2020.06.11 (Thu)
『シャンプー(あるいは『コロナ』の世界で)』の続き。
そうら、また出たよ。
『一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」』とかいう、「持続化給付金」に関わる、しかも、悪名高き『電通』絡みの、いわゆるダミー会社みたいな疑いのある所の「オフィス」というのが公開されたという報道写真を見たけれど、私でも、「あ、これは、実態が ないな?」と、ピンと来たわ。会社勤めを してきた者なら、わりと直感で分かるよね。
しかし まあ、、、テレビ局の「はい!撤退~!!」じゃあるまいしねえ(嗤)
あらためて、つくづく思う。あの大震災と原発大事故のときに、それまでどおり、『自民党』の政権で、しかも、安倍政権だったら、いまの この騒ぎ以上の阿鼻叫喚だったろうと。
私なんか、「アベノミクス」でも「オリンピック」でも、2次安倍政権発足時から、欺瞞と問題だらけであることを指摘し続けてきたのは、過去エントリーを見てもらったら分かることだけど。
政治でも経済でもトンと疎いほうの私ですら、だよ。
そんな私でも初期から見抜けることを、他の一般国民・庶民のみならず、「アベノミクス?これからでしょ」などとノンキに のたまってた零細の社長のように、いちおうの経営者を名乗る者らにも見抜けず、それどころか、
それらしき肩書が付く「知識人」や財界人に至っては、あからさまな「安倍政権・アベノミクスまんせー」で声そろえてたでしょうが(呆)
自国や同胞国民についてまでも信用できずに、
「なんたるバカな愚者の群れか」
としか思えないようになると、どこぞの「恨」民族みたく「同族嫌悪」「同族憎悪」に陥るのよ。以前も言ったけど、これは、長い長い歴史規模で恐ろしいことになるのだと思うよ。
そして、やがてのことに、蹂躙され、虐げられてきた反発と復讐の歴史が訪れる。
国内では「粛清の嵐」が吹き荒れ、
国外に対しては挑発とケンカを売る。
ここに至って、中国とアメリカのあいだに挟まった、まさに「小国」の運命を彷彿とさせる日本。
今後、必ずやって来るであろう、日本特有の大災害のことを考えただけでも、子を産める人の気が知れないと思うくらいに、この国には「上がる目」というものが見当たらない。
だからか、一般国民のあいだにも、やむにやまれぬ怒りの声とともに、思い切って立ち上がるだけの気力・体力すら萎え果ててしまっているように見える。
もちろん、いまのような政府でイイ思いを満喫している手合いなら当然、傍観する以上に、不満を溜めた民衆を挫くことに注力するだろう。
実際、税金を横流しして、陰に陽に やってるみたいだけどね、自民党と安倍政権。特にネットで。
いま、アメリカで、かつての中国『天安門』の再現か?と言いたくなるような事態が起きているらしいが、
いつの世も、どこの国でも地域でも、為政者や権力者が、自分にとって目障り、不つごうと思えば、「外敵」に対して行使する手段であるはずの武力・「暴力装置」を、自国民に対して用いることを辞さない。
この日本においても、スケールはググッと小さいながら、その萌芽は、じゅうぶんに発現している。
アベシにとって不快な、安倍政権側にとって不つごうな内容のプラカードを掲げ、静かに立っている女性一人に対し、スタッフだけでなく警察までが大勢で取り囲み、強制排除するということが起きているのだから。
「独裁」の基本的動きは、すでに、頭を もたげている。
要警戒の域に入っているのだよ。
ちょっと買い物に出ても、日常使いの何もかもが値上がりを続けている。
再び指摘しておくけど、
いまの日本では、普通に結婚して、普通に子どもを産もうと考えられる人は、もはや「恵まれている」ほうの層だ。
その層は、「1パーセントの富裕層」よりは多いのだろうけれど、それよりも下のランクにいる人たちのほうがドンドン増加してしまっている。
社会的インフラを最大限に利用しているのは、企業、儲けている者、
そして また、子どもを(多ければ多いほど)産み育てている者だ。
結婚も出産も、実際のところは「縁」が あるかどうかで決まるものだし、
また、現代では、何より本人の気持ちが大きいだろうけど、
昔は、うちの親父が言ってたとおりで、どんなに好ましくないと思う相手でも、トシくったあと一人でいると、親や身内だけでなく、「村」じゅう全員が寄ってたかって、テキトーに見つくろい、無理やり結婚させようとした。
これは、田舎ほど そうなるのは、なんと言っても生活上の不便が甚大、それは、現代においては、表面的には、いろいろ便利になっているから、ずっと一人暮らしでも、からだが動くうちは、ほとんど困らないということも大きい。
しかし、じゃあと言って、不便きわまる時代に戻れるはずもない。
ただ、実家の親父が言ってたには、昔は、特に田舎では、「先祖代々の墓の維持」を務めなければという義務意識が最大で、それが務まらないとなると、周囲が許さなかった。
だから、本人が厭だろうが何だろうが、詰め腹を切るごとくに結婚させられる。
そこそこ器量良しで、まだ若いうちなら、多少は選択の余地もあったろうが。。。
そのへんが不利な条件になるとキビシイのは、現代だって変わらないよね(苦笑)
そして、いつまでも身ごもらないとなると、「子なきは去れ」が当然なのは、「墓守は子孫の義務」という感覚が当然だったからだと言う。
いざとなれば養子を迎えることに、それほど抵抗感もなかったらしいのは、かえって昔のほうが そうだったのは、そのことが理由だろう。「家系と墓の存続」。
おそらく、猿の世界と同じで、「数の確保」は、地域共同体の存亡に直結してくるからでもあるだろう。
「民衆の力」も また、「数がモノを言う」のが現実であり、これは、現代でも同様だから。
現代日本では、子を産むという行為は、あくまで自分の欲望しだい、要するに「エゴ」が第一で当然のことになっているし、
どうしても欲しいのに、身ごもらないとなると、資金に余裕さえ あれば、病院に駆け込む。
そんな現代では、ひとえに資金が ないと、産み育てることも諦める。
性欲に負けて、もし身ごもっても、カネが なければ、おろすに おろせず、
とうとう産み月が来て、産み落としてしまったら、文字どおりに「産み捨てる」ということが現実に頻々と起きている。
それでも、
昔のように、あくまでも「家系と墓の存続」を理由とする時代に引き戻すわけには いかない。
自分の子どもを産み育てようと意欲するには、何が必要か。
それが単なる一個の「エゴ」のみから発する「希望」「欲望」であっても、一言で言えば、その「肯定」に尽きるだろう。
昔の庶民には、「主婦」なんて存在は、実際には なかったという。
庶民であれば、農作業にしろ家内作業にしろ、実質「共働き」であると言っていい、このことも何年か前の旧ブログで述べたことだけれど、特に田舎では、たとえば、伝統的和紙造りで知られた山間地域にて、仕上げて干しておいた紙の1枚が、風に吹かれて飛んで行ったのを追って取り戻さんとし、幼い子どもを置いて、女房が、ただちに村から降りて行き、深い谷底へまでも果敢に分け入ったという。たった1枚の紙のために。
現代では、女性が、どんなにバリバリの「キャリア ウーマン」でも、その仕事が「天職」と言えるくらいに、性に合っていれば、多忙を極めても苦には ならない、ふしぎと疲れない。なので、なんだかんだと続けられる。この現象のことは、亡母の指摘で あったが、私自身も、振り返ってみれば、やはり、そのとおりだったと思う。
どんなに忙しくても、惚れてる恋人に会いたい、その声を聞きたい、そのためなら、僅かでも時間を捻り出すのと同様。
「仕事」を、「家庭」に置き換えても同じことだと思う。
男性でも女性でも、毎日、来る日も来る日も、およそ「苦」にしかならない、無意味に消耗するばかりで、普通レベルに生活していく報酬すらも望めない、となるとね。
つまりは、苦にならない仕事に就き、生活していくうえでの報酬やバックアップも じゅうぶん見合っていれば、出産や子育てに対しても同時並行で前向きになれるもんだと。
そうでなければ、苦痛な仕事だけで、ヘトヘトに消耗して、何の報われもなく、一日が、人生が終わってしまう。
昔と現代では異なってきていることも多いけれど、変わらないことも また多いものだ。
殆どの人々は、年頃になれば、好きなタイプとの恋愛を夢見て、幸せな結婚を願い、そういう相手と結ばれれば、相手との子を持ちたいと望むのも、変わることのない人間の自然な営みだ。
「女にゃ学問無用!」が当然だったという昔の考えにも、あながち「一理」くらいは あるのかな?と思えなくないのは、全般に女性の知性が高くなると、多くの男性にとってはキビシイからよね(苦笑)
私自身、国内では知らない人もないほどの大企業に勤務したことが あるけど非正規だったからね、そりゃもう「目の玉が飛び出る」安月給だったwこれじゃ、まともに食っていけないじゃないかと、周囲も呆れてたが。
専門的技能は、めいっぱいに利用されたけどな。
世のなか、「金持ちほどシブチンだ」と言われるけど、「大企業」と呼ばれるような会社でも、同じことなのかと思ったもんですわ。
大企業にふさわしい有名大学を出ている人たちがワンサといるなかで、私は低学歴だし、すでにトシくってたうえ、障碍者だからね。
ガンバって働けば働くほど、生活が圧迫されていく「滅私奉公」的パターンってものを、私も実感してきた。
なので、
安倍政府の言う「生涯現役!」とか「障害者も!」ウンヌンといったプロパガンダやスローガンの数々に対しても、まったく信用してないw
【続く】