2016.05.17 (Tue)
『企業のハイヒール義務付けを違法に、英女性の陳情に12万人が署名』
ロイター 5月16日(月)12時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160516-00000044-reut-int
パリジェンヌなら、むしろ、しゃれたフラット シューズで闊歩するイメージだけどね(笑)
イギリスの場合でも、幼いうちは、王室のプリンセスたちが履いてるような、ベルト付きのフラット シューズは上品だし(私も子ども時分は履いてたよ)、
なんといっても、エリザベス女王が、お若い頃から、ハイヒールは好まれないそうで。
欧米圏と言っていいのかどうか、少なくとも、かつて、王侯貴族を戴いていたとかで、あるいは現代でも、身分制度の名残が色濃く残っている国では、ドレス コードというものも、いまだ厳格な面が あるようだ。
アメリカあたりでも、服装がキチンとしてないと、それなりの格を標榜するレストランには、入店を断られたとかって話、むかしは、けっこう聞いていた。もちろん、人種差別とともに。
もともと労働着だったジーンズとかTシャツなんかも、ソーシャルとされる場では許されなかった時代が あった。だいぶ緩和されてきて、近頃では、ほぼ全く許容されているようだが。
私が旧ブログを やってた、産経系運営のサイトで、
そこの常連の、いかにも頑固な、保守派を気取った自覚もない、退職後の高齢と思しき男性で、もちろん、堅く自民党支持・産経シンブン愛用と思しきブロガーが、
いつだったか、たしか「クール ビズ」ファッションを話題にしていた記事に寄せたコメントのなかで、
どうやら、わが国においては、夏場の、どんなクソ暑い季節でも、きちんとした服装で いるべきなのであり、くだけたスタイルの かっこうで勤務するのは、はなはだケシカラン、ということを主張したかったのだろうか、のっけから、「ここは日本だ!!」と怒っていたのを見たことが ある。
それで、この高齢男性、ならびに、多くのウヨ系の かたがたも そうであるのだろうが、
ごく日常的な場や卑近の話題等に関しては、いたって平凡な思考力レベルと感性だけに、まずまず普通に善良と言っていい人たちなのだろうとは察しているのだけれど、
いかんせん、彼らが大いに好む政治やら、それ関係の思想などの如何となったレベルの話題となると、
この低学歴・無教養な私ごときでも、そうとうに辟易感を もよおさざるをえないほどの、
「真情溢るる浅薄」
とでも喩うべき人物タイプが、あまりに多過ぎることは、すでに じゅうぶんなくらい見てきているので、
直接対話は、めんどくさ過ぎゆえ、避けさせてもらってw、
自分のブログ内で、私としては珍しくも、なるたけ遠まわしにww
「ここは日本だー!と言うのなら、昔ながらの伝統守って、和服や裃着てりゃあ いいのに、とっくの昔から欧米スタイルどっぷり真似てて、それが普通で やってるんですけどもー」
というふうな内容で、せせら笑っておいたことが あった(爆)
さて、
ハイヒールにせよネクタイにせよ、発生した時点では、そもそも「美的に」とか、ましてや「エロ」目的だったかというと、そうは言えない事例が少なくないようだ。
たとえば、ヒールのある靴というものは、昔のロンドンあたりの、ぶちまけられた糞尿まみれの道路を歩く時のためだったとか、
ヴェルサイユ宮殿のようなゴージャスな城にさえ、こんにちで言うところのトイレなるものが なかったので、女性たちは、その思いっきり膨らませたスカート内にコッソリ隠して、迫った用を済ませていた時代の必要性だったとか、様々な説が あるようだ。
ついでに、
昔の軍用コートなんかの袖口に、ボタンを多数、縫い付けてあるのは、寒いときの見張り中などに、当番兵が、垂れてきた鼻水を袖口で拭おうとするのを防ぐためだという説も ある。
気候も寒冷だし、白人さんは、鼻が高いせいか、鼻水たれやすいそうな。
このへんの考察を、興味深いサイトやブログさんを引用しつつ、私の旧ブログでエントリーアップしたことが あるのだが、
もとは「色気」どころか、身も蓋もない生活状況の影響から、「爪先立つ」必要性を生じ、ヒールの高い靴が考案、流通したのだとすると、
その「爪先立った」状態の足が、意外に可愛い(小さくて、不安定な雰囲気を齎す)というので、やがて、のちのバレエにて用いられるようになったポアント シューズへと引き継がれたのかもしれない。
もっと穿った考察を すれば、
「爪先立つ」という しぐさの、もともとの由来を連想させるがゆえ、本来は生理的用足し等の必要性から来ていた、この しぐさなり形態を、敢えて とどめるよう造形された靴が発達したのでは あるまいかとか。
多少似たような理由で、中国では「纏足」なる風習が生まれたという。
このあたりになると、ほぼ完全に、異性に対する媚び目的からの美意識で発展していったと言って過言では なさそうなのだが。
「纏足」の場合にも、それを実行したすえに見られる、成人でありながら女性が歩行するときに、幼児のごときヨチヨチ歩きになってしまう姿の、おぼつかなさ、不安定さが、一種の性的魅力なのであろうか。
(他には、日常的労働に似つかわしくない容姿ということで、むだに長い爪なども そういう意味が あるのかもしれないが、ひいては、働かなくていい、高貴な身分を表現しているつもり、とか。)
果ては、
足を不自然にキツく縛りあげたままにすることで生じる独特の臭気さえもが、男性の性的欲求を刺激するという効果を もたらすのだそうで。
まあ、そうなのだろうなぁ、現代日本人の男性にも、女性の生理的臭気に興奮する向きは あるようだしw
「纏足」には、もとは、女性の逃亡を防ぐことを期していたのかなとも推察するのだが
(単に靴の形状自体に、何かと不つごうな問題が あるのなら、いったん脱いでから走るなりすれば いいはずだし)、
ついには、女性みずから、泣き叫ぶ幼い娘の足を、鬼のように縛りあげることを当然の義務のように考えて、母親が、嫁入り条件の一環として、娘に対して実行していたのだそうな。
【続く】
2016.05.17 (Tue)
もうちょっと、他の絵は ないのんかと、
私個人的には嫌いな「ばっちい絵」やら「暗黒画」系統ならば、さしづめ、「カルト連」の お好みよねえ(爆)
『バスキアの絵画、日本人社長が史上最高額62億円で落札』
TBS系(JNN) 5月12日(木)13時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160512-00000038-jnn-int
国際間で褒めそやされつつ、内心で軽蔑もされていた、いわゆるバブル時代の日本人の姿を彷彿させる一幕だった(苦笑)
だいたい、色遣いや絵画の趣味には、その人の内面が出ると聞いたことあるし、
くだんの社長さんについては何も知らないので、とくに言いたいわけでもないのだが、
個人の好みとは関係なく、ただ財テクや投資目的だけの理由から、知識も教養も、個人なりの審美眼もない、金持ちだからというだけで、あまり売れそうにない不人気作を、計算高くソロバンはじいてる画商等の美術関係者に つかまされる人も あるといった裏側の現実について、以前に聞いたこともあるけど。
まあ、私みたいに、ネーム バリューやらブランド性には無頓着なほうで、基本的には飽くまで自分の趣味・嗜好だけで気に入ってしまうと、いざというとき手離す気にも なりにくいから、それでは投資や財テクにならないわなあ。
そうして、秘匿しているままでは、公共の利益にも反してしまうし。
なので、
この社長さんも予定しているという、美術館を設けて、そこで展示するというのであれば、それは それで、結構なことと思う。
聞くところによれば、むかし、ある財閥系か どこかの大企業の大社長だか会長だかが、自分で購入し、大事に所蔵していた、歴史的画家の名作を、自分が死んだら、その絵も棺桶に入れて、いっしょに昇天させてくれと遺言していたのを阻止したという実際に あったらしい話を、誰だったか知識人が暴露していたのを見かけたこともある。
まあ、「ゾゾ」なんとかいうところの経営者さんの個人的趣味が どうだろうと、また、その人が稼いだ金銭を何に、どれだけ注ごうと、それは勝手だし、自由を保障されているのは、国家的にも基本事項である。
ただ、この記事にも、相変わらずの浅薄なコメントが溢れかえっているので、それに向けて、すでに何度も指摘してきたことを、ここで また言っておく。すなわち、
儲けさしてもらったならば、それに見合うだけの社会還元は、あきんどの心得るべき道徳なり、
と、大阪商人の伝統精神に言う。
ま、「いまいずこ」の典型だろうがね。
「貧者の一灯」が、なぜ、尊いと されてきたのか。
どうやら、「貧者の一灯」などは無価値ということになってきているらしい、こんにちの日本だが、
そもそも、日本に限った話ではない、東南アジアや中東あたりの、いわゆる発展途上国では、
「持っている者が、持たざる者に分け与えるのは、偉くも何ともないこと。分かち合って、独り占めしないことは義務」
なのだという考えかた。
もちろん、これに甘えきっているだけでは、何らかの弊害が出てくることも あり得るし、要は、何事にも、限度というものが あり、それを超えてしまうと、持っていようと持たなかろうと、いずれの立場に居る者であろうとも、やがては、わが身の首が締まるぞよ、ってことさ。
「肉屋を支持する畜肉提供動物」かどうか知らんが、いわゆるネットウヨお得意の、「金持ちネタムな」なんどの類では ないぞ。
これは摂理というものなのだ。
大儲けできたのは、誰の おかげか、
手前一人の おかげでしょうかな?ということを、一度は、よく考えてみれば分かるはずだということ。
早い話が、
「ゾゾ」なんとかのような企業を含めた、すべての商売人が、この社会、そこは、もちろん、貧乏人と呼ぶべき庶民たちの割合が最も高い、その社会なくして、
あーたは、何を それだけ稼ぐことが可能でしたか?ってこと。
税金なり、何らかの社会還元を、それ相応に納めることが苦痛で業腹なら、
無人島でも買って移住するなり、砂漠やジャングルにでも入り込んで、人っ子一人いない所で終生、暮らすが よろし。
才覚なんぞがナンボあろうとも、
畢竟、社会の皆さんなくしては、カネ稼げるやつなんぞ、どこ探しても、いるわきゃないのだ、
というアタリマエのことが、身に沁みるはず。
ほんとうに、なくては困るものを商いして稼いでいる者が、どれだけ いるというのか。
少なくとも私には、「ゾゾ」なんとかいう会社や「アマゾン」とかいう会社も なくて何ら さしつかえない。
実際、ほとんどの人にとっても同様だろう。
だが、
およそ商売人にとって、この社会が ないのでは、そもそも成り立ちようが ない。
2016.05.13 (Fri)
東京にオリンピック招致が決定したとき、ほとんどの国民もネット民らも、ガッツポーズで湧きに沸き、メディアも口々に、安倍朕の「強運」とやらを称えていたはずだがなあw
あの頃は、私は、よりによって産経系wが運営していたサイトでブログを やってたから記憶してるが、
同じサイト内で、どういうわけか、あそこでは珍しいことに、「サヨ」系と目されているにも かかわらず、
どういうわけか、がちウヨ・ネットウヨどもにまで好かれていた、毎度ロリコン趣味の悪趣味なイラストを宣伝してた、自称「Tシャツ屋」だか建設業者だかが、普段は、安倍政権をコキオロシていたのに似合わず、オリンピック決定おめでとう!と のたまっていたものだ。ふん。
このブロガーは、あるときなんか、例のana5と一緒に、私に対してヘンな絡みかたを してきたもので、ここにも胡散臭いやつが いるわぃ、、、と思っていたけれど、いまにして思えば、やっぱり、えせサヨだったのだろう。でなきゃ、あそこの究極ネトウヨどもにまで好かれるはずがない。
しかし ま~、日本国民、おそらく、在日の人々も含め、この列島に居住している者たちは、とことんまで忘れっぽいのだろうか。
「3歩あるいたら」ナントヤラ、、、まんまじゃねえの?
この記事に付いた、「フェイスブック」コメントを見てごらん、
ミギだろうがヒダリだろうが毎度のチョーシで、呆れるったらないよ。。。
『<東京五輪>招致巡り裏金、仏当局捜査…国際陸連前会長側に』
毎日新聞 5月12日(木)21時26分配信
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6200833
やっとれ、ミギやヒダリの愚民ども![]()
今ごろにもなってからに。(呆)
だって、オリンピック誘致成功したというニュースから ほどなくして、どこかの新聞社(やっぱり毎日新聞だったかな?忘れた)が、オリンピック委員の各人に、大金とか高級ブランド品だかを渡してあったとか、来日したときに、東京で、豪勢なオモテナシしてあったとか、報じてたよ?詳細は、私も忘れたけど。
そのときは、国民もネット民も殆どは、なんら問題視せずにスルーしていたようなんだがな。
それどころか、
オリンピックに文句言うのか、反日だー!反日新聞だー!!って雰囲気だったわな。
やれやれ。
『【続】歯が痒くなるw 』
あの頃のエントリーでも述べたように、
思えば、日本の華々しい上向き時代到来の象徴だった旧の国立競技場、それを、潰したのだ。
旧国立競技場を取り壊すことになったとき、
さしたる愛国心もない私でさえ、いささかは抵抗感を覚えたものだが、
それは(耐震性問題とか)仕方ない理由も あったそうでは あるけれど。。。
だいたいなあ、オリンピック委員会そのものの利権・腐敗ぶりは、とうの昔から指摘されてたろ。
それもあって、
石原の都知事時代から、ちんたろう爺さんがナンボ欲しようと、誘致反対してた人たちも少なくなかったはずだよ。
もうね、
発祥の地、アテネに帰して、お金に困ってるらしいギリシャの永劫特権にしてあげたら いいよ。
2016.05.11 (Wed)
私も、世界的に共通して見受けられるのは、人種や国、地域とは無関係に起きていることから、男性性に由来する面が突出して大きいのだろうなと察しては いた。
おりにふれ、こういう記事を目にするたび、少しずつ考察してきて、すでに何度も指摘してあり、もう めんどくさいので、たまには簡潔に言おうw
男性は、いろんな意味で、根本的に自信がない者ほど、レイプに走る。
もっとも、
状・情況が与えられたにせよ、自分で無理に拵えたにせよ、そうできるチャンスが あればだが。
『「レイプは黒人文化」 南ア白人判事の投稿に非難殺到』
AFP=時事 5月10日(火)17時34分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160510-00000027-jij_afp-int
発言の真意と詳細は、よく分からないし、もちろん、言いかたは悪い。
せめて、疑問形にしておくべきだったろう。
けれど、
現地で生活してきた、かつ、女性であり、判事という、裁きの立場にいるからこそ、目の当たりにしてきた、あらゆる悲惨の事例の かずかずが、このように言わせたのでは ないかとも とれる。
さて、
一般的に、男性は、何らかの理由で、自信を失うと、てきめんに、まずは性的方面にて、レイプ等の歪で強圧的な行為に走りがちのようだ。
彼らは、自信を傷つけられた、損なわれたと感じると、とにかく、自分よりは弱いと踏んだ相手に対して、手っ取り早い「自信の回復」を図れるような気がしてなのか、レイプ等の性的蹂躙行為に およぼうとする。
それは、被害相手だけでなく、
当の自分自身さえも貶めてしまうだけのこと、全くの錯誤でしかないのだが、一般的に男性の性欲の、不自由なまでの強烈さが、ダイレクトに後押ししてしまうのだろう。
もちろん、そこでは、相手の人種とか所属する国等は関係ない。
自分と同じ共同体の仲間でさえも、そっちに向かうほうが、とりあえずは容易であれば、そうするだけのことだ。
女性一般の側にも、傷つけられたり損なわれたりした自信を回復したいという欲求から、自分よりは弱い対象に向けて、強圧的な何らかの行為を行うことは、めずらしくもないだろうが、
男性一般の そうした、身も蓋もない単純な肉体的発露に比べると、もう少しは、メンタル的に屈折していて、
昔からの譬えで言う「真綿で首を締める」的な やりかたを することのほうが、女性には多いだろう。
特に、男女とも、自分が保護者側として扱える子に対して発揮されがちなことは、古今東西の例に事欠かない。
ここに、もう一つ加えておく。
俗物根性。
俗悪な程度の思考能力しか備わっていない者は、こうした浅はかな傾向を強化する。
当然、世俗の、または、自分が所属する場所の価値観に、たやすく感化されるし、自覚なく、無批判に従う。
さしあたり、おのれにとっても、つごうが よいとなれば、「渡りに船」のことだ。
文化、教育、習慣、風習、これらは、切っても切れない、繋がった関係である。
古今、高等教育は、男性を対象に、より注力されてきた。
反面で、女性には、むしろ、教育から遠ざけるのが望ましいとされてきた。
たぶん、これも国際的な共通傾向だと思われるが、日本でも昔から、
「男性を立てておくべき」
といった戒めは唱えられてきた、そのことの意味。
ほとんどの男性にとって、ほとんどの女性にとっても同様だろうが、
乳母のように世話をしてくれ、優しく あやしてくれ、うっとりと包んでくれた温かい肌が懐かしくもあるのだが、
原初の自分の上に絶対的に君臨していた生ける法典、有無を言わせぬ暴君、恐ろしい女神でもある。
それに加えて、男性の場合には、女性とは、尽きせぬ神秘を、この世に体現している
「メカ女神」
であるかのようだ(笑)
解き明かしたいフシギ、
同時に、克服せねば ならぬ、
つまり、大自然の化身。
さても恐ろしいがゆえに、
組み伏し、究明しつつコントロールするべき対象のようである。
文化的特徴、というのなら、たしかに、白人の思想や文化の歴史に顕著であるとは言えそうだ。
イスラム教等に見られる、不当としか思えないほど、女性に対して抑圧的で厳格な戒律の類も、
また、それらと通底している日本の風習にも、体よく現れていること。
それは、ひとえに、
それほどまでに、
男性性とは本来、心身ともに脆弱な存在
なのであるということ。
というわけで、私に言わせれば、
キリスト教の「アダムとイヴ」神話にしても、かのフロイト大先生の お説にしても、真逆も いいとこ。
科学的にも、各方面のデータに明らかなはずである。
染色体の形状にすらも、本来、「あるべきもの」がない、ということが現れているw
それが即、悪いとかいうことでは、もちろん、ないよ。
「原始、女性は太陽であった」とか言い放った人が いたが(学校時分に読んだことある。ほぼ完全に忘却してるけど笑)
原初、男性は女性であったのだから。
『民族か?個人か?』
『ひとたまりもないのだ。』
2016.05.05 (Thu)
日本人と、たとえば中国人の違いで言うのなら、あちらの人たちは概ね、感情をハッキリおもてに出すことを躊躇しない傾向性は あるように思う。しかも、どういうわけだか、女性の場合のほうに顕著なようだ。
私自身は、日常で、中国人と親しく接した経験にも乏しいので、あくまでも、いままでに
あと、近ごろでは、訪日客として、じかに見かけた印象から。
『機内で暴れる乗客、ファーストクラスの存在が原因?』
CNN.co.jp 5月3日(火)21時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160503-35082121-cnn-int
たとえば、客室乗務員に対する態度を とりあげるなら、
中国人女性が感情を爆発させたすえ、キャビン アテンダント、むかしで言う「スチュワーデス」さんの背中に熱湯を ぶちまけたという事例に対して、
日本人のオッサンの場合なら、スチュワーデスさんの背中やらオシリやら撫でさすった、という話を聞いても、それほど驚かない人が大多数だと思うw
なぜなら、日本のオッサンは、それくらいは やりかねんと思うくらいに、想像し易いからだよww
それでいて、熱湯を ぶっかけたというような凶悪なことよりは、さほどの大ごとになって騒がれることもないからねえ。
概ねの日本人の場合、おもてにハッキリと出して、すぐにバレちゃうようなことは避ける。
そのかわり、
陰にまわって、すぐには発覚しないような悪事を やらかすことが多いようだ。
しかも、
そういうところで、やった本人も、それを知った日本人たちも、すぐにバレないだけ巧妙であることを、あたまがイイからだと、履き違えた受け止めかたを する、一種独特の愚かさが ある。
それゆえに、
まず陰湿である、とのイメージが前面に出てしまい、それも影響してか、とことん隠蔽しており、あわよくば最後までイイほうに まわろうと してるのでないかと、いつまでも疑われ、チクチク責められてしまうのかもしれない。まあ、自業自得だが。
以前のエントリーの どこかで、高度成長時代の日本の特にオッサンやサラリーマンの行儀の悪さ、
たとえば、
飛行機に搭乗した田舎者のオッサンが、座席に落ち着いたとたん、上着のみに とどまらず、シャツもズボンをもイッキに脱ぎ捨てて、ステテコいっちょうになり、スチュワーデスを慌てさせたとか、
ヨーロッパの一流どころの老舗ホテルの共用廊下を、寝間着とスリッパ履きでウロチョロして、スタッフや他の宿泊客の顰蹙を買ったとか、あの当時は、珍しくもないほど報じられていたと記憶することを述べた。
ただ、日本人女性に限っては、だんぜん、おとなしいほうだということに変わりは殆どないと思う。
同じアジア人女性と比べても、少なくとも、表面に出して激しい自己主張を辞さない日本人女性というのは、やはり、いまだに少数派だろう。
あれから、日本人も、男女含めて、ずいぶんとオスマシするようになったものだw
つい祖父母の時代まで、ど田舎の百姓だった、あるいは、田舎から出て来て、しがないアキンドでげしたというような家系の者でも、どこぞのボンボン、お嬢さま気取りなのが嗤えるほどに、カン違いしたオスマシして、お高く とまっておるw笑止であるww
しかし、なおも総じて おとなしい性向の国民性は変わらずに、
許容性の低さ、人目を気にし過ぎた余裕のなさだけは高まる一方のようである。
これには、殊の外に大災害の多い国土が培った国民性ということも大きく関係が あるのではと察している。
まあ、私みたいに、いちおう平凡な感覚の?人間から見れば、
「ファースト クラス」だ何だでカリカリするような者は、ちと普通じゃないんだろう、と思ってしまうけど。
ところで、
過去に私が闘ってきたw「汚気・愚」(=「OKウェイヴ・おしえてgoo」)の「哲学」なるエセ看板を掲げたコーナーでガンバってた、とある女性会員に向かって、あるとき、
「哲学史」的知識のみに埋もれ、心理学等の実際の働きを軽視していた彼女に些かでも気づかせるべく、個人的に、少々の忠告を したことが あった。
「心理学の知見というものは、あなたが、いまだに気づいていないだけで、われわれの日常生活の そこかしこで、すでに参考にされていますよ」というようなことを。
「カルト連」その他の常連会員に特に多く見受けられた傾向性でもあったのだが、
何によらず、自分よりも「上位」に位置していると思える対象と、自分自身とを比較せずには おかず、
いかなることであっても、自分のほうが多少なりとも「下」と感じたならば、たちまちにしてイジケた様相を示し、
自分自身が、何か、とてつもなく不当な、可哀そうな位置に貶められたとヒシヒシ感じてしまうのらしい、異様に敏感にして病んだ性向の者たちが居た。
彼らは、それだから、鵜の目鷹の目で、ターゲットと定めた対象に、自分よりも脆弱な部分は ないものか、ないものかと、
さしあたって見つからなければ、わざわざ拵えてでも押しつけてやろうと虎視眈々な彼らには、専門筋の診断こそ受けていなかろうとも、自己愛性肥大ゆえの人格障害者が多いのだろうと見受けている。
先日、どこかのサイトで、私自身が子どもの頃から、睡眠に関する悩みを抱えてきているもので、その方面の記事を読んだのだが、
そのなかに、客室乗務員として長年のキャリアを積んできたという女性のインタビュー記事が あった。
その垢抜けして端正な品良き女性が語ったところによると、
日本では皇室、他国の王室、あるいは、どの国の要人、大統領や首相といった国家的トップの人々には、機内サービス等の細かいことに要望を示したり文句を言うなどのことは、まずもって、起きないことらしい。
なぜなら、
あのような地位の人々、重い国家的任務を背負っている人たちは、自分が渡航なりした先での大役を無事に果たすこと、
それがスムーズに、滞りなく果たせるか如何ということにのみ、全精神を集中させているためだ、というふうなことを解説しておられた。
私は、なるほどなあと思いつつ、
しかし、この聡明なキャリア ウーマンにも、少々、掘り下げが足りないかもしれないと思った。
それは、
いわゆる要人クラスにして、そのクラスならではの公的大役を負っている人たちが、自分の役割というものを、きちんと果たせるかどうかということにのみ、関心を集中させていることの根本的土台に対しても、その善悪や正当性といったことについての踏み込んだ検討が あるか否かとなると、そうとは限らないだろうということ。
歴史上の極端な例では、ナチスの高官のようなことになりかねないかもしれない。
彼らも、自分の負った公的任務については、このうえなく律儀で厳格で忠実だったという。
だが、その思想性は歪みきり、哲学性は矮小で下等だったわけだ。
その狡猾さと悪運の強さも、結局は潰えた。
しかし、気を抜いていると、今後もフツフツと湧いてくるだろう。
昨今の世界的様相は、そうした危惧を、あらためて持つべきである、との警告を示し始めているのではないか、そんな感じが してきている。
杞憂であってほしいものだ。