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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.08.01 (Fri)

「サイコパス」とは

 
ネットでは、またぞろ、テレビやアニメ、漫画等の「エログロ」的、猟奇的、残酷的、悪趣味的な描写からの影響について、ある!とか、否、ない!とかいう言い合いみたいになってるようだ。

 

私に言わせれば、

「ある」と言えば、あるし、

「ない」と言えば、ない。

 

もう少し詳しく述べると、

なるほど、あくまで「正常」状態、「普通」とか「まとも」の範疇に属していられたなら、

「エログロ」的、猟奇的、残酷的、悪趣味的な描写からの影響としては、単なる好奇心や物見高さで始まっても、結局は嫌悪や拒絶に向かい、
ひいては、普通の生活への愛おしさを再確認して終了することになろう。

一種の「カタルシス」ってやつか。


 
だが、問題は、

嫌悪や拒絶に向かい、
ひいては、普通の生活への愛おしさを再確認まで行って終了、
とは ならない種類の者が、ごく一部とは言え、存在するらしいことだ。

 

もちろん、極めて少数派のはず。

だったら、マイノリティの問題、として無視しておけばいいことだろうか?

 

 

 

ここで、また一つの小さなエピソードを記しておく。

これは、私自身が、過去の勤め先で、直接経験したこと。もう、ずいぶん経っているので、記憶が薄くなっている部分もある。


たしか、まだ小学校の1年生くらいの男児だったが、どうも、いま思えば、発達障害だったのだろう、もと学校長を務めた上司からも、

「あの子、ちょっと問題のある子だから、注意するように」と言われたことがあったと思う。

 

というのは、その頃の職場は、一般向けの公的な施設で、おとなだけでなく、子どもたちも多く出入りする場だったから、備品などの損傷に用心しなければならなかった。

で、

その男児は、家庭環境も良好とは言えないようだという話も小耳に挟んでいたのだが、

そこの母親などは、パート勤めだったかで、時間がなかったのか、自分の子どもが、当該施設で借り出していったらしい物を、期限が来ても返さなかったりで、やっと返却しても、所定ルールに従わず、そのへんに置いて帰ったり、という態度だった。

私が、そのことをボヤいたとき、上司は、

「まあまあ、どこに置いてあろうが、とにかく、ここまで足を運んで持って来たというだけでも、本人としては上出来なんだから」

とか言っていたが、

そのくせ、くだんの男児たちが、施設内に来ているあいだは、厳しく目を光らせていて、ときには声を荒げて叱りつけていた。

 

 

私はと言うと、何かキッカケがあったのか どうか、もう忘れてしまっているのだが、

その男児に対し、少しく不憫な気持ちを起こしていて、

仕事を終えたあとなどに、くだんの男児が、夕暮れ時を、家にも帰らず、所在無げに、ウロウロしているのを見かけたときなど、持っていた菓子を与えたりしていた。

立ち入るのを原則は禁止となっている事務室内に、施設に備えてある絵本を手にした男児が、いつもどおり、おかまいなくズカズカ入り込んでくると、上司が いないときは、こっそり、相手になっていた。

 

 

特徴的なことだったが、

とにかく、遠慮というものがない。

もの怖じがないと言えばいいのか、なれなれしいまでの口のききかたを する。

 

 

絵本を前にした男児を見ていて最初に気づいたことは、その独特な落ち着きなさの激しさだ。

 

一冊の絵本を めくりだしたと思ったら、ものの2、3ページまでで放り出し、次の絵本、また同様にして、次の絵本、と続いていく。

 

しかし、とある絵本を めくりだしたときは、せわしない しぐさが、いっとき、パタッと止まった。

 

それは、『スーホの白い馬』という絵本だったと記憶するのだが、

なかの挿絵に、馬がケガをしてか、血を流す場面が出てきたと思う。

男児は、その挿絵を見たとたん、何かに憑かれたように凝視し始め、絵の上を なぞるように触りながら、うわ言のように呟き始めた。

「血が出てる…血が…」

 

私は、

「そうだね。どうしてかな?お馬さん、かわいそうだよねえ」

と話しかけながら、そっと、ようすを見ていた。

 

男児は、私の問いかけに、かすかには頷きながらも、ほぼ完全に、うわのそらで、挿絵に描かれた馬の流す血の箇所を、頻りに撫で続けていた。

そして、熱に浮かされたように呟き続けていた。

 

「血が…血が出てる…血が出てる…血が…」


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Updated   
2014.08.01 (Fri)


【続】『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について思うこと

 

「レクター博士」というキャラクターが、いま また引き合いに出された投稿を見かける。

私の最近のエントリーで書いたけど、

「サイコパス」って、「心が ない」だの、
冷静と言うか冷酷で、感情というものがトコトンまで希薄、みたいなイメージで語る人が多いみたいだ。

が、それって本当かな?

 

例によって遅ればせながら私も、最近になって、「レクター博士」が何故、猟奇的殺人を繰り返すことになったのかというストーリー設定を知ったのだけれど、

意外や、
非常に人間的で、極端に感情的な動機で始めているようではないか?

まあ、一言で言うと、「トラウマ」なんだわな。

 

普通に辞書検索してみた限りでは、
いま、騒ぎになってる最中の「同級生殺害・遺体損壊」事件の加害者についても当てはまると言って おかしくはないようだ。

要するに「人格障害」なわけだし、何らかの「発達障害」の傾向はありそうだし、結局、この両分野は重なってくるのだし。

 

今回の事件の加害者女子も、「冷静」「クール」どころか、

小学生時分に起こしたという「給食事件」の経緯を聞いても、常軌を逸したほどの根の持ちようと、プライドの高さ、これを言い換えれば、小心さだと思う。

 

 

うちの身内に、(また聞きだけど)IQ200近くあるとかいう医者が いるのだが、

その者なんかは、他人に何を言われようが、

「アホは相手にせん」

この一言で お終いw

 

自分の弟が(これも秀才なんだよ)、

「アニキぃ、勉強で分からないとこ教えてくれやぁ」

と頼んでも、

「せやから、おまえはダメ」

この一言で お終いw

弟や周囲が、

「なんでやねん?」

と尋ねると、

「この程度のことを、人に聞いてるようじゃ、もう、それだけでダメ。おまえは勉強するだけムダ」

と、グサッとトドメ刺して終了ww

 

たしかに、ひんやり冷たい性格してるよ(苦笑)

(ま、遺産の絡みで各自に思惑はあるらしいんだけどw)身内全員からも評判悪いしwww

 

 

殺人容疑の少女巡り、6月に電話相談 佐世保高1殺害
朝日新聞デジタル 731()1735分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140731-00000039-asahi-soci

 長崎県佐世保市の県立高校1年の女子生徒(15)殺害事件で、殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)に関する相談が、6月に県の児童相談所に寄せられていたことがわかった。県は相談内容などは「個人情報」を理由に明らかにせず、「できる対応はとった」と説明する。だが、事件の約1カ月半前に少女の情報に接していたことになり、県は対応に問題がなかったか検証する。

 

「父親再婚には賛成」=逮捕の少女、弁護人に―高1殺害
時事通信 731()2313分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140731-00000170-jij-soci

 長崎県佐世保市の高校1年女子生徒(15)殺害事件で、逮捕された同級生の少女(16)が接見した弁護人に対し、「父親の再婚には初めから賛成していた」と話していることが31日、分かった。弁護人が同日、明らかにした。
 少女の母親は昨年秋に病死し、父親はその後、再婚している。弁護人によると、少女は「父親を尊敬している。再婚に反対していたという事実は全くない」と説明。父親の再婚相手についても、「母が亡くなり寂しかったので、新しい母が来てくれてうれしかった。仲良くしていた」と話した。
 殺害された女子生徒については、「トラブルはなく、とても仲の良い友人だった」と恨みなどを否定しているという。



またまたw
片山(丑田)被告を思い出したわww

 

この担当弁護士も、まじで言ってるのか?w

例の「PC乗っ取り・遠隔操作」事件担当弁護士も そういうふうだったよなあww

 

ただ、

私は、加害者が、就寝中の父親を、金属バットで襲撃したことがあったとき、父親は、それでも、転んだのだとか言って、自分の娘にやられたことを伏せていたとかいう内容の記事も読んでいたので、

じゃあ、その時点では、すみやかに、精神科を受診させるといった処置を とらなかったんだ?と思って、少し呆れていた。

 

ところが昨日、

そのおりに診察していたらしい医師が、当該事件が起きる前に、この加害者について個人特定は避けつつ相談していたという記事を読み、
では、やはり、精神科医に診せていたんだなと分かった。

そうとなれば、ますます、この親に呆れかえらざるを得ないというものだ。

 

それにしても、また今回も毎度の如くで、相談所お得意の、後手後手に回った。

「このままでは、人を殺しかねない」

という、せっぱ詰まった相談だよ?

なにが「助言」で済ませた、だよ(呆)

 

だったら、どこぞの学校の先生が言ってたように、

「これだけ深い心の闇を、事前に誰も察知できなかった」

のでは全然、ないわけだ。

 

 

そりゃあ、寝込みを襲われたんじゃ、おちおち寝てらんないし、はや身重だという新妻の身も案じられるでしょうよ。

だけどさ、大のオトナでも、精神状態が普通でない、ひどく不安定な状態のときに、一人で置いとけないよ?

 

まだまだ、家族の団らんというものが必要な15歳。

ましてや母親を亡くしたばかりで突然のように始まった、一人の生活。

毎日の食事も、ワンルームの部屋で、一人きりで済ませていたんだろうか。



書き忘れたが、追記すると、
私が常々思うに、
あの「オウム真理教」の信徒らに、驚くほど高学歴の優等生がゾロゾロいたことを思うにつけ、
こうした類の凶悪加害者のエピソード的に、やれ、何たらの小説やら映画やら漫画やらに影響を受けていたとか、無自覚的のうちに模倣していたのではといった指摘が多いところを見ると、

まあ「普通」の範疇の「優等生」というものは、かえって、批判精神が乏しいと言うか、ある意味で素直と言うべきか、
オリジナリティにも乏しく、真似っこだけは上手という、根は「洗脳」され易い性質を持つからこその「優等生」なのではなかろうかと。

 
(続く)

Updated   
2014.07.30 (Wed)

『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について思うこと


こういうエピソードがある。

これは、むかし、私の母から聞いた話で、

(実を言うと、ある身内のことだったようにも記憶しているのだが、私自身の心理的に無自覚のうちの抵抗感があったものか どうか、そこのところだけ、いまでは曖昧になってしまっている。したがって)

一部に記憶違いもあるかもしれないのだが、おおよそとしての話は、こういうことだった。

 

私が生まれる前の出来事だそうだが、

ある日、母が、当時、住まっていたアパートの、とある窓の そばで、まだ小学生になるや ならずの年頃の女児、これは、日常的に接する機会の多かった顔見知りの近所の子であったそうだが、

この子が、どういうわけだか、小さな手に一個の煉瓦を携え、かなりの時間を、窓辺から見下ろしつつ過ごしているようすなのをフシギに思い、声を かけたということだった。

 

そこから どうなっていったか、話の詳細は忘れてしまったが、とにかく、

その後、間もなく明らかになった真相は、

くだんの女児は、自分が気に入らないクラスメートか誰かを狙いすまし、目当ての子が、窓下を通りかかるのを、非常な根気強さを発揮しつつ、じいっと待っていたのだった。

 

もちろん、狙う相手が通りかかった瞬間に、女児は、その手に持っていた煉瓦を落とすつもりだったというわけだ。

 

…世の中、こういう子も いるんだよ、と、母は言っていた。

 

 

という母自身、脳に局部的な異常があるらしいのを、本人は、かつての交通事故で、頭を強打したことが原因だと主張していたのが、死後になってみたら、実は先天性であったことがハッキリしたという話も、どこかのエントリーで書いたことがある。

 

私は長年、主には家族を中心に、私にとって不可解なる周囲の人々を見渡してきて、

ある程度、方面の知識量も増え、自分なりに推測してきた仮説が、それほど的外れではなかったことを、いろいろな専門家の説明で確認も して、

専門家や識者の説くところが不足と思えば、なお自前で推測を重ねもするのだが、

いまでは、このように思っている。

「父も母も同じくで、彼らは、まちがいなく一種の人格障害者でもあった」と。

第一には脳の質と、無関係であるはずが ないのだ。

 

私自身も、

また、世の殆どの人々も、多かれ少なかれ異常な、偏った側面を持ってはいるのだろうが、

それでも、今回の事件のような犯人の内面をスムーズに理解することは甚だ困難だと感じてしまうし、受容していくことにも抵抗感は非常に大きいのが普通というものだろう。

ここは、うちの父母と言えど、生きていれば、同じような感想を述べただろうと思う。

 

 

実の親子だからと言って、そのまんまに似るわけでは なさそうだが、

しかし、「パソコン乗っ取り・遠隔操作」事件の被告、また、その他の事件の場合にも感じられたが、今回起きた事件でも、加害者と、その親には、どこかしら似通ったところはあるのかもしれない。

 

 

母は生前、父のことをボロクソに言いつつ、まだ抵抗するすべにも乏しい幼い頃の私には特に、サンザン八つ当たりしてきたが、それでいて、

なるほど、夫婦間のことは分からないものだと昔から言うが、
女としてリクツ抜きで父に惚れていたのも確かだったと思うし、
そういうところは、また、父のほうとても、ほぼ近いものがあったのだろうし、

まあ、微妙温度差はあったとしても、要するに、

やはり、夫婦というものは、同レベルだからこそ、ひっつくものに違いない。

 

 

「ワザワザ産んでくれなくていいものを」

と、子どもの立場として言わせてもらえば、こちらとしては大変ご迷惑でしかない人たちだったのだがw

むかしは、私も、こういう方面の知識に乏しくて(進学先の一つに、心理学部を希望していたことの動機でもあった)、

うちの親たちのヘンなところ、どうしようもないところ、

言い換えれば、やはり「過剰

(父なんか、晩年になって、実は、若い時分からアル中だったことも発覚している。要するに「依存脳」だ。)

こうした面を、どう言語表現したら的確なのやら、さっぱり不明だった。

 

ところが、世間では、それなりに人望もあり、頭の良い、優秀な人、ということで通っていた。

 

 

実際、母などは、学校時分も成績が良く、音楽の才能にも恵まれ、手先は器用、弁が立ち、おまけに、大した美人で、
娘の私から見ても、他人さまが見ても、良過ぎるほど頭の回転が良かった。

だが、

数多くの長所以上に、欠点も またデカかった

 

長所以上に欠点がデカかったのは、父も同じくだった。

 

 

とは言え、

私自身は、自分の親と、あまり似ている所が少ないと言うか、

つくづく私は、およそ身内の誰とも似なかったなあというのが実感だ。

 

だって、

私が、仮に私の親らの立場であったとしたら、彼らと同じこと

(すなわち、親としての、公の義務としての届け出を怠ったり、子の障碍を知っていて無視・無関心で放置しておいたり、暴言を吐きまくり、暴力を振るいまくり、それでいて、異様なほど依存してきたり、まあイロイロ)は到底できなかったと思うし、
とてもじゃないが、その感覚、同じ人間として、いまだに理解できないところが残っているのだ。

 

 

ただ、他の兄弟姉妹を見ていて思うのは、

もしも、うちの親らの凄まじいまでのエゴイスティックさ、身体の健康如何には無関係な独特のエネルギッシュさを受け継いでいたならば、こんな私でも、そうとうに大きなトラブルを起こしていただろうことは想像に難くない。

もし、そうなっていたら、さぞかし、彼ら親は、私に泣かされどおしの後半生になったことだろうw

自分たちに似なかったことを感謝すべきである(笑)

 

 

私は、お酒を飲むのが好きでないと言うか、そもそも、体質に合わないのだが、

うちの身内のなかで、酒が嫌いとか体質が受け付けないなんてヤワ者は、ただの一人たりとも存在しない。

皆、お酒が大好き(笑)

私一人だけ、身内のなかでも異端なのだ。w

 

 

以前、旧のブログで書いたかもしれないが、

私が、たとえば北朝鮮あたりに拉致されていたとする。

失踪したと騒ぐにしても最初のうちだけで、

やがて居場所が判明した時点で、すでに長い年数が経ってしまっていたら、もはや取り戻そうともせず、そのままに放置しかねない
(なので、横田さんたちが、どんなに愛情深い、まともな親御さんであるか、よく分かる)。

これは、私に、親の愛を得るだけの徳がないとかいう以前に、

うちの親は、そういう人種なだけ。

ただ自覚がないか、ぜったいに自覚しようともしないし、うしろめたいことは認めない。

あくまで自分の役に立たせられる子であるか否か、そこのところで、恐らくは意識せずに判断している。

 

 

私には、親らを理解しようと懸命に務めてきて、そうとう程度に達成したという自負もあるが、

それは同時に、子の立場としては見たくないものを直視せざるを得ない作業でもあった。

 

 

彼らが、私を、私の身になって理解しようと務めることは、ついに なかった。

 

あとに残ったものは、彼らの飽くなきエゴの痕跡だけ。

 

裏の利害関係以上のものは何もない。

 

 

餓鬼の如くに求め合っているのに、

深く渇いた者どうし喰うか喰われるかの潰し合いをエネルギッシュに繰り返してしまう綱渡りのサガは、

ペンペン草ですらも、やがて涸れ果てる荒れ地、夥しい血を吸った砂漠だけが広がっていく。

 

 

弱く、そして、弱さに敏く、

不安に怯えやまぬ本性は、常に自分よりも不利な立場の者を最低限は確保しておくことで逃げ場を つくり、

そこに向けて、不条理なシワ寄せを押し込んでいき、

理不尽に利用する能力をこそ誇って恥じぬ傲慢さに気づこうともせず、

あるいは承知で目を背け、

恩の押し売りに励み、恫喝し、騙し、

一転、

相手のほうが強者と判断すれば、とりあえず恭順の態度を見せておくか、

やはり、いつもの常套手段を駆使し、相手の弱みを確信して恩を売ることで依存させておき、自分の存在感を、がっちりアピールする。

いずれにせよ、

最終的には用済みとなれば、最初から何事もなかった如くアッサリ忘却できる。

 

 

自己のみの欲望をエネルギッシュに謳歌しおおせたとしても、

罪咎なきはずの者を、不幸に巻き込む能力は大いに発揮しても、

結局は誰一人さえも、本当に幸せにする能力だけが備わっていない。
いつまでも備わらない。

それが、自己愛肥大者ならではの限界。

 

しかたがないだろう。

このような者でも、世に生まれ出てきて存在することを、偉大なる自然界は許している。

 

 

 Sade “Love Is Stronger Than Pride

 
Updated   
2014.07.30 (Wed)

一連の報道記事を読んでいて、私は、この↓記事が気になっている。

<高1同級生殺害>「あだ名の名付け親」…中学でも仲が良く
毎日新聞 728()1132分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140728-00000024-mai-soci

~松尾さんは母親に対する感謝の言葉を語った後「ほんと、このクラスで楽しかったです」と話し「いろいろなことあるんですけど、変なあだ名が定着したなって」と言って笑いを誘った。そして「そのお陰でみんなとなじめた」と言い、「名付け親は○○でした」と逮捕された女子生徒の名を挙げていたという。

 

やはり、こういう話も出てきた。

殺害女子とトラブルか=逮捕の同級生―慎重に動機捜査・長崎県警
時事通信 729()1122分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140729-00000042-jij-soci&pos=5

 長崎県佐世保市のマンションで、県立高校1年の松尾愛和さん(15)が同級生の女子生徒(16)に殺害された事件で、2人の知人が県警捜査1課の事情聴取に、松尾さんと女子生徒の間にトラブルがあったと指摘していることが29日、分かった。女子生徒は松尾さんとのトラブルや恨みなどについては供述しておらず、同課は殺害の動機を慎重に調べている。
 同課は高校の関係者ら、2人の知人から事情聴取を進めている。捜査関係者によると、関係者の一部が、2人の間でトラブルがあったと指摘しているという。
 一方、女子生徒は事件当日の26日午後の行動について、「松尾さんと2人で佐世保市内で買い物した」と説明しており、完全に仲たがいした状態ではなかったとみられる。女子生徒は「殺害自体が目的だった。遺体をバラバラにすることに関心があった」という趣旨の供述をしており、トラブルが原因という説明はしてないという。

 

生前の被害者が語っていたという「ヘンなアダ名」とは?

その「名付け親」が、加害者本人だったとは、どういう意味合いを持つか。

そのあたり、見逃さずに分析してみることで、この加害者の心理的特徴が あぶり出されてくるかもしれないという気も するのだがなあ。。。

 

 

この事件を起こした女子高生が、凶器となった「工具類」を事前に用意していたか どうか、

本人の父親所有というマンションの部屋に、すでに備えてあった物なのか どうか気になっていたが、どうやら、やはり計画的に及んだことらしい。

 

<高1同級生殺害>複数の刃物使用 「計画的」見方強める
毎日新聞 730()70分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140730-00000003-mai-soci

 

佐世保同級生殺害の女子生徒 過去に金属バットで父殴る…
スポニチアネックス 730()70分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140730-00000025-spnannex-soci

<高1同級生殺害>逮捕の少女、別居直前に父親に暴力
毎日新聞 730()1056分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140730-00000021-mai-soci

 一方、関係者によると、少女は高校に進学した4月から市内で暮らす両親と離れ、マンションで1人暮らしをしていたが、3月に父親を金属バットで殴り負傷させていた。

 少女の実母は昨年10月にがんのため亡くなり、中学3年生だった少女は以降、不登校状態だった。一方、父親は今春、再婚した。4月から1人暮らしを始めた少女は高校進学後も不登校状態が続き、1学期の登校日数は3日だった。県警は、こうした家庭環境や生活環境の激変が事件の背景にある可能性もあるとみている。

 

一見、絵に描いたように結構なはずだった家庭の裏側が次々露見していくといった、陰惨な事件に ありがちな展開である。

早くも小学生時代に起こしていた事件。

父親の再婚を めぐって、男顔負けの瞬発的凶暴性を見せたこと。

 

動物への虐待は、のちに本格化し、人に対する行為の前触れとなりやすいという指摘は、すでに知られている。

 

今回の事件では、被害者とのあいだに、トラブルと言うほどのことは何もなかったということだが、本当に そうなのだろうか?
被害者に警戒されないでいながらも、心底では屈折した感情を抱いては いなかっただろうか。
 

 

脳のタイプというものがあるのかどうか知らないけど、あえて言うならば、男の子の脳みたい。

ストーリー設定の細部は真逆な内容になっている部分も多々あるけれど、漫画家の山岸涼子の作品キメィラというのを、むかし、読んだことがあったのを思い出してしまった。これの主人公を、なんとなく連想させる事件だ。

「ネコ解剖、人間でも」=同級生殺害の女子生徒―遺体腹部にも大きな傷・長崎県警
時事通信 730()231分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140730-00000006-jij-soci


高1女子“体の中を見たかった”同級生殺害
日本テレビ系(NNN 729()1215分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20140729-00000023-nnn-soci

女の子であっても、特に思春期という年頃には、同性の身体に対しても強い興味を持つ場合はあり、当の本人自身はと言うと、その発育度合いが心身共、わりと幼い者に多いようだという印象を、かねてより私は持っていた。

 

当初、この加害者には、自閉症傾向と、もしかして「性同一性障害」とかの傾向もあるのかな?との印象も持ったが、なるほど、「僕」と名乗っていたという。

ただし、こういう女の子は、単に目立ちたがりで、自己顕示欲ゆえだという指摘もある。

 

私の、いくつか年下の幼なじみにも、同様に、自分を「僕」と自称していた女の子が いたけれど、その子の場合、別の幼なじみで、私よりも もっと親しくしていた、仲の良い男の子が いた影響が大きかったと思う。

 

ご両親共働きで、普段は「鍵ッ子」だったので、私たち幼なじみ数人が、おとなの目のない彼女の家に上がり込み、思いっきり遊ばせてもらったものだが、おばさんが仕事を終えて帰って来ても、厭な顔ひとつ されたことなく、親子とも、いたって大らかな気質の人たちだった。

その分、かなり無頓着なところもあったようだけど(笑)

彼女は、おとなになっても、少女時代と殆ど変わらずに、あっけらかんと明るい性格のままだった。

いまでは、普通に家庭を持ち、幼い頃の彼女によく似た女の子の母になっている。

 

 

ところで、

色使いや色調の好みと並んで、絵には、描いた者の内面性が出るとも言うし、どういった絵を好むかということにも、おのずと傾向が出ると聞く。

この加害者には、こちらの方面の才もあったそうで、本人が以前に描いた絵があるというので興味が起き、ちらっと見てみたのだが、

なるほど、
早熟と言っても過言でなさそうな表現ぶりながら、おせじにも明るいとは言えず、それどころか、はっきり言ってしまうと、そうとう陰惨な雰囲気が漂っているのは、多くの人にも感じられるところだろうと思った。

 

 

ただ、多くの人は、この事件の加害者を、高知能ならではの非常な冷静さを持つゆえに、異常なまでの薄情タイプといったイメージで とらえてしまっているようだが、

ひとたび気に障れば(自己愛ゆえに不安も つよく、努力を惜しまず頑張る反面、やっぱり自己愛ゆえに、根はワガママ?)、

ずうっと根に持ち続け、虎視眈々と機会を窺い続ける状態を維持していられて(エネルギッシュ、アディクト性、陰湿性も情熱的?)、

遅かれ早かれ、誰かしらに向け、相応の筋合いがあろうが なかろうが、何らかの かたちで攻撃や打撃を与える(抑圧的被害意識と反動性ワガママ?結局は飽くまで自己中心。)時が来たなら、素早く躊躇なく実行できる(能力性)、

これらは、むしろ真逆な暑苦しさ、つまりは「過剰」なのであり、
沸々とエネルギッシュだからこそでは ないかと、私は、このように思っている。

 

もちろん、良い方向への可能性も大いにあり得るはずなのだが。。。?

こういうタイプは、古今東西、大きな業績を残したりしていて、出世も しやすいはずと思えるのだが。

 

やっぱり過剰な自己愛ゆえの限界性?

 

あの「パソコン乗っ取り・遠隔操作」事件の犯人とも、気質と家庭環境の両面に、多少は基本的共通性がありそうだ。

 

多くの人が、ふつうならば あまり気にしないはずだ、と思えても、

たとえ、思い詰めたり気に病んでしまったとしても、

その結果が、どこへ、どのような かたちとなって向かっていくかは、何が「トリガー」となるかということと併せて、結局は、その者(脳と体質)しだいなのだろう。

 

 

<高1同級生殺害>「いろいろあって留学」中学の卒業式後
毎日新聞 729()236分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140729-00000121-mai-soci

 女子生徒は照れるような仕草をしながら「オーストラリアの方に留学を考えてます」と語った。続けて「まあいろいろあるんですけど」と話して教室にいた父親の方を見ながら「それは思うところがあって」とも語った。

 近所の住民によると、女子生徒は幼い頃から活発で、学習成績も優秀。家族の勧めもあってスポーツにも積極的だった。

 だが、県教委によると、昨年10月に実母をがんで亡くし、以降不登校の状態になったという。また、近所の住民によると卒業式があった今春、父親は再婚し、家庭環境が大きく変化した。住民によると女子生徒は「お父さんをバットで殴ろうとしたことがある」と話したこともあるという。

 教室でのあいさつでは、涙ぐみながらクラスメートに出会えて良かったと感謝の言葉を伝えた後「一つだけお願いがあって、こんな僕ですけど同窓会に呼んでください。で、大人になってからも僕のことを思い出して、僕は何やってるか分かんないですけど、砂漠歩いてシマウマに乗っているかもしれないけど、その辺のことを思ってくれたらな、と思います」と話した。

 最後に父親の方を向いて涙声で「こんな僕ですけど、育ててくれて大変ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と語って締めくくった。

(文字強調は当ブログ主による)

 

(続く)

Updated   
2014.07.26 (Sat)

性器の(3D)データは「猥褻」か「芸術」なのか

http://schneewittchen.7narabe.net/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%83%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88%EF%BC%9F/%E6%80%A7%E5%99%A8%E3%81%AE%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A4%EF%BC%89%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%8C%A5%E8%A4%BB%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%80%8C%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%80%8D%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B

 

まあ、彼女なりの「思想」だろうと「芸術」だろうと、

女性器だからと言って、気にするな、タブーとか特別視するべきでないという意志表示の表現、それ自体、
当のご本人自身が、最も気にしていて、特別視してる表れでは
ないの?とツッコメそうではある(苦笑)

 

 

着物が日常着だった昔の日本には、「パンツ」なる、身も蓋もない下着は存在してなく、初めて、それの、庶民にも普及奨励が始まった当初、女性たち自身が、ひどい違和感と、かえって、否応なく自覚的羞恥心を激しく持たされるという心境に陥ったのだそうな。

西洋の芸術文化においては、ことに神々を表現したものは裸体これ満載だのに、やはり、古い絵画を見ると、一転して、

一般の人々の描写では、肩出しファッションも、夜会等の特別なシーンに限られていたようで、肌の露出は少なく、若い娘でも、まるで尼僧のような地味で黒っぽい服装で描かれているものが多い。

 

 

再現できるのは、実際の女性器とはほど遠い無機質なものです。それをわいせつといえるでしょうか

「再現」ねえ。。。

たしかに、ここいらが焦点になるかなと思うんだけどね。

 

 

今回の話題を最初に目にした先日は、そういえば、と、
「ヘアヌード写真解禁」つうのがあったのも思い出してたんだけどw

 

 

たとえば、つい近頃の、3Dデータによる拳銃作製騒ぎ、
これも、なんかカワイイ感じの色付けを施してあったようだが、記事添付画像写真で見たところは、まるでオモチャみたいだったね。

実際、アメリカでは、子ども用の拳銃まであって、やっぱり、可愛いカラーリングで売ってるそうだ。

 

同じようなことで、

親しみやすいカラフルな刃物類の例があるよなあ、セラミックのとか。

でも、見た目、どれほど可愛ぽくっても、本当に実用できるんだ。だから、かえって、通常仕様の物よりも慎重な注意が必要になるってわけだ。

 

さて、新たな騒ぎになってる「女性器の3Dデータ」。

これは、見た目自体はマンまwだとしても、「実用を満たせるのか どうか

え?!満たせる??ww

 

 

まあ、早い話は、

素っ裸で外出とか街なかで性交含めた排泄行為を してはなりません、
公衆の面前においては隠す習慣として定着しているものごとは、とにかく隠さなくては
なりませんぞ、ということじゃないの?

だったら、警察も、単純に、「ならぬことは ならぬ」として、「猥褻」だからとか苦し気な理由付けしなくてもいいのにと思うんだがね。

そこらへんは、弁護士さん側が言う「猥褻たる要件に該当せず」とかいう言い分も同様に苦しいと思う。

 

 

「劣情」云々したところで、結局、何を「猥褻」と感じるか、とまで突詰めるなら、個々人によるかもしれないし、先のエントリーでも言ったけど、男女間で違いは歴然とあると思うよ。

 

そのへんのことは、下着ドロボウという犯罪を見ても分かるがな。

女性が、男性下着に関心つよく持ち、収集癖が高じてドロボウまでした、なんて話は、いまだに聞いたことが ない。

あくまで一般的にはだけど、

男性なら、多少トシを喰ってる女体でも、少なからぬ興味や性的興奮の対象たりえ続けるだろうし(本当のことだもんw)

ひるがえって、
女性の大多数にとっては、若かろうが年配だろうが、興味とか性的興奮とかよりも、男性の裸体露出を見せられたこと自体で、まずは見苦しい、迷惑って気分が圧倒的だと思うよ。
全員が、とまでは断言しないけどもwemojiemoji