2016.01.23 (Sat)
「民主立憲党」にしても、
立憲、という発音が入ることで、なんかシャキッとする語感が出るよね。
「民主党」って、党名からして、自民党の分派めいてるなあと思ってたしw
てか、党名変えるべきは、自民党のほうだわな。
あの憲法草案じゃ、まるで詐欺の看板名じゃねーか。
『安倍政権打倒へ識者200人決起 進まぬ野党共闘に苦言続々』
2016年1月20日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/173696/1
果たし合い~果たし合い♪
日本会議だザイトクだネトウヨだと言ったって、連中が何を喚き立てようと、見るからに思考停止のバカでしかないけど、
同じ『日本会議』あたりの者でも、大学のセンセイやってますってくらいだから、一聴したぶんには、それなりの理論らしきことを述べるひとも、ごく僅かながらいるようだ。それでも、じゅうぶん胡散臭いけどw
そういう、「ウヨ」のなかでも、
さすがに、少しは理論構築できてそうなオツムのある相手と、
いっぺん、真っ向からガツンと やりあって、
小林先生たちに、ひとつ、あの連中をギャフンと言わせていただきたいのよ(笑)
よく、『シールズ』あたりをクサして、
憲法のことなんかよりも、賃金問題とか、その他、生活に身近な個々の法案への現実的提議や抗議なりを やるべきじゃないか、
みたいに批判するひとが、『ヤフー』の個人ライターやってるひとのなかにも いるけど、
それは違うよ。
以前も言ったけど、
憲法に関わることというのは、一般的法案の次元とは、比べものにならない。
憲法は、まさに、国の かたちを つくる背骨なのであり、
議員や公務員たちに、これを厳しく遵守させることは、国民第一の根本要請なのだから。
ましてや、
ああいう、答弁する側も要領を得ないノラリクラリの ざまでは、
激しい抵抗の声を あげるのは、まさしく、国民第一の権利である。
2016.01.21 (Thu)
問題の廃棄請負業者から仕入れて販売していたという業者らもが次々発覚した事件で、
何度も、
「だから異物混入なんだよ!」
っつってるのに、いまだに、それを、他人に食わせるべき、みたいな呆れた発言がチラホラ見られるうえ、
おヅラさんとか小倉さんとかいう、テレビ番組の司会者までが
(わたしゃ、基本的に、テレビ見ないんで、よくは知らないんだけども、
むかし、たまには視聴してた頃、
「なんや?このオッサン、なんか、見るからに根性悪そう」と、なんとなく印象悪かった、あの司会者なのだろうか。
私が、このひと根性悪そうやなあ。。。と判断した対象は、のちになって、やっぱり、問題発言を繰り出したりすることが多いのだ)、
画面から公衆の面前へ向けて、同じようにトンチンカンな意見を発し、
はたの者から、さりげなく注意されても、あらためなかったらしい。
「ヤフコメ」でも相変わらずのスットコドッコイが、まだウロウロしてるようなのだが、なんで、こんなのに、「そう思う」をポチする?(呆)
他の投稿者たちが、さすがに諌めてはいるようだが。
なかには、
「正論を述べたいときに、弱者や困っている人を引き合いに出して、自分の意見を補強する」
とか何とか言ってる投稿者もいたが、それは違う。
そもそも、「正論」には該当しませんのでね。
おヅラだか小倉だかいうひとが主張したことは、安倍朕と同じく、
問題の出発点や前提からしてズレてしまってるし、
本質や実質とズレた主張は、ボタンの掛け違えに似て、最後の最後までズレていくしかなく、結局、着地点もズレてしまうのだから、
どう転んでも、「正論」たり得ないのですよ。
本質や事情が見抜けている相手との対話も、その間、いっさい噛み合うはずがなく、どこまでも平行線。
せやから、このテのひととの議論は、成り立ちません。
安倍朕や「カルト連」と同じことだ。なにが「哲学的議論のためのサイト」だ、バカバカしい![]()
単なるトンチンカンであり、
なぜ、それがトンチンカンになってしまうのかを分かることが できないから、
ああ、このひとは、こういうズレた思考力しかないんだな、、、
ということがバレてしまっても、ご本人、恥ずかしいとも思わずにいるところが、始末に悪いのです。
でも、実際、時々いるのよねえ、
こういう、いくら言ってあげても、根本的ズレかげんが分からないで、
本人自身は飽くまでも「正論」を ぶってるつもりの高齢者とかさ。
なまじっか、それなりに世間で通ってきたという自信マンマンだから、傍が迷惑なんですわ。
そういえば、例の曽野綾子氏も似たタイプかな。
私自身は、食品工場等での仕事経験がないから、想像だけで言うけど、
廃棄が出ないようにするのは、もちろん、当の企業自体が望むところだろう。
けど、限界はある以上、そもそも、扱い量がハンパないのだからして、
いざ、トラブル発覚したときは、「車は急に止まれない」状態なんだろう。
こうした問題を、ぜったいに発生させては いけないというなら、このような産業自体を廃止するしかないではないか。
あるいは、異物混入問題が生じた部分の正確な割り出しが極力、できる機械さえ開発できれば、ロスを最低限に抑えることは可能になるはずだが。いまだに、できないのかねえ??
ふと思い出したのは、うちの身内なんだけど。
私が、まだ、実家にいた若い頃、
ある年の年末だったか、「お歳暮」代わりにと送ってきた品の箱を開けてみると、有名メーカーの乳製品詰め合わせセットで、そのなかに、缶入りバターが2、3個入ってたのね。
ところが、
賞味期限か消費期限を確認してみたら、とーっくに切れていて、寄こした当人に、よくよく聞いてみると、どこかからの いただきもので、ずっと箱のまま、この夏も、冷蔵庫にも入れずに放置してあったものだと言うではないか。
「缶入りなんだから、食べれるよー」ってさ。
だって、バターだよ?冷蔵庫にも入れずに放置してあった。![]()
あるときなんかは、
私が、今夏は、久しぶりに、水着新調しようかなと言ったのを聞きつけて、早速、「買わなくていい、これを使え」と、自分の お古の、だっさ~いビキニを持って来たりしたこともあった。
もともと、センスの酷く悪い、
しかも、私とは真逆に、背が低くて短足、肥ってて、スタイル悪いんで、
「よくまあ、その体型で?!ビキニなんか着れたもんだ。。。」
と呆れが真っ先に来たもんだけど![]()
押しつけるみたいに置いて帰られたものの、
私の好みだけでなく、サイズも合うわけないのは、火を見るより明らか、黙って、すぐに処分したよ。
一事が万事、この調子だった。
実は、私の腹違いの姉にあたるんだけどね、
「自己愛性人格障害」とやらで、何十年このかた、精神科通いですわ。
そんな状態でも、金銭の問題には異様に敏くて、計算が素早いのよ。。。
こういう特徴は、他の身内らとも共通してるんだけど、
私だけが、なぜか、ちっとも似てないんだ。
うちの一族は父方も母方も、卑近な日常生活では、他人さんが舌を巻いて感心するくらい、頭の回転も要領も良いほうで、
とりわけ、おカネのことに関しては敏感で、電卓みたいな者が多いんだけどw
その反面、
私なんかから見ても、
どうして、こんな重大局面で、とんだ料簡違い、判断間違いを起こして、はたに迷惑かけるんだろうか?とフシギになるほど、落差が酷いのよ。
まあ、恐らく、遺伝的な脳の部分的異常と相俟って、「人格障害」なのだろうと察している。
災害時に、被災地の住民に向けて、汚れた衣料品やら、どうかすると、もろに下着までもが、洗いもしないまま、ダンボールに詰めて送りつけてくる者もいるというので、むかし、社会問題になってたことがあるね。
もしかして、いまでも、こういう類のことは あるんだろうか?
もう一つ、いま思い出したんだけど、こうした感覚のズレかげんとも共通してそうだ。
若い頃に読んだ、有吉佐和子 著『複合汚染』だったと記憶するのだが、
昔、大量の汚染米か何かが問題になったとき、
旧厚生省あたりの官僚さんが、東南アジアか、そのあたりの、要するに途上国の貧乏国民に差し上げれば、あちらと こちら、一石二鳥の解決ではとか何とか、そういう趣旨のことを のたまったというので、有吉さんは、聞いて思わずギョッとした、つうんだけど、
その管理職官僚氏の顔を見たらば、これが、いたって大真面目なんですってさ。
どうも、一般的な人たちとは、どっかの感覚が狂ってるんじゃなかろうか?みたいなことを、有吉さんは述べておられたと思う。
2016.01.21 (Thu)
【旧ブログの記録より】
「かごめ」ちょっと考 2010/10/22 11:49
先の投稿で、「かごめ」の歌のことをチラッと出したけど、考えると、この歌は、確かに奇妙な歌だ。
ほとんどコジツケみたいなものも含めて、いろいろな説があるらしいが、こう、しげしげと眺めてみると、なんとなく性的な内容を匂わせているような意味とも とれないでもない。案外、子どもの歌には、子どもの歌だからこそ、そういうことがあるような気がする。
かごめ かごめ
かごのなかの とりは いついつ出やる
よあけの晩に
つると かめが すべった
うしろのしょうめん だぁれ
バックで、とか(;^^A
子どもの遊びには、「だぁれだ?」と、うしろから近づいて、背中越しに、そっと、相手の目を ふさいだり、ゲームでも、正しいものを当てる記憶力や推理力、直観力を鍛えるようなものが多いようだ。
また、「かごめ」のような歌に、実は、おとなの世界の秘密を忍ばせてあるとしたら、子どもの頃に覚えたことは、おとなになっても忘れにくい、という作用を活用しているのかもしれない。
神と仏が おうたなら、
巽(たつみ)の鬼を うちやぶり、
弥陀(みだ)の利益(りやく)を さぐるべし、
六道の辻に迷うなよ
http://book.asahi.com/hyoryu/TKY200905190254.html
子どもが読み耽っていい本なのだろうか
私も読み耽ったけどさ、もうちょっと大きくなってたし。
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2016.01.19 (Tue)
【旧ブログの記録より】
鶏のエッグ スタンド 2010/10/25 01:36
にわとりの形した、素朴な絵付けでシンプルなデザインの、陶器のエッグ スタンドである。
まだ若かった母(酉年生まれ 笑)が、幼い私のために見つくろい、与えてくれたものだ。
さすがに、食事に使用することは なくなっていて、いまでは、食器棚の なかに鎮座しているが、
私が、この世を去ったときには、ひつぎのなかがダメなら骨壷にでも入れてもらうかなと思っている。
鶏の背中の、まぁるい くぼみに、
卵ならぬ私の魂?が すっぽり おさまって、
ふわりと飛んで。。。
![]()
考えてみたら
残酷なデザインかも?
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2016.01.18 (Mon)
『【続】刑罰とは』の続き。
いかに、彼ら個々の背景環境に、少なからぬ共通した問題が見受けられるとして、
私の実感からも、そんなことは理由にならないほどの凶悪、卑劣、それでいて幼稚な精神ゆえの犯罪としか思えない。たぶん、世間の殆どの人も そう思うだろう。
いわゆる「人格障害」の類は、知的問題や、その他の精神障害とは異なり、そもそも「障害」の範疇に入れるのは、かなり無理があると聞いていた。
私は、周囲に、これの診断を明らかに下された者もいるし、
医師の診断経験自体は皆無でも、この傾向を持っているようだと察せられる者も、一人や二人でなく、見てきている。
身近の者のなかには、
生育途上の虐待を経験しながら、自分の子に、同じ事の連鎖を及ぼしたかというと、決して、それは なかった者も いる。
だが、彼は、何の書き置きも残さずに、ある日、自殺した。
彼のような虐待被害とは様相が異なるものの、やはり、生育途上で家庭環境の問題が大きかった者は、
主には飲酒による激しい暴力によって、もちろん、子らにトラウマを与えた。
自殺するでもなく、いたって天寿を全うしたといえるだけ長生きし、
最後まで、一番、苦労させた子に濡れ衣を着せ、悪口を撒き散らして、世を去った。
私なりののシロウト観察によれば、
人格障害者こそは、俗物的価値観にドップリ浸って、しかも疑問を持たぬ、
その意味に限り、彼ら自身で自認する者も いたように、「素直」であると言えるのかもしれない。
それだけに、
その俗物的価値観に、肝心の自分自身が外れていると気づくと、異様なほどの劣等感に苛まれるようだ。
勉強熱心な優等生、出世欲、野心家が多いらしいのも、ふしぎでない。
挫折を知らないでいられるかぎりは、どこまでもウヌボレている。
だが、そのウヌボレは脆くて、極度の怯えと共にある。
この怯えが、警戒心や、根拠の分かり難い被害意識へと容易に結び付くようだ。
ただし、
人格障害に限らず、発達障害系と思しい人も少なくないし、両方とも重ね持っている傾向は多いように見受ける。
部分的になら該当するのではないかという程度であるなら、この私自身も含めて、世のなか殆どの人は入ってしまうのではないかと思えるほどだ。
要は、程度問題なのだろうが、
それでも、犯罪と断じられるような行為を犯してしまうところまで来ると、やはり、脳生理学的にであろうか、その時点まで来る頃には、かなりの偏りが かかってきていたのでは なかろうかと思わざるを得ない。
先行エントリーで紹介した記事の筆者が示唆しておられるように、
徹底的な分析と研究に寄与させることが できるなら、「更生の余地なし」とされるほどの凶悪犯罪者でも、その生自体をもって、社会全体に対する償いと できる可能性はある、のかもしれない。
そうとは限らないかもしれない。
今後の社会に資する分析と研究が可能であるなら、彼我の境界についての緻密な観察が中心的な重要性を持つだろうが、
多少の傾向は、ほとんどの人にも当てはまり、
けれど、犯罪には進まない、
ならば、
「動機が」ハッキリしていようと なかろうと、本人が自ら欲したうえで犯してしまうなら、どのような犯罪であっても、行為した者は やはり、通常よりも偏っていることには違いないのだろう。
長期にわたっているか、短期的なものであるかの差はあっても。
自分自身が、どんな肉体的条件を(もちろん、脳の状態も含めて)持って生まれ落ちるかということに、誰も、責任は取れない。先天性のみならず、後天性であっても同様だ。
頭の てっぺん、その なかみから、爪先に至る肉体条件も、「環境」条件のうちで最たるものだ。
自分の心がけしだい、というのも、極言してしまえば、通用しない。
自由の背中で責任を取れるか、取れないか。
自分は、辛うじて取れるのであれば、まずは、そのことを幸いと思うしかない。
「精神障害」ゆえとレッテルを貼って、刑罰を受けさせないのは、むしろ、障害者差別に該当する、という考えかたや主張もある。
もちろん、通常の判断力を備えている者と同列に扱うのは無理があるという考えが現状だろう。
家庭環境が、あるいは障害が、という背景を、犯行への誘因や理由にするのなら、
そういった事情に事欠かない私なんかは、それでも、
不自由な彼らが犯したようなことを、自分も仕出かすなんてことは、誰に報酬を与えられて頼まれようがマッピラごめんだ。
結局、ここの違いに尽きるのではと思う。