2019.06.11 (Tue)
『【続】「メンタル弱い系」?』の続き。
『練馬』の、もと高官だった父親に殺された息子は、
「こんな人生に誰が した!!」
なんて喚いていたらしいが、
私に言わせれば、
けっして「不幸自慢」するつもりじゃないけども、やっぱり、
「まずは障碍や病気が ないだけでも、どんだけ生きやすいことか。その上、カネにも不自由してないのに、甘ったれんなー!!」
と言いたくなってしまうよ
『川崎』での事件のほうは、犯人が子ども時分、よその家のなかに勝手に入り込んだりと、多少の特異な傾向が見られたというから、赤の他人である近所の住人までもが、「あそこの家の居候」呼ばわりして嫌悪していたことの原因になったのかもしれない。
私の幼なじみの一人は、やはり、隣家の留守中に、無断で上がり込み、勝手 気ままに、そのへんの物を探ったり、置いてあった果物を食べてしまったりしたことが あった。
実は、私が、その子の嘘に騙されて、加担した かたちになってしまい、真相を知った親が仰天し、お詫びの品を持参して、そこの家の人に謝りに行った出来事だった。
私は騙されて、という事情だったためか、その家の人は、「子どものしたことですから、ましてや、おたくの○○ちゃんは、何も知らなかったんですから」と、鷹揚に済ませてくれたそうで、ふだんはヒステリックなほどガミガミ言う親が、このときは、さほど怒らなかったと憶えているのだが、
さすがに、幼なじみのほうでは、いつも穏やかで優しい おとうさんが激怒したらしい。
私んとこの家のなかにおいても、親らが留守だと知ると、必ずのように、タンスやら何やら、扉という扉、引出しという引出しを開けて、なかの物を探りたがる。
なので、親が帰宅して驚き、私を問いただすと、毎度、その子が原因なので、呆れかえっていたし、私自身も叱られた。
その幼なじみは、もともと、問題の ある子だった。
まず、やたらと嘘が多い。
また、私みたいな、ハッキリ言って、おせじにも「恵まれ」てないはずの者に対してまで、むやみと ねたむ。
いま思い出したのだが、
中学時代、うちへ遊びに来たクラスメートに、母親が、そのへんに無造作に置いてあった財布から、いつの間にか、高額の札を抜き取られていたことも あった。
で、その お金で、他の友人たちと共に、近所の店へ繰り出し、思い思いに軽食を おごってもらっていたことが、あとになって判明した。
もっとも、母が気づいたときは、すでに「あとの祭り」、指摘されて初めて、私にも、その子の不審な行動に思い当たったのだが、もはや、確定するのは不可能だったこともあり、敢えて、とくには何も せずに済ませておいたと記憶している。
しかも、
どういう神経なのか、あのとき、われわれが、店内で注文してるあいだ、その子は、うちで盗んでいたと思しき お札を取り出し、ヒラヒラと、得意げに見せびらかしてのけたのだ。
友人たちと、「あっ、いーなあ、お金持ち~」と囃しつつ、ワイワイ食事してしまった無邪気な自分たちにも、われながら呆れてしまった。
そのクラスメートも、くだんの幼なじみも、表面は、いたって愛想が良すぎるほど良いのだが、
のちに、卒業アルバム等を見ながら振り返ると、なんだか得体の知れない「闇」を持っているかと思わせるような、なんとも不自然な眼つきを していながらも、殊更に媚びた感じの笑みを浮かべているところが、両者とも共通していた。
でも、こういうところでは逆に、「問題児」のなかでも、二手に分かれるのかもしれない。
中学生となると、そもそも、女子のほうが幾分かはオマセだからなのか、なんとなく、ふてぶてしさのような雰囲気を、すでに漂わせていたりする子も出てくるwかと思えば、
男子の場合、やはり、まだ子どもっぽさが残っていて、みょうに寂しげに見えたり、融通の利かないクソ真面目そうに見えたりする子が多いように見受ける。
ところで、
その幼なじみの、たった一人の妹には、それほどの問題も なく、いたって おとなしい子だった。
いま思うと、姉である幼なじみは、その母親である おばさんに似ていて、妹のほうは、のちに離婚した おじさんのほうに似ていたように思う。
おじさんは、ある有名どころの老舗にて料理長を務めている、子煩悩で真面目なタイプだったので、幼なじみの母親である おばさんと離婚して、他の女性と再婚し、その女性の連れ子ともども一緒に暮らすことにしたと聞いたときは、子ども心にも驚いた。
それも切っ掛けになったのか、
年齢を重ねるにつれ、幼なじみの嘘は、回りくどく、間接的になった分、ますます悪質化していった。
その反面、勉強のほうは、意外に頑張っていて、そこそこ優等生になっていた。
どうやら、その母親から受け継いだらしい、彼女の嘘の特徴は、人と人のあいだを引き裂くような内容が多いことだった。
これは、うちの母親も、そういう嘘の傾向を持っていたことに気づくまで、そうとうの時間を要した。
もちろん、幼い頃から、そばで見てきた私は、その子なりに、また、うちの母なりに、ある面で傷つきやすく、繊細と言っていいような良い面もあることは知っている。
そして また、うちの母親も指摘していたことだが、おばさん、すなわち、幼なじみの母親の人間性に、何か引っかかる、どこか信用に値しないと思わせるものが あるのは、にぶい子どもの私でも、ずっと感じていた。
もちろん、世のなかの母親のせいにばかりしては いけないだろうが、
そうは言っても、やはり、母子関係というのは、父親との関係以上に密接ならざるを得ないゆえ、影響力も、より大きい場合が多いように思う。
特に男の子の場合、屈折度を深めてしまうのかもしれない。
おそらく、『練馬』のほうの事件では、高位の官僚たる父親は、典型的な「仕事一筋」タイプで、家のなかのことは一切、奥さんに任せきっていたのだろうか。そう せざるを得なかったのだろう。
どうも、報じられている生前の息子の言動を読んでも、やっぱり、ここの家でも、「母子関係」の問題が深刻だったようだ。
うちの親ですら、私が若いうちは、いたって分かりやすい暴力性ゆえ、もっぱら父親のほうを嫌悪・憎悪し、殺意まで覚えるほどだった、その分までも、母親を可哀そうに思い、庇い、信用していたわけだが、そんな私も このトシに至って、やっと、気が ついてきたわけで。
つまりは、母親のほうが、むしろ、よりタチの悪い者だったということに。
本人自身は常に自分を最大限に正当化し、どんだけ苦労している立場であるか、ということをアピールし続けていた。
したがって、自覚は なかったようにも見えるけれど、
あれほど精いっぱいのアピールに努めていたところを思うと、やっぱり、内奥では、罪の意識を押し込めていたんだろう。
特に、親父と一緒になるためには、あたかも賭けのように産み落とすことが必要だった、私という娘に対する支配欲と依存心、恐れと軽侮が入り混じる、異様に屈折した感情。
ほんものの「悪女」の要素を内深く持っていて、外見は大した美女だったが、父に対しては、まさに「深情け」ってやつでw私にとっては「毒親」で あったというのが結論とせざるを得ない。
…
障碍かかえてたら、イジメなんかは、どこへ行っても、社会に出てからも、多かれ少なかれ、どうしても経験する。
あれほどまでの凄惨な事件になる主要な原因を考えると、やっぱり、親や養育者を始めとした生育環境が第一に疑われるのは当然なのだろうが、
それでも、そういう辛さを経験しながらも、ほとんどの人は、こんな犯罪に及ぼうとは思わないだろうし、他者のためのみならず、自分のためにも、一線の手前で踏みとどまっていると思う。それが、本当の「自分可愛さ」を含む理性というものだし、過去が辛ければ辛いほどに、もう これ以上の惨めな思いを、よりによって、みずから重ねる愚は防ぎたいものだ。
それが、あれらの事件では、そうは いかなかった。
息子殺しの父親が、いかに「父親不在」の「機能不全」的家庭にしてしまっていたとしても、
息子の遺した言動からは、母親の普段の言動のほうが透けて見えてくるような感じが する。もちろん、良かれと願ってのことだったのだろう。
「育てたように、子は育つ」とも言われる。
まあ、どちらの事件も、犯人は自殺し、息子は殺されて、本人の口からは何も聞けない。
残された親族側の言い分しか聞けないわけだからね。
私だって、子どもの頃から試した自殺を果たせていたら、以後、親らは、自分らに つごうのいい役回りだけを演じ続け、すべてを、ひとえに私の欠陥ゆえということで かたづけただろうと思う。
『川崎』の事件の犯人は、近所の人にまでも疎まれていたらしい事情を知れば、やはり、こちらも何らかの『発達障碍』的な傾向を感じる。
それでも なお、こんな悲惨な事件まで起こさなくても済んだのでは ないかという疑問は消えない。
2019.06.10 (Mon)
『「メンタル弱い系」?』の続き。
ついでに、
最近、かつての『(大阪教育大学附属)池田小』事件を彷彿とさせるような、ある学園の児童・生徒を狙っての動機から犯行に及んだと思しき、「無差別・通り魔」的事件が起きて、それから引き続きの如くに、そういう事態を恐れてと言い訳しているらしい、もと高位の官僚だった者が、自分の息子を殺害したという事件が『練馬』で起きた。
『川崎』も『練馬』も、個人的に、身内の縁や何かで、多少の なじみが あった所なので、ほんとうに、物騒な時代になったという感じが した。
ごく若かった頃のことでは あるが、こっちがヤラレる前にヤッテしまおうかと思っていた時期が、私にも あったので、一つ屋根の下で暮らす家族のなかに、どうにも手に負えない凶暴な者が居ると、おちおち、夜も安眠できないという情況を経験してきており、心身ともに持て余してしまうことは実感として理解できないでもない。
そういうわけも あり、こうした事件について、このブログで取りあげ、意見など書き記すのは、とても、気持ちが重たくなるので、つい、避けてしまいたくなるのだが、それは さて置き、
まず思ったのは、
『練馬』で起きた、もと高官だった父親の息子殺しで、これほど社会的にはエリートそのものな立場だった人に、こんな事態へ至るまでも、相談する相手の一人も いなかったのか?という驚き。これは、他の人も指摘していたようだが、息子だけじゃなく、親のほうも、社会的に孤立していて、かつ、エリートならではのミエが あったためではないかという。
私自身は、人の子の親になったことがないので、基本的には、子としての立場からしか言えないのだが、
自分にボコボコ殴られる親の姿なんて、本心では、見たくもない。
親を、他者を殴る、殺すのは、自分自身を殴り、殺しているんです。
ある意味で最も冷酷だった母親に対してさえ、親父に殴られたり、タバコの火を押しつけられたりするのを見るくらいなら、自分が やられるほうが、気分的にはマシだった。
母親のほうは、けっして、そこまで、私を思ってくれてなかったみたいだけど。。。w
うちは、親子が逆転してるみたいなところが あったので。
自分が殴られる恐怖と痛みは、私も、親父にサンザン味わわされたけれど、
じゃあ、殺したろうかと思った時期もあるほど、にっくき親父を、死ぬかなというまで殴り倒してスッキリできるかと自問すれば、けっして、そうでは ない。
ああ、この自分に殴り倒されている親。。。なんとも言えない、なさけない思いが するものよ。
皮肉なことに、強圧的だった親ほど。
実際に、自分が実行したわけじゃないけど。
そして また、
ついに、親に見離され、殺される子どもの絶望というものも、筆舌で表現しきれない悲哀だ。
これは、私自身の実感からの、つよい疑問なのだが、
はっきり言わせてもらえば、
何らかの障碍とか心身の明らかな不調を抱えているわけでもないのに、人並み程度にも働きに出られないというのは、いったい、どうして、どういうことなのかなとは思っていた。
しかも、家庭内で、家族のために確かに役立っているというわけでもない場合。
特に、男性の場合に目立つのは、やっぱり、仕事して、稼いでいないと、そうとう鬱屈するみたいだなと。
家庭を持ち、子どもが いて、虐待して死なせてしまい、逮捕されたというパターンでも、無職の父親だった、と言うケースは多いのかと感じられるほど、目につく。
高校時代のクラスメートでもあった幼なじみが、
この子は典型的な「アーパー」タイプだったけどwおとうさんは、私も見たことが あるのだが、キツイ肉体労働の工場勤めで、とても真面目な人だった。
あるとき、何の話でか、その子が、
「男は、働いてナンボや!」
と言い放ったのを思い出す昨今。
で、その発言の主は、若くして結婚した。商売人の息子で、高校生時代から つきあってたという同い年の、よく つり合ってナンパな同類男と(笑)
世のなか、大いに稼いだら稼いだで、たちまち「女遊び」なんかを始めるのは、男性の定番みたいだし、自分自身の甲斐性でなくても、とにかく、自分が使えるカネが手もとに ありさえすれば、放蕩三昧になるケースを よく見聞きするけれど。
もちろん、健康面の問題および金銭の不自由なければ、稼ぎに出ることは しなくても、ふつうは、旅行なりの遊びや趣味には精出すだろう。
両事件とも、親が裕福であるとか遺産とかで、家庭内の軋轢は あれど、経済的には恵まれていたらしい。
ところが、
『川崎』の事件のほうの犯人は、親に殺められた息子と違って、パソコンもスマホも所持しておらず、部屋にはテレビくらいしかなかったそうな。
よくまあ、大の男が、毎日退屈もせずに?と思う。
これらは まさに「小人閑居して」云々じゃないのかしら?
だいたい、とんでもない暴力や犯罪を実行する者は、それだけのエネルギーを持っているに違いないのだから、長年にわたって年がら年じゅう、ひまと体力を持て余すような生活ぶりでは、発散しきれずに、ヘンなものが溜まってくるだろうよと思う。特に男性は。
まず、私個人的に、何よりも理解できないなあと感じたのは、
それほどまで厭な家に、なぜ、居座ったり、自分から帰って来るのか?
ってこと。
私なんかは、実家に居た頃、障碍のせいで、なかなか就職がスムーズにいき難かったし、将来の不安も大きいから、早く、親元を出たいと思いつつ、幼い時分から ずっと、酒乱の父親から、母親を庇ってきたこともあって、なかなか、親もとを出るのに時間を要したが、その間、当の母親には、
「家が居心地良いから、出て行かないんだろう、おまえは」
と、さんざん、イヤミを言われ続けたよ。
ましてや、黙って小遣いを添えて置いてくれるだのは ありえないし、食事も作ってくれないよ。
だから、そのままジッとしてたら、ますます、身動き とれなくなっていく。
やっとの思いで、一人暮らしを始めたら始めたで、そのときは母親も協力してくれたものの、今度は、親を見捨てて出て行った、みたいに言われたし。
働いて働いて、病院にも行けず、トコトン体調を崩した末に、手術を要する病気になったときでも、実家に帰りたいとは微塵も思わなかった。
もし、再び、親と一緒に暮らさなければならなくなったとしたら、今度こそ死んだほうがマシだと思ってた。
さすがの母親も、意外とアンタ、根性あるなあ、と感心していたほどだ。
この頃になると、親に対して憎悪というよりも、遠縁の親戚程度か、他人みたいに、深入りせずに済む関係になれたら いいのにというのが本音だった。
結局は、入院・手術を機に、実家の近くに戻ったけど、そのうちに、母親が いよいよ頻繁に入・退院を繰り返す状態になり、それにつれて、頭のほうも、ますます おかしくなってきて、
あるとき、近所のスーパーマーケットへ買い物に出て、帰って来たら、
電話の呼び出しが けたたましい。
ほんの30分ほどのあいだに、何度も何度も かけ直していたらしく、
受話器を取ったとたん、
「どこへ出かけてたんや!!こっちの用事が あるのに!!!」
と、大音声。
食料が尽きてきたから、そこのスーパーへ、ちょっと買い物、、、と言っても、大声で、
「とにかく電話を すぐ取れ!!!」
の一点張り。
ほんとうに、目の前が暗くなって、窒息感を覚えたよ。
これから、こういう生活になるのか。。。と。
まじで、死んだほうがマシだと思ったわ。
いま思い出しても、ゾッとする。
とうとう、隠そうともせず、依存心を剥き出しに、私を全力で縛りつけようと かかってきた親たち。
ここに至って、私の障碍を敢えて知らん顔し続けたことの効果が表れたわけ。
うちの母親は、なるほど、たいした策略・計略家だったw
「親に勝てると思うな!!」と叫んだ意味。
だから、『川崎』の事件では、「居候」と呼ばれつつ、育ててもらって、せわになったんだからと、老いた伯父さん夫婦の介護を、もしや、一人で担わされていたんじゃあるまいか?と、最初は推測した。
ほんとうに厭だったら、とてもじゃないがガマンできないよ。親と言えども、顔を見るだけでストレスだし、極力、かかわりたくないもん。
金銭の不自由もないのに、すごく厭な家から出て行かないとか、
わざわざ自分から舞い戻ってきた、ということの心理が、どうも よく理解できないのよ、私には。
やっぱり、これは間違いなく「甘え」の一種なんだろうと思える。
【続く】
2019.06.10 (Mon)
『言っても聞かない相手は「アリの一穴」で誘導せよ』6/10(月) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190610-00056566-jbpressz-bus_all
『子供を殺した元事務次官に「正義」は全くない』6/10(月) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190610-00056656-jbpressz-soci
上掲の記事、続けて読んだら、なかなか興味深いものが あるよ。
特に、『言っても聞かない相手は』のほう、けっこうオモシロく読めた。
この筆者の奥さまが、「人間と微生物を一緒にしないで」と おっしゃったというのも、一理は あることだと思う。
微生物は、ごくシンプルな摂理に否応もなく従っているだろうけど、人間の場合は多かれ少なかれ複雑な思考を働かせてのことが殆どだろうから。
一言で言ってしまうと、自分自身にとっての「メリット」、利害如何なんだろうね。そこには、「価値観」というものも、人間には密接に絡んでくる。
価値観が根本的から異なる相手だと、いくら話し合っても、平行線のままに終わりがち。
それどころか、お互いに侮蔑し合ったままだったり。
特に、ふだんは、わりと立派なことを言ってのけているにもかかわらず、いざとなると自分一個の分かりやすい利益を最優先する本性の者ほど、いわゆるゴチゴチ石頭に豹変する場面は多いと実感している。私個人的に、うちの親が特に、そういうタイプだったから。
要は、自分のメンツ、立場、支配的な それが脅かされるとなったときに、顕著に現れるという特徴が あった。
そして、言い及ぶのは、「勝ち負け」。
親子のあいだでも、「勝ち負け」に拘る。
自分一個の、または、自分側の「勝ち」が至上の価値と思いこんでいたら、そりゃあ、「汚い手」を使うことなんか、平気でしょう。
平気どころか、「汚い手」を駆使できることに、誇りすら感じているでしょうよ。
「陥れられたほうがバカで悪いんだ」と。
あるコメント投稿者さんが言っているような「正しいコミュニケーション」もクソもないのよw
ああいう手合いは、あくまで自己利益と合致していると判断したら、それこそ「ベタ甘」も演じるけど、
ひとたび、自己利益に反すると感じたら、たちまち、手のひら返し、相手を「裏切者」として徹底的に罵倒し、攻撃・排斥しにかかるよ。
おそらく『自己愛性人格障害』なんだろうな。
ま、筆者さん提唱するところの、「そうぜざるを得ない状況に もっていく」と言ったって、それこそ微生物みたいに、大自然の摂理に従ってるだけというのでなければ、人間の場合は大概、いまどきで言う「ブラック企業」だの、手っ取り早く「パワハラ」的になりがちでしょう。
あるいは、「現人神」だの、
どこぞのシュショーみたく、「森羅万象すべてを担当!」とかさ(嗤)
と言うか、それ以前に、
「そうしなければ ならない」とは、本質的に どういうことなのか、
を見通し、見極めなければ ならないわけで、
よっぽど勘の鋭い人でないと、それがパッパッと判断できるとは限らないわな。
目先の程度で済むことなら、わりと素早く判断を下せる人は多くても、
これが大局的に、ながいスパンで考えて判断しなければならないとなると、非常に限られた資質の人になるだろう。
まず自分一個、自分の側の利益に囚われているようなスケール小さい者にはムリな能力。
政治とか環境問題の分野は特に。
それは、かなりの時間を経てから、思い知らされることになる。
もちろん、皆を巻き込み、手遅れになってしまってることも あるだろう。
自分の日常生活範囲には、それほど影響も関係も及んでこないだろうとしか思えないと、他人事感覚になりがちだしね。
スケールの小さい、自己利益にばかり囚われている者が、「パワハラ」と呼ばれてしまうような、理不尽な強圧でもって、
これまた、スケール小さい、奴隷根性の者は、ヘイコラとばかりに従ってしまう構図。
かの孫子が兵法という『囲師必闕』にしても、「空になった城」を易々と手に入れる裏から逃げ出す者たちが いれば、やはり、それ相応のリスクは つきまとうでしょう。
物理的に外側からの「枠」を与えても、あふれてしまった水は、逃げ出すしかないね。
人間の場合、水や微生物のような単純な物理的行動を とるとは限らないしね。
それこそ、
「国民から主権や人権を なくせ!!」
「国民の生活が大事というのは、まちがっとる!!」
と叫ぶ『自民党』議員を見て、
「これは恐ろしい、二度と、自民党は支持するまい」
と思うどころか、
ますます支持する国民大衆、とかいう現象ね(嗤)
はて?『自民党』の目的は奈辺にあったのだろうか??w
人間たるもの、われもわれも、とは ならないだけの知性を持たないと、
「権力者が国民を都合よく支配する」状態は容易い。
でも、知性と価値観に共通性が大きい者どうしなら、スムーズに運ぶ。
あとの細かいところに拘るか否かも、価値観で変わってくる。
潔癖と狭量、大らかと だらしないのは、紙一重。
うちの親なんかも、私が若い頃、「それ、環境上の問題になるらしいよ」と言っても、
「うちだけが、気を つけてもムダ!無意味!」
の一言だった。
しいて言えるなら、大局的見地を持てない凡庸者には、分かりやすい、いわゆる「見える化」でもしないと、なかなか、動機付けも困難で、意欲も湧きにくいかな。
何よりも、
「もう、欲も得も ないわ~」
「気持ちは あっても、からだが ついて来ん!!」という現実がね。。。(苦笑)
【続く】
2019.05.31 (Fri)
『メスメールさん江w』の続き。
新『天皇』さんも、どこか「おようす する」ことにガンバっておられるのが垣間見えるようでwま、美智子さま譲りなのか、このかたは、お若い頃から、そんな感じだったか(笑)そこが また、微笑ましく感じられることも あるようなないようなw
何より、ここへ至って急に出ずっぱりで、連日ガンバらなくては ならないハメになった雅子さまの お疲れが溜まって、反動が起きて来ないようにしていただきたいものだ。
あたかも、『秋篠宮』家と代わりばんこに持ち上げたり落としたり、そんな茶番的せんぐり劇場なんて、見たくもない。
イギリス王室でも、ケイトさんがメーガンさんが、と煽りたてるゲスなマスコミは万国共通なのかねえ。
特に、『皇室』のなかでも、まだ未成年の かたがたを、あれこれとネタにして突っつきまわすのは やめれ!と言いたくなる。
いかにも中途半端で間延びした『皇室』イベントは、この秋頃に再開されるそうだが、その頃になったら、またぞろシラケた雰囲気になっていないようにwなんせ、ここの国民は特に移り気だからねww
それと、
ようやっと最近になって、『日本会議』に対する批判的な意見がチラホラ見受けられるようになってきたけど、
ちょっと前までは、どのメディアも全くと言っていいほど、『日本会議』の「に」の字も出すことなかったでしょw
よっぽど、なにか怖いんだろうか?ww
それとも、裏では結託してるんかいな?www
この『日本会議』の本質については、ずっと前に、小林 節氏が示唆しておられたように、「エスタブリッシュメント」なる層の存在が代表しているのだろう。
昔から そうであったように、要は、『天皇』『皇室』とは、
「エスタブリッシュメント」を自負・自任している彼らの欲望や思惑、目的のために利用できるようにしておきたい「お飾り」なんですなw
だから、
こっちの主張どおりに従わない、言うこと聞かない『天皇』『皇室』だ!となったら、崇拝の態度から一転、平気でバッシング奉りを開始するww
その点では、現シュショーの安倍朕パペットも似たような、「担がれてる」立場でしょうなwww
『日本会議』に足向けては寝られないwwww
ただ、個人としての思考力、思想性や真摯さ、気骨その他もろもろの点では、前『天皇』の明仁氏と安倍朕では、だーいぶ差があるとは、さすがに思うけどさ(爆)
あ、ついでに、「『皇室』は平和な血筋」とか甚だしいウソッパを言いまくってるアホに言っとくわ。前々から呆れてたんだけど。
義務教育レベルの話だけど、習わんかったのかい?
「おほきみの みこと かしこみ」
権力争いで、身内でも容赦なく殺してきたという「朝廷」の史実を。
『昭和天皇』だって、国外に出れば、いまでも「第一級の戦犯ヒロヒト」で通っているそうだし、現「平和憲法」の曖昧さのもとで「新しい天皇像」とは、を模索し、邁進して来られた、前『天皇』だって、「ヒロヒトの息子」という位置付けだろう。
だからこそ、『昭和』時代とは一線を画したと見えるところが、最大に評価されているんだろう。
なにしろ、『現人神』の印象は最悪に終わっただけにね。
ちなみに、私も最近になって知ったんだけど、
『昭和天皇』は、晩年になって、仏教に傾倒しておられたんだそうな。
あれまw『神道』の主催者じゃないのですか、『天皇』というのはww
『神道』なんて、いっぱしに『宗教』とも呼べないほど素朴過ぎるレベルだからなの?www
『靖国神社』は押し付けがましくて、日本人の無神経さという本質を体現しとるがねwwww
最近のニュースで知ったけど、『千鳥ヶ淵』の「身元不明」の御遺骨は、日本人のものでは ないのが大量に混じってるらしいとか。どうなってんだ?
まさか、フィリピンあたりの現地の人のを、金銭で売買してるなんてことは なかろうな
それにしても、『皇室典範』を変更する権限って、真実は、誰に あるんだろ?
筆頭当事者であるはずの『天皇』その人には、発言権ないわけなんだろうか。
その執り行う「祭祀」の内容だって、『天皇』は、実際、誰に教わるのか。もし、何らかの変更が必要であるとされた場合、誰が変更内容を決定するのだろうか。
しかも、昔の天皇のほうが、「祭祀」に熱心では なかったとか いうしw
『天皇』が、何を以て『これこそ皇室の伝統たる』としているのかも明確には聞いた覚えがないし、
「祭祀」のことだって、実際の行為も、その意味付けについても、まず知らない、分からない。
田植えしてらっしゃるとか聞いて、ああ、ルーツは お百姓さんだったのかと思ったり(笑)
結局、「主権者」は、いちおう、国民のはずだから、『皇室典範』であれ「祭祀」に関することであれ、国民が、国会を通して決めることになる?
どうも、そうでは ないようだ。
だいいち、国民の殆どは、無知なんだもの。
無知な者が決めるわけには いかないよねえ。
かくて、なんかワケわからんまま、なんとなく、これが「伝統」なんだぁ、と思い込まされて、知らん間に進行していってる。。。
ほんとうに、われわれは「主権者」なのか?
どうやら、相変わらずのカルトチックな宗教国家っぽい、ということだけは感じるけど
2019.05.31 (Fri)
英語すら苦手だし、ほぼ日本のことしか知る機会に乏しい私は、できるだけ、あらゆる外国の人の考え方も知りたいほうなので、日本語で読めるかぎりは、目を通すよう努力している。
そこで、つい最近も、え~と『週プレ』ナントカいうとこのインタビュー記事を読んだんだけど、そこに登場している、フランスから来られ、長らく日本に滞在されているという『ル・モンド』紙 東京特派員記者さんの御意見・御見解を読んで、少々。
そのメスメールさんは、
ここでも出てくる、やっぱり「古代中国」由来wの「『神格化された北極星』つまり『天空で人々を導く点』を意味するという説」を披露しておられるんだけれど、そういうことなら、
『北極星』というものは、少なくとも、こんにち、一個の大人ともなれば、各人が自己の内部に持つものだと思うのよ。
他の誰かに押しつけて務めてもらうんじゃなくて。
まあ、そのためには、一般大衆国民の知性を上げないとならないね。
なぜ、こっちをサッサと やらないか。
義務教育のうちから、さっさと始めろや。自分のオツムで考える訓練を。
何事を決定するにも、その本質を見抜き、背景と事情を知っておかねば ならない。
これが、いろんな面で、妨害や隠蔽も ままあることだし、なかなか、達成が困難であることも尤もなんだろう。
無知な者が、「決定した」つもり、になっても、ほんとうに決定したことには ならない。
だから、『民主主義』は難しい。。。
そういうことで、
くだんのメスメールさんには、この『北極星』たれ、という要請を、する側、される対象の側、それぞれにとって、どういう意味を持つことになるのか、もっともっと、思索を深めていただきたいなと思いました しだい。
せっかく「哲学の国」フランスから来られたジャーナリストと思ってたから、けっこうガッカリしたぞw
まあ、私から見たら、まだ若いかただし、本当には知らないまま、表面しか見えておられない面が あるのは、外国のかたなのだから、しかたないのだろうけど。
これは、『週プレ』の記者さんへも言うんだけど、
私は かねがね、「完全フラット状態では、流れない」、
つまり、「カンペキ平等」や「公平」や「格差なし」なんてことは、世の摂理としても あり得ないし、ある程度は、不完全さ、格差の存在を受容するほうが、むしろ望ましい面も あることだと主張してきた。
要するに、程度問題なのだ。
どちらに向こうと、極端な状態には、大概の場合、人為的な無理な圧力が かかっている。
特権や権力絡みは特に そうだ。
まあ、人間というものは、太古の昔から現代に至るまで、猿と同様に、「上下関係」が好きなんだろうw
あらゆる概念が、この「上下関係」を基に構築されてきている。
ある「システム」を支持し維持することに、大多数の国民が同意するものであるなら、もちろん、『民主主義』と矛盾しては いない、という考えかたも できましょう。
しかしながら、
こんにちでは、『皇室』ゆえのゴシップやスキャンダル騒ぎ、
さしづめ『秋篠宮』家を めぐるバッシングが勃発していることに窺え、
遡っては、かつての『大正天皇』を めぐって起きた問題にも窺えるように、
要するに、やっぱり、
『天皇制』『皇室制度』という「システム」は、単に「血統」だの「血筋」だけで問答無用、とは ならない、のが現実なんでしょう。
ましてや、
戦後からは「象徴」という、当の明仁氏ですら、終生にわたり模索し続けざるを得なかったほど、わかったような分からんような位置付けにされている『天皇』ひいては『皇室』は、こんにちに至って、一般国民にとっての、まさに「お手本」であり、この上なく「理想的」な人間、かつ、その家庭であることを強く要求されている。
したがって、現代の倫理感覚から外れ、時代錯誤も甚だしい「側室制度」なんて ありえないのだしw
この時代の一般国民から見た印象が、大多数の一般国民にとって好ましいと思えるなら、じゃあ『天皇制』『皇室制度』賛成、となるし、
好もしくないとなれば、『天皇制』『皇室制度』というシステムにも、疑いの眼は向けられ、拒絶に向かいかねないのです。
大衆、民心というものは、いとも移ろい易い。
だからこそ、その父と戦争の時代を知る、前『天皇』明仁氏は、宮内庁の職員の談話で「ワーカーホリック」と評されているというほど強迫的なまでに「国民のなかへ」入っていこうとされたし、渾身の努力を重ねてこられた。
(ただ、先日のエントリーでも述べたように、あくまでも私個人は、被災の見舞い等に駆けつけていただいたとて有難い気持ちには全く ならないよwそんなことよりも、国民として、ほんとうに切実な、せっぱ詰まってることは他に いろいろ あるんだもん。天皇ご夫妻の お見舞いで、ま いっか、なんて気持ちに なれるはずもないわww)
美智子さまは美智子さまで、週刊誌等に対してまでも、いまどきのネット用語で言う「エゴ サーチ」のようなことを されていたという話。
あれだけ「ご公務」で御多忙を極めているのだという話が定番になっていたなか、そんな つまらないことにまで神経を使い、時間と労力を費やされていたというのが事実であれば、なるほど、たしかに、強迫的だ。
「お手本」であり「理想的」人間と、その家庭であるという姿を示し続け、最後まで全うできないと、『天皇制』『皇室制度』という「システム」でさえ、わりとカンタンに揺らいでしまうんですなあ。
そこにおいては、ある面で、「人権侵害」と言うべき事態すら起きている。
このへんのことには、なぜか、メスメールさんたちも言及されないのよねえw
【続く】