2019.11.06 (Wed)
『埼玉・杉戸町で図書館宿泊 秋の夜長に「読書をしながら図書館で寝落ち」』11/3(日) 9:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000002-minkei-l11
ステキだけど。
ただ、もしも、地震が起きたときのことは、考慮してるのかな?と、少々、気にかかる。。。
あの『阪神・淡路 大震災』のとき、大阪のなかでも、一部では大きな被害を こうむったが、
その頃、私の同僚が、就寝中に、揺れと共に落ちてきた大量の本に埋もれて亡くなったので。
次に、
『美術展に出展の書「滅び行く町相生」 市教委「不適切」と撤去要請 兵庫・相生市』11/5(火) 12:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00000020-ytv-l28
この記事を読み、真っ先に、なぜか、
「つけ火して煙り喜ぶ」
ナントヤラつう書道作品(?)を思い出してしまった。。。
さて置き、
私も、「滅び行く町 相生」という見出しを見て、『相生市』のことは、地名くらいしか知らなかったけれど、たしかに、
「えっ?なんで そんなこと言うの??」とは思ったよ。
記事中にある、問題になったという書道家の主張を読んで、
ああ、そういうことを言いたいわけね、と分かったけど、
やっぱり、その作品自体を見せてもらいたかったな。
もう数年前になるか、故 金子兜太氏が揮毫された
「アベ政治を許さない」
という、その主張以上に、
眼を瞠らされたのは、内面から迸り出たような筆跡の力強さ。
書かれた文字が、声を出している。
「ヤフゴミん」は相変わらずで、そもそも「表現」とは何であるか、芸術と思想との関わりは、といったことについて、根本的カン違いしたまま、それこそ、自分たち側が、「偏った」見解を開陳し、浅薄さ、教養のなさを曝け出してることに気づいてないようだが、
ウヨだかネトウヨだかの連中の解釈は、まさに、「当たってない」し、よっぽど、偏った「思想」からの感情むき出しでしかない。
例の『表現の不自由展――その後』だっけ、
あそこに出品した作者さんたち個々に持っている考えだとか思想だとかは、私は、とりたてて批判する気は ない。
要するにだな、
根底にある何らかの思想だのを主張したくて、それを出品しているのか、などは、二の次三の次なの。
それが思いっきり偏っていようが、どうでも いい。
要は、どのように表現しているか、なのだと思う。
そこに、ある種の、幾ばくかの「美」が感じられるか否か。
少々付け加えると、
いわゆる軍隊的な序列と行進・規律の厳しさであるとか、自国や主君に対する徹底した忠誠の態度であるとか、そういった、昔ながらの「美意識的」な面は、もしも、それを要求されたら、仮にも現代人である一般市民として、断固拒絶したくなるし、あくまで私個人として、まっぴらゴメンなんだけどw
それでも、独特に洗練された制服や所作の様式美みたいなものは感じないでもない。
たとえば『ナチス』時代のリーフェンシュタールの『オリンピア』は、背景思想が、いかに怪しからぬ、許し難いといっても、やはり、その表現には、端正な美を感じさせられる。
また、
どう見ても、こりゃ「児童ポルノ」だろ?と言わざるを得ない、非道徳的作品、あるいは また、怖ろしく禍々しい人物や光景を描写したにも かかわらず、
どこか抗い難い品格と魅力を感じさせる力を持つ作品も ある。
ただ、私にとって、そういう、「抗い難い魅力」や一種の「美」を感じるところが ない作品は、いっこうに響かない。
どこかの講義に参加した、とある絵画モデルさんの訴えのように、耐え難いほど、ひたすら醜悪、羞恥を もよおすしかないようなものも あるのだろう。
内容のことは詳しく知らないが、あの講師ってのは、そうとうに癖のあることで有名な男性なんでしょ?
まず一般的な感覚の女性なら、あんなに極端なとこまで いかないだろうね。
しかし、女性のアーティストでも、非常に いかがわしい内容のものを実施したという奇怪な事件も あった。
「芸術」って、しょせん、時代によって変化したりする「正しさ」やら「道徳」やら、そういうものを軽々と超えているからこそ、「良識」とか「こうあるべき!思想」とかに縛られないわけなんだろうけど、
もちろん、どのような感じかたを するかは、その人によるわけで、
感じかたを強制して、皆一律に統制なんて、ナンセンスでしかないもんね。
【続く】
2019.11.04 (Mon)
『「公平」な米国求める怒り=社会主義賛美の風潮-米大統領選』
11/3(日) 17:32配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000066-jij-n_ame
日本でも、やはり同じ問題が起きてるよねえ。
ただ、
本場アメリカの、いわゆる富裕層が、日本の それとは違い、見識も矜持も段違いなのだなあと感心したのは、バフェット氏だったかな、彼ら富裕層の一団が、
「われわれから、もっと税金を取ってもらいたい」
と、明言したこと。
さて、
『上智大学』教授という肩書の「オーサー」さんの おことばなんですけれども。
「~アメリカの50以上の識者に『若者の間に社会主義的な概念が好まれている』というと、『若者はよくわかっていないから』と露骨に嫌な顔をされることもよくあります」
日本でも そうだが、しょせん「借り物の資本主義」国は、それこそ、「よく分かってない」んじゃないかと思いますけど。
たしかに、アメリカと、『社会主義』や『共産主義』って、最も遠い、相容れない、とことん忌み嫌ってるというイメージつよかったけどね、従来は。
日本では、いつのまにやら、『共産党』と『自民党』では、はて、どっちが どっちやったかなあ?と困惑するほど、みごとに入れ替わったみたいなところが出てきてるけどw
おのれ自身が極端だから、相手も「極端」に見えるのだと、
ことに、先方が「極左」に見える、というのは、
おのれこそが、とりもなおさず「極右」である証拠だ、という喝破は、そのとおり言い当てていると思う。
いわゆる「右」だろうが「左」だろうが、何ごとも、極端では行き詰まる。
私なんかは常に、「右」「左」双方から叩かれまくってきたもんね。つまり、見事な「中道」でしょっ!ww
「自分さえ良ければ」という考えや姿勢は、いつしか、回り回って、自分の首を絞め、破綻することになるんだよ、という意見を、私自身、ずーっと前から言い続けてきた。
最近では、さすがの「ヤフゴミ捨て場」でもチラホラと、それに近いことを言い始めた投稿者も見かけるようになってきたが(いままで、どこに隠れてたんだ?w)、
こういう考えかたって、わが日本だと、宮沢賢治先生が おっしゃったし、
かのチェ・ゲバラも、似たようなことを言い遺してる。
この両者は、生まれて生きた国も時代も全く異なり、思想背景ときたら、正反対と言うべきほど異なっていたはずなんだけどね。
商売ひとつ とっても明白な話だ。
おおぜいの人たちが買ってくれる、使ってくれるから、儲けられるのだから。
「ヤフゴミん」のなかでも、しょっちゅう見かける、
「たくさんの税金を納めてないやつがー、ねたむな僻むなー」
と言い張ってるけどね、
小学生の算数アタマで考えても明白ですがな。
日本においては特にだけど、ごく少数の富裕層が、どんだけ高額の税金を納めても、
最も ぶ厚い庶民・大衆層が一斉に納める金額に、到底、かなうはずが ないだろうよ。
その おかげで、国家も商売も、そして『皇室制度』も成り立ってるの。
商売人なんて、その殆どは、要らんもん売りつけてるだけよw
富裕層とまで いかない、そこそこ お金持ち程度でも、日常に、ある程度の余裕を持てていて、たまには気晴らしの娯楽も楽しめる、という生活なら、私は、性分なのか、まあ満足してると思う。
普段の衣食住が、まずまず平均クラスの水準で満たせていたら、要するに、大欲は掻かないんだ(苦笑)庶民層の大多数も そんなとこなんだろうと思うよ。
それに、私は、税金を納めること自体を、あたかも損してるような気分には ならない。
むしろ、納税できることは、本来、誇らしいことだと思うし、その点、税金を払いたくない!と主張する、自称「努力した勝ち組」さんらのススメる「愛国心」の意味がサッパリわからないw
もちろん、使い道については、特定の人々が、私的に流用したなんて事が あったら、それは怒り心頭だけど、
日常生活で、多少の余裕を持てる分以外は全部、税金で持って行かれたとしても、腹は立たないと思う。想像でしかないけどね(苦笑)
なぜかと言うと、さっき言ったように、大欲は掻かないから。
「足るを知っている」からさ。
でも、大欲を掻かないタイプは、困ったもんだと苦々しく思う、ある層の人たちも いるんだろうねえw
ところが、ささやかな日常すらカツカツの線になってくると、
ましてや、「人並み」のカラダじゃないことで、足もと見られ、平均レベルの仕事すら こなせないような、能力が低い人の分まで引き受けさせられていたにも かかわらず、報酬に反映してもらえなかったとなると、いいかげん、バカらしくもなるわよ。サービス残業とかね。
さあ、
それでなくても、障碍者でもない「人並み」「普通の」はずの人々が、どんどん振り落とされる異常事態が、この国で起きた、ということを、前々回あたりのエントリーで指摘したけど、
いよいよ、「AI」社会だのって、凡庸な者は容赦なく振り落としていく社会が到来するのも目前となったら、「ヤフゴミん」の皆さん殆どの人は、振り落とされること必定の側じゃないの?(嗤)
おたくらのコメントをチラチラ眺めてると、たいがいは、低学歴で不勉強な私なんかから見ても、ほんっとに低知性で、思い込み激しくて、有名人やエライ人の発言だとなると、全面平伏して有難がってる、凡庸そのものの群れですからな(嗤)嗤)
あ、そうだ、賛否両論の「ベーシック インカム」ね、これこそは、「人並み」の人々が、急いで検討しなくちゃならない議題じゃないの?w
働きたくない者は~、オカシイとか何とか、疑念を呈している向きは多いようだが、
現実、働きたくなくても働いてるんだ、と言いたい人のほうが多いだろうね。全員が、「天職」や適性のある仕事に就けているわけじゃないんだから。
ただ、「ベーシック インカム」の、良き可能性は?と少々考えてみるに、
まずは、『生活保護(生活保障)』の、言わば「スティグマ」を解消する効果も勿論あるだろうけど、
ある程度は、失敗が許されること、つまり、路頭に迷ったり餓死するかもといった息苦しい心配が なければ、各自、それなりのアイデアや野心を持って、様々に起業することが気軽になるかもね。
まあ、難しい問題だけど。
あ、それと、
すでに言ってきたように、「完全にフラットでは流れない」。
「格差」は あるのが自然です。
極端に ありすぎるから不自然なのです。
そう言えば、
最近、ゲバラの故国、アルゼンチンで、(中道)左派政権が成立したそうだね。
2019.11.02 (Sat)
『きょうの二題――城と避難所――』の続き。
世のなかには、男性や、性というものに対する、みょうなコンプレックスや劣等感を抱えている女性が いるのも事実のようだし、
そういうコンプレックスや劣等感を、男性の目を引くことによって、発散させようとする女性が いることは認めざるを得ないケースも あると思う。
ただし、
ほんとうの「性欲」自体の強さで、そういうふうになることは、女性全体のなかでは非常に少ないだろうと思われるし、
なかには、レイプ被害を受けた影響からの心理だったりするから、女性の場合は、男性と比べて、単に肉体的な欲求からという以上の、複雑な心理背景が あるようにも思う。
およそ「性」というのも、駆け引き材料の商品となり、優位や力の誇示の場ともなる、そういうものに敏感な者ほど、それに とらわれる。
だからかね、『自己愛性人格障害』者の場合、「セックス依存」とか、女性でも顕著な性的関心を示す傾向が指摘されるのは。
もともとは そうだったという、「女性ばかりの世のなか」だったら、
たぶん、もう少しは平和な世界だったろう。
少なくとも、戦争、犯罪、特に性的犯罪、地球規模での自然破壊も公害も、概ねは男性が齎したものと言って過言じゃないわね。
良い面と悪い面、
男性は、極端で、ひどく危ういバランスを、この世に齎してきた。
女性性のなかから、突然変異のごとく発生してきた男性性というもの。
古今東西の問題なのだけれど、
ことに「イスラム」圏の女性の身なりを見るにつけ、えらく痛々しいものを感じるわ。
日焼けも防げてイイのかも、と思ったりするけどw
日本でも、荒行を する修行場などに、女性の立ち入りを禁じていたりする。
男性の弱さを痛感するところよね。
致命的に弱いからこそ、必死にカバーせざるを得ない。
だいたい、男性は、特に、性的なものが絡むと、自分の つごう良く解釈する傾向、つよいよねえw
つごう良く誤解し易いし、
誤解させられたー!期待させられたー!と逆恨みすること多いでしょw
でも、それが現実だったのだと認めて、おとなしくしてるばかりもシャクで、つまらないから、しまいに、犯罪に繋がるような強引な手段に出ようともする。
ゲームやエロ漫画のオタクなんかが、「関係ないー!!2次元と現実との区別は、ちゃんと~」と必死に言い募るコメントを よく見かけるけど、
ところが、男性は、視覚からの刺激を受け易く、影響され易いのだ。
性の対象になり得る女性かどうか見分けることにも拘るのが一般的。
もっとも、せっぱ詰まったら、相手がババアだろうが何だろうが襲うんだけどね(嗤)
幼い子どもみたいに、目を離せないで、じーーーっ、と見詰めるシーン、思い当たるでしょ?w
このことは、女性側も、わきまえておくべきだと思うよ。
男性がだね、もし、露出過多な、からだの線ぴっちり、みたいな かっこうで出歩いてたら、女性から見ても、不快でしょう。
とは言っても、
女性のファッションによって不快に感じる男性側の それとは異なるよね。
性欲を刺激されるとか、そういう雰囲気を感じさせられて不快、というのとは多少なり違うから。
ただただ、単純に醜い、カッコ悪いんだから、おやめなさい!見苦しいわねえ~って感じしか持ってないのよw一般的な女性はね(苦笑)
け、け、けしからん!と息巻きつつ、内心(*´Д`)ハアハア、、、っつうのと、根本が違うw
女性たちが、さも厭そうに、顔を顰めるのを見て、快感を もよおす男性も、そこは おわかりでしょ?ww
あと、やっぱり、母親が、そもそも女性であるということの心理的影響もあると思う。
母子関係ってのは、息子でも娘でも、原初の、恋愛関係の原型とも言えそうだものw
こういうのも、猿の社会を見てたら、よく分かるよww
私自身、どういうわけか、幼い頃から多くの性的被害に遭い、幸いにも、「レイプだー!!」と、警察に駆け込んで被害届を出さなければ ならないほどの深刻な事態には辛うじて遭わないで済んだけれど、
幼児から見れば、「おとな」に見える男性、いまの自分が振り返るに、ごく若い、19歳や二十歳くらいの青年だったりしたけど、
まるで同年配の女性に言い寄るみたいなコトバと態度でもって、にじり寄ってきたのよね。
過去に、どこかのエントリーで述べたと思うけど、
あれは本当に、理解できなかった。
だって、こっちゃ幼児だからねw
「このおにいちゃん、なに考えてるのかなあ~???」
てなもんですわよ、ほんとww
ただねえ、最後に言い添えておくのは、
特に痴漢なんかは、電車に乗っただけで簡単に近寄ってこれる、いとも手軽な犯罪だけに、ウンザリするほど遭遇したけど、
周囲にもコボシたりしていて、あるとき、
「あんた、スカートは やめ、ジーパンにしたら」
と言われたので、そのとおりしても、やっぱり同じことだった。
私は気まぐれというか飽きっぽいというか、着る物なんかは特に、典型的「お嬢さま」スタイルから、「ヒッピー崩れ」みたいなスタイル、OLの鏡みたいなスーツ スタイルから、セクシー超ミニまで、いろ~んなタイプのものを着てきた。
そうして、長らく観察してきて、確かに言えると思うのは、
露出が~とかハデとかセクシーなとかいったタイプの服装よりも、
むしろ、白いブラウスに紺色のフレア スカート、という典型的な、まさに「清楚な」服装のときのほうが、圧倒的に、痴漢に遭遇したのよ。
これは、実際に、そうなのだというデータを、どこかの記事で見た記憶も ある。
なので、服装が原因であるとは、あまり言えないかもね。
ちなみに、うちの兄は、
私が高校生時代、通学の電車内で、しょっちゅう痴漢に遭い、きょうは、たまりかねて、睨みつけてやった、と言ったら、
「睨みつけられるだけで済むんなら、俺も痴漢やりたい」
と のたまいました。ガッコのセンセイですわ。
ついでみたいになっちゃったけど。
『首里城』の大火事のこと。
30年ほども時間と労力と税金かけて、あっという間にワヤだとさ。
また繰り返す恐れが高いんなら、もう やめとけば?と言いたくも なるなあ。
オリジナルの城が現存していた何百年このかた、それこそ蝋燭やら焚火の生活で、現代よりも、もっと ずっと、火事いく危険性が高かったはずじゃないの?と思うんだけど。
何やら、
スプリンクラー設置義務は ないので、といったコメントが あったけど、
それは、あくまでも、建物自体が古くて、かえって傷める恐れから、設置するのが困難な場合でしょ?
今回、全焼してしまった『首里城』って、最近になって完成した「復元物」でしょうに、スプリンクラーを設置するのが困難だったわけ??
国がケチったんじゃないのか?
こないだの洪水災害でも、どこかの堤防を、でっかくし直して、新しく設置したおりに、地元の人が、いざというとき、水を逃すための扉(?)か何かを備え付けておいてほしいと要望したにも かかわらず、役所側が、その扉(?)ひとつをケチったために、かえって、浸水が酷くなってしまったと言ってたな。
こういう、最後の詰めが甘い、
ヘンな所でケチる、
かえって失敗した、
日本の行政や国民性の特徴なんじゃないの?と思うこと多い。
ま、沖縄よ。
カネ出してもらった分、口も出されると覚悟しないと いけないですよ。
2019.11.02 (Sat)
『“男性がトイレまでついてくる”“授乳をじっと見られる”災害避難所の性被害は「大したことじゃない」のか?』11/1(金) 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191101-00589843-shincho-soci
良い内容の論考だと思います。
うーん、筆者さんの御友人は、言ってみれば、いわゆる「男っぽい」タイプかな?
こういうタイプの女性は、自分自身が、かなり男性に近い感覚を持ってるので、おのずと、男性側に共感するほうに傾いちゃうのかも。
また、女性どうしでも、分かり合えるとは かぎらないし。
経験や立場や背景事情、そして、分析力、思考力が、個人によって異なる以上は。
昔から ある、いわゆる「嫁・姑」間の争いでも、姑側のキメゼリフは、
「わたしが嫁入りした頃は、あんたよりも苦労したんだから!」
って主張よね。
あんたよりも、わたしが。
あっちよりも、こっちが。
結局、とりあえず自分の日常生活さえ、それなりに まわってるなら、
いちおう、理不尽なこととは知っていても、目を つむってしまう。
障碍の問題でも、共通してるよ。
さて、
大火が多かったという『江戸時代』あたりでも、お寺の本堂などに避難した人々が雑魚寝状態で、やっぱり、そこかしこで、、、
という状態だったそうな。
いまだに、それに近い状態かよ、「先進国」「経済大国」ニッポンはw
えてして、せっぱ詰まった事態のなかでこそ、男性の性衝動が亢進するみたいよね。
戦地なんかでは特に、そうらしい。
とすると、平和な状態だと、性欲も衰えるのかね??w
だから、いつの時代でも、男どもは、「戦争やろうよ!」とww
ただ、紹介されている「割れ窓」理論というのは、言わば、「小さな問題が大きな問題へ」という指摘のみでなく、
やはり、その「窓」を管理するべき側の高い意識や警戒態勢を怠らない必要性についても促しているんだと思う。
たとえば「どろぼう」するのは、あきらかに犯罪行為なのだから、どんな理由があっても、正当化されることは ない。
けれど、
だからと言って、戸締りや施錠を しないわけには いかないでしょう。
どろぼうが存在するのは、現実なのだから。
「どろぼうは、犯罪なのですよ!!」
と叫んでも、諄々と説き伏せても、やるやつは、やる。それが現実。
一般に、ルールや法律ってのは、崇高な理念からというよりは、畢竟、のっぴきならない現実の事情や生活習慣を土台に生まれて、最低限の設えでしかない。
そして、
ルールや法律くそくらえ、みたいに、欲求や衝動をコントロールできない、まるでケダモノみたいな、手のつけられない者に向かって、埒が明かないままに言い聞かせるよりかは、
まともに耳を傾けてくれる、理性ある、要するに、「話が分かる」人のほうに、リキ入れて聞かせようとするのも、ありがちなことです。
納得し難いけど、実際には、しかたない面は否めないよね。
どんな方面でも言えることだけど、
わざわざ危険を冒すようなことを、みずからも敢えて していたのなら、
「それ見たことか!」
と、被害側が、逆に咎められてしまうことも ままある。
いくら正当性が あっても、リクツや理想だけでは、どうしようもないことも ある。それが、現実の生活。
「ケダモノ」みたく言われるのが、実際、男性側に圧倒的頻度で多く起こされる衝動や欲求なんだから、これって、じつは、男性が男性によって侮辱され、貶められているに ほかならないことなんだけど。
だから、男性は、同性にこそ、腹を立てるべきよねw
同僚だった美青年が幼い頃、隣家のオッサンに、性的「イタズラ」されていたのに、引っ越しするとき、
「うちの息子を可愛がっていただいて~」
と、彼の おかあさんは、なにも知らずに挨拶したんだそうなw
私自身、男女を問わず、性的な面での被害を受けた、と言うべき場面に遭遇したのは、ごく幼い頃からだったし、
いずれ、「痴漢百態」とでも名付けた著書を上梓してやろうかと思ってたほどでw
「思春期」にさしかかる頃ともなると、ほんとうに毎日のように、ナンパやら痴漢やら覗きやら盗撮やら尾行やら、
ときには、命の危険を感じる場面も あった。
先日のエントリーでも述べたように、見知らぬ他人の男のみならず、親きょうだいからも、そういう類のことが あったくらいだ。
ただでさえ、暴力的な父親に憎悪を募らせた生育環境なので、成人後になってからも、ハッキリ言って、殆どの男性に対して違和感や嫌悪感が つきまとってきたのが本音。
さてさて、
女性のほうから用心して、「男性を刺激する」ような服装とか態度に注意すべし、という指摘も、全く頷けないことでは ないと、いちおう女性のハシクレである私でも、そう思う面は あるよ。あくまで現実としてだ。
なにしろ、男性は、「性染色体」を見ても一目瞭然、脳にも特徴が あり、一般的なタイプの女性には想像できにくいほど、「隙あらば」という「性欲の奴隷」みたいなサガ。このことは、「ヤフゴミん」常連のオッサンでも、素直に認めてるみたいだけど、
それだけに、われわれ女性以上に、論理性や理性でもって、みずからをコントロールし、抑え続けなければならぬという日常生活における苦労は察しております。
そういう面での苦労が薄いからこそ、ある意味で、大多数の女性の論理能力は甘く、単純で感情的な傾向であるとタイプ付けられてしまいがちだった、のかもしれない。
何らかの不条理や理不尽に晒されつつも、正気を保って生き抜かねば ならない苦労を しているからこそ、論理能力は鍛えられるという側面もある。
なので、
この記事内で挙げられている、ある男性が発したらしいツイッターの内容は、ずばり言って、あたま悪いんですよw
本質の分析力や論理能力というものが ないんだ。
その自覚が、自覚するだけの知性が ないから、そういうツイッターなんぞを、恥ずかしげもなく開陳できる。
まさに「ヤフゴミ捨て場」に入り浸って、論理能力はなはだ低く、ツッパリにすらもならないヘリクツや感情むき出しで、自分は正しいー!!と信念に凝り固まり、ひらきなおる「ネトウヨ」脳の男(女)なんざ、おカネくれても いらんわぁー、話すのも時間と労力のムダ!というのも、私の本音。
語るに足らんねんわ。同類どうしで やってなはれ。
「苦労知らず」でいられた者ほど、無自覚なままに思考停止で感情的、
さしづめ、俗物根性の「ウヨ」や「ネトウヨ」みたいな性格になってしまうのかもな。
だから、
「そういうものだ」「そんなもんだ」という思考停止は良くないのよね。
最も「哲学」から遠い。
【続く】
2019.10.31 (Thu)
『【続】「ヤフコメ」=軽薄短小が集うゴミ捨て場。』の続き。
ま、とにかく、
日本の社会は、一言で言って、重度の悪循環に陥ってる。
つまり、空回りしてる。
そして、
もはや「手遅れ」というキーワードが つきまとっている。
ここから脱け出さなくちゃいけないのだが、どうなることやら。
たしかに、明るい材料は きわめて乏しく、
辛うじて次の、少しはマシな段階に移行できていったとしても、
それまでに、罪もなく振り落とされた人々の怨嗟は残り、空中に漂い続けるだろう。
古今東西、いつも そうだったのだろうが、
降り積もり続けた犠牲者の塊りは、いつか、重く のしかかり、おまえの息の根を止めに来るだろう。
メメント モリ。
先日のエントリーで、
「あたりまえをアタリマエにやっていけてること自体が、有難く幸せなことだ」と言ったけど、
努力は報われてアタリマエ、と信じてこれた人は、自分が それだけ恵まれていたこと、そして、それゆえに、単純で狭い視野しか持ち得ていないことに気づいてもらいたいものだ。
子どもじゃなくて、いちおうでもオトナ、社会人ならばね。
年齢を重ねた甲斐が なかろ。
最後に言っとくけど、
いちばん呆れたコメントのこと。
ご存じ「ヤフコメ」名物「適者生存!」(または「自然淘汰!」)というセリフを持ち出して、
「社会保障が」「税金が無尽蔵では ない」という、
やっぱり「ヤフゴミん」お得意、かつ凡庸そのものな主張でシメ。
ほんとに、アホでバカなんだねー。
ハッキリ言っとくわ。
救いようが ないよ、これじゃ。
「適者生存」ってね、大多数が、そこから落っこちるんじゃ、これまた どんならんでしょ。
大多数、ほとんどの者、つまり、
少なくとも「人並み」のはずの者がドンドン落っこちてしまうようでは、社会そのものが持続・継続していけないんだよ。
それは同時に、税金と社会保障の持続・継続に はね返ってくる。
あったりまえのことじゃないか。
まさに今、そのことで苦悩する国・社会になってるのを目の当たりにしてるじゃないかよ。
「適者生存」クンよ、
どーして、こうアホバカなのに、こんなエラソーに、
クスリにもならん無意味な お説を ぶってられるんだろうか。フシギで しゃーない。
この国の政治屋代表たる現トップなどは、かなりの悪いオツムで知られているというのに、歴代最長という勢いで、最高権力の座に居座り続けている。
自分自身の努力でなく、世襲、しかも、あたま良くないのに、だ(嗤)
どういうことよ???(嗤)
フシギで しゃーないわぁ(嗤)嗤)
今度のオリンピック(&パラリンピック)が、
この国最後の祭り、死の舞踏会にならないよう。。。
ひとたび、栄養失調や飢餓に陥ってしまったら、ちょっとやそっとの治療では、回復困難。以後、死と隣り合わせ。
けれど、いっとき、あたかも「躁」状態を来すという。
蝋燭の火が消える直前、一瞬だけ大きく燃えあがるような。
それが、いま現在の日本の姿なの。
革新の能力、天才性には乏しくて、
言わば秀才、優等生気質のみでやってきた日本人。
「最も ぶ厚い可能性を孕む、そうあるべき ぶ厚かった層を、痩せさせてしまった」
これが、日本の政治(=『自民党』政権)と社会(日本の有権者)の最大の失敗。
日本に限らず、どこの国でも、これを やっちゃあ おしめえなの。
大学も出てない、ほぼ全てにわたって、「人並み」とは言えない私でも、考え込むまでもなく、直感で察せることよ。
わかりましたか?
まだ分からんか?
そこまでアホバカだと、国あげて、社会ごと、もう死ぬしかないぞ。
…
いつだったか、かなりの以前に、テレビ ニュースで見た光景だけど、
たしかイタリアの国会議員たちだったと記憶してるが、
税金を上げるとか社会保障サービス削減だかを、とうとう実施しなければならないとの決定が出たとき、あちらの議員さんたちは、国民に対して、申し訳ない!と大泣きしてたよ。
それに比べて、日本の政治屋どもは。。。
まあ、無知が先か、無関心が先なのか、
そういう おのれを自覚しようともしない、
思考停止のままで い続ける、低知性な一般国民が悪いわな。
どこぞの「発展途上国」レベルならば いざ知らず、
いちおう「先進国」として、大学進学は「人並み」となり、院卒ですら珍しくなくなった国で、これではね。
外国では、与党や政治家が、自分たちの手腕の不足である、と忸怩たる思いで号泣し、国民の許しを請う姿と対極に、
ニヤニヤと、悪びれもせず、税金を、社会保障を、私利私欲の企みで、自分のポケット内を思うさまのごとくに操作する。ふんぞりかえって、堂々と強行する。
そういう政治屋を許しているのだから、この国の有権者は。
いや、許すどころか、
「良い無能」よりは、「悪でも有能」。
われも甘い汁に あずかれるかも?
そういう期待を抱かせてくれるだけマシ、ええじゃないかと思う、
そういう国民性なのだから。
実態は、「悪にして無能」なんだけどね。
つまり、良いとこナシ┐(-_-)┌
お・し・ま・い。