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とりあえず、ひかりのくに
     
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2025.08.08 (Fri)

近年は、
「バブル世代がぁ~」とか、
「『日教組』に支配された左翼の教育でぇ~」とか、
ちょっと目を通したら、すぐに、

「あ、またコヤツら、世代が違うせいか、実際には、まったく知りもせずに、勝手な想像だけで決めつけてるな」

と思わせられるような無知蒙昧を喚くバカ造が著しく増えていると窺えるので、

「いったい、どこの誰から吹き込まれて、実態とは乖離した思い込みを、おのが脳みそに棲みつかせているのやら」

と、あらためて呆れてしまうことも多い。
なので、これで何度目になるのか、また言っておく。

 

まず、『日教組』と言えば、故アベシの、国会内での下品なヤジで、首相のヤジなど前代未聞だというので、時の議長だったかが慌てて制止していたことを思い出してしまうのだけど、

私が義務教育を施されていた時代は、まさに、「ヤフゴミん」あたりが常に罵倒しているような、「左の教育」花盛り!だったはずなんだわね。

ところがサ、
実態は、先日のエントリーでも指摘したように、中国など、アジアの各国へガンガン侵略していったことを、なぜか、ことごとく「進出」などという、さも人畜無害っぽいコトバに替えており、いかにもアッサリさらりと説明していたので、何の思想にカブレても いないし、批判精神など知りも しないし、勿論、戦争から遠く隔たった時代に生育した子どもの私でも、
「ヘンなの。。。emoji
と思わせられたということを回想して述べておいた。

 

教科書のことだけでは なかった。

当時でも、何かしらの校内行事が あれば、まずは、国旗掲揚、するすると揚がっていく『日の丸』を、じっと見上げていなくては ならなかった。いまでも同じように やってるのか どうか、子どもを通して知る機会が なかった私個人は、実際のところを知らないが。

そして、あの頃、「国歌」の位置付けには まだ、なっていなかったはずの『君が代』を歌わせられる場合も少なくなかった。

ちなみに、
小学校の低学年時分、『君が代』を初めて習ったとき、歌詞は意味不明だし、間延びしたような曲調で、なんとも陰気くさい感じが して、子どもには歌いにくいしで、

「ヘンな歌、、、emoji

と、困惑しながら思ったことを憶えているw

もっとも、おとなになってからは、オーケストラで交響曲の形式にして聴くぶんには、間延び感もカバーでき、うまいこと荘重さが醸し出されてきて、なかなか、悪くないと思うようになったけど。

でも、やっぱり、歌として歌いやすいものでは ないなと、いまでも思う。
単純に、自分では歌いたくないし、プロの歌い手によるものでさえ、あまり聴きたくは ないなあ、辛気くさいし、という感じだ。

 

で、

修学旅行もね、小学校では『伊勢神宮』へ、中学校では『皇居前広場』にも行きましたわよ。

 

いったい、これの どこが「左翼教育」やねん?ww

 

ただ、最後の「団塊の世代」に当たる兄なんかは、大学生時代、当時の『社会党』支持を明言していたり、『皇族』についても大いに批判的で、
「税金で良いもん食って贅沢しとる連中!」
などと罵倒していたものだったが、
まあ、たしかに、兄が教師になった あかつきには、思うさま、「左派」的な教育をば、おのれの生徒たちに施していたのかもしれないけど(苦笑)

少なくとも、兄たちの世代よりも もっと あとの世代である私らが受けさせられた教育に、「左派」的なるものは全くと言って過言でないほど、見当たるところは なかったし、そんなものなのかと、べつだんの疑問も持たずにいた あの頃を振り返ってみれば、むしろ、バリバリ「右派」寄りの影響下に あったのだなと、今さらにして思う。各市町村自治体にも よるのかも しれないが、私の学校時分から成人に至るまで、どちらかと言えば「左派」寄りの市長だったらしいし、それでも、これが実態だったのですよ。

 

 

また、いわゆる「バブル」時代についても、私自身、リアルタイムで経験した世代だけれども、あの時代ですら、ウハウハ笑いたくなるような気分の良い思いを味わえたのは、皆が皆では ないよ!っての。何度も言ってるけど。

 

ところで、

いつぞやにも述べたように、

【落とし穴】日本の養子制度

もとは、非常に富裕な実親の屋敷を生家として出生しておりながら、何の因果なのか、親父一人だけ、母方の実家筋へ、乳飲み子の年齢で養子に出されており、やがて勃発した開戦後、親父の生家の実兄たちは、若くして戦死。

本来なら、三男坊の親父に、実家の跡取りとして順番が回ってきても当然だったはずが、貧乏な養家では、たった一人の跡取り息子として育てられていたので、大阪市内の実家は、親父の弟が継いだ。

戦時中こそ、若くしてエリートの身分を誇っていたとは言え、戦後の親父は、だいぶ以前の過去エントリーでも述べたように、敗戦処理に携わっている最中、例の「掛け算」事件でw進駐軍の米兵と大喧嘩したりで、そこには いられなくなったという大番狂わせ。

一時は、地元の議員に選出されたことも あったらしいのだが、その後は結局、本来の実家が ある出生地で新規まき直しをと、千葉の片田舎の養家のものは、墓以外は全て、かなぐり捨てるようにして、大阪へ出た。

そして、姉の夫が経営していた会計事務所に入れてもらい、それまでは縁のなかったソロバンの扱いを覚えることから始まり、30歳にもなろうかという男が、小学生に混じって、そろばん塾に通ったそうな。

 

まあ、ある意味、もとの生家を思えば、とんだ貧乏くじを引かされたような立場だったとも言えるわけだが、

親父の実父(私から見て実祖父)という人は、技術官僚時代を経たのち、若くして海運会社を興していたものの、すでに病没しており、かつては、「御殿」と囃された屋敷も傾いていた。

そんな事情だったから、資産や財産などというものは、たった一坪の土地の そのまた部分すら所有しておらない。

なので、

このことも、いつぞやの過去エントリーで回想したように、

『大阪』の内とは言えど、片隅も片隅、言ってしまえば、「しがない」、ごく平凡な小規模農家でしかなかったものが、たまたま、先祖から受け継いで、ほそぼそと耕してきた田地田畑が、降って湧いたような土地・不動産ブームによって、まさに「成り金」農家が続出、それまでは、泥土に まみれていた農婦も、金ぴかアクセサリーを、じゃらじゃら纏い、鼻高々で歩いているようすを見かけた母が、「ダサい成金趣味まる出しで」と嘲笑していたという現象は、私の周囲でも実際に起きていたわけだ。

 

あとは、

たとえば、株式投資が、一般の人々の あいだでも、ブームになり始めていたのか、『NTT』株を買えたの買えなかったのと、職場の人の話題を、耳にしたことも憶えている。これも回想して述べたように、うちの親父なんかは、自分自身が、人さまの会社の経営を指導する職業でありながら、とある新興企業の株にチョイと手を出して、サッと引っ込めたという体たらくだったし、儲けどころか、少額で済んだものの、失敗したと言って、しょげていたものだ。

 

 

ところで、こういう記事が あった。

私は、すでに知っていた話なので、本文までジックリ読むのは、気が進まなかったのだが、

『戦後3日で、占領軍向けに設置された慰安所』

という『ヤフーニュース』の記事。これに対して、例によって「ヤフゴミ捨て場」では、

「自虐史観だー!」だの「当時は合法!」だの「日本だけじゃない!」などと、ヘリクツや知ったかの類、意味不明な言い訳めいた見苦しいコメントがワンサカあふれとるだろうなあと、それがウンザリゆえ、ふつうに読むのも、気が重くなってしまいがちなんだけれど、一つだけ、指摘しておく。

当時は合法だったという、ほぼ定番の言い訳についてだ。

「慰安婦」の人たちの事情も、いろいろだったわけで、初期のうちは、公的に募集を かけたりも して、主には、いわゆる「風俗」業界の、あるいは、家計の事情を背負った成人女性が構成していたにしても、あれよあれよと言う間に、もっともっと大ぜい必要だということになっていって、仕事の内容を騙されて、という人たちだけでなく、まだ子どもの年齢の少女たちも、無理やり連れ去られていったのね。

 

少なくとも、未成年の少女をば、「慰安婦」にすることが、『国際法』に違反してなかったか?と問わば、そりゃ、、、

もろに違反しとるに決まっとるわ!ばかたれが!!

 

で、

当該の記事に対するコメントで、ある投稿者が、概ね、このように述べているのを見かけた。

当時の日本政府が引き揚げ者を嫌がったのは事実。引き揚げてきた人たちに自治体も冷たかったのも事実。自ら望んで占領地へ出向いた人たちは除き、やむなく行った人、その地で産まれた人たちには過酷な仕打ち。帰ってきたら住む場所や仕事もなく、周囲からも冷たくされる。シベリア抑留されて命からがら帰国した人たちは共産主義のスパイ扱いを受けた人も多くいた。結局のところ人間は自分や自分の近親者さえ良ければ良く、同じ国の人間であってもいざとなったら何かしら理由をつけて突き放す

 

…うん、
私もね、広島や長崎の被爆者たちが、当時、陰に陽に差別を受けたのだという話を聞くたびに、差別した側の人たちだって、そもそも近所のとか隣町のとか同郷人といった身近な存在だったのであれば、要するに、立場を同じくしていた人どうしであるはずなのに、なぜ、そこに差別したりされたりといった構造が出来あがるのだろうかと、はなはだ怪訝に思っていた。

 

まあ、たとえば、白人種が、黄色人種を侮蔑したり、差別するのは、しごく単純に、

「だって、自分たちは、なんてったって白人だけど、アンタらは黄色なんだから!!」

っていう、ただ それだけ、みたいだけどさ()

ところが、

少なからぬ日本人ってのは、立場が弱い人、いわゆるマイノリティとか、社会的弱者とか障碍者などに対して、堂々と虐めるにせよ、あくまで口先では、もっともらしい理由を述べたてて、だから、いじめられても当然なのだ、いじめられるほうが悪いのだ、という、まずは、前以っての体裁らしきものをば つくっておこうとする姑息かつ小狡い傾向が ある(()

 

こういうことを、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』と、このなかの「右」系が、特に熱心に、やってきてるわな。とりわけ、安倍政権時代は、トドメを刺すかの如き仕上げぶりだった。

 

よりによって為政者が、よりによって自国民に対して やっちゃうって、言語道断の所業だよ。

だから、私は、『自民党』歴代政権のなかでも、安倍政権の罪深さ、断じて許すまじと思っているのである。

この怒りは、石破政権に対しても続いている。

しょせん、『自民党』は、弱い者いじめが大好きだ。

 

だが、

ま、そもそも、おおかたの日本人ってものが、本音では、しょせん、弱い者いじめが、単純に大好きなだけなんだろうと思ってるけどね、障碍を抱えて生きてきた私の見るところではw

 

【続く】

 

 

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