2025.07.27 (Sun)
暑すぎて、クーラーを止める隙もない。。。
電気代が恐い。。。
熱中症も怖い。。。
どうすりゃいいんだ。
ところで、
中学時代に、全校規模だったか学年ごとだったか忘れたけれど、「水泳大会」という、わりと大きな行事が ありました。
あの当時の暑さも、そうとうのキツさでは あったものの、昨今ほどの高温にまでは達することが なかったはずで、かれこれ半世紀ほども前の中学時代です。
私ら女子生徒は、紺一色の、いわゆる「スク水」で、あの頃は、これも昨今ほどの教師らの不祥事が花盛りというテイには陥っていなかった時代なので、まあ、安心して、プールサイドの へりに並び、体育座りして、クラス対抗リレーを眺めたり、男子らが、飛び込み台の上に立ち、勢いよく片手を上げて挨拶すると同時に、もう片方の手でもって、腋毛を隠す しぐさを するもんだから、その おどけた姿を眺めて、ぷっとフき出したり、ケラケラ笑ったのを思い出す。
しかし、だんだんと、私には、言いようのない焦りが生じてきた。
と言うのも、私は、初対面の人からは、ほぼ例外なく驚かれたくらいに、生まれつき、肌が白い。
なので、
小学校の夏休みで、東京の叔母宅に滞在しているあいだ、叔母は、当時の『赤坂プリンスホテル』の、あの有名だった大プールなどへ、おりおり、連れて行ってくれて、傍らのステージから、さわやかな『ハワイアン』の曲が流れてきたりする巨大なプールで、外国人たちに混じって、一頻り泳いだ後は、そこから、やや奥まった位置にある芝生のスペースに移り、バスタオルを敷いて落ち着いたら、サングラスを かけた私を寝そべらせ、
「新学期が始まったら、あんたの友だち皆ビックリするくらい、こんがりイイ色に焼いてあげるわよ~」
と、水着から出ている肌の全体くまなくサンタンオイルを、叔母は丁寧に塗りあげてくれたものだが、
『替え歌の想ひ出』
(↑旧ブログからの抜粋を含んだ過去エントリーで、当ブログを開始して、まだ初期の頃のものなので、だいぶ欠損が生じており、読みにくくなってしまってる)
むろんのこと、それから数年後の、中学生となっていた校内の水泳大会なのだから、サングラスやサンタンオイルなどと、しゃれたものは、一切、ない。
やがて、直射日光に晒されている素肌が、じりじりと焼かれている感覚を越えて、痛みを感じるほどになってきた。
それでも、じっとガマンし、行事が終わって、解散が許されてから、いつもどおりの制服に着替えて、友人とともに、乗って帰る自転車の置き場へと向かった頃には、顔全体も真っ赤っか、痛みが激しくて、タオルで顔を隠しつつ、ふえ~ん
と泣き声を上げながらヨロヨロ歩いていたら、男子らが、わっはっは~
と、おもしろがっていたが、帰宅後、しばらく休憩し、いくぶんか落ち着いたあと、おふろに入って、あらためてビックリ仰天。
からだじゅうがピリピリ痛くて痛くて、からだを洗えない。
それから数日間にわたり、入浴時の皮膚の痛みに苛まれ、やがて、表皮の剥がれなどが執拗に続いた、あれは、間違いなく、火傷になっていたのだなと思うと同時に、学校という所は、教師という者は、なんともバカげたこと、余計なことを、生徒に強いるものだろうかと、あらためて、呆れてしまう。
皮膚癌にでもなったら、どないしてくれよったんやら。
いやはやいやはやいやはや。。。
こないだのニュースで、「日本のヨーロッパ」たる『北海道』でも高温ウナギのぼり、『北見インド』出現かよ、、、と、唖然としたのもツカの間。
遠く『パリ』でも、これまでの日本の真夏レベルの気温が常態化の兆しを あらわにしつつあり、いよいよ、世界じゅう『インド』化してきたかと、さすがに、おののき始めた人々のなかで、相変わらずのトランプ爺さんだけは、フェイク!フェイク!!と、自分が気に入るようなフェイクを設定して、のほほーんを決め込んでいるようだ。
わたしゃ、これも、とっくに言ってきたけどさ、
ほんとうにね、戦争なんか やってる場合じゃないし、「グローバル」がー!分断がー!と喚いているばかりでなく、それこそ地球人一丸となって立ち向かっていかなければならない事態が目前に迫っているというのに、なに やってるんだろうかと、何度か指摘してきたよ。
それなのに、
近頃では、『ロシア』のプーチンがハネッカエったのを皮切りのようにして、あっちでドン!こっちでもパチ!!
というんで、
やれ「愛国心に性別は関係ない!」
やれ、女性にも徴兵制を敷くべし!
男ばかり損してる!!
という主張が広がり始めているという。
ゾッとするね。
わが子を抱いた その手で、おぞましい兵器を操り、自分と同じく平凡な、どこかの女性が生んだ子どもを敵と見做して、情け容赦もなく殺し続けていくんだもの。
私には、そんな分裂した行動は できそうにない。
けれども、なぜ、そんなことが、ふつうの人にも実行できてしまえるのかというと、ひとえに、
相手は、自分と同じ人間じゃない、
そう思っているから、なんぼでも、残酷なことが できるんだ、お互いに。
これは、戦争だけに限った現象では ない。
目下の『ガザ』に おける残酷な争いも そう、
かつて、アメリカが日本に投げつけた原子爆弾の実験も そう。
その日本人も、本来お門違いの他国へ乗り込んでいった その あげくに、現地の人々を人体実験の材料に利用したのも そうだった。
「丸太」と呼んだのは、人間とは思っていなかったからこそだ。
それに関して、中国で公開されたという、かの『731』を題材にした最新の映画、このことも、不穏な幕が落とされる「先触れ」でなければ よいが、
もっと言うなら、あの『コロナ ウイルス(covid19)』だって、いまに至るまで、解明も解決もしていないままだ。
再び言っておくが、
戦争だけとは限らない。
およそ、相手を人間、または、同じく尊重すべき命あるものと見做しては おらないから、残酷、凄惨を極めた仕打ちが できる。
『やまゆり園』事件も そうだった。
ここで、チラッと触れておくのだけれど、
あくまで私個人的には、『津久井やまゆり園』の事件後に建立された慰霊碑ね、あの、フェンス状の壁みたいなやつを見るたびに、なんか、いや~な感覚を もよおしてしまうので、この違和感と一種の嫌悪感は、いったい何から来るのだろうか、自分でも些か不可解で、以前から何度か、くだんの慰霊設備のデザイン・コンセプトなどについても検索したりしたのだが、当該自治体の首長の肝煎りでも あるという解説文を読めば、それなりに理解できないでは ないのだけれど、
まあ、関係各位に対して、とても失礼なことを言ってしまっているかもしれないとは思うけれども。
やっぱり、いまだに、画像を見た瞬間、反射的に もよおしてくる違和感と嫌悪感などは抑えきれないままでいる。
つまり、正直なところは、なぜ、こんな、、、という感覚が拭いきれないでいる。
そんなわけで、もしも、自分が、身内の一人だったら、あそこに、家族の名を記してもらうのは、避けたかもしれない。
いや、
この私も、植松の毒牙に狙われなかったはずとは言い切れない立場だ。
私自身、話しかけてるのに、反応が ない、無視したんだろ、と、よく咎められた障碍者なので。
でも、どうやら、私だけみたいね、くだんの慰霊施設について、こんなふうに感じているのは。
おそらく、私の感じかたがヘンなのだろう。
単なる部分的な感想でしかないし、ここまでに。
さて、
『参院』選挙も終わり、
良いのやら悪いのやら、なんとも心持ちが釈然とするような しないような、ケッタイな結果が出て、
もちろん、与党側の過半数割れは、やっとかめながら、じつに悦ばしいと思うのでは あるが、
ここぞシャアシャアと、ひらきなおった『日本会議』が出てきたw
『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』の敗因は、こうであるという決めつけを のたまっておるという内容の記事が、『時事通信』か『共同通信』かで見かけたのだが、
いつもは、あの『オウム真理教』の残党の如くに、幾つもの団体名を駆使しつつ、コソコソと目立たぬように小細工しておったようなのに(嗤) ふん、出てきおったわ、『日本会議』が(嗤(嗤)
んでな、
『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』の敗因は、オマエさんら『日本会議』が主張していることとはズレとるの。やっぱりな、だけどさw
これも、どこかの大手紙が分析していたようだけれど、『惨政党』を支持している中心的世代は、やっぱり!やっぱりな!の、40歳代を中心としたオッサン世代なのだそうなww
そのあたりが、いわゆる「ネトウヨ」世代だということは、とっくに知られていたわな。
『日本会議』さんよ。
日本の、いや、日本に限らないだろうが、一般の民衆・大衆という者は、古今東西、しょせんは、どこかアホで愚かなもんだが、それだけに、難しい思想やら、ややこしい理屈は、どーでもイイの。
やれ、「右」だ「左」だのは、どーーーでもイイのよw
古今東西、民衆の、常に変わらない関心事は、一に生活、二に経済、三も四も五も、自分とこの生活とカネまわりさえ まあまあ安泰なら、それで万事オッケーなの!ww
だから、おたくらがガッツ ポーズで、「だーかーら!言っただろうが!!」と、得意になって説いて見せた敗因とは、なんーの関係も ないのwww
それにしても、ダメだよね、
「ネトウヨ」と呼ばれている中心的世代の、そのあたり。
かの「団塊の世代」に対して、しら~っと眺めていた、うちらの世代よりも、もっとダメあほになってるわぃと実感するよ、まじで。
まあ、うちら世代から見たら、おおよそは、息子の世代に該当するようだから、なんとも複雑にして忸怩たる感じも募ってくるのだがな。
あほな倅を、どうすりゃええのかいな、、、
って感じだよ。
もっとも、私は、子どもを産んだことは ないけどね。
産まなくてヨカッタヨカッタ。
あほな倅を抱えるほど、しんどいものは ないだろうからなw
【続く】