2016.09.16 (Fri)
『「酒強いほど依存症リスク」9割知らない 内閣府調査』
(朝日新聞デジタル)2016/9/9(金) 8:05掲載
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6213839
先行エントリーで予告したとおり、記事に目を通し、エントリーを書き始めてから、1週間近く、放置してあったのだが、
この記事に付いた「フェイスブック」投稿者のなかに、
「アルコール依存症は酒をたしなむ者たちすべてのことです。ちなみにアルコール中毒は酒の飲みすぎで死ぬ直前の者」
云々していて、
全体に、述べていることが おかしいと言うか、はっきり言ってデタラメにも かかわらず、「イイネ!」が早くも幾つか押されているのだから、つくづく呆れてしまうのが、ネットの常態というものだけれど、
さておき、
その投稿者こそが間違いで、「アルコール依存症」も「アルコール中毒」も、もともとは同じ内容を指していた。
英語で言う"Alcoholic"を訳して、「アルコール中毒」略して「アル中」、
近ごろでは、医学的に正式な名称として、「アルコール依存症」と呼びましょう、ということになっただけなのであるそうだ。
ともあれ、そういうことよりも、
私が、以前から、どうなんだろう?と疑問を持っていたのは、
「酒に強い」とは、正確には、いかなることを指すのだろうか?ということだ。
「意志が強い」から、敢えて飲み続けることが できるんだよ、と、逆から穿ったようなことを言ってのける者も見かけることは少なくないが、
本当に「意志が強くて」、自分自身の飲食等についてのコントロールが できないとは、いったい、どういうことなのか。
どうにも奇妙としか思えない。
「依存症」なのに、「意志が強い」などということが あり得るのか。じつに おかしな見解だ。
ただ、しいて言うならば、
心身に毒でしかないものを、気が済むまで徹底的に受け入れられるだけの体力とか、肉体面においては、ある種の強靭さが備わっていると言えそうではあるだろうか。
だが、どんなに隠されても、とことん探し出して飲み続けようとするのは、それは「意志が強い」のではなく、本人自身、不本意で あっても、
飲み始めて、そこそこのあたりでセーブすることも、
自分を望ましい状態に保つため律することも できず、
ひたすら引きずられるが如くのまま、なすすべもなくなっているというのが実態だろう。
いわゆる、「お酒を飲んでも乱れない人」という表現も あるが、
それは つまり、ある程度、大量に飲酒しても、普段の その人の落ち着いている態度や行動と、ほぼ全く変わらないでいられるということが、「お酒に強い」ということなのか、
それとも、
実家の父親が そうだったように、
日常の晩酌程度でも、うかうかしていると、つい調子に乗って、まずまず平常でいられる許容範囲をホンの少し超えてしまったが最後、危ぶんで止める周囲の声も拒絶し始め、
ましてや、最初から、はめを外して賑やかに飲もうやという席であったりすると当然のこと、ここぞとばかり、がぶがぶ飲んで飲み倒してしまう、
これは、「酒に強い」「意志が強い」ゆえと、はたして言えるのだろうか。
結局は、「阿鼻叫喚の地獄図絵」というやつに、家族を引きずり込んでしまうのが定番だった。
兄などは生前、
「よくもまあ、若い頃から、あんだけ飲み倒してきて、あのトシになっても、肝臓一つ壊すでなく、ピンピンしとるんだからな、あの親父は」
と、吐き捨てるように言っていた。
そう言う兄だって、自分の親の どっちに似たのか知らないが、酒好きには違いなかった。
が、結婚してから、自分の家族に対して、暴力を振るったということまでは、ついぞ聞いたことがない。
私自身、自分の両親の どちらに似ても、
と言うか、じつに皮肉なことには、体質的に、父親に似た面として、特に胃腸が弱い傾向のせいか、もともと、お酒が合わないようだという自覚は ある。
アルコール自体が、自分の体質に合わないらしいというのは、化粧品類に含まれたアルコール成分に反応してカブレることが あるくらいなので、ごく若い頃から、それと知れていたのだが、
体調に用心しながらであれば、まあ、ある程度は飲めないでもない。
色白ゆえ、飲めば たちまちにして、頬が まっピンクと化すので、お酒の席では、よく、周囲に囃されたり、からかわれたものだが、
それより何より、私は、大概の酒の味を、好きになれないのだ。
したがって、お酒一般に対する興味が薄い。
味そのものが好きであれば、体質に合わなくても、少しは口に運びたい気持ちを持つのだろうが、
ビールでも日本酒でもワインでも、まあまあ、これなら美味しいと言っていいかなと感じられたのは、限られたブランドなど、僅かな一部のみだ。それでも、飲み続けたいと思うほどでは ない。
なので、
私には、どう頑張ってみても、がぶがぶ飲んで、人格が変わったかという状態になるまで行き着きようが ない。
かなり飲んだとしても、私は、「酒に乱れる」ということが ない。
まして、父のように、陰湿な暴力に走るなどということは ありえない。
しいて、起きる変化を言えば、
いつもより、幾分は陽気になるかなという程度。
お酒を飲んだときに、その人間の本性が出る、とは、これも昔から言われているようだ。
ならば、それが、私の「本性」ということなのだろう。
酒は静かに飲むべかりけり、と言った、昔の人が いる。
私は、このコトバを、学生時分に知って以来、気に入って、おりに触れては思い起こしていた。
思い起こすと同時に、
静かに飲めない酒好きほど、下品で見苦しい者は なく、およそ美意識というものに欠けている彼らは、自他ともに認める酒好きでは あっても、
ほんとうのところ、自覚なく、酒を冒涜しているのであると思考し、
ましてや、父のように「酒乱」と呼ばれる手合いともなると、心底から侮蔑の念が湧く対象だった。
おいしく飲めて、どこまでも乱れることを憚らず、どハデに憂さ晴らしできる傍迷惑な人たちが、ちょっぴり羨ましく思うことも、自分に飲酒が認められる年齢となって以降、ときには あったが、
私とて、あの親らや身内連中の血のなかに流れている依存症の異様を受け継いでいないとは言い切れまいし、
ある意味では、彼ら以上に、徹底して のめり込む危うさも潜んでいることは自覚している。
もしも、私が、父のような酒乱癖だったら。
あの父が齎し続けた阿鼻叫喚以上の悲劇と、次世代にまで及ぶ恥を、彼らは覚悟しなければ ならなかっただろう。
寄ってたかって、一人ひとりが、私を つかまえては、
「おまえの父親ソックリ(でダメ)」
「おまえの母親ソックリ(でダメ)」
「(腹違いの)兄ソックリ(でダメ)」
「(腹違いの)姉ソックリ(でダメ)」
おのおの勝手に不満を溜め込んでいる対象の家族を、お互いどうしで名指しして、家族の誰かと私がソックリだという理由を拵えては、その対象である相手に直接では なく、なぜか、幼い私に向かって、不満の つぶてを投げつけてきたものだ。
あのツギハギ家族の全員に、いまは宣言する。
あんたたちの誰にも全く似てなくて、ほんとうに、よかった!!
父方・母方いずれにも、酒の絡んだ醜聞も少なくない、酒好きな一族のなかで、なぜか私だけが奇跡的に、こうした面は全く受け継がなかった、このことに感謝する気持ちのほうが、だんぜん大きいのである。
これは、私の親は勿論のこと、すべての身内連中こそ、幸いに思うべきことだ。
まったくもって、感謝感謝である。
2016.09.15 (Thu)
公務員と言っても、いろいろな分野があり、個人の資質の違いも あるのは、いちおう知ってるけど、
ここでは、市役所あたりで普通に内勤している類の公務員のことを。
私が若い頃の同僚のなかに、かつて、地元の市役所でアルバイトしてたという人が言っていた。
市役所の正規職員たちは、からだを使って、かなり動きまわったりとか、重たい物を動かすとか、あるていどの体力が必要な作業は、自分たちは動かず、あくまでも椅子に座ったままという基本姿勢でもって、バイトを顎で使いたおしていたと。
聞いた そのときには、へーぇ、そんなものなのか、としか思わなかったんだけども、
昨今、いろいろな機会に報じられる市役所関係の公務員の話を読めば、どうやら、いまでも、そんな流儀で やってるようだが。
まあ、民間の企業でも、しんどい体力仕事や地味な雑用一般は、非正規や新人の受け持つ仕事とされることは同様では あるが。
最近、ちょっとしたことで、やっぱり、民間の企業あたりとは大いに違ってるところだなあ、と感じたことが2点ほど あった。
一つは、
前任者から引き継ぎしておくということが、全く できていないらしいこと。
だから、そのつど、同じことを何度も繰り返して説明しなおさなくては ならなくなる。
民間の企業だと、ある業務の担当者が移動等するときは、前任から後任への引継ぎを、できるだけキッチリ済ませておくものなのだが、
役所という職場は、そうではないようだ。
そう言えば、お役所名物「たらい回し」というのも あったな。
もう一つは、こまかいことなんだけど、やっぱり、経費削減ということを、自分たちの足もとから やっていないらしいこと。
たとえば、用紙の使いかた。
僅か一行、二行程度の短文を記した用紙を、複数の相手に向けて送付するときは、民間なら大企業であっても、一枚の用紙に同じ文面を、適度な間隔を空けつつ、入れられるかぎり同時にコピー印刷しておき、その後、必要な区切りごとに切り離し、それぞれ封書に納めて送付するくらいのマメな節約はアタリマエにやってることなのだが、
役所という所は、ほんの一、二行だけ記して、あとのスペースは真~っ白なままの大きな用紙を、何とも思わずに送りつけてくるようだ。
時間のムダと物のムダ。
学校の勉強だけシコシコ真面目に頑張って「努力できた成果」なのかは知らないが、大学出たてくらいの年齢の、いかにも苦労知らずな若造でも、態度だけは、とことん上から目線。
もしかしたら、これも一種の発達障碍の範疇かしらん?というくらいに、ヘンな自信でマンマン。
それが、公務員というやつなのかということを実感した しだい。
若いうちに、一度は、ちょっと謙虚になってみて、自分自身の知性・思想・見識・教養の質や視野の広さの程度について疑ってみれば?
あなたがた自分で信じてるらしいほどには、それらが公務員として相応に立派とは思えないよ、
と言いたくなるほど酷い公務員も少なからず、いるようだ。
うちの兄なんかも、あれでは、会社員は到底ムリだから、とにかく安定して堅い職業に就けておかないと、あとあと、実家の われわれに どんな災厄を齎す存在になるやもしれん、というので、
私の母親が教育ママゴンさながら、早くから、兄の お尻を叩きに叩いて叩きまくった甲斐あって、知能指数の点では、私よりも ずーっと下回っていたにも かかわらず、どうにかこうにか、国立大から教職としての公務員ルートに乗せたわけだが、
やっぱり、私の目から見てさえ、ひどく歪んで狭い視野と偏った思考傾向だったし、必然的に、非常に変わった信念で凝り固まっていた。
家庭環境が悪かったことも有形無形に影響したのだろうが、それでも、人間性の面では、経理マンだった隠れアル中の陰湿親父よりも、少しはマシだったけど。少なくとも、自分のヨメや子どもに暴力を振るったりして鬱憤晴らしは しなかったようだ。
それと、
やはり、かつての私の同僚で、仕事できないわりに、無意味にエラソーな言動で閉口させられた女性の古い友だちという人が、長年にわたってチャレンジし続けた教職試験に毎回毎回、落ち続けたすえ、やっとこさ、採用まで漕ぎ着けた、根性あるでしょ!初志貫徹、偉いでしょ!という話を、くだんの、仕事できないエラソーな同僚に聞かされたのだが、
(ちなみに彼女本人は、自動車教習所へ通って免許取得するのに、教官たちにも呆れられたというほど、一般的な取得平均所要期間の何倍も かかったすえ、自分でもドンくさくて危険なのが分かってるからと、最初からペーパードライバー。おそらく、ただの一度も、実際に運転することは ない)
ふんふんと聞いていた私は内心で冷たくw、
そこまで落ち続けてきたということは、しょせん、適性が乏しいのだろうに、そんなヘボ教師に担当された子どもが可哀そうじゃん、
やっぱ、友人にせよ恋人にせよ夫婦にせよ、長く親しく付き合う相手は、内面性や思考力も同レベル、いわゆる類友ってことか、
今後の自分は、付き合う相手に気を付けよう、と思ったものだww
そういう、苦節何年何十年の努力のすえに、世間で特段の困難とも思われない採用試験に四苦八苦して通った!という涙ぐましいまでの人も、世のなかには いるのだから、
まだしも、うちの兄の低めな知能指数のオツムでさえ、いくらかはマシな出来だったということなのだろうか。それ以上に、親の本気度が、モノを言ったということのほうが大きかったように思えるのだが。
そりゃあ、公務員から いきなり民間企業の社員なんかになったとしたら、たいがいは勤まらんでしょうなあ、と、つくづく思うことが、近頃は増えてきた。
過去に聞き流してた、公務員について批判を言っていた あらゆる人たちの話や気持ちが、私にも、だいぶ分かってきた気は するのだが、
「公務員さまは、公僕なんかでないぞ、特別の階級に おわしますぞ」的な風潮も影響しているのだろうかとすら感じる昨今である。
【新聞社配信記事に目を通して、思うところをと、エントリーを書き始めてから、1週間近く、そのまま放置してあったのだが、次のエントリーにて、ここでチラッと触れた「アル中」「アルコール依存症」に関する話題を取りあげます】
2016.08.26 (Fri)
天皇・皇室、それ以外の人々全員も、いにしえからの血筋を脈々と受け継いできてあることに、何も変わるところは ない。女系か男系であるかが無関係ならばね。
その昔、女性にして天皇となった少数の人たち、
たとえば、持統帝は、皇女であり、実の叔父にあたる天皇の后ともなったので、その子息は、母も父も天皇に直接、繋がっている立場だった。
『二階自民幹事長、女性天皇を容認=認めねば「時代遅れ」』
時事通信 8月25日(木)17時28分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160825-00000093-jij-pol
「時代遅れ」と言うのなら、
法的にも矛盾が隠せない「天皇制」「皇室制度」という器を後生大事に温存して しがみつくほうが、どう見ても、よっぽど「時代遅れ」じゃないですかw
だからこそ、
敢えて維持していくうえでの、容認理由を据えなければならないのだ、賛成の立場であろうが反対の立場に くみしようが。
天皇さんも、その理由として、新しい天皇像すなわち「象徴天皇」の姿を模索し、長年にわたり突き詰めてこられたのが、先日の「お気持ち」表明のなかで吐露されていた。
タテマエか欺瞞であることが真相だとしても、皇室祭祀の主催者が男系子孫でないことにはマズイという特有の事情から、男系で続いてきたのだ、というのであれば、
そこにこそ、皇室ならではの家系の特異さが あるわけだから、
そこも とっぱらい、
女系も入り混じって いいことにするのなら、われわれ一般の家と差別化する理由なんぞ、何もない。
それでも、
「天皇」「皇室」という呼称だけでも存続させたいと願うのは、
それこそが、タテマエの権化なのであり、「ヤフコメ民」の誰やらが言った「天皇システムの奴隷」なる指摘は、まさに、自分たちへのブーメランであると知るべきだ。
なにを、そこまで、継続せんがためと拘っているのか?
という疑問は、「女系天皇」容認派についても同じことなのだ。
つまり、「天皇システムの奴隷」、無自覚な。
ちゃんちゃら おかしい。
それと、
小林?えーと、「ワシがワシが」と主張するので知られたウヨ派マンガ家?なのだそうだが、この ご仁が言ってたという「アマテラスは女性神だから」云々。
くだんの発言が、何を言わんとしていたのか、その内容を、私は全く知らないのだが、
「アマテラス」という、天皇家の女性祖神とされる公理的存在は、
イザナギという名の男神からのみ出生した、
という伝説だ。
すなわち、そもそも、異性が介在することなく生まれ落ちた、ということになる。
キリスト教の言う処女懐胎の男性版みたいだわな(笑)
また、ギリシャ神話『オルフェウス』の物語も そうであるように、
「アテーナー女神」の生誕物語とも酷似しているようだ。
もう一度、指摘しておこう。
女系容認にせよ、現代日本の憲法に則った「象徴」天皇にせよ、それらは、「新しい天皇像」として、ここから新たな「伝統」の第一歩を始めようじゃないか、ということなのだろうが、
その必要性たるは、いったい、何なのだろうか。
なかみがゴロッと入れ替わっていても、なおも「天皇システム」に拘る、その意味は何なのかを考えるべきだろう、と。
それは、たしかに、「安定的な持続」を願う現天皇の立場からでは、公的には言うことも できないのが、憲法上の基本的スジとなっている。
主権者たる国民が考えなくちゃならないわけ。
「側室」あるいは「妾」、現代では「愛人」とでも呼ぶか、
とにかく、「一夫多妻」の形態を復活させたのでは、いくらなんでも、現代の国民感情が許容できまいし、「象徴」として、一般国民の前で、お手本を見せる、あるいは演じ続けるべき存在として、良きイメージが まる潰れになってしまう。
ならばと、
旧皇族を復帰させるとなると、いま以上に、多額の税金を用いなければ ならなくなるのも、目に見えている。
比較的に無難なのは、人格識見等が適切であると見受けられ、ご本人自身も受け入れる姿勢が明確であるならば、お一人に絞り、「養子」という かたちで、皇籍復帰していただく、というところになるだろうか。
ま、それは ともかく、
なるほど、「男系」にのみ拘っていては、「天皇家」「皇室」の存続さえ危うい、それも そうなのだろう。
しかし、私個人は、自然に任せておれば いいものを、と思っている。
「伝統」の なかみが入れ替わってしまうのに、呼称だけ存続させられれば それで よし、で済ませるのは、いよいよ形骸以外の何ものでもないと考えるからだ。
そうなると、どのみち、先行きは細る一方、と覚悟するしかない。
ただ まあ、
たとえば、和服に譬えてみれば、
形骸そのものでしか なくなってもいい、とにかく存続を!と焦る人たちの心情も、理解できなくは ない気がして くるのだ。
和服というものも、もともとは、渡来文化の影響が最たるものだった時代から始まり、王朝爛熟文化の華やかなりし「十二単」を通過し、それからも、長いあいだに幾度も、形状を変化させてきている部分は あるわけだ。
現代人の私から見て、むしろ、室町時代以前は、下着扱いだったという「小袖」スタイルのほうが、着付けも着心地もラクそうで、だんぜん、合理性が高いように見えるのだが、
現代では、豪奢な振り袖に代表されるように、ますます大仰なスタイルへと ぶり返し、したがって、日常に用いる人は皆無と言っていいほど廃れてしまい、業界や和服通の人たちが、あれこれの工夫を発表し、一般へ普及に努めても、もはや、特別な行事の日でさえも、和服を着用することは、年々減少している。
それでも、
では、「時代に合わせて変化し続けてきた」和服そのものが なくなってしまって平気か?
と問われると、やはり、消滅は してほしくないわけで。
本当を言えば、なくなっても全くと言っていいほど、困らない。
ある種の業務などに携わる人たち以外は。
それでも、
遠くから眺めるだけでいい、視界から完全に消えてしまうのでは、やはり残念なのだ。
私自身、生前は和服好きだった母に着付けてもらえるから、お正月くらいは着用していた。
それも、年々、めんどうくさくなり、実家を出たり、母が亡くなりしてからは、もう どれくらいになるのか、正月だろうが なんだろうが、全く、和服を着ることは なくなった。
プロに髪結いと着付け料を支払ってまで、一日じゅう苦しい思いを するのは、あまり、気が進まない。
それでも、
自分のは勿論、母や叔母の形見で譲り受けた大量の和服のうち、処分しきれずに、手もとに残してあるものが、なお多く残る。
けれど、
天皇や皇族は、和服じゃない。
物じゃなく、生きている人間であり、
人権面での不全を強いて犠牲にして、形骸化を承知で、矛盾を曝け出してまでの、何の価値を、彼我ともに、そこに見ているのだろうか。
天皇家特有たる祭祀の後継者資格を、従来のように拘る必要はない、また、それよりも、あくまで現憲法に則った「象徴」なる天皇の姿を構築し続けていくことを最優先すべきである、
と お考えであるのなら、そのように明言なさるべきでなかろうかと思うのだが、
現実、「政教分離」のはずの わが国でありながら、皇室祭祀に、莫大な国費を費やしていることの是非は、誰が判断しているのだろうか。
天皇ご自身は、言うまでもなく、天皇家内の神道の頂点であり、言わば、世襲教祖と目されるべき存在だ。
それだから、このことについては、天皇その人にしか、判断は下せまいはずなのだ。
国民の大多数は、それの信者でさえ ないのだから。
皇室祭祀に、実のところ、伝統の重みも薄く、実質の意味は ないのならば、
いや、ないであろうのは、とうに分かってるが(笑)、
そうとハッキリ認め、形骸でしかない程度に、思い切って縮小してしまえば いいのだけれど、
天皇ご自身が、じつは、、、と、皇室祭祀の無意味を明らかに述べてしまわれるのは、さすがに、気が進まれないのだろうか。それを言っちゃあ おしまいよ、とて(苦笑)
いずれにせよ、
まさにその時代の「国民の お手本」たる姿を維持できないと、猛バッシングされるのは、芸能人と変わらないでは ないか。
なぜ、特定の人たちだけが、否応なく、選択の余地なく、それを引き受けなければ ならないのか。
日本の国民の知的レベルも、それほど高くは ないと認めざるを得ないが、
いいかげんに、無知のまま、やすっぽい情緒だけでは おさまらない時期に来ていることを自覚するしか あるまいに、と思うわけ。
2016.08.23 (Tue)
皇室制度・天皇制、
核兵器、
原発、
いろんなことが、モロに矛盾に満ちていて、真っ二つに分裂したまま。
それを、何事もないふうに、押し殺している層と、無知・無関心な層と。
そんな、日本という国。
これらの極端な矛盾や分裂相を、少しは なんとかしようとする気すらも ないみたいだ。
そのうちには、国家ごと病んでいることが隠せなくなるだろう。
まあ、病んでいる国なんて、日本だけでは ないようなのだが。
もはや、世界じゅうが病んでいる、のか。
『核兵器禁止条約に向けた報告書採択 日本は棄権』
朝日新聞デジタル 8月20日(土)2時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160820-00000007-asahi-int
『安倍首相、オバマ氏の「核先制不使用」に懸念 米紙報道』
2016年8月16日16時08分
http://www.asahi.com/articles/ASJ8J41J1J8JUHBI00T.html?ref=yahoo
2016.08.18 (Thu)
「あっ、そ~ぅ」
が つとに知られていた昭和天皇の御生前、侍従の どなたかに、
自分は口下手なので、、、
という お悩みを こぼされたことが あったそうな。
だからこその、万感を込められての
「あっ、そぉ~ぅ」
だったのだろう(笑)
このエピソードを思い出すたび、
いずれ、「天皇」の地位に就くことになるのであろう立場に おられる人の苦悩を思わずに いられない。
仮に、
現皇太子家の一人娘さんである愛子内親王が、「女性天皇」あるいは「女系天皇」となられるとしよう。
これまでの各社ニュース記事等から窺える印象では、
見ず知らずの誰とでも気楽に雑談等こなすのが お得意そうなタイプでは、けっして なさそうに見受けるのだけれど、
長じるにしたがって、場慣れも あろうかとは思うけれど、
ある程度の変化は あり得るにしても、人間もともとの性質は、あまり大きく変わらないだろうし、しかし、そんなことを言って避けているわけに いくまいから、先々を想像すると、なんだか お気の毒な感じさえ するのだ。
昭和天皇までは、いかに悲惨な戦争そして敗戦という結末を招いた御代とは言えど、
最後の「帝王教育」を施されて生育したという天皇と、「現人神」なる刷り込みを施されていたシモジモ国民の時代だったのだから、
たった一言に、せいいっぱいの気遣いと万感を込め、鷹揚に頷いておられるだけで、人々は有難がって済んでいたのかもしれないが、
現代においては、すでに、そんな大らかなことでは通らなくなっている。
公務を怠けている!という俗世間でのイメージに左右されたか愚か者が、威丈高な憤りを見せて、目の前の皇太子妃に掴みかからんばかり口汚く罵りながらの無礼な ふるまいが、公衆の面前にて起きたことが あった。
いまの民衆は、情報が溢れるばかりの時代にあって、ますます、分かり易さ、かつ、自発的に そうあろうと努める存在を求めている。
だから、『日本会議系』御用学者の「八木」某あたりが言ったという、まさに、「菊のカーテン」の「奥に まします」的な やりかたでは、現代の民心は、もっと離れていき、もっと無関心になるだろう。
こういうところからして、『日本会議』系の連中は、時代錯誤が酷過ぎて、わざとじゃないのなら、何も分かってないとしか言いようがない。
それこそ、麻生さんの「ナチスに学べ」じゃないが、
民衆が気づかないうちに着実に遣り遂げられていた静かな革命、
現天皇のほうが、その辺の現実を、よく分かっていらっしゃったわけだ。
ところで、
一般人ならば、誰から敬意を以て遇されることも一切なく、ひたすら孤立無援の、しがない労働者として働かざるを得ない情況も、めずらしいことでは ないが、
そんな生活のなかで、どうにも性に合わない仕事に明け暮れているうちには、精神力が強靭でないことには、やがて、鬱にもなってしまうことだろう。それだからと言って、
仕事を休むことも ままならず、医者に通うのも躊躇い続け、
最後は、人生そのものが転落していき、最低限レベルの生活を することすら困難となる、そんな事態も、現代日本の民衆に あり得ることとなって久しい。
世界有数の金持ち国にて生育しているはずの小児たちが餓えることも、殺められ、行方知れずになることも、さほど まれな現象で なくなった。
何々の「宮」と生まれ、名付けられた、ただただ それゆえに、とびっきり高価な宝冠で飾られて当然とされる、どう見ても、普通の人にしか見えない、何の実績もない若い女性。
あまりに強烈な対比の構図には、感想のコトバも容易には出てこない。
相変わらずの「ヤフー」名物(?)醜悪コメント勢揃いコーナーのなかには、
「天皇外交」の おかげで日本は云々と、むやみに有難がっている者が いるけれど、
カン違いしては いけない。
天皇家や皇室の外交というものは、基本的に日本国として、友好関係を確立できている相手国以外へは赴かせるはずがないのだ。
したがって、すでに友好関係に あると見做されている相手国との親睦を深める意義は少しは あるにせよ、
あたかも、国家間外交を、天皇家や皇室が切り開き、揺るぎなく良好な関係を築いているかのような有難がりは、これまた、あまりに短絡的で滑稽である。
むしろ、過去の歴史を少しでも振り返れば分かるように、
各時代の権力筋が、邪まに利用するため、つごうのいい存在となる危険性のほうが圧倒的に高かったわけだ。明確に主権を有していた時代の天皇でさえもだ。
それにしても、
現天皇の、先日の発表で吐露された「全身全霊」という、それは、
いったい誰が判断するのだろうか。
最悪のケースから考慮してみれば、
もし、どう見ても、「全身全霊」とは言えない、それどころか、傍から見ていても、普通、 まとも、とすら言えないほどの事態になったとしても、
天皇ご本人が、
「いーや、自分としては全身全霊で やってますので!」
と主張するなら、それが全てでしかないわけだろうか?
あるいは逆に、
ほんとうは「全身全霊」とまで いかなくても、
傍目には、じゅうぶんに、そのように見える演技力がキモになるだろうか。
当人の心情や状態と、外から見ている他者の受け止めが乖離していることも よくあること。
だいたい、精神を守るための自然の摂理で、
人間いつもいつも「全身全霊」が持続するはずも なく、
面識もない他人の幸せを つよく願い続け、不幸事には、深く心塞ぐような状態を続けておれるとしたら、それこそ「超人」と呼ぶに ふさわしいだろうが、あり得ない。
そんな状態を長年にわたって続けていたら、
ふつうに人間ならば、遠からず、
「燃え尽き症候群」
のごとくになってしまうはず。
ならば、
「全身全霊」と言っても、
自分個人の判断で、そうだと主張しているに過ぎないのではないか。
「全身全霊で」というのは、きれいごとではないのか。
いまの天皇さんは、いわゆる国事行為よりは、被災地訪問等の直接の「お出まし」公務を最重視なさっておられるようだが、
実際は、被災現地では、天皇や皇族を迎えるための準備で、かえって、負担が増すと言っていた。
そのへんは、どのように お考えなのだろうか。
もちろん、お顔を拝めたとて、リクツ抜きで感激する人たちは少なくないのだろう。
一般に、高齢者(特に地方の)は、自民党シンパと同様、天皇・皇室崇拝者が多いと聞くし、それでなくとも、大衆というものは、
それが天皇や皇族でなかろうと、ただ、有名人を、じかに見ることだけで喜ぶものだ。
もし、自分自身が被災したからといって、天皇さんや皇族がたの見舞いを受けても、何ら助けにならんし、べつに嬉しくもない、と思う私のほうが、現時点で圧倒的に少数派なのだろうけれど。
「静かなる革命」の実行者たる現天皇は、おそらく、以前までの天皇とは異なる、「新しい天皇像」を確立すべきと、邁進してこられたのだと察している。そうしなければ ならない時代の立場でも あった。
もし、天皇さんが、私の目の前に おられたら、ぜひ質問してみたいのは、
「皇室の伝統」とは、
なかんづく、皇室神道の祭祀の位置づけのことは、いかなることだと考えておられるのか?
ということ。
おそらく、ご本人自身、明確に応答することは できないだろうし、避けられるだろうが、
もちろん、皇室祭祀は、宗教行為そのものであり、
「(国民統合の)象徴」として位置づけている憲法のイの一番に掲げられる天皇が執り行うこととしては、日本国憲法に反するはずなのだ。
ことに「大嘗祭」は、莫大な費用が かかるそうだが、
これに対して、国費・税金を充当することも大きな問題であるのは明白だ。
そのうえで、なお敢えて、皇室を存続させたいのであれば、今後の天皇と皇族には、現天皇に ひけを取らない以上の人望を獲得でき続けなければ、たちまちにして、存続は危ぶまれ、
従来から ある、「天皇・皇室、いらない」という声が高まってしまうだろう。
つくづく、後継の かたがたには酷な話だと思う。
結局、どの方角から検討してみても、皇室の存続には、無理が あり過ぎるし、解決できない大き過ぎる矛盾が横たわっているのである。
だから、いずれは潰えていく家だ、と言ったのだ。
ま、『一世一元』という、敗戦後、一度は廃され、長らく そのままになっていたものをば、例の『日本会議』の猛烈な働きかけによって、再び制度化されるに至ったという この法が、
このたびの天皇さんの、ご存命中の「退位」という趣旨の発言によって、あえなくワヤになりそうな雲行きに立ち至ったことについては、
私としては痛快至極である。
およそ天皇家発の出来事で、これほど愉快を覚えたことは、これが初めてだ。(笑)