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Updated   
2022.01.19 (Wed)

【続】愚直に最短距離を目指す優等生は視野狭窄の続き。

 

で、

医学部在学中の叔父は、殊のほか、教授の お気に入りとなり、
どこへ行くにも一緒に連れて行かれて、

叔父の姿が見えないと、教授は、「△□クンは、どこに いる?どうして、ここに いないんだ!」と騒ぐほどだったという。

 

この話を聞かせたら、私の級友たちは、

「それって、、、博士の異常な愛情!?

と指摘していたものだがw

とにかく、叔父は、ふつうの医者では なくて、アメリカに留学し、研究の道に進もうとしていたらしい。

が。

ここでも、高齢の父親(私の祖父)の鶴の一声。

「年老いた父親を置いて、外国へなど、許さんぞよ」。

 

叔父には、弟だけでなく、兄も いたのだが、この、いちばん上だった叔父は、私が小学生の頃に、大学の山岳部で活動していて、とある高山にて遭難死。

 

学業優秀なだけでなく、ガタイも大きくて、スポーツマン。
見るからに豪放磊落な気性で あったが、また優しかった。

彼の両親は勿論だが、義理の姉である私の母親らも、後年になっても、ずっと、「あの子が生きていてくれたら」と嘆いていた。

ふしぎなことに、子どもだった私の眼から見ても、この叔父は、祖父にも、義祖母にも、まったく似ていなかった。

 

では、医者になったほうの叔父が、はたして、誰に似ているか、

それは、恐らく、もとは「無学文盲」で あった、そして、鋭敏な頭脳を生来として持っていた義祖母だろうということは、私にも察しが つく。

 

 

先妻が遺した息子たちを、きつい後妻に、完全に潰されてしまっていた祖父にとって、どの面から見ても、跡取り息子として申し分ない、人間が「できた息子」、
それが遭難死で、思いがけずも先立たれ、失ってしまったあととなっては、必然的に、次男である医学生の息子に跡取り役を負わせなければ ならなくなったのだから、異国になんぞ やるものか、という感じだ。

 

言っても昔の人だからね、

私の母親に対しても そうだったわけだけど、

子どもが、自分なりの進路や希望を見つけても、それが、親である自分の つごうに全く差し障り なければの話。

経済的には裕福なのだから、反対も干渉もせずに、認めてやれたはずなんだけれど、

ひとたび、自分の つごうに合わないとなったら、子どもの希望は一瞬にして、単なるワガママと見做して憚らない。

子どもが抗う姿勢を見せようものなら、最後は、執拗な泣き落とし戦術、ウンザリさせ、根負けさせる。

 

 

以前にも言及したと思うけど、

結婚についてもね、うちの親父は、

「代々の墓の守りを しないのは、とんでもなく怪しからんことだから、特に田舎では、親だけじゃない、村じゅう総出で容赦せず、本人が嫌がって泣こうが どうだろうが、テキトーに見繕った相手と強制的に結婚させるし、子が生まれないなら、養子を とるなりする、それも これも、墓を守るためなんだ」

と言っていた。

 

昔の人はサ、「家」意識とか、子どもは親の所有物、といった感覚が濃く残っていたんだな。

そういう感覚は、それに反発して、逆らって、苦労したはずの、私の母親らの世代にすら、かなり残っていたと思う。

本人自身が反発していた分、自分も また、親と似たことを してしまっているという自覚は乏しかったけど。

本人らは、自分の恨みツラミと被害意識ばかりに拘ってて、自分自身の抜き難いエゴについては無自覚だった。

 

 

私は以前から言ってることだけど、

「優等生」ちゃんは、その、悪しきまでの「素直」さゆえに、「信仰」の如く毒され易い。

 

そして、それは、あくまで本人(の視点)にとっての挫折」が訪れたときに起き易い。

例の『オウム真理教』の幹部連中とか典型だったでしょ。

 

 

ほんとうの思考力、哲学を持たないで、ただ、要領が良いのが取り得だとなると、いささかも思い悩むことなく、上のほうから降ってきたタスクを耳にするや否や、最短距離をパパパと探り当て、さっさと実行するのみ。

そこは、たしかに、優秀なんだろう。

 

倫理や良識や哲学なんぞ、「最短距離」の前には、平気で かなぐり捨てるんだ。

「最短距離」こそ至上!!だからw

 

もっとも、あくまで「上」と、自分のための最短距離だわよ。

こういうのが、えてして、「エリート」というんで、官僚になったりするから、始末が悪いのだ。

意外と、リーダーになっては いけないタイプだよ。

だから、「上」の見識如何が大事になる。
だが、「上」も また、、、ってとこさねww

 

 

私の実体験で思うには、

ほんとうに優秀な人ってのは、もちろん、大きな挫折や悩みに苛まれた経験が少ないからこそ、自分に幻滅とかは しなくて済んできた分だけ、少なくとも、その時点までにおいては、大いに余裕あるからなんだろうか、意外と、デキの良くない相手に対しても、あまり蔑むことなく、
「ああ、あなたは、それでいいですよ、いい、いい、がんばったじゃないですか、それで結構ですよ~」
みたいに、大らかに受け止めてくれる人が多いのかなあと、特に職場で感じたことはある。

そりゃ、私のデキが悪いだけ、ってことなんだろうが(苦笑)

 

ただ、

要するにね、

事あるごとに、他者を蔑んで、

「わたしにも できることが できないなんて」

「わたしでも やってきたのよ、なぜ やれないの?」

「わたしでも」「わたしでも」

「わたしが」「わたしが」

といった罵りコトバが定番のように、つい出てしまう人ってのは、どんなに自信満々そうに見えていたとしても、意外と、きつい劣等感のカタマリなのよ。

 

だから、

こいつは自分よりも下だ、と踏んだら、即で、軽蔑を隠さないというのは、
どんだけ、自分自身を低く見積もって生きてきたのか、
ということに他ならないわけ。

それがミエミエだということに気づいてない。

 

で、

逆に、

自分よりも上と感じたら、とたんに平身低頭で、あやかりたいと願い、
家来や側近の位置に就きたがったり、いっしょうけんめい真似しようとしたり。

だから、しごく「素直に」「毒される」。

 

若造なら尚更よ。

引出しと、その容量が少ないからね。

 

トシくっても、引出しが少ないままで済んでると、ほぼ成長しないまま固まる。

要するに、俗物。

終生、「上」とか権力とか世間の大勢が決めた価値観しか持てない習性だから。

じつに「素直」なることカラッポそのものですわ。

 

『東大』も医者も、俗物にとって、ブランド信仰の如き対象。

 

最後に付け加えておくと、

IQが高いから、人間性も高いかというと、むしろ逆のことも多いくらいで、

まあ、関係ないだろうw

 

「最短距離」――それをカンタンに見分けられるから、悩まないだけ。

 

思い悩まない人間は、さあ、どんな人間でしょうか。

 

「最短距離」だけが目的の人間は。

 

 

「最短距離」を進む能力が ないことで思い悩んだ若造は、安易に、他者を殺めようとしましたが。

 

 

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Updated   
2022.01.18 (Tue)

愚直に最短距離を目指す優等生ちゃんはの続き。

 

以下の話は、いわゆる不倫によって、自分の子を、義理や不義理だらけの複雑な人間関係の渦中に引きずりこんでしまった人に、よーく読んでおいてほしいくらいなのだが、

私と、たったの半年しか年齢が違わない、いちおう義姉に あたる、親父と先妻の次女だけが生き別れで暮らしていたので、お互い あかんぼうだった頃のことは除くと、親父が亡くなったおりに、ほぼ初めての対面となった。

先方からは、実際のところを何も知らない分際でありながら、ずいぶんと失礼なことを、言いたいほうだいに言われたが、
そのなかのイヤミの一つが、

(兄は)頭が良かったし、本当は『早稲田大学』に行きたかったのに、家計が苦しいからと、無理に国公立を強制された」。

 

なに言ってやがんだ!emojiemoji

と、怒髪天になるのを、こらえましたよ、私は。

ここで言わせてもらうわ。

 

をい、■子(←親父と先妻の次女)

親父はね、

私の母親が後妻として同居するまでは、勉強ぎらいで劣等生だった姉も兄も、中卒で!働きに出すつもりだったんだよ。おのれの だらしなさで、経済的にも苦しかったからね。

 

それを、私の母親が、自分の妹に借金し、持病を押して、店を経営しながら、

姉は私立のアホ女子高に入学させ、
これに激怒する親父を なだめつつ、

どんなアホ学校であろうとも、トップの成績で通していれば、そこそこ良い会社に拾ってもらえるから、卒業するまでは頑張って勉強しなさいよと、懇々と励まし、

そのコトバどおりに、有名商社に入社できた姉は、そこの同僚と結婚した。

相手も高卒で、エリート コースこそ歩めなかったけれど、さすがに大手の商社マンだ。景気も良かった時代だから、30歳代になるや、一生ものの立派な家を建てた。

長じて短大を卒業した上の娘(私から見て、義理の姪)は、これも大企業に就職し、結婚して、すぐ離婚したものの、その後、とある女子大へ編入学して、どうやら、『心理学』修士だか博士号だかを得たらしい。

ふん、私ていどの洞察力もないのにw

母親である義姉に似たのか、小さい時分から、年子の妹はイジメたおして泣かす、行儀が悪い、その性格のヒネクレぶりに、今から これでは、将来どうなることやらと、愚かもん祖父母すら心配させてたくせして、
ナマイキにも、よりによって心理学の修士だ博士だってさ()

とは言え、

姉らの長女が、なぜ心理学を、と言うと、要するに、自分らの母親(私の腹違い姉)が、『自己愛性人格障害』の診断を下されるほど、どうしようもなく、性格と行状に深刻な問題だらけで、父娘ともども難儀したことが、心理学を志した動機なのだろうかと察している。

私の場合も、心理学に格別の関心を持ち始めたのも、第一に自分の親らが原因だったから。

 

結局は自殺した兄のほうも、これは、会社勤めは無理だと判断した後妻である私の母親が、家計が苦しいゆえ、塾も行かせられないし、私立も無理だから、ぜったいに国公立一択!!そして教職公務員!!
と、ハッパを かけ、お尻を叩きまくり、

その代わり、実子である私なんぞには望むべくもなかったほどの気配りを怠らず、(たとえば、勉強の合間の休憩に、自室から茶の間へ出てくる時間を決めて、飲み物の希望を聞いてやり、お菓子や夜食と共に用意、気分転換の話し相手を して、励ましてやる。そこへ いくと、私なんか、夜遅くに宿題している途中で、飲み物を自分で入れようとした とたんに、「うるさーい!台所でゴソゴソしてんと、さっさと寝なさい!!」と、こうだ。えらい差でんがなw)

まずは、地元で二番手の進学校である公立高校へ。

ちなみに、一番手の公立高校では、昔から『京都大学』への進学が最も多いらしい。

 

この頃の私は、幼稚園にも行ってないくらいの幼児だったのだけど、

あれは、高校合格発表を、兄本人と、母親に手を引かれてトコトコ歩く私の3人で見に行ったときだったんだろう。

一つの場面だけをハッキリ憶えている。

あの日も、ここいらでは珍しいほど、雪が降っていたように思う。

発表を確認し、帰宅する途中だったのか、中学生と全然似てない若い母親と幼児とが3人ならんで歩いているときに、ふと、兄が言った。

「おばちゃん(←私の母親)!握手しよう!!」

と。

 

私は、キョトンとしながら見ていた。
母親と兄が、道端で、なぜか握手しているのを。

 

さあ、今度は、国立大学合格に向けての闘いだ。

塾に行けない兄は、幼い私から見ても、ガリ勉だった。ますますガリ勉になった。

進学校に入学できた おかげで、中学生の頃よりも、周囲からの刺激を受け、勉強に積極的に取り組むようになったのだろうと思う。

義理の息子の尻を叩き続けていた母親も、その分、少しラクになったのかも しれない。

 

だってね、

勉強して勉強して、ガリ勉してガリ勉して、それで、やっと「駅弁」だよw

 

私自身は、恥ずかしながら、勉強というほどの勉強は、したことが ないと言っても過言で ない。

だって、まったく勉強しなくても、学年でトップ クラスだったから。

ただし!

いちおう得意な科目だけ!w

まったく勉強する必要を感じなかったのは。

得意な科目はね!!ww

 

苦手な算数も数学も、「公式」を覚えないから、さっぱり解けや しないw

級友にすら呆れて言われましたよ。

「公式さえ覚えたらスラスラ解けるんやから、とりあえず覚えなよ」

と。

でも、覚えないww

 

ちなみにね、小学高学年の頃、お昼休みなんかに、クラスメートどうしで教え合いっこしようと約束して、

私は、むろんのこと、算数の課題を、級友たちに教えてもらったわけだがw

これが、先生や親よりも厳しくてww

 

もともと、私の やる気が乏しいせいか、

しまいに、

「あんたぁ()聞いてるんか?覚えたんか?まだ分からんのか!!emojiちゃんと やれぇー!!!emojiemoji

と、アタマ叩かれてたwww

 

 

計算題はボロボロ。

でも、文章題だと正解。

この話、過去エントリーで述べてあるけど、

『集合論』だけは、何も悩むことなく、スンナリ納得できたので、成績も上々だったのよね。

 

あらためて考えるに、

人間計算機みたいな母親ら、数字に つよい身内の面々が、では、理論的数学の分野でも強いかな?と言うと、それは、どうだろうか?とも思う。試したことないから分からんけど。

 

 

母親から聞いた話では、私らと同居するまで、親父と姉に虐待されてたせいか、激しい『チック症』持ちだった兄は、知能指数も、私より、もっと ずっと低かったんだと。

ついでに私自身のIQは、学年でもトップ クラスに高いということが、中学時代になって判明、

それまでは、兄よりも、もっと ずっと、知能が低いようだということだったので、親らもビックリこいてたwww

 

ただし、IQも、いろんな要因で変動するらしいし、肉体的にも家庭的にも不利な面が大きい私なんかは、IQ変動幅も極めて大きい典型なんじゃないかなと思う。

 

愚かな母親の腹のなかで窒息死しかけてたくらいですから、幾つ何十になっても、アタマ酸欠でボーーーのままですわ。

 

 

ここで再度ことわっておくけれど、

うちの兄が、「駅弁」とは言えど、国立大学に入学できたのも、
まだ若かった後妻である私の母親が「教育ママゴン」と言うのか、

「勉強する気が ないんやったら、教科書も捨ててしまえー!!」

と、火を吐く勢いで叫ぶなり、学生鞄ごと、庭にブチまけたことが あるというくらい、鬼の如く、兄の尻を叩きまくった おかげで、塾一つも行かせずして合格させたわけだが、

その最大の理由は、当時の親父が だらしなくて、家計が苦しかったからだ。

 

 

裕福な家庭で育った叔父の場合、もちろん、塾も行かなかったのだが、と言うか、そもそも、塾なんか必要としていなかったのだと思う。

おそらく、学校であれ塾であれ、他の学生と机を並べて授業を受けるのも、かったるいことだったろう。

なんせ、IQ200くらい あるんじゃないかという話だった。

当然、
「勉強せい!勉強せい!!」

と、
祖父母らも、私の母親みたいに、のべつ、息子を叱咤する必要なんか ない。

 

下の叔父も、同じ高校に進学しただけあって、優秀さでは負けなかったはずなのだが、

兄である叔父に言わせれば、「弟は、アタマが悪い」んだそうな。

 

この叔父のキメ台詞、

「バカは相手にせん(時間のムダ)」。

 

弟のほうの叔父が、「にいちゃ~ん、ちょっと教えてくれよお」と泣きついても、

「おまえみたいに、人に聞いてるようじゃダメだ」

とピシャリ。

 

勉強って、人に教わるものじゃないんですとさ。

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.01.18 (Tue)

視野狭窄。

 

数日前、大学共通試験会場の一つとした『文京』区の『東京大学』構内で刺傷事件が起き、数名の被害者が発生という、その犯人が、高校2年生のガキだというので、呆れていたら、

あとから知ったには、愛知県内でトップクラスの進学校の生徒で、将来は医師を目指して、東大を受験するつもりだった「頭の良い」「優等生」だというので、

「こんなもん、医者になったら、患者が殺されるわいな!emoji

と、ますます呆れた。

 

では、私の叔父のことを、再び話そうか。

過去エントリーでも、少し触れたことは あったかと思うけど、

私のとこは、全てにわたって、ややこしいこと このうえない事情がギュウギュウの家系なので、なかなか困難なのだが、なるべく掻い摘んで言うと、

この人は、祖父(私の母親の実父)と、後妻に来た祖母(私の母親の継母)との あいだに生まれた子どもの一人で、祖父母の年齢が、かなり離れていたため、私の母親を筆頭とする先妻の子どもらと、後妻の子どもである叔父たちとの年齢差も大きいほうだったので、すでに高齢になっていた祖父の代わりに、うちの母親が、長女として、授業参観や懇談などの学校行事に出向いてやったりしていたそうだ。

というのは、

そもそも、母方の義祖母という人は、いわゆる「身分違い」もイイとこで、家柄の格差のみならず、昔の、ひどく貧しい庶民の女性には少なくなかったそうだが、小学校で習うレベルの読み書きすら できない人だったらしい。

この人が、私の母親や叔母、叔父たち、すなわち先妻の子らを、徹底的にイビって、苛めたおし、勉学優秀であっても、進学を断固阻止したのだそうな。

 

自身が高学歴で、本来なら教育熱心だった祖父も、気性の激し過ぎる、若い後妻の尻に敷かれっぱなしの体たらくで、

たとえば、弁護士か教師になりたかった私の母親は、せっかく合格していた名門女学校への進学を断ち切られ、さりとて、
美貌に注目されてスカウトされた芸能界に入るのは、祖父が猛反対したうえ、慌てた親が勝手に決めた、顔も知らない相手に、十代で嫁がされたというので、私は、うちの母親から、その両親に対する恨みツラミをも、年がら年じゅうの如く聞かされ続けていたものだ。

 

母親らは、義祖母が、自分たち先妻の子どもの進学などを邪魔した動機には、義理の長女である私の母親との年齢差が近いうえ、生育環境の違いが歴然としていたことから、継母のネタミを買ったのだろうと言っていた。

同時に、「若い女の色仕掛けに参って、後妻に迎えた」父親(私の祖父)に対しても憤慨していた。

 

けれど、義祖母は、おせじにも美人では なく、「色気」のあるタイプでは全然なかったし、幼い私の眼にも、むしろ、およそ色気のカケラもない、感情むき出しで、男のようにガサツなタイプに見えていた。

 

この義祖母との縁は、じつは、うちの母親自身にあった。

それは、戦時中のこと、すでに実母が病没していた母親ら兄弟姉妹は、地方の田舎へ「個人疎開」していたときに、たまたま通りかかった見知らぬ若い女性らの一行が、大ケガを負い、あかんぼうを抱えて、行き倒れ寸前まで困窮していたのを見かね、父親(祖父)が不在の家へ、私の母親が、家に入れて泊まらせてやったのが切っ掛けだったという。

 

その後、

子どもだけで疎開させていた家へ、時々、仕事の合間に、食品や消耗品の補充や金品を届けるために やって来ていた祖父が驚き、勝手に他人を入れては いけないとの言いつけを守らなかったと、私の母親を、きつく叱ったそうなのだが、

ところが、そこから、どうなったものやら、結局、祖父は、その若い女性を、後妻に迎え入れた。

 

その前の経緯が あって、

妻を亡くしていた祖父には、再婚の縁談話も あったのだが、これには、祖父自身が、乗り気になれず、断ったのだそうだが、私の母親を始めとする、幼い弟妹らは、その縁談相手の女性が、穏かで優しい人柄だったので、ぜひ、この人に来てもらいたいと熱望していたゆえ、たいへん残念だったという。

同時に、

結局、継母となった私の義祖母に対しては、母親としての資質を直感的に疑い、拒否反応を あらわにして、祖父らに反発したのだが、どうにも ならなかったという。

 

私が思うに、

義祖母が、私の母親らに、とことん辛く当たった原因は、そのへんにも  あったのでは ないかと。

 

それでなくても、

うちの母親は、ダブル不倫で再婚した親父と、その連れ子らへの不満も募らせており、その勢いで、最終的には、まだ幼い私自身も激しく口撃されていたのだから、ほんとうに、私は、母親らの「ゴミ箱」的存在だったなと思う。

 

もちろん、母方の叔母も叔父も、先妻の子どもは皆、彼らの実父と継母(私の祖父と義祖母)に対する怒りと恨みを終生、抱え続けていた。

 

ところがね、

そんな義祖母も、私には、いたって優しいと言うか、けっこう気難しいところも あった祖父よりも、よっぽど、小言一つ言われた記憶が ないのよ。

 

おりおり、親に連れられて訪ねて行けば、祖父は必ず、2、3万円ほどの小遣いを渡してくれるのだが、すると義祖母は、私に向かって、「爺さん、今いくら渡したか?」と問いただし、「それなら」と、祖母のサイフからは、4万円5万円、というパターン。

一度行くと、こんな調子で、たちどころに5万円以上、お正月なら10万円は、小学生のフトコロに転がり込む。

うちの母親は、

「ほんとうは、おかあさんに渡すつもりで、おまえに渡してるんや」

と言っていたけれども、

まあ、これを、私から取りあげることだけは なかった。

私のほうも、小・中学生ながら、概ねは、モネやルノワールといった画集の特大版やら『ピーター ラビット』の絵本やらボードレール詩集の豪華版などに費やしていたものだ。

 

とにかく、気前の良い祖母で、気前が良すぎるうえ、特に私に対しては、帰りに持たせてくれるケーキなども、大きくて豪華なデコレーション ケーキを、まるごと一箱というふうなぐあいだった。

なので、叔母などは、「この子のことは可愛いと思うのかねえ?」と、自分たちに対する態度と比べて、フシギがっていたが、

私にとっても、母親や叔母・叔父たちが、この義祖母から、酷い仕打ちを受けていたなんて、信じられない感じも あった。

 

ただ、あるとき、私の母親が、

「おまえ、義理の子どもに、いっしょうけんめい してやったって、なんにも ならんぞ」

と、

義祖母に言い放たれたと、些か口もとを歪めつつ呟いていたのを憶えている。

 

要するに、
うちの母親が、親父の連れ子である義理の子らに、必死で尽くしているというスタイルのなかには、母親自身の大義名分であった「義理の親としての責任!」という、いかにも誠実を任じる以上にも、実子の私の眼から見てさえ、そこには、そうとうの、ある種の「ミエ」をも感じ取っては いた、けれど、

最大の根本的動機は、やはり、
言ってみれば、あの義祖母に対する「アテツケ」も込めていたのだろうと思う。

 

そして、義祖母のほうも、それを鋭く見抜いていたというわけだろう。

 

 

さて、
「無学文盲」である義祖母の、頭は悪くなかったどころか、むしろ鋭敏な頭脳で、祖父の後妻になってからは、買物などに出た街なかの看板やらを眺めて、様々な文字や読み方を覚えていき、

あるときなどは、うちの母親が、何かの事情で、とある金額の多寡について尋ねたところ、義祖母は、たちどころに、正確な金額を即答したというので、私の母親自身、計算機並みに、数字に強い人だったが、義祖母の計算力と記憶力の優れていることには、ふだんの恨みも忘れ、感心しきりの体だった。

 

義祖母は、私の母親から、いったい、どうやって計算したの?と問われ、

「ワシにはワシなりの やりかたが あるんじゃ」

と答えたそうな。

 

 

義祖母の次男である叔父の話に戻す。

叔父が幼稚園の頃、担任の先生と、父兄代わりの私の母親が懇談したとき、

「おねえさん、この子は、一を聞いて十を知る、なんてもんじゃないです。一を聞く前から、百も千も分かってるんじゃないかと思わせられますよ」

と言われたそうな。

 

やがて、地元で一番の進学校である高校時代、本人が、大学の志望を言う前に、教師のほうから、

「あー、おまえは、東大でも どこでも、好きなとこ受験したら いいぞ」

と断言された。

実際、叔父自身に、ここの大学が、といった、べつだんの拘りや考えは なかったようなのだが、そこへ決め手となったのは、私の祖父の一言。

「家から通える、いちばん近い大学!!」

で、『大阪大学』医学部だ。

志望動機は、それだけ。あっさりしたもんだ。

 

 

いまごろのシーズンになると、私自身が、大学を受験した辛い頃を思い出す以上に、

叔父が、思いがけず「腸閉塞」になって、急遽、入院していた病室から、試験会場へ出かけて行ったということを思い出すのだけれど、

その頃、祖父宅から帰宅した母親が、和服の帯を解いて、そそくさと部屋着に着替えつつ言うには。

「□ちゃん(叔父のこと)、えらい病気で入院中やのに、大変やったねえ、さすがに、阪大の医学部の試験は難しかったろ?」

と労うと、

叔父は、いつものクールな調子で、そっけなく、

「ううん、カンタンやった」

と一言。

もちろん、ストレート合格。

 

 

ところで、

むかしの実家に、時々訪ねて来ていた営業マンの若い男性が、ある日、うちの兄宛ての同窓会の案内ハガキが、玄関の靴入れの上に無造作に置いたままになっているのを目敏く見つけ、

「あっ、息子さん、国立大学を出てはりますの!?」

と聞くので、私の母親が、

「駅弁やんかw」

と答えると、

「えーっ、ひどいなあ、ボクなんか、私立ですよお;」

と嘆いてたそうな。

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.01.08 (Sat)

名優シドニー・ポワティエが亡くなったらしい。94歳だったそうな。

 

『野の百合』は、中学か高校生の頃に、テレビの洋画放送番組で、親と共に、茶の間で観た記憶が ある。

ストーリーも感動的だったが、とても力強い存在感のある俳優さんという印象だった。

 

『いつも心に太陽を“To Sir With Love”』のほうは、中学校の行事の一つだった映画鑑賞会で、講堂にて上映された。この映画は、遠い異国であるイギリスが舞台だし、登場する学生たちは高校生で、時代も世代も、われわれより上なんだけれど、それでも、級友たちの多くが、大いに共感を覚えたようだったが、ここでも、新任教師役のポワチエの存在感は格別で、ただただカッコよくて。

 

それにしても、あの当時からイギリスでは、すでに、黒人やアジア系の人たちを多く受け入れていたんだな。

 

私は、登場する生徒役の一人でもあった「ルル」による、時代のスタイルと情感あふれるオシャレな主題歌に、たちまち夢中になり、

当時は、ラジオのFM放送で、たまたま流れてきたのを辛うじてカセットテープに録音し、「やったぜー!!」と喜び勇んで、親しくしていた友人に、何を言っているのか、英語の歌詞を聞き取ってもらったりして、そのまんま覚えてカバーしたりしたものだが、

ところが、だいぶトシくってから、『ユーチューブ』の動画を手軽に観ることが できるようになったときは、あらためて、なつかしの主題歌を聴くことも できるようになり、ほんとうに嬉しかった。

ただし、学校時分に、友人に聴き取ってもらった発音が、かなりの部分でメチャクチャだったことも分かった(苦笑)

 

 

以前にも触れたように、洋画鑑賞を特に好んでいた うちの母親の持論が、

「子どもと動物が出てくる映画と、主題曲が名曲の映画は、まず、ハズレが ない」

というものだったのだが、これは当たってると思う()

 

『野の百合』の主題歌も、これもカセットテープに録音していたのだが、

いかにも「ブラック スピリッツ」溢れるような、素朴で力強い歌唱である。一度聴いたら、忘れられない。

ただ、これは、ポワチエが歌っているのでは なく、別の人による吹き替えらしいと聞いている。

 

ポワチエの出演作で、まだ観ていない有名なものも あるので、近いうちに観てみたい。

 

“Lilies of the FieldAmen”


           
 

うちのブログで、何度か紹介してきた『いつも心に太陽を』。その主題歌を再び。

そして、すばらしい俳優だったシドニー・ポワチエへ。

Rest in Peace.

 

To Sir With Love Tribute (Lyrics)

  LuluTo Sir With Love

  

Updated   
2022.01.08 (Sat)

ちょっと前置きから。

いやはや、『立憲民主党』の頼りなさが、またぞろ露呈した!というので、大手メディアも、なぜか悦ばし気にバッシング記事を出しているのが興味深いがw

どこぞのメディアの運営番組に大金を出して協力していたというのは、

(『自民だっぴ党』が中心となって蔓延させてきたと思しき)

近頃の「フェイク ニュース」横行を防ぐためだった、とかいう「釈明」なのだそうだがww

うんうん、わからんでもないw

 

これが『自民だっぴ党』なら、いつものように、ぶ厚い札束で引っぱたきつつ、番組の内容にも全面的に口出しするのは、火を見るより明らかだもんね()

 

たぶん、今回の告発を発表した人たちは、『自民だっぴ党』のシンパで あるはずもなく、むしろ、『立憲民主党』などの野党支持側であろうはずだから、これは、まだ、「自浄能力」が はたらいているのだと見做せるだろうか。

その点、

『自民だっぴ党』なら、その支持者も共に、汚いの大好きで腐敗し果てているから、「自浄能力」なんて、カケラも ない()

 

ま、
最も大きな権力の座を占めている者が、汚く腐れ果てておるからこそ、

それに対抗しようという姿勢をアピールする者は、かえって、
たとえ真っ当な動機から発したものであったとしても、どんな小さなことであっても、一切の隙を見せられないのよwわかる?ww

それが できないと、「やっぱり頼りない」と言われちゃうの。

 

依然として深い利害関係が ある者らは当然のことで、それを絶たせようとする者を憎く、邪魔だと思ってるし、

そうでは ない者で あっても、

汚く、腐り果てていることが とっくに分かりきってる者に対して、特に利害関係もないかぎりは、誰も期待なんか しや しないけど、

少しでもマシかなと思ってる者の裏の顔が見えたり、思わぬヘマを やらかした!となったら、汚く腐ってる者に対してよりも、もっともっと叩きまくるわよねww

驚きもない「またかよ」じゃなく、意外な裏切られ感が あるからでしょうかね。

世のなか、えてして、そんなもんだ。

 

 

はい、次のニュース。

とあるビルのなかの女性用トイレに、女装した男が入り込んでいて、それまでにも繰り返していたことから、ついに しょっぴかれたという。

当人は、あれこれ言い訳しているようだが、同じ場所に「多目的トイレ」も あるのを無視して、あえて女性用に入っていたということだから、本心は知れてると思う。

だいたい、女装して、浴場や女性専用のスペースに入り込むなんて事件は、何度も起きてる。

 

これは、「ヤフゴミ捨て場」のなかでも、ほぼ二手に分かれていて、一方は、やはり、「多目的トイレ」が あるにも かかわらず、ということで、私と同じような見解を述べる投稿者、

あるいは、

仮に、本人自身の、自分は女性だという認識から、男性用トイレを使用するのは厭であると同時に、女性用トイレを使用してもよいだろうという感覚が あったとしても、それでも、他人に対する基本的な気遣いが なさ過ぎとか、エゴが過ぎるといった見解。これも、もっともだと思う。

 

私は、いわゆる「性自認」とか「トランス ジェンダー」などの問題も、科学的観点で考えてさえ、母胎のなかにいたときの微妙な作用で、わりとカンタンに起きることだと聞いているし、それほどには特異なる現象でもないらしいとも知っているが、出生後の環境や心理的な作用など様々な要因も絡んでいるのだろうと思うけれど、いずれにせよ、ここで問われるべきなのは、やはり、「自分が自分が」では通らないということ。

 

現実的に考えたら、それほど特異な現象でないにせよ、やはり、どちらかの性を明らかに備えて出生し、その性に応じた感覚を備えている場合が、世のなか圧倒的多数なのであるから、

少なくとも、パッと見てでさえ、女性では ないと容易に察せられる者が、無理に異性装を してという、それは要するに、「異様な風体」に等しく、
そんな姿で、

本来なら、入っては ならない場所に出没しているとなったら、どう思われるか程度の考慮や配慮は、おとなとして当然だろう。

と、このような指摘も少なくなかったが、

同じトイレ内に いるのが、たとえ、同性愛の女性であってさえも、女性を自認する女装の男性に対する脅威感や不安とは、比べものにならないのだ。

本人ばかりは女性のつもりで、ばっちり女装していても、基本的に男性の腕力には太刀打ちし難いうえ、頻々と起きる性犯罪の ほぼ全てが、男性によって起こされているという現実も ある以上は、もしも男女逆に、男性用トイレに女性が入り込んできたとしても、その場合とは根本的な脅威感が異なるってことだ。

 

 

この事件の場合は、「多目的トイレ」が あるのに、それを使わず、

しかも、

「いけないことだと」当人も認識しておりながら、「女性だと認められているような気が して」などと、理由にもならないヘリクツを述べていることで、猛烈なエゴイスティックの、まさに少数派だということは分かる。

それは、「性自認」などとは何ら関係ない、ただのヘンタイ、性犯罪者だということ。

 

おおかた、女性用のトイレ空間のなかにいる自分、ということにコーフンしてるんだろうて。

そう言えば、女性用の浴場に入り込んでいた男も、同じようなことを供述してたらしいよね。

 

一般的な女性が、ふつうに男性を好きと思うよりも、もっともっと、もっともっとw世間の男性の多くは、女性が好きで好きでwたまらなく好きで、

どんなに大好きでも、犯罪に及ぶまでには至らない。

たいがいは、ガマンして、理性で抑え込んでいるだろう。

だから、

ヘンタイも性犯罪者も、世のなかの少数派であり、「マイノリティ」のうちに入るわけだww

 

 

私も障碍持ちだから分かるが、自分と同様の障碍を持っている人が、何らかの問題行為や、まして犯罪を起こしたとなると、全く無関係の他人でも、聞けば、なんとなく、肩身の狭くなる感覚が起きるものだ。

これと似たような感覚を、「性自認」や「ジェンダー」の問題を抱えている当事者たちも感じるだろうと思う。

なので、

一般的な感覚の女性には勿論のこと、当事者たちにも、陰に陽に多大な迷惑を かけているはず。

 

まあ、およそ犯罪者や、最低限の社会的ルールを守ろうともしない者に往々共通しているのが、独り善がり甚だしいエゴイストというものだ。

 

 

さておき、

「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんの ありさまは、当該事件の男が、単なる性的犯罪者の類であろうということは棚上げして、さっそく、話のズラしを図り、ここでも、おのれの政治的スタンスから、「ヒダリがー」だの「活動家が」だのと、いつものイヤラシさ満開の決めつけ定番セリフを並べ立てていることだ。

ほんとうに、どうしようもなく、低知性・品性の卑しい連中よ。

 

それと、

これまでにも見かけていたけど、

男性用トイレに、掃除担当とか、または、のっぴきならない理由で、あえて女性が入ってきたりするのを糾弾するコメント投稿者ら。

 

単に掃除担当の男性が出入りしているのは、あまり、気にしなかった私ですら、男性用トイレに入っていくくらいなら、まずはガマンするか、待てなければ、別のトイレを急いで探すけれど、それは、男性用トイレを使うこと自体に不潔感とか嫌悪感を もよおしてしまうからなので、あくまで私個人の理由に過ぎないがw

先述したように、

女性用トイレに、たとえ掃除のためであろうとも、男性が入ってくることの不快感は、多くの女性にとって、ほぼ脅威に近いものが混じる、
したがって、男性にとっての不快感とは比べようが ないほど深刻なものが あるということ、これを認識しておいてもらわないとね。

なので、ヤフゴミんのような軽々さで論じられるものでは ないのよ。

 

 

ほんとに、『ヤフーコメント』欄の迷惑はなはだしいことよ!

いくら「改善」しましたぁ、と運営が得意げに唱えても、これじゃダメだし、たぶん、ほぼ永久に無理だろう。

それくらい、世のなか、おゲレツが消えて なくなることは ないのだから、さっさと、コメント欄を閉鎖せい!!

 

 

ところで、

たしか北欧の、どこかの国では、「徴兵制」を敷いているそうで、去年か一昨年だったか忘れたけど、これまでのような男女別を一切廃止して、もう、居室からバスルームから何から全ての設備を男女共用にした、というニュースを読んだ記憶が ある。

あれから、どうなったかなという興味を持っているのだけど、うまく いってるんだろうか?

 

いわゆる欧米圏の女性って、男性以上に、一般的日本人には、ちょっと想像しにくいほどの、気の強さみたいな傾向が あるようだと思える印象なんだけど、

その、どこかの国の、徴兵された若い女性たちも、全く、気になんか ならない!気にしてない!ふうな強気の姿勢で、むしろ男性たちのほうが、気を遣うんじゃないかなとも思えたけど。

 

なまじ、男女別にするから、ヘンに意識してしまうということも あるのかもだが。

 

ま、およそカラッとした気風のない日本では無理な話だろうな。

隠すこと自体にも性的にコーフンするような傾向だし、なんせ、避難所のなかでさえも、鵜の目鷹の目、隙あらば性犯罪を起こそうと目論む、陰湿な男性が多いからね。

 

 

さて、ひとつ、興味深い逸話を。
私が学校時分に、母親から聞いた話。

うちの母親は、大阪ど真ん中の下町育ちで、当時は、ご近所に、歌舞伎の役者さんなども住んでいたそうだ。

なかには、端役の役者どうし(つまり、男性どうし)のカップルも いて、

うちの母親は、何かのキッカケで、そんなカップルの世帯に、何度か遊びに行っていたことが あるらしい。

ただし、そこの おじさんが、家に居ないときに限られていて、

「おばさん」は、夕刻が近づいてくる午後3時くらいになると、きまって、

「さ、もう、うちに お帰り。おじさんも帰ってくるからね」

と言い、

晩御飯の したくに取り掛かったり、あるいは、おふろ屋へ向かったりしたという。

 

うちの母親は、実母(私の実祖母)を、幼い弟妹を遺されたまま、小学校の2年生の年齢で、思いがけず亡くしているので、その役者カップルの片方、つまり「女形」を やっていて、私生活でも、女性の役割を任じていた人が、不憫に思ってなのか、ちょっとした家事などの やりかたや料理のコツを教えてくれたりも したそうだ。

料理も裁縫も、そのへんの主婦よりも上手に できる、身仕舞も、清潔感ある、きちんとした人だったらしい。

 

で、その おふろ屋だが、これが、毎回、「一番風呂」だったそうな。

もちろん、「おばさん」は、「男湯」のほうに入る。

だからこそ、「一番風呂」なのだ。

 

おふろ屋のノレンが掛けられると同時に入り、他の男性客が入ってくる前に、さっさと済ませて出てくる。

 

その女形役者の「おばさん」は、まさに女性としての自負が つよく、常にシャキッとした佇まいだったと言う。