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とりあえず、ひかりのくに
     
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2025.08.08 (Fri)

カン違いばかりのチミたちにwの続き。

 

さて、

私の実家の、むかしの隣家の御主人は、いわゆる「『シベリア』抑留帰り」の人だった。

この話も、旧ブログか、どこかの過去エントリーで述べておいたはずなのだけど、

そこの おばさんの述懐では、『シベリア』から帰ってきて、まだ若い頃の おじさんは、ふだんは温厚で、とても穏やかなのに変わりは ないのだが、ひとたび、お酒が入ると、途端に、人が入れ替わったかのように暴れだし、もともと、力が強い人だったので、出刃包丁ひとつを握って、足もとの畳に突き刺し、それを そのまま、畳ごと頭上に持ち上げて、片手でブンブン振り回し、手が付けられない暴れ様だったとか、

そんな話を聞いても、当時の私にとっては、絵に描いたような、気は優しくて力持ち、いつも にこやかな働き者、しかも器用で、いざとなったら、頼りがいのある おじさん、というイメージしか なかったので、いまだに、想像できないくらいに意外で、たいへん驚いたものだった。

私の知るかぎり、中高年期以降の おじさんは、先述したイメージどおりの姿から、いささかも逸脱することは なかったのだが、

うちの親父の場合も、ふだんは、特に切っ掛けもないかぎりに おいては、まあ、おとなしいほうだったのだが、これが、ひとたび、何かしらの逆鱗に触れる切っ掛けが あったり、特に、お酒が入ると、ほぼ必ず、最後には大変な暴力沙汰に なるので、娘として、最後まで、この癖に つき合わされた私は、こういう面でも、とても苦労してきた。

父親で苦労せずに済んだ女性には、私の男性観を理解することは難しいだろうなと思う。

 

一見は、まったく対照的だった二人とも、戦時の世のなかを、それぞれに体験しているという共通点が あるからなのかな?とも思ったが、

もちろん、シベリア帰りの おじさんと、戦線に出ることなく、エリートとして過ごした うちの親父とでは、体験の重みは、比べようもない。

 

 

次は、そんな親父の親戚筋の女性の話。

こちらも、旧ブログか、過去エントリーの どこかで、思い出して取り上げたことが あったと思うのだけれど、

親父の養家の、たしか、母方の従弟に当たる人の奥さんだったと憶えているのだが、

私が中学か高校生のとき、その奥さんと、もう一人、同じく親戚筋の女性が、はるばる、千葉県から来阪、うちに一晩か二晩ほど、泊まっていったことが あった。

親父の案内で、大阪観光するとのことで、私とは初対面だったが、母親のほうは、すでに、千葉での法事の おりなどに交流していたことも あり、明るく、にぎやかに話が弾み、一同、笑いさざめいていた。

 

その おばさんには、片腕が なかった。

ご本人に直に聞くのは、さすがに、気が引けるし、たぶん、翌日、親父に連れられて、おばさんたちが、観光に出かけるため、うちを出発した あとに、母親から聞かされたのだと憶えているが、

くだんの おばさんは、若い頃の戦時中、親父の従弟である夫とともに、『中国』の『満州』かな?そこは記憶が曖昧になってるけど、あちらで生活していて、ある日、ご亭主に召集令状が来た。

やがて、この おばさんと共通した苦難の体験を持つ人たちと同様、敗戦国民まっしぐらの身となってからは、広い異国を逃げ惑う事態と なった。

その逃避行の さなかに、何らかの危難に遭遇し、そのときに、おばさんは、片腕を失ったのだということだった。

私も完全には憶えていないので、断言は できないが、「切り落とされた」のだと聞いたような気もする。。。

 

そんな地獄図絵のなかで、ある中国人の男性が、偶然に出会った、この おばさんを、自宅に かくまい、世話を してくれ、そうしているうちに、おばさんは、その男性の子を身ごもった。

けれど、おそらく、男性のほうにも、妻子は いたのだろう、いつまでも置いてもらえる情況では なく、おばさんは、やがて、産み落とした赤子を連れて、日本へ戻ることを諦めず、そうして、ついに、千葉の、もとの婚家先に辿り着いた。

 

当時は、自分の子どもを、泣く泣く、中国人に託したり、あるいは、やむを得ず、置き去りにして、そのまま帰国してきた人々も少なくなかったであろうに、この おばさんは、残った片腕で、異国の男性との あいだに儲けた あかんぼうを抱き、海の向こうの故国へ帰ってきたのだから、称える言葉も見つからない。

けれど、おばさんの苦難の月日は、まだまだ続いた。

 

中国で召集されたまま、消息が分からなかった夫のほうは、おばさんよりも先だったか後だったか、とにかく、こちらのほうも、命からがらで あったろう帰国の後、恐らく生きては おるまいことと思っていたのでは ないだろうか、異国で生き別れになっていたままの奥さんの、想像だに しておらなかった姿は、片っぽだけになっていた その腕に、自分の子でない乳飲み子が抱き抱えられているでは ないか。

夫は、たちまち、激昂した。そして、荒れた。

 

やっと再会した夫に、出ていけと怒鳴られ、家の外へ叩き出されたものの、だからといって、実家に戻ることも できなかったのだろう、それから、どれくらいの あいだか、室内には入れてもらえず、おばさんは、乳飲み子とともに、縁側で寝起きしたそうな。

 

残った片腕で、かつてのように、家事を こなしつつ、それ以外の時間は、あかちゃんと、縁側で耐えているうちに、夫の怒りも徐々に静まっていったのか、もとの主婦としての生活に少しずつ戻っていけたのだろうか、いまは遠い中国で、現地の男性との あいだに生まれた女児は、学校の勉強が好きな、優等生だったらしい。すくすく成長して、快活な女性になった。この人には、私も、亡母の法事で、一度だけ、会ったことが ある。

おばさんに似たのか、にぎやかに おしゃべりしながら、綿入れ袢纏の袂を合わせつつ、明るい笑い声を あげていたのを思い出す。

 

やがて、辛く当たられた夫も亡くなり、初めて、観光と名の付く旅行に繰り出したのだろうか、

あれから長い年月を経ても、いまでも鮮やかに私の脳裏に浮かぶのは、

「やっと、こんな日が来たのね、楽しくて たまらないわ」

というふうな陽気さに満ち溢れ、失った片方の腕の袖を揺らしつつ笑っていた おばさんの姿。

 

 

ちなみに。

橋下さんが、大阪市長やってた頃だっけ?沖縄で相次ぐ米兵の性犯罪を防ぐために、当地の風俗業を活用してほしい、みたいな提言(?)をブチあげ、どえらい顰蹙を買ったことが あったのは。

かれこれ10年以上前になるのかな、ほとんどの皆さんは、すっかり忘れてしまってるよね?()

 

もともとは、一対一の夫婦関係を重視し、快楽のみを目的とした性行為は忌むべきとする『キリスト教徒』であるからなのだろうか?家族を伴い来日していることも多い米軍内部の人には、いちおうにも せよ、アメリカ人なりの倫理規範というものが基本には あるようで、そこに照らせば、米兵の性犯罪を防ぐためとは言えど、「風俗」のススメとは、そうとうの屈辱感や抵抗感を もよおさせる発言であり、日本人みたいに、軽い気持ちで性欲はヒョイと処理♪ヒョイと処理♪とばかり風俗へゴー!(^^♪という感覚とは根本的に異なるのだという指摘が、あの当時、日・米双方の事情通や識者たちから指摘されていた。

 

まあ、時代を、もっと もっと遡れば、かのペリー提督に対しても、日本側は、同様なことをソソクサと やっていたというし。

国際的にも知られていた日本男性の「買春ツアー」を、『昭和』のオッサンたちと同様に、現代の、若い男たちも楽しんでいるそうだし、

いまどきは、なんと!昔なつかしの()「立ちんぼ」を、みずから やってる女の子たちの出現が相次いでいる。

 

基本的には、女性側の味方を したい私も、昔からの定番だった、家計を背負ってという痛ましい事情でもなく、聞けば、しょーもないこと この下も なかろう理由で、ホイホイ立ちんぼ やってるような、そんな女性の味方を しようとまでは、さすがに、思いまへんわ。。。

 

ほんで、あかんぼ産み捨てに至る、このパターンだもん。
しかも、ゴミ箱とか便器のなかとか。。。

 

やはり、日本の伝統なのでしょうか?民族性なのでしょうか?w

戦後一貫して、この国を操ってきた親分アメリカの「拝金」の教えに忠実な『自民党』が、こんにち、こうなるように、呼び覚ましたのでしょうかww

 

 

もっとも、私個人は、「元祖:人種の坩堝」に近い成り立ちを経てきた日本人に、「民族」などと呼び得べきほどのものは ない、という考えですけどね。

ましてや、
「単一民族」などと のたまった、知性もなければ教養もなく、配慮なんて高尚なコトバは、死ぬまで覚えることも ないであろう、これでも「与党」の重鎮と呼んでもらってるオジイサンには、開いた口が ふさがらん()

似合わんボルサリーノ、単なる伊逹(=ミエミエ)のクロス ペンダント()

 

トランプとの共通性が窺えるわよね。

年甲斐もなく「ワル」に憧れてる俗物だ。

 

市長を やってた橋下さんの「提案」が顰蹙を買い、女性に対する、沖縄の女性に対する「道具」扱いだ、とんでもない侮辱である、ということの自覚すらないという批判が巻き起こっていた、その出来事は さて置くとして、

特に、かの『南京事件』において凄まじい事態を齎した、『皇軍』日本軍の あらゆる暴虐のなかでも激しく目立った、女性への性暴力、レイプ。

これは、それこそ、日本の公が設けた『慰安所』であり、そこで発散させるべく仕向けることで、戦地に おいても、一般の婦女を襲うことを防ぐことが可能になりえようと目論んだのであるか、これも、とうてい、甘い、甘すぎる見通しであった。

 

なぜなのか、女性では なく、男性だからこそ、理解できるのじゃないですか?

「男は皆ケダモノよ」

と、

みずからを称してきた男性なればこそ。

 

要するに、
おカネのための商売であると わかってやっている「割り切った」相手とでは、ツマランのでしょ()

 

一般家庭の、ふつうにシロウトの女性を怯えさせて、さんざんに逃げ惑わせてから、ゲヘヘ、、、( ´;;ё;;)と襲いかかるほうが、だんぜん、楽しい()そうでしょ?(()

 

ましてや、戦地に おける食料は自力で、現地にて調達せよというトンデモ指令のもとでは、一般の民家に押し入り、そこの娘たちを襲うことはセットになるのが必定。

 

【続く】

 

 

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