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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2021.12.08 (Wed)

「クリスマス ツリー」の輝きも「ティアラ」の輝きも、ただ虚しい。
の続き。

 

『ヤフージャパン』の「アクセス ランキング」か何かのトップ一覧に並んでいるのが皮肉なことよと心底から思ったのが、

この、国家の不徳と行政の無力、周囲の無関心と冷淡による「子殺し」事件と並んで、

現『天皇』家の一人っ子にして一人娘が「大切に、愛情深く育てていただいた」おかげで、「成人」の日を迎えたということで、
それが同じランキング入りして並んでいたこと。

 

 

やれ、「愛子さんの反乱」などと、単に、愛子さんと同じく()『天皇』家の一人娘であった清子さんが所有しているものを借りただけのことなのに、「ティアラを新調する余裕もないのか」って噴飯ものの誤解を並べ立てているのが、どこぞの外国のメディアだというので、ついに ここまでネタにされるのかと呆れると共に、
「おたくらは日本人ちゃうんやから、ほかっといておくれやす!w」
と反発したくもなるというものだが、

もちろん、国内は国内で、ああだ こうだと相変わらずカシマシイ。

しまいには、どこぞのテレビ局で、およそ似つかわしくない、朝の番組の司会を やっているらしい、とある俳優あがり(さがり?w)が、

「ぼくらは、皇室の かたがたに、義務を押しつけ」
云々と唱え始めたという見出しを目にして、

(いつものように、見出ししか見てないので、その俳優だかタレントだかの主張が結局どういう結論だったのかまでは知りませんw)

「ちょっと顔がイイだけのナヨッとした優男で、おつむは弱そうだな」という印象を持っていたのは、どうやら間違いでもなかったようだと冷笑しつつw

 

「だ、か、ら、『押しつけてる僕ら』のなかに、私は入ってないよ、っての!!」

 

「『籠の鳥』だ悲しいだのいう状態になったのは、そもそも、あの人たちの御先祖と、その利害関係者のせいでしょうが」

 

「恨むんなら、シモジモ平民庶民じゃなく、自己顕示欲の権化だった自分の先祖を恨んだらエエがな!!」

と、

心中で叫んだ しだいw

 

 

これも「ヤフゴミん」の一人が言うには、

「女系『天皇』で何が悪いの?」と、ひらきなおって。

 

あ、の、ね。

おたくは、バリバリの「血筋出自差別主義者」ですか?っての。

 

「『天皇』家や『皇室』『皇族』から、その類稀なるとしている伝統とやらを取っ払った あとに何が残るのか、これに答えてみなさいよ」っての。

 

しょせん、答えられないんでしょ?

論理性皆無の思考停止の差別主義者だからね、オマエさんらは()

 

「男女差別」以前の問題なんだと、何度言ったら分かるんだかw

 

「世界の潮流は」と、エラソーに言うのなら、それは、『皇室』の『王室』化じゃなくて、『共和制』移行だろ!w

 

 

先日、『バルバドス』が、英連邦から抜けて、『王室』制を廃し、『共和制』国家としてスタートしたというニュースが あったが、

どういうわけか、『ヤフージャパン』って、このテの話題は、あまり載せないし、そそくさと引っ込めるみたいなのね()

 

ほんと、厭だわキライだわぁ、
『ヤフージャパン』と『ヤフゴミ捨て場』、その運営、経営陣。

 

最近は、掲載した各メディアの記事に対する「学びが ある」だとか「新しい視点」だとかいう評価ボタンを3種ほども拵えて、これに「リアクション」したら、各社への支援になるとか表示し始めたよねw

いよいよ、マスコミ・メディア全体を、くまなくカネメで強力に抱き込む作戦開始かい()

んで、『朝日』あたりが、さっそくの協賛と言うより翼賛体制を明言と きたww

 

 

『皇室』関係の話題や、それに群がる俗物・軽薄短小どもを眺めていたら、つくづく、日本人であることの恥ずかしさと嫌悪を感じてしまう。

こんなにまでバカっぽい、筋の通らない連中ばかりの国だっけか?と。

 

ほんとうに、『皇室』という存在は何故に、こうまでもオゲレツで俗物根性まる出しな日本の国民性を鮮烈に呼び覚ましてしまうのだろうか。

 

 

むかし、何かの記事に載ってたエピソードなんだけど、

ほら、()朝鮮の『李家』皇太子だか王太子だかと結婚した『梨本宮』家の長女として『女王』の「身位」であった方子さんが、あちらに嫁ぐこととなった日を前に、当時の『皇后』(『大正天皇』妃、『昭和天皇』母)に挨拶するため面会したら、『皇后』は、励ましの「おコトバ」を垂れつつも、その表情には、あきらかに軽侮の冷笑が浮かんでいたと、方子さん御自身の屈辱感にじむ述懐を読んだ記憶が あるよ。

 

 

ちなみに、
幼い頃から「気品ある」と定評のwわらわにも、ティアラにロング ドレス姿で撮影した、若き日の(いや、けっこうトシくってたけどw)御真影が あるのだがww

当時の職場の同僚たちなどに、「伯爵夫人みたいやん!」などと言われましたもんですよゲラゲラwww

…こら!そこ!なにが おかしい!?!emoji

 

ま、

ひとまずの肩の荷を下ろした心地でホッとしておられるのは、
なんと言っても雅子さまだろうと お察しするのだが、

じつは、私が かねて思っていたには、現『皇室』の女性たちのなかで、ティアラが自然と お似合いなのは、ダントツで雅子さまだと思うの。

もとは一般人であり、『皇族』の血筋では ないのにね。

 

「黙れ平民!」

と のたまったナントカの『宮』家の長女さんなどは、だんぜんナンバー1の似合わん殿下ですやん(大嗤)

要するに、血筋は関係ないみたいだなと、つくづく感じさせられるわけよ。

 

それと、「奇矯」な感じは、ああいう立場の人には良くないね。芸能人じゃないんだから。

やはり、「大き のり まします」でないとね()

 

…閑話休題。

 

 

以前に、
いわゆる欧米の「先進国」あたりから批判されるような、日本のなかの「男尊女卑」について、当の日本女性こそが、あまり真剣には、それらを解消し、向上していこうとする情熱が乏しいように見えるのは、
実のところ、個々の家庭内に おいて、「財布を握っている」のが、つまり、実権を振るっているのが、夫よりも妻のほうであること大多数ゆえか、という旨を述べたことが あったと思う。

 

『皇室』に おいても、男性の後継者を最重要と位置付けている「伝統」の おかげで、『皇族』に生まれた女性は、『皇女』と言えども、男性の『皇族』に比べると格段に離脱しやすく、むしろ、女性『皇族』の自由を確保できていたものを、なまじ「男女平等」と四角四面なことを言い始めて、せっかく辛うじて確保されていた「女性『皇族』の自由」を失うことになるぞ、と いう指摘は、私も、ああ~、なるほどね、とは思った。

それが たしかなら、

眞子さんの場合も、結婚前に離脱しておくことも可能だったはずなのに、なぜ、そうしなかったのか?

時間は じゅうぶんに あったのだから、さっさと離脱しておいて、一般人となってのち、「小室家の人」になったのなら、あれほどまで叩かれることもなかったろうに、という意見も理解できるのだが、

結局は、固く拘っていた「20歳代のうちに」という条件も意外や翻して、お誕生日の一日を過ごしたあとで(つまり『皇族』としての お手当の支給が絡む)、どこまでも結婚による『皇族』離脱となった。

 

 

メディア・マスコミに対する苦言は、私も縷々述べてきたが、

『秋篠宮』さん御自身も、せっかくの記者会見で、「許し難い」誹謗中傷といったことは言及されたらしいけれど、国民一般が最も不審に思っている肝心のことについてはスルーされて終わったそうだから、
いくら記者会見を厭わずに応答されても、それも しょせんは予定調和的なものだね。

 

今回の騒ぎで得られた根本的ダメージ、ダーティなイメージは、払拭が難しいくらいのもので、けっして浅くは ないと思える。

 

ただし。

「ウヨ」どもに言わせれば、

あるいは、もともと、『皇族』自身で、そのように主張してきたに過ぎないのかもしれないところの、

「数千年もの維持してきた男系という伝統。これなくば、『神武天皇』まで遡れない」

それをバッサリと断ち切り、無視して、

「現代人たるもの、男性でも女性でも良しとすべきだ」
というのは、そりゃあ、そのはずなのだ。

が、

何度でも指摘しておく。

「『皇室』ならではの連綿たる伝統」それを やめてしまったら、
残るは、単なる血筋差別に過ぎないだろが。

それを承知で、なおも、無理に続かせようとするのは、いったい、誰たちなんだか。

 

少なくとも、私は加わってない。

 

なので、

自分や自分側の主張を「僕らは」という括り、「国民は」と勝手に代表して述べるのは やめなさい。

不愉快だったら ありゃしないよ。

 

まさか、「世襲」の政治屋稼業を大いに批判している者らが混じっているとも思えないが、

いったい、血筋や家柄差別の何が、そんなにも良いのかを、説明できるのか?おまいら。

 

未開民族の「酋長」崇拝じゃないんだからw

きちんと論理的に説明できるんなら、聞いてやるよ?ww

ま、できないんだわね()

論理能力ゼロの未開種族だから(()


「ティアラを つくってあげていただきたかった」と言いつのる半面で、
先進各国の半分にも満たない額の給付金を、国民一律に配布することを糾弾。
あくまでも、つごうの良い権威や権力者側と悪人が大好きで、
弱者を憎んでやまない。

「最上級の生活保護」には疑問も持たないが、
「最底辺」のための福祉は叩きまくる。
あたかも、膨大な数の殺人を犯した者は英雄視するが、
数人程度の殺人犯は、単なる重罪に処すように。

それが、日本という国。

 

 

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Updated   
2021.12.07 (Tue)

それらは、少なくとも今、さしたる辛苦には晒されずにいて、これから先も そうだろうと単純に信じていられる軽薄短小のための消費的娯楽の一つでしかない。

 

先が暗い、救われない苦しみのなかで、じっと俯いて縮こまっている人にとって、

『キリスト教』が、『皇室』が、いったい何の意味あるものか。

 

彼我の断絶は甚だ深い。

 

国内外とも深刻な問題を抱えたままの国でも、巨大なクリスマス ツリーに点灯され、集まった群衆が歓声を あげた、などというニュースを眺めていて思った しだい。

かく言う私も、自宅すぐ近くのカトリック教会のクリスマス ツリーがイルミネーションで輝くのを楽しみにしては いる、本来単純なノンキ者なのだけれど。

 

 

医者の誤診で、手遅れとなった結果、2歳頃に「ウイルス性脳炎」による重度の知的障碍者となった17歳の息子を、「心中」するつもりで殺めたものの、母親自身は、あれや これやと、死ぬ方法を試したにも かかわらず、とうとう死にきれなかったという、そんな母親の裁判の記事を読んだ。

 

一読して、

ここでも、ああやっぱりな、自分以外を殺すのはカンタンに殺せても、
自分自身を殺すのは、自分の子を殺すよりも、もっともっと困難で、死にきれないものなんだな、

それくらい、人間は、自分が最も可愛いものなんだ、誰よりも。

と、

まして、自国と言えども、身内と言えども、親身になど なるものか、

いざとなれば、わが子を殺すよりも、自分自身の命を絶つほうが恐ろしく困難なのだ、

しょせんは他者が、冷淡でも冷酷でも当然なのだろうと、
あらためて思ったことだ。

 

 

さて、

この母親自身、長年に わたる苦労と疲弊のために、心身の治療を要しているらしいのだが、くだんの一人息子を出産した年齢が、当時、すでに30歳代も後半だったようで、息子の後天的障碍が切っ掛けになったのか どうかは、記事ではハッキリしなかったが、そもそもから、結婚相手との出会いや夫婦仲も、スムーズなものとは言えなかったように受け取れた。

 

日常生活の あらゆる面で、他者の配慮と助力に大きく頼らなければならない重度障碍を背負っている場合、とりわけ、知的障碍の場合は当然のこと、障碍児・者自身の自力で生きのびることは不可能なはずだから、
これは もう、当の障碍児本人以上に、その親のほうこそが直視し、現実を認識して、適切な対処を早急に迫られる。

まずは、対応可能な施設に入所できるよう動くことなどは、障碍児本人で なく、親なのだが、
くだんの事件の親子のように、ただでさえ周囲のフォローが乏しいうえ、障碍児の粗暴性如何によっては、どこからも入所を断られたまま、という事態も現実として あるわけだ。

 

 

私自身、重度の知的障碍児の母子グループと接触した経験が あるのだが、

重度知的障碍と言っても、やはり、皆が皆、同じパターンや傾向を示すわけでは ないのである。

これについても過去エントリーで述べたことが あるが、

ことばを発することすら一切不可能で、自分の感情や意思を示すには、まるで、あかんぼうや動物の鳴き声のような発声を もって表現するしかないような重度障碍児でも、

「この子は、ほんとうは、もの事や人の本質のところを見抜いているのでは ないか?」

と思えるほど、独特の鋭敏さを示す子も いた。

自分自身はコトバを話せなくても、他者の発言や態度の意味するところ、醸し出すものは、むしろ、「健常児」以上の鋭さと繊細さで理解する能力を備えているように感じさせられるほどなのだが、

また別の障碍児は、

本人は、自分が、衝動的に、または継続的に興味を惹かれた対象の事物を、まさに憑かれたように見詰めて飽きず、長時間を、ちょっとも動かない。
その場所に おいての公的ルールや禁止事項となっていることを、ハナから一切無視、自分の衝動的欲求を通しきることだけに徹して やまない子も いる。

こういう子の場合、しては いけないことなのだと、根気づよく説明しようとも、まさに「馬耳東風」。

このパターンを示す障碍児だと、たしかに、全く手の施しようもないほど、言うことを聞かない。

口答えするでもなく、反感を態度に出すでもない。
視線は、さっきから興味を感じているもののほうへ釘付けになっており、その眼だけが異様に輝きを見せて、ひたすら自分の関心対象だけを黙って見詰めたままだ。

横に立って、いっしょうけんめい話しかけている者など存在していないと言わんばかりに、完全に、徹底的に無視しきっている。

専門筋の指導者なら、こういう障碍児であっても、何らかのコツのようなものを会得しているのだろうかと思ったりするのだが、なんと言っても、親は大変だよなと思う。

 

 

くだんの「心中未遂」事件を起こした母親の実母も、老人性認知症ということで、これと二重の介護負担になっていたらしいが、

なまじ、同じ集合住宅の上と下で生活していたのも、皮肉な結果を招いたのでは ないだろうか。

 

私自身、
それでなくても、ほかの兄弟姉妹全員が片親違いゆえ、特に母親から すれば、いちばん遠慮会釈なくコキ使い易い存在の娘だったうえ、近場に住んでいようものなら、ほんの30分ほどの買物中にも、電話がジャンジャンかかってきて、すぐさま出て、用向きを伺ってやらないと、受話器を取るなり激しい怒声が飛んで来た。

 

あの頃は、ほんとうに、死んでしまいたくなったものだ。

「親が原因で障碍を負った私の、親らの召使みたいな人生って、なに?」と。

 

もちろん、ほかの兄弟姉妹は、それこそ、存在していないに等しいほど、なんの役に立つどころか、相談できる相手ですら なかったし、ヘタすると、彼ら自身の問題を持ち込んでくる恐れも高かったので、私から近づくのも躊躇われるほどリスクのある対象だった。

そして、皆それぞれに、親に対する複雑な恨みを抱えていた。

なぜか、私は、ここでも、彼らのネタミの対象だった。

少なくとも、父母ともに私の実親であったからなのだろうが、そのために、他の兄弟姉妹からは、私一人が背負って当然、という正当化の理由にもなっていた。

 

 

くだんの事件の母親の実母とて、もちろん、心身しっかりしているうちは、孫のことを心配し、手助けも してもらったのだろうけれど、
それだけでなく、もし、金銭面でも多少の援助を受けていたのであれば、どうしても「負い目」は抱え込みがちになるだろう。

これは、私自身の経験でも、そうだった。

 

この母親には、実の兄も いるそうなのだが、主として経済的な面での「負い目」を背負い込んでいると、どうしても、親族一同からさえも、全てを押しつけられがちになるし、自他ともに、「そんなの仕方ないだろう」で かたづけてしまいがちになるものだ。

 

だから、若くて余力が あるうちに、さっさと見限ってでも逃げ出しておくに越したことはないわけだが、障碍を持っている身となると、現実は厳しい。

概ね、障碍者には世間も冷たいものだが、
親のほうも つけこむし、最後は帰ってくるのを待ち構えている。

 

ここで、一つ重要なことは、

「障碍者」と一口に言っても、重度であるのか、
そこまでは行かない、中途半端な程度だと、障碍児の親も、子に対する態度が大きく分かれることになるようだ。

 

もちろん、保護者としての責任を自覚している親が普通のはずであろうけれども、

そうでない親も少なくないかもしれない。実際、うちの親は そうだった。

 

なまじ中途半端だから、「健常者」と ほぼ変わらない「自己責任」を要求される。

私は、職場でも、陰に陽に障碍を大いに利用されることが少なくなかったが、

最も利用し続けたのは、ほかならぬ実の親だった。

 

 

息子殺しの事件の話に戻ると、

しんどさを こらえて、母親が動いた おかげで、ここならと思える施設が、せっかく見つかったのに、ただ「送迎サービス」の有無で左右されてしまうのであれば、その部分を、なんとかできないものなのか?

個々のケースによって、融通を利かせる余地も くふうも皆無なのか?と思うのだが、

他人は勿論、行政も役立たず、結局みなが「他人事」だった結果、起きてしまった「障碍児殺し」。

 

まずは、
ここの融通が利けば、あとは、なんとかなると思えるケースを見逃さないことだと思う。

たとえば、こういった面での調整を図る「コーディネイター」的役割の人や組織は無理な話なのだろうか。

 

 

例の『相模原』に おける重度障碍者施設での虐殺事件の下手人をば「英雄視」して信奉する「ヤフゴミん」が圧倒的に多い「ヤフゴミ捨て場」なのだから、またぞろソレッと飛びついて、

「病人、障碍者は殺せ殺せ」

「貧乏人や『生活保護』や『障害年金』受給者は死ね死ね死ね」

の大合唱が沸き起こっているのだろうなと思っていたら、

毎度の「重度障碍児・者を生かしておいても しょうが なかろう、やっぱり『安楽死』制度が必要だ」と、飽き飽きするほど見かけてきた定番の主張を大っぴらにしている「ヤフゴミん」は、今回、意外に、あまり いなかったようで、思わず拍子抜けだったw

 

その代わり、

そういった主張を、あからさまにでは なく、「奥歯に物が」挟まった ていの、遠回しな言いかたで済ませている手合いが少なくなかったみたいww結局、言いたいことの本音、本質は変わらないのだな()

 

 

以前にも指摘したのだが、

障碍を持っていたら、「死刑」宣告されにゃいけないわけか。

 

本人が、これ以上は苦しみたくない、生きていても仕方がない、『安楽死』で結構だと、自分で意思を示せるのなら まだしも、

くだんの『心中未遂』事件に おける息子は重度知的障碍なのだから、『安楽死』だろうが何だろうが、本人自身の意思を確かめることも できない。

 

まさに、問答無用の死刑。

罪状は、「重度障碍につき」ってわけだ。

 

【続く】

 

 

Updated   
2021.12.02 (Thu)

【続】伝統、技術、工芸そして和服――モノの価値とは。の続き。

 

そもそも、古代の「女性『天皇』」だって、次代の男子への中継ぎ的存在でしかなかったというし。

 

愛子さんまでは、単に「女性天皇」で済むかもしれないが、
そのあとの代からは、そうは いかなくなる。

なんだかんだと、いったん始めてしまえば、
ま いっか、このままで、となるのが、俗世と人の習いである。

 

「万世一系」こそを誇ってきた『天皇』家を支える、たぐい稀なる伝説wファンタジーwwは、そこでプツンと切れる。

つまり、「やんごとある」wわれわれ庶民と、なにも変わらなくなるわけねwww

 

以前も言ったように、

「やんごとある」でも良い、ということなら、それは、われわれ庶民と同じ地平に立っているわけだから、特別優遇するには全く当たらないし、それでも なお特別扱いと(多少の犠牲は伴うにせよ、破格の)優遇を続けるのであれば、
残るは、より純然たる血筋や家柄差別でしか なくなるのよ。

考えてごらんなさい、
もしも、伝染病なり大災害なりで、「トリアージ」を迫られたときに、『皇族』と一般人となら、断然、『皇族』が優先されるだろう。その『皇族』が、どれだけ、治療の効果が なさそうな状態だったとしても。
自分自身が人事不省状態に陥っていたなら、抗議する自力もないだろうけど、
もし、自分の家族とか大切な人が、同じく救命が困難であることに大差は ないどころか、こっち側の可能性の高さは無視して、問答無用で『皇族』のために、命を遠慮しなければならないとなったら、私は「怒髪天」になるわよw


「男系・女系」の別なく、とにかく連綿と続いてきたのだ、そこに価値あり、ということとするのなら、われわれシモジモだって、「やんごとなき」人々ということになるはずよ?()

 

『天皇制』『皇室』、
やっぱり、この制度は、こんにちでは無理と矛盾の体現でしかない。

「なかの人」たちも国民も共に、ダブル バインド、矛盾の坩堝に投げ入れて、混乱させ、思考力、論理力を奪い、無気力、無関心、低劣な精神へと押し遣っている、それが現実だ。

 

悦んでいるのは、「『皇室』ポルノ」に浸っているヘンタイ連中だけ()

 

 


私事の余談だが、

数年前に、『龍村』の刺繍帯を、近場の呉服屋へ持っていって、どれほどの値段が付くものか、見てもらったところ、
店の人は、あきらかに目を瞠りつつも、なんとまあemoji「1万円で」と来た。emoji

しかも、他に、この帯と合う和服もセットで売ってもらえたら、、、と、
いかにも、舌なめずりするような眼つきで言う。

 

『龍村』ですよ?正真正銘の『龍村平蔵』。

初代さんのか二代目さんのかまでは、私には分からないけど、制作者名と共に『龍村』製であることを示す特有のラインと、一点物だからなのか、この帯の「銘」と言うのだろうか、重々しい固有名が付けられている。

 

売らずに持って帰ることにした『龍村』を、店の人は、いつまでも未練たらしく、何度も確かめるように めくってみたり引っ繰り返したりして、思案し続けていた。

おそらく、『龍村平蔵』の本物を目の当たりにした経験が なく、目利きの自信が乏しいのだろうか。

私は、内心の呆れを隠しつつ、その店の人と少し話を していて、

「宝石も そうだし、和服も、買ったときは数十万も払ったのに、売るとなったら、ねえ。ものの値段って、何だろうと思いますよね」

と言ったら、店の人も、思わず しみじみと頷いたものだ。

 

そりゃあ、子どもの頃から、わざわざ京都の老舗の呉服屋さんが、うちへ訪問して来て、いろんな反物を次々広げてくれるのをウットリ眺めつつ、ここで また母親のウンチクを聞かされた私の眼でも、「お、これは?」と思える生地に、5百円といった値札が ぶら下がってるんだものな。

 

この ずっと以前にも、かなり大ぶりのダイヤモンドや高価な宝石付きの指輪、海外の有名老舗ブランドの腕時計などを、なかば好奇心で、近所のショッピング モールへ来ていた買取業者に見てもらったら、
やはり、信じられないほどの安値を告げてきて、そこでも、あ、そうですかとアッサリ退散することにした その とたんに未練タラタラで、
待ってください、ご相談によっては、、、などと引き止めてきたのを断り、さっさと帰ってきたことが ある。

 

てなわけで、

買うときは「清水の舞台」だったかもしれないが、売るとなったら、あっけないものなのである。

 

『龍村』は、いまも、うちの箪笥で眠っているが、

この帯には、ちょっとした来歴がある。というのは、私の叔母は、若い頃、誘われて、ある写真家の専属モデルを やっていたのだが、

名前を聞けば、高齢の人なら、すぐに、「ああ、あの」と思い当たる、かつて、首相も務めた高名な政治家の、その夫人が出していた冊子の表紙モデルとして登場し、撮影されたときに着用したのが、くだんの帯だったそうな。

その帯を気に入り、買い取った叔母は、

朱赤色の地に、古典的にして大胆な趣向でデザインされた金糸銀糸の色も鮮やかな牡丹の、盛り上がらんばかり立体的に刺繍された帯が、
叔母にはハデになってしまった頃、毎度のパターンで、私への「お下がり」として寄こした以後、たまに私が和服を着るとなると、その帯の出番となっていた。

黒地の『京友禅』に朱赤の帯は、よく映えてくれた。

けれども、哀しいことに、私自身にも、もはやハデになってしまって久しく、それで、いったい、いくらで売れるのだろうかと、「買取します」看板を出している呉服屋に持ち込んでみたというわけ。

 

 

ちなみに、

『世界無形文化遺産』に輝く『文楽』の本拠地、わが大阪には、このように立派な伝統芸能も あるのだが、
こういった活動に対する補助金を、当時、『大阪維新』の橋下氏が、知事時代に続いて市長時代にも、「稼げない」「既得権益」とて激しく糾弾し、カットするぞと脅しを かけるような攻撃的主張を繰り広げ、それが また、橋下氏には毎度のパターンと言って過言でないほどにwあちこち誤謬と認識・知識不足だらけ、しかも、ひらきなおってホッカムリというwwこれを是正すべく各界から向けられた指摘と批判が巻き起こったのを憶えては いるのだが、その後、このことも、どうにか解決したのだろうか。

あの当時、橋下氏に対して、大阪らしくユーモラスに切り返していたらしい、すでに高齢の『住大夫』丈は、いっぺんで、健康を損なったそうだが。

 

いまは「コロナ禍」に伴った深刻な問題の あれこれが、
さすがに頭の なかには、まだドッカリ残っているはずなのだが、

先頃の「衆院選挙」結果を見るに、
どう考えても、大阪人は完全「鳥アタマ」かつ「どМ」化してしまったのかと思えてならないのだけれども。

 

 

 「文化には、"もうかる文化""もうからない文化"がある。文楽は1体の人形を3人で操る。太夫も三味線もさらには裏方も、何人も必要な集団芸術。オーケストラやオペラなどと同じで、人件費や制作経費などをすべて入場料にかぶせれば、普通の庶民の所得では行くことはできなくなる」~

https://www.jcp.or.jp/akahata/web_daily/html/5bu-ishin/06-ishin1.html

 

 

Updated   
2021.12.02 (Thu)

伝統、技術、工芸そして和服――モノの価値とは。の続き。

 

敢えての「侘び寂び」精神ってやつだろうか、これって、実は、むしろ裕福者の道楽なのである。

いわゆる「玄人うけ」「通好み」な『大島紬』は、「泥染め」とも言うだけ あって、ほんとうに地味。

本来は労働着みたいなもので、言わば「ジーパン」に相当するかな。
「Tシャツ」も、もとは下着だったという。

日本の浴衣、古くは「小袖」も、そんなところだったらしいが、
やはり、結局は、よりラクで動きやすいものが勝ったということだろうか。

そういう実用性を放棄しても残るとしたら、
それとは全く異なるところに価値を見い出され、残しているわけだろうが、
ただ、よほどの機会が なければ、出番も ない。もしかしたら永久に。

こうなると、一切の日常からは切り離し、博物館入りしかないね。

 

 

たしかに、こんにちでは、あらゆる装いのルールもタブーさえも変化している面は多いだろう。

けれど、和服ならではの約束事やマナーも、まさに「伝統」の うちなのである。

 

 

昔は、たとえば「遊郭」(いまも一部地域で残ってるそうだが)とか「遊女」「女郎」って存在が あったそうだけれども、どんなに売れっ妓であろうと、なかでも「太夫」とか「花魁」っての?豪華絢爛な着物や簪やらで埋もれるほど着飾っていても、足は素足だ。

これには「粋」とかいう理由も あったそうだけど、
凍える真冬だろうが、どこまでも裸足なのだと。

 

もし、「粋」が本当の理由なら、18世紀頃のフランスの『エンパイア(帝政)様式』とかいう、シュミーズみたいなドレスを真冬になっても無理して着ていた、そのために、肺炎に かかって亡くなる女性が相次いだ、みたいな話を連想させるが、

私が若い頃、一緒にテレビの時代劇を見ていたとき、
母親が、ふと、私に向かって、

「おまえ、気が ついたか?」と言った。

 

赤貧洗うが如きビンボボ武士の妻女ですら、身なりは粗末でも、足袋は堂々と履くだろう。

だが、しょせんは「苦界」、「娼婦」、どんなに格式が高いとされる「太夫」や「花魁」でさえも、足は素足なんやで、足袋を履くことは許されん身分、そこが、武家などと違う、厳しい掟なんや、と。

うちの母親の解説が本当に正しいか否かは知らないけど、ちょっと似ているようでは ある。

 

 

要は、かけた金額それ自体なんかは二の次なのだ。

厳然と先んずる「ケジメ」がある、ってことらしい。

 

日本は昔から、特に「形式」を重んじる気風が、いまも濃い。

 

「ヤフコメ」投稿の一部に見られるように、

本来は労働着であったものを、値段が高額なんだからと、それに免じて、いわゆる「フォーマルな」場にも着ていけるということになれば、
すなわち、金額最優先になった、ということにも受け取れる。

ある意味、「成金趣味」とも言えよう。

 

すれば、

判断基準は飽くまでも金額の多寡、

「TPO」といった判断は、いっさい構うことなく、仕来りや約束事、マナー、それらの由来も何もかも無視、無知でも済むよね。

 

良いか悪いかは置いておいても、

そこで確実に消滅する、目に見えない「伝統」も あるわけで。

 

だから、

たとえば「『大島紬』を、フォーマルの場で着用して、なにが悪い?なんたって、値段が高いのだよ」

と主張していながら、

『大島紬』などの他にも、あらゆる「伝統」的物事を、税金を大いに投じてでも温存すべき!と論じるのは、根本的にヘンなのよ。わかるかな?w

 

なんか、『天皇制』『皇室制度』にも重なってくるねw

 

ついでにだけど、

最近、「ヤフゴミん」v.s「ヤフゴミん」でモメてる光景が増えてきてるがw
こういうとこでも、もはや『皇室』は、国民を分断している明白な現実、

まずは各メディア・マスコミ界が煽りまくって、自分たちの「飯のタネ」で あり、国家権力筋からの要請も あるのだろうから、陰に陽に、われわれ庶民国民をコントロールしようと画策しているのが鼻につくほど酷いのが分かる。

これは、週刊誌などの「お約束」、あからさまなゴシップ以上に、いちおう「信憑性が高い」「お堅い」とされる大手紙全体のほうが、むしろ、タチが悪いと思える。

 

そんなわけで、いまでは、ますます、おげれつネタの宝庫と化している『皇室』。

 

近頃、眞子さんの「エゴサーチ」も指摘されていたようだが、

加えて、何かと主導権を握りたがる御性格なのか、「お育ち」ゆえにか、ついつい、そんな姿勢になってしまうのか、こういったところは、ほんとうに、おばあさまの美智子さま譲りって感じね(苦笑)

 

でさ、

ある『ヤフゴミん』の、よく見かける内容では あるのだが、小室さん夫妻の、要は、今後の『皇室』への「喰い込み」を危惧するコメントに対して、

なぜか、ガシガシ反論・擁護しようとガンバる「ヤフゴミん小室派」側がw

「いったん『降嫁』した以上は、二度と『皇統譜』に戻ることは あり得ないのだ。『皇統譜』とは、常に一方向、一方通行のカタチでしか あり得ないルールだ」といった趣旨の反論を していて、
末尾で、「不勉強」だぞと、大いに嘲笑の ていだったのを見かけたが、

いや、ちょっと待った。

この問題については、むしろ、不勉強なのは、嘲笑した側の「ヤフゴミん」、オマエさんのほうだよ。

 

なぜかと言うと、

いわゆる『皇統譜』への復活は、単に結婚による「降嫁」などとは関係ない、『旧皇族』再帰をと、他ならぬ、現『宮』家のなかの人たち自身も支持しているからだ。

だから、
けっして、「荒唐無稽な妄想」と、一刀両断には言い切れまいわけ。

 

現代だからこそ、危うい所で留まっているのかもしれないが、
何度か指摘したように、大昔なら、権力争いの材料になりかねなかった「小室・眞子さん騒動」。

ましてや、ひとたび権力の座に就いた者の つごうや思惑による采配で、いくらでも「勝ち組」にすることが可能だった、そういう歴史だ。

 

いまのところ、一般国民の あいだでは、『旧皇族』復帰については嫌悪や反感が強い傾向らしいのだが、

ウカウカしていると、今後も、ますます『皇室』に投入される税金は増加する方向へ向かいかねない。

と言うのも、

最大にして最高の既得権益集団、まず『宮内庁』の官僚根性が腐っとるだけでなく、結局のところは、『皇室』『皇族』の人々だって、ご自分たちの都合が最優先なのだなということは、これまでの流れを見ていたら、察しは つく。

 

私は、『上皇』位を、あっさりと設けたのを見て、『皇室典範』なんて、意外なほど簡単に変えることが できるんだなと、けっこう驚いたものだ。

 

今回、『秋篠宮』さんも明言されたように、
「『皇室』の儀式というものの軽さ」という印象も、単なる印象では ないってことだろう。

『昭和天皇』も『香淳皇后』も、祭祀関係の儀式には、熱心でなく、かなり軽く考えていたようだし。

 

 

『秋篠宮』家へ、いわゆる「皇統」が移ることについて、危惧されているのも理解できるなあと思う、最近の記者会見の内容を少々聞いただけでもね。

 

かと言って、
またぞろ『皇室典範』を変更して、晴れて、愛子さんに「女性『天皇』」を、といっても、それは それで、あれや これや深い懸念は ある。

まず、愛子さんにだって、そんな重圧を背負いきれるのだろうか、という危惧。

 

彼女も、けっして、メンタル系が強いほうでは ないように思えるし。

環境が安定して提供されているかぎりに おいては ともかく、
ひとたび難題が起きて、内外に乱れを生じると、非常に苦しまれることと思う。

 

これからの『皇室』『皇族』は、ますます縮んでいくのであろうから、
愛子さんにとって、ご両親以外に、心底から安心、信用してアドバイスを得られる身内や側近の確保も困難になってくることは予想できよう。

 

 

第一、『皇室』ならではの最優先事項たる「伝統」であるところの「男系」。

「男系」で ひたすら遡って辿れば、最終的に『神武天皇』だっけ?
私はウロ覚えだけど、最終的な祖先に あたる特定の『天皇』に行きつけなくなるわけだよね。

 

【続く】

 

 

Updated   
2021.12.01 (Wed)

大島紬製造現場に暗雲 染料材シャリンバイの採取者が不足奄美の南海日日新聞11/28() 13:02

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ce67aefdda6e074c204f3b668c8db7ccf0536da

 

ほんとうに、女性でも、和服を着ている人ってのが、お正月にさえ見かけなくなって久しい。

かく言う私も、実家を出てからは年々、季節行事の類も疎かになる一方で、

幼い時分から、(父親違いの姉の「お下がり」だった)振り袖に「コッポリ」履いて、ティーンに さしかかった頃からは『京友禅』に「桃割れ」結って、日本の お正月情緒に浸っていたものであったはずが、それも、母親が元気だった頃まで。

 

なんせ、自分一人で着られない、これが最大のネック。

そのうえ、和服特有の決まり事とか、着たあとの始末等々を考えただけで、着る気が失せる。

振り返れば、母親の葬儀以来、はや、かれこれ数十年近くに わたって、和服を着ていないのだ。

もちろん、ちっとも困らん。むしろ、ただ保管中にも注意を怠っては いけないのがメンドクサい。

 

元気な頃の母親が、時おり、虫干しを兼ねた和箪笥総ざらえとばかり、一枚ずつ、畳(たとう)紙から取り出しては、それぞれの着物や帯を確認し始めると、私も自然と近づいていって、職人や材の不足による希少性だとか手入れ方法とか、母親による解説を、あらためて、ひとくさり聞かされ、それから、母娘ならんでの、しばしウットリ鑑賞タイム。

あの頃は、虫干しやシミ、汚れのチェックなどを、めんどくさいものと考えたことすら なかったのに。

母親にとって、なかには思いきって買った高価なものも あるので、それらの細かい作業をメンドウに思っている感じを微塵も出さなかったというか、むしろ、「至福の ひととき」だったからだろう。

 

思うに、

自分の好きなもの、価値あると信じられるものを引き継がせたい相手を持つことは、幸せなことなのだろう。

 

 

ン十年前、私が二十歳代の頃までは、さすがに、お正月となれば、男性の和服姿も、そんなにまで珍しいものでなかったし、

うちの親父なんかは、私の母親が、自分のものを新調するついでだったのだろうか、懇意にしていた京都の老舗の呉服屋さんで誂えた、多分「総裏」だか「胴裏」ってやつを、殊のほか気に入っていたらしい。

カルタか何かをモチーフにした古典柄で、男性用に ふさわしい渋い色調だった。けっこう、お値段も張ったそうな。

それが、結婚に関連しての行事だったか、あるときに、兄が、和服を着ることになったからと、親父に無断で、母親が兄に貸したままになっていた。

 

さあ、新年を迎え、久しぶりに和服で外出をと、ウキウキ張りきった親父は、お気に入りの「胴裏」が見当たらないので、たちまち おかんむり。

この話も、旧ブログで披露した記憶が あるのだが、

自分の知らない間に、大事な「胴裏」が、倅のところへ取り込まれたままになっていたと知った親父は、

「俺の胴裏を返せー!!」と激怒w

 

あんまり騒ぐもんだから、私も呆気に取られて眺めていたのを憶えているが、

貸した母親も同じく呆れはてて、

「アンタな、自分の息子に取られた取られた、返せ返せって、胴裏ごときで大騒ぎするようなことかいな、あほらしい」

と、諌めていた。

結局、親父は、その大事な、お気に入りの胴裏を、息子から取り返して、やっと、気が済んだらしい。

二度と、貸すこともなかったようだww

 

 

さて、

まず第一には、『大島紬』だろうが、なんなら化繊の「二部式・ワンタッチ・簡易式着物」であろうと、そもそも、およそ和服を着る気になるか?ってこと。

 

現代人のライフ スタイルでは、和服は、とかく、活動しにくいのが現実だ。

和服を着て、帯を締め、草履や下駄を履いて、あの満員の通勤電車に乗れるか?

 

そもそも、一人でチャチャッと着られない、

着たら着たで、事後、いろいろなメンテナンスに注力を要する。

 

草履もね、普段から履き慣れてないと、かなり痛いよ。

 

うちの母親なんかは、若い頃から好きで着慣れてるから、和服や草履のほうがラクなくらいだと言ってたけど。たしかに、和食店を営んでいた頃も、民謡の教室運営や行事のときも、和服姿が多かった。

それでも、いよいよ病身となった晩年は、和服を着ることは皆無となっていった。

 

和服って、現代では、「道楽」とか「好事家」「趣味人」のものという印象が つよくなっている。珍しく和服の人を見たら、何かの お稽古事を やってるのかなと思うことも多い。

叔母も、お茶席に出たりで、和服を着る機会が多く、うちの身内のなかでは「おバカ」で通っていたのにw意外なことには、自分でも着付けの免状を持っていたようだ。

 

 

いまでも圧倒的に絹地が多いだろうから、雨に濡れたり、汗かいたからって、洗濯ジャブジャブは不可、かと言って、下手なクリーニングには出せないし、昔ながらの「洗い張り」だの「丸洗い」だの仕立て直しも必要になってくるし、自宅で保管するにも、箪笥の材質やら防虫やら虫干しやらと、何かと手間が かかり、気も遣う。

 

 

ちなみに、

どこかの福祉系サイトで見かけたことが あるのだが、

とある大手クリーニング工場では、作業所から出向の かたちにした障碍者を、最賃以下の時給で長時間コキ使っていると、怒っている親御さんも いるようだ。

 

じつは私、
娘の障碍を無視したくてしょうがない母親の言いなりに入った専門学校(少なくとも平均的聴力が必須な学校w)を卒業する頃、障碍が あるので、事務職にしろ営業にしろ普通の会社に就職するには難しいかも、と考え、絵を描いたりするのは好きなので、和服の生地の図案を描く職人になろうかと考えたりもした。実際に、つて(懇意にしていた呉服屋さん)を頼って、現場の人の話を伺ってみたら、この仕事は、当時でも、地方の田舎から出て来ている若い人が殆どで、集団で寮生活していて、お給料は少ないということだった。

他にも、

本当の志望の一つはジャーナリストだったので、とりあえず、スポーツ系などの新聞記者として始めてみる気が あれば、紹介してあげるよという話もあったけれど、
喫茶店ウェイトレスのアルバイトですら、お客の注文を聞き取るのに難儀したことを考えて、無理だろうなあと諦めたことも ある。

 

 

さて置き、

うちでも、着物道楽だった母親や叔母が遺した和服を何枚も保管しているのだが、これでも、ぐぐぐーっと減らしたのだ。

華やかさ満点の「総絞り」やら、涼し気で綺麗な色合いの「夏大島」やら、洋服にでもリフォームしてもらうしかないかなぁと当初は考えていたものの、その費用の余裕もないわ。

正直、金のインゴットとかを遺してくれたほうが、よっぽど助かるってもんだぜw

 

叔母の分は、家が一軒建つだろうと言われたくらい、高価なものが夥しく遺されていたのだけれど、

あいにく、私には、和服を着る趣味も習慣もないし、

そのうえ、おデブだった母親のものは、丈は、なんとか調節できても、幅がブカブカ。

おチビだった叔母のは、幅は、まあ なんとかでも、丈が全然、無理。

わたしゃ、もともと、日本女性としては高身長で、スマート体型だからね。

 

いまでは、生前の母親や叔母なんかよりも、よっぽど、ものを知ってると言えるようになった私だが、

あの当時は、まだ、こういった方面の世事に疎かった私は、

ネットでテキトーに探して、和服買取業者に来てもらい、どさどさ取り出して、ほぼ片っ端から売ろうとしたら、さすがに言われた。

「買ったら、なかなか高価なものばかりですよ?少しは残しておかれたら」と。

でも、ほんとにテキトーな値段で持って帰ってもらった。

あの業者さん、さぞ、ほくほくだったろう。

 

 

母親に次いで叔母が亡くなったとき、新幹線や飛行機に乗らなきゃいけない遠方まで、仕事を辞めて、叔母の家を かたづけに行き、特に大量に残された和服に仰天し、まずは、本人が住んでいた地域の福祉バザーに、親しくしていた人のツテを頼んで、ミンクのコートや何かも一緒に運んでいってもらったのだが(完全に、ただで譲り渡し)、それでも なお大量に残り、そのなかから、私自身の好みとか、母親を通して持っていた知識によって選り分けたものだけを、私の実家に運び込んで、自分の生活や体調とか仕事もあるので、つい、そのままになっていたら、

いつまで置いとくつもりだ?と、当時は、まだ元気だった親父にブーブー言われたので、実家に通って、整理したというわけ。

もちろん、親父は、値打ちなんぞには全くの無知だった。

 

そこから、やがて親父も亡くなり、その直後、近所の人もフシギがるような不可解な現象が起きたりしたあげく(この話も、いつか詳しく書くかもね、お楽しみにw)
やっとの思いで、私んちの狭い自宅へ運び込んで以来、

亡母の生前、私のは いらないよ!と言ってるのに、勝手に拵えた「紋付色無地」なども保管している和箪笥のなかには、母親の友人、知人らが頻りに欲しがっていた『大島紬』も含まれている。

 

いかにも南国のものらしいと言うか、一見して、ちょっと、蛇のウロコ模様を連想させる『大島紬』。

地味ながら、その特筆すべきは、感触、肌触りの素晴らしさだ。

肌に沿う特有の柔らかさ、それでいて、サラッとしている感触も独特で、私個人的には、ぶっちゃけ、ねまきとか肌着だったらな、と思うくらい。

でも、和服だからねえ。

 

【続く】