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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.02.12 (Tue)


結局、言うに事欠いてか、
「ネトウヨ」あるいは安倍支持者らが必死こいて言い募ってた、「悪夢の『民主党政権』」というセリフを、とうとう、アベシ自身でも言い出したぞw

ということは、
そもそも、誰が言わせていたセリフなのかということがハッキリしたような感じだね()

 

この糾弾だけでは もの足りなかったと見える。

おまえが国難!emoji



では、、、これでトドメだ。


 

あんたが悪夢!!emojiemoji

 

 
 
 

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Updated   
2019.02.09 (Sat)

『ビッグ イシュー』は、生活保護叩きに役立つ?

の続き。

 

それにしても、

『ビッグ イシュー』について検索かけてみたものの、
ほぼ全て、『ビッグ イシュー』本社のサイトがズラリ、
それ以外でも、『ビッグ イシュー』賛同的なものばかり。

日本では、こういう方面に無関心で無知な人が多いため、知名度も低いからなのかもしれないけれど、なんだか、ますます胡散臭さを感じてしまった。

 

 

常々指摘させてもらっているように、

『ヤフーコメント欄』は、有害性のほうが、だんぜん高い。

 

けれど、

「オーサー」つまり識者であるという衣装を着て、特別な登場ステージを設けた所へ出てきて、主張を展開する以上、

今回、藤田氏には、このたびのコメントを、よく振り返っていただき、今後は、このように甚だコトバ足りずというのか、軽薄な印象を持たざるを得ないような投稿は慎んでいただきたいと思った。

 

字数制限が ある場合は、特に慎重を期さなければ ならない。
ただでさえ読解力が低いうえに、無知蒙昧が大多数なのだから。

 

ここの常連投稿者の殆どは、自民党や、その政権、そこから旨みを得ているのであろうかと思わせるような連中が、

作話、

ナリスマシてデマゴギー、

複アカ、

「連打アプリ」、

ありとあらゆる不正手段でもって夥しい投稿を繰り返しているらしいことは、ちょっと見ていたら容易に察せられる。

しょせん、この程度のオツム、あさはかな精神性、それを実感させられるのが、『ヤフーコメント欄』の「ヤフゴミん」だ。

 

いちばん望ましいのは、
『ヤフー』側が、このコメント欄を廃止することなのだが、

なにしろ、「ページ ビュー」というカネ儲けの手段としての旨みの前には、社会的有害性なんぞ、気にもならないのだろう。
アキンドというものは、そうした根性ならではだ。

 

 

うちのブログも、基本的に、コメント欄を閉鎖し続けているけれど、

旧のブログでは、外部コメントを受け付けていて、
そのために、不愉快このうえない誹謗・中傷に晒され、
大変な労力を割き続けるハメになっていた。

 

それは、私が、コメント投稿者に対して、無責任に言わせっぱなしで放置せず、基本的には、可能なかぎり応じ続ける姿勢を貫いていたからでもあるが、

ハッキリ言って、生活妨害だ。

 

その多くの原因となったのは、当ブログのカテゴリー分けにも入れてある「カルト連」の問題。

 

 

やはり、『ヤフー』の経営者と同様に、もと在日朝鮮人が、あからさまなまでの『ヤフーのパクり方針で経営している、
そこの経営者自身の、胡散臭さ まる出しなスピリチュアル臭ふんぷんとした「伝説」を、NHKにまで協力してもらって華々しく宣伝していた某サイト。

そこで遭遇したのが、あの連中。

 

当時の私には皆目不明だったのだが、
いまでは、その正体をハッキリ指摘できる。

もちろん、いわゆる「ネト(バカ)ウヨ」たちであり、

あるいは また、

売れないモノ書き・作家あたりが、思想信条以前の、生活費のためなのか、バイト代わりに引き受けて量産したコメントを、ネットじゅうにバラマキ続けてもいる。

そりゃ、コメント量産は お得意でしょうよ、いちおう「作家」を名乗るほどなんだから。

ねっ、「芸名」J・A氏?w

他にもいるけどね。某大学の助教とか、某化学系企業の社員とか。

 

 

大企業たる『ヤフー』の運営、そして、孫さんに対しても言い続けているのは、

管理責任を全うできないのなら、コメント欄を設けるべきでないし、

それは、なにも「検閲」しろと言っているのでは なくて、

無責任で浅慮極まる投稿を垂れ流す場のまま、デマまでも放置するようなことでは、「自由な発言の場」なんどでは あり得ず、

あきらかに、かの『2ちゃんねる』同様、
社会的有害性を齎している場でしかない
ということだ。

 

これだから、カネ絡みでしか計算しない手合いはねえ。

 

 

さて、

生活保護制度を利用している場合は、働いて得た収入に、厳しい上限が設けられているのであるから、むしろ、生活保護制度を利用したうえで、たとえ数千円の低額しか得られなくても、「リハビリ」を兼ねてアルバイトに出るという かたちは、まあ、現行では合理的と言えるんだろうが、

それも、

きちんと栄養状態が満たされていて、生活の基本が回っていて、
そこからだ。やっと、外に出て、請け負った業務が人並みに遂行でき得るのは。

 

 

たかだか数千円の「自立」、それは、何を意味しているのだろうか。

 

「ホームレス」である人たちが、「身を入れたら」(???)生活保護と ほぼ同額の稼ぎになる、はず、という『ビッグ イシュー』側の主張は、どれほどの可能性と現実性が あると言えるのだろうか。

 

 

お役所の「障がい者雇用水増し」発覚と言い、

最賃から除外された治外法権的世界である「障がい者作業所」の問題と言い、

この『ビッグ イシュー』についても、

「自立」って何だ?

という根本考察が必要。

 

 

Updated   
2019.02.09 (Sat)

『ヤフゴミ』捨て場の「オーサー」さんの一人で、藤田なんとかいう人。

 

『ビッグ イシュー』という、もっぱら、いわゆる「ホームレス」と呼ばれる人たちを、雇用では ないらしいが販売員としていることで知られる雑誌が、最近、ロック バンド『クイーン』のボーカルだった故フレディ・マーキュリーを演じた俳優のインタービュー記事を前面に出している おかげか、久々の増刷となったという記事が あり、そこへ、くだんの藤田なんとかいう人が、「オーサー」として意見を投稿しておられるわけだが、

さて、

藤田さん、はたして『ビッグ イシュー』という「選択肢」は、生活保護利用のケースと同列に語れるようなものなんですかね?

 

 

私自身も、この雑誌を購入したことは ある。

初めて買ったのは、かれこれ十数年ほども前になるが、『梅田』の『阪急デパート』から少し歩いた大通り沿いの場所で、所用のため向かっている目的地についての道順を尋ねたいなあと思い始めたところに、
たまたま、売り手さんが、なるほど、立ちんぼ状態で、黙って辛抱強く、買い手が現れるのを待っているという感じだったので、
ああ、この雑誌ね、、、と1冊購入し、支払いながら、目的のビルの場所について尋ね、返答を もらって、また歩き始めた。

「きょうは、お天気も まずまずだし、過ごしやすい時季だからいいけど、真冬や真夏は大変だろうなあ」

「ああいう人たちって、入浴や着替えだけでも、普通に生活できてる場合と違って、何かと大変じゃないのかなあ」

と思いつつ。

 

帰途の電車内で、さっそく、なかみを読んでみたら、けっこう濃くて真面目な内容の記事が並んでいたので、良い印象は持っている。

 

けれども、

あれから時が流れ、障碍を抱える私自身も、やがて、各界福祉関係の人々と接したり、

(こういう分野においても、ほとんどは、畑違い出身のシロウトさんたちだ。私の知っている福祉業者も、補助金を水増し請求してる疑いが濃厚な所も あるし、また、その福祉業者自身が障碍者でありながら、同様の障碍者を見下したりする人もいる、いやらしい事情も見受けられるのが現実。)

障碍者の作業所を経験した いまにして振り返ると、

あの『ビッグ イシュー』の販売形態には、どこか、「障がい者作業所」の臭いと同じものが漂ってくるのを感じてしまう。

 

 

ところで、

過去、自分自身が、服役した経験を持つ、議員か何かの公人の立場に就いている人だったと記憶するが、その人は、「秘書給与」のことで有罪判決を受け、服役中に、
受刑者のなかの少なからぬ割合で、知的、精神、また「発達障がい」などの内部障がいを抱えている者たちが いることに気づいたということを言っていた。

このことを、「浮浪者」と呼ばれてしまうような、いわゆる「ホームレス」について考えるとき、同時に思い出すのである。

 

私が若い頃に、何かの記事や本で読んだには、

「浮浪者」や「ホームレス」自身、相手が誰であれ、権力筋とか公的機関であろうとも、自分の親や家族にすら、とにかく、「管理される」こと自体を、激しく厭うという姿勢を示す人たちが目立つそうだ。

 

だから、家を出る。

役所の手が伸びてくることを徹底的に嫌う。

したがって、生活保護制度を利用することも避ける。

 

「プライド」なんてことからでは ないと思う。

 

 

やはり、「浮浪者」「ホームレス」と呼ばれるような暮らしを せざるを得ない人たちには、一見しただけでは分かりにくい、知的や精神方面の問題を抱えているケースも多いだろうし、そのことは、とりもなおさず、思考の歪みや思い込みにも繋がっているだろうと察する。

 

「生活保護」という制度を、本当に「プライド」に云々と言っているのなら、それ自体が、是正を必要とする証左と言うべきだろう。

自分自身の思考力によっての情報選択や論理的構築の能力が乏しい知的や精神の障碍者は、不安定で、周囲からの通俗・俗悪的な価値感に つよく影響を受けて毒され易い傾向を持つのも現実だろう。

 

しかしながら、

生活保護制度にしても、また、選挙の投票制度にしても、あくまで「権利」なのであって、個人を強制できることでは ないとされている以上は、どうしようもない面も伴う。

 

 

浮浪者たちは、こうも言う。

「青カンはキツイよ~」

と。

そりゃあ そうだろう。

極度の暑さ寒さ、不衛生、栄養不良に晒され続ければ、健康状態は蝕まれていき、言い知れぬ不安と襲撃の危険を恐れつつでは、安眠も おぼつかない。精神状態も蝕まれていかないほうがフシギというものだ。

もともと、知能や精神方面の内部的障害などを潜めているケースが少なくないとしたら、当然だと思う。

 

 

「ヤフゴミん」の大多数は、社会的弱者らに対し、毎度のごとくに侮蔑や排斥意識を前面に押し出しているから、「ホームレス」側に対する非難も圧倒的よね。

だったら、

公園や公共施設といった社会のインフラを、自分たちの生活場所として勝手に(集団)占拠している問題について、どう考えるんだろうか。

 

 

近く『オリンピック・パラリンピック』という一大イベントが行われるに あたり、この、「ホームレス」たちのホームを撤去・排除する動きが勢いを増してくる。

 

私自身は、「ホームレス」についても、まあ、しかたないのね、という感覚のほうが まさっていて、どちらかと言えば大らかなほうのスタンスだし、「ホームレス」のテントなどを、役所が強制的に撤去することにも、非情さと反感のほうを感じてしまうのだが、

かと言って、

「浮浪者」には、個人的に、いささか厭な経験を させられたことも あるし(不衛生な思いを させられた出来事だった)

公的インフラを、普通に利用できないような事態までを よしとしようとは 思わない。

 

それでも、

「浮浪者」「ホームレス」といった人たち自体に対して、敵意や優越意識めいたものを持ったことは、いまだかつて ないんだけども。

 

 

【続く】

 

 

Updated   
2019.02.07 (Thu)

【続】千葉県野田市の小学4年生の事件についての続き。

 

子どもを連れて逃げることすら できなかった母親は、たしかに愚か極まる。

だいたい、「できちゃった婚」じゃないのかな?ここの夫婦も。

 

子どもを、支配欲なり依存のための、「繋ぎとめ」の道具に利用する男女も多いだろうと思う。うちの親も そうだった。

 

 

一度は、警察に相談に赴いたものの、そのときに どうすることもできなかったらしいということも、無力感を増加させたのだろう。それでも。

裸足で駆け込んでほしかった。近所にでも交番にでも役所にでも。

 

 

亭主に、娘の監視のため報告することに使っていたそうだから、スマホも持っていた、ということは、この母親を擁護する連中が言っていたような、「情報の全遮断状態に置かれて」というほどでもなかったわけだ。

 

 

子を守る本気度が足りなかったという責めは引き受けねばなるまい。

一個の おとなとして、子の親になった以上は。

まぎれもなく、第一の保護者たるべき者は、親なのだから。

 

 

しかしながら、その、親たる者が、真の意味での非力、無力で、どうしようもない出来なのであれば、これは もう、社会全体によって救済するしかないことだ。

 

ところが、その社会におけるシステムが機能していなかった。こんな事例が引きも切らぬ日本という国。

 

 

「事なかれ主義」「他人事」の感覚、表面と形式重視、本質的に、どこか無責任、傍観者的態度を賢いと見做す、これらの国民的体質は、

そう、
「祈ってくださる(おまえだけが祈っておれば よい!)
「大御心だ!」
「無私(でなければ ならぬ!おまえだけは!)」と、ただの一人に押しつけて澄ましかえっておれる日本の「象徴」システムと、けっして無関係では あるまい。

 

 

ま、私が常々言うように、相手の毒牙に ひっかかる夫婦は同レベル、
その典型的な事例が、また増えた。

 

ダメダメどうしだから ひっついたら最後、離れられないのよw

こんな親のとこに生まれてきたら、百年の不作ですわな。

子どもは ただただ迷惑千万。

 

産んでは みたものの、まともに育てられも しない、こんな親は少なくないのが、昔も今も実態なのだ。

 

 

実際、日本の社会でも、現行、子育て世帯が最優遇されているはずで、最も「搾取」されていると言えるのは、低所得の独身世帯だ。

なので、
その最優遇されている子育て世帯が、独身者から「独身税」を取れ!というバカな主張しているのを見るにつけ、オマエみたいなバカが子どもを持つから、世のなかが ますます歪むんだよ、と言いたくなってくる。

 

富裕層しかり、子育て家庭しかり、社会的インフラを最も、フル活用できているのだから、なにを被害妄想的なことを言い募ってるのやら。。。()

 

 

これも、私が常々言うように、誰しも、最も可愛い、守りたいのは、自分の身である。このことは、否応もない本能的なことだ。

その「守りたい自分」のうちに、ほとんどの場合は、自分の子どもも入れているだろうから、難しい、複雑なことでは ある。

だが しかし、それも、ある程度の余裕が、あらゆる面で確保されていればの話。

先日来のエントリーで紹介してきた、猿の社会を見ていても、よく分かる。

 

 

子を虐待する者の根底に潜んでいるであろう意識、「子は、親の私物」的な感覚を捨てさせるには、子どもは社会資産であり(したがって、これを毀損した場合、社会全体の損害を齎したと見做すことになる)、希望への投資対象であり、掛け替えのない宝として育てる、という意識を共有していくしかない。

 

 

うちの母親は、自分の親への深い恨みもあって、

「子どもは、親の私物じゃない」と、口先では頻りに主張していた。

ところが、

じゃあ、翻って、自分自身の行いは どうなのか?

と問うと、

自分は言行一致だ!と、無自覚と両立させた自信マンマン。

脳に異常が あっただけのことは あるよw

自分のカラダとは言え、コントロールできないもんね、
とりわけ、脳の異常は。

 

このように、

どこまでいっても自分棚上げ、自分が最も可愛く、守りたいものなの。
また、そういう者ほど、良いほうへ回るものなの。

 

(むろんのこと、脳も含めた)肉体を持つゆえの煩悩、悲哀に ほかならない。
この世の摂理です。

 

 

実際に虐待を見知っていてさえも、

勢い強く、自分棚上げの主張を展開して恥じない者のほうに靡き、

被害を被っていた者については、たとえ満身創痍状態であろうとも、

とりあえずは、いちおう、まだ、そこで生きてるじゃないか、ならば、それほど大したことでは なかったのだろう、

で済ませてしまう。

 

だから、殺されるなり、自殺するまで、気づいては もらえないし、

いったんは分かってもらえても、すぐに忘却される。

それが、第三者、他人事の精神ゆえ。

 

今回の事件でも、あとからあとから明るみに出る実態に窺えるように、

虐待被害者は、あんなこと、こんなこと、
生きていくうえで、しかたなく、記憶の片隅に追いやり、忘れかけていたことも、キッカケさえ あれば、いくらでも思い出すよ。

でも、思い出せば、そのたびに、エネルギーを多大に消耗するし、
がんばって言えば言うほど、鬱陶しがられるから、口を噤んでしまう。
そうして、やがて ほんとうに、澱のように、手を伸ばしても掴み出せない底のほうへ沈殿していってしまう。


 

 

ところで、

私が、こんな事情を知っていたら、
ましてや近所に住んでる者なら、知らん顔や放置は できない。

事情を知っていたという、この近所の人たちの気が知れないと呆れたのは、

こないだ、静岡県の どこかで、ガスも電気も止められ、焚火で しのごうとしていた家から火事を出し、そこの住人の高齢者が死亡したのみならず、近所の何軒かも、もらい火したというニュースが あったね。

 

よくまあ、放っておけたもんだわな。。。

そりゃ、もらい火するだろうよ。

 

 

Updated   
2019.02.07 (Thu)

千葉県野田市の小学4年生の事件についての続き。

 

少なくとも人並みの家庭で育ち、人並みに順調に学校を出て、公務員にでもなった人たちは、概ね、深刻な苦労は、あまり していないからこそ、まずまず順調な来歴で やってこれたことだろうし、

それだけに、異様なほどの家庭環境その内部の闇とか、異常なほどの心理を持つ人間の、浅ましさ剥き出しの姿というものは、おいそれと想像できないだろうと察する。

 

うちの場合はね、むしろ、母親のほうが、もの凄く気性が激しかった。

本当の内面は、そうでは なかった、子どもの頃から言い知れぬ寂しさを押し込めて生きていたのだということに、私も、本人の死後になってから、察しが ついたのだけれど。

 

学校時分は、母親も父親も、せっかくの好成績だったのに、それぞれの実家の親の身勝手ゆえ、進学を阻止されて、低学歴だったが、
もともと、「無能」ではない。

なにしろ、母親は、しろうとながら、得意の料理の腕を生かして、自分の店を経営していたくらいだ。

 

それだけに、猛烈に口も達者で、人に取り入るようなことも得意だが、
同時に、敵に回すと、そりゃあもう、舌鋒鋭いなんてレベルじゃない。
「唇からナイフ」てな感じw

だから、手が出るんだ!と、激昂する親父の言い分。

 

ちょっと黙ってて!!と、あいだに入った私が諌めても、機関銃のような口が止まらない、そんな母親を庇って、身代わり状態で、親父にボコられていた私の場合よりも、もっともっと深刻な状態だった人々も、世のなかには いるわけだけれど、

自分自身の身をもって経験したことが、多少なりに あると ないとでは、想像力の幅が全然、違うのだろう。

 

これは、一般的に、公務員といった職業の人たちだけでは なく、
要するに、家庭や生育上の環境における特段の問題や躓きを経験することなく、順調に年齢を重ねてこれた人たち全般に共通で、その方面の想像力が希薄であること。

したがって、暴力や暴力的な人間に対しても、けっして慣れては いないだろう。

だから、
こうした事態に直面すると、たちまち、震えあがって、思考停止よろしく、反射的なまでに ひれ伏してしまう。

 

割合としては、ごく僅かであるにも かかわらず、昨今、頻りにブチあげられる「生活保護の不正受給」云々という話題だって同様で、昔から、多くは暴力団関係者に屈してしまうからだという話は知られていた。

 

いまや、その公務員が、不正受給を はたらいていた事件が幾つも世に出るしまつ。

 

強い者には弱く、弱い者には強く。。。

 

言っとくけど、

ほんとうに、「あすは我が身」の時代に入ったんだよ?

老後の年金の受取額が心細い向きは特にだ。特に、いま若い層に入る人。

年金だけでは生活していけない場合、不足分を生活保護で補填してもらう方法は ある。役所は、積極的な周知は決してしないけどねw

そのような状況に、自分自身が直面したとき、

安倍政権による、ただ今 絶賛削減中の生活保護、そして障碍者、高齢者、あらゆる弱者をバッシングする投稿を繰り返してきたものの、ふと、気づけば、すっかり老齢になっている自分。
からだは自由が利かず、いま現在とは違って、やがて減少を始めた高齢層の一員に、知らず知らず加わって、どんどん無力になっていた自分。

過去に、ネットで、愚かな投稿を繰り返していた自分を嘆く日が遠からず来ることだろう。

 

 

ちなみに、

先日の当ブログ エントリー内で述べてある「異常なほどに仕事できない『健常者』は、カクレ精神的問題者だった」、つまりは異常なほどの自己保身者である当人自身の家庭環境には特に問題なく、ご両親は、出来が悪すぎる娘の将来を案じ、いろいろと手立てを講じてこられた、真面目で優しい親だ。

うちの親みたいに、軽からぬ障碍を抱えて苦労している娘を、他人事のように無関心で、最後まで無視しきった無責任とは全く違う。

 

にもかかわらず、

当人は、かなりのヒネクレ者だったし、親しくなって、私の家庭環境のことを知ったとき、

「あんたとこの家って、なんで そんなんなの?」

と、嘲笑の表情をハッキリと浮かべて見下してきた。

そういうこともあって、私は、彼女の正体を見極め、見限ったのだけど。

 

 

なお ちなみに、

実家の兄は腹違いで、私とは、年齢も立場も心理も大きく異なっていた面は あるけれど、もちろん、お互い、同じ父親の子として、同じ屋根の下で生活した時代が あったわけだから、家庭環境が劣悪だったことは知り尽くしている。

だが、
うちの母親も、親父とは また違った意味での、たいへんな見栄っ張りだったから、その見栄っ張りを、あたかも正義に見せかけて、兄の尻を徹底的に叩き、なかば強引に、教職公務員のレールに乗せた。

 

まあ、それ自体は、あの兄の性格から言って、とうてい、民間の企業向きでは なかったし、ちょっと普通では ないような偏った気質も見受けられたから(しかも、知能指数も高くは なかった。私のIQよりも、ずーっと下)、公務員のように、簡単には辞めさせられない、堅い職業に就けておくのは、親として希求する安心でも あった。

 

たしかに、おかげで、兄は、私の何倍も、安定した良い生活を手にしていた。

近場に住みながら、鬱陶しい親の介護も、一切、関わろうとしなかった。

 

しかし、いつの間にか、鬱病になっていたそうで、やがて自殺してしまった。

私の母親の、凄まじい「教育ママゴン」ぶりも、結局は水の泡と終わった。

 

 

精神医学やら心理学方面のセンセイがたが、いっしょうけんめい説いてきたことが功を奏してか、そのへんのドしろうとたちも、喧伝に これ努めるようになった近頃だが、

「虐待の連鎖」ということも、
該当する場合のほうが多いのだろうなとは思うけれど、必ず当てはまるわけでは ないよ。本人の資質によって左右されることも少なくないだろう。

 

 

こないだは、久しぶりに、心理学の碓井先生のコメントを見かけたが、

「思い悩まない親」は要注意とかいう内容の指摘、これは確かなことだと思う。

 

うちの親も、何から来る自信なのか知らないが、ものすんごい確信的な言動を押し出してくる親だった。

なので、

「信念!」「信念が大事」と、やたら主張する人は、私にとっては鬱陶しい人種w

 

これも、私は早くから気づいていたことだが、

異様な自信マンマンで押しまくる、「勢い」が強過ぎる人ってのは、世間でも一目置かれていたりすることも多いだろうけど、

ずばり言わせてもらうと、一種の精神異常者です。
一歩違えば犯罪者タイプ。

かかわると、とんでもなく しんどい思いさせられるぞ。

見た感じは、頭の回転が速いシッカリ者としか見えないから、タチが悪い。

 

今回の事件の加害者である父親も、その やりくちは、まさに、「自己愛性人格障害」を思わせる。

 

 

「異様なほど、腰が低かった」とか外面が良い、といった指摘が、友人や知人のあいだから出ているそうだが、うちの両親にも、当てはまっていた。

その反面、

ひとたび、相手を「敵」と見做したとたん、猛烈な反撃に出るけどね。

ただし、あくまでも、自分のほうが立場が強い、と思えるかぎりで、だけどw

 

 

まあ、「腰が低すぎる」というのは、とりもなおさず、自分自身の内面に、常々、敵意や不安が潜んでいるからこそ、やたら用心深くしていることの一環なのかもしれないし、

外面を良くし続けていたら、ストレスも溜まるんだろう。

 

私なんかでも、親ですらも含めた他者の敵意や悪意に晒されることは、これまでの人生で、いくらでも あったけど、
そこまで、そこまで徹底できないや。。。

 

つまるところは、「自己投影」なんです。

 

うちの母親は、私が幼いうちから、
「おまえは妬まれやすい」
と、何かにつけて言ってたけど、私は、なんで、そういうことをワザワザ言って寄こすのか、わからなかった。

おせじにも人並みとは言い難い、家庭環境にせよ、障碍にせよ、ねたまれるどころか、バカにされるネタのほうが、ずっと多いのだからね。

 

要するに、うちの母親が、自分自身が、娘である私を妬んでたってことだ。

いまにして思うと、「呪い」のコトバだわな、あれは。

 

そんな私は、深刻な持病の多かった母親を、親父の暴力から庇い、その分、自分が殴られていたが、そのほうが、まだしも精神的に耐えられたからだ。

 

 

それにしても、

私は、いまのところ、まだ詳しい情報に接していないのだが、

いったい、この事件の被害者である実の娘の何が、父親らは、そこまで憎かったのだろうか。

 

「しつけだったのだから、悪いことは していない」と言い張っているそうだが、その「しつけ」とやらを必要とした理由って、どれほどのものだったというのか。

 

 

くだんの事件の少女の母親は、自分の娘を直接的に虐待していたという事例は、それほど多くなさそうだし、もともと、娘のことを、どうでもいいと思っていたのでもないだろう。

むしろ逆では なかろうか、と私は思っていたのだが。

というのは、

大事に、大切に思っているものが、酷いめに遭わされ、壊されていく。
それを目撃しても、どうすることもできない非力な、非力な自分。

こうなると、見たくないからこそ、眼を背けるばかりで、徐々に無気力に陥ってしまうのだ。

 

それどころか、

やられっぱなしである娘、そして、不甲斐ない自分自身も、みょうな憎悪の対象になってしまうという、非常に複雑怪奇で、自暴自棄的な心理にさえ陥る。

これは怖ろしい事態である。

少しでも免れるためには、正気を保ち、諦めずに抵抗し続け、闘い続けるしかないのだ。

それが できなくなった時点で、終わってしまう。

 

【続く】