2016.05.13 (Fri)
これに追記する。
「欠ける」ということが、何らかの面で「過剰」を招く
という興味深い現象。
良くも悪くも両面においての。
多くの一般家庭の事例を見ても察しが つくであろうように、本当は、男性が、女性をコントロールしたがり、実際そうするよりも、
女性が男性をコントロールしているほうが、現実には上手く いっている傾向が高いらしいと思われるし(少なくとも日本では)、
また、多数の男性がたは、実のところ、「女房の尻に敷かれている」状態のほうを、むしろ快く受け入れてもいるようだ(少なくとも日本では)。これは、男性の許容性が高いとかいうのでは なくて、
多くの女性が、実権すなわち財布を握っている、
言わば「影に隠れた真の実力者」という立場を堅持できていれば、牙城である家庭は自分のもの、表向きだけ「男性を立てておく」ほうがラクだから、という本音に似ている(少なくとも日本では)。
夫側である男性は、(少なくとも日本では)仕事仕事に明け暮れていれば、こまごました日常品の価格でさえ、さだかには知らない。
なので、家計管理を任せておけるのなら、そのほうが、仕事だけに集中していられる。
本音では、自分で得た収入を自分の好き勝手に遣いたいのは やまやまだろう。けれど、
もし、財布を握っているのが男性側であれば、大概の場合、勝手な判断で、これくらい渡しておけば、まず間に合うだろう、と言うより、間に合わせてほしい、間に合わせるべきだ、と、およそ現実的でない金額を渡すのみでは、妻側は、つよい不満を溜め込む恐れが高くなる。
このような水面下の関係性が ない国だと(そのほうが、日本以外の国では一般的なのかな?欧米圏では、家庭の財布を握っているのは夫側が普通のことだと聞いているが)、そうなると女性側は、むしろ、ハッキリした表現で自己主張せざるを得ないのでは なかろうかとも思う。
(以上、ちょっと書き飛ばしたかなと思うので、コトバを補いました。)
で、
もちろん、その場合、女性側の知性レベルも問われるはずだろうが、
そこは それ、伴侶というものは、私が かねがね言ってきたように、
「相手のレベルが自分のレベル」
であるから、
多くの男性たちにとって、あくまで日常生活の範囲内に おいては、自分よりも、ほんの少し上回って狡猾なくらいの女性のほうが、かえって安心感があるのかもしれない(笑)
男性も、本当は、もともと、たまらなく好きな対象である女性たちを尊敬していたいのだろう。
ただし、あくまでも、自分のテリトリーや得意とする分野、プライドを支えている分野を明け渡さずに済むかぎりで。
もし、
自分よりも、ほんの少し下回っていると思える程度の「おバカちゃん」が伴侶であるなら、今度は逆に、徹底的にコントロールするべく、伴侶と、その家庭内管理を、自己つごうで強化することも あるだろう。
だからこそ、
思考を深める質の良い教育は、肉体的性的欲求のコントロールに苦労する男性には勿論のこと、
女性に対しても、別様の意味から、必要なのは当然だ。
子どもの初期段階教育に関与する度合いが、現状、母親のほうが高いのだし、
もっと大きく出て、世界規模で考えると、
古今東西、圧倒的に男性が意欲を示してきた、戦争というものを抑止・阻止するためにも、女性は、男性に おもねり、引きずられているようでは いけないし、
むしろ、女性のほうにこそ、男性の「過剰」性向をコントロールする力が必要であると、私は思っている。
もっとも、女性のなかには、男性も真っ青な凶悪犯罪を やってのける者も いるのは事実だが、こういう女性の脳は、多分に男性型だろうと思われる。
(実は私自身も、「男性脳」の範疇らしいのだがwま、科学的に確かなことなのかどうか、正確なところは不明。)
「ヤフコメ」投稿のなかに、海外での経験談のようだが、少しだけ科学的根拠の面から述べているものを見かけたけれど、
言うところの「テスタスタロン」というのは、たぶん「テストステロン」のことだと思うが、これについて指摘しているということは、やはり、男性性の問題だということになろう。
併せて、
気候条件が もたらすところに根本的原因が あるらしいという指摘、要は、それによって鍛えられ、上下する思考力発達度の違いを示しているのであれば、
やはり教育、または、実生活上の豊富な経験・体験による思考力の深化が関係してくるということだろう。
単なる知識でない、想像力や洞察力を養う教育の重要性も結局、そこのところを問われるわけだから。
ただ、アフリカあたりの気候風土を指して「穏やか」という見解は、私には意外だった。
一般的に言って、暑い地域というのは、露出度が高くなるせいなのか、性的にも放埓になる傾向は多少あるのかもしれない。
実際、夏場のほうが、性犯罪も頻発しているのでは ないかなと思う。
ちゃんと調べずに言っているので、私個人の実感に過ぎないかもだが。
だからこそ、暑い気候の国の宗教や文化的に、性の方面でのルールや縛りが激烈になるのかと思える。それも、立場の弱い女性に厳しい。
日本でも、真夏になると理解できることだと思うが、
極度に暑いと、ダルくてダルくて、めんどくさくなって、つらつら思考しているエネルギーなんぞ低下し、覚えず衝動的傾向を帯びてくるようだ。
寒さが強烈でも、同じようなことなのだけれど、
ただ、厳寒地域では、考えるのダルいなどと悠長なことを言っていては、たちどころにして、生命の存続が危ぶまれるだろうから、必然的に、生き延びる方策を思考し続け、ついでに(?)なぜ、生とは、かくも苦労が多いのかを突き詰めて考え込まざるをえないかもしれないし(哲学w)、
寒さは、体温を容赦なく奪い続けるし、脳は、使えば使うほど、エネルギー補給を要求し続けるし、補給を じゅうぶん満たせない者は不利になってしまうのだから、生き延びるための工夫を図り、実行し続けていかざるをえない。
その結果、白人の文化・文明は、飛躍的発展を遂げた、と。
皮肉なことに、生活も教育も高レベルなはずの欧米圏「先進国」で、
しかも、戒律が厳しいはずのキリスト教の坊さんが、裏では、性的犯罪を犯し続けていたことが発覚した事件は少なくないようで、
それも やっぱり、男性だ。
日本でも、仏教の僧侶と言えど、性欲発散のために、「稚児」という小児性愛かつ同性愛的存在を黙認されていたという歴史が ある。
女性を肉欲対象にするよりはマシ、ということらしいのだが、
それだけに、
かえって、もともとの、女性に対する性欲の強烈さが滲み出ている。
2016.05.13 (Fri)
東京にオリンピック招致が決定したとき、ほとんどの国民もネット民らも、ガッツポーズで湧きに沸き、メディアも口々に、安倍朕の「強運」とやらを称えていたはずだがなあw
あの頃は、私は、よりによって産経系wが運営していたサイトでブログを やってたから記憶してるが、
同じサイト内で、どういうわけか、あそこでは珍しいことに、「サヨ」系と目されているにも かかわらず、
どういうわけか、がちウヨ・ネットウヨどもにまで好かれていた、毎度ロリコン趣味の悪趣味なイラストを宣伝してた、自称「Tシャツ屋」だか建設業者だかが、普段は、安倍政権をコキオロシていたのに似合わず、オリンピック決定おめでとう!と のたまっていたものだ。ふん。
このブロガーは、あるときなんか、例のana5と一緒に、私に対してヘンな絡みかたを してきたもので、ここにも胡散臭いやつが いるわぃ、、、と思っていたけれど、いまにして思えば、やっぱり、えせサヨだったのだろう。でなきゃ、あそこの究極ネトウヨどもにまで好かれるはずがない。
しかし ま~、日本国民、おそらく、在日の人々も含め、この列島に居住している者たちは、とことんまで忘れっぽいのだろうか。
「3歩あるいたら」ナントヤラ、、、まんまじゃねえの?
この記事に付いた、「フェイスブック」コメントを見てごらん、
ミギだろうがヒダリだろうが毎度のチョーシで、呆れるったらないよ。。。
『<東京五輪>招致巡り裏金、仏当局捜査…国際陸連前会長側に』
毎日新聞 5月12日(木)21時26分配信
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6200833
やっとれ、ミギやヒダリの愚民ども![]()
今ごろにもなってからに。(呆)
だって、オリンピック誘致成功したというニュースから ほどなくして、どこかの新聞社(やっぱり毎日新聞だったかな?忘れた)が、オリンピック委員の各人に、大金とか高級ブランド品だかを渡してあったとか、来日したときに、東京で、豪勢なオモテナシしてあったとか、報じてたよ?詳細は、私も忘れたけど。
そのときは、国民もネット民も殆どは、なんら問題視せずにスルーしていたようなんだがな。
それどころか、
オリンピックに文句言うのか、反日だー!反日新聞だー!!って雰囲気だったわな。
やれやれ。
『【続】歯が痒くなるw 』
あの頃のエントリーでも述べたように、
思えば、日本の華々しい上向き時代到来の象徴だった旧の国立競技場、それを、潰したのだ。
旧国立競技場を取り壊すことになったとき、
さしたる愛国心もない私でさえ、いささかは抵抗感を覚えたものだが、
それは(耐震性問題とか)仕方ない理由も あったそうでは あるけれど。。。
だいたいなあ、オリンピック委員会そのものの利権・腐敗ぶりは、とうの昔から指摘されてたろ。
それもあって、
石原の都知事時代から、ちんたろう爺さんがナンボ欲しようと、誘致反対してた人たちも少なくなかったはずだよ。
もうね、
発祥の地、アテネに帰して、お金に困ってるらしいギリシャの永劫特権にしてあげたら いいよ。
2016.05.11 (Wed)
うちの母親が生前、何の気まぐれからか、パン屑だか米粒だかを、ベランダに撒いたら、目敏く やって来て、じきに覚えて習慣化したごとく食べに来るようになった雀たちを、可愛い可愛い♪と、悦に入っていたらしく、実家に帰っていた私に、その話を していたとき、父親が横合いから、「だーれが掃除を するんか!」とプンプン怒っていたのを思い出した(笑)
母は、その頃すでに、病気で倒れたあとだったから、辛うじて回復してからも、あまりマメには動けないうえ、もともと、掃除が嫌いだった人なので、そっちのほうは、家事に几帳面だった親父が、せっせと後始末していたようだ。
けど、
母親は、生まれも育ちも大阪ど真ん中の都会っ子、
親父は、千葉のド田舎育ち(笑)
『街のツバメ、子育ての敵はヒト 巣作り妨害、農村の7倍』
朝日新聞デジタル 5月10日(火)9時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160510-00000016-asahi-soci
あんな小さな、野性の生きものでも、あの小さなオデコで必死に考えたのか、生き延びるために、人間の生活ぶりを、よく観察してる。
人間側にも人間にとっての、その時代背景や環境による つごうと理由が ある。
だいたい、都会地では、もともと田舎から来て住み着いてる人のほうが多いでしょw
基本的に街育ちの私も、近場の大きな公園のみならず、ほんの少しの土や緑のスペースを見逃さず やって来る小さな鳥たちは、いかにも健気で、特に可愛いもんだと常々ほほえましく思って見てるけど、
昔の農家のように、広いタタキとか土間とかが ある家屋なら、巣を掛けられても、それほど、気にならないかもしれないが、
都会の街なかで押し合いヘシ合いしてるような狭い家では、そこの住人にとって、かなり酷なことだとは思う。
卵や雛を狙って、みーさんが、屋内に侵入してくるかもしれないし。
しかし、知事の許可が必要ということは知らなかった。。。
ともかく、巣が掛けられたあと、雛が孵ったあとで、無慈悲に取り払ってしまうのは、さすがに、燕も可哀そうだから、せめて、事前に防いでおこうと思うのも、じゅうぶん理解できる。
まあ、せっかく苦労して拵えた巣をアッサリ壊されてしまうのは、燕たちにとって、思わぬ大地震に襲われたようなものだろうか。
なんてこと してくれたんだ!と立ち向かって怒りの抗議することもできないもんね。
2016.05.11 (Wed)
私も、世界的に共通して見受けられるのは、人種や国、地域とは無関係に起きていることから、男性性に由来する面が突出して大きいのだろうなと察しては いた。
おりにふれ、こういう記事を目にするたび、少しずつ考察してきて、すでに何度も指摘してあり、もう めんどくさいので、たまには簡潔に言おうw
男性は、いろんな意味で、根本的に自信がない者ほど、レイプに走る。
もっとも、
状・情況が与えられたにせよ、自分で無理に拵えたにせよ、そうできるチャンスが あればだが。
『「レイプは黒人文化」 南ア白人判事の投稿に非難殺到』
AFP=時事 5月10日(火)17時34分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160510-00000027-jij_afp-int
発言の真意と詳細は、よく分からないし、もちろん、言いかたは悪い。
せめて、疑問形にしておくべきだったろう。
けれど、
現地で生活してきた、かつ、女性であり、判事という、裁きの立場にいるからこそ、目の当たりにしてきた、あらゆる悲惨の事例の かずかずが、このように言わせたのでは ないかとも とれる。
さて、
一般的に、男性は、何らかの理由で、自信を失うと、てきめんに、まずは性的方面にて、レイプ等の歪で強圧的な行為に走りがちのようだ。
彼らは、自信を傷つけられた、損なわれたと感じると、とにかく、自分よりは弱いと踏んだ相手に対して、手っ取り早い「自信の回復」を図れるような気がしてなのか、レイプ等の性的蹂躙行為に およぼうとする。
それは、被害相手だけでなく、
当の自分自身さえも貶めてしまうだけのこと、全くの錯誤でしかないのだが、一般的に男性の性欲の、不自由なまでの強烈さが、ダイレクトに後押ししてしまうのだろう。
もちろん、そこでは、相手の人種とか所属する国等は関係ない。
自分と同じ共同体の仲間でさえも、そっちに向かうほうが、とりあえずは容易であれば、そうするだけのことだ。
女性一般の側にも、傷つけられたり損なわれたりした自信を回復したいという欲求から、自分よりは弱い対象に向けて、強圧的な何らかの行為を行うことは、めずらしくもないだろうが、
男性一般の そうした、身も蓋もない単純な肉体的発露に比べると、もう少しは、メンタル的に屈折していて、
昔からの譬えで言う「真綿で首を締める」的な やりかたを することのほうが、女性には多いだろう。
特に、男女とも、自分が保護者側として扱える子に対して発揮されがちなことは、古今東西の例に事欠かない。
ここに、もう一つ加えておく。
俗物根性。
俗悪な程度の思考能力しか備わっていない者は、こうした浅はかな傾向を強化する。
当然、世俗の、または、自分が所属する場所の価値観に、たやすく感化されるし、自覚なく、無批判に従う。
さしあたり、おのれにとっても、つごうが よいとなれば、「渡りに船」のことだ。
文化、教育、習慣、風習、これらは、切っても切れない、繋がった関係である。
古今、高等教育は、男性を対象に、より注力されてきた。
反面で、女性には、むしろ、教育から遠ざけるのが望ましいとされてきた。
たぶん、これも国際的な共通傾向だと思われるが、日本でも昔から、
「男性を立てておくべき」
といった戒めは唱えられてきた、そのことの意味。
ほとんどの男性にとって、ほとんどの女性にとっても同様だろうが、
乳母のように世話をしてくれ、優しく あやしてくれ、うっとりと包んでくれた温かい肌が懐かしくもあるのだが、
原初の自分の上に絶対的に君臨していた生ける法典、有無を言わせぬ暴君、恐ろしい女神でもある。
それに加えて、男性の場合には、女性とは、尽きせぬ神秘を、この世に体現している
「メカ女神」
であるかのようだ(笑)
解き明かしたいフシギ、
同時に、克服せねば ならぬ、
つまり、大自然の化身。
さても恐ろしいがゆえに、
組み伏し、究明しつつコントロールするべき対象のようである。
文化的特徴、というのなら、たしかに、白人の思想や文化の歴史に顕著であるとは言えそうだ。
イスラム教等に見られる、不当としか思えないほど、女性に対して抑圧的で厳格な戒律の類も、
また、それらと通底している日本の風習にも、体よく現れていること。
それは、ひとえに、
それほどまでに、
男性性とは本来、心身ともに脆弱な存在
なのであるということ。
というわけで、私に言わせれば、
キリスト教の「アダムとイヴ」神話にしても、かのフロイト大先生の お説にしても、真逆も いいとこ。
科学的にも、各方面のデータに明らかなはずである。
染色体の形状にすらも、本来、「あるべきもの」がない、ということが現れているw
それが即、悪いとかいうことでは、もちろん、ないよ。
「原始、女性は太陽であった」とか言い放った人が いたが(学校時分に読んだことある。ほぼ完全に忘却してるけど笑)
原初、男性は女性であったのだから。
『民族か?個人か?』
『ひとたまりもないのだ。』
2016.05.09 (Mon)
冨田勲氏が、この5日に急逝されたという。
今年は、どういうものか、国内外ともに、音楽方面での著名人の訃報が いやに多いような印象が してきていたけれど、
氏の御年齢を知り、うちの親と同年配だったのだと分かって、少し意外な気が したくらいに、先進的なかただったなあと、あらためて思う。
あの世代も また、日本の新旧のハザマに位置していると言うべき存在と思うのだが、
冨田氏の場合も、『新日本紀行』あたりを聴くと、そのことを特に感じる。
『巨匠逝く、冨田勲さんのあゆみ シンセサイザーの先駆け』
MusicVoice 5月8日(日)19時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160508-00010007-musicv-musi
冨田氏の代表的作品の一つである『新日本紀行』に込められた、いろいろな日本民謡の面影を、私は従来から感じていて、
そのなかでも、『こきりこぶし』を取り上げ、旧ブログにて、私なりに少々、論じてみたことがある。そのおりに、
当時、同じサイトでのブロガーの一人で、ご自身が現代音楽に携わっており、結婚後は、ずっとアメリカ在住で長年になるという人が、私のエントリー読後の感想コメントを寄せてくれた。
『君が代』の旋律に雅楽(もちろん、中国や朝鮮から伝来しているはず)の影響が あることは、私も容易に察していたのだが、同時に、上記の人は、たしか、『新日本紀行』には、『君が代』の影響も あるようだといったことを教えてくれた記憶が ある。今となっては うろ覚えなのだが、言われてみれば、なるほど、そんな感じも するので、とても興味深く思った。
そもそも、日本の古い民謡には、中近東の民族音楽が源流として息づいているという説も あるようだし、私個人の感覚でも、ほぼ違和感なく納得できるので面白い。
ちなみに、私は、アラブ方面の音楽も、若い頃から好む。
http://www.gokayama-info.jp/?page_id=78
旧ブログでも紹介させてもらったサイトなんだけど↑
ここのなかにあるコーナー「伝承団体:越中五箇山こきりこ唄保存会」をクリックすると、「こきりこ動画」というのを閲覧できます。
くだんの動画で、唄と太鼓などを担当しておられる男性がたの お顔が、双子さんかと思えるほどソックリなので、見るたびに、思わず しげしげと眺めてしまうのだが(笑)やっぱり、ご兄弟なのだろうかね?
ま、それは ともかく、なかなか味わいのある祭り風景です。
ええ風情でっせー。飛び込みで一緒に踊りたくなってくる。
http://www.kokiriko.com/kokiriko-tv/index.html
学校時分、親しくしていたクラスメートに、幼い頃からピアノを習っていて、電子キーボード系へと興味を抱き始めていた友人が おり、その友人の薦めも あって、乏しい小遣いを はたき、ドビュッシーの曲ばかり集めてアレンジした冨田氏のレコード アルバムを手に入れてあり、いまでも大事に保管してある。
宇宙的壮麗、ロマンチック、だけでなく、どこかユーモラスな趣も含まれていたりするのが冨田氏の個性であったように思う。
『ゴリウォーグのケークウォーク』なんて、聴いていてズッコケたあと大笑いしたものだが、
私にとってドビュッシーは、クラシック系のなかでは特にムシの好くとしか言いようのない感覚を もよおさせる作曲家の一人で、
『亜麻色の髪の乙女』などは、学生時代にまつわる思い出の曲であり、原曲にしても、富田氏のアレンジ作品にしても、当時から特に気に入っていた。
クラシック音楽のアレンジと言うと、
エマーソン・レイク&パーマーの『展覧会の絵』も そうだけど、
いかにも それっぽい雰囲気のものでは、中学生だったか高校生だったかに、リック・ウェイクマンの『アラゴンのキャサリン』を聴いて、グッと気に入ったのを思い出し、youtubeで探してみたら、あった あった。
ただし、これは、一応、と言うべきであろうか?リック自身の作品なのである。ながいこと騙されてたわ(笑)
欧米圏のミュージシャンには、かつて「汚気・愚」(OK/goo)でも回答したことが あったように、それこそ、へヴィメタル バンドのメンバーでも、古典も古典のクラシックに親しんで育ち、かつ詳しい人が多いのは当然なのかもしれないが、リッチー・ブラックモアなんて、大昔の古楽器演奏さえも こなすくらいだ。
『新日本紀行』の話に戻ると、
「日本人なら誰でも」
という、普段、ウヨやネトウヨあたりが、さもエラそうにのたまっているのを見るたびに、
「おまえさん、それで日本人代表のつもり?
」
と、血圧が激上がりそうになることが たびたびなのだがw
この作品に限っては、「日本人ならば誰しも」という評価が許されるのではないかと思える。
昔日の日本の姿、また、地方の風景にも、実際は疎いと言ったほうが、個人的には正確なのだけれど、『新日本紀行』というテレビ番組にリアルタイムで親しんでいた子ども時代を思い出せるせいなのか、日本人の、あるいは、日本の風土に抱かれて生育した者にしか分からないのでは なかろうかと思えるほどに、心の底の郷愁を掻き立てられ、じつに懐かしさ泡立つ出来栄えであることは特筆に値すると思う。
でも、もしかして、中国あたりの人にも共感されるかもしれないな。
『昴』とか『北国の春』の例もあることだし(笑)
坂本龍一氏が作曲した『ラスト エンペラー』テーマ曲にも、『新日本紀行』テーマ曲の影響を認めているとのことだそうで。
稲穂を揺らして渡る風。。。
風は少しく湿潤を含んで。。。
さきのアメリカ在住のブロガーも、私へのコメント文中で、
『新日本紀行』のテーマ曲を耳にすると、せつない思いに胸が いっぱいになり、泣きだしたくなってしまう、というふうに言っていた。
※まだ何かが残ってるな、、、と思ってて、あとから気が ついた。
どうも、『亡き王女のためのパヴァ―ヌ』あたりの要素も感じられる箇所が あるような。。。
これはラヴェル作品で、この作曲家も、私の特に好みなんだけど、
そうしてみると、『新日本紀行』1曲のなかに、どれほど多くの国や地域からの歌や楽曲が織り込まれているのやら
こうなると、日本の、とか、日本人だから、とか言ってる場合じゃなくて、もはや人類規模の。。。
まあ、音楽とは、そういうものなのだろうね。