に暇なく多々あることを知っている人も少なくない。

けれど、

どんなに そうではあっても、それを敢えて用いて表現するのだから、元のもの以上のアレンジの妙とか凄いインパクトを見せつけることは できないのか、できないのなら、
人々をガッカリさせる前に、最初からクリエイターでございと名乗らないでほしいと思う。ましてや、「他人の褌」で儲けていてはねえ。

 

かりに、誰かしら何かしらに対して、大いに共感や敬意を持ち、それに ついては、すばらし過ぎて、もう これ以上、ここに何を足すことも引くこともない、このままでいい、これが良いのだ、と自分が惚れ込んだものならば、私にも そういうことは少なくないのだが、一応にせよ、もとの作者を紹介しておくなり、少なくとも、もとから自分が生み出しましたぁ!みたいな態度は とれない。

 

でも、フロンティア的発想力の大胆さや力強さには欠けがちであるとしても、世界に冠たる「優等生」気質の日本こそは、太古の昔から堂々とパクり文化で発展してきた国だし、こういうことは、人類普遍的のことでもある。

単なる物真似だけに留まらず、よりいっそう、自分たちの好みや つごうに合う良いものにする努力も してきただろう。

それで、最初に生み出した側が、より良く昇華されたものを、逆に輸入もする。

 

【続く】

 

Updated   
2015.08.17 (Mon)

金子光晴の作品に『鮫』というのがあって、当時の時代背景的に、東南アジアの、列強(日本を含む)による植民地支配時代が該当するという。

 

おりしも今夏、日本の沿岸に連日おしよせて来ているという鮫の群れ。

私は、このニュースについて、当初、子どもの時分に読んで、これにも幼い胸を痛めた記憶のある物語の一つだった「因幡の白兎」というのを思い出し、

ついで、

学生時代だったか いつだったか、くだんの物語が、裏側で何を表現している話なのかを初めて知ったときの、些か驚きと戸惑いの感覚をも思い出した。

 

さて、
今年8月15日は、戦後70年という大きな節目にあたる「終戦(=敗戦)記念日」ということで、当ブログは、旧のブログにても そうしていたように、金子光晴らの詩作品を載せてみた。

ただ、こんなに幾つも同時に載せたことは、過去に なかったのだけれど、
やはり大きな区切りであるということに加え、次の10年後すなわち「80年」を数えるときは、あの時代、幼い子どもでもなく、まだ学生の身分といった、うら若き年齢ながら、一人前として戦地に駆り出され、また、
戦場や戦時の ただなかに あって、わが眼で直に見た体験と記憶を鮮烈に保持している世代の人々の、まず殆どが、この世を去っておらざるを得ないであろうこと、

かく言う私自身、次の10年後になっても、こうして、ブログを続けているどころか、普通は生存しているはずという自信を何故か持てないせいもあり、今回この70年という節目に、いつになく、立て続けに、こんなふうに並べてみたという しだい。

 

 

しかし、まあ、「ひと昔」というけれど、案外、たいした長さとも思えない十年を7回繰り返した70年なんて、そんなにも長い年月だろうか。

だって、

自分の目の前にいて、自分の耳にも心にも届くようにと、しっかりした声を発して語り続けてくれる人々が、そこに、生きておられるのだもの。
自分自身が生まれる前の頃なんて、どういうものか、ずいぶん遠い時代であるかのような錯覚を、若い年齢には私も持っていたけれど、

だが、われわれは、まぎれもない現代人どうしなのだ。

この時代に、同じく現代人として生きている彼らの見たこと、聞いたこと、味わったこと。

それは、遠い歴史物語なんかではない。つい最近、起こったこと。

・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・

・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・

 

死んだ男  鮎川信夫


たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。


Mよ、昨日のひややかな青空が

剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。


埋葬の日は、言葉もなく

立ち会う者もなかった
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

・・・